サマー セット モーム。 サマセット・モームの映画作品

サマセット・モームの名言「あの人の恋愛観・結婚観」

サマー セット モーム

あらすじ [ ] 作家である私は、ストリックランド夫人のパーティーに招かれたことからチャールズ・ストリックランドと知り合う。 ストリックランドはイギリスの証券会社で働いていたが、ある日突然家族を残して消えてしまう。 私は夫人に頼まれ、ストリックランドがいるというパリへ向う。 私がストリックランドのもとへ向かうと、駆け落ちしたといわれていた女性の姿はなく、一人で貧しい生活を送っていた。 話を聞くと絵を描くために生活を捨てたという。 私は彼を批判するが、彼はそれをものともしない。 夫人は私からそのことを聞くと悲しんだが、やがてタイピストの仕事を始めて自立していった。 それから5年後、私はパリで暮らしていた。 以前にローマで知り合った三流画家のダーク・ストルーヴのもとを訪れ、彼がストリックランドの才能に惚れ込んでいることを知る。 ストルーヴに連れられストリックランドと再会するが、彼は相変らず貧しい暮らしをしていた。 それから私は何度かストリックランドと会ったが、その後絶縁状態になっていた。 クリスマスを前にしたある日、ストルーヴとともにストリックランドのアトリエを訪れると、彼は重病を患っていた。 ストルーヴが彼を自分の家に引き取ろうとすると、妻のブランチは強く反対した。 夫に説得されてストリックランドの看病をするうちにブランチは彼に好意を寄せるようになり、ついには夫を棄ててストリックランドに付き添うが、愛情を受け入れてもらえなかったために服毒自殺してしまう。 妻の死を知ったストルーヴは、ストリックランドへの敬意を失うことなく、故郷のオランダへと帰って行った。 私はストリックランドに会って彼を再び批判した。 その後私が彼と再会することはなかった。 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか ストリックランドの死後、私は別の用事でを訪れていた。 そこで彼と一緒に仕事をしていたというニコルズ船長に出会い、彼が船乗りの仕事をしていた時のことを聞く。 貿易商のコーエンはストリックランドを自分の農場で働かせていたことを話す。 宿屋のティアレは彼にアタという妻を斡旋したことを話した。 彼の家に泊まったことのあるブリュノ船長は、ストリックランドの家の様子を話した。 医師のクートラはストリックランドがに感染した晩年のことを語り、彼の遺作は遺言によって燃やされたとしている。 私はクートラ医師の所有するストリックランドの果物絵を見て恐ろしさを感じていた。 ロンドンに帰った私は彼がどのような生涯を過ごしたのかを伝えようとストリックランド夫人に再会する。 タヒチでのストリックランドのことを話し終えた私の頭には、彼がアタとの間に儲けた息子が、大海原で船を操っている姿が浮かんでいた。 タイトルについて [ ] 新潮文庫 1959年初版 での訳者中野好夫の解説によると、タイトルの「月」は夢を、「六ペンス」は現実を意味するとされる。 しかし、新潮文庫 2014年初版 での訳者金原瑞人の解説では、「「 満 月」は夜空に輝く美を、「六ペンス 玉 」は世俗の安っぽさを象徴しているのかもしれないし、「月」は狂気、「六ペンス」は日常を象徴しているのかもしれない」と述べられている ゴーギャンとの相違点 [ ] ストリックランドはイギリス人として描かれているが、はフランス人である。 また作中でストリックランドは同世代の画家を知らないだろうとしているが、ゴーギャンはと交流があった。 しかし見方によっては、ストルーヴがゴッホをモデルにしていると考えることも出来よう(ストルーヴはゴッホ同様、オランダ人である)。 ストリックランドは印象派を全く評価しておらず、他の画家との交流もほとんどせずほぼ制作することにしか興味を持っていなかった。 ゴーギャンは印象派展に作品を出展しており、多数の印象派画家と交流するなど活発に活動していた点も大きな相違点だろう。 さらにいえば、ストリックランドがタヒチで亡くなっているのに対し、ゴーギャンはで亡くなっているなど、ほかにも数多くの相違が見られる。 ただし、画家になる前は証券会社で働いているなど、共通点があるのも確かである。 映画・舞台・テレビドラマ化 [ ]• 1942年に、アルバート・レウィン監督、ジョージ・サンダース主演による映画が公開された。 1958年にはオペラ「月と6ペンス」が、作曲で、ロンドンにあるで上演された。 1959年には、演出、主演によるがで放送された。 オリヴィエはこれがテレビ初出演となった。 日本語訳 [ ]• 『月と六ペンス』最初の訳書は訳で、1940年に〈現代世界文学叢書〉の一冊で刊行。 戦後は新潮社「全集」、で刊行され多数重版した。 2014年に同文庫は中野訳から訳に変わった。 ほかに、、、、、で翻訳刊行。 21世紀刊行の現行版は、訳のと、訳のがある。 註 [ ] []• 月と六ペンス. 新潮社. 2014年4月1日• 外部リンク [ ] ウィキソースに の原文があります。 - (英語) この項目は、 に関連した です。 などしてくださる(/)。

