ドラえもん テレビ。 【映画ドラえもんのび太の宝島】地上波テレビ放送いつ?歴代の傾向をみてみる

ドラえもん (1979年のテレビアニメ)

ドラえもん テレビ

(終了した番組・中継を含みます)は、での販売や公式な、またはが紹介するまで、 出典として用いないで下さい。 に基づき除去される場合があります。 『ドラえもん』のアニメには以下の3作品が存在する。 1973年に日本テレビ系列で放送されたシリーズ• これらを区別する呼称は公式には発表されていないが 、アニメ誌では2005年4月より放送中のシリーズを『ドラえもん(新・第2期)』としている。 本項ではそれに倣い、1973年にで放送されたシリーズを 第1作、1979年よりで放送されているシリーズをまとめて 第2作とする。 また第2作において、1979年から2005年3月まで放送されたシリーズを 第1期、2005年4月から放送中のシリーズを 第2期とする。 本記事では 第1作について記述する。 概要 [ ] ファンからはで放送されている第2作 と区別するために「 旧ドラ」「 日ドラ」「 日テレ(NTV)版ドラえもん」「 日本テレビ版ドラえもん」などと呼ばれることがある。 企画から放映まで [ ] 本作の企画は社長の(別名・渡辺清)によって立ち上げられたと推測されている。 なお、新倉は当初、硬派任侠物の『』のアニメ化を切望したが、企画が頓挫。 として本作が放映されることになった経緯がある。 一方、当時『』編集長だったの井川浩は、新潟のアニメ制作会社が制作するテレビアニメの原作を推薦するよう日本テレビのプロデューサーから頼まれて人気の高かった『』と『』(作)を推薦したことを証言しているほか、日本テレビプロデューサーだった川口晴年は、チーフプロデューサーのが企画を提出した後に、から派遣された専務が会議でで制作することを有無を言わさない形で決めたと証言している。 これに関して制作担当のは、が本作の放送枠を取る時に「周りの反感を買うようなやり方をした」ことや前身の時代に社長のが日本テレビプロデューサーのとを起こしていたことなどから「日本テレビの心ある人は信用してなかったみたい。 だから会社がの反応は早かったですね」とのインタビューで語っている。 また日本テレビ動画の元関係者は、日曜枠に本作を入れるのに「本来は別の番組で決まっていたのを、無理やりねじ込んだ」という噂を聞いたことがあると証言している。 本作の制作進行やスケジュール管理など実務全般を取り仕切った制作主任の(本作では本名の「下崎闊」名義で参加)は、にを退社後、のを担当していたで『』を手伝った縁から日本テレビ動画の佐々木一雄プロデューサーと知り合った。 真佐美によると日本テレビ動画では『モンシェリCoCo』の後作品として企画のひとつに『ドラえもん』があり、1972年7月以前には『ドラえもん』の企画が既に存在していたという。 『ドラえもん』に企画が絞られた頃、真佐美は近くの高級店で、佐々木から本作の制作担当を依頼された。 この時、初めて原作漫画を読んだ真佐美は、本作が子供たちに夢を与える内容であると感じ、アニメの世界に入ってから常に「子供に夢のある作品を」と思い続けていた真佐美は「今後このスタジオから、将来のアニメ界を背負っていくような人材を育てていこう」と将来の夢を佐々木と語り合い、快く協力することを約束。 1972年11月に日本テレビ動画へ入社した。 真佐美が演出を担当したのメインとなるで空を飛べるという、夢のシーンの紹介では、作画スタッフらも童心に返って一生懸命昼夜を問わず作り上げたシーンだったと回想する。 なお、局側の都合で放送3ヶ月前に企画が急遽決定したため、真佐美は予定より早くパイロットフィルムを作り上げ、完成後にはスタジオ近くので試写を行うなどして子供達の反応も事前に確かめていたという。 なお、真佐美は「当時『ドラえもん』をテレビアニメ化するのは相当な冒険であって、今でこそ国民的な漫画となっているが、当時はまだ原作漫画の単行本も出ておらず、子供でも『ドラえもん』を読んでいたのはを買ってもらってる一部の子供だけであり、他の(大手週刊少年)漫画雑誌連載のテレビアニメ化とはわけが違った」と述べている。 また編集部の武藤晃も「この頃の『ドラえもん』の立場を表すなら『』が刊行される前の『』みたいなもので、先輩の『』『』『』などと比べても明らかにマイナーな存在であることは否めなかった」「常識で考えればそのような作品をアニメ化するのは異例とも言えるが、その少し前に放映されていた『』のヒットの影響も大きかったのかもしれない。 勿論『新オバQ』がヒットしたからといって、同じ作者の別の作品が簡単にアニメ化される程この業界は甘くはないだろうから、社長のさん達の先見の明とその後の努力が実を結んだのであろう」と推察している。 メインスタッフには出身のメンバーが集い、アニメ制作はの東京および新潟スタジオ と、幾つかのスタジオがローテーションを組んでスタートした。 グロス請け先は、、、、などのローテーションが当初予定されていたが、放送開始前後にスタッフの変更もあったようで、確定とは行かなかった模様である。 なお、真佐美が個人的にラッシュフィルムを保管している第21回Bパート「お天気ボックスの巻」は、後に第2作以降の制作を請け負うことになるの前身であるAプロダクションに外注されていたことが近年判明している。 は後にを創設するであった。 上梨を選んだ真佐美ジュンは、その理由として「人柄も他人の面倒見も良く、穏やかだが一つ作品に入り込むと妥協を許さない」と述べており、日本テレビ動画で若手を育てようと将来の夢を語ってチーフディレクターに迎え入れたという。 また真佐美は「一人の演出家が全体の流れを統一したほうが原作者の意向を反映出来るため。 そして全体を任せられて、若手で力のある演出家を選びたかったから」とも語っている。 しかし実際には原作者からの注文や要望はほとんどなかったとされ、上梨も最後まで原作者と会うことはなかった。 当初、ドラえもんの声はが担当した。 現在放送中のアニメ第2作とはイメージが異なるが、当時のスタッフは、ドラえもんというキャラクターに「世話好きなおじさん」というイメージを抱いていたことから、動物役なども多く演じていた富田に初めから配役するよう決めていたという。 アニメ第2作以降と比較して、色指定のコントラストは穏やかであった。 これは、1973年当時のアニメの多くが一度35mmネガフィルムで撮影し、その後、16mmポジフィルムに転写してテレシネスコープで放映するという物だったのに対し、本作は直接16mmフィルムで撮影していたことにも起因する。 キャラクターの声を担当したやは本作をモノクロ作品だと記憶しているが、実際にはカラー作品である。 1973年4月1日、事前に制作されていたを流用し再構成した「 出た! ドラえもんの巻」を第1話として放映が開始された。 放映開始後 [ ] 本作は日曜の夜7時からの30分番組というでの放送であったが、小学生向けの漫画を原作として製作された本作は、対象とする年齢が低かったこともあり、強力なに押され、当初は視聴率で苦戦したとされる。 また半年間という当時としては比較的短期間の放送であったため、「不人気で打ち切り」という噂が一般化していたが、実際には元々2クールの放送契約で、ある程度の視聴率が確保出来たらその後も継続するという契約であった。 また『』『』での連載が4月号から開始されたこともあり、番組の対象年齢の引き上げと「世話好きなおじさん」然としたドラえもんの年齢イメージを下げることを目的に、の声を担当していたを降板させ、2代目となるに交代するなどのを図った。 放送2クール目に入ると、原作では数回しか登場しなかったアヒル型ロボット「」をレギュラー入りさせるなど要素も強調したという。 なお、やに掲載された原作漫画は短いページ数でまとめられていてストーリー性が薄く、アニメ化すると尺が余ってしまうため、原作を元にしつつアニメオリジナルの要素を随所に入れていき、放送後半にはテレビアニメのオリジナル要素がかなり増えたという。 また当時は原作漫画の連載が開始されてからまだ3年程度で、原作のストックも少なくすぐに使い切ってしまい、放送が継続されていたとしたらオリジナルストーリー主体になっていただろうとは述べている。 ちなみに原作不足のためテレビ用に書き起こしたオリジナル設定は原作者の承諾済みであり、真佐美としては「原作を外れた内容を作ったという意識はない」としている。 また当時の制作スタッフは音声まで入った完成フィルムを惜しげもなく全面リテイクするなど、クオリティの向上には常に真摯に取り組んでいたという。 これらのテコ入れの甲斐もあり、徐々に視聴率も上がっていたと真佐美は述べている。 また収益自体も黒字で、スタッフらは8月初旬ににある日本テレビのに招かれて豪華な接待を受け 、実際に3クール目に延長する予定もあったという。 主演声優が交代した前半と後半を比較すると、前半の平均7. 突然の中断 [ ] 2クール終了間際の1973年8月中旬、の実質的経営者(社長と自称)だったが突然失踪した。 によると、新倉が失踪する前後の8月初旬と9月初旬に日本テレビのプロデューサーから「日本テレビ動画が解散するという話が下請けから出ている。 それが本当なら下請け側は死活問題なので、入金の保証があるまで納品しないという状況になっている。 その話は本当か? 」と聞かれ、真佐美は否定したが「絶対に放送に穴はあけないでくれ」と釘を刺されたという。 また真佐美は入金を心配する下請け側に対しても「もし何かあったら責任を取って私はこの業界から足を洗う。 私の顔を立ててくれないか? 」と説得しに回ったという。 その後、経営を引き継いだ同社の会長(登記上の代表取締役だった、役員の稲庭左武郎を指すとみられる )はアニメ会社の経営に無関心な人物で、「もう止めよう」の一言で会社は解散したという。 解散について真佐美は、失踪した社長のが前身の時代に社運をかけて製作した『』で出した大赤字を本作で得た収益で補填できたことに加え、「その前にいろんなことをやられて懲りた」という稲庭が、新倉の失踪を機に「少しでも赤字が埋まったところで解散した」と述べている。 一方、美術監督のは新倉の失踪の理由を「次回作が決まらずに資金ショートしたからではないか」との取材に答えている。 