ハイ ジャック 事件。 ハイジャック

中国民航機ハイジャック事件とは

ハイ ジャック 事件

概要 [ ] 1970年(昭和45年)3月31日、発板付空港(現・)行きの日本航空351便(-89型機、愛称「 よど号」)が赤軍派を名乗る9人(以下、犯人グループ)によってハイジャックされた。 犯人グループは(北朝鮮)へする意思を示し、同国に向かうよう要求した。 よど号は福岡空港とのでの2回の着陸を経たあと、4月3日に北朝鮮の美林飛行場に到着。 犯人グループはそのまま亡命した。 運航乗務員を除く乗員と乗客は福岡とで順次解放されたものの、が人質の身代わりに搭乗し、運航乗務員とともに北朝鮮まで同行したあと帰国した。 なお、「よど号(淀号)」とは、ハイジャックされた機ので、当時の日本航空は保有する飛行機1機ごとに愛称をつけていた。 ボーイング727型機には日本のの名前があてられており、よど号の愛称はに由来する。 事件の背景 [ ] かねて赤軍派は、国内での非合法闘争の継続には後方基地(国外亡命基地)としての海外のベースが必要であると考え()、海外にメンバーを送り込む計画を立てていた。 ところが、(昭和45年)に赤軍派議長のがされる。 逮捕された際、塩見は「H・J( Hi Jackの意)」と書かれたハイジャック計画に関するメモを所持していたが、当時のはメモの「H・J」がハイジャックを意味するものだとは気づかなかった。 身辺にが及ぶことを恐れたをリーダーとする実行予定グループは、急遽に計画を実行に移すことを決定。 しかし飛行機に乗り慣れていなかった犯人グループの一部が遅刻したために計画を変更。 実行は4日後の3月31日に延期された。 事件の経過 [ ] 事件当日のJAL351便 [ ]• 使用機材:-89• :JA8315• このJA8315は日本国内航空がに導入した機体 (「羽衣号」の愛称があった)で、翌年に日本航空に路線ごとされていた。 日本国内航空が東亜航空と合併してとなったあとの(昭和47年)に返却され、「たかちほ号」として(昭和50年)初めまで使われ、その後日本国外のに売却された(後述)。 コールサイン:Japan Air 351• フライトプラン:発板付空港(現・)行• 乗員:7人• コックピットクルー:3人• :石田 真二(いしだ しんじ)• :江崎 悌一(えざき ていいち)• :相原 利夫(あいはら としお)• 客室乗務員:4人• 乗客:122人(うち人2人。 テロリスト9人を除く) ハイジャック実行 [ ] 1970年(昭和45年)3月31日、7時33分、発板付空港(現・)行きの351便が、上空を飛行中にや、などとみられるものを持った犯人グループによりハイジャックされた。 犯人グループは男性客を窓側に移動させたうえで、持ち込んだにより拘束し、一部は操縦室に侵入して相原を拘束、石田と江崎にに向かうよう指示した。 板付空港へ [ ] この要求に対し江崎副操縦士は「運航しているのは福岡行きの国内便であり、北朝鮮に直接向かうには燃料が不足している」と犯人グループに説き、給油の名目で8時59分に当初の目的地である板付空港に着陸した。 なお実際は予備燃料が搭載されていたため、平壌まで無着陸で飛行することが可能であった。 は国外を阻止すべく機体を板付空港にとどめることに注力し、給油を遅らせたりの戦闘機が故障を装い滑走路を塞ぐなどの妨害工作を行うが 、かえって犯人グループを刺激する結果になった。 焦った犯人グループは離陸をせかしたが、機長の説得によって戦闘機をどかせることを条件に人質の一部を解放することに同意。 13時35分に・・病人・高齢者を含む人質23人が機を降りた。 「北朝鮮」へ [ ] 同日13時59分、よど号は北朝鮮に向かうべく板付空港を離陸。 機長が福岡で受け取ったは中学生用のののみで、航路の線も引かれていない大変に粗末なものだった。 ただ、この地図の隅には「121. 5MCを傍受せよ」(MCとはメガサイクルの略。 現在のと同じ。 民間航空緊急用周波数)と書かれており、機長と副操縦士はこれに従って飛行した。 よど号はの東側を北上しながら飛行を続け、14時40分、進路を西に変更した。 この前後、突如よど号の右隣に国籍を隠したが現れる。 戦闘機の操縦士は機長に向かって親指を下げ、降下(または着陸体勢)に入るようにとの指示を行うと飛び去った(国籍を隠しておらず、章を表示したままの戦闘機が現れたという説もある)。 