やる気 が ない なら 帰れ。 パワハラ上司「やる気がないなら辞めろ!帰れ!」と言われたらどうするか?

パワハラ上司「やる気がないなら辞めろ!帰れ!」と言われたらどうするか?

やる気 が ない なら 帰れ

数日前からやまとめで話題になっていた、担任から「やる気がないなら帰れ」と言われて本当に帰って来てしまった息子さんのエピソードを書いたふみきちさんのツイート。 先日、支援級の登校日で、次男は担任からやる気が無いなら帰れ、と言われて帰ってきてしまった。 やる気はなかったからと本人談。 これ、ずっと考えてる。 やる気が無いなら帰れと言われても帰ったらダメなんだよ、と本人に教えるべきなんだろうか。 — ふみきち fumikichi2525 まとめ記事ではコメント欄でのやりとりが加速し、閲覧数やコメント数、などのリンクもかなりの数になっていて、特定の人たちにとって関心の高いトピックだったことが伺えます。 今回はツイート主であるふみきちさんに保護者としての立場から、また複数の学校関係者の方からも情報を頂いたので、「教員が生徒に『やる気が無いなら帰れ』と発言すること」についていくつかの視点から考えてみたいと思います。 「ふみきちさん」のこと 今回保護者としてお話を伺ったふみきち()さんは、でお子さんのについての経緯などを書き綴られているブロガーさんです。 私とはでも相互フォローの関係にあり、以前から親しくさせていただいています。 ふたりの息子さんのについての知識や経験の深さから、私も子供たちのことで困った時にはよく個人的にお話を聞いて頂いたり、相談させてもらったりしている方です。 今回の「やる気が無いなら帰れ」のシチュエーション まず大前提として、今回担任が発言したシチュエーションを共有しておく必要があると考え、ふみきちさんにお話を伺いました。 ふみきちさんの次男さんはで支援を必要とするため、現在は公立中学校の支援学級に在籍しています。 事が起こったのは夏休みの登校日。 通常の授業の日ではなく、支援学級の子たちのクラブ活動のために用意された時間で、宿題のチェックや体育指導など、補習のような学習日だったようです。 その発言を受けた次男さんは自主的に下校、本来の下校時間よりかなり早い帰宅となったので異変に気づいたふみきちさんが次男さんに話を聞いて、この担任の発言があったことがわかったようです。 この発言を受けて、母親であるふみきちさんはの次男さんが将来的に同じようなことを言われる場に遭遇したときにどう対処していくよう教えていくべきなのかについて思い悩んでおられました。 「だから」帰って来てしまったのか まとめ記事の中でも争点になっていたようですが、今回のこの「帰れって言われたから帰って来た」案件は児だから起こったことなのでしょうか。 ふみきちさんが次男くんがについて相談している専門の先生に相談されたところ「は関係ないと思う」と返答があったそうです。 その担任の先生だから帰って来た、状況によっては次男くんはおそらくは帰らないことも選べたと思う、と。 次男くんはおそらくは「言葉をそのとおり受け止めてしまった」から帰って来たのではなく「帰れ」と言われたことで帰るという選択肢ができたのでそちらを選んだ、と考えられるのではないかと思います。 もちろん、の特性の出方によっては相手が言った言葉をそのまま受け止めて「帰るよう指示された」と理解して帰ってしまうケースもあるかもしれません。 が、児(者)だから言外の意図が汲み取れなくて帰ってしまう、というわけでは必ずしも無いのだろうということがこの先生とのやりとりからはわかります。 私自身も特性を自覚して生活していますが、「やる気が無いなら帰れ」と言われたとして相手が本当に帰れと言っているわけではないだろうということは理解できます。 また、うちの特性のあるうちの子たちもサッカークラブの指導の中で実際に言われた場面で帰らない方を選んだと聞いたこともありますし、逆に帰って来てしまったこともあります。 「やる気が無いなら帰れ」と言われて本当に帰ってしまうことは「言葉通り受け取ってしまう」という特性だから、ではないのかもしれません。 発言を受けても「帰れなかった」人たちの存在 あえてリンクは貼っていませんが、ふみきちさんのツイートを発端とするまとめではかなりの数の方が担任の発言に怒ったり、実際に言われたという自分の過去を振り返ったりしておられました。 たくさんの方の琴線に触れるトピックであったのだろうと思います。 なぜそんなにたくさんの方の琴線に触れたのか、なぜ炎上したのか、その答えを紐解く鍵が「発言の意図をわかった上で帰ることを選べなかった」方がたくさんいらっしゃることにあるのではないかと思います。 