なぜ ユダヤ 人 は 迫害 され た のか。 なぜユダヤ人は迫害を受けた?ユダヤ人の歴史と迫害の歴史について解説

迫害の歴史① ささいな事から始まった!

なぜ ユダヤ 人 は 迫害 され た のか

はじめに RYOです 今回はユダヤ人迫害についての歴史をなるべくわかりやすくまとめてみました。 我々が知っている最も有名なユダヤ人と言えば、アンネの日記の作者「アンネ・フランク」では無いでしょうか? しかしユダヤ人迫害の歴史を振り返ると、西暦132年の「ディアスポラ」以来ずっとユダヤ人は迫害を受けてきたという事になります。 先にこちらの記事を読んだ方が断然理解しやすいと思うので、時間があれば読んでください では始めます。 ユダヤ人の乱離拡散『ディアスポラ』 さて、ユダヤ人迫害の歴史はここから始まると言っても過言ではありません。 ユダヤ教徒の聖典 タナハには「 ユダヤ人は神から選ばれた民である」と書いてあり、ユダヤ人はモーセが神から与えられたルール( 十戒)をしっかり守っているユダヤ人のみが救われるという 選民思想を持っています。 ユダヤ人は、「信仰の父」と呼ばれるユダヤ人の先祖 アブラハムが紀元前17世紀に神から永遠に与えられた土地「 カナン(現在のパレスチナ)」をずっと守り続けてきました。 (アブラハムと息子イサク) 紀元前10世紀以降では、ソロモン王が 十戒を祀った神殿をエルサレムに建設しますが新バビロニアに破壊され、それを受け継いだヘロデ王が1000年後に再び大神殿を建設するも古代ローマ帝国に再び破壊されます。 紀元前後では史上最強帝国と呼ばれるローマ帝国に支配され、二度のユダヤ戦争を起こすも圧倒的な勢力に制圧され、ついにユダヤ人は神との約束の地 カナンから追放され地中海各地に離散していくことになりました。 このユダヤ人の離散を ディアスポラと言います。 このディアスポラ以降、帰る地を失ったユダヤ人の悲しい歴史が始まります。 啓典の民『ユダヤ教&イスラム教』 7世紀にアラビア半島に興ったイスラム教 開祖ムハンマド は瞬く間にパレスチナを含む西アジアを支配するようになりました。 そうです。 自分らの聖地が後からポッとできた新興宗教に支配されているのですから。 でも逆らえません、敗者は。 普通なら他宗教は迫害を受けてもいい所なのですが、イスラム世界ではユダヤ教徒もキリスト教徒も 啓典の民として迫害はありませんでした。 『啓典の民』 同じ神から啓示を受けた仲間 ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も呼び方は違えど、信仰している神は同じ神です。 ユダヤ教は神をヤハウェーと呼び、キリスト教はゴッドと呼び、イスラム教ではアッラーと呼ぶだけです。 ユダヤ教では モーセが、キリスト教では イエスが、イスラム教では ムハンマドが同じ神からそれぞれ啓示を受けただけなので、これら3宗教は兄弟みたいなものだと思っています。 「異教徒の場合、多少の税金はプラスでもらうけど、基本的に仲間とは争わないよ」というスタンスです。 このエルサレム奪還の際に、十字軍による エルサレムの大虐殺が起きました。 十字軍兵士は当時エルサレムにいたイスラム教・ユダヤ教の非戦闘員も含めて7万人以上を大虐殺し略奪しまくりました。 その中には外見がヨーロッパ人と違うというだけで異教徒とみなされて殺されたキリスト教徒も大勢いました。 もはや啓典の民とか言っている場合ではありません。 結局、十字軍遠征は大失敗に終わり十字軍遠征を指揮した教皇の権威が失墜し、フランス国王に逮捕され獄中で憤死します。 この十字軍遠征が現在も続く キリスト教徒 VS イスラム教徒という構図の元になっていきます。 イスラム教徒からすれば十字軍遠征でキリスト教徒がやった数々の悪行を忘れることなんてできないんです。 そして イエスを救世主として認めないことから、十字軍時代以降ユダヤ人が主にキリスト教徒に迫害され始めます。 お金持ちだったユダヤ人 基本的にユダヤ人は ディアスポラ以降、お金持ちでした。 それはなぜか? ユダヤ人ばかりが金融業を営んでいたから です。 ではなぜユダヤ人だけなのか?理由は主に2つあります。 キリスト教もイスラム教も金貸しは汚い仕事として(戒律として)禁止されているから• 差別の対象であるユダヤ人は他に就ける仕事が無かったから です。 という事で、金融業は忌み嫌われていたので基本的に金貸しはみんなユダヤ人でした。 ピンチをチャンスに変えたユダヤ人だけが 金融業を営み私腹を肥やしていき、貧しいキリスト教徒などの憎しみを買っていくことになりました。 黒死病『ペスト』とユダヤ人迫害 1346年から1347年にかけてヨーロッパでは 黒死病 ペスト という恐ろしい病気が地中海各地に広がり、マルセイユやヴェネツィア、フィレンツェ、ロンドン、北欧、ポーランドなど 恐ろしい伝染力で一気にヨーロッパに広がりました。 当時の人々は大流行の原因が分からず、一部では 「ユダヤ人が井戸に毒をまいたからだ!!!」 と、当時キリスト教世界で偏見を持たれていたユダヤ人を犯人扱いし、その勢いでユダヤ人を虐殺しました。 それでなくともユダヤ人に対する迫害が激しくなっており、1287年にはイギリスのエドワード1世は国内のユダヤ人を全て捕らえ、身代金を払わせた上で国外追放したりもしていました。 