よど号は付近を飛んでいた。 実際にはよど号は北緯38度線を越えていたのだが、休戦ラインは完全に北緯38度線に沿っていないため、まだ韓国領の中にいた。 のちに誤情報と判明するが、この際に北朝鮮側から機体に対し対空砲火が行われたとの情報が飛び交った。 北朝鮮に入ったと考えた副操縦士は、指示された周波数に対してで「こちらJAL351便」と何度も呼びかけたが、なかなか応答が返ってこなかった。 その後、同機に対し「こちら平壌進入管制」というが入る。 無線管制は、周波数を121. 5MCから134. 1MCに切り替えるよう指示してきた。 これは、「理由のいかんを問わず、よど号をに着陸させろ」との直々の命令を受けていたの管制官が、北朝鮮の航空管制を装ったものであった。 機長の石田は周波数が圏で使用するものであったことから無線は平壌からでないことを悟り、副機長の江崎もソウルから平壌に無線が切り替わったはずなのに管制官の声が酷似するなど不自然な点が多くソウルに誘導されていると感じていたが、そのまま管制の指示に従って徐々に進路を南に変更した。 犯人グループは、亡命希望先の北朝鮮のであるはおろかもほとんど理解できなかったため、これらのやりとりに対して疑問を呈することはなかった。 ソウルへ着陸 [ ] 金浦国際空港 では、よど号が到着するまで8時間弱の間に平壌国際空港に偽装する工作が(KCIA)によってなされていた。 KCIAは急遽北朝鮮国旗を用意し、駐機中の韓国や欧米の飛行機は離陸させられ、韓国企業のマークが入った車両は黄色くペンキで塗りつぶされた。 15時16分、同機は管制の誘導のもと「金浦国際空港」に着陸する。 韓国兵は兵士の服装をして、「平壌到着歓迎」のを掲げるなど、犯人グループの目を欺き韓国内で事件を解決させようと企図された。 しかし犯人グループの一人が金浦国際空港内に機などが駐機しているのを発見し異常に気づく(この点については、「航空燃料タンクの商標」「のロゴのついた給油トラック」「犯人グループが持っていたをつけたらやが流れた」「に乗ったの兵士がいる」「の車が動いている」「北朝鮮の職員に偽装した韓国の警官が、『日本のが待っています』と発言した」など、諸説ある)。 さらに犯人グループは機体に近づいてきた男性に「ここはピョンヤン(平壌)か?」と尋ねた。 男性は「ピョンヤンだ」と答えたが、犯人がさらに北朝鮮におけるについて質問したため、答えに窮してしまう(「九カ年計画の三期目と答えた」との説もある。 また、ほかの軍人に「ここはソウルか?」と尋ねたところ、事情を知らないその軍人は「ソウルだ」と答えた。 こうした食い違いは、当事者の少なさやその当事者の後日談による部分が多いためだと考えられる)。 これを見た犯人は、畳みかけるように「キン・ニチセイ 」()の「大きな」を持ってくるように要求したが、北朝鮮の敵国である韓国においてこの写真は当然用意することもできず、犯人グループは偽装工作を確信する(写真の件については諸説あり、用意できたという説もある)。 交渉 [ ] 着陸したのが金浦国際空港であることが犯人にわかってしまった後、韓国当局は犯人グループと交渉を開始。 韓国に来てしまった犯人グループは即座に離陸させるように要求したものの、韓国当局は停止したを再始動するために必要となるスターター(補助始動機)の供与を拒否。 この結果、よど号は離陸することができなくなり、事態は膠着する。 管制塔から「一般客を下ろせば北朝鮮に行くことを許可する」との呼びかけも行われ 、犯人グループは強硬な態度を保ったものの、などの差し入れには応じた。 また、31日の午後には日本航空の特別機が運輸政務次官ら関係者や日本航空社員を乗せて羽田空港を飛び立ち、未明にソウルに到着。 の(チョン・ネヒョク)や(ペク・ソニョプ)、朴璟遠(パク・キョンウォン)とともに犯人グループへの交渉にあたることになった。 膠着状態 [ ] このあと、よど号の副操縦士が犯人グループの隙を見て、機内にいる犯人の数と場所、武器などを書いたをコックピットの窓から落とし、犯人のおおよその配置が判明した。 韓国当局はこの情報を基にによる突入を行うことも検討するが、乗客の安全に不安を感じた日本政府の強い要望で断念する。 日本政府は、や社を通じて、よど号が人質とともに北朝鮮に向かった際の保護をに要請した。 