天気 の 子 エロゲー。 「天気の子」感想 とてもひどい作品だったけど、でもこれでいいのだ

天気の子を2周し、やはりAIRに似てると結論づける(夏休み12日目)

天気 の 子 エロゲー

『天気の子』を観た。 100点満点中の100点満点だった。 が、脚本は酷い。 ヒロインの陽菜が明日、誕生日だとわかる。 主人公の帆高がプレゼントを用意する。 「ああ、明日、悲劇的なことが起こるのだな」と予想すると、そのとおりになる。 「拳銃が物語から浮いている。 どうしても登場させるなら、その拳銃で天気の龍を撃つなどして活用すべきでは?」。 ホントだよ。 「手錠が画面の邪魔だ。 どうしてもはめるなら、その手錠で帆高と陽菜を繋ぐべきでは?」。 ホントだよ。 以下、物語を確認しよう。 家出少年の帆高は、東京をさまよった末、フリーの雑誌記者の須賀に拾われる。 この過程でフリーターの陽菜と知りあい、また、拳銃を拾う( 酷い)。 須賀や、その姪の夏美とともに日常を過ごす。 チンピラに絡まれていた陽菜を助ける。 陽菜の金に困っていることと、天候を操作する能力を知り、2人で《晴れ女》の仕事をはじめる。 陽菜の弟の凪とも親しくなる。 が、天候を操作する能力には代償があった。 このままでは陽菜は消えてしまうらしい。 しかも、それは異常気象を正常にするための生贄として社会に必要なことらしい。 また、陽菜と凪の家庭には児相が、帆高には警察が迫っていた。 帆高、陽菜、凪の3人は逃避行をはじめる。 その過程で陽菜は能力を使い、ますます消耗する。 そして、陽菜は消失する。 帆高は捕まる。 陽菜をとり戻すため、帆高は警察から逃走する。 ここが山場になっている(陽菜が生贄として犠牲になることと、児相と警察が帆高らを捕まえようとすることの関連性が低いため、盛りあげが不自然なものになっている。 酷い)。 社会の代弁者だった須賀、夏美もここにきて翻意し、帆高を手助けする。 凪も駆けつける(盛りあげのためだが、時間的にありえない。 明らかな脚本の矛盾。 酷い)。 そして、世界を代償に、帆高は陽菜をとり戻す。 ここまでは微妙だ。 だが、このあとのラスト5分が素晴らしい。 3年後、異常気象は続き、東京は水没していた(いくら雨が降っても海面は上昇しない。 平均気温が上昇したことの説明を省略しただけだと思うことはできるが、 酷い)。 保護観察処分が満了し、帆高はふたたび東京に赴いた。 須賀たちは世界の変化を「ただの自然現象で受けいれるしかない」「そもそも、個人が世界を変えられるはずがない。 おかしな幻想を抱くな」と言い、罪悪感を抱く帆高を慰める。 そして、帆高は陽菜と再会する。 そのとき、雲間から日射しが差す。 陽菜が能力を使っていた。 大事な人と再会するときに晴れていてほしいから。 そのためだけに、世界を代償にする能力を。 帆高は確信する。 「 ちがう、やっぱりちがう! あのとき、僕は僕たちはたしかに世界を変えたんだ! 僕は選んだんだ、あの人を、この世界を! ここで生きていくことを!」。 暗転、エンドロール。 SNSを見たら、観客の半分くらいはこの結末に憤っていた。 ウケる。 『おやすみシェヘラザード』のコラボ漫画を読むと、試写会の反応もドン引きだったらしい。 その反応はもっともなものだ。 2011年の死者1万5000人、行方不明者2500人を出したから8年しか経っていない。 『天気の子』で異常気象による直接の死者は描かれていないが、少なくとも東京が水没したあとは、罹災者のなかに震災関連死と同じ原因の死者が相当数出ているだろう。 しかし、私の見るかぎり、いわゆるミレニアル世代は『天気の子』に熱狂している。 彼らが中高生のときにプレイした2000年代のの経験を呼びおこしたらしい。 少なくとも私はそうだ。 陽菜が登場したあと、夏美が登場したときに「《攻略可能ヒロイン》だ」と思ったし、前半を「《日常パート》だ」と思ったし(私は当時からの《日常パート》の冗長さは問題だと思っていた)、陽菜が消えるときに「いつものこととはいえ、エロシーンの前後に重要なイベントを配置するのはシナリオの温度差が激しいのでやめてほしい」と思ったし、クライマックスで帆高が拳銃を構えたときに「《拳銃を撃つ》《拳銃を撃たない》」という選択肢が見えて「《拳銃を撃つ》を選択すると《陽菜トゥルーエンド》、《拳銃を撃たない》を選択すると《陽菜グッドエンド》だな」と漠然と理解した。 「1周目では《陽菜トゥルーエンド》には到達できず、誰かのグッドエンドを開放するとタイトル画面が雨から晴れに変わって、《陽菜トゥルーエンド》を開放するとふたたび雨になり、もう変化しない」という言説も 「言葉」でなく「心」で理解できた。 なんなら原作のが「ベスト」や「萌えゲーアワード」で下位に入賞していた気すらした。 2000年代前半に、で多種多様な意欲作が発表された。 こうした作品はのちに《》と分類されることになる。 また、その一部は《》と呼ばれた。 2000年代はとくにの躍進が目立ち、これはCD-ROMのノベルゲームが比較的、初期費用がかからず、有志が起業しやすかったためだと思われる。 そして、もそうしたのメーカーであるの映像作家として、その経歴をはじめることになる。 その後、は2002年、自主制作映画の『』で注目を集め、2004年、初の商業映画である『』を発表する。 この2作はまさに《》だった。 『天気の子』につき、脚本の粗漏さを論難したが、じつはの作劇の貧弱さは初めからのものだ。 『きみのこえ』は時間論を重視したを主題として、批評的に高い評価を得た。 が、自主制作映画ということで過大評価されているが、30分未満の小品で、主題は高度に文学的だが、その脚本における具体化は単純だ。 『』は青春の喪失感を主題としているが、脚本はやはり単純だ。 眠りつづける青春時代の恋人を小型飛行機に乗せて、《塔》まで飛行する。 そのおかげで恋人は目覚めるが、代償にかつての思い出は失われる。 『星を追う子供』は映画の模作だし、『』と『』はさらに酷い。 なにが酷いかと言えば、つまらない上に気持ち悪かった。 