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「絨毯の模様を織り上げていくように、自らの人生を生きればいい」by サマセット・モーム

サマー セット モーム

ウィリアム・サマセット・モームはフランス生まれの作家です。 モームは10歳で孤児になり、単身イギリスへ渡ります。 その後、医師となり、第1次世界大戦では軍医や諜報部員として活躍しました。 その後、サマセット・モームは小説『月と6ペンス』を書き、一躍人気作家となるのです。 また、彼は同性愛者でもありました。 サマセット・モームは孤独な青年期を過ごしました。 彼が8歳のとき、母が肺結核で、10歳のときに父が癌で死亡してしまい、孤児となります。 その後、叔父であるヘンリー・マクドナルドに引き取られることになるのです。 13歳のころ、カンタベリーキングズ・スクールに入学しますが、英語がうまくしゃべれなかったこと、そして吃音があったことで迫害を受けてしまいます。 このことから、彼は周囲にうまく馴染めず、孤立していったのです。 サマセット・モームは大変な旅行好きであり、長期の旅行をよくしたといわれています。 作家デビューの後、スペイン・アンダルシア地方を旅行し、1905年には印象旅行記『聖母の国』を出版しました。 その後もしばしばスペインを訪れ、歴史物語『ドン・フェルナンド』を発表するのです。 その後、サマセット・モームは劇作家としての顔も出し始めます。 『信義の人』『ドット夫人』『ジャック・ストロー』『スミス』などを上演し、劇作家としても活躍していくことになるのです。 そして1912年に、今や傑作となった『人間の絆』の執筆を開始します。 サマセット・モームの後期の活動は『シェピー』をきっかけに劇作家を引退しています。 その後、1935年に自伝『要約すると』を出版しました。 第2次世界大戦勃発時はロンドンへ亡命。 翌年にその体験手記『極めて個人的な話』を出版します。 そして、大戦中には大作である『剃刀の刃』を出版することになるのです。 そして、晩年、サマセット・モームは認知症を発症。 親族と被害妄想をきっかけにトラブルなどを起こすことになります。 そして、1965年には入院していたニースの病院から、彼自身の希望でリヴィエラの邸宅へ戻り、亡くなります。 享年91歳でした。 主人公は、ある日、ぱっとしない男、ストリックランドに出会います。 このストリックランドは、画家のゴーギャンをモデルに描かれているのです。 不自由のない生活をしていたストリックランドは、ある日忽然と姿を消してしまいます。 その後、パリでストリックランドと再会した主人公は、彼が全てを捨ててまで画家を選んだことを聞いて驚愕することになるのです。 サマセット・モームの本作で注目すべきなのは、ストリックランドのその壮絶な生き様です。 才能が無いと言われても、そんなことは些事なのだと言わんばかりに、ストリックランドは自身の道をつき進むのです。 その姿勢に、失われて久しい男気のようなものを感じてしまうのは、決して間違いではないでしょう。 ストリックランドは絵を描くことに情熱を燃やし、全てを捨ててその道を歩むことになるのですが、その描写にまるでゴーギャンそのものを見ているような印象を受けます。 その鼓動まで感じられるのは、サマセット・モームがいかに人物描写に長けていたかの証拠になっています。 その、息詰まる展開に、ページをめくる手が止まらなくなってしまうのです。 そして、絵を追求し続けてきたストリックランドがタヒチ島で見せる最期の姿にも、読者は胸を打たれ、脳裏からその姿が離れなくなってしまうのです。 また、この物語にはもう1人の登場人物がいます。 