エリック コマス セナ。 F1

エリック・ベルナール

エリック コマス セナ

数あるセナのエピソードの中でも、個人的に一番好きなのがエリック・コマスの救出劇だ。 92年ベルギー、フリープラクティス。 エリック・コマスが大クラッシュ。 マシンは砕けてコース上に停車。 ドライバーは気を失っていた。 そのとき事故現場を通ったセナは、とっさにマシンを停車し、誰よりも先にコマスのところまでかけて行ったのでした。 ガソリンが漏れ引火する恐れがある中、気を失ったコマスの代わりにセナがキルスイッチを押し、安全を確保。 幸いコマスに大きな怪我はなく。 二次災害の危険性もあるし、これがドライバーとして最善の行動かは意見が分かれるところかもだけれど、ただ一目散にコマスの元へ走っていくを見ると、心を動かさざるを得ません。 ちなみに。 あまり知られていないけれど、94年のイモラでセナが事故にあった時、赤旗を振り切ってセナの元までF1マシンで駆けつけたのがエリック・コマスだった。 残念ながら、コマスの想いが届くことはなかったけれど。 とてもカッコイイ、男たちのドラマ。 1:博物館外観。 アブダビ市街から車で40分くらい。 とにかく砂漠を突き進み。 目の前に現れるこの奇妙な光景。 そびえ立つピラミッドと、砂漠のど真ん中になぜか航空機。 入り口で1000円くらい払って敷地内にはいるとこんな感じ。 あまり手入れされてない駐車場、その真ん中に誇らしげにたたずむでっかい地球型のクルマ。 中に人が乗れるらしい。 来場者をまず驚かせるサプライズらしい。 まったく興味をひかれなかったのでとりあえずスルー。 こっちには世界一でかいジープ(飾りじゃなく実際に動く)。 ちなみに、奥に見えるでっかいプレハブ小屋も牽引式キャンピングカー。 東京にある一軒家よりも確実にデカイ。 これらも容赦無くスルー。 博物館入り口に放置されていたのは、メルセデス350SEL。 いつもと少し雰囲気が違うのは、オシャレな足元のせい。 夜の銀座でもしっかりと個性を発揮する絶妙なハミタイ具合。 2:博物館内部へ。 もう中に入らないで帰ろうかなと思ったんだけど、一応ピラミッドの中へ。 そしたら一転。 すごいったらアリャしない。 この所蔵台数。 イケてるディスプレイ方法(マジで凄い!)。 主には古いアメ車を中心とした内容で、年代ごとに並べられたその光景は圧巻。 いやー、すごい。 うんうん。 スゴイスゴイ。 けれども。 ボクがこの辺まったく詳しくないので細かいハナシは割愛。 3:ザ・石油王なメルセデスが最高すぎる。 さて、ここからが本番。 エミレーツ国立自動車博物館のピラミッドのなかで一番のホットポイントがメルセデスコーナー。 虹色に輝く560SEL。 この光景をみて思い出した。 そういえば小学生のころに「どこぞの砂漠の国王がベンツの最上級モデルを虹色で揃えてる」みたいな話を聞いてビックリした記憶があるもの。 それが目の前にあると思うとなかなかの感動。 内装までフルコーディネート。 サイドマフラー&オバフェンなどといったさり気ないセンス。 奇抜カラーリングだけに頼らないディテールも胸アツ。 上は闇金仕様のSEL500。 下は配色の妙で魅せるSL。 レインボーカラーとゴールドクロームの色使いはオシャレ上級者テク。 W220 Sクラスのオープン。 2010年に1億5000万円で特別販売されたマイバッハ・ランドレー(下写真)を先取りしたかのような一台。 こういうビミョーなクルマ(上写真)が、国立を名乗る博物館に、素晴らしいディスプレイの中で鎮座。 クセの強さがとても異次元。 4:実は全部がとある人物のプライベートコレクション 最後を飾るのはコレ。 世界一大きいダッジのトラック。 前にちょこんと置いてあるのが普通のやつ。 車体の下の階段を使ってきちんとクルマにも乗れるようになってる。 少し真面目な話をすると。 デカいトラックの後ろに肖像画が飾られてることにピンと来る人もいるかもだけど。 この博物館にあるクルマの数々は、もともとはハマド・ビン・ハムダン・アル・ナヒヤーン氏のプライベートコレクション(ナヒヤーン家はアブダビ首長)。 偉大な功績を残し、レインボー・シェイク(シェイクは首長の意味)と呼ばれたそうで。 そんなエピソードを知ると、あの虹色メルセデスに隠された想いも見えてくる。 デカさにこだわり。 虹色にこだわり。 クルマ選びもどこか一般とはズレた選球眼で。 少し変。 でも滲み出るクルマ愛。 そこが魅力のエミレーツ国立自動車博物館。 今よりももっと昔。 まだ中東の国が謎めいていた時代。 そんな時に砂漠のど真ん中で繰り広げられていた「豪華絢爛アラビアン国王ライフスタイル」を今に伝えるかのような。

