失っ て も 失っ て も 生き て いく しか ない ん です。 生きる糧を失った時はどうしたら良いのですか? 日々の喜び、幸せを感

「好きなことだけで生きていく」の裏にある弊害

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新型コロナウイルスの影響で、人々の 生き方が変わり始めたと感じています。 今まで当たり前だと思っていた日常が、実はそうではないことに気づいたからでは。 これは私自身にも言えることです。 また私は2年前にも、夫を失って初めて気づいた 幸せがありました。 今回は家族を失ったこととコロナによって私が感じた本当の幸せについて、お話したいと思います。 コロナによって意識が変わる人が増えている 新型コロナウイルスの流行は、ただの災害ではないと思っています。 で、よく同じことをおっしゃっています。 コロナをただの災害や不幸と捉えないで、来るべくして来たと考えようと。 またコロナは一過性のものではないから、長期的に付き合っていく覚悟が必要だとも。 新型コロナウイルスの流行で、意識が変わってきた人が増えていると感じています。 コロナによって、強制的に生き方そのものを変えさるを得ない状況になっているのでは。 仕事の形態や暮らし方、人間関係などを見直す人が増えています。 仕事に関しては、一時的でもテレワークに移行する企業が増加中。 これまで会社に通勤するスタイルだったのが、在宅勤務になった方も多いのでは。 都内に住む私のので、その点では安心しています。 何が自分にとって一番大事なのかに気づいて、暮らし方を変える人も増える気がします。 50代の私はコロナによって、残りの人生を過ごしたい場所に気づきました。 具体的には、と思うように。 コロナ問題がなければ、おそらくわからなかったことです。 人間関係については、ミニマリストしぶさんの言葉が分かりやすいですね。 こんな時に飲みに誘う友人とは距離を置くというのは、大変納得します。 非常時こそ人間性があらわになるので、人間関係を見直すいいチャンスでは。 失って初めて気づいた幸せ 私自身好きな時に買い物や遊びに行けたことがどんなにありがたいことか、今さらながら実感しています。 現在のように、自由を制限されるのはとても辛いですね。 正直ストレスを感じています。 私の場合、コロナ以前にも失って初めて気づいたことがありました。 それは、当たり前だと思っていた家族との時間。 実は貴重な宝物だったなと、つくづく思っています。 離婚した夫や娘たちと過ごした時間。 死別した2人目の夫との田舎暮らし。 当時はこれが幸せだとはあまり思わずに、ただなんとなく過ごしていたんですよね。 今思うととてももったいなかったし、今なら一瞬一瞬が愛おしいとさえ感じます。 幸せというものは、お金持ちになることや人から評価されることではないと痛感。 自分が穏やかな気持ちでいられることこそが、本当の幸せなのだと最近やっと気づきました。 なんでもないような家族との会話や些細なことで笑ったことなどが、しみじみと懐かしく思い出されます。 2度と戻らないからこそ、余計キラキラと輝いて見えるのかもしれません。 今一番寂しいのは、話し相手が家にいないこと。 パートナーでも娘でもいいから、話したい時に話せる相手がいることがどんなにすばらしいか、身に沁みて感じています。 それでも以前に比べて、穏やかな気持ちで過ごせる時間が増えたように思います。 さらに コロナのおかげで、今までの暮らしがどんなに恵まれていたのかにも気づくことができました。 毎日ご飯が食べられて、雨風をしのげる家がある。 信頼できる友人や知人がいて、好きな時に好きな場所に出かけられる。 お気に入りのものに囲まれて暮らせる。 それだけで十分幸せだなと。 ますます物欲が減ってきた気がします。 極限まで持ち物を減らすことは、ミニマリストを意識し始めた頃から憧れていましたが、さらに拍車がかかった感じ。 ミニマリストしぶさんのような部屋になるのは正直厳しいのですが、自分らしいミニマルな部屋を目指したいと思います。 私も実際に、孫のいる高知への引越しを検討中です。 数日前に孫の母親である長女にその話をして、一歩前進したかなと。 娘に高知移住の話をしたことは、後日詳しくご紹介します。 ただパートナーが見つかれば、必ずしも高知とは限りませんが。 とにかく失った幸せが再び手に入るようなことがあれば、今度こそしっかり噛みしめたいと思っています。 皆様はコロナを機に、何か変わったことはあるでしょうか。 この記事が少しでも、考えるきっかけになればうれしいです。 ohitorisamazanmai.