これに対して北朝鮮当局は「に基づき、もし機体が北朝鮮国内に飛来した場合、乗員および乗客はただちに送り返す」と発表し、も同様の見解を示した。 しかし、韓国にとって、前年に発生したの乗員乗客がこの時点で解放されていなかったこともあり、よど号をその二の舞として人質の解放がなされないままに北朝鮮に向わせることは、絶対に避けなければならないことであった。 日本政府はさらに、犯人グループが乗客を解放した場合には、北朝鮮行きを認めるように韓国側に強く申し入れ、韓国側は最終的にこれを受け入れた。 なお、よど号には日本人以外の外国籍の乗客としてアメリカ人も2人搭乗しており、北朝鮮に渡った場合、「敵国人」であるアメリカ人がに比べて過酷な扱いを受ける懸念があったため、が善処を求めている。 乗客解放 [ ] 1日午後にはもソウルへ向かい 、金山政英駐韓らとともに韓国当局との調整に当たった。 数日間の交渉を経たに、山村新治郎運輸政務次官が乗客の身代わりとして人質になることで犯人グループと合意。 犯人グループの1人であると山村が入れ替わる形で乗り込む間に乗客を順次解放し、最終的に地上に降りていた田中と最後の乗客1人がタラップ上で入れ替わる形で解放が行われた。 また、乗員のうちも機を降りることが許された。 解放された人質は、日本航空の特別機の-62(JA8040、飛騨号)で福岡空港に帰国したが、この際にアメリカ人乗客1人が日本に戻らず韓国にそのまま降りている。 なお犯人側から山村政務次官の身元についてのに証明を行ってほしい旨の依頼があり、やの同意のもとに阿部議員がソウルに渡り 、「山村政務次官」が本人であることを証言した。 このときの情勢について、首相は「国民も各方面でいらいらし、韓国も嫌な北鮮ではあるが、暴力学生相手に約百名の乗客の生命を守るためには北上亦やむなしと云ふ気持ち。 関係者はずい分苦労した様子」と日記に綴っている。 北朝鮮へ [ ] 平壌国際空港 4月3日の18時5分によど号は金浦国際空港を離陸、軍事境界線を越えて北朝鮮領空に入った。 機長はこの時点でもなお、まともな地図を持たされておらず、北朝鮮領空に入ったあとも無線への応答や機によるもなかった。 を目指して飛行を続けたものの、夕闇が迫ってきたため、機長は戦時中に夜間特攻隊の教官をしていた経験 を生かし、肉眼で確認できた小さな滑走路に向かい、19時21分に着陸した。 この滑走路は平壌国際空港から南南東に約25km離れた、平壌市にある ()だった。 対応した北朝鮮側は武装解除を求めたため、犯人グループは武器を置いて機外へ出た。 なお、武装解除により機内に残された日本刀・拳銃・爆弾などは、すべておもちゃや模造品であったことがのちに判明した。 よど号に乗っていた犯人グループ9人、乗員3人、人質の山村の計13人の身柄は北朝鮮当局によって確保された。 が19時30分から放送した「よど号の乗客帰る」 は・調べで43. 亡命受け入れ [ ] よど号が到着したあと、北朝鮮側は態度を硬化させ、「乗員や機体の早期返還は保証できない」と表明。 日本政府がなすべきことをせず、自分たちに問題を押しつけたとして非難した。 また犯人グループと乗員、山村政務次官に対しては公開による尋問が行われ、長期間の抑留が想定される厳しい状況になった。 ただし、乗員と山村に対して行われた尋問は形式だけのものであり、のと個室が与えられたうえで(「休みたい」という本人たちの意思は無視されたものの)、鑑賞が用意されるなどのもてなしが提供された。 、北朝鮮は再度日本を非難をする一方で、「人道主義的観点から機体と乗員の返還を行う」と発表。 同時に「飛行機を拉致してきた学生」に対し必要な調査と適切な措置をとるとして、犯人グループの亡命を受け入れる姿勢を示した。 これを受け、日本政府は北朝鮮に対し謝意を示す談話を発表。 佐藤首相の日記でも「一同おおよろこび。 北鮮の厚意を感謝する」とある。 乗員らの帰国 [ ] 翌日早朝、乗員たちは出発準備のために美林飛行場へ移動する。 ところが、北朝鮮にはボーイング727に対応するスターター(補助始動機) がなかったため、一時は出発が危ぶまれた。 日本航空は経由でエンジンスターターを届けるべく手配を開始したが、最終的には圧縮空気ボンベを現地で調達し、車両用のバッテリーで機内のバッテリーに充電を行いエンジンが始動できた。 空港を離陸したよど号は、北朝鮮側から飛行経路を指示されそのエリアを通過後、日本国内上空からよど号を呼ぶ日航機を経由して無線で脱出を報告。 