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【動画】あの貴重なランチア・ストラトスが峠をドリフトで駆け抜ける!運転するのは元F1ドライバー

エリック コマス セナ

このレースにスカイラインGT-Rを駆って参戦したエリック・コマス/本山哲組は3位に入賞し、選手権ポイント首位を堅持していたコマス選手がスカイラインGT-Rで2年連続シリーズ・チャンピオンに輝いた。 NISMO(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)チームの2台のスカイラインGT-Rはともに公式予選から好調ぶりを示し、鈴木亜久里/ミハエル・クルム組のGT-R2号車が4位、エリック・コマス/本山哲組のGT-R1号車も6位につけた。 また、TEAM IMPULエントリーのGT-R12号車も星野一義/影山正美組のドライブにより8位で予選を通過した。 63周のレースがスタートすると日産勢は序盤から中盤にかけて、4位につけたクルム選手を先頭に、星野選手、本山選手のドライブする3台のスカイラインGT-Rが一団となって走行。 着実な走りを示しつつレース後半の追い上げを期した。 30周を過ぎて上位グループが予定のピットインを終え、レースが後半戦に突入すると、本山選手と交替したGT-R1号車のコマス選手が一気に3位に浮上。 これをGT-R12号車の影山選手とGT-R2号車の鈴木亜久里選手が追う展開となった。 レース前半と同様に、3台のGT-Rが編隊走行を見せ、その先頭に立つコマス選手は60キロのウエイトハンデをものともせず、速いペースでの安定した走りを披露する。 49周目に2位を走行していたホンダNSXの中子修選手がコースアウトするとコマス選手、亜久里選手はそれぞれ2位と3位に順位を上げ、コンボイ走行を続ける。 2台のGT-Rに続いていた影山選手はガス欠症状が出たため終盤にピットイン。 燃料を補給してコースに復帰した。 最終ラップ、最終コーナーに1号車、2号車の順で姿を現した2台のスカイラインGT-Rは、4位でチャンピオンが確定するコマス選手がゴールライン手前でスローダウンし、僚友の鈴木亜久里選手が2位でフィニッシュした。 この結果、エリック・コマス選手は見事、JGTC2連覇を達成した。 尚、第2戦を欠場した本山哲選手はシリーズ3位となった。 GT 300 クラスでは6戦終了時点で首位のシルビアを駆る土屋武士/井出有治組が80キロのウエイトハンデを課せられながらも土曜日の予選でコースレコードを樹立しクラス1位につけたが、残念ながら決勝では4位に留まり、惜しくもクラスチャンピオンを逃し、シリーズで2位となった。 エリック・コマス選手:「2連覇を達成出来てたいへんうれしい。 このレースで4位に入ればチャンピオンになれることがわかっていたので、当初から4位を目指してレースを戦った。 チームは今シーズン常に素晴らしい仕事をしてくれて、リタイアゼロを実現してくれた。 また、スカイラインGT-Rはドライブし易く、エンジンもトルクが強力で扱い易い。 それに信頼性が極めて高く、選手権制覇に理想的なクルマだ。 」 本山 哲選手:「想像していた以上の結果が得られて非常にうれしい。 コマス選手がチャンピオンになれて本当によかったと思う。 スカイラインGT-Rはブレーキ性能が非常に高く、重いウエイトハンデを課せられても何ら問題はなかった。