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〈失っても失っても 生きていくしかないです〉読書感想:『鬼滅の刃 2』 (ジャンプコミックス)

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スポンサーリンク 3年前に「好きなことだけで生きていくぞ〜!」と意気込んで、しました。 最初は苦戦したものの、なんとか生きていけるようになって、ある時期までは 「好きなことで生きていくの最高じゃん!もうやりたくないことは一切やらずに生きてこ!」と思っていました。 きっとこれは多くの人がそう思ってて、そういう生き方こそが最高の幸せだと信じているかもしれません。 ただ、最近そうとも言い切れない部分があるなと気づいたのです。 なぜなら、 「自分の人としての器を広げてくれたのは、大体人からの無茶振りか、しんどい仕事だったから」です。 好きなことだけやると、ある程度未来を予想できてしまう たしかに好きなことばかりに囲まれて生きるのは楽しいし、幸せです。 そこは否定しません 笑 世の中の、好きなことだけを極める人の姿はとてもかっこよく見えるし、それもひとつの潔さです。 ただ、 「自分が好きかどうか」をすべての行動基準におくと、ある程度予想される未来しかやってこないのです。 もちろん好きなことを極める過程で予想外のことはたくさん起きると思いますが、大体の道筋とか、「こうやったらこうなるだろう」というイメージはなんとなくついている。 だから、もしかしたら「自分が好きかどうか」だけを基準にして動いていたら、 想像もしなかったような場所に行き着く可能性を失っているかもしれないってこともあり得るのです。 スポンサーリンク 好きなことができない人生は不幸なのか? そしてもし、物理的な状況で好きなことをやれなくなった場合、その人は何もかも失うということにもなりかねません。 たとえば料理が大好きで、とにかく料理だけを極めている人が、もし怪我とかをして両手が使えなくなったとしたら、その人は「好きなことができない人生」を送ることになります。 「好きなことだけで生きていくのが幸せ」だとしたら、好きなことができなくなった人生は不幸なのでしょうか? 料理だけじゃなくブログだって同じです。 もしわたしが「大好きなブログだけで生きていく!それこそが幸せ!」と思っていたら、両手が使えなくなってブログが書けなくなったとしたら、その先ずっと不幸な生き方しかできないのでしょうか? (今だったら音声入力という手段があるかもしれませんがw) わたしは、ブログが書けなくなって好きなことができなくなったとしても幸せだと、今は思います。 たしかに好きなことができる人生は幸せかもしれません。 が、そこだけに価値を置くと、それができなくなったときに「自分の人生には価値がない」と思ってしまう。 人は、頼まれごとで成長する 実業家の中村文昭さんが 「頼まれごとは、試されごと」という言葉を使っていて、その通りだなぁと思ったんですが、 わたし自身も、人に無茶振りされたこととか、しんどい頼まれごとによって人間の器が広がったなという経験がいくつもあります。 「こんなんできるわけないじゃん…!」 っていう仕事は、めっちゃ苦しいし、しんどいし、骨が折れます。 でもそういう苦しさの中に、自分の課題が隠れていたり、思いもしなかった気づきがあったり、好きなことだけやっていたら絶対得られなかったであろう喜びが隠れていたりする。 何より全く知らない自分に出会えたりするのです。 好きなことを追求するのももちろん大事なことですが、 そこにしか目がいかなくなって「やりたくないことは一切切り捨てる」のは、ちょっと違うかもなと思うんです。 好きかどうか、という感情だけで判断せず、一見しんどそうだな〜と思うことも、「この人のためならやってみようかな」という頼まれごとを一旦引き受けてみることでまた違う世界が見えて、今までにない幸福感を感じるかもしれません。 今もしやりたくない仕事を引き受けているとか、しんどいことばかりやってるな…って人は捉え方を少し変えてみて、• 「これは試されごとで、自分の器を広げるチャンスなんだ」•