『』の「男女間の精神転移、精神転移に時間差があったというどんでん返し、それによる救出劇」という筋書きはゲーム『』の盗用で、。 『天気の子』は個人と社会の対立を主題としているが、児相と警察はつねに無謬で、帆高たちの《子供の理屈》も自明のものとされ、高井刑事の髪型をリーゼントにして深刻さを緩和しているように、その描写はきわめて戯画的だ。 帆高たちは一緒にいるために社会と対立するが、べつに陽菜と凪が異なる養親か施設で養育されるとは限らないし、帆高とも会えなくなるわけではない。 ただ、「妻と死別し、別居する幼い娘のいるフリーの雑誌記者」というなキャターである須賀に違和感がなく、夏美が魅力的だったのは意外だった。 これはの過去の監督作品にはないことだった。 もっとも、これは演者であると本田翼の功績も大きいだろうが。 プロの俳優はすごい。 しかし、陽菜がじつは年下であることはもっと前倒しで明かした方がよかった。 おそらく帆高が自責の念にかられる場面に繋げたかったのだろうが、そうすれば、年上の夏美との対比で、陽菜をはるかに魅力的に描写することができたはずだ。 は処女作から一貫してヒロインを物語の道具立てとしてしか使用していない。 おそらく、もともと興味がないのだろう。 では、なぜミレニアル世代は『天気の子』に熱狂したのか? 2000年代前半にブームを築いただが、そのために制作コストとユーザーの時間コストは無限に上昇し、2010年代にはシナリオ重視のは衰退した。 2010年に発売された『』はの代表作だが、プレイ時間が60-80時間ある。 おそらく、本作がブームの掉尾だった。 そのものの市場規模も最盛期の2006年の350億円から150億円まで縮小している。 2000年代ののはやアニメの脚本に転出し、もはや戻らない。 また、ブームはや漫画、アニメに類似のジャンルを創造し、それがの市場規模の縮小を補填した。 そのため、もはや需要は回復しない。 また、も2000年代の栄華を失った。 の市場規模は最盛期の2012年の280億円から160億円まで減少している。 書店の売場面積はウェブ小説の書籍化が補填し、こちらは市場規模は増大しつづけ、そのため、もはや需要は回復しない。 一方、ウェブ小説は小説投稿サイトの順位制のために、先行作との類似と、短く簡単な構成、半永久的な継続が要求され、2000年代ののような挑戦的な作品を書くことはできない。 つまり、ミレニアル世代における《》は失われた夢だ。 また、批評はこれに対して何も応答できなかった。 いまでは周知されているとおり、2001年のの『』は無内容だった。 は批判からその経歴をはじめたが、が文学について凡庸なのはが指摘するとおりだ(『《総特集=》』)。 の『の亡霊たち』への反論である論文集の『Ghostly Demarcations』において、はそもそものは、記号から意味を捨象するだけで無意味なものだったと指摘している。 皮肉なことに、そのためにのは後期資本主義ときわめて相性がよかった。 が《ゲンロン》を創設し、論壇を維持しようと務めたことは立派だった。 だが、その成果は皆無だった。 批判にはじまるの批評は、のの再演に終わり、無意味だった。 60年代の『』の批評は実作と直結していた。 《ゲンロン》の実作がなにかと言えば、『異』だ。 クソだ。 木澤佐登志は『ニック・ランドと』の末尾で、ポツリとミレニアル世代を主題化している。 それは木澤自身がミレニアル世代だからだろう。 そして、木澤はミレニアル世代を中心とする新しい思潮のなかで、まるでが亡霊のように徘徊しているようだと述べる。 それは偶然ではなく、加速主義などの新しい思潮が思想的背景とするの思想は、主義を排撃し、を顕揚する『差異と反復』からはじまった。 主義は資本主義の亡霊であり、はの後継者だ。 のは、ただの主義だ。 『天気の子』のラスト5分の爽快さは、まさにだ。 は『政治的無意識』で、19世紀末のの作品をもって、フィクションが現実から自立したと分析する。 『天気の子』のラストに憤る観客は、フィクションと現実の区別がついていない。 はとの共著の『アンチ・』で、記号から意味を捨象することを《去勢》と呼び、それが人間を資本主義に適合させる方法だと述べた。 《去勢》された消費者の群れ、の言う畜群。 『天気の子』は現実の東京を直写的に描き、それを崩壊させることで、ひとつの世界観を表現した。 『天気の子』はフィクションの現実に対する勝利宣言でもある。 左派加速主義の論者であるマーク・フィッシャーは『資本主義リアリズム』で、はリスクを低減させるためのものであり、よって、が浸透するとリスクテーによる挑戦的な作品はなくなると述べる。 『天気の子』のはまさにリスクテーだ(リスクを負ったはいいものの、失敗しそうな気はするが)。 挑戦的な作品の代わりにもたらされるのは、鑑賞者に感情を押しつける、扇情的で情緒的な作品だ。 の言う《クズ(トラッシュ)》。 のトゥルーエンドは情緒的で単純なグッドエンドではなく、文学性があるからトゥルーエンドと呼ばれる。 資本主義リアリズムを相対化する、つまり、資本主義のシステムの外部の想像力をもつこと。 は『未来の考古学』でそのことをSFの特質だと述べた。 それこそ文学性だ。 また、でもっとも重要なのはシリーズ化、IP化であり、物語に見事な結末をつけるトゥルーエンドとは真逆のものだ。 だと述べている。 また、は2012年の『』をもってに転出し、商業的な成功をおさめたが、本作はいわば《グッドエンド》を所与の結末としてもつものだった。 シリーズ作品であることが要求されるにおいて、その戦略が最善だと判断したのだろう。 数年前から、『ORICON エンタメ・マーケット白書』、『出版指標年俸』、『出版月報』はは収益をシリーズ作品の続刊に依存していることを分析している。 つまり、 のトゥルーエンドとは、2つの意味で時代に逆らうものなのだ。 いまこそ言おうではないか。 「に登録し、『』を観ている私大文系卒に、優れた作品を創造できる理由はない」と。 いま、を1匹の亡霊が徘徊している。 《》という名の亡霊が。 