黒死病が流行すると、ドイツ・スイス・フランス・スペインなど各地でユダヤ人が捕らえられ、私刑に遭って殺害されたりもしました。 スペインでのユダヤ教徒追放令 8世紀からイスラム教徒は徐々に勢力圏を拡大していき、それはスペインのイベリア半島にまで及びました。 スペインのイベリア半島も元々はイスラム教圏に支配されており、ジズヤ 税 を負担させながらも ユダヤ教徒・キリスト教徒とイスラム教徒がある程度平和に共存していました。 しかし レコンキスタ 国土回復運動 と呼ばれるイスラム教徒に対するキリスト教徒の反撃運動が起きました。 レコンキスタとはスペイン語で「再征服」の意味で、一度奪われた土地 ヨーロッパ を再びイスラム教から取り返そうという運動です。 激しいレコンキスタにより、イスラム教徒はどんどん領地を失っていきました。 1492年 コロンブスが大西洋横断に成功した年 、 遂にレコンキスタが完成しスペインからイスラム教徒が完全に追い出されようとしました。。 つまり割と平和的解決で落ち着いたのです。 喧嘩はしても同じ屋根の下で暮らし続けれます、 イスラム教徒は! しかしユダヤ教徒に対しては、イスラム教徒よりも遥かに厳しく扱いました。 レコンキスタが完成すると同時に、一方ではイスラム教徒に居住権を認めながらもユダヤ教徒に対しては追放令を出して完全に国外へ追放しました。 キリスト教に改宗して残るかイベリア半島を離れるか を迫られ、大多数はイベリア半島を離れました。 よほど金貸しのユダヤ人に対して嫉妬や恨みつらみがあったのでしょう。 フランス革命で一時的にユダヤ人の人権が認められるが・・・ 1789年に起きたフランス革命で、ようやく市民が絶対王政のブルボン朝を倒し、 フランス人権宣言を発表しました。 これはアメリカ独立宣言やルソーの 啓蒙思想 キリスト教世界観や封建的思想を批判し、人間性の解放を目指す思想 があったおかげです。 「朕は国家なり」で有名なルイ14世もさぞ驚きでしょう。 人権宣言というくらいなので、十字軍遠征当初 11世紀中ごろ から700年もの間キリスト教世界に迫害され続けてきたユダヤ人に対する感情も治まりつつありました。 そもそもユダヤ人の概念がとても曖昧なんです。 ユダヤ人 ユダヤ人とは「 ユダヤ教を信仰する人」を指すので、ディアスポラ以来世界各地に離散したユダヤ人は特定の地域に住んでいる人とか特定の外見的特徴のある人とかでは区別できないようになりました。 なので「ユダヤ人」という概念自体もあやふやで、「私はユダヤ人です」と宣言しなければ、もはや 誰がユダヤ人で誰がキリスト教徒かも分からなくなってきていました。 自ら「ユダヤ人」だと宣言した人の中には、金融業で成功し現在も世界に強い影響力を持つ「ロスチャイルド家」や科学者の「アインシュタイン」、思想家の「マルクス」などがいます。 人権宣言で一時的には ユダヤ人の人権も認めようという動きが見られましたが、事実は小説よりも奇なりです。 ヨーロッパ各国が「もっと植民地を増やそう」とか「もっと大きくて豊かな国にしよう」とか「もっと領土を拡げよう」という動き( =帝国主義)に傾き、その 恰好の攻撃目標とされたのがユダヤ人でした。 みんな、ユダヤ人どもは世界の害虫なんだ!!」 などの 反ユダヤ主義が再び高まってきました。 この攻撃目標にされたのはユダヤ人に限らず黄色人種やロマなどの少数民族にも当てはまります。 しかし一番大事なことは、これらの反ユダヤ主義は 政府への国民の不満を逸らす目的だったり他国に侵略する口実に使われた という事です。 いわゆるスケープゴート的な存在で 「とりあえずユダヤ人叩いてたら上手くいく」的な感じです。 ポグロムとドレフュス事件 そして遂に時代は19世紀後半~20世紀前半になります。 ロシアでも上で述べたように、国内の不満を逸らす目的でユダヤ人に対する 集団暴力・集団虐殺が始まります。 これを ポグロムと呼び、ロシア語で「略奪・破壊・虐殺」という意味です。 しかも日露戦争に敗北してからは「 愛国的ポグロム」もなされ、この言葉は後のナチスドイツのホロコーストにも用いられるようになりました。 数あるヨーロッパ諸国の中でも、特にフランスは根強いカトリック教国で、「 ユダヤ人=キリストを裏切ったユダの子孫」という単純な憎悪があったのですね。 このドレフュス事件を経て、当時ジャーナリストとしてパリにいたユダヤ人ヘルツルは 「ユダヤ人にとって、やはりヨーロッパも安住の地ではない。 我々の故郷であるパレスチナ(神がユダヤ人に与えた地「カナン」)に還ろう」 という運動を始めました( =シオニズム運動) イギリスの三枚舌外交【WW1】-バルフォア宣言- とうとう聞いたことのあるワードがちょいちょい出てくるようになりました 笑 バルフォア宣言。 まさかこんなヒドイものだったとは・・・ まず「バルフォア宣言」を一言で言うと イギリスがユダヤ人の金銭的支援を目的に、戦後はパレスチナの地をユダヤ人に与えると約束した宣言 です。 ではイギリスの三枚舌外交の中身を軽く見てみましょう まず登場人物は 「ユダヤ人・アラブ人・フランス・イギリス」の4者で時は第一次世界大戦中です。 