会社の解散という混乱の中、同年9月30日放送の「 」をわずか2週間で作り上げ最終話とし、半年で終了となった。 最終回は自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をする姿を、未来の世界に帰ったドラえもんがタイムテレビで見守るところで物語が終わる。 最終回ラストのは「次回もお楽しみに」として終了させており、これは制作主任の真佐美による演出であった。 これを疑問に思った(担当制作)の木沢富士夫 に、真佐美は「こんな形で日本テレビ動画のドラえもんは終わってしまったがスタッフのみんなは、まだ続けたかった。 また番組最後の「おわり」のでドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていくシーンがあり、これにも続編製作の希望として「再会」の意味が込められているという。 最終回が放送された9月30日、ブラウン管に映る『ドラえもん』が描かれたスタジオには既に人影はいなかった。 その後、残された旧作スタッフは債権処理などに追われ、ついにが再建されることはなかった。 しかし、6年後に他局他社ではあるものの現在のテレビ朝日版によって「」は実現し、テレビ朝日版の第1話は「未来の国からはるばると」という原作第1話のエピソードではなく、通常のエピソードの1本である「」とした。 これが普通に本編から始まっている所からも、まるで第1作の続編を意識したかのような形がとられ、両者の間で受け渡しがあったかのような構図になっている。 放映終了後 [ ] 残されたのスタッフらは、先の支払い金を充てるために会社の備品など売れるものは全て売り払い、社屋引き払いのため本作に関する資料のほとんどを止むを得ず廃棄処分したという。 しかし、実際には、のように全く支払われなかった外注スタッフもおり、川本は日本テレビのプロデューサーから「制作費は既に日本テレビ動画に支払っているから、これ以上は払えない」と言われたという。 また、川本によると少なくとも日本テレビ動画が外注した(川本が主催)とには最終2話分のギャラが未だに支払われていない。 この件に関して「私の後任のプロデューサーは局と外注スタッフとの板ばさみになって非常に苦労された」という企画当初のプロデューサーである川口晴年の証言も存在する。 は最終回が放映された9月30日の夜、の解散に伴う社屋引き払いのためセル画や絵コンテなどの制作資料を、(現・)内ので止むを得ず焼却処分したと証言している。 このような理由から、結果的に本作の資料は当時のスタッフが個人的に所有している一部のものを除いて、ほぼ現存しないとみられている。 様々な想いを馳せたライトバン一杯に詰まったセル画、せりふ台本、絵コンテ、カット表、シナリオ原本、色見本、色指定キャラクター集、現金出納帳が目の前で燃えていったことを、真佐美は「わが子をに付す気持ちでした」と、当時置かれた心境を回想している。 放送終了後も藤子・F・不二雄は後述する作品内容への評価とは別に、個々のスタッフの姿勢に対しては好意的であり、真佐美が放送終了後に藤子本人に会いに行った際には「是非またやろうよ」と言って握手してもらったと述べている。 解散後、元スタッフらはのアパートに日本テレビ動画の労働組合を作り、を受け取りながらとの交渉の拠点としていた。 その後、元スタッフらは就職先が決まったり、仕事を廃業して田舎に帰ったりしていたので、日本テレビ動画の労働組合はに活動を終結した。 本作のフィルムは放送終了後も日本テレビで7年間管理され、その間は地方局へ貸し出されることもあった。 は系での放送が開始されるまでの5年余りの間に、日本テレビ平日朝の再放送枠『』()をはじめ、地方局などで比較的多く行われていた。 フィルムは日本テレビでの管理期間終了後、散逸して行方不明になっていたと思われていたが、の調査により、本作の現像を担当した東洋現像所(現:)がに横浜工場を閉鎖する際の在庫整理でを含む後半16話分のネガフィルムを発見し、同社が委託している東京湾岸の倉庫に保管されていることが判明した。 ただし、日本テレビ動画の著作権の引継ぎ手が不明なため、宙に浮いた状態となっている (現存状況については)。 編成上、日曜夜7時枠は日本テレビ制作枠から読売テレビ制作枠に切り替えられ、元々月曜夜7時半に放送されていた「」が移動、空いた月曜夜7時半枠は一旦日本テレビ制作枠に変更し、木曜夜7時半に放送していた『』が移動した。 木曜夜7時半枠は夜8時に放送していた「」を枠拡大するように変更された。 なお日曜夜7時枠でアニメが放送されたのは、からまで放送された『』以来だが、『ディズニーランド』は「海外作品」「1時間番組」「実写と併用」であったため、「国産」「30分作品」「オールアニメ」は『ドラえもん』が開局以来初めてであった。 その後、同枠ではに『』、に『』がそれぞれ放送されるが、いずれも制作作品であるため、日本テレビ制作作品は『ドラえもん』が唯一となった。 本作の放送終了後、日本テレビ制作の『』が1989年に放送されるまでの間、で新作のが放送されることはなかった。 旧から新へ [ ] 本作の声優を担当した声優の一部は、シンエイ版にも主要人物を演じており、はのび太から、はからのび太、はからを演じている。 また(のび太のクラス担任)、スネ夫の父を担当したは同じく先生は一時期、スネ夫の父は2005年に声優陣が一新されるまで担当していた(途中、代役あり)。 劇場版では、は『』においてポセイドンを演じているほか、は『』でログを、『』でクルリンパを、『』で少年を演じた。 また1983年の(シンエイ版)実写アニメ合成の特別番組『』では、しゃべるひみつ道具キャラクター「なんでもナレーター」の声として登場している。 他にも野村道子、神谷明、田中亮一など、シンエイ版でもドラえもんのキャラクターを演じた人物が出演している。 「封印」の状況とメディアでの扱い [ ] の段階で、再放送およびDVD化はなく、テレビ番組などでまれに紹介される機会があっても、本作に関する説明がなされたこともほとんどない(雑誌やなどのドラえもんやの年表にも本作のことが掲載されていないケースが多い)。 その理由と経緯については、の著書『封印作品の憂鬱』(、)において、関係者などの証言が詳しく述べられている。 原作者のは本作の内容に否定的であったとされる。 このアニメ化は、前記のようにのプロデューサーからの小学館への申し入れによって決まったとされ、当初藤子・F・不二雄は日本テレビから寄せられた依頼に応じて舞台となる街や野比家の設定に使う絵を制作会社に送ったりしたが、それに対する反応がまったくなかったと前記の井川浩は述べている。 その一方で、制作主任であったによると、藤子・F・不二雄との打ち合わせに関しては、当初は真佐美が喫茶店で当たっていたと証言しており、「原作者からの注文や要望は最後までなかった」と述べている。 その後、藤子・F・不二雄は次第に仕事の都合から出向いてまで打ち合わせを行える暇がなくなり、その際には当時藤子・F・不二雄と共に「」として活動していた名義上は本作の原作者の一人である安孫子素雄() と校正などの打ち合わせをしたという。 藤子・F・不二雄とのパイプ役には文芸担当の徳丸正夫が「演出的センスを持っていて人当たりがよく辛抱強い」という理由から「原作者との校閲係」に選ばれ、藤子・F・不二雄との「脚本」「絵コンテ」「キャラクター設定」「色指定の校閲」のパイプ役として打ち合わせにあたっていたという。 徳丸正夫は打ち合わせをするため、(かつてはのビル内にあった)に24時間待機して、空いた時間を使って藤子・F・不二雄と常に校閲を行っていたという。 これらの点は、井川浩ら「原作者や小学館とは没交渉のままアニメ制作が進められた」という小学館関係者の証言とは大きく食い違っている。 ちなみにフィルムの編集作業は、奇しくも当時の藤子スタジオと同じビルのスタジオ・ゼロで行われていた。 放映中に制作会社が突然解散したことで残されたスタッフは債権処理などに追われた。 そのためか「番組が打ち切られた報せが小学館に来なかった」と、井川浩は述べている。 当時の漫画界では「アニメが終わったら原作も終わる」というのが常識であり、そのため『ドラえもん』も一時は連載を終わらせ、新キャラクターと入れ替えようという話が小学館から出ていたという。 しかし自作『ドラえもん』に愛着のあった藤子・F・不二雄は、それを押し切る形で新連載である『』との2本立ての形で連載を続行したが、1974年より刊行が始まった『ドラえもん』の単行本が予想外の大ヒットとなったため、『みきおとミキオ』の連載は1年で打ち切られた。 富山県での再放送打ち切り [ ] 、の放送が開始された頃、7月から8月にかけて藤子・F・不二雄の故郷でもあるの(系列)で本作が再放送された が、9回目(第5話Aパート)の放送で打ち切られた。 これを最後に再放送は行われていない。 この出来事は「 富山事件」とも呼ばれている。 元小学館専務の赤座登はこの件について、富山県での再放送の情報が小学館やに入った時、藤子・F・不二雄は憤慨し、「私が作った原作のイメージと違うし、放送してほしくない。 できたら何とかしてほしい」と述べ 、これを受けて小学館と藤子スタジオは日本テレビ版の契約書がない(作成していなかった)ことを確認し、「口頭契約は最初の放映の許諾にとどまる」という弁護士の見解を得てから、原作者の意向に沿って、小学館と藤子スタジオの連名で、放送中止を求める警告状をで富山テレビに送ったと証言している。 一方、元編成担当のは自著『視聴率15%を保証します! 』(、)の中で「せっかく放送開始したのに日本テレビの旧作が再放送されると、子どもたちが混乱してしまう恐れがあるので、小学館に旧作を封印してもらいました」と証言しており 、本作の封印はテレビ朝日関係者が主導したことを明かしている。 これは赤座の「原作者からの苦情で再放送の中止を依頼した」という証言とは全く異なるなど、当事者同士の間で話が完全に食い違っており、依然として情報が錯綜している。 関係者は安藤の取材に「 仮に『日テレ版』の露出があったところで(中略)現行の『ドラえもん』のイメージを損ねるマイナス露出でしかないんですよ。 原作者や権利者サイドに特にメリットがないため、露出に向けて積極的に動くことはないでしょうね。 