以下、2000年代のオタクの文化史を概観する。 《》と深い関係があると思うものは 太字に、《》と深い関係があると思うものは 赤字にした。 個人的な直観に依存しているのはご容赦願いたい。 言うまでもなく、 《「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと 》という《》のよく知られた定義は、《中間項》という言葉の意味すらまちがっており、中学生の作文でしかない。 しかし、「《》らしさ」というものは明らかに存在する。 それを否定するのは、《》という定義を自明のものとすることと同様に、反知性的だ。 一応、私はこういう傾向を「《》らしさ」だと考えている。 ここから1980年代の、、中曽根のがはじまる。 経済におけると政治におけるの融合したは、社会を不可逆に変化させた。 ・映画: 『』 …『』との直接の影響関係。 1990年の『近代日本の批評《昭和篇》』のころには鎮静化していた。 ショートケーキの苺は最後に食べるのと同じ理由だ。 そして、に慣れ、猜疑心にこり固まった私は『』を読み、肩透かしを受けた。 その出番をもってはじまる『すべてがFになる』において登場したというキャターは、、野崎まどなどに強い影響を及ぼす。 漫画的でありながら、そのことを巧みに隠蔽した漫画的な《天才》というキャター。 "「ほら、7だけが孤独でしょう?」"。 さくらの衣装はすべて《》モノのアニメに触発された手製という設定だ。 それが、いわゆる《》モノの典型と見なされるのは皮肉と言う他ない。 全4巻)…新装版はクソ。 は「なぜ『』を映画化したのか」と尋ねられ、「最高の漫画は『』と『』だけど、僕にそれを映画化するだけの実力はないから」と答えるほどに造詣が深い(『の』)。 第1次の組閣。 ・: 『、UFOの夏』(2003年完結。 全4巻) ・エロゲ: age『』 『』 D. 、など、直接的な影響を受けた作家も多い。 『GOTH 事件』 ・エロゲ: ・『』 ・『』 ・ノベルゲーム: KID・『』 『 』 ・ゲーム:『』 ZUN『』 ・アニメ: 『』 ・アニメ映画: 『』 ・特撮:『』 ・漫画:『』連載開始(2007年完結) ・小説:『』 ・ドラマ:『』 『相棒 season1』 ・映画:『』 『』…面白いことは面白いが、脚本はメチャクチャ。 L・『CARNIVAL』 ・『』 ・『~ねこねこマシン猛レース! ~』 ・ゲーム:ZUN『』 ・漫画:『』連載開始(2006年完結) ・小説:『』 『』 ・ドラマ:『TRICK3』 『相棒 season2』(2004年完結。 続編は監督が変わり、その点でだいぶ劣る。 ・アニメ:『』 『』 『』(2006年完結) ・漫画:『』連載開始(2016年完結) 『』連載開始(2010年完結) 『』連載開始(2015年完結)…過度に戯画的な舞台設定と顔芸が定式化する。 『』連載開始(2012年完結) 『』…2007年発売の第11巻の《電人HAL》編のあと、作品のは除去され、あまつさえバトル漫画に路線変更される。 そして、作者の続編はみるに耐えないものだった。 資本主義のバッドトリップ。 ・:『奇偶』 ・:『』 ・カ映画:『Mr. 1つは、掛合いだけでは成立するということ、もう1つは、ラの超克。 "「言っておくけれど阿良々木くん。 私は、どうせ最後は二人がくっつくことが見え見えなのに、友達以上恋人未満な生温い展開をだらだらと続けて話数を稼ぐようなラは、大嫌いなのよ」"(第2話)。 『""と死にたがりの道化』(2008年までに本編全7作を発表) ・エロゲ:そふとつぅ・るーすぼーい『車輪の国、悠久の少年少女』 戯画・『』 ・ノベルゲーム:『 』…酷かった。 ・アニメ:『』 『』 『』…の制作した『』と『』、『』の3作は2000年代のアニメーションの代表作となった。 しかし、真に実験的と言えるのはが演出を務めた『』だけであり、『』の放送中には退社し、『』第2期のときには、その熱気も失われていた。 『』におけるモブ・キャターの設定という挑戦的な写実性は、『』第2期で転倒し、ファン・コミュニティとの馴れあいに堕落する。 その後、はよくも悪くも牽引役の役目を降り、安定経営の中小企業になる。 そして、その『』第2期から存在感を発揮しはじめたのが、いま、で看板を担うだった。 2001年から2006年の長期に渡るのもたらした資本主義のバッドトリップの見本。 当時の評論などを読みなおすと、の支持率の絶頂期にが警鐘を鳴らしていて、その冷静さと観察眼に敬服させられる。 ちなみに、世間で喧々囂々の批判がなされている安倍首相に対しては、その支持者と批判者を諸共に、は冷笑して済ませている。 おそらく、はのような馬鹿よりの方が、よほどナポレオン的で的だったと思っているのだろうが、もっともなことだ。 資本主義のバッドトリップ。 いわゆる《アイドル戦国時代》、資本主義のバッドトリップの始まり。 ・アニメ:『・オーロラドリーム』(2012年完結) 『』 ・:『』…『』のシナリオはクソで、むしろそのことでユーザーが団結感を強めているくらいだが、その泥沼に蓮の花が咲いた。 2016年に連載開始する廾之『 U149』だ。 『』…続編から監督が交代し、演出は洗練されたが、作品のシリアスな雰囲気はなくなった。 第1作は低予算で、拙い演出も多かったが、エモーションが最高に達した瞬間に幕を下ろす。 それはフィクションの理想の1つだ。 資本主義のバッドトリップ。 ・ノベルゲーム:・『』 ・: 榎宮佑『』…いわゆるモノだが、的、近親相姦と《》の息吹に溢れている。 言うまでもなく、ウェブ小説ではない。 結果、の監督作品からは軽減することとなる。 『』が反骨的だなどと、馬鹿らしい話だ。 『』は死後、死者のもっともいい記憶を再現して写真にする物語だが、女子高校生がディズニーランドのパレードと言うと、登場人物が「うーん。 いままで君くらいの女の子は4人きたけど、みんなディズニーランドのパレードって言うんだよね」と応える。 反骨的すぎる。 そして、このフジテレビの協賛と商業化の傾向は、他の芸術的な映画監督にも及ぶ。 ・アニメ:『』 『』 『』…資本主義のバッドトリップだが、気持ちのいいことが難しい。 ・ノベルゲーム:・『』 ・:『艦これ』…誰も気づかなかったが、このとき、水面下で革命が起きた。 キャターごとに異なるーに発注し、誰もそのことをなかった。 作品としての一貫性、物語性の排除。 同時に、彼の精神史の終わり。 もともと、はつねに採算分岐点に立つ純文学の大きな収益源で、文学性と商業性の両面の役割を担う奇妙な賞だった。 そのため、はるか以前からの文学的な権威はやの下位に転落していた(『の偏差値』)。 が、この年の『火花』の受賞をもって、純文学の商業主義への迎合は明確になった。