発言者が想定しているであろうやりとり 「やる気が無いなら帰れ!」という発言をする指導者が想定しているのは、恐らくはこういうやりとりです。 「やる気が無いなら帰れ!」 「いえ、やる気はあります!」 「じゃあもっと見せてみろ!」 「はい!」 or 「すみません、がんばります!」 「よし!」 で、生徒が自主的にやる気を出して頑張る そうやって突き放すことで相手の意欲を高める方法、としてこの手法が便利に使われてきたのかもしれません。 教育現場や職場で長く使われてきた過去とその背景 話題にしやすいトピックなのでしょう、以前私もハーネスのことで話題にしたことのあるテレビ番組の討論コーナーでも取り上げられていたことがあったようです。 この中では 「『上司の頭が冷えるまで』とか言う前に、なんでオマエが怒られたんだ? っていうところだろ!」 「絶対的に言えるのは、帰っちゃダメなんだよ! 何があっても仕事中に帰ったらダメ」 筆者もこれにまったく同感である。 確かに本来は、で何をやっているのか聞き、その答えに応じて具体的な注意をするのが理想かもしれない。 しかし「やる気がないなら帰れ!」という言葉の揚げ足取りをする前に、そもそもの怒られた理由を考えないのはなぜなのかと首を捻ってしまう。 「今の時代なら上司が悪い」「『帰れ』って言われたら帰る」 「『帰れ』って言わなくても(いいと思う)何がダメでどうしてほしいとか言われれば、頑張るんですけど」 「帰れ」という言葉をそのまま受け取ってしまう人は、素直で良い部分も多々あるのかもしれない。 しかし「この人はつまり、何を言わんとしているのか」と、状況から想像する努力を放棄しているともいえるのではないだろうか? これは学校現場ではなく職場を想定しているのでイコールで語ることはできないのですが、「やる気が無いなら帰れ」という言葉は「何がどうダメでどうすればいいのか」を端折るために便利に使われてきたことがわかります。 それを相手に働きかけて汲み取ろうとするのは言葉を発する上司の側ではなくて、教えを乞うべき部下の役目だと考えていることも透けて見えます。 この言葉がたくさんの方の記憶にあるようにこれまで学校を始めとする指導の場でも便利に使われて来たのはその、「教えてあげる側」である上司(教員)と「教えを乞う側」である部下(生徒・児童)の関係性が前提としてあること、双方がその力関係を理解して(もしくは抗えずやむを得ず受け入れて)いるからこそ成り立っていた言葉だったのかもしれません。 人間関係の変遷と価値観の変化 前述の記事の中にもあったように、今の時代には即さない言葉になりつつあるのを感じている方も少なからずいるのではないでしょうか。 記事の中でも街頭調査では「帰る方が悪い」と答えた人の方が多いのですが、上司の叱り方が悪いと指摘した層の大半は若い人たちの声だったようです。 ふみきちさんのツイートが使用されたまとめ記事が炎上した背景には、この若い人たちと同じように「叱り方に問題があるのでは」と思っている方が多かったことが考えられます。 私もふみきちさんのツイートをTLで見たときにはまずそれを思いました。 なぜそう感じるのか、その理由は、前述した人間関係の変遷にあるのではないかと考えます。 かつてのような絶対的な権力者・必ずつき従うべき歯向かってはならない存在としてのトップ(上司・先生・担任)と、従順に教えを乞うべき存在(部下・生徒・児童)という人間関係が既に崩壊しつつあること、特に学校現場では既にその力関係を利用した指導をすることは否定されてきている状況があります。 学校の中では教員は君臨する君主でも入門希望者が教えを乞うて集まる偉人でもなく、寄り添い指導する責務のある立場です。 児童や生徒は下僕でも先人に教えを乞う入門者でもなく、個々に寄り添った指導を受ける権利を持つ立場です。 まとめ炎上の背景 絶対的権力者である教員が「何を想定してそれを言っているか」を汲めている以上、たとえ表出している言葉が「帰れ」であってもそれに従ってならないぞという空気に歯向かうことはとても難しい。 腹の中に不満を溜めつつ、理不尽だと思いつつ、教員の「言外の意図」を尊重することを選ばざるを得なかった、その鬱屈した感情、過去の記憶が、あのまとめ記事が多くの方の琴線に触れることになった背景にあるのではないかと思います。 分かっていても帰ることを選べない空気があったこと、それが苦痛だったこと、教員に対して理不尽だと不満に思った記憶があったこと、それらがマイナスの記憶として残っていること…。 