柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 季語。 夏休みの俳句を上手に作るコツ!!私が考えた俳句を紹介!?

藤やんの散歩道: Category短歌・俳句・川柳

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 季語

「在日(あるひ) 夜にかけて俳句函(はいくばこ)の底を叩きて」 (意味:ある日、夜にかけて俳句の句稿が入っている箱の中身を見て選句の作業を行い、箱の底をたたいたところで) とあります。 正岡子規は、明治 25年 1895年 に日本新聞社に就職。 翌年から俳句欄を設けて、投句を募っていました。 また、明治 30年 1890年 1月には、俳句雑誌「ホトトギス」が創刊され、この雑誌の募集俳句の選者もつとめていました。 寄せられた俳句の選句は、子規の大切な仕事のひとつでした。 その一方で、このころの子規の体調は思わしくありませんでした。 明治 28年 1898年 、日清戦争の従軍記者として中国に赴いた帰途に喀血をし、一時重体に陥ります。 結核菌におかされ、肺結核になっていたのです。 その後、腰痛を発症。 これも結核菌が脊椎に入り込んで病変を引き起こす「脊椎カリエス」という病気でした。 この句を作ったころ、子規は自力で立つこともおぼつかず、 寝たり起きたりの生活でした。 寄せられた俳句を読みあらためて選句をすることもそのころの子規にとっては大変なことです。 その 大変な作業を成し遂げたときのことを詠んだ句なのです。 初案は「三千の俳句をしるし柿二つ」だったものを、推敲を重ねて「三千の俳句を閲し柿二つ」になったということです。 句切れなし• 「三千」と「二つ」の対比• 「柿二つ」の省略法 になります。 句切れなし 一句の中で、意味上・リズム上大きく切れるところを「句切れ」と呼びます。 普通の文であれば句点「。 」がつくところ、「かな」「や」「けり」などの切れ字がつくところがこれに該当します。 ただ、今回の句については句の途中で切れるところがありませんので 「句切れなし」の句となります。 懸案の仕事を終え、充実感と安堵の混じったため息をふうっとつくように 一息に詠まれた句であることが分かります。 「三千」と「二つ」の対比 対比とは、複数のものを並べてその共通点や相違点を比較し、 それぞれの特性を際立たせて強調する表現技法のことです。 この句は、「三千」と「二つ」という数字を表す言葉が対比されています。 まず、大きい数字と小さい数字という点で対照的です。 そして、「三千」というのは具体的な量を表すというよりは「数多くの」という曖昧な意味なのに対し、「柿二つ」とは妙に現実的な数字となっています。 お互いの数字が対比されることで、それぞれの数字が際立たっています。 「柿二つ」の省略法 省略法とは、文章の中の言葉を省き、 読み手に推測させることで余韻を残す表現技法です。 俳句は短い音数で内容を表現していかなければなりませんので、よく使われる技法です。 この句の「柿二つ」とは、「柿二つ食べた」ということですが、 「食べた」と言う言葉は省略されています。 少ない言葉で、仕事を終えた充足感に浸りながら食べる柿のおいしさを表現しています。 「三千の俳句を閲し柿二つ」の鑑賞文 発句や俳諧と言った江戸の文芸から俳句と言う文学を確立しようと一身をささげた 正岡子規らしさが詰まった句になっています。 山のような投句が来ることは、俳句の革新活動を進めていた子規にとっては喜ばしいことでしょう。 このときの病状は深刻であったのにも関わらず、一仕事終えて柿を二つ平らげる健啖家ぶりにも驚かされます。 子規は己をおかしている病が死に至るものであることをよく承知し、病と向き合って文字通り命を削って俳句を詠み、新聞や雑誌に記事を書いていました。 子規の文学は、 子規自身の病と切り離して語ることはできません。 晩年の子規は、病床にあって、病臥する者の視点からの俳句も多く詠みました。 しかし、重く沈んだ暗い句を詠んでいたのではありません。 この句も、暗い句ではありません。 大きな仕事を終えてご褒美のように柿を二つも平らげる、 飄々とした作者の姿が目に浮かびます。 つややかなで鮮やかなオレンジ色、丸みを帯びた柿のフォルムもイメージされ、ユーモラスな雰囲気もあります。 子規は柿を愛した俳人で、柿を俳句に詠みこむことを始めたのは自分であるとも自負していました。 同じ年にはこのような句も詠んでいます。 「柿くふも 今年ばかりと 思ひけり」 (意味:柿を食べるのも、今年で最後だと思いつつ味わったことだ。 ) 正岡子規にとって、柿は格別な食べ物だったのです。 作者「正岡子規」の生涯を簡単にご紹介! (正岡子規 出典:Wikipedia) 正岡子規は 1867年(慶応 3年)、現愛媛県松山市、旧松山藩士の家に生まれました。 本名は常規(つねのり)といいます。 幼い頃から漢詩、戯作、書画などにも親しんで学びました。 松尾芭蕉や与謝蕪村の句や書を愛し、芸術性の高い文学としての近代的な俳句の確立をめざしました。 若くして結核菌におかされながらも、文学に命を捧げました。 子規、とは本名ではなく雅号です。 ホトトギスという鳥の異名なのですが、この鳥は血を吐いて鳴くといわれます。 結核のため喀血を繰り返す自らをホトトギスに重ねていたのです。 正岡子規は 1902年(明治 35年)に 34歳という若さで世を去りました。 正岡子規のそのほかの俳句 (前列右が正岡子規 出典:Wikipedia).