第一次世界大戦の強国と言えばイギリスで、そのイギリスは現在の中東~トルコ辺りを支配していた昔のローマ帝国並みに強かった オスマン帝国打倒を夢見ており、3つの矛盾する約束を交わします。 ユダヤ人には ディアスポラ以来、自分たちの国をもたないが故に迫害されていたユダヤ人の心情を逆手に 「いやーユダヤ人さん、もしお金を援助してくれたら第一次世界大戦後にはパレスチナの地に ユダヤ人の国家を建設します!元はあなた達の土地ですもんねーーーだからお金ちょうだい。 今はオスマン帝国領になってますけど、本当は自分たちの国が欲しいでしょう?こんなオスマンなんかに任せてていいんすか?もし内紛を起こしてくれたら、オスマン打倒後にはパレスチナに 自分たちの国を作っていいですよ。 だから内紛起こして。 結果、第一時世界大戦後はイギリスがパレスチナを統治しました。 つまりアラブ人もユダヤ人も自分たちの国家を建設したかったので、それをエサにイギリスに 協力させたわけなんです。 これによりアラブ人とユダヤ人の深刻な殺戮劇場の幕が上がりました。 お互いが、パレスチナは自分たちの土地だと思っているからです。 ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺【WW2】 そして皆さんご存知、ナチスのホロコースト 大虐殺 が始まります。 1930年代のドイツに登場したヒトラーのナチ党によって、 超組織的かつ強圧的なユダヤ人迫害が始まり、第一次世界大戦で敗北したドイツの民衆の不満の矛先を全てユダヤ人に向けさせました。 これ以上はあまり詳しく語りませんが• ユダヤ人は悪魔の子• 世界恐慌以来ドイツ経済が窮乏しているのはユダヤ人のせい• ユダヤ人が持つ資本で世界征服を企んでいる• ドイツ人の優秀な血をユダヤ人どもから守らねばならない• ユダヤ人は共産主義的思想を持っている• ユダヤ人はテロに走りやすい など、 科学的根拠の全くない強烈な反ユダヤ主義を展開しました。 ナチスはこのユダヤ人迫害を ユダヤ人問題の最終的解決 と呼んでいました。 つまり「ユダヤ人は存在しているだけで既に問題である」という意識をナチス党は持っていたのです。 第二次世界大戦が始まるとユダヤ人を収容する強制収容所を国内に数多く造り、中でも アウシュビッツ絶滅収容所や ベルゲン・ベルゼン収容所でガス室に送られたり病死したり、衰弱死したりして 約600万人のユダヤ人が犠牲になったと言われています。 ある善良なキリスト教徒が、 人間の皮を被った悪魔と恐れられていた アドルフ・アイヒマン(ユダヤ人大虐殺の責任者)に 「なぜユダヤ人を殺すのか!彼らは何も悪くないじゃないか」 と詰め寄ったところ 「君はキリスト教徒だろう?それならば君たちの神イエスを裏切ったユダヤ人を殺すのになぜ反対するのか?ユダヤ人を排除している我々こそが正義だろう?ニヤッ」 と言った、と言われています。 イスラエル建国と中東戦争『ユダヤ人 VS アラブ人』 しかし、ユダヤ人は数えきれない迫害の歴史を乗り越えて遂に独立します。 それが1948年に建国した現在の イスラエルという国です。 イスラエルという国家は、ユダヤ人にとって長い間求めてきた『帰る家』なんです。 イスラエル建国以降世界中のユダヤ人がイスラエルに戻り、それによりユダヤ人迫害も減少傾向にあり、現在では逆にパレスチナの領有権を巡って アラブ人VSユダヤ人の戦争が始まりました。 これが 中東戦争です。 アラブ諸国とイスラエルの対立は周辺の国々や世界の大国も巻き込んで現在も続いています。 おわりに 一応これで「ユダヤ人迫害の歴史」とさせて頂きました。 実際にはもっともっと数えきれないくらいのユダヤ人迫害に関する事件がありましたが、その中でも特に知っておいてもらいたい部分のみを抜粋して「わかりやすくまとめてみました」としました。 特に大虐殺はキリスト教徒によって行われ、そのキリスト教徒たちが最後の審判で天国に行くのかと不思議な気持ちです。 1992年11月生まれ 京都在住 旅する空手家 大好物は「旅」「自然」「カメラ」「空手」 そして「鶏天」と「麻婆豆腐」も... 顔に似合わずロマンチスト 関連する記事• 目次 1. はじめに2. ユダヤ教・キリスト教・イスラム教3. 3宗教それぞれが信じる神3. 3宗教の信仰する神が同じ理由4. 3宗教それぞれが信[…]• 目次 1. はじめに2. ユダヤ教・キリスト教・イスラム教3. 宗教の元祖『ユダヤ教』3. 神が世界を作った3. 神がアダムとイブを楽園から追[…]• 目次 1. はじめに2. 世界三大宗教まとめ3. 開祖の生涯3. 仏教の開祖『ブッダ』3. キリスト教の開祖『イエス・キリスト』3. イス[…]• 目次 1. はじめに2. キリスト教とは3. キリスト教の大まかな流れ3. 処女マリアが懐妊3. イエスの処刑と復活3. ローマ帝国の国教[…]• 目次 1. はじめに2. カノッサの屈辱(ローマ教皇最強説)2. 皇帝 国のトップ VS 教皇 宗教のトップ はじめに RYOです 今回ご紹介[…] コメント (1件)•

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迫害の歴史① ささいな事から始まった!