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オタクが天気の子を見た感想

天気 の 子 エロゲー

最初に予告を見たとき(映画館だった気がします)は、空から光が落ちる美しいカット、音楽がRADWIMPSだという点、主人公のキャラ・造形から 『君の名は。 』感がすごいな…と思っていました。 ただ、テレビなどでも何度か予告を見る内に、『君の名は。 』ほど王道的ではない感じがするな…と思うようになりました。 また、天空の城ラピュタばりに少女が空に浮くカットを見ると、なんとなく 「今回は新海誠がやりたいことをやっているのでは」という予感が強まっていきました。 (あまり新海作品に詳しくはないのですが、『君の名は。 』では川村元気プロデューサーが新海誠をかなり強めにコントロールしていたと思っているので。 ) で、そんな気持ちで映画館に行き、観てきました。 ちなみにあらすじは以下のような感じです。 あらすじ 画像出典: ストーリーに触れる前に、新海誠監督の誰もが認めるであろう強さについて書きます。 新海誠の昔からの強みである、風景描写、景色の美しさは本作でも健在です。 むしろレベルアップしてるかも知れません。 今回はとにかく東京が舞台なので美しい自然はあまり出てきませんが、都会の緻密な描写はすごく、そして 雨から晴れになるシーンは格別美しいです。 この美しさゆえに、多少のストーリーの弱さは飲み込んで納得させられてしまう部分もあります。 自分が映画をつくるときに、美しい風景や映像ありきでつくったことはないのですが、こういった方向にもチャレンジ出来たら幅が広がるなと思いましたね。 神話のような力がある美しい風景描写 『君の名は。 』では細かい矛盾をRADWIMPSの「前前前世」をはじめとしたスピード感ある音楽で吹き飛ばし、勢いで進めて観客を納得させていた節がありましたが、今回はアニメーションの美しさが吹き飛ばしていたと思います。 「陽菜が祈り、雨に覆われていた東京がみるみるうちに晴れに変わっていく」というカットが何回も出てくるのですが、何度見てもどれも美しいです。 画像出典: 神話のようなもので、細かいことは吹き飛ばす力があります。 通常の映画であれば、こんなシーンはエンディングかクライマックスで一回あるくらいでしょうが、『天気の子』の設定だと何回も見せられるのでいいなと思いました。 エンディングを何回も見てる気持ちですね。 美しき、こともなき世を美しく また、本作は美しい自然や景色を美しく描いているのではなく、別に本物は美しくもないような場所(歌舞伎町やら池袋北口やら)を美しく描いているのが特徴的です。 日常に潜む美を浮き彫りにしているというべきか、美化するのがうまいということなのかわかりませんが、都会の妖艶さを感じられます。 この辺のビジュアルの力に引き込まれる人は、この本を買うと幸せになれます。 美しいです。 画像出典: これも、ストーリーやキャラが多少弱かったとしても、簡単にリアルさ、実在感を出せる方法なので、緻密で美しい風景描写ができる新海誠にとって非常に相性のいい武器だと思います。 実際、今回は舞台の多くが歌舞伎町なのですが、そこの資本主義臭さを出すのにも非常に効果的だったと思います。 新宿や池袋の風景も非常にリアルで、もはや都会のあるあるを見ている気にすらなりました。 東京に来たことがない人は少しこの部分では置いてけぼりになるのでしょうか、どうでしょうか。 どうでしょう? 徹底的に描かれない人物背景 ここからストーリー・脚本の話に入っていきます。 徹底的に描きこまれた風景描写と相反するように、この映画では徹底的に描かれないものがあります。 それは、 登場人物の背景です。 それって一番重要じゃん! という人もいると思います。 ですが、ここは意図的に排除しているようでした。 たとえば、主人公の男子高校生帆高は、はるか遠くと思われるどこかの島から東京に家出してきています。 その規模の家出であれば、当然かなりの理由があるはずです。 そして、その理由こそが帆高が映画を通して成長するキーであり、行動の動機となるのがセオリーです。 なのに、それが一切描かれません。 主人公を特別な存在にしないため? 画像出典: 正確には、 「島が嫌だった」「曇り空の先の逃げていく光を追いかけて東京に来た」などの曖昧な理由は語られます。 ですが、それだけです。 逆に言うと、家での理由は「思春期だからそういうのあるよね」で終わらせてよし、という判断が新海誠の中であったということになります。 この映画で語りたいのはそこじゃないんだと。 また、深読みするのであれば「理由はどんなであれその個別の事情は関係なく、家出したいくらいの衝動を持った少年であれば誰だって帆高になり得るんだ」というようなメッセージが逆に込められているのかも知れません。 やっぱり神話的な抽象っぷり また、「曇り空の先の逃げていく光を追いかけて東京に来た」という部分は、論理的にはかなり抽象的で超弱いですが、逆にそのシーンの映像はやっぱり美しく、どこか説得力が生じています。 「なんだかわからない思春期の鬱屈とした感情を、理屈のない美しい自然が揺さぶる」という雰囲気があります。 これまた神話的な強引なストーリーの持っていき方ですが、私はこの辺は 「これはこれでありだな」と思いました。 