その記憶の蓋を開けたことが、あのまとめのアクセス数の多さとその中でわき起こっていた「担任が悪い」という流れの理由だったのではないかと思います。 「空気を読まない」特性と、読まなくてよくなっている空気 の特性がそう強くない方の多くは、場の空気を読んで自分の行動を選ぶことを自然と行う習慣が身に付いています。 教員がたとえ言葉の上でも「帰れ」と提示して「言葉通りに受け取って帰る」ことが自分の中に選択肢として現れたとしても、明らかなが存在する環境の中であえてそれを選ぶことはおそらくはそう簡単ではないはずです。 「当然帰らないよね?」という空気を感じたときにそれに抗うことは多分とても難しい。 また、先の見通しを立てることに長けている人はその抑圧を受けた段階で当然「帰った時にどうなるか」が想像できるでしょう。 相手をより怒らせて事態がめんどくさくなってしまう、それならここで折れといた方があとあと楽、という見通しを立てることができる。 しかし、の特性のなかでその「見通しを立てることが極端に苦手である」という困難を抱えている人たちも少なからずいます。 ゆえの特性が発動するのは実はそこらへんなのかな、と考えています。 発言の意図を汲めないのではなくて、「帰れ」という選択肢が自分の中に存在した時に周囲のに抗わずにそれを選ぶことに抵抗が少ない、そういう種類の「空気を読まない」特性、プラス「今帰ったらあとあとよりめんどくさくなる」という見通しを遠くまで立てるのが苦手という特性が発動されたときに、目の前の面倒な状況よりとりあえず帰ることを選んじゃう、という者(児)らしい行動が出てしまう。 それが、ふみきちさんが懸念していた「空気を読まず行動してしまう」の正体なのではないかと考えています。 そして、前述したとおり学校現場での教員と生徒の人間関係は確実に変化しています。 での指示ではなく、自分たちに寄り添った指示、その環境にいることに馴染んでいる子供たちにとっては、一部の教員が醸し出すその絶対的権力を利用するような空気を読む必要はなくなりつつある。 それでもふみきちさんが懸念するように、変わりつつあるといってもまだまだ社会のなかには蔓延している環境もあります。 学校の中でも、また今後社会に出ていった先でも「やる気が無いなら帰れ」という発言をする人に出会うかもしれません。 そのときにどうしていけばよいのか。 長くなったので一旦ここで区切って、次の記事では公立学校での現状と、将来的な対処についてふみきちさんや学校関係者の方に伺ったお話をまとめます。 suminotiger.

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スポーツ少年団のコーチが、子供に向かって「やる気がないなら帰れ」と言い...

やる気 が ない なら 帰れ

「やる気がないなら帰れ」と言う側の人の考えについて、教えてください。 近日テレビを見ていて、近年の若者は、「やる気がないなら帰れ」と言われると本当に帰る。 と放送していました。 私自身も若者なのか、多分言われたら帰る側かもしれません。 ありがたいことに、まだ言われたことはありません。 そんななか、ふと考えたのですが、 「やる気がないなら帰れ」と発言する方は、何をもって発言しているのか気になりました。 上記発言をするからには、対象である社員やスタッフ、部下の仕事を自分がやる、カバーする。 そんな思いが本来ならなければいけないのでは、と私は思うのですが、 近年では、上記発言をすれば、対象者をやる気にさせられる。 馬に鞭をいれる? そんな気がしてなりません。 乱雑に書いていますが、 使ったことも、使われたこともないので、 両者の気持ちがわからない分気になります。 ご回答よろしくお願いします。 指示は明確で的確に出せ無ければ 良い指示とは言えないですよね。。。 「やる気」って量れますか? 物凄い抽象的過ぎて全く指示に成ってない。 私なら書類何枚とか電話何本とか(職種によって計画書とか色々違いますが。。。 ) 具体的にやったことを書かせて時間を計って(常日ごろ管理して)それで何時も出来て居る事が出来て居ない時に「どうしたの?」位は聞くかも知れませんし、もっと具体的に指示を出して従える様に仕向けます。 やる気云々って 言うのは 言った人のセンスを疑います。 (全く管理者としての仕事が出来て居ないって思う。 ) まぁ そんな人が上席だから 若い人もやってられないって思っても仕方が無いのかなって 哀しく成る そんなお話しに見えました。 上席が居ない。 専門職の人には分かりづらい世界かも知れませんね。。。 少し羨ましい気もしますけれど。。。。 昔は良く使いましたけどね。 