基本的には触れてはいけないものという感じです」と述べ、安藤は「今のテレビ朝日版のイメージが唯一のもので、それ以外のものを出す必要はない」という「ビジネスの論理」の存在を指摘している。 また、それ以外の「封印」理由に「制作会社の解散から著作権の扱いが曖昧」のうえ「当時の資料が乏しいため公式でも内容を取り扱いにくい」という問題がある。 現状の扱い [ ] および小学館が監修発刊したムック『ドラえ本3』(小学館、)には写真入りで本作がわずかに解説されており、「原作のイメージと違っていて半年で終了した幻の番組」と紹介されている。 こうした公式サイドによる否定的見解の慣例化や、雑な偽物の が出回るうえ、事実無根のデマや誤った情報の流布、資料の焼却、フィルムの散逸などから情報、露出の非常に乏しい作品となっていた。 少なくとも初頭までは、誤った情報が公式に伝わっており、頃に元スタッフのが自身の上で正確な情報を公開するまでは、がでなくとされていた。 なおスタッフの情報が間違って伝わっていた理由として日本テレビ動画が解散して当時のスタッフや状況の調査が困難になった末、に杉山卓(元・)が執筆した『テレビアニメ全集2』(秋元文庫)において日本テレビ動画の前作品『』のスタッフ情報を引用し、以降の資料は全てこの本を元に作成されたため、このような誤解が生まれたのであろうとは述べている。 末、日本テレビで放送されていた『』においての所蔵している映像を放送する企画があったが、明確な理由が示されずにオンエアには至らなかった。 には、会報誌43号(2006年12月発行、8月改訂版発行)にて本作の特集が行われ、チーフディレクターの、制作主任の、作曲家の、初代声優ののインタビュー、真佐美が提供したオープニング絵コンテ、第1回スケジュール表、サブタイトルリスト、スタッフ・キャストデータ、作画設定資料、フィルムストーリー、、放送の第1話「出た! ドラえもんの巻」の原作「」の再録など多数の資料が掲載された。 なお本特集では「今まで歴史の隅に隠されてきたアニメ『ドラえもん』の原点にスポットを当てる必要があるし、またそうすることによって、これまで思い込みで『失敗作』と決めつけられたのスタッフ達の業績に対して、正しい評価が下されることであろう」「日テレ版『ドラ』は、これまで残された情報があまりにも少なく『失敗作』というレッテルを貼られてきたが、そのレッテルを一旦剥がして、もう一度新たなる評価を下す必要があるのではないだろうか」と結ばれている。 、CS「」が旧作を再放送するために権利者とフィルムの行方を捜索したが、またしてもオンエアには至らなかった。 は自身の所持するフィルムを元に無償での上映会を行っていたが、にから上映会を中止するよう要求された。 真佐美側は「非営利」「無償」「無報酬」の上映会であれば、著作権者の許可を得ずに開催可能()であること、現在の作品自体の権利状況において上映に問題が無いことを訴えたが、結果的に両者の交渉は決裂してしまった。 そんな自分たちが携わってきた愛すべき作品に興味を持って頂けるなら、多くの方に知っていただきたい、と思うのが人として当たり前だと理解していただきたい。 しかし、という剣を振りかざして、それらの作品を封じ込めようとする営利目的企業などが存在することも事実である。 (中略)私は営利を目的とせず、ただ、こういう作品を作ったという証を多くの方に知っていただきたく思うので、年金暮らしの苦しい中でも相変わらず、夢を追いかけることを喜びにした。 これからの短い人生を楽しみたいのである。 、日本テレビ『』のインタビューでが「ぼくドラえもん。 」とドラえもんの声を演じている。 また、野沢は『』(2015年7月9日放送)でも、「モノクロだったんです 」「出すの早すぎたんでしょうね、そんなに長く続かなかった」などと僅かではあるがこの作品について証言している。 そして番組の最後には「今日もごきげんよう」とドラえもんの声を演じている。 設定 [ ]• 制作主任のは、製作にあたっての色を決めるのに『』編集長の井川浩や『』の坂本副編集長、『』の上野編集者らと会い、原作者に修正など無いか見てもらうためのを渡され、原作の3色刷のカラーページを参考にして色指定を行ったという。 この時、参考にしたカラーページのドラえもんは青色で印刷されていたため、青いドラえもんを何色か作り、藤子Fの校閲を受け青色に決定した。 しかし、実際に青色にすると空の色と一緒になってしまうため、作画スタッフは背景に雲を入れるなどして対処したという。 第1話「」(1973年4月1日放送)には、相手の頭も体も弱くさせるという秘密兵器が登場している。 後に真佐美は、今ではだが、当時はまったく問題なかったと述べている。 なお、この話は『小学一年生』1970年11月号掲載の「」(未収録)に改定を加えたものであり、原作の「クルパーでんぱ」と同様の効果を及ぼす。 またアニメ版ではガチャ子でなくドラえもんが使用した。 のによれば放送局から内容への注文は特になく、プロデューサーのから打ち合わせ前に「この番組のへそ(キーポイント)はなんですか」と聞かれた程度のものだったという。 ただしとの兼ね合いで第16回Aパート「おれ署長のだいりの巻」では「」を「」に言い換えるなど、制作当時のに合わせた微細な調整は行われていた。 一方では、を提出した頃、日本テレビからの要請で「年上の召使い」然としたを「のび太の友達」というイメージに近づけるため、声優をからに変更したと証言している。 この際、制作側から「今のままの声で良い」と言う意見が出なかったため「そういうことなら仕方ない」と声優交代に応じたが、演出部は富田の降板に反対していたという。 なお、真佐美は声優交代に対する視聴者の反響について「葉書が回ってくる頃にはもなくなってしまったから、どのような反響があったかはわからない」 と回答しているが、放送当時の(1973年7月15日付)には「ドラえもんはユニークな声の魅力に負うところが大だった。 どういう事情で変わったのか知らないが、声変わりしたドラえもんは魅力がなくなった」という批判的な投書が掲載されていた。 のちに真佐美は「声優さんに途中で変わってもらうと言うことは、大変失礼なことで、声優さんにはなんの落ち度もなく、一方的に交代して貰ったわけで、大変心苦しく思ったことを覚えています。 ただ何のトラブルもなく、気持ちよく交代して頂けたと報告を受け安堵いたしました」「新しく『』が始まって声優もでイメージがぴったりで、これがドラえもんの声だと思いました。 作品的にも良く出来上がっていて、文句の付けようもなく、安心してドラえもんをお任せできると、そのとき思ったことを思い出しました」と回想している。 原作及び第2作との相違点 [ ] 初期原作の設定やアニメオリジナル設定を用いているので、第2作以降とは異なる設定が複数存在する。 これは連載当初のドラえもん像に顕著である。 序盤は中年男性だったがドラえもん声優を担当したこともあって、非常におっとりとした哀愁漂う親父臭い性格に設定されていた。 しかし担当声優がに代わって以降、原作の連載初期のような短気で自己主張が強く活発で好戦的な性格に変更され、近所の相撲大会や小学校のラジオ体操などの行事に参加したり、のび太と一緒にのび太の父親に海水浴に連れていくことを強請る描写があり、原作以上に子供らしい性格に描かれている。 このように声優の性別が入れ替わるドラえもんの声変わりは、当時の視聴者に大きな衝撃を与えた。 シリーズ前半はのを舞台にしたハートフルな人情路線であったのに対し、シリーズ後半では「の声優交代」や「のレギュラー化」など大胆なテコ入れを図ってドタバタ喜劇を中心とした「」へと路線変更した。 なお放送開始まもない1973年5月末頃までに提出された(提出先・配布先ともに不詳)には「のび太を側面から補助する役割としてドラえもんを登場させた」という当初の構成方針について「主人公ドラえもんの性格描写を忘れ、主人公でありながら、ドラえもんを影の薄い存在にしてしまった。 しかも、演出テクニックとして、原作の特色であるスラップ・スティックな表現を禁じたために、迫力に欠ける単調なコメディの次元に留まってしまった」と、その性向を「単調なコメディ」と自虐的に捉えた記述も確認できる。 これについて編集部のポール舘は「愛読者・視聴者は、のび太にこそ自分の姿を重ねて作品を共感を以て迎え入れることを的確に捉えているのにも関わらず、製作者にとって、マンガ『』の主人公は作品タイトルの『ドラ』本人であってほしい、という不文律を背負ってしまっている『ねじれ』が見受けられる」と指摘している。 作風の変化に関してのは「前半は比較的テンポがゆったりして、の良き仲間としてドラえもんを描けたのに対して、後半はテンポアップして時代にはあっていたようですが、せわしかったように思えました。 私としては、前半の方が好きでした」「終盤は会社を畳むというので、ドタバタしていましたので、あまりよく憶えていませんが、シリーズ後半がな内容になっていたので、でハートウォーミングな話にできて、うまくまとまったと思いました」と語っている。 一方で制作主任のは「ドタバタナンセンスってのはスタッフの性にあってたのかもね。 僕が呼んで来るスタッフはで一緒にやってた仲間が多いから、だんだん地の虫プロのカラーが濃くなってきた」と語っており、後半になると原作の『』のようなテンションの高い作品になっていったという。 は自著『』()で本作を否定する発言を繰り返し行っており 、本人へのインタビューで「日テレ版は全然人気が出なくて半年で打ち切りになった。 原作にない話やキャラクターが出てきたり、途中でドラえもんの声が変わったり、いじりすぎたんです。 アニメ化した人が原作をちゃんと理解してなかったんですね。 作り方があまりにメチャクチャで、こんなのもうドラえもんじゃないって作品になっちゃって。 見てる側が訳がわからずついていけなくなった」と語っている。 一方で主催の藤子アニメで本編を初視聴した作家のは「作品のノリが同時期の系のの系譜で、非常にテンポが良く、全体的に楽しめました。 背景も色彩が濃いなんかよりも全然素晴らしく、下町情緒に溢れていて、まるで氏が描かれたみたいでした。 観賞後、仲間内で、原作の世界観をいじり過ぎだという意見も聞かれましたが、スネ夫のママが空手の有段者だったり、ジャイアンの父ちゃんが背が低かったり、やたらを強調したりのアレンジは、大らかな(東京ムービー全盛)時代のギャグアニメならではの微笑ましさがあり、僕的には全然OKだったりもしました。 