なぜ ユダヤ 人 は 迫害 され た のか

ユダヤはユダ王国という国の民でしたが戦争で国が失われたことで「国無き民族」となりました。 この辺は旧約聖書の「バビロン虜囚」に描かれています。 (ちなみに、ユダ王国時代からユダヤの民は周辺の国や人々を蛮族として見下していた。 見下していた相手に攻め滅ぼされ捕虜にされた恥辱は凄まじかった様子) そこでユダヤの支配層(王族や神官)はユダヤ人のアイデンティティを失わせないため、また自分たちの支配と影響力を保つためにユダヤ民族のための民族宗教を作り出します。 それがユダヤ教。 エルサレムを聖地とし、いつかはイスラエルの地に国を復活させる。 神と契約した唯一の存在たるユダヤは最後の審判で神に救われる唯一の民族。 そのためにはユダヤ人としての戒律を守るべし… とまあそんな感じなんですが。 この教えのせいでユダヤは他民族や他宗教と「自分たちは違う」という意識を(もともとあったけどさらに強く)持つようになってしまいます。 地中海一帯をローマ帝国が支配するとユダヤ人もまたローマ帝国の中で生活するようになるのですが、上記のような事情もあってユダヤ人はユダヤ人同士でコミュニティを作ってユダヤ人が固まって生活することが多くなります。 そしてユダヤ人は「ローマから独立しエルサレムを奪還する」という壮大な夢を見て反乱を起こしたのです。 2度の大きな反乱はローマ軍によって制圧されますが、このことが「ユダヤ人=ユダヤ教は危険」と見られるようになってしまう。 そしてエルサレムへの強い執着が特に問題とされユダヤ人の立ち入りを禁止する。 このことがユダヤ人にとってはますます「聖地を奪われた!」という強い恨みとなり、ローマとの大きな溝になってしまいました。 ローマ帝国崩壊後にローマの風習や文化はヨーロッパ各国に微妙に継承されていき「ユダヤ人危険」というのもまた受け継がれました。 平時は「変な連中だし異教徒だけど、まあ金もあるし働いてるし…」と大目に見られていても戦争などが起こると途端に「異分子だし危険かも」という目で見られます。 敬虔なキリスト教徒の一般市民からすると「異教徒、教会にも来ないし普段から何してんだか何考えてるんだか判らん怪しい連中」と見られますので魔女狩りパニックなんか起こるとユダヤ人を魔女として捕らえて…となる。 一方のユダヤ人も「あいつらと俺らは違うんだ」という選民意識がある。 国や地域に対する愛着も無いし農地を持たないので戦争などが起きたら財産まとめてとっとと逃げ出す。 お互い相容れないのです。 ローマ教皇のお膝元であるローマに在住しているユダヤ人なんか扱いに困るので(そりゃカトリックの総本山で異教徒が大手を振ってたら困るよね)、教皇がユダヤ人の居住区を制限したりしています。 こういうのを差別と呼ぶか区別と呼ぶか微妙なところ。 ユダヤ人は当然これを「差別だ!」と考えるわけで。 イングランドでは国王が「ユダヤ人の在住禁止、たまに来る程度ならともかくイングランドに住むのは禁止」として350年間ユダヤ人のいない時代がありましたが、この法律が撤廃されるとユダヤ人はさっさとイングランドに戻ってきて気づいたら国会議員にまでなってしまう。 ここまでくるとちょっと怖い。 「隙を見せると連中に国が乗っ取られるのでは」という微妙な恐怖感がお分かりいただけるでしょうか。 移民の多い国はこういう恐怖が常にあるのです。 数年前、フランスで学校が銃で襲撃される事件がありました。 この学校が「ユダヤ人学校」でして… 事件から判ることは「ユダヤ人に対する差別意識が今でもある」ということと「ユダヤ人はユダヤ人だけが通う学校を作っている」ということ。 おそらくユダヤ人は「差別から子供たちを守るため、ユダヤの正しい習慣を守るため」に学校を作っているのでしょうけれどそれって「他者と自分たちが違うという意識」からくる「逆差別」的なものではないだろうかという気がしなくもない。 ちなみに犯人はイスラム教過激派の一味だったらしく、イスラエルによるパレスチナ(ユダヤ人によるアラブ人)迫害への怒りからくるものだったようで。 こうなると「ユダヤが他者を差別したからか、他者がユダヤを差別したからか」が判らなくなる。 亡国の民であり少人数の寄留民だからスケープゴートにしやすいのです。 ユダヤ人はユダヤ教という先祖代々伝わる民族宗教があるので キリスト教というユダヤ教から生まれた新興宗教に改宗しなかったのです。 それが世界制覇を狙うキリスト教にとってはむかつくのです。 イエスを神と認めず人とみなす宗教や団体を徹底的に撲滅してきた。 ユダヤ人やギリシャの学者たちを殺した。 ギリシャの賢人たちもパウロのいうことなど信じなかった。 キリスト教は孔子孟子、ブッダ、ソクラテス、プラトン、モーゼ、ジョン・フォン・ノイマン、アインシュタインみたいな賢人を恐れます。 イエスさんのライバルたちを殺してきた。 影響力があるからです。 