お人好しのストルーヴです。 彼は、ストリックランドに妻を寝取られてしまいますが、最後までその妻の事を愛している。 その愛情の深さにもまた、胸が熱くなること必至なのです。 読書の面白さの一つに「様々な人生を追体験すること」があると言われています。 サマセット・モームの本書では、ストリックランドという男が全てを捨ててまで、自分自身の道を突き進んだ、その過程を追体験することが出来るのです。 そんな読書の面白さを味わえる、非常に印象的な一冊。 なにかにチャレンジしたいと考えている人にとっては、きっとその背中を後押ししてくれる一冊ですよ。 人生の根本への問い『人間の絆』 本書はサマセット・モームの自伝的小説になっています。 両親を亡くし、叔父に育てられたフィリップは、足に障害を持っており、常に劣等感を持ちながら育っていくのです。 そんな生活の中、信仰心すら失い、聖職者になることをあきらめた彼は、絵を学ぶためにパリへと渡ります。 しかし、周囲の才能に押しつぶされ、再び挫折した彼は、イギリスに戻り医学の道を志すことになるのです。 サマセット・モーム自身は足に障害を持ちませんでしたが、実際の彼には吃音がありました。 彼自身のコンプレックスを、足の障害に置き換えて本作の主人公に投影しているのでしょう。 そしてその後もあまり恵まれない人生を歩むことになるのですが、読み進めていく内に、「生きている意味はあるのか?」という問いかけが自然に出てくるのも本書の面白さの1つでしょう。 人は誰しも幸福を願う存在ですが、その度に自分の理想と現実とのギャップに苦しむことが多いです。 モームの本作の主人公である、フィリップもまた理想と現実との間のギャップに苦しめられます。 絵の道を志したのに、まったく評価されず、周囲の才能におしつぶされたこともそうですし、幼くして両親が亡くなったこともそうでしょう。 幸せになるために行動してきたはずなのに、どうしてもうまくいかない。 その原因が自分の能力に起因することも、ただ運命であることもありますが、それでも現実はどうしようもないものを突きつけてくる。 その中心にいるフィリップの悲しみが、実際のサマセット・モームの人生と重なって、読者に問いを発せさせるのです。 きっとこの作品は、1人の人生を変えてしまうほどの力をもっているのでしょう。 なぜなら、人生の根本について、問いを投げかける内容になっているのですから。 1度読めば、きっと何度も読み返してしまいますよ。 人生に迷ったときにはこの作品を是非お読みください。 人を狂わせる雨『雨・赤毛』 狂信的な宣教師が不況のために南洋の孤島に上陸するところから物語は始まります。 この孤島で、宣教師は船の船室で相部屋になったいかがわしい女の教化に乗り出しますが、なにやら暗雲が立ち込めてきて、彼の理性は次第に狂っていくのでした。 本書はサマセット・モームがシンガポールのラッフルズ・ホテルで執筆したと言われています。 旅先で描かれただけあって、本作も孤島のおだやかな雰囲気と宣教師の狂信的なおどろおどろしさが相まって、不思議な雰囲気を形成していますね。 さて、この作品は短編集であり、「雨」「赤毛」「ホノルル」の三つの短編から構成されています。 冒頭で書いたあらすじは「雨」のものです。 この短編では、雨から来る発想である「湿気」を感じさせてくれるモームの短編になっています。 まるで、行間から雨が降り出して、読者の部屋の中に湿気を充満させて来るような、そんな迫力を持った短編に出来上がっているのです。 実際に舞台であるサモアの雨は非常に激しく、モームのこの小説に出てくる宣教師が狂ってしまったように、雨には人をおかしくしてしまうような魔力があります。 