ギャグ的にも異常なパワーを感じさせるのも素晴らしかったですね」と肯定的な評価を下している。 またブログ「」を運営している研究家のも「実際に観てみれば、現在の『』のイメージとは違うものの、原作初期のなノリとキャラクターの性格を活かしつつ、独自のアレンジと解釈を施すことで、おもしろい娯楽作品に仕上がっていると感じた。 少なくとも、失敗作などというイメージからは程遠いものだった」 「ドタバタナンセンスのなかに下町的な人情や活気やユーモアが漂い、しかもで引き起こされる不思議な世界がそこにブレンドされて、屈託なく楽しめる」 と高く評価している。 なお、えびはらの証言には「人気が出なくて打ち切りになった」「」「(の絵を指して)原作にはないキャラが出た」など事実誤認が散見され 、一部のネットユーザーからは「非常に一面的で、客観性に欠ける」「当時はテレビアニメ化といえば翻案が行われるのがごく当たり前で、原作に忠実でなかったことを今の価値観で断罪するのは公平ではない」「今になって原作者サイドの一方的かつ感情的な意見を無批判に広めることで、より封印の理由付けに寄与してしまうことも誠実ではない」という批判の声もある。 こうした本作に対する誤解と偏見のみが伝承流布される状況のなか、元スタッフのは「私の後期の仕事は一匹狼のところがあってスタッフも少数しか使っておりませんでした。 自分から連絡を絶ってしまったので自分を責めるしかないのですが、私が関わった物が闇の中にあるような気がします。 正しく伝わっていないのです。 『ドラえもん』も短い期間で当時の事を知っているスタッフも居らず仕方がない事だと思います。 でも間違って伝えられるのは汗と涙を流した仲間たちに申し訳ありません。 出来るだけ思い出して、なるべく正確に伝え残す義務と責任があると考えております」 「私としては昔、『日テレ版のドラえもん』があったよと言いたいんです。 昔は『とんでもない作品』とか、カラー作品なのに『白黒だ』とか、別のものが『これが日テレ版のセル画だ』とか、間違った情報が出回っていたんです。 それが嫌で『一生懸命作ったアニメですよ』と言いたくてサイトを作りました。 自分で作った作品だから愛着ありますよね。 『こういう作品ですよ』と、見せたいというのが僕の活動の根底にあります」 とコメントしている。 脚本を担当したは、本作の方向性に「何につけてもドラえもん頼みである原作のび太の性格に、もう少し自主性を持たせる少年にする方向で始めた番組」と明かしており、文芸担当の徳丸正夫や脚本陣が話し合い「自主性のあるのび太少年」の方向性を決定づけたという。 このことに関して鈴木は「 藤本先生としては原作の思い通りになっていないと感じていたんでしょうね。 ただ、あの先生はそういうことをはっきり拒否しなかったから、僕らがそのまま勢いづいてやってしまった」 「 あれはやっぱり失敗でした。 のび太が何でもドラえもん、ドラえもんって言うでしょう。 それで、僕らはもう少し自立心のあるのび太にしようじゃないか、みたいな話をしたんだけど、子どもたちは別にそれを望んでなかったんですよ」 と原作とアニメに違いが生まれたことを認めている。 なお、最終話のラストシーンでは、ドラえもんに頼らず転げ落ちながらも自転車の練習をする「自立したのび太」が見事に描かれている。 しかし、私にはひとりの情熱にあふれる少年の姿として、非常に美しい光景に思えた。 原作に5話だけ登場し、唐突に姿を消しただが、アニメ化にあたり当時の原作数の少なさを補うために、レギュラーとして登場させたという。 なおガチャ子は、野比家でなく源家に居候している。 最終話では未来に帰らず、引き続き20世紀の源家に居残る。 静香の家には、によく似た風貌のボタ子という訛りが特徴的ながいる(原作ではてんとう虫コミックス第4巻で一度だけ登場)。 富田耕生演じるドラえもんは秘密兵器を出す際、「あ〜らよっ」とでかけ声をかけていた。 のび太とジャイアンの普段着が赤色。 セワシがのび太と同じく眼鏡をかけている。 の総称が「秘密兵器」。 「」の名称が「ヘリトンボ」(原作でも初期作品で使われていた)。 「」は登場せず「ミラクル扉」という秘密兵器が登場する(1973年5月13日放送の第7回Aパート「決闘! のび太とジャイアンの巻」より)。 なお原作では『』1973年4月号掲載の「ハイキングに出かけよう」(てんとう虫コミックス第0巻収録)で「どこでもドア」に相当するひみつ道具が初登場しているが、放映当時はまだ名前が命名されていない。 ドラえもんの鈴は「」というネコを呼び寄せるための鈴だが、原作では故障しており使用描写はない。 しかし「ネコあつめすず」の記述以前に、日本テレビ版ではネコを呼び集める「ネコジャラリン」という鈴が登場しており、作品内では故障せず機能していた(1973年8月5日放送の第18回Bパート「くるったハラ時計の巻」より)。 小学校の名称は下町小学校。 のび太の担任の姓が我成(がなり)。 本作ではドラえもんは21世紀から来た設定になっている(原作初期設定より)。 ジャイアンの母は故人であり、ジャイアンは父子家庭で育つ。 ジャイアンの父は体格が小柄で、人柄が良く息子思いの面が強調されていて、息子のためを思って無理をすることがある。 腕力はとても弱い設定。 名前は「小助」。 雑貨屋「正直屋」を営む。 によると普段は乱暴者の剛田武の優しい一面をどうしたら表現できるかということで、このような剛田家の設定になったという。 原作第1話から登場している「」は不在の設定。 また「」も登場しない。 放映開始前後に発売された『小学五年生』1973年4月号掲載の「ハイキングに出かけよう」で「」が原作に初登場しているが、本作には最後まで登場しなかった。 明確にドラえもんが未来に帰る最終回が存在する唯一のテレビアニメシリーズである。 声の出演 [ ] 所属事務所別ではとが協力している。 - 不明• - 不明• - 不明• - 不明• - ゲスト声優 [ ]• - お世辞鏡• (「水 島鉄夫」と誤表記)• 他 スタッフ [ ]• 原作 - (小学館学習雑誌連載)• 企画 - (日本テレビ)• プロデューサー - 川口晴年、米沢孝雄(日本テレビ)、佐々木一雄• チーフディレクター -• 音楽 -• 効果 - ()• 録音 - 番町スタジオ• 現像 -• 音響演出 - 近森啓祐• 音響制作 -• 美術監督 - 鈴木森繁、• 撮影監督 - 菅谷信行(スタジオ珊瑚礁)• 撮影 - 菅谷正昭(スタジオ珊瑚礁)• 選曲 -• 調整 -• 編集 - 西出栄子()• 文芸 - 徳丸正夫• 担当演出 - 岡迫和之、• 制作進行 - 木沢富士夫、小野忠、増田厚美、山下一郎• 制作事務 - 増田一恵• 制作主任 -• 制作 - 各話スタッフ [ ]• 脚本 - 、、井上知士、吉原幸栄、馬嶋満、園屁蔵士• 絵コンテ - 、、、岡迫和之、棚橋一徳、奥田誠二、矢沢則夫、、• 作画監督 - 鈴木満、生頼昭憲、白川忠志、村田四郎、宇田川一彦• 原画 - 永樹たつひろ、竹市正勝、熊野基雄、上條修、田中保、佐藤徹、山下征二、スタジオジョーク、スタジオテイク• 動画 - 秋山博雅、岡山陽子、荒井政良志、加藤輿治、楠田悟、滝波いつ子、八武崎好郎• 背景 - 、高野正道、亀川尚子、平川やすし、細谷秋男、、阿部行夫、西巻晶子• 仕上 - 江口マキ子、大橋啓子、黒田英里子、小林一幸、島崎あつ子、長村葉子、石田康美• 曲名は「ドラえもん(旧)」という表記が用いられている。 なお、本放送時では音色とテンポがフルコーラス版と異なる。 「ドラえもんのルンバ」と表記されることもある。 主題歌2曲に関しては日本コロムビア『』をはじめ、オムニバス盤CDなどにも収録されている。 パイロットフィルム [ ] 詳細は「」を参照 内容は 「ドラえもんが未来からやってくる」という原作第1話を意識した作品で、第1話「」およびにおいて「ドラえもんが未来からやってくる」といった内容が描かれなかったのに対し、本作はドラえもんとのび太の出会いを描いた物語となっている。 パイロット版の制作および演出は、のと佐々木一雄が担当し、設定やシナリオは文芸担当の徳丸正夫が用意した。 なお、のは、会報誌43号のインタビューでパイロット版の制作には不参加だったと述べている。 」と読み上げる。 なおサブタイトルが「 の巻」で構成されているのは、本作が唯一。 回数 放送日 サブタイトル 1 サブタイトル 2 第1回 1973年 4月1日 出た! ドラえもんの巻 ペコペコバッタ大騒動の巻 第2回 4月8日 屋根の上のすてきな子の巻 のび太のご先祖さんの巻 第3回 4月15日 キューピットで好き好き作戦の巻 弱味をにぎれの巻 第4回 4月22日 ねずみに弱いねこもあるの巻 ガキ大将をやっつけろの巻 第5回 4月29日 おせじ鏡の巻 パパとママの結婚記念日の巻 第6回 5月6日 のろいのカメラの巻 宝くじ大当たり作戦の巻 第7回 5月13日 決闘! のび太とジャイアンの巻 私は誰でしょうの巻 第8回 5月20日 アベコンベ騒動の巻 お化け屋敷の謎の巻 第9回 5月27日 クイック・スロー大作戦の巻 のび太は雨男の巻 第10回 6月3日 ウルトラミキサーの巻 ねがい星流れ星の巻 第11回 6月10日 ふしぎなふろしきの巻 のび太のおばあちゃんの巻 第12回 6月17日 大リーグの赤バットの巻 男は力で勝負するの巻 第13回 6月24日 ガチャ子登場の巻 おしゃべりくちべにの巻 第14回 7月1日 すきすきカメラの巻 天の川でデイトしようの巻 第15回 7月8日 へんなロボットカーの巻 ニコニコせっけんの巻 第16回 7月15日 おれ署長のだいりの巻 さあ夏だ! スキーをやろうの巻 第17回 7月29日 成績表はいやだなあの巻 自分の影をつかまえろの巻 第18回 8月5日 潜水艦で海に行うの巻 くるったハラ時計の巻 第19回 8月12日 キャンプ騒動の巻 忘れな草って何だっけの巻 第20回 8月19日 クーラーパラソルの巻 いつでも日記の巻 第21回 8月26日 宿題お化けが出たの巻 お天気ボックスの巻 第22回 9月2日 ぼくに清き一票をの巻 まんが家修行の巻 第23回 9月9日 すてきなガールフレンドの巻 花いっぱい騒動の巻 第24回 9月16日 そっくりクレヨンの巻 静香の誕生日の巻 第25回 9月23日 宇宙飛行士になりたいの巻 まいごマゴマゴ大騒動の巻 第26回 9月30日 ネンドロン大騒動の巻 さようならドラえもんの巻 関東地区の平均視聴率は6. 