一つ重要な点は、「やる気がなさそう」に見えても、やってる仕事の手際さえ良ければ、誰も「帰れ」とは絶対に言いません。 実力第一。 その上で、たとえやってる仕事の手際が悪くても、それなりに一生懸命やっているのなら大目に見るし、文句も言いません。 上達するまで待ってあげます。 これが「やる気がないなら帰れ」の本来の意味だと思います。 仕事の手際も悪く、やる気もないのであれば、これはもう上達する見込みがないので、本人にとっても帰るのが正しい選択でしょう。 昔でもそういう人は実際いました。 現場も「去る者は追わず」が常識でした。 そんな思いが本来ならなければいけないのでは 以上のような主旨から、これはちょっと感覚がずれているように思います。 別に仕事の効率とかそんなことを考えて言ってる訳ではありません。 かと言って、「馬に鞭をいれる」とか「脅している」と言う訳でもありません。 敢えて言うと、「居続けたら伸びる人と、居続けても伸びない人を振り分けている」と言うのが、言ってる側の感覚であると思います。 「どっちにするか早く決めろ」と言う感じ。 別に意地悪を言ってるのではありません。 言われて帰る人は、その職場に居ても伸びない人ですから、帰るのが正解なのです。 それがお互いにハッピーなのです。 今は状況が変わってますからね。 昔は終身雇用などで、会社は人材を育成するのがデフォルトだったわけです。 「長く勤め、会社に貢献すれば昇給、昇格、その他福利厚生などで報われる」 こういう状況ですから、残業代が少々でなくても、少々長時間労働でも、そして「仕事を早く覚えろ、覚えないなら帰れ!」と言われても、会社のために頑張れるのが普通だったんです。 それが今では・・・ 「長く勤めようと、会社にどれだけ献身しようと、実力以外で評価はしない」 これがデフォルトです。 「覚えないなら帰れ!」と言われて「辞めちゃう側」は、それがわかっているわけです。 今の時代会社にいくら長年献身したところで意味はありません。 使う側は、「実力主義」が何なのかわかっていない(笑)というか、「実力主義」の都合のいい部分だけをつまみ食いして労働者側を搾取している構造です。 労働力の窃盗ですね。 本来の実力主義であれば、明確に給与に差をつけて、働いた分、効率がいい分、売り上げがいい分、実力者に多く給与を与えなければなりません。 そうなれば、「やる気がないなら帰れ!」とハッパをかける意味ができてきます。 そ れ を や ら ず、残 業 代 も ご ま か し、「やる気がないなら帰れ」では、 「はい!わかりましたー!」 そうなるに決まっている(笑) それを嘆くのははなはだ滑稽です。 まあ、以前の年功序列式の企業側にとっておいしいところだけを残し「実力者に高級も出せない、かといって終身雇用はもうやらない、そのくせ従来通りの給与体系を変えようとしない泥棒気質」の企業が増え過ぎたんでしょうね。 それで、きちんとした対価を出せていないにもかかわらず、平気で「やる気がないなら帰れと言ったら帰っちゃうんだよ、今の若いもんは」と嘆けるということでしょうね(笑) 昔と企業と労働者の関係が歪に変わったことに気付かない間抜けな人々が「ハッパをかけようと」昔ながらに思って発言しているんでしょう。 嘆く前にきちんと実力主義にしようよって話です。 逆に質問者様に聞きたいのは、給料をもらう仕事において「責任」をどのように考えているのか、です。 給料をもらって、言われたことだけやっていればいい、のですか? 帰るほうの若者の意識からすれが「いわれたことをちゃんとやり、給料をもらうだけのことをしているのに、ヤル気、というわけの分からないことを言われても困る」ということなのでしょうか。 であるなら、それを言ったほうは「お前のやっている内容は給料に見合った責任を果たしていない」というニュアンスが強いように思います。 だから「給料に見合う働きをしないなら辞めてもらって結構」なのです。 逆に、仕事を覚えている途中なら、給料が安くても覚えることが責任です。 覚えることをせず「いわれてことをやる」のでは、責任を果たしたことにはなりません。 ですのでそういう場合のやる気は「仕事を覚えて、自分で回せるようになる気が無いなら仕事を辞めてもよい」です。 日本人の多くが勘違いしているのは「仕事は教えてもらって当然」ということです。 外国では簡単に首を切れますし、そもそも仕事がでないで教えてもらう状態で入れる会社なんてほとんどありません。 ですから外国の若者の失業率が高いのは当たり前で、それは「雇うのに値する仕事の能力がないから」です。 