影響力があって金融する民族は殺されてきました。 財産没収するチャンスです。 大体ヨーロッパ人は常に異民族から略奪して生きてきた。 キリスト教を作ったときイエスをローマ人にしてユダヤ人を絶滅させたかったのです。 だけどユダヤ人は全世界に散ってたので殺しきれなかったのです。 今はイスラムがもうれつに狂暴ですが中世~近代はキリスト教が狂暴だった。 イスラムはオスマントルコ崩壊くらいまでは異教徒に寛大だった。 ユダヤ人を優遇していた期間イスラムは栄えた。 キリスト教がなかったら人類は自由奔放に研究かさねて科学がもっと発達してただろう。 391年キリスト教会は70万巻の蔵書をほこるアレキサンドリア図書館を焼き払いパピルスの巻物、プトレマイオスが集めた古代の文書を焼き払った。 昔からあった学問所は閉鎖された。 ユダヤ人のシナゴーグを焼き払いユダヤ人を殺す。 ギリシャ語の文献持ってるだけで火刑になった。 学問の中心はペルシャに移動する。 ギリシャアルバニアの歴史に中世部分がない。 暗黒時代には教育と呼ばれるものはほとんどなく聖職者だけ教育を受けていた。 聖職者に支配させ 無知文盲の盲従分子だけ欲しかった。 カトリック教会が西洋社会の実権握ると科学技術は廃れトイレ、水道、道路網もなくなります。 古代ローマのセントラルヒーテイングもなくなった。 古代ローマよりよっぽど遅れた。 セメントの作り方まで忘れた。 古代ローマの大理石の彫刻は叩き壊され石灰に化した。 教会は書物を焼き学術研究を禁止した。 西欧の経済は破綻し教会は商業活動を停止においこんだ。 教会は暗黒時代に巨万の富をきづいた。 ヨーロッパの多くの地域で教会は各地で異端審問をおこない 裕福なユダヤ人を血祭りにあげて財産奪い金づるにした。 科学が未発達な暗黒時代は天変地異や不吉なことが起こると原因を解明できず ことごとく 悪魔魔女のしわざだ で片づけた。 悪魔魔女を焼き殺さないと自分たちが滅びる と本気で考えてた。 ガリレオの地動説への有罪判決も1963年になってようやく取り消された。 印刷術が伝わるまでは教会は言いたい放題です。 科学が未発達の時代は天変地異が起きると理由がわからないため全部悪魔魔女のしわざで片づけた。 魔女を滅ぼさないとこの世は滅びると本気で信じてたのです。 魔女はこんな顔してますとポスター貼ってた。 教会ではユダヤ人イコール悪魔魔女と叩きこんでたから ペスト禍や不吉なことがおきるたびにユダヤの陰謀と考えユダヤ人を火刑にして財産を略奪してました。 民衆は無学文盲だったから教会がいうことを鵜呑みにした。 狼男はユダヤ人だ。 ヘンゼルとグレーテルの魔女はユダヤ人だといいふらした。 ユダヤ人が恐れられた理由は影響力が大きかったからです。 当時民衆は病気になるとユダヤ人が作る医薬品に頼ったのです。 ユダヤ人が作る医薬品はよく効きファンが集まる。 教会はユダヤ人の影響力を恐れた。 江戸時代オランダ船で来日した医師、ケンペルの叔父さんが魔女狩りで捕まり火刑にされてます。 中世ユダヤ人はゲットーの外に出ると橋渡にも税金。 よその町に入るたびに人頭税払わされた。 結婚許可が出るのは莫大な税金払えるユダヤ人のみで子供を生むたびに莫大な税金払わされた。 当時のヨーロッパの民衆は病気になると聖職者、神父、教会公認の医師よりも 賢者に治療してもらってたのです。 ユダヤ人が作る医薬品、医療技術にすがりユダヤ人の婆さんに堕胎手術をしてもらってた。 異教徒の治験者が作り出す薬は教会公認の医者の薬より安価で効果があった。 薬つくりの賢女が権力を持つことを教会は恐れた。 医者は自分の無能さを悪魔魔女のせいにした。 キリスト教徒でない異教徒に人気が集まるのを許せない。 異端審問の犠牲者たちは自分を縛るロープや自分を焼き殺す火刑の薪代金まで支払わされた。 拷問されるたびに手数料支払わされた。 犬猫、蛇鶏、これらは魔女の手先とされ処刑されたためにネズミの天敵が消えネズミ大量発生を招いた。 このネズミがペスト菌をばらまいてペスト大流行となる。 ペストはユダヤ人の仕業と沢山のユダヤ人が火刑にされました。 蒙古襲来の時もユダヤ人が手招きしたからと言われ大虐殺された。 ユダヤ人がポーランドに逃げ「ネズミを駆除するように」忠告したのでポーランドはペストを免れた。 1928年ハンガリーの農民が一人の老婆に魔女の疑いかけて撲殺した。 しかし無罪判決だった。 1976年ドイツの独身女が隣人から魔女だといわれ犬と一緒に家に火をつけて焼殺した。 翌年フランスで、魔法使いみたいな顔してるといわれて老人が殺された。 1981年暴徒と化したメキシコ市民が一人の女を魔女だと言って殺した。 この女が魔術を使ってヨハネパウロ2世の襲撃事件を起こさせたと言い出した。 21世紀目前になってもまだ魔女狩りしてます。 思い込みで人を殺すなんて!! ユダヤ教は天国地獄を言わない。 中国の古代賢人たちは非科学的なことを語らない。 