第16回と第17回の間のは、「」(。 読売テレビ制作。 枠は19:00 - 21:25)のため休止。 最終話「さようならドラえもんの巻」について [ ] ストーリー が家に帰るととが何か話している。 セワシは何かを話そうとするが、ドラえもんに「僕が話すから」と止められ、「きっとだよ」と言い残し未来に帰って行った。 ドラえもんは浮かない顔で何かを話そうとするが、そこへデパートから最新型の自転車が届く。 のび太は達とサイクリングに行く約束をしたものの、自転車に乗れないので安直にドラえもんを頼ろうとしていたのだ。 しかし、ドラえもんはいつもの調子で甘えるのび太を冷たく突き放す。 いつもと様子が違うドラえもんだったが、のび太は「いざとなったらいつものようにきっと何とかしてくれる」と気にも留めなかった。 思い切って何かを打ち明けようと決心したドラえもん。 しかし、のび太に差し出されたおやつのに心を奪われ、更に「この世に君がいなかったら僕は一人で生きていけない」という彼の言葉に動揺し、そのまま家を飛び出してしまった。 ドラえもんは、頼りっきりなのび太の自立心を養うために未来へ帰ろうと考えていたが、優しくしてくれるのび太にそれを言い出せず悩んでいたのだった。 落ち込んでいた所へ偶然会ったに相談する事にしたドラえもん。 そして、ガチャ子のアイディアで未来に帰る嘘の口実を作る事になった。 「ドラえもんの体の様子がおかしい」とガチャ子から聞かされたのび太。 慌てて駆け付けると、そこには狂ったように苦しみ始めたドラえもんがいた。 「未来に連れて帰って治さないといけない」と言われ、嘘を信じ込んでいたのび太は泣き出してしまう。 それでも、「ドラえもんがいなくなったら困るけど、ドラえもんが治る為なら我慢する。 だから自分に構わず帰って欲しい」とドラえもんに訴えた。 優しい言葉に感涙したドラえもんは嘘をついた事を打ち明け、自分に頼り過ぎてダメな人間になりそうなのび太が心配で、強い人間になって欲しいが為に未来の国に帰る事にしたと本心を告げる。 のび太は「僕の事は心配しなくていいよ」と彼の気持ちを受け入れた様子で愛想笑いを浮かべた。 その後、仲間らは広場に集い送別会を開く。 や、しずかも涙ながらにドラえもんとの別れを惜しみ、のび太と共にどら焼きをプレゼントする。 喜ぶドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていく。 テーマソング『ドラえもん』に合わせて仲間らに家まで送って貰ったドラえもんは、やとも別れの挨拶を交わした。 そしてドラえもんとのび太は、いつかの再会を誓い、最後の別れを告げる。 「未来の国でいつも君を応援しているからね」そう言い残したドラえもんは机の引き出しに入り、未来へ帰って行った。 ドラえもんがいなくなった現実に、のび太は「本当は、ずっと居てもらいたかったのに…」と号泣してしまう。 するとドラえもんが、再度引き出しから現れた。 のび太は唖然とするが、プレゼントのどら焼きを持ち帰るのを忘れていたという。 改めて別れの挨拶を交わした二人。 去り際にのび太にエールを送ったドラえもんは、今度こそ帰って来る事はなかった。 そんなのび太の姿を、ドラえもんはセワシと一緒にで未来から温かく見守っていた。 「ドラえもーん! 見てくれよー! 」夕焼け空に向かってそう叫ぶのび太の声と共に、物語は幕を閉じる。 解説 本エピソードの原作は、第6巻収録の「さようなら、ドラえもん」ではなく、雑誌『』3月号に掲載された「ドラえもんがいなくなっちゃう!? 」(第1巻収録)である。 これはが提案したもので、真佐美が幼いころ、塗装会社に勤めていた父親をまで迎えに行くために、自転車を練習した思い出と重なったからだという。 ストーリーは原作とおおむね同じだが、原作には未登場だったジャイアン・スネ夫・しずか・パパ・ママ・ガチャ子が登場し、ドラえもんとの別れを惜しんでいたほか、ドラえもんの嘘に協力するのはセワシではなくガチャ子になっている。 この回が最後の放送だったにもかかわらず、ラストのは「次回をお楽しみに」と表記された。 これは手抜きやミスではなくの再建と続編への希望を込めたものである。 またにはドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていく作中のシーンが採用された。 これにも続編製作の希望として「再会」の意味が込められているという。 ヒントに真佐美が昔見た映画で「無事に帰って来て」という願いが黄色いリボンで描写されていたことに由来する。 放送終了から5年半後、の第1話を見た真佐美は「大変素晴らしい出来で、とても安心しました。 さんの声も、あれなら大成功だなと思いました」という感想を述べている。 日本テレビ動画のスタッフ達の願いであった「自分達の手で再び作ること」は遂に叶わなかったが『ドラえもん』に対する思いは、このような形でへと引き継がれたのである。 放送局 [ ] 本放送 [ ] 系列については放送当時のもの。 放送地域 放送局 放送期間 放送日時 放送系列 備考 - 日曜 19:00 - 19:30 制作局 日本テレビ系列 ・ 日本テレビ系列 フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 - 金曜 17:25 - 17:55 - 火曜 18:00 - 18:30 1974年 - 平日 17:00 - 17:30 - 不明 木曜 18:00 - 18:30 フジテレビ系列 再放送 [ ] 一部地域では、本放送時代とは別の局でされていたが、その局も記載する。 この節のが望まれています。 日本テレビ 3月27日 - 5月2日、4月1日 - 5月6日• 1974年4月29日は「」を放送。 1975年度 月曜-金曜 8時00分-8時30分• 以上平日朝の再放送枠『』で放送。 1974年4月1日 - 1974年5月6日• 月曜-金曜 18時00分-18時30分• 1974年12月5日 - 1975年1月17日• 月曜-金曜 16時55分-17時25分(5回休止)• テレビ岩手 1975年1月5日 - 2月17日(5回休止)• 月曜-金曜 17時00分-17時30分• 福岡放送 1975年4月17日 - 5月22日• 読売テレビ 1975年5月12日 - 6月12日• 月曜-金曜 18時00分 - 18時30分、全25話。 最終回は未放送。 (NETテレビ系列)1975年5月22日 - 6月26日、17:30 - 18:00• 宮城テレビ 1975年7月9日 - 8月18日• 月曜-金曜 8時00分 - 8時30分、全25話。 最終回は未放送、休止は4回。 「パパとママの結婚記念日の巻」と「おせじ鏡の巻」が別の日に書いてあるなど、順番が混乱している。 (TBS系列)もしくは頃• (フジテレビ系列) -• 月曜-金曜 18時45分-19時00分(本来、1回・2話構成だったうち、半分の1話ずつ放送された)• 前述のように、からの申し入れで藤子F名義によるを求める警告状がから富山テレビに送られ、8月3日の9回目(第5話Aパート)の放送をもって強制的に打ち切られる()。 これを最後に再放送は二度と行われなかった。 年表 [ ] 「」および「」も参照• - が解散し、体制はそのままで新たにが設立される。 以前 - 社長のを中心に『』の企画が立ち上がる。 - の『』1972年8月号の「にんきものチャンネル」コーナーにおいてのイラストと共に「テレビにでるのをまっててね」という告知文が掲載される。 - 完成。 演出はのと佐々木一雄が担当、設定やシナリオは文芸担当の徳丸正夫が用意した。 - 放送開始。 第1話は『』1970年11月号掲載の「」を原作にした「」。 初夏 - 提出。 放送「ガチャ子登場の巻」より登場。 放送「すきすきカメラの巻」よりの声優をからに交代。 頃 - 放送のが決定。 - 放送終了。 で制作資料が焼却処分される(詳細はのサイト内「」の項に詳しい)。 最終話は『』1972年3月号に掲載された「ドラえもんがいなくなっちゃう!? 」を原作にした「」。 - 杉山卓『テレビアニメ全集2』(秋元文庫)に紹介記事が掲載。 しかし、この記事は前作『』のデータが流用されたため間違いが多く、また以降の資料はこの本を元に作成されたケースが多いため、が正確な情報を公開するまで誤った情報が広く流布する原因となった。 - の再放送が9回目の「おせじ鏡の巻」(第5回Aパート)で打ち切られる()。 これ以降の再放送は途絶える。 - での管理期間が終了。 - の横浜工場から後半16話分のネガフィルムが発見される。 - 元スタッフのが「」名義で会員制「」を開設、自らが保管する全資料を公開する。 - 『』内での所有するフィルムを放送する企画があったが頓挫。 - の所有するラッシュフィルムがネオ・ユートピア主催の第8回藤子アニメ上映会で初公開される。 上映されたのは第12回Bパート「男は力で勝負するの巻」と第18回Aパート「潜水艦で海へ行うの巻」の2本。 - ネオ・ユートピア主催の第9回藤子アニメ上映会で第10回Bパート「ねがい星流れ星の巻」と第21回Bパート「お天気ボックスの巻」が上映される。 またアンコール上映として第18回Aパート「潜水艦で海へ行うの巻」が再上映される。 - ネオ・ユートピア主催の第10回藤子アニメ上映会で第5回Aパート「おせじ鏡の巻」と第18回Bパート「くるったハラ時計の巻」が上映される。 初秋 - がに本作の自主上映を中止するよう警告する(ただし、真佐美はの規定を遵守しており、藤子プロ側の訴えはを欠いた越権行為であったという見方もある)。 - の講演上映会(開催場所:東久留米市立生涯学習センターまろにえホール)で2年ぶりに本作が再上映される。 - 元編成担当のが『視聴率15%を保証します! 』()を上梓。 高橋の証言からテレビ朝日がを放映するにあたり「旧作が再放送されると子どもたちが混乱してしまう恐れがある」としてに旧作の封印措置を求めたことが明らかになった。 - のコミニティーサイト「」の講座「昭和を生きた手塚治虫 -東久留米の思い出-」(開催場所:東久留米市役所)に研究会「」代表のがゲスト講演し 、本作の映像が4年ぶりに再上映される(これが現時点で最後の上映会である)。 