直接羽田へ向かうことを連絡した機長、副操縦士、航空機関士、山村政務次官の4人を乗せて帰路に就き、上空を経由し羽田空港に到着。 空港では大臣ら関係者が出迎え 、彼らが無事に帰国したことにより事件は一応の収束を見た。 この日の朝にNHKが放送した報道特別番組はビデオリサーチ・関東地区調べで40. 赤軍派とハイジャックの目的 [ ] (44年)8月に結成されたは、前段階蜂起—世界革命戦争というを掲げる「戦争宣言」を発し、「」や「」と称してやへの襲撃を繰り返した。 同年のには、当時の襲撃のためのを目的に、(現・)のに結集していたところを摘発され、政治局員数人を含む53人が逮捕()。 翌年の(昭和45年)には赤軍派議長のもされる。 幹部が逮捕されて組織が弱体化した赤軍派は、1969年(昭和44年)12月から1970年(昭和45年)1月にかけ、「に武装根拠地を建設して世界革命根拠地国家に転換させ、におけると日米の革命戦争を結合して単一の世界革命戦争に推し進める」とする「」を打ち出す。 北朝鮮が選ばれたのは、北朝鮮の体制を支持していたからではなく、もっとも身近にある「と敵対関係にある国」だったからにすぎず、赤軍派の意図によると、北朝鮮を赤軍派の軍事基地として変革(北朝鮮革命)するつもりだった。 しかし、すでに逮捕状が出されており合法的な出国は不可能であったため、渡航手段として民間の乗っ取りが決まった。 また、北朝鮮の関係組織であると連絡を取っていたわけでもなかった。 なお犯人グループは出発時に「われわれは明日、羽田を発(た)たんとしている。 われわれは如何なる闘争の前にも、これほどまでに自信と勇気と確信が内から湧き上がってきた事を知らない。 ……最後に確認しよう。 われわれは明日のジョーである」(ママ)という声明文を残している。 「明日のジョー」(正しいタイトルは『』)は高森朝雄()原作、画の作品で、(昭和43年)から(昭和48年)まで『』に連載された。 犯人グループは自分たちを主人公・になぞらえ、「燃え尽きるまで闘う」と言うことを主張したといわれる。 ちなみに版『あしたのジョー』第1話の放送は1970年(昭和45年)。 まさに事件のただ中であった。 なお、田宮は乗客との別れの際に別れを主題にしたを謡い、乗客の一人が返歌として『』を歌った といわれている。 その後 [ ] この事件は日本初のハイジャックであり、教訓として同年に(ハイジャック防止法)が制定された。 ただしのにより犯人グループが帰国した場合、この法律は適用されず、「機体という財物」や「航空運賃という財産上の利益」に対するや、乗員乗客に対するに問われる。 なお国外していることから第255条の規定により、は停止している。 その後、犯人グループは合意による帰国を求めているが、はこれを認めていない。 また、日本刀・拳銃に模造品が使われたことから、模造拳銃の所持および模造刀剣類の携帯をそれぞれ禁止し、刑事罰を規定する改正案が1971年(昭和46年)に可決された。 実行犯グループ [ ] 詳細は「」を参照 北朝鮮に渡った実行犯グループらは、メディアから「」と呼ばれている。 到着当初は「を進める同志」として北朝鮮政府から手厚い歓迎を受けたが、当時の世界情勢から照らし合わせても荒唐無稽と思われる「北朝鮮の赤軍化」という目的は即座に否定され、による徹底的な教育を受けたといわれている。 さまざまな証言からへの関与が確実視される者もいるが、現時点では詳細は不明な点が多い。 現在、グループのメンバーはによりされている。 その後、・・の3人は北朝鮮国内で死亡したとされるが、不審な点も指摘されている。 またとの2人は日本に帰国したあとにで有罪判決を受け、服役。 柴田は刑期満了による出所後の(23年)に内のアパートで、田中は(平成19年)に服役中に、それぞれ死亡した。 現在、北朝鮮にいるのは・・・の4人。 現在はアカウントやホームページ「よど号日本人村」を開設し、日本人拉致の冤罪・日本への帰国を求める主張を行っている。 国内の赤軍派 [ ] 実行犯グループには加わらなかったものの、ハイジャック計画を共謀したとして赤軍派幹部の、、、、らが事件後にされている。 裁判では塩見に懲役18年、高原に懲役10年、前田に懲役8年、上原に懲役5年6か月、川島に懲役4年の実刑判決がそれぞれ確定している。 