一方キリスト教は非科学的なことを信者に盲信させスケープゴートを憎ませます。 キリスト教成立後のヨーロッパでユダヤ人差別迫害が本格的になりヒトラー時代がピークです。 ヒトラーは毎日ラジオで世界中に反ユダヤ宣伝しナチスの行為を正当化してきた。 ユダヤ教は日本神道や仏教、儒教道教、ヒンズー教などとはトラブルを起こさず仲良く生きてこれたのです。 レコンキスタ前のスペインポルトガルで。 ユダヤ人はムスリムと仲良く暮らしてたのです。 イベリア半島が学問、商業文化世界一だったのです。 学問好きのユダヤ人がスペインに集まってました。 異端審問、魔女狩り、ヒトラー時代、スターリン時代の密告。 全部同じパターンです。 常に権力者に密告通報して賞金稼ぎする人間が出てきました。 マタイ伝22におかしなことが書いてあるためにユダヤ人は徹底的に虐められてきた。 ナチス時代ワルシャワ近郊のミンジェビツエで。 ユダヤ人がSSによって広場に集められた時、ラビが申し出た。 ラビは髭を剃って旅装束だった。 「一言話させて下さい」 「2千年前のことです。 ユダヤ人は全然罪のないイエスに死刑を言い渡した。 ユダヤ人はこう言ったのだ。 その血の責任は我々と我々の子孫に振りかかってもよい。 マタイ伝22書。 おそらく今その瞬間が来たのだ。 それなら今出かけよう。 出発しましょう」 ユダヤ人が本当にこんなこと言ったのだろうか?私は信じられない。 1941年ウクライナ、レンブルグで起きたポグロム.

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ヒトラーのユダヤ人迫害

なぜ ユダヤ 人 は 迫害 され た のか

ユダヤ人国家イスラエルと、アラブ諸国との紛争は、4度の中東戦争をへて、いまだ終結していない。 2006年7月12日から始まったイスラエルと ヒズボラとの紛争では、すでに1200人が死亡したが、このような犠牲はすでに日常化している。 ユダヤ人が最新兵器でパレスチナ人に対抗するのは、彼らのテロを怖れてのことだが、パレスチナ人がテロ的行動に出るのは、 ユダヤ人のようなハイテク兵器を持たないからである。 「人を殺すのは間違っている」的論法で解決できる世界に、彼らは生きていない。 彼らは、迫害と虐殺の被害者であり、同時に、加害者でもあるのだ。 そして、いつ終わるともしれないこの戦いは、すでに3000年の歴史を刻んでいる。 この歴史の底流には、個体を超えた民族遺伝子が潜んでいる。 ユダヤ人は、ヘブライ人、イスラエル人とも呼ばれるが、その定義は難しい。 宗教的要素と人種的要素の二つの面をもつからである。 一般論として、 1.ユダヤ教徒であること 2.母親がユダヤ人であること のどちらかを満たせばユダヤ人となる。 前者は宗教的要素から、後者は人種的要素から定義されている。 実際、イスラエルの国会は、 「ユダヤ人とは、ユダヤ人ないしユダヤ教への改宗者を母として生まれた者」 という定義を立法化している。 このような、ユダヤ人のアイデンティティへのこだわりは、迫害、差別、虐殺の歴史によっているのかもしれない。 そして、これらすべては、たった1つのキーワードに集約される。 差別と迫害。 ユダヤ人に対する差別と迫害の歴史は、古くて長い。 歴史上、最初に確認される迫害は、紀元前13世紀の「 出エジプト」である。 内容は、旧約聖書の「出エジプト記」に詳しいが、チャールトン ヘストン主演の映画「十戒」で、日本でも知られるようになった。 この頃、ユダヤ人の一部はエジプトの地で暮らしていたが、すでにエジプト新王国による差別と迫害を受けていた。 やがて、 予言者モーセが現れ、ユダヤの民を率い、エジプトを脱出。 その後、聖なるシナイ山の頂上で神ヤハウェとの契約をさずけられた。 これがのちのユダヤ教へとつながる。 この出来事は、ユダヤ人にとって、とりわけ重要な意味をもっている。 なぜなら、これがユダヤ人への最初の迫害であり、ユダヤ教の起源となったからである。 モーセの死後、後継者ヨシュアにひきいられたユダヤ人は、ヨルダン川をわたり、イェリコの町とその地域を征服する。 その後、紀元前11世紀頃には、サウル王のもとで建国を成し遂げ、後継者 ダビデ王およびソロモン王の治世で、最盛期をむかえる。 ところが、その繁栄も長くは続かなかった。 ソロモン王の死後、王国は北方の北イスラエル王国と、南方のユダ王国に分裂したのである。 その後、 北イスラエル王国はアッシリア帝国に(紀元前8世紀)、ユダ王国は新バビロニア王国に(紀元前6世紀)、それぞれ征服された。 このとき、ユダ王国の人々はバビロンに強制移住させられたが、これが教科書にも出てくる「 バビロンの捕囚」である。 ただ、「捕囚」とはいえ、全員が捕虜になったわけではない。 多数のユダヤ人が虐殺されている。 出エジプトにつづく、第2のユダヤ人迫害であった。 ところが、その新バビロニアもアケメネス朝ペルシャに滅ぼされてしまう。 