現存映像 [ ] 放送終了後、フィルムは制作局の日本テレビで7年間管理され、その間は地方局へ貸し出されたりしていたが、日本テレビでの管理期間終了後に散逸したとされている。 さらに、事実上の封印措置と制作会社の消滅という事象も重なり、現在はネガはもとより保管先も不明(あるいは散逸)といえる状況である。 テレビアニメ作品の著作権は通常、制作プロダクションが保持することになっているが、制作会社である日本テレビ動画の消滅により本作の著作権は、不明瞭のままになっている。 本作の印象からまでの作品全ての版権が不明瞭になっていると誤解されることがあるが、日本テレビ動画作品にはビデオ化や再放送の行われた作品が多数存在するため、現在でも同社から作品の版権を引き継いで管理している者が存在するとみられる。 現存する映像としては、元スタッフのが個人的に保管している8話分のラッシュフィルム(ポジフィルム)のほか、本作の現像を担当した東洋現像所(現:)に後半16話分(第18回、第20回 - 第26回)のネガフィルムが保存されており、現在もIMAGICAが委託している東京湾岸の倉庫にフィルムが保管されているが、のため宙に浮いた存在になっている。 なお、真佐美の保管しているラッシュフィルムは、現像して上がってきたフィルムのうち、、、に誤りがあり、リテイクした未放送の16ミリフィルムを真佐美が個人負担で買い取ったもので、実際の放送に使用されたものではない。 なお、IMAGICAでは日本テレビ動画の前身にあたる東京テレビ動画が1971年9月24日に公開した原作の『』のも発見された。 こちらは谷岡作品の版権を管理している株式会社が本作の原版フィルムを入手し、2016年に(現・)に寄贈されている。 また本作は過去にもや東京国立近代美術館フィルムセンターの上映企画「発掘された映画たち2018」などで限定的に再上映されたことがあり 、2019年10月2日にはから初公開以来48年目にして初ソフト化され一部で話題となった。 1973年公開の監督の『ドキュメントポルノ 続・痴漢』(プリマ企画)では、開始後34分付近の男性医師がアパートの女性の住む部屋を覗くシーンで、背景のモノクロテレビの画面に本作の映像が写り込んでおり、動く映像を30秒ほど見ることができる。 その後、裏番組の『』にチャンネルが変えられている(音声は『』『』のものを使用)。 現存が確認されているもの• - 真佐美保管• 第3話「屋根の上のすてきな子の巻」 - 真佐美保管• 第4話「のび太のご先祖さんの巻」 - 真佐美保管• 第9話「おせじ鏡の巻」 - 真佐美保管• 第20話「ねがい星流れ星の巻」 - 真佐美保管• 第24話「男は力で勝負するの巻」 - 真佐美保管• 第35話「潜水艦で海へ行うの巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第36話「くるったハラ時計の巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第39話「クーラーパラソルの巻」 - IMAGICA保管• 第40話「いつでも日記の巻」 - IMAGICA保管• 第41話「宿題おばけが出たの巻」 - IMAGICA保管• 第42話「お天気ボックスの巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第43話「ぼくに清き一票をの巻」 - IMAGICA保管• 第44話「まんが家修業の巻」 - IMAGICA保管• 第45話「すてきなガールフレンドの巻」 - IMAGICA保管• 第46話「花いっぱい騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第47話「そっくりクレヨンの巻」 - IMAGICA保管• 第48話「静香の誕生日の巻」 - IMAGICA保管• 第49話「宇宙飛行士になりたいの巻」 - IMAGICA保管• 第50話「まいごマゴマゴ大騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第51話「ネンドロン大騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第52話「」 - IMAGICA保管 本作前後の他の『ドラえもん』映像(企画を含む) [ ] が『ドラえもん』を企画しなかったら、それまで多くの藤子アニメを製作したが『』の後番組として製作する可能性があったという。 日本テレビ動画が本作を企画したには、のによるをキー局とした、もう一つの『ドラえもん』の企画があったとされる。 この企画書は200字詰め原稿用紙(表紙含む)6枚と添付資料「ドラえもんの大ひみつ」(学年誌掲載分)のコピー1枚の合計7枚から成る。 これは系10月新番組の放送枠獲得を狙ったもので『』1972年8月号には「テレビにでるのをまっててね」という告知文も掲載されていた。 当初はアニメと実写の双方で企画され、後に実写へと企画が転向された。 作者の両人もピープロに訪れ「実写でやろう」と同意。 この際にドラえもんの声優として挙がっていたのが、奇しくもだった。 大山の起用は、先にピープロ制作のアニメ『』での演技を見込まれてのことだった。 既にドラえもんの着ぐるみまで試作されていたものの、この企画がどの程度具体化し、どの時点で頓挫したかについては不明。 ちなみに企画書ではのキャラクター設定は原作から改変されて「宇宙からやって来た宇宙ロボット」になる予定だった。 本作終了後、からの「」の内箱にドラえもんやのイラストが掲載されていたが、この時テレビCMに登場したドラえもんは、本作後期の野沢雅子が担当していた。 手塚治虫の関与 [ ] 日本テレビ版『ドラえもん』制作の影には、の師匠筋であるの存在が深く関わっていたとされる。 かつてで手塚の秘書を務めていた(真佐美ジュン)は『ドラえもん』のアニメ化を知った手塚から「いい作品だからやりなさい」と度々励まされ、でアニメ用のやが入手しにくくなった際には、手塚がに直接電話して熱心に口説いてくれたと証言している。 また『ドラえもん』の制作中に「下崎にアニメは作れない」という中傷文が日本テレビに届き、下崎を降板させる動きが局内で出た際には、噂をいち早く聞きつけた手塚が「下崎氏は・で豊富な経験を持つ最も信用のおける男です」「いわば僕の右腕だったんですよ! 」と局関係者に電話口で説得し、その甲斐あって真佐美は名誉を回復することが出来たという。 なおスタッフには出身者が多数在籍していたため、のび太の通う小学校は虫プロ近くの小学校がモデルで、作中に登場する駅舎は虫プロの最寄り駅だったのがモデルとなった。 またスネ夫の家は「明らかに先生の自宅がイメージ」と真佐美は述べている。 手塚と下崎の関わりについては原作・漫画の『TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち〜』(、)で前後編にわたってされている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 「」の範囲を超えて作業していたので「担当演出」という名称が使用された。 またはの演出も担当している。 2005年4月より放送中のシリーズのDVDは『NEW TV版 ドラえもん』というタイトルで発売されている。 ファンからはを「 」「 」、を「 」などと呼ぶことがある。 は企画の経緯について「(日本テレビ動画の前身)はずっとばかりやっていたので、次回は少年もので『』をやりたいと、社長のがそういう企画を考えて、実際に動いていたのですよ。 ところが、その動きの中で『』の存在を知ったのです。 これは面白いぞということになりまして、早速『ドラえもん』の企画を立てたら、その企画が先に売れちゃったんです。 『』のヒットがあったことも大きな要因でしょうが、あの頃『ドラえもん』に目を付けたということは、彼には先見の明があったと言えますね」と証言している。 ただし、真佐美はのとの仕事上のトラブルから放映当初に『』の制作主任を自主降板している。 当時、は東京都中野区と元来の本拠だった新潟市にスタジオを構えていた。 「東京に本社を移した」とされるが、の調査では登記上は最後まで本社は新潟であった。 第1話の原作は『』1970年11月号掲載の「」に改定を加えたもの。 放映当時、キー局の関東地区など民放4局マストバイ地域では裏番組として『』()や『』(制作・)などが放映されていた。 一方、広島県や福岡県を除く九州各県など日本テレビ系とフジテレビ系をクロスネットとしていた地域では、『マジンガーZ』を(または競合他局への放映譲渡)とした上で、本作を同時ネットしていた。 なお本作でドラえもんを演じた富田耕生は、『マジンガーZ』でもレギュラーキャラクターであるドクターヘルとヌケ(ボスの子分)の二役を演じていた。 かつてが降板したのはを起こしたからだという噂があったが、これは事実ではない。 この噂はの前作『』製作の打ち合わせのため、制作主任のが日本テレビ動画の新潟スタジオに行く途中に交通事故を起こしたことに起因する。 後に下崎は『モンシェリCoCo』放送時にスタッフとのトラブルで番組を自主降板し、そこから「『モンシェリCoCo』のプロデューサーが交通事故を起こしたため辞めた」と言う噂がたち、その噂が一人歩きして、いつのまにか「交通事故で富田耕生が降りた」という噂になっていたという。 その後、新倉はフィリピンに移住し、1986年5月に拳銃密輸で逮捕、送検されている。 送検・起訴後の報道はなく、以後の消息などは不明。 の調査では、登記上のの代表取締役は稲庭で 、は安藤の取材に対して稲庭を「会長だけどお金を出すだけ」と述べている。 真佐美も安藤の取材に対して「稲庭会長」と呼んでいる。 「」の仕事だけでなく作品を幅広く担当したので「担当制作」という名称が使用された。 真佐美が昔見た映画で「無事に帰って来て」という願いが黄色いで描写されていたことに由来する。 監修の『Fライフ』()4号に記載された年表では、1973年の藤子アニメは『』のみとなっているほか、のの年表にも本作に関する記述は不掲載となっている。 