ここが気になる人は、この映画は楽しめない可能性が高いです。 私は映画は緻密な脚本のみで語られるというわけでもなく、特にアニメであれば映像や音楽で乗り切ってしまうのも取捨選択のひとつとしてアリではある…と思います。 ただ、主人公の行動の動機が不明だと普通は深い感情移入がしづらくなったり、すべての行動の説得力が薄れたりするので、結構大胆な判断だとは思いました。 『天気の子』は家出の理由よりも、家出後の帆高の行動で帆高の性格や動機となるエネルギー源らしきものを描いていたのと、絵が超綺麗なのでそれで成り立っていたように思います。 オタクの妄想感も健在 過去作品でも言われていて、監督本人も認めているようですが、新海誠作品はどこかオタクの妄想感が漂っていると思います。 私はにわかなのですが、それでも『君の名は。 』『天気の子』過去作品の予告などを見ていても感じます。 ツイッターでは童貞臭いと言われてるのをよく見ます。 『天気の子』が凄いのは、深夜のラブホでヒロインの裸の中にセカイの秘密があるのを知るということだよな。 美少女がセカイであり、セカイが美少女である、これ以上童貞臭い世界観があるだろうか?おれたちの大好きな、童貞の気持ち悪い妄想話を創る新海誠が帰ってきた!祝え、童貞王の帰還である。 元々新海誠は、登場人物の背景を描かず、少年少女の恋愛が世界を救う系のオタク的 セカイ系なストーリーを得意としていたっぽいことが伝わります。 『君の名は。 』ではそこが少し薄れたものの、また『天気の子』では復活…どころか エンジン全開になっているようなんですね。 私が見た感じだとそこまで強烈には感じませんでしたが、『君の名は。 』でもあった「おっぱ〇ネタ」が3回出てきたほか、陽菜のところどころの表情やら雰囲気含めてなんか童貞感はありました。 これらはあまりプラスに働いてはいないと思いましたが、まああっても別にいいかとは思いました。 オタクの妄想臭さがよさ また、どちらかというと、そういったわかりやすい描写よりも、ツイッターにもある通り、 「少女がセカイを救うカギで、少女の身体自体がセカイの秘密で、それがラブホで裸を見るシーンにわかる」 といった根本的な構造に童貞臭さやオタクの中二病妄想感が出ていると思います(私は設定自体は、全然嫌いじゃないです)。 ちなみに後からわかることですが、この時点でこの少女は16歳なりたて…ロリ的な要素まで絡んできます。 画像出典: そもそもその臭さは、ラーメン次郎にいって「ニンニクくせえ!」と怒るのが愚かなのと同様に、肯定的に受け取るべきところなのかなと感じました。 セカイ系な時点で基本的に臭いので、後はその世界観でどこまでやりきるか、みたいなところがあります。 そういった点で、中二病に振り切りまくった『コードギアス』を私は好きでした。 深夜アニメはコードギアスくらいしか見たことないので他の作品と比較はできないのですが、あれは振り切り度マックスだったのでそこを批判するのは無意味と思いました。 中二病世界観を緻密で大胆な脚本構成、伏線が支えていましたね。 自主映画感も また、これだけのメジャー作品になっても、やっぱりどこか自主制作映画的な雰囲気を感じる部分もあります。 恐らく、ポエム的なセリフのモノローグが多いせいだと思います。 冒頭からラストまで、けっこうポエムモノローグが登場します。 私は自主映画処女作ではモノローグこそなかったものの、登場人物に独り言を言わせがちだったなあ…などと思い出してしまいました。 しかしそのオタク臭さを消す、社会的要素も 今回、オタク臭さが全開と言われていますが、「汚れた大人の世界」も同様に感じられます。 というか、対談記事などを見ると、本来はその雰囲気こそ前面に出したかった雰囲気だと思われます。 最初の方で述べた歌舞伎町の異様なまでのリアルな描写に始まり、アニメ映画ではそうそう舞台にされないラブホ(これも池袋の緻密な描写と共に、緻密に描かれる)がクライマックスに出てくるなどで、現実味のないオタクの妄想したセカイ系という感じではなくなっています。 逆に、そのオタクくささと妙な現実的舞台の掛け合わせをエロゲーのようだ、と言っている人も結構いるので、新海監督の思惑がうまくいったのかはわかりませんが…。 とりあえず、この辺りは新しい試みだったと思います。 ほかにも、セカイ系ですっ飛ばされているとよく批判している「社会」に関しても『天気の子』では意識的に触れられています。 記号的な感じもしますが、とりあえず登場はしてきます。 たとえば…• 歌舞伎町という舞台• お金がなくて風俗バイトに手を出そうとする少女• 拳銃という小道具• 自分で信じてるわけでもないオカルト記事を仕事にする大人• 子供を助けるふりして安月給で働かせ、搾取する大人• 拳銃使用を取り締まろうとする警察• 手錠という小道具 こういったもので、ある程度、社会も描かれます。 あまりリアルな描き方ではなかったですが、嘘くさいセカイじゃなくするのに一役買っていると思います。 ただ、開き直って警察はなくしても面白かったかなとも思います。 大人な雰囲気を出すのに成功したかは微妙なところだと思います。 ただ、『君の名は。 』の次回作でラブホを美しく描いてクライマックスに持ってきたのはすごくチャレンジングでよかったと思います。 青春感満載でした。 ジュブナイル。 新海誠の青春には犯罪がつきもの? 尾崎豊もバイクを盗んで走り出してるわけですし、大抵の物語は法律の範疇に収まらないのでことさら取り上げるべきことではないかも知れません。 ただ、『君の名は。 』で爆破を起こしたのに続き、本作では拳銃をぶっ放したり(空に向かってですが)、警察から逃げ出したりと明らかな犯罪を犯し、それが青春的に描かれています。 中途半端に警察を出したからこういうシーンが生まれているわけですが、なんか素直に主人公頑張れ! という気持ちになりづらかった部分はありました。 警察視点から見ると、なにも悪いことしてない感が強いんですよね…。 画像出典: 「公権力から追われても自分の純粋な恋に一直線な主人公」という構図をつくりたかったんでしょうが、「家出してて捜索願いで捕まったけどそこから逃げる」というのでもよかったのではと思いました。 