乗客・乗員 [ ] 乗客 [ ] 韓国で解放された乗客は日本航空の特別機で日本へ帰国したが、乗客の1人であったアメリカ人はこの特別機に搭乗せずにソウルで一泊し、翌4日に日本に到着した。 解放後一時的に韓国へ入国したものと推測された。 事件発生直後、米国人乗客の1人が重要任務を担っているとして、平壌行きの回避を要請する米当局者からの電話が日航幹部に入ったと言われ、神父の身代わりになると申し出る米国人が3人も相次いで現れるなど不自然な動きもあり 、正式な日本出国を経ないままだった上に、どうやって事件後韓国に入国したのかも明らかにされておらず、日本政府にも日本航空にもその行方が知らされなかったため、「(CIA)のエージェントではないか」など疑念を呼んだ。 なお事件後、幼児2人を除くすべての乗客に対し日本航空から「お見舞金」が支払われた。 事件当日は福岡で総会が行われる予定であったため、乗客にはが多く含まれていた。 この医師らは、福岡で「病人」との理由で解放されることになる人質の選定に協力した。 なお、その中に院長のや内科医長のがいた。 日野原の著書によれば、を過ぎたころ、客席側にいた犯人グループの一人が乗客に対し、「自分たちが持ち込んだ本をもし読みたければ貸し出す」と言ってきた。 その本は、赤軍派の機関紙『赤軍』、全集、の伝記、の伝記、『』、の伝記、の詩集、『』などであった。 ただ、実際に乗客の中で犯人から本を借りたのは、『カラマーゾフの兄弟』を借りた日野原のみであったという。 当時の学生であったは、郷里の福岡に帰るため当該便の搭乗券を購入していたが、前日の夜に仲間と酒を飲んだ影響で搭乗することができず、難を逃れている。 また、この旨を記した手紙を当時舛添は自分の親に宛てて送付しているが、この手紙はよど号で福岡に届けられる予定であった。 後日、舛添本人のもとに返送されてきている。 なお乗客の中の1人は1977年(昭和52年)のによる機に乗り合わせ、二度もハイジャックに遭遇することになった。 機長 [ ] よど号の機長であった石田真二は、帰国後に勇敢な操縦士として持ち上げられ、時の人となるが、プライベートなトラブルを週刊誌に書き立てられた結果、日本航空を退職することになってしまった。 晩年は夜間の駐車場警備員を務め、2006年(平成18年)8月13日に他界した。 副操縦士と機関士 [ ] 操縦士江崎悌一と機関士相原も帰国後は機長と同じくマスコミに賞賛された。 その後も日本航空の副操縦士と機関士として乗務を続け(江崎はのちに機長に昇格)、のちに定年退職した。 運輸政務次官・山村 [ ] 運輸政務次官は、乗客救助の功によりを受賞した。 この件により一躍郷土のとなり、「男・山村新治郎」のキャッチフレーズで当選を重ね、のちにやを歴任する。 (平成4年)、自民党訪朝団長として北朝鮮への訪問を翌日に控えるなか、を患っていた次女により刺殺された。 管制官 [ ] 韓国政府は2006年の公開文書でよど号の金浦空港着陸について「老練な石田真二機長の計画的かつ恣意による着陸だった」と結論づけ、事件への主体的な関与を否定している。 しかし、上述のとおり、実際にはよど号が着陸先を変更したのは韓国空軍の管制指示によるものであることはほぼ明らかである。 指示を直接出した管制官は韓国空軍のエリートであったが、事件について口外しないよう命令され、さらにその後軍を辞めさせられた。 退職後は不遇をかこつが、事件から20年後、司令部の高官の計らいにより(DMZ)の土産物屋で生計を立てられるようになった。 そのため同機につけられたボーイング社によるカスタマーコードは日本国内航空を示す「89」であった。 事件後、「よど」の愛称が廃止された。 また、ボーイング747型機導入を機に採用された垂直尾翼に鶴丸を描いた塗装に変更され、東亜国内航空への返却まで使用された。 なお日本国内航空時代の愛称は「羽衣号」であったが、日本国内航空と東亜航空が合併したあとに発足したへの返却後は「たかちほ」の名で運航された。 この機体は1976年にへ売却されたあと、1990年代に入ってからはやなど世界各国へ転売が繰り返され、最終的に2004年8月、にあるコーザ航空()に売却、のをベースにVIPフライト機として使用されていた(機体記号 )。 しかし2006年ごろにコーザ航空が倒産して以降、コンゴ民主共和国内の空港に放置され、その後2012年に現地でされた。 