次の

【世界に広がる日本の柿】外国語で「kaki」と呼ばれる理由

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 季語

ネット上に日本に興味のある外国人が集まるグループがあって、前からちょくちょくのぞいている。 少し前、どこぞの外国人が柿の写真をのせて、「これは日本のナショナル・フルーツです。 この果物の名前を何といいますか?」と英語で質問しているのを見た。 それはいいけど、柿って日本のナショナル・フルーツだったっけ? たしかに柿は昔から日本人の生活に溶け込んでいる。 これを秋の季語として正岡子規の詠んだ「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は、松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」に匹敵するほど有名で日本人が大好きな句だ。 江戸時代の日本人は柿を好きすぎたらしく、貝原益軒は「養生訓」で柿は便秘しやすいから食べ過ぎないようにと注意を呼び掛けるほど。 こんな柿は外国人の目には、日本のナショナル・フルーツに映るらしい。 納得したところで、この質問に寄せられたコメントを見て驚いた。 ・I believe in English it is known as a Persimmon? 柿は英語で「Persimmon」(パーシモン)だからこれは分かる。 パーシモンの語源は「干し果物」を意味するアメリカの先住民の言葉「ペッサミン」に由来するという。 ・Sharon fruit in UK. シャロン・フルーツというのはイスラエル産の柿で、それはいいとして意外だったのがこれ。 ・Kaki in german ・Pisang kaki ・Kaki or Mankaki in Chile フランス語、オランダ語、ドイツ語、マレーシアとチリの言葉で「kaki」と言う。 ってマジで? 日本の柿ってそんなに世界的な言葉だったの? *ちなみにフンラス語で「しいたけ」はShiitake、「カニカマ」をSurimi(スリミ)と言う。 イタリアでもCACHI(カキ:単数形はCACO)、スペインでもCaquiかKakiと言う。 イタリア在住の日本人が現地の果物屋のおじさんに「CACHI」は日本語だと教えたら、「え?」と驚かれたとブログに書いてあった。 ついでに言えば、中国語なら「柿子」になる。 イギリス人みかんを「サツマ」と呼んでいる。 調べてみたら、柿の学名は「Diospyros kaki」でまんま日本語が入っている。 というか、日本語の柿がそのまま世界で使われる学名になったようだ。 英語版ウィキペディアを見てみると柿は世界中で栽培されているけど、全体の90%が中国、日本、韓国の東アジアに集中しているとある。 Kaki are grown worldwide, with 90 percent of the total in China, Japan and Korea. In East Asia the main harvest time for kaki is in the months of October and November. 逆にいえば、海外では柿はあまりつくられていないということだ。 そういえば知人のアメリカ人は、日本に来て初めて柿を見たと言っていた。 中でも日本の柿が言葉と一緒に18世紀にヨーロッパへ、さらに19世紀には北アメリカへ伝わったことから、学名にも「kaki」が使われるようになったという。 つまり、欧米に初めて伝来した東アジアの柿が日本の柿だった。 学名に「kaki」とつけたのも欧米人だろう。 とにかくこういった理由で、世界中に「kaki」が広がっていった。 くわしいことはここをクリック。 もちろん「kaki」は日本の柿が中心で、イスラエルやアメリカの柿とは別もの。 「中心」と書いたのは、東アジアの柿はまとめて「kaki」と海外では表現されていると思うから。 ネットサーフィンをしていたら、日本語ペラペラのアメリカ人が米国のスーパーマーケットで渋柿を「Hachiya persimmon 」、普通の柿を「Fuyu persimmon 」と表示されているのを見たと書いていた。 日本の柿がここまでワールドワイドだったなんて、日本人でも知らないだろう。 こちらの記事もいかがですか?.