カーチェイスシーンもあった 警察に追われる流れで、コナン的なカーチェイスシーンもありました。 過去の新海誠作品に詳しくないので、ここは深く語らずでおきます。 拳銃必要か? すでに何度か話題にしてしまっていますが、拳銃が必要だったのかが私にはわかりません。 主人公は、歌舞伎町で偶然拾った拳銃をお守りとして持ち続けるのですが、まずそこが結構謎です。 そんなやついるか? と。 これを納得できるだけの背景があればいいのですが、前述の通り、主人公の背景や家出の理由は語られません。 なので、拳銃を持ち歩いてしまうヤバイやつ、という印象になってしまいます。 画像出典:天気の子の矛盾・おかしいところ・ツッコミどころを考察・まとめ!(ネタバレ注意) 「この拳銃がマクガフィン(話を進める動機となる小道具)として機能していてよかった!」という記事も見ましたが、 私はあまり機能していなかったように思います。 思春期の少年が拳銃を持てば当然そこには緊張感が走りますし、撃つべきか撃たないべきかの葛藤も描けるので、ドラマ性は生まれます。 ただ、 それ、話の本筋に関係なくないか? という気が私はしてしまいました。 これまた、「公権力に少年が銃を向けてでも少女に会いたい」というのを示すために使われただけで、薄い使い方に感じました。 これを中途半端にやるなら、少年が拳銃を偶然拾った話をテーマに映画を一本描く方がいいような気がしました。 テーマはあくまで、天気を晴れにできる少女と出会ってなんやかんやなわけなので。 猫も必要なくないか? 同様に、銃を拾うあたりで猫も拾います。 ですが、この猫も映画中でたいした意味を持ちません。 主人公は猫を拾った。 須賀は主人公を拾った。 という二重構造に意味があったのだとは思いますが、なんかもうちょっと掘った方がよかったのではと思いました。 一応スパイスとして入れてみた…的な感じがしてしまいました。 ひねくれすぎかな。 スガシカオの歌との関連性 …ちなみに、大人な世界観にするためにスガシカオの歌にインスパイアを受けているようで、拳銃なんかは「夜明け前」という歌詞を再現したものなのかも知れません。 「天気の子」、挿入歌はRADWIMPSだけど、ベースの世界観はスガシカオの歌詞がモチーフになってたりするんじゃないだろうか。 新海誠とスガシカオの対談も作品制作中にあったらしいし、登場人物には「須賀」の名前もあるし。。 『夜明け前』 『奇跡』 — たけくら tachesan 猫もその系統なのかも? でも、個人的にはなにかの歌が元になっていたとしても、登場させるならもっと本筋に意味ある形にしてほしいな、という気持ちは変わりません。 早くも小説版が出ており、そちらで色々と補填がある可能性もあるので、気になる方は読んでみるとスッキリするかも知れません。 逆に効果的だったのが「凪君」でした。 彼は小学生ながらモテモテの男子で、主人公の童貞っぽさとは打って変わって、大人な男を演じてくれます。 これを見ると、作中の童貞臭い描写はわざとやってるのかな? と思わされます。 彼は今までの作品にはいなかったタイプなのでは? と思いましたが、新海誠ファンの方、どうでしょうか。 年下ながら「センパイ」の風格があった彼は、いいキャラだったと思います。 令和のセカイ系を示したラスト さて、いろいろ書いてきましたが、細かい突込みはあっても、映像美でけっこう乗り切れますし、童貞臭いと言われているセカイ系的な設定も割り切ればむしろ感動のファンタジーとして受け入れられます。 家出の背景なんかは意図的に描かれていないものの、人物描写も丁寧で、正直、 随所でちょこちょこ感動できます。 しかし、それこそが私としてはこの作品の面白さであるとも思いました。 どういうことかというと… ありそうでなかったセカイ系の結末 「少年が愛する少女の自己犠牲によりセカイは救われる」というのがセカイ系です(本作におけるセカイは東京だけですが)。 まあセカイ系の定義はいろいろなんですが、そういうことにさせてください。 で、通常は 少年が少女を助けたので、セカイは救われなかった というラストを迎えます。 これがよかったです。 帆高が陽菜を感動的に助けた後、スクリーンが真っ暗になり、これまた少しポエムモノローグ的な感じで「それから東京で雨が止む日は一日もなかった」とかいって3年くらいが一気に経過します。 二人は東京と離島に引き離されます。 え、そういうパターン!? と一瞬驚きました笑。 救われたか救われなかったか ただ、便宜上救われなかった、と書きましたが、救われなかったのかどうかの判断を観客にゆだねているラストになっていました。 「セカイは元々狂っていて、狂ったところでどうにかなってそれが日常になっていく」というのを私は感じました。 ラストシーン、水没しかける東京で水上バスが運行しており、人々は普通に街を行き交っていました。 そうはいっても罪悪感を覚えている少年少女。 その二人が3年を経て再び会うそのカットは、かなり感情を動かすものがありました。 丘の上で、もう晴れさせる力のない陽菜が、それでもただ空に向かって晴れることを祈っている。 きっとこんな祈る日々を3年間続けてきたのだろう、と思うと感情が動きます。 ラストのセリフ 画像出典: そして二人が出会い、抱き合った後、最後に帆高から発せられるセリフが 「きっと、大丈夫だよ」 でした。 …これがちょっと弱かったと思います。 『君の名は。 』が「君の名は?」で終わったのに比べて、世界が破滅したとも捉えられるこの状況で、ぽっと出のセリフである「大丈夫だよ」と言われてもなんだかしっくりきません。 大丈夫なのか? という気持ちになります。 それが狙いなのかも知れないですけどね! そして、そのセリフでもうエンディング入るので、ここはモヤっとしてしまいました。 でも、少女を自分の気持ちだけで助けたことによる代償をしっかりと描いたのは面白かったですし、「自分が犠牲を払うことでしか誰かを助けられない状況になったら、必ず自己犠牲払わなくちゃいけないの?」