なおアメリカでチャーター機として使用されていたころ(機体記号N511DB)、映画『』の中でチームが移動する際にチャーターした機体として使用されている。 当事件をモデルとした作品 [ ]• よど号ハイジャック事件史上最悪の122時間 日本テレビ 2002年9月23日• 池上彰の現代史を歩く あの大事件SP よど号ハイジャック事件 テレビ東京 2019年6月24日 その他 [ ] よど号の中には危篤の父親の最期に立ち会うため郷里に向かう乗客がいたが、降機を許されず、父親は4月1日に息子の帰りを待ちわびながら他界した。 金浦空港の管制塔を通して犯人グループに「せめて3日の葬儀に間に合うように、飛行機から降ろしてほしい」との遺族の要望が伝えられたが、拒絶された。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• このためは日本国内航空を示す「89」になっている。 日本赤軍とのわが「七年戦争」 ザ・ハイジャック. 文藝春秋. 15-49• 佐藤栄作日記〈第4巻〉. 朝日新聞社. 62-66• 西日本新聞ニュース 2019年11月18日. 2019年12月25日閲覧。 では特別番組「よど号の乗客かえる」表記。 21時30分まで放送。 引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争—そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、108ページ、227ページ。 ボーイング727はエンジンスターター用のAPU が付いていないため、補助始動機が必要。 『全記録 テレビ視聴率50年戦争—そのとき一億人が感動した』108-109ページ、227ページ。 『「よど号」事件122時間の真実』 2002年 127ページ• 2008年6月13日• 『朝日新聞』「最後の一人、羽田着 乗取機の乗客「よど」平壌着」1970年4月5日東京朝刊14頁• 『読売新聞』「ソウル残留の米人神父帰日/日航機よど号ハイジャック事件」1970年4月5日朝刊14頁• 『読売新聞』「よど号の見舞い金」1970年4月9日朝刊14頁• 日野原重明『働く。 社会で羽ばたくあなたへ』(冨山房インターナショナル、2010年)114-115ページ 参考文献 [ ]• 島田滋敏『「よど号事件」30年目の真実—対策本部事務局長の回想』草思社 2002年• 田中義三『よど号、朝鮮・タイそして日本へ』 2001年• 高沢皓司『宿命「よど号」亡命者たちの秘密工作』 1998年• 高沢皓司『さらば「よど号」!』 批評社 1996年• 八尾恵『謝罪します』文藝春秋 2002年 関連項目 [ ]• - よど号の乗客。 - ハイジャックの計画は同駅近くの喫茶店で行われた。 - 韓国への事件協力の謝礼として、日本が韓国初の地下鉄に技術協力し、事件の4年後に開業した。 - 第1期第53話が本事件のの影響で放送休止となり、第74話で本事件をネタにした回が制作された。 外部リンク [ ]•

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憲法判例 よど号ハイジャック新聞記事抹消事件の概要と判決の趣旨をわかりやすく解説

ハイ ジャック 事件

大韓航空のYS-11 同型機 出来事の概要 日付 概要 による 現場 ・ 乗客数 47 乗員数 4 負傷者数 (死者除く) 0 死者数 0 生存者数 51 全員 機種 運用者 KAL HL5208 出発地 目的地 テンプレートを表示 大韓航空機YS-11ハイジャック事件(だいかんこうくうきYS-11ハイジャックじけん、: 칼기납북사건/칼機拉北事件)は、に(KAL)のが(北朝鮮)のによってされたである。 この事件は、のに次ぐ史上二番目の政治的な航空事件であり、翌70年のに対する韓国当局の対応にも影響を与えた。 また、事件後に一部乗客が北朝鮮から帰郷を果たせなかったことから、であるといえる。 なお、この事件により、製造元のが大韓航空にリースしていたの国産旅客機が北朝鮮に強奪された。 事件の概要 [編集 ] ハイジャック [編集 ] 、韓国国内線として運航されていた発行きの大韓航空機(日本航空機製造YS-11:HL5208、製造番号2043)は、ほぼ満席の乗客47人と乗組員4人を乗せて午後12時25分()に離陸した。 