熱帯地方の雨自体がそういうものなのかもしれませんが、この地方に降り注ぐ雨には本当に異様なものがあるのです。 モーム自身、この地方の雨を体験したからこそ、本作のような小説を発想したのかもしれませんね。 そのため、この小説「雨」のような事件が起きるのは、このサモアに行った人、サモアに住む人々ならば納得してしまうでしょう。 だからもしも、読者の皆様がサモアに行くことがあれば、ぜひサマセット・モームの本作を持って行ってください。 もしかすると、あなたの理性も狂ってしまうかもしれませんよ。 旅のお供に是非お持ちくださいね。 ある日、とある男は死んだ文豪の伝記の執筆を依頼されます。 その男は、伝記執筆のために、文豪の無名時代の情報提供をある作家に依頼するのです。 その作家から語られるのは、文豪と、その最初の妻とともに過ごした、楽しい日々の思い出なのでした。 そこで、作家は、文豪と1番目の妻、ロウジーとの交流を情緒豊かに語っていくのです。 しかし、その作家の美しい妻、ロウジーは偉大な作家になるためには特に必要とされない人物でした。 ロウジーは、すぐに周りの人々を惹きつけるため、スキャンダルが耐えない人物だったのです。 しかし、ある日突然作家と妻の別れはやってきます。 それをきっかけに大々的に作家を押し上げる周囲の人々でしたが、作家自身はロウジーとの思い出をとても大切にしていたのでした。 このロウジーですが、実在のモデルがいたようです。 そのことについてはあとがきで触れられています。 そして、サマセット・モームは彼女への想いを成就することが出来なかった。 そのため、彼女への憧憬がこの作品の中で、文豪とその妻という形をとって語られているようです。 そして、モーム自身もこの作品に最も深い愛着を抱いているのでした。 本書は30の作品から構成されるサマセット・モームの短編集です。 ヨーロッパ、アジア、横浜、神戸、様々な舞台から物語は展開します。 1人故郷を離れ、異国の地に住む様々な人々。 そしてその日常に忍び寄る、様々な事件の数々。 かつて、コスモポリタン誌に掲載された様々な作品が掲載されているのです。 アメリカの雑誌、「コスモポリタン誌」は現在も刊行されている雑誌で、幅広い情報を提供することで知られています。 本書は、そこに掲載されていた、ショートストーリーの数々をまとめたものになります。 例えば、本書の中の一遍である、「約束」では、主人公は、ホテルのレストランで、たまたま一緒に食事をすることになった女性であるエリザベスと出会います。 この作品は、彼女の人物像が生き生きと描かれた短編になっています。 さて、サマセット・モームという作家は彼自身も認めているとおり、この世界を超越した不思議で幻想的な世界を描くという才能には乏しかったのです。 しかし、彼は、自分が見聞きした情報を題材にして小説を描くということに関しては一級品の才能を持っていました。 本書で描かれるのも、モーム自身が見聞きした体験を基に描かれる物語です。 非常にライトなタッチで描かれているので、どっしりと腰を据えて読書をすると言うよりも、旅行中の汽車の中や飛行機の中、外の景色を見ながら、軽い気持ちで読書をするのに向いているのではないでしょうか。 肝心の小説の中身はと言うと、非常にシニカルでウィットに富んだ内容になっているのです。 物語の展開も非常に小気味よく、さくさくと読むことが出来るでしょう。 だいたいの作品が10数ページでありながら、それぞれの作品が各々の顔をもっているので、決して飽きることがありません。 一般的な短編よりも短いサマセット・モームによるショートストーリー集ですので、軽い気持ちで読むことが出来ますよ。 旅のお供に是非いかがでしょうか。