一方で、ドラえもん50周年特設サイト内の年表には、1973年に本作が放送開始された旨の記述がある。 生前、公の場で明確に本作を否定した発言はない。 ただし、後述の富山テレビでの再放映を知った際の反応のほか、第三者による証言として• 新旧両方の『ドラえもん』に関与したは「以前やったことは非常に悔いが残る」といったことは言われた。 安藤健二の照会に対して代表取締役(当時)は「『本来のドラえもんの持ち味を出していない作品であり、作品のイメージとはかけ離れたものであった。 海外の輸出用として制作されたアニメーションのようで、作者として気に入った作品ではなかった』と申しておりました」と文書で回答した。 元社長のは、再アニメ化の許諾を得た頃に「『ドラえもん』だけは(引用者注:『』や『』と違って)出戻りなんです。 さんざんな仕打ちを受けて戻って来た、かわいそうな娘です」と言われた。 も本作の再アニメ化に対し「嫁に出し傷ついて帰って来た娘を再び世に出すのは嫌だ」と、難色を示す発言を藤子・F・不二雄から聞いたと夫のが記している。 は、放送終了後に藤子Fが「この件についてはいっさい語りたくない」と漏らしていたと証言している。 といったものがある。 作品初期は、まだ藤子Fと藤子Aの作品ごとの分業が完全に確立しておらず、藤子Aとその関連スタッフも本作品に若干関わっていたとされる。 なお、藤子Aは放送終了後、に「あの時期に『ドラえもん』は早すぎた」と話している。 ラッシュ編集はで、ネガ編集はので行われた。 そのため、最終回後に発行された『小学四年生』1973年11月号掲載の『ドラえもん』の扉絵には「テレビ大人気放送ちゅう」とのあおり文句がある(安藤、1982年、p. 63に該当ページの写真が掲載されている)。 富山県では当時、が放送されていなかった。 1980年4月5日からようやく北日本放送でネット開始された。 のび太がドラえもんに洗面器を渡している構図のセル画で、真佐美ジュンはで使用されたセル画ではないと否定した。 のメディア芸術データベースやの『TVアニメ25年史』(1988年)には本作のスタッフ情報に、、などの表記も確認出来るが、後に関わっていなかったことが判明している。 なお放映前に作成されたとみられるスタッフ表にはの名前が記載されていたことが判明しているが、実際の製作に関わっていたかどうかは不明である。 番組内ではモノクロだと述べているが、実際はカラー作品である。 ただし、当時は白黒テレビで視聴していた人も若干存在した。 、にて第12回Bパート「男は力で勝負するの巻」の一部音声がアップロードされたことにより、富田版ドラえもんの声が久々にお目見えすることになった。 ただし、から発売された主題歌のレコード(SCS-515)のジャケットにはドラミも描かれている。 全体のスケジュール作成管理、スタッフの手配、外注先の選択、単価交渉などを統括した現場責任者。 では「」の名前を使用した。 の制作時は現場の制作と演出を一人で行っていたが、演出責任者としてをに迎え、演出助手に岡迫和之とを迎えたことで、演出の「真佐美ジュン」は要らなくなり、制作として専念した。 『』(小学館)1973年4月号掲載の本作品の漫画「くものねんどのまき」では欄外のネット局一覧には、(現:名古屋テレビ放送=メ〜テレ)が掲載されていたが、放送開始直前の中京圏ネットワーク整理により、中京テレビでの放送となった。 なお、名古屋放送では4月1日時点では『』(毎日放送制作)を1日遅れネットで放送していたが、その後『アップダウンクイズ』(毎日放送制作)の同時ネットに移行した。 当時は岡山県との相互乗り入れの実施前であった。 当時、日本テレビ系列でもあった(日本テレビ動画の代表取締役だった稲庭は同社役員)は本来の時間帯に日曜19:30枠の『』などを30分先行ネットしていた。 また、新潟に日本テレビ動画の制作スタジオがあった。 『』1972年8月号の告知記事は、の実写企画()とのアニメ企画のどちらを意図したものかは判断材料が乏しく明確になっていない。 の初登場回では「ドラえもん、声変わったね? 」「ちょっと風邪ひいちゃって」という的な会話があったと漫画家の滝季山影一が証言している。 結果的には、・制作のテレビドラマ『』が『』の後番組となった。 ちなみに『』(1979年)以前のは『ドラえもん』(1973年)を除いてが全作品を制作している(実制作はが担当)。 出典 [ ]• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌43号. 2006-12. 51 - 54• 三才ブックス : 190-192. 2005-02. 昭和40年男 クレタパブリッシング. 2012-10. 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌46号 藤子不二雄FCネオ・ユートピア. 2008-08. 安藤、2008年、p. MSN産経ニュース. 産経新聞社 2009年1月12日. 2009年2月10日時点のよりアーカイブ。 2019年11月7日閲覧。 18 - 19• 安藤、2008年、p. 安藤、2008年、pp. 78-79• 安藤、2008年、p. 安藤、2008年、p. 64 - 65。 真佐美ジュンの証言内容はプロデューサーだった佐々木一雄からの伝聞という。 MSN産経ニュース. 産経新聞社 2009年1月12日. 2009年2月10日時点のよりアーカイブ。 2019年11月7日閲覧。 113 - 114• 61 - 63• 安藤、2008年、p. このページのリストでは後述の富山テレビの再放送以前に全国の8局で9回(日本テレビのみ2回)の再放映がおこなわれたことが示されている。 29 - 32• - ドラえもん50周年特設サイト• 41 - 43• 安藤、2008年、pp. 39 - 40• 『「ドラえもん」への感謝状』、2014年、25頁。 『カミさんはドラえもん』、2001年。 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社 2019年2月3日. 2019年11月6日閲覧。 『別冊映画秘宝 とり・みきの映画吹替王』、2004年。 安藤、2008年、p. この内容は当時藤子・F・不二雄のアシスタントだったの証言による。 44 - 45• 』小学館、2015年、120-127頁。 安藤、2008年、pp. 37 - 38• 安藤、2008年、pp. 27 - 28• 2009年8月18日• w, p, i. 20 2018年11月29日 ,• えびはら武司 w, p, i. 藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道 p. 12 2015年6月30日 , 竹書房• えびはら武司 w, p, i. 20-21 2018年11月29日 , 竹書房• 2019年2月5日. 2019年11月11日閲覧。 Togetter 2019年12月29日. 2019年12月30日閲覧。 2017年12月30日. ハフポスト日本版. 2019年11月6日閲覧。 48 - 49• まんだらけZENBU 93 : 369. 2019-06. Togetter 2019年10月17日. 2019年11月11日閲覧。 作者の出身地• 『』1973年5月25日付および1973年11月30日付各朝刊テレビ欄より。 北國新聞縮刷版 1974年9月および10月分より。 、1975年5月23日(金曜日)20ページ、テレビ・ラジオ欄。 2014年10月24日• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌51号 藤子不二雄FCネオ・ユートピア. 2011-10. - 真佐美ジュンgooブログ• 2018年1月13日• - 真佐美ジュンgooブログ• 71 - 72• Togetter 2019年10月2日. 2019年11月11日閲覧。 、『電人ザボーガー』第1巻、、2002年。 88-90, 文 但馬オサム「ピー・プロワークス お蔵入り作品」• くだん書房. 2006年9月3日時点のよりアーカイブ。 2014年2月16日閲覧。 藤子系ブログ。 、 w, p, i. TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち〜 vol. 49, pp. 117-120 2019年5月8日 ,• MSN産経ニュース. 産経新聞社 2009年1月11日. 2009年2月12日時点のよりアーカイブ。 2019年11月7日閲覧。 宮崎克 、野上武志 w, p, i. TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち〜 pp. 87-126 2019年5月8日 , 秋田書店 参考文献 [ ]• 『封印作品の憂鬱』、2008年• 』、2014年• 芸能人トリビア制作委員会『』、2003年• 『』2005年2月号「」• 『昭和40年男』2012年10月号「昭和48年 あの日を再検証 早すぎた挑戦!? 『ドラえもん』初アニメ化」• 会報誌43号「特集・日本テレビ版ドラえもん」(2006年12月初版発行、2009年8月改訂版発行)• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌46号(2008年夏発行)• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア別冊「特集ドラえもん 129. 3」(1999年2月初版発行、2009年5月改訂版発行、2010年5月3訂版発行)• - MSN産経ニュース(2009年1月10日)• - MSN産経ニュース(2009年1月11日)• - MSN産経ニュース(2009年1月12日) 真佐美ジュン公式サイト [ ]• 真佐美ジュンへのインタビューを含むもの(真佐美ジュン公式以外) [ ]• 外部リンク [ ]• (当時の新聞記事などの資料を掲載)• (設定について詳述あり)• (個人サイト、「旧ドラ」鑑賞記)• (日本テレビ動画の軌跡について詳述あり)• - Togetter• - Togetter• 系 日曜19:00枠 【当番組まで日本テレビ制作枠】 前番組 番組名 次番組.