だから若者は雇われないし、雇ってもらうような仕事の能力、を必死になってつけるのです。 昔は「仕事を教えてもらうから、出来なくてもやる気はみせる」のが当たり前でした。 日本では「なにもできない新人に教えて給料を出すのが当たり前」であり、新人も「なにもできないのに給料をもらっているから、少なくともやる気をみせる(やる気だけならだれでも見せられるでしょ)」という免罪符をつかったのです。 だから昔は「やる気がないのか?」と聞かれて「有ります!!」と答えれば一応ゆるされたのです。 そして上司や先輩はカバーするし、そもそも仕事を教えている時点でカバーしているわけです。 (部下の仕事を肩代わりはしないでしょう。 だって、部下はそれで給料をもらっているのですから) 結局「やる気がないなら帰れ」と言われて、帰った場合、損するのは帰った若者です。 そういうことを含めて考えたほうがいいと思います。 Q 私は,「言われたことしかできない社員です」アドバイスをください。 私は,電機メーカーに勤める入社2年目の男性です。 今日は、朝礼発表である人が「先輩社員と新入社員の本音」という題目で発表されていました。 そこで先輩社員が新入社員に対して不満なことで「言われたことしかやらない人」があげられました。 私も「じゃあ,言われたこと以外って何?」といつも思います。 なのでアドバイスしてください。 私の業務は,発売前のサンプル品 試作品 の電気的評価です。 消費電力や出力電力の測定,製品の機能確認などです。 その後,報告書にまとめる業務が主です。 先輩社員に「今日は,消費電力を測って」から始まり「終わりました。 翌日,「今日は,リード線の導電率を測って」など。 では,「この業務で言われたこと以外ってどんなことをしたらよいのですか?」 次は、私の先輩がよく言う「言われたことしかやらないと見捨てられるよ!」のパターンです。 私の仕事は、サンプル品の評価です。 性能向上のための改造することがあります。 これでは,いけないと思い先輩社員に聞きました。 「どこを,どう変更して,良くなったんですか? 私 」 「君に言ってもわからないでしょ~(先輩 」 「でも,これじゃあ報告書書けないので…」 最近は「報告書を書くのでどこを変更したか教えてください」)という感じです。 で教えてもらうという感じです。 私の「言われたこと以外って何でしょう?」先輩の先を読んで測定することでしょうか?それとも勝手に試作品を改造することでしょうか?? これは、経験ですといわれるかもアドバイスいただくかもしれませんが、私の業務 担当する製品 は,よく変わります。 ってか,忙しい製品グループに飛ばされます。 開発部に配属されて10ケ月になろりますが、製品を6種担当し,すべて途中で合流し,落ち着くとまた別の製品担当に飛ばされる感じです。 今回も7月で合流し製品が安全に出荷することを確認できずに重大な問題が発覚した機器を9月中旬に担当することが決まりました。 担当する機器がよく変わるので先輩社員も変わります。 いわれたのは6種のうち一人でした。 自分の中で「私は言われたことしかやらない人」の気持ちがあります。 でも「言われたこと以外って何をするの?」って感じていますのでアドバイスください。 ながながとすみません。 私は,「言われたことしかできない社員です」アドバイスをください。 私は,電機メーカーに勤める入社2年目の男性です。 今日は、朝礼発表である人が「先輩社員と新入社員の本音」という題目で発表されていました。 そこで先輩社員が新入社員に対して不満なことで「言われたことしかやらない人」があげられました。 私も「じゃあ,言われたこと以外って何?」といつも思います。 なのでアドバイスしてください。 私の業務は,発売前のサンプル品 試作品 の電気的評価です。 消費電力や出力電力の測定,製品の機能... A ベストアンサー 指示待ち君ですか。 主体性を持って仕事をするということを 先輩は指摘しているというのはわかると思いますが 社員の職能要件や所掌区分を確認して 責任と権限、 自分がしなければならないこと 指示や承認がなければできないこと してはいけないことを 認識した方がいいと思います。 電機メーカーに就職して開発部に配属されて電気的評価を担当しているのに 検査の目的や方法、手順に関して計画書や打ち合わせの内容を理解せず 仕事に望むのでは指示を受けるしかありませんね。 また、回路図が読めなければ仕事にならないと思いますので それは貴方が去年入社したときから 自発的に必死で独学して補うようなことではないでしょうか。 >でも「言われたこと以外って何をするの?」