という問題提起もまたよかったです。 もっと練ったらもっと面白くなるのでは…なんて思うような部分もあったのですが、全体として見てよかった作品でした。 おまけ 私が好きなカットは、帆高が陽菜の誕生日プレゼントにあげた指輪が、空から落ちてくるカットですね。 身体がほとんど水と化した陽菜の指から指輪がするりと落ちる部分も好きですし、深夜のラブホで誕生日プレゼントに指輪をあげるシーンもよいです。 純粋な青春が不純の象徴と捉えられそうな場所で行われるのがいいです。 あと、雨が降り続ける東京のリアルさ、そして本物の雨以上に暗い気持ちになる雨の描写もよかったです。 まとめ またまたかなり長く書いてしまいました。 コンパクトにまとめようと思ったのですが、モヤっとする作品なこともあって書きたいことがあふれてしまいましたね。 もっと詳しく考察したい人はパンフレットを買うと、制作側のスタンスも見えてきて面白いと思います。

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『天気の子』を観て、救われた僕の2000年代 ――前編

天気 の 子 エロゲー

*物語の内容について述べます(ネタバレ有) *オタクが書いた文章です *書いた人は天気の子ファンです *天気の子、是非見てください 「君の名は」の新海誠 その新海誠の最新作 実際面白いのか? そう感じてる人はたくさんいると思います。 もうちょっと話題になったら見に行こうかな、とか思って静観してる人も結構周りにいます。 「君の名は」ってどれくらい売れたか知ってますか? 歴代邦画興行収入ランキング第2位です。 トップは「千と千尋の神隠し」 でも、世界規模で見ると、千と千尋の神隠しってゆうほど人気じゃない。 でも「君の名は」はアジアならめちゃめちゃ人気。 だから、全世界の邦画興行収入なら第1位です。 すごない? 少なくとも、未来数十年は語り継がれるであろうそんな偉大な作品を生み出した監督、それが新海誠。 その最新作。 ほんまにおもろいんか? 見てきました。 まさしく、まさしくこれ。 授業中に机に突っ伏して寝るフリをしたかと思えば、ラノベを取り出して読み始めるキモオタ。 部活に入らず、放課後遊びにも行かず、家に帰ってすぐギャルゲなりエロゲをしてストーリーに感動するキモオタ。 パリピの好きそうな映画が自分の好きなアニメに似てるからって、「恋空で感動するならCLANNADでも感動しますよね!!!違いますか!!!???」とか書き込んじゃうキモオタ。 誰しも心に抱えるそういう数年前に死んだキモオタが絶賛する映画、それが天気の子。 俺たちの新海誠 キモオタらしく古参ぶってみるけど、初めて見た新海作品は「」じゃなくて、「」。 どっちが好き?って言われると、「秒速5センチメートル」。 「秒速5センチなんだって」と扉越しに問いかけられたら、ちゃーんと「桜の花の落ちるスピード」って答えられる現代の忍者。 もちろん「」だって「」だって知ってるし、「」もちゃんと見た。 そういう新海誠に心を苦しめられたオタクたちは絶対に「天気の子」を認める。 ビビりながらも、どうせまた鬱にさせられるんだと覚悟して見る。 予告編で耳にタコができるほど聞いた 「俺はただ、 もう一度あの人に、会いたいんだ!」。 でかすぎるフラグ。 ギャルゲを生き抜き、死亡フラグで笑ったオタクたちが警戒しないわけがない。 でも会える ネタバレ。 「君の名は」よりも深く会えるし、なんなら手を繋いでこれからきっと2人は幸せになっていく。 普通にハッピーエンド。 これ以上僕たちに何も足さず、僕たちから何も引かないでください、オタクたちがそう願うほどのハッピーエンド。 会えないと思ってたのに会えた時に感動よ。 「君の名は」じゃん、それ。 ここまで読むとそう思う。 普通にボーイがガールにミーツして、引き離されるけどまたミーツする。 じゃあ何が俺たちの新海誠なのか。 童貞王の帰還 遠回しな表現を使わずにストレートで言うけど、新海誠は 童貞特有の気持ち悪い妄想をしっかり作品として形にして何千何万何億の人に届ける男。 母親が死んで、生活に困窮して、弟のために水商売で生計を立てようと血迷った少女をチンピラから救い出す妄想 警察から行くあてもなく逃げて、夜になると雪が降り出して少女が寒そうにしているので仕方なくラブホに泊まる妄想 童貞なら一度と言わず、50回はしたであろうこういった妄想を新海誠 46歳 男性 は大切にしてくれる。 何ら技術を持たないキモオタたちは自分たちの作り上げた最強の妄想を世に出すことはおろか、形にすらできない。 でも新海誠はそれをやってのける。 「君の名は」を見た人たちに期待されているような、手の込んだストーリーを美しい作画で仕上げる男じゃないんですよ。 ペンギン・ハイウェイみたいなバレバレのおっぱい揺れ描写で支持を得るような男でもないんです。 心に住み着いた童貞の本気の妄想を「これが当たり前でしょ?何言ってんの?」とか言いながら、飄々と仕上げてくる。 そんな王です。 46歳。 未だ尚、思春期 主人公の帆高(ほだか)は家出少年です。 (オープニングを除けば)田舎の島から家出して、東京に行くシーンから始まります。 顔には傷があります。 映画では言及されてないけど、多分、殴られたんでしょう。 帆高はキャッチャー・イン・ザ・ライという書籍を持ち歩いています。 ここもオタクポイントが高いです。 年を重ねたオタクは攻殻機動隊を必ず見ることになるんですが、そのタイミングでオタクはこれを読みます。 最近だと「BANANA FISH」でもサリンジャーサリンジャーしてたので、読んだ人も多いはず。 このキャッチャー・イン・ザ・ライ。 元々は、J. サリンジャーという作家が書いた本で、「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルで訳されています。 それが数十年経って、村上春樹が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というタイトルでもう一回訳したんです。 