新しい支配者ペルシャは、新バビロニアやアッシリアに比べ、寛大な帝国であった。 納税を怠らず、謀反や反乱をおこさなければ、生活はもちろん、習慣や文化も保護されたのである。 一方、アッシリアは歴史上最も過酷な属国支配で知られている。 反乱でも起こそうものなら、首謀者と側近は、 身体の皮をはがされ壁に貼りつけられた。 これ以上の見せしめはないだろう。 ペルシャの寛大さはユダヤ人に平和をもたらした。 紀元前538年、ユダヤ人はエルサレムに帰還することが許されたのである。 彼らは帰還後、神殿を再建し、その後、唯一神ヤハウェを信じる ユダヤ教が成立した。 これ以降、彼らはユダヤ人と呼ばれるようになった。 しかも、国や集団ではなく「民族」というくくりで。 さらに、その1000年後、ユダヤ人迫害を決定づける歴史的大事件がおこる。 イエス キリストである。 なぜ、イエス キリストがユダヤ人迫害を決定づけたのか?を観れば、2時間で理解できる。 この映画のテーマはたった一つ、 イエス キリストの受難。 イエスは、ひたすらムチ打たれ、血まみれになり、ゴルゴダの丘で十字架刑に課せられる。 そして、イエスをローマ帝国に告訴したのはユダヤ教徒。 さらに、銀貨30枚でイエスを売ったユダも、ユダヤ人。 イエスを迫害し、抹殺したのは、ローマ帝国でも、ヘロデ王でもなく、ユダヤ人である、という主張がそこにある。 このことは、キリスト教本流をなす宗派や、イスラム教の信者たちに、ユダヤ教徒への根強い不信感と憎悪を植えつけた。 そして、この ユダヤ人への黒いフィルタは、差別と迫害とともに、イエスの死後2000年経過した現代まで存続している。 神道や仏教そして、クリスマスまで祝う無宗派的日本人には理解しがたいだろう。 イエスの死後、キリスト教はヨーロッパで急速に広まっていった。 ローマ帝国時代、キリスト教徒はさまざまな差別、迫害、虐殺に受けたが、313年、ミラノ勅令が公布される。 この勅令で、 キリスト教が公認されただけではなく、教会がそれまでうけた損害の賠償まで保証されたのである。 こうして、キリスト教は完全な勝利をおさめ、それに反動するように、ユダヤ人への差別と迫害がはじまった。 中世に入っても、ユダヤ人への迫害はつづいた。 たとえば、十字軍。 1096年、聖地エルサレムはイスラム教徒の支配下にあったが、それを奪回すべくキリスト教「十字軍」の遠征が始まった。 ところが、エルサレムを奪回した十字軍は、イスラム教徒だけでなく、ユダヤ人も虐殺したのである。 ユダヤ教とキリスト教はともに旧約聖書を聖典とする同根の宗教であるにも関わらず。 この虐殺はユダヤ人への差別や迫害が、いかに根深いものかを示している。 また、1881年には、東ヨーロッパで「 ポグロム」とよばれる大規模なユダヤ人迫害が起こっている。 「ポグロム」はロシア語で、ユダヤ人にたいする略奪、虐殺を意味する。 ユダヤ人への差別や迫害は地球規模であり、全時代におよんでいることがわかる。 歴史上最も有名なユダヤ人迫害である。 この時、ユダヤ人の迫害は1933年頃からはじまったが、初めは宗教というよりは人種的理由によっていた。 1850年代、フランスの外交官ゴビノーは、人種的な優劣を論じた「 人種不平等論」を発表し、その中で、アーリヤ人種の優越性を唱えた。 そもそも、DNAの構造が解明されるは1953年で、ゴビノーの説に科学的根拠があったわけではない。 また、アーリア人とは中央アジアの遊牧民で、紀元前1500年以降、西北インドやイランに進出した人々をさしている。 人種としてのアーリヤ人が存在するわけではない。 ところが、ナチス政権はこの書をユダヤ人の差別と迫害を正統化するバイブルとして利用した。 これに、先の宗教的な憎しみも加わり、単なる差別から、迫害、虐殺へとエスカレートしたのである。 ナチス政権下のユダヤ人の差別、迫害、虐殺は凄まじいものだった。 信じられないことに、 ユダヤ人を法律の保護から外すという特別立法も可決された。 これは、財産権・生存権・裁判権の消失を意味する。 ユダヤ人は財産を没収されたり、不当に逮捕されたり、裁判もなく処刑されることが認められたのである。 この時のユダヤ人への迫害は、正気の人間がどれほど簡単に狂気に走れるかを証明している。 ドイツは歴史的にみても、勤勉と合理性を重んじる大国である。 しかも、ナチス政権が誕生する前のワイマール憲法は、世界でもっとも民主的な憲法と称賛された。 このような国が豹変したのである。 ドイツの強制収容所で起こった迫害や虐殺や人体実験は、人間の中に悪魔がまぎれ込んでいることを示唆している。 最終的に、 600万人のユダヤ人が殺害されたといわれるが、さらに恐ろしいのは個別の所業である。 「夜と霧」に書かれた人体実験や虐殺は想像を絶する。 「夜と霧」はユダヤ人フランクルがアウシュビッツ収容所での体験をもとに著した書で、既に歴史的な名声を得ている。 