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エリック・コマスがスカイラインGT-RでJGTC2連覇

エリック コマス セナ

1994年のイモラでの運命的な週末から早26年。 アイルトン・セナの26回目の命日を5月1日に迎え、F1はブラジルのレジェンドが歴史に刻んだ伝説的なドライビングの中から、特に特筆すべき10点をまとめた動画を公開した。 レースを直に観戦した往年のF1ファンの胸の内には今もその伝説が息づいているだろうが、あれから四半世紀が経った事を思えば、セナの走りを見た事がないF1ファンが多くいるであろう事は想像に難くない。 以下、収められた10シーンを駆け足で収録順に振り返った上で、最後に動画を紹介したい。 アイルトン・セナ、伝説的ドライブ Best 10 1993年 イギリスGP決勝 シルバーストーンで行われた英国グランプリ。 予選4番手からスタートしたセナはアラン・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)と激しい攻防を展開。 真後ろにつかれながらも、決して追い抜きを許さないディフェンシブな走りがファンの驚きを誘ったが、燃料切れでフィニッシュ前にクルマを降りた。 1990年 スペインGP予選 ヘレス・サーキットで行われた90年のスペインGP。 マクラーレン・ホンダのセナは僚友ゲルハルト・ベルガーに1. 2秒という大差を付けてキャリア通算50回目のポールポジションを獲得するも、決勝ではラジエータートラブルでリタイアを強いられた。 1986年 スペインGP決勝 この年の舞台もヘレス。 ナイジェル・マンセル(ウィリアムズ・ホンダ)との死闘の末に、0. 014秒という僅差でロータス・ルノーを駆るセナが勝利を収めた。 1992年 ベルギーGPフリー走行 超高速のスパ・フランコルシャンで、エリック・コマス(リジェ・ルノー)がプラクティス走行中に激しくクラッシュ。 その後方を走行していたセナは、現場に遭遇するや否や急いでマシンを降り、火災を防ぐためにコマスの車体に駆け寄りエンジンを切った。 1988年 日本GP決勝 残り2戦を残してのマクラーレンチーム内でのタイトル争い。 鈴鹿サーキットでポールを取ったセナは、スタートでエンストを喫し中団に沈むも、怒涛の追い上げでプロストを射程圏内に捉えてトップに。 念願の初タイトルを手にした。 1993年 ヨーロッパGP決勝 典型的なブリティッシュウェザーに見舞われたドニントンパークでのレース。 4番グリッドのセナは雨の中で卓越したドライビングを披露し、2番手デイモン・ヒル(ウィリアムズ・ルノー)に1分23秒の大差をつけて優勝した。 1984年 モナコGP決勝 この年F1デビューを果たしたばかりのセナは13番手からスタート。 性能の劣るトールマンを駆りながらも、雨のモナコでキャリア初のファステストラップを刻み、プロスト(マクラーレン)に次ぐ2位でフィニッシュ。 伝説の始まりの瞬間だった。 1985年 ポルトガルGP決勝 エストリル・サーキットでキャリア初のポールポジションを獲得したセナ。 レースは豪雨に見舞われ2時間ルールで終了するほどであったが、セナは一度も先頭を譲ることなく全周回をトップで走り切って表彰台の頂点に立ち、F1初優勝を飾った。 1991年 ブラジルGP決勝 8度目の母国GP。 念願の地元初制覇に向けてインテルラゴスでトップを独走していたものの、最終盤にギアボックストラブルに見舞われた。 6速ギアのみでの走行を強いられるも、リカルド・パトレーゼ(ウィリアムズ・ルノー)を振り切って涙のトップチェッカーを受けた。 1988年 モナコGP予選 宿命のチームメイト対決。 427秒という驚異的なギャップを築いてポールポジションを獲得した。

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