次の

柿食へば鐘がなるなり法隆寺:子規の写生句

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 季語

(1)「鹿」「猪」の季語を使った俳句 びいと啼(な)く 尻声悲し 夜の鹿 猪(いのしし)も ともに吹かるる 野分かな <作者> 松尾芭蕉 「鹿の子」は夏の季語でしたが、「鹿」は秋の季語です。 そして、「鹿が鳴く」というのは、俳句や和歌では、 牡鹿が牝鹿を想って鳴く寂しさを、表現しているというお約束なんですよ~。 秋の寂寥感と相まって秋らしさが、すごく出ると思いませんか。 故郷の松山と住んでいる東京を行き来する間にあるので、大阪や奈良に、よく立ち寄ったようです。 滞在したのは、ほとんどいつも一流旅館でした。 奈良で詠んだ俳句は、たくさんありますよ。 「鹿」の俳句も多いし、有名な 「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」も奈良ですね。 「わかれゆく」と 「ゆく秋」も掛けられています。 芭蕉が二見ヶ浦に向けて大垣を旅立つとき、人々との別れを惜しんで詠んだ句なのでした。 この俳句は、一見 「季ちがい」にも見えますね。 「蛤」は春の季語で「ゆく秋」は秋の季語です。 でも、ここでは、「ゆく秋ぞ」のほうが、ずっと強い印象なので、「蛤」は季語として機能していないと考えられます。 なので、秋の俳句となるのです。 この俳句は 『奥の細道』の結句(最後の句)なので、有名ですよ~。 ここは、源平の合戦の折り、老いてなお戦場から引くことなく、最期まで奮戦した 斎藤実盛を忍ぶ地なんですよ。 実盛は、幼少時に育ててあげた 木曽義仲に討たれます。 哀しい巡り合わせだったのです。 実盛の死を悼んだ義仲は、祈願状を添えて遺品の見事な兜を、この小松のお寺に奉納したのでした。 この悲劇のエピソードは謡曲にもなっていて、 『平家物語』にも書かれています。 これは、小松の多太神社を訪れた芭蕉が、その兜を見て読んだ一句です。 芭蕉は、源氏びいきで、特に木曽義仲が好きだったので、感慨深かったでしょうね。 「むざんやな」に、深く同情する想いが表れています。 淋しさや 釘にかけたる きりぎりす <作者> 松尾芭蕉 赤とんぼ 筑波に雲も なかりけり <作者> 正岡子規 秋蝉も 泣き蓑虫も 泣くのみぞ 蓑虫の 父よと鳴きて 母もなし <作者> 高浜虚子 霧島や 霧にかくれて 赤とんぼ ふるさとの 土の底から 鉦たたき <作者> 種田 山頭火 おまけ~種田山頭火は面白い! 今回、ご紹介した中に、 種田山頭火(たねださんとうか)という人の俳句があります。 「自由律俳句」「無季俳句(季語のない俳句)」という、自由過ぎる俳句を作った人です。 めちゃくちゃ面白い、味のある俳句を詠む人なのですよ。 すごく覚えやすくて、「これ俳句なの?」という、一行日記かSNSのつぶやきみたいな句もあります。 とりあえず、ご紹介しますね。 彼は、放浪の旅に出て、托鉢生活をしていました。 ですから、いつも孤独の中で旅をし、食べるものにも事欠いていたのです。 哀愁漂う味のある俳句に、はまります。 でも、この辺りになると、もはや、どこをどう突っ込んだらよいのかわからないレベルです。 是非、味わってください。 種田山頭火・・・ 一見面白いだけの俳句のようですが、なかなかどうして奥深い俳人なのでした。

次の