って感じていますので 手順書、計画書をよく見て 何を評価して改善するのか目的を良く考えて 報告、連絡、相談を適時にして自分から仕事をする姿勢にならないと このままではいらない人に分類されてしまうでしょう。 Q ショップブランドのデスクトップを使用してます。 先日、windows-xp-sp3の動作が不安定なので、修復インストールを行ったところ、サウンドデバイスが認識されなくなり、全く音が出なくなりました。 realtekのHD audioドライバーをインストールして、スピーカーからは音が出るようになりましたが、フロントのヘッドホンジャックからは、全く音が出ません。 プラグを挿してもスピーカーが鳴り続けます。 いくつかのドライバを試してみても、全く変化なしです。 (ヘッドホンは正常です) 時々、PC起動時に、サウンドコントローラのような画面が開きますが、フロントジャックについては、何も設定ができない状態です。 (インピーダンス検出が効かない?) どなたか、解決策をご存知の方、教えてください。 PCの詳細は、下記のとおりです。 CPU :Pentium4 3. 2GHz マザーボード D915GAV Inetl915Pチップセットタイプ システム :windowsXP PRO sp3 Ver.. 2002 サウンド :オンボードrealtek HD audio 以上です、よろしくお願いします。 ショップブランドのデスクトップを使用してます。 先日、windows-xp-sp3の動作が不安定なので、修復インストールを行ったところ、サウンドデバイスが認識されなくなり、全く音が出なくなりました。 realtekのHD audioドライバーをインストールして、スピーカーからは音が出るようになりましたが、フロントのヘッドホンジャックからは、全く音が出ません。 プラグを挿してもスピーカーが鳴り続けます。 いくつかのドライバを試してみても、全く変化なしです。 (ヘッドホンは正常です) 時...

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「やる気ないなら帰れ!」これで帰るのはタブーだけど本当に間違っているのはその質問

やる気 が ない なら 帰れ

数日前からやまとめで話題になっていた、担任から「やる気がないなら帰れ」と言われて本当に帰って来てしまった息子さんのエピソードを書いたふみきちさんのツイート。 先日、支援級の登校日で、次男は担任からやる気が無いなら帰れ、と言われて帰ってきてしまった。 やる気はなかったからと本人談。 これ、ずっと考えてる。 やる気が無いなら帰れと言われても帰ったらダメなんだよ、と本人に教えるべきなんだろうか。 — ふみきち fumikichi2525 まとめ記事ではコメント欄でのやりとりが加速し、閲覧数やコメント数、などのリンクもかなりの数になっていて、特定の人たちにとって関心の高いトピックだったことが伺えます。 今回はツイート主であるふみきちさんに保護者としての立場から、また複数の学校関係者の方からも情報を頂いたので、「教員が生徒に『やる気が無いなら帰れ』と発言すること」についていくつかの視点から考えてみたいと思います。 「ふみきちさん」のこと 今回保護者としてお話を伺ったふみきち()さんは、でお子さんのについての経緯などを書き綴られているブロガーさんです。 私とはでも相互フォローの関係にあり、以前から親しくさせていただいています。 ふたりの息子さんのについての知識や経験の深さから、私も子供たちのことで困った時にはよく個人的にお話を聞いて頂いたり、相談させてもらったりしている方です。 今回の「やる気が無いなら帰れ」のシチュエーション まず大前提として、今回担任が発言したシチュエーションを共有しておく必要があると考え、ふみきちさんにお話を伺いました。 ふみきちさんの次男さんはで支援を必要とするため、現在は公立中学校の支援学級に在籍しています。 事が起こったのは夏休みの登校日。 通常の授業の日ではなく、支援学級の子たちのクラブ活動のために用意された時間で、宿題のチェックや体育指導など、補習のような学習日だったようです。 その発言を受けた次男さんは自主的に下校、本来の下校時間よりかなり早い帰宅となったので異変に気づいたふみきちさんが次男さんに話を聞いて、この担任の発言があったことがわかったようです。 この発言を受けて、母親であるふみきちさんはの次男さんが将来的に同じようなことを言われる場に遭遇したときにどう対処していくよう教えていくべきなのかについて思い悩んでおられました。 