しかし、読むべきかどうかは人による。 感受性が強い人なら、トラウマになるかもしれないから。 たとえば、ブッヒュンワルト強制収容所長の妻が作った 電気の笠。 この笠は、彼女が殺した囚人の皮膚で作られていた。 このような犯罪が二度と起こらないよう、詳細を公表すべきだ、というのは正論かもしれない。 しかし一方で、犯罪を犯す資質のある者に「こういうのもアリ」と教えることにもなる。 つまり、 犯罪の「ハウツー本」。 作り手がどんなに正当性を主張しようが、価値を決めるのは受け手。 善を生むか悪を生むかは、受け手次第。 作り手の意図など関係ないのだ。 また、ナチスによるユダヤ人の差別や迫害にまぎれて、露見が遅れた虐殺もある。 第二次世界大戦中に起こった「 カチンの森の大虐殺」である。 この事件は、政治的理由で、永らくタブーとされたこと、アウシュビッツ収容所などの虐殺に隠れて目立たなかったことから、意外に知られていない。 この時代、ユダヤ人を迫害したのはナチスドイツだけではないのだ。 この事件は、1943年4月、ロシアのスモレンスク郊外のカチンの森で、ドイツ軍が 4000名を超えるポーランド軍将校の遺体を発見したことに始まる。 ドイツのゲッベルス宣伝相は、ラジオでこの事実を公表し、ソ連側を激しく非難した。 一方、ソ連側もドイツ軍の犯行だと反論した。 この事件は、早くからソ連側の犯行とわかっていたが、ナチスドイツを悪者にしたい連合国側の思惑から、長い間、タブーとされたのである。 1990年に入って、やっと、ソ連は自国の虐殺であることを認めた。 ところが、 迫害が国家の方針なら、非難するには勇気がいる。 そんな希有の勇気をもっていたのが、シンドラーや杉原千畝(すぎはら ちうね)だろう。 ドイツの実業家オスカー シンドラーは、強制収容所に送られるはずだったユダヤ人を自分の工場に雇い入れ、命を救った。 さらに、ドイツの敗戦が濃厚になった1944年秋、シンドラーは工場を故郷のチェコに移転する。 このとき、いっしょに連れて行った従業員のリストは「シンドラーのリスト」とよばれた。 そして、リストの ユダヤ人1200名の命が救われたのである。 シンドラーは戦後イスラエルに招待され、「正義の人賞」が贈られている。 この実話は、 スピルバーグの映画「シンドラーのリスト」によって、広く知られるところとなった。 あえてモノクロフィルムを使い、作り手の感情を抑えて、淡々と描かれているが、逆に、深いリアリティを感じさせる。 作品の評価も高く、作品賞をはじめアカデミー賞7部門を獲得した。 杉原千畝(すぎはら ちうね)は、「日本のシンドラー」と言われている。 第二次世界大戦でドイツがポーランドを占領した時、多数のユダヤ人が隣国のリトアニアに逃れてきた。 彼らは日本の領事館にもおしかけたが、日本経由で外国に逃れるための通過ビザを取得するためであった。 日本の通過ビザの発給条件は厳しいものだったが、リトアニア領事館員の杉原千畝はほとんど無制限にビザを発給した。 その数は数千枚を超えるといわれる。 こうして、多数のユダヤ人の命が救われた。 杉原千畝も、戦後、イスラエルから「正義の人賞」が贈られている。 すでに、迫害や虐殺の次元を超えているのだ。 では、どういう経緯で、こんな状況に陥ったのか? 事の発端は、 イギリスの2枚舌外交。 1916年、イギリスのエジプト高等弁務官マクマホンとアラブの指導者フサインとの間に書簡がかわされた。 この協定は、アラブがオスマン帝国に反乱をおこす見返りに、第一次世界大戦後、イギリスがアラブ国家の独立を約束するというものだった。 アカデミー賞7部門を獲得した映画「アラビアのローレンス」はこの歴史を描いている。 広漠たる砂漠、戦い、陰謀、裏切り、友情 ・・・ 男のロマンをかきたてる筋立てで、映画史にその名を刻んだ。 イギリスは、アラブに対しこのような甘い約束をする一方で、1917年、ユダヤ人にも同じような約束をした。 バルフォア宣言である。 パレスチナにユダヤ人国家の建設を容認するというものだった。 イギリスは、このユダヤ人国家をとおして、パレスチナに支配力を保持するつもりだった。 しかし、どこからどう見ても、ダブルブッキング。 その後何が起こるかは、火を見るより明らかだ。 ユダヤ人とアラブ人の根幹をなすのは、ユダヤ教とイスラム教。 つまり、一神教だ。 一神教の神は一つであり、他の神々はすべて偽りの神となる。 神と悪魔、善と悪、勝利か敗北か、 完全な二元論が支配するのがこの世界だ。 彼らは、日本人が好む妥協や落とし所というものがない。 生存を賭けた戦いなのだから、仕方がないのだが。 だから、中東紛争は歴史の必然なのである。 参考文献: フランクル著作集「夜と霧」みすず書房 by R.B•

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