最近の若いオタク、というか若い世代は村上春樹訳の方が読みやすいはずです。 子供向けだとかそういうことを言ってるんではなくて、同じ英語を訳すにしても、最近使われている言葉を使うのと使わないのでは全く印象も変わってきます。 あと、「ライ麦畑でつかまえて」の方は、あえて方言が使われています。 田舎の荒々しさというか、都会への憧れとか、そういうのを出すためにちょうどいいのが方言だった。 そんな説があったようななかったような。 曖昧なので、間違ってたら教えてください。 何れにせよ、帆高がこの新しい訳の方を読んでるという点で思春期ポイントが高め。 で、このキャッチャーインザライ。 今ちょっと書きましたが、社会への不満とか思春期の葛藤とかをこれでもかと詰め込んだ最高傑作です。 思春期真っ只中の少年が読むと、ノックアウトされて旅に出ます。 自分が初めて読んだのは、例に漏れず歳を重ねたオタクになって攻殻機動隊を見てからなわけですが、中学時代に読んだら家出してたかもしれない。 オタクの皆さんも歳を重ねてきたら読んでほしい。 そして、思春期ポイント高めのもう一つの要素が「イタさとクサさ」。 ネットの感想ズラーっと見てたら、ここを凄い低評価する人もいたんですけど、社会に不満を抱いて家出するような思春期真っ盛りの少年の言動とか心情が出来上がっているわけないじゃないですか。 もう目を覆いたくなるようなアイタタタタって感じがあって当然でしょ。 それも田舎の島出身で、東京に来ちゃうような奴が自分と同じ言葉遣いとかするわけないでしょ。 シーンが切れる直前に敬語で叫んじゃったりもするし、自分が世界の中心で全部背負ってるみたいな言動だってかましちゃう。 そりゃイタいし、クサい。 見ててうざい。 でもよく考えたら、これってアニメなんですよ。 製作陣がイタいのを分かってないわけないでしょ。 自分で背負ってる気になってる主人公を作り上げてるんです。 それがどれだけ癪に触ろうが、目を覆いたくなろうが、わざと作ってそうさせてんだから仕方ない。 出来上がった人格を作らないでいてくれてありがとう。 思春期のリアルさを出してくれてありがとう。 世界と少女 この映画は「君を守る。 たとえ、世界を敵に回しても」系です。 (一番のネタバレ) 古今東西、オタクはこの設定が好きです。 DNAで決まってるんだからしょうがない。 世界が滅ぶか、少女が死ぬか、なら世界が滅ぶ方をとって、少女を救う。 オタク界隈では1+1=2ぐらい当たり前のことです。 天気の子はエロゲーである。 某界隈ではそう騒がれていますが、これが理由の一つです。 基本的にエロゲはストーリーが良い。 オタクはみんなそう言う。 そして、ストーリーが良いエロゲーの過半数はこのいわゆるセカイ系エンドがある。 最終兵器彼女とかイリヤを初めて読んだ日のことをオタクは覚えているだろうか。 初めて会った少女と青春の1ページみたいな距離の詰め方をし、世界で一番幸せだと感じるところまでぶち上がっていく。 そこからの急転直下。 全身から冷や汗が吹き出し、一番大事なものを失うことにオタクたちは怯える。 最近の言葉を使うなら「エモい」、あの何とも形容できない虚無感。 天気の子はその虚無感をチラつかせつつ、映画の尺ではあるが、しっかりと丸く完結させてくれる。 そこにオタクは感動し、賞賛し、こう叫ぶ。 天気の子はエロゲーのトゥルーエンドである!! 今回、エンディングで流れるRADWINPSの「大丈夫」。 天気の子の主題歌は「愛にできることはまだあるかい」じゃない。 「大丈夫」です。 その歌詞がもうそれ(表現の放棄) 世界が君の小さな肩に乗っているのが 僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると 「大丈夫?」ってさ、君が気づいてさ 聞くから 「大丈夫だよ」って僕は慌てて言うけど なんでそんなことを言うんだよ 崩れそうなのは 君なのに 歌:RADWINPS 作曲:野田洋次郎 作詞:野田洋次郎 エロゲーのマイナー声優とか歌手が歌う主題歌ですら感動して泣き叫ぶオタク。 「何でみんな分からんのかなーこの良さが」とか言っちゃうオタク。 でも安心してほしい。 今回はそのエロゲーの曲をRADWINPSとかいう最強の知名度を誇るバンドが歌ってくれる。 恋空をバカにしたCLANNADオタクは、今回RADWINPSでも感動せざるを得ない。 でも安心してほしい。 普通にアホみたいに感動する。 感動したオタクはウオオオオオオオって叫びます。 天気の子には、うたプリみたいにオタク映画よろしく応援上映をしてほしい。 叫ぶから。 セリフだってもう覚えた。 最後に いかがでしたでしょうか!天気の子はエロゲーだと言われていますが、こんな理由があったんですね!ファンとしてはあと10回は見たいところですね!では、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました! ふざけた前置きは置いといて、天気の子は本当に素晴らしい映画です。 オタクが言うんだからオタクは見てほしい。 エロのないエロゲ。 恋愛感情抜きにした、でも友情とも違う男女関係。 世界の形(物理)を決定的に変えてしまったんだ。 ここまで読んだ未視聴オタクはきっと見た後に記憶を消してもう1回見たがると思います。 ごめんね。 見た後にこれを読んだオタクはやっぱり記憶を消してもう1回見たがると思います。 わかる。 新海誠ありがとう。 新海誠がこれだけお金をかけて最高の作品を作れたのは「君の名は」が売れたから。 だから「君の名は」を見てくれた人もありがとう。 みんなありがとう。 良い作品に恵まれたオタクはみんなに感謝しがち 世界と少女を天秤にかけて、少女を取る系の話が死ぬほど好きなので、何かあったらTwitterで教えてください。 小説か漫画か映画でお願いします。 よろしくお願いします。

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