「だから」帰って来てしまったのか まとめ記事の中でも争点になっていたようですが、今回のこの「帰れって言われたから帰って来た」案件は児だから起こったことなのでしょうか。 ふみきちさんが次男くんがについて相談している専門の先生に相談されたところ「は関係ないと思う」と返答があったそうです。 その担任の先生だから帰って来た、状況によっては次男くんはおそらくは帰らないことも選べたと思う、と。 次男くんはおそらくは「言葉をそのとおり受け止めてしまった」から帰って来たのではなく「帰れ」と言われたことで帰るという選択肢ができたのでそちらを選んだ、と考えられるのではないかと思います。 もちろん、の特性の出方によっては相手が言った言葉をそのまま受け止めて「帰るよう指示された」と理解して帰ってしまうケースもあるかもしれません。 が、児(者)だから言外の意図が汲み取れなくて帰ってしまう、というわけでは必ずしも無いのだろうということがこの先生とのやりとりからはわかります。 私自身も特性を自覚して生活していますが、「やる気が無いなら帰れ」と言われたとして相手が本当に帰れと言っているわけではないだろうということは理解できます。 また、うちの特性のあるうちの子たちもサッカークラブの指導の中で実際に言われた場面で帰らない方を選んだと聞いたこともありますし、逆に帰って来てしまったこともあります。 「やる気が無いなら帰れ」と言われて本当に帰ってしまうことは「言葉通り受け取ってしまう」という特性だから、ではないのかもしれません。 発言を受けても「帰れなかった」人たちの存在 あえてリンクは貼っていませんが、ふみきちさんのツイートを発端とするまとめではかなりの数の方が担任の発言に怒ったり、実際に言われたという自分の過去を振り返ったりしておられました。 たくさんの方の琴線に触れるトピックであったのだろうと思います。 なぜそんなにたくさんの方の琴線に触れたのか、なぜ炎上したのか、その答えを紐解く鍵が「発言の意図をわかった上で帰ることを選べなかった」方がたくさんいらっしゃることにあるのではないかと思います。 発言者が想定しているであろうやりとり 「やる気が無いなら帰れ!」という発言をする指導者が想定しているのは、恐らくはこういうやりとりです。 「やる気が無いなら帰れ!」 「いえ、やる気はあります!」 「じゃあもっと見せてみろ!」 「はい!」 or 「すみません、がんばります!」 「よし!」 で、生徒が自主的にやる気を出して頑張る そうやって突き放すことで相手の意欲を高める方法、としてこの手法が便利に使われてきたのかもしれません。 教育現場や職場で長く使われてきた過去とその背景 話題にしやすいトピックなのでしょう、以前私もハーネスのことで話題にしたことのあるテレビ番組の討論コーナーでも取り上げられていたことがあったようです。 この中では 「『上司の頭が冷えるまで』とか言う前に、なんでオマエが怒られたんだ? っていうところだろ!」 「絶対的に言えるのは、帰っちゃダメなんだよ! 何があっても仕事中に帰ったらダメ」 筆者もこれにまったく同感である。 確かに本来は、で何をやっているのか聞き、その答えに応じて具体的な注意をするのが理想かもしれない。 しかし「やる気がないなら帰れ!」という言葉の揚げ足取りをする前に、そもそもの怒られた理由を考えないのはなぜなのかと首を捻ってしまう。 「今の時代なら上司が悪い」「『帰れ』って言われたら帰る」 「『帰れ』って言わなくても(いいと思う)何がダメでどうしてほしいとか言われれば、頑張るんですけど」 「帰れ」という言葉をそのまま受け取ってしまう人は、素直で良い部分も多々あるのかもしれない。 しかし「この人はつまり、何を言わんとしているのか」と、状況から想像する努力を放棄しているともいえるのではないだろうか? これは学校現場ではなく職場を想定しているのでイコールで語ることはできないのですが、「やる気が無いなら帰れ」という言葉は「何がどうダメでどうすればいいのか」を端折るために便利に使われてきたことがわかります。 それを相手に働きかけて汲み取ろうとするのは言葉を発する上司の側ではなくて、教えを乞うべき部下の役目だと考えていることも透けて見えます。 この言葉がたくさんの方の記憶にあるようにこれまで学校を始めとする指導の場でも便利に使われて来たのはその、「教えてあげる側」である上司(教員)と「教えを乞う側」である部下(生徒・児童)の関係性が前提としてあること、双方がその力関係を理解して(もしくは抗えずやむを得ず受け入れて)いるからこそ成り立っていた言葉だったのかもしれません。 