しかし、大関嶺上空でハイジャックされ、午後1時18分に北朝鮮の付近のに着陸した。 北朝鮮当局は事件の翌日、操縦士2人の記者会見を通して「両操縦士がすすんで北朝鮮に脱出した」と発表した。 しかし実際には、北朝鮮諜報部門による工作であったといわれている。 交渉 [編集 ] 事件後、北朝鮮はこの事件で人質となった乗員・乗客を政治的交渉のカードとして扱おうとした。 事件後の同年、の要請によりで「軍事停戦委員会秘書長会議」が開かれ、国連軍側は乗客・乗務員及びに機体の早速な送還を要求した。 しかし、北朝鮮側は国連軍の介入する問題ではないと主張して人質外交を展開する予兆を現わし、「したはずの操縦士」以外の乗員乗客をただちに送還する姿勢を見せなかった。 韓国側も、の仲裁による交渉に乗り出そうとしたが、北朝鮮側はそれを黙殺し、同年には、むしろ「操縦士歓迎市民大会」を開いて政治宣伝を行なった。 だが、ハイジャック事件の長期化に対する国際世論が悪化すると、事件から55日(約2ヵ月)後のに、北朝鮮は民間団体による送還交渉団体の結成が提議をしている途中で、民間人乗客の送還を約束した。 しかしその後、南北当局による事件処理をめぐり一触即発の危機的状況になると、北朝鮮は送還予定日当日に約束を破った。 未帰還の被害者 [編集 ] 事件から66日目のになって、搭乗者のうち乗客39人(男性32人、女性7人)は経由で送還されたが、残り11名は北朝鮮に抑留されたままとなった。 2019年現在に至るまで、犯人を除く乗員4人と乗客の7人の計11名は帰還せず、機体も返還されていない。 そのため彼ら11名は韓国政府からとして認定されている。 事件の真相 [編集 ] 北朝鮮側は操縦士による「亡命」を主張しているが、解放された乗客の証言や韓国当局の発表によれば、乗客として一番前の席に座っていた北朝鮮スパイの趙昶煕(当時42歳)が離陸後機長室に侵入し、機長にを突きつけ北朝鮮に向かうように脅迫したというものである。 目的等は不明であるが北朝鮮による拉致工作だったと思われる。 事件のその後 [編集 ] 翌年発生したでは、犯人グループが乗客と乗員を乗せたままソウルからへ向かうことを希望したものの、韓国当局が平壌への飛行を強く拒絶したのは、この事件のように犯行グループばかりか機体及び乗客乗員が拉致されると危惧したためである。 またには南北の再会で、ハイジャック機に搭乗していたの女性と母親が32年ぶりに再会したが、北側が「自らしてきたもの」と主張しているため、事件の真相などに関わる話題については会話出来なかったという。 なお、乗員4人の生存は確認されたが、乗客7人の生死は不明のままである。 ハイジャック機について [編集 ] ハイジャックされた日本航空機製造YS-11(機体記号HL5208)はリース機であり、航空機登録上は大韓航空が使用できるように韓国籍にされていたが、所有権はメーカーである日本航空機製造が持っていた。 この機体は製造番号2043号(通算43号)で、に初飛行(機体記号JA8682)し、8月にのクルゼイロ航空にリース(機体記号PP-CTC)され12月に同じくブラジルのVSP航空に短期間リースされた後に日本航空機製造に返還され、1969年7月から大韓航空にリースされていた。 そのため落成後日本で運行されたことの無い機体であった。 機体が北朝鮮に強奪された為、所有者の日本航空機製造に損失が生じたが、大韓航空は被害者であり請求することもできず、また北朝鮮政府からは損失補償される見込みもないため、代金の取立て不能とみなされによって所有者の日本航空機製造に対して損失補填されたという。 その後のYS-11については事件以後長らく明らかでなかったが、2007年に著された北京市科学技術委員会の技報により、1973年から1974年にかけて、の整備工場である101廠(101工場。 現在の北京飛機維修工程有限公司)に運び込まれ、大規模な修理が行われていたことが判明した。 それによると、長年地上に放置されていたと思われる機体は、オイル漏れのほか、オーバーヒートによるエンジンの基幹部の損傷や部品の損耗劣化が激しかったが、4,000時間を超える修理や検査、改造により、1974年6月に北朝鮮から派遣された要員による検収を経て、北朝鮮側に引き渡された。 ただし、それ以降の消息や使用用途については依然不明のままである。 脚注 [編集 ] [].