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332夜『月と六ペンス』サマセット・モーム

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紳士淑女のみなさま、ご無沙汰してしまってごめんなさい。 この3月は「お別れ」続きでした。 各種卒業式や離任式ばかりではありません。 昨日まで笑って会話をしていた同世代の仕事仲間が急逝したり、リスペクトしていた同業者が若くしてこの世を去っていったりという悲しいできごとが続き、大きな喪失感のなかで、人はいったいなんのために生きているのか?ということをあらためて考えこむ日々でした。 古今東西の哲学者が何千年も前から考え続けてきた「正解のない」問題であり、それゆえに、考えてもしようがないような問いではあるのですが、それでも、あきらめずに問い続けることは、限られた命をより濃く生きるためにも、決して無意味なことではないように感じます。 というわけで、今日は、真正面からその問いに迫った作家のひとり、 サマセット・モームがたどりついた一つの答えを紹介します。 『モーム語録』(行方昭夫編 岩波現代文庫) 人間観察、それはモームのライフワークであった。 『作家の手帖』『要約すると』といった著作をひもとくと、 彼が放つ片言隻語すべてが人間心理を穿つ至言であることに気づかされる。 ウィリアム・サマセット・モーム(1874-1965)は、イギリスの小説家にして劇作家です。 、母は名家出身の社交界の花形、父は弁護士というすばらしい両親のもとに生まれましたが、その母とは8歳のときに死別、父とも10歳で死別し、孤児となったモームは叔父に引き取られます。 でも叔父との仲はうまくいかず、学校では吃音のためにいじめられるという孤独なローティーン時代を送ります。 その後、医師となり、貧民街で病院勤務して、さまざまな人間の本質を観察します。 第一次世界大戦では軍医にして諜報部員としても活躍、激務で健康を損ない、帰国して療養しながら、著述を始めます。 『月と六ペンス』『人間の絆』などで世界的名声を得て、1920年代には世界各国へ船旅をして、シンガポールのラッフルズホテルやタイのザ・オリエンタル・バンコクに長期滞在したりもしています。 シンガポールMRT「サマセット」駅や、マンダリン・オリエンタル・バンコクの「サマセット・モーム・スイート」に、その名残りがありますね。 コンプレックスに苦しんだ孤独のどん底からラグジュアリーの極みまで経験し、医療活動を通じて赤貧状態の悲惨を見つめ、諜報活動を通じて社会の裏の裏まで知り尽くしてきたモーム。 「芸術家の作品ひとつひとつは、魂の冒険の表現でなければならない Every production of an artist should be the expression of an adventure of his soul. 」と語る通り、作品一つ一つを、モームの魂が考え抜き、到達したと思われる境地の表現とみなすことができます。 数々の魂の冒険の果てに、モームがたどりついた人生の意味。 それは 『人間の絆 0f Human Bondage 』のなかに書いてあります。 (ちなみにこれを原作としたハリウッド映画が、ベティ・デイビスとレスリー・ハワード主演の「痴人の愛」(1934)。 谷崎潤一郎の同名小説があるので、まぎらわしいですね) 「人生なんていったい何の意味があるのだ」と問うフィリップに、クロンショーはペルシア絨毯をあげるのですが、だいぶ時間が経ってから、フィリップはこの絨毯に秘められた答えを見出すのです。 それは、 「人生に意味はない」というもの。 では、生きることは無意味なのかといえばそうではない。 一枚の絨毯を織り上げるように、人生を生きればいいのだ、という考え方です。 「一生の多種多様な出来事や、行為や感情の起伏や、さまざまな想念などを材料として、自分自身の模様を織り出したらいい」という発想です。 ペルシア絨毯は、 明るい色だけでは美しさに深みが出ません。 暗い色がベースとなって、華やかな色を引き立てているのです。 光の当て方によっては、暗い色もまたきれいに見えてきます。 そんなふうに、自分の来し方を眺めてみると、これから起きるであろう様々なことも、淡々とした平常心のもとに受け入れやすくなってまいります。 「今後は、いかなる過酷な試練に遭遇しようとも、すべては複雑な模様の完成に寄与するだけなのだ。 人生の終わりに近づいたとき、模様の完成に満足するのみだ。 一生は一個の芸術品になり、その存在を知るのは自分だけで、しかも死とともに消滅するからといって、作品の美しさが減ずるわけではない」 Whatever happened to him now would be one more motive to add to the complexity of the pattern, and when the end approached he would rejoice in its completion. It would be a work of art, and it would be none the less beautiful because he alone knew of its existence, and with his death it would at once cease to be. 生きるということは、世界に一枚しかないペルシア絨毯を織り上げていくこと。 この考え方を教えてくださったのは、モームの専門家でもあり、英語の読み方を徹底的に鍛えてくださった大学時代の恩師、行方昭夫先生なのですが、今なお私がいちばん納得できる「答え」でもあります。 たくさんのつらい別れを経験したここひと月でしたが、それもまた、絨毯の模様の一つをなす大切な要素として、記憶の絨毯のなかに丁寧に織り込んでいこうと思います。

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