人間関係の変遷と価値観の変化 前述の記事の中にもあったように、今の時代には即さない言葉になりつつあるのを感じている方も少なからずいるのではないでしょうか。 記事の中でも街頭調査では「帰る方が悪い」と答えた人の方が多いのですが、上司の叱り方が悪いと指摘した層の大半は若い人たちの声だったようです。 ふみきちさんのツイートが使用されたまとめ記事が炎上した背景には、この若い人たちと同じように「叱り方に問題があるのでは」と思っている方が多かったことが考えられます。 私もふみきちさんのツイートをTLで見たときにはまずそれを思いました。 なぜそう感じるのか、その理由は、前述した人間関係の変遷にあるのではないかと考えます。 かつてのような絶対的な権力者・必ずつき従うべき歯向かってはならない存在としてのトップ(上司・先生・担任)と、従順に教えを乞うべき存在(部下・生徒・児童)という人間関係が既に崩壊しつつあること、特に学校現場では既にその力関係を利用した指導をすることは否定されてきている状況があります。 学校の中では教員は君臨する君主でも入門希望者が教えを乞うて集まる偉人でもなく、寄り添い指導する責務のある立場です。 児童や生徒は下僕でも先人に教えを乞う入門者でもなく、個々に寄り添った指導を受ける権利を持つ立場です。 まとめ炎上の背景 絶対的権力者である教員が「何を想定してそれを言っているか」を汲めている以上、たとえ表出している言葉が「帰れ」であってもそれに従ってならないぞという空気に歯向かうことはとても難しい。 腹の中に不満を溜めつつ、理不尽だと思いつつ、教員の「言外の意図」を尊重することを選ばざるを得なかった、その鬱屈した感情、過去の記憶が、あのまとめ記事が多くの方の琴線に触れることになった背景にあるのではないかと思います。 分かっていても帰ることを選べない空気があったこと、それが苦痛だったこと、教員に対して理不尽だと不満に思った記憶があったこと、それらがマイナスの記憶として残っていること…。 その記憶の蓋を開けたことが、あのまとめのアクセス数の多さとその中でわき起こっていた「担任が悪い」という流れの理由だったのではないかと思います。 「空気を読まない」特性と、読まなくてよくなっている空気 の特性がそう強くない方の多くは、場の空気を読んで自分の行動を選ぶことを自然と行う習慣が身に付いています。 教員がたとえ言葉の上でも「帰れ」と提示して「言葉通りに受け取って帰る」ことが自分の中に選択肢として現れたとしても、明らかなが存在する環境の中であえてそれを選ぶことはおそらくはそう簡単ではないはずです。 「当然帰らないよね?」という空気を感じたときにそれに抗うことは多分とても難しい。 また、先の見通しを立てることに長けている人はその抑圧を受けた段階で当然「帰った時にどうなるか」が想像できるでしょう。 相手をより怒らせて事態がめんどくさくなってしまう、それならここで折れといた方があとあと楽、という見通しを立てることができる。 しかし、の特性のなかでその「見通しを立てることが極端に苦手である」という困難を抱えている人たちも少なからずいます。 ゆえの特性が発動するのは実はそこらへんなのかな、と考えています。 発言の意図を汲めないのではなくて、「帰れ」という選択肢が自分の中に存在した時に周囲のに抗わずにそれを選ぶことに抵抗が少ない、そういう種類の「空気を読まない」特性、プラス「今帰ったらあとあとよりめんどくさくなる」という見通しを遠くまで立てるのが苦手という特性が発動されたときに、目の前の面倒な状況よりとりあえず帰ることを選んじゃう、という者(児)らしい行動が出てしまう。 それが、ふみきちさんが懸念していた「空気を読まず行動してしまう」の正体なのではないかと考えています。 そして、前述したとおり学校現場での教員と生徒の人間関係は確実に変化しています。 での指示ではなく、自分たちに寄り添った指示、その環境にいることに馴染んでいる子供たちにとっては、一部の教員が醸し出すその絶対的権力を利用するような空気を読む必要はなくなりつつある。 それでもふみきちさんが懸念するように、変わりつつあるといってもまだまだ社会のなかには蔓延している環境もあります。 学校の中でも、また今後社会に出ていった先でも「やる気が無いなら帰れ」という発言をする人に出会うかもしれません。 そのときにどうしていけばよいのか。 長くなったので一旦ここで区切って、次の記事では公立学校での現状と、将来的な対処についてふみきちさんや学校関係者の方に伺ったお話をまとめます。 suminotiger.

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