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全日空857便ハイジャック事件

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> > 憲法判例 よど号ハイジャック新聞記事抹消事件の概要と判決の趣旨をわかりやすく解説 憲法判例 よど号ハイジャック新聞記事抹消事件 (最判昭和58年6月22日) 事件番号 昭和52 オ 927 反戦デモに参加したXは、 凶器準備集合、公務執行妨害罪で起訴され、 東京拘置所に拘留、収容されていたときに 私費で読売新聞を購入して読んでいました。 新聞に、よど号ハイジャック事件に 関する記事が掲載された時に、 拘置所長が、監獄法令の 「犯罪の手段、方法等を詳細に伝えたもの」 に該当するものとして、 この記事のところを墨で塗りつぶしてから、 Xに配布しました。 そこでXは、 新聞記事の抹消の根拠となった監獄法令は、 憲法19条・21条に違反するもので、 墨消しの処分も違憲であると主張して、 国に対して国家賠償請求訴訟を提起しました。 第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他 一切の表現の自由は、これを保障する。 2 検閲は、これをしてはならない。 通信の秘密は、これを侵してはならない。 最高裁は、 「未決拘留されている者は、 拘留関係に伴う制約以外は、 原則として一般市民として 自由を保障されるべきで、 新聞や図書の閲読の自由を制約するとしても、 監獄内の規律及び秩序の維持のために 必要と認められる限度にとどめられるべきである」 として、 「この制約が許されるには、 新聞、図書の閲読を許すことによって 規律及び秩序が害される 一般的、抽象的なおそれがあるというだけでは足りず、 被拘禁者の性向、行状、監獄内の管理、 保安の状況、新聞の内容その他、 具体的事情のもと、 その閲読を許すことにより、 監獄内の規律及び秩序の維持上 放置することのできない 程度の障害が発生する、 相当の蓋然性があると 認められることが必要であり、かつ、 その場合においてもこの制約は、 障害発生防止のために必要かつ合理的な 範囲にとどまるべきものと 解するのが相当である」 として、 この判断は、 監獄長の 裁量的判断を尊重するとしました。 要するに、 新聞、図書を読むことに制約をかけるには、 それぞれ具体的事情を考慮する必要があり、 制約をかけなければ、 監獄内の規律や秩序が乱れることが、 かなり高い可能性として考えられる場合に、 必要限度の範囲内で制約ができるということです。 これを聞くと、なかなかハードルの高い条件で、 よっぽどの事がない限り、新聞や図書の閲読に 制約をかけることはできないんだろうなという印象ですが、 今回の事件では、 監獄長の処分に裁量濫用の違法はない と判断されています。 全文は 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 ・ ・ ・ ・ ・ スポンサードリンク 関連記事• PV数ランキング• 民法初学者の部屋(民法総則・物権・債権総論) これから法律を勉強したい方、興味があるけど 何から手をつければいいのかわからないという方に向けて、 指針を示... 行政法総論(行政法の一般的な法理論) ・補助機関・執行機関・監査機関・参与機関・諮問機関とは? ・許可・特許・認可の違い ・不可争力・不可変更力とは... リラックス法学部 >リラックス解説 > 「又は」と「若しくは」、「及び」と「並びに」の違い 「又は」と「若しくは」 「又は」と「若しくは」は... 憲法の判例についてわかりやすく解説します。 ・マクリーン事件 憲法21条1項・外国人の人権 ・定住外国人地方選挙権訴訟 外国人の地方参政権 ・東京都管... 法令用語や、言い回し、わかったようでわからないモヤモヤしがちなところを リラックスヨネヤマが限界まで噛み砕いてわかりやすく解説します。 ・憲法判例 ・民法判例 条文別 ・民法判例 事例別 総則 ・民法判例 事例別 物権 ・民法判例 事例別 債権 ・民法判例 事例別 相... ・民法【総則】試験対策・要点まとめ ・民法【物権】試験対策・要点まとめ ・民法【債権】試験対策・要点まとめ... リラックス法学部 >民法をわかりやすく解説 > 法定地上権をわかりやすく解説 わかったようでわからない法定地上権を リラックスヨネヤマが限界まで噛み... リラックス法学部 >憲法判例>わかりやすい憲法判例 朝日訴訟(生存権)の概要と判決の趣旨をわかりやすく解説 わかりやすい憲法判例 朝日訴訟(生...

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