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🎧音楽の力「竈門炭治郎のうた」椎名豪 featuring 中川奈美 #みんなで乗り越えよう

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今、病院に入院しているのですが、退院するのがとても怖いです。 私は、ネガティブメンタルが弱く打たれ弱い人間です。 ここ一年間で何回かパワハラに耐えられなくて退職しています。 半年くらい不採用が続き無職状態で、もう二度働けないと思い精神的に病んで胃潰瘍にもなりました。 そんな中、不慮の事故で入院することになりました。 そして、医者からそろそろ退院をと言われてパニックになってます。 退院したら、就活しないといけないしどうせまた、不採用が続く。 万が一採用されてもパワハラが起きてまた退職してしまうと考えています。 入院中は、働いていない状態が世間的に許される状態なので気持ちが落ちついていたのですが、退院しないといけないとなり胸が苦しくなります。 また、あの宛もなくさ迷う就活地獄の日々が始まると考えると怖いです。 いっそ、看護師さんに看取られながらベッドのうえで死んでいられたら最後くらい幸せかなと考えています。 外に出たら怖いし辛い。 家族に八つ当たりするかもしれない。 神様が最後に事故を切っ掛けに死に場所をくれたような気がします。 生きていれば良いことが、といわれますが良いことないし、そういうことはメンタル強いか恵まれている人間だけが言えることです。 精神病棟に入院とか考えましたが、お金がないです。 今は、相手の保険会社が出してくれるので入院できている状態です。 退院したら、地獄しかまっていないと考えると食事も喉を通らず、胃痛ばかりします。 どうしんたら良いでしょうか 本当に死にたい気持ちで泣いてしまいます。 辛い現実から目を背けたくなる気持ちはわかりますが、実際にどうするつもりですか。 泣いても何も変わらないので、生活保護の申請が通ったとしてもまた近所の目を気にすることになれば引きこもることになるし、家族との関係も悪くなるだけでもっと苦しくなることになると思います。 生きていればたまにはいい事はあるかもしれませんが、より楽しく生きるか辛く生きるか全ては本人の考え方次第です。 パワハラの心配をすれば自信もなくし消極的になれば、そういうところが出て採用する側も不安を感じ取ると思います。 自ら作り上げた恐怖に打ち勝つためには、その恐怖に向き合い、実際にその恐怖が起こらなかったと経験することでしか乗り越えられないものです。 今はエネルギーを失ってしまっているので、好きなことに没頭したりあまり行きにくいですが、旅行やソロキャンプなど非日常的なことを経験することでエネルギーを少しずつ回復していきますので、そのうちだんだんエネルギーが貯まってきたら本当にこのまま逃げたままでいいのか、パワハラするようなどうしようもない人間のせいでこんな気持ちにさせられて悔しくないのかということが考えられるようになればまた気持ちも変わると思います。 ネガティブな思考でエネルギーを失っているだけなので、とにかく今はそのことを考えるのを辞めて、エネルギーを蓄えることです。 本当に死にたいと思っているなら、そんなパワハラや就職なんてどうでもいいことを考える必要はないので、好きな物をお腹一杯食べて、下らないことに挑戦してみたり、youtubeでも初めてみたらどうですか。 あなたは退院したくないのですね。 働こうとしても不採用が続き、採用されてもパワハラされることを心配しているのですね。 過去にもそんなことがあったからですね。 あなたの気持ちはわかりますよ。 だつて、うまくいかないときは、みんな同じような事を思っているものです。 でも、あなたをつらくさせているのは、あなたのものの考え方にも原因がありますね。 過去には不採用が続いたり、パワハラがあったでしょうが、 今後も必ず続くとというのは悪く考えすぎです。 悪く考えると、人間は怖くなり、行動できなくなるものです。 正にあなたの状態そのものです。 ネガティブに物事を考えると、どんどん怖くなってしまいます。 未来は誰にも分りません。 どうなるかは、あなたの行動次第です。 悪く考えてばかりいないで、行動してみましょう。

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