次の

ドラえもん主題歌一覧 テレビアニメシリーズ33曲

ドラえもん テレビ

(終了した番組・中継を含みます)は、での販売や公式な、またはが紹介するまで、 出典として用いないで下さい。 に基づき除去される場合があります。 『ドラえもん』のアニメには以下の3作品が存在する。 1973年に日本テレビ系列で放送されたシリーズ• これらを区別する呼称は公式には発表されていないが 、アニメ誌では2005年4月より放送中のシリーズを『ドラえもん(新・第2期)』としている。 本項ではそれに倣い、1973年にで放送されたシリーズを 第1作、1979年よりで放送されているシリーズをまとめて 第2作とする。 また第2作において、1979年から2005年3月まで放送されたシリーズを 第1期、2005年4月から放送中のシリーズを 第2期とする。 本記事では 第1作について記述する。 概要 [ ] ファンからはで放送されている第2作 と区別するために「 旧ドラ」「 日ドラ」「 日テレ(NTV)版ドラえもん」「 日本テレビ版ドラえもん」などと呼ばれることがある。 企画から放映まで [ ] 本作の企画は社長の(別名・渡辺清)によって立ち上げられたと推測されている。 なお、新倉は当初、硬派任侠物の『』のアニメ化を切望したが、企画が頓挫。 として本作が放映されることになった経緯がある。 一方、当時『』編集長だったの井川浩は、新潟のアニメ制作会社が制作するテレビアニメの原作を推薦するよう日本テレビのプロデューサーから頼まれて人気の高かった『』と『』(作)を推薦したことを証言しているほか、日本テレビプロデューサーだった川口晴年は、チーフプロデューサーのが企画を提出した後に、から派遣された専務が会議でで制作することを有無を言わさない形で決めたと証言している。 これに関して制作担当のは、が本作の放送枠を取る時に「周りの反感を買うようなやり方をした」ことや前身の時代に社長のが日本テレビプロデューサーのとを起こしていたことなどから「日本テレビの心ある人は信用してなかったみたい。 だから会社がの反応は早かったですね」とのインタビューで語っている。 また日本テレビ動画の元関係者は、日曜枠に本作を入れるのに「本来は別の番組で決まっていたのを、無理やりねじ込んだ」という噂を聞いたことがあると証言している。 本作の制作進行やスケジュール管理など実務全般を取り仕切った制作主任の(本作では本名の「下崎闊」名義で参加)は、にを退社後、のを担当していたで『』を手伝った縁から日本テレビ動画の佐々木一雄プロデューサーと知り合った。 真佐美によると日本テレビ動画では『モンシェリCoCo』の後作品として企画のひとつに『ドラえもん』があり、1972年7月以前には『ドラえもん』の企画が既に存在していたという。 『ドラえもん』に企画が絞られた頃、真佐美は近くの高級店で、佐々木から本作の制作担当を依頼された。 この時、初めて原作漫画を読んだ真佐美は、本作が子供たちに夢を与える内容であると感じ、アニメの世界に入ってから常に「子供に夢のある作品を」と思い続けていた真佐美は「今後このスタジオから、将来のアニメ界を背負っていくような人材を育てていこう」と将来の夢を佐々木と語り合い、快く協力することを約束。 1972年11月に日本テレビ動画へ入社した。 真佐美が演出を担当したのメインとなるで空を飛べるという、夢のシーンの紹介では、作画スタッフらも童心に返って一生懸命昼夜を問わず作り上げたシーンだったと回想する。 なお、局側の都合で放送3ヶ月前に企画が急遽決定したため、真佐美は予定より早くパイロットフィルムを作り上げ、完成後にはスタジオ近くので試写を行うなどして子供達の反応も事前に確かめていたという。 なお、真佐美は「当時『ドラえもん』をテレビアニメ化するのは相当な冒険であって、今でこそ国民的な漫画となっているが、当時はまだ原作漫画の単行本も出ておらず、子供でも『ドラえもん』を読んでいたのはを買ってもらってる一部の子供だけであり、他の(大手週刊少年)漫画雑誌連載のテレビアニメ化とはわけが違った」と述べている。 また編集部の武藤晃も「この頃の『ドラえもん』の立場を表すなら『』が刊行される前の『』みたいなもので、先輩の『』『』『』などと比べても明らかにマイナーな存在であることは否めなかった」「常識で考えればそのような作品をアニメ化するのは異例とも言えるが、その少し前に放映されていた『』のヒットの影響も大きかったのかもしれない。 勿論『新オバQ』がヒットしたからといって、同じ作者の別の作品が簡単にアニメ化される程この業界は甘くはないだろうから、社長のさん達の先見の明とその後の努力が実を結んだのであろう」と推察している。 メインスタッフには出身のメンバーが集い、アニメ制作はの東京および新潟スタジオ と、幾つかのスタジオがローテーションを組んでスタートした。 グロス請け先は、、、、などのローテーションが当初予定されていたが、放送開始前後にスタッフの変更もあったようで、確定とは行かなかった模様である。 なお、真佐美が個人的にラッシュフィルムを保管している第21回Bパート「お天気ボックスの巻」は、後に第2作以降の制作を請け負うことになるの前身であるAプロダクションに外注されていたことが近年判明している。 は後にを創設するであった。 上梨を選んだ真佐美ジュンは、その理由として「人柄も他人の面倒見も良く、穏やかだが一つ作品に入り込むと妥協を許さない」と述べており、日本テレビ動画で若手を育てようと将来の夢を語ってチーフディレクターに迎え入れたという。 また真佐美は「一人の演出家が全体の流れを統一したほうが原作者の意向を反映出来るため。 そして全体を任せられて、若手で力のある演出家を選びたかったから」とも語っている。 しかし実際には原作者からの注文や要望はほとんどなかったとされ、上梨も最後まで原作者と会うことはなかった。 当初、ドラえもんの声はが担当した。 現在放送中のアニメ第2作とはイメージが異なるが、当時のスタッフは、ドラえもんというキャラクターに「世話好きなおじさん」というイメージを抱いていたことから、動物役なども多く演じていた富田に初めから配役するよう決めていたという。 アニメ第2作以降と比較して、色指定のコントラストは穏やかであった。 これは、1973年当時のアニメの多くが一度35mmネガフィルムで撮影し、その後、16mmポジフィルムに転写してテレシネスコープで放映するという物だったのに対し、本作は直接16mmフィルムで撮影していたことにも起因する。 キャラクターの声を担当したやは本作をモノクロ作品だと記憶しているが、実際にはカラー作品である。 1973年4月1日、事前に制作されていたを流用し再構成した「 出た! ドラえもんの巻」を第1話として放映が開始された。 放映開始後 [ ] 本作は日曜の夜7時からの30分番組というでの放送であったが、小学生向けの漫画を原作として製作された本作は、対象とする年齢が低かったこともあり、強力なに押され、当初は視聴率で苦戦したとされる。 また半年間という当時としては比較的短期間の放送であったため、「不人気で打ち切り」という噂が一般化していたが、実際には元々2クールの放送契約で、ある程度の視聴率が確保出来たらその後も継続するという契約であった。 また『』『』での連載が4月号から開始されたこともあり、番組の対象年齢の引き上げと「世話好きなおじさん」然としたドラえもんの年齢イメージを下げることを目的に、の声を担当していたを降板させ、2代目となるに交代するなどのを図った。 放送2クール目に入ると、原作では数回しか登場しなかったアヒル型ロボット「」をレギュラー入りさせるなど要素も強調したという。 なお、やに掲載された原作漫画は短いページ数でまとめられていてストーリー性が薄く、アニメ化すると尺が余ってしまうため、原作を元にしつつアニメオリジナルの要素を随所に入れていき、放送後半にはテレビアニメのオリジナル要素がかなり増えたという。 また当時は原作漫画の連載が開始されてからまだ3年程度で、原作のストックも少なくすぐに使い切ってしまい、放送が継続されていたとしたらオリジナルストーリー主体になっていただろうとは述べている。 ちなみに原作不足のためテレビ用に書き起こしたオリジナル設定は原作者の承諾済みであり、真佐美としては「原作を外れた内容を作ったという意識はない」としている。 また当時の制作スタッフは音声まで入った完成フィルムを惜しげもなく全面リテイクするなど、クオリティの向上には常に真摯に取り組んでいたという。 これらのテコ入れの甲斐もあり、徐々に視聴率も上がっていたと真佐美は述べている。 また収益自体も黒字で、スタッフらは8月初旬ににある日本テレビのに招かれて豪華な接待を受け 、実際に3クール目に延長する予定もあったという。 主演声優が交代した前半と後半を比較すると、前半の平均7. 突然の中断 [ ] 2クール終了間際の1973年8月中旬、の実質的経営者(社長と自称)だったが突然失踪した。 によると、新倉が失踪する前後の8月初旬と9月初旬に日本テレビのプロデューサーから「日本テレビ動画が解散するという話が下請けから出ている。 それが本当なら下請け側は死活問題なので、入金の保証があるまで納品しないという状況になっている。 その話は本当か? 」と聞かれ、真佐美は否定したが「絶対に放送に穴はあけないでくれ」と釘を刺されたという。 また真佐美は入金を心配する下請け側に対しても「もし何かあったら責任を取って私はこの業界から足を洗う。 私の顔を立ててくれないか? 」と説得しに回ったという。 その後、経営を引き継いだ同社の会長(登記上の代表取締役だった、役員の稲庭左武郎を指すとみられる )はアニメ会社の経営に無関心な人物で、「もう止めよう」の一言で会社は解散したという。 解散について真佐美は、失踪した社長のが前身の時代に社運をかけて製作した『』で出した大赤字を本作で得た収益で補填できたことに加え、「その前にいろんなことをやられて懲りた」という稲庭が、新倉の失踪を機に「少しでも赤字が埋まったところで解散した」と述べている。 一方、美術監督のは新倉の失踪の理由を「次回作が決まらずに資金ショートしたからではないか」との取材に答えている。 会社の解散という混乱の中、同年9月30日放送の「 」をわずか2週間で作り上げ最終話とし、半年で終了となった。 最終回は自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をする姿を、未来の世界に帰ったドラえもんがタイムテレビで見守るところで物語が終わる。 最終回ラストのは「次回もお楽しみに」として終了させており、これは制作主任の真佐美による演出であった。 これを疑問に思った(担当制作)の木沢富士夫 に、真佐美は「こんな形で日本テレビ動画のドラえもんは終わってしまったがスタッフのみんなは、まだ続けたかった。 また番組最後の「おわり」のでドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていくシーンがあり、これにも続編製作の希望として「再会」の意味が込められているという。 最終回が放送された9月30日、ブラウン管に映る『ドラえもん』が描かれたスタジオには既に人影はいなかった。 その後、残された旧作スタッフは債権処理などに追われ、ついにが再建されることはなかった。 しかし、6年後に他局他社ではあるものの現在のテレビ朝日版によって「」は実現し、テレビ朝日版の第1話は「未来の国からはるばると」という原作第1話のエピソードではなく、通常のエピソードの1本である「」とした。 これが普通に本編から始まっている所からも、まるで第1作の続編を意識したかのような形がとられ、両者の間で受け渡しがあったかのような構図になっている。 放映終了後 [ ] 残されたのスタッフらは、先の支払い金を充てるために会社の備品など売れるものは全て売り払い、社屋引き払いのため本作に関する資料のほとんどを止むを得ず廃棄処分したという。 しかし、実際には、のように全く支払われなかった外注スタッフもおり、川本は日本テレビのプロデューサーから「制作費は既に日本テレビ動画に支払っているから、これ以上は払えない」と言われたという。 また、川本によると少なくとも日本テレビ動画が外注した(川本が主催)とには最終2話分のギャラが未だに支払われていない。 この件に関して「私の後任のプロデューサーは局と外注スタッフとの板ばさみになって非常に苦労された」という企画当初のプロデューサーである川口晴年の証言も存在する。 は最終回が放映された9月30日の夜、の解散に伴う社屋引き払いのためセル画や絵コンテなどの制作資料を、(現・)内ので止むを得ず焼却処分したと証言している。 このような理由から、結果的に本作の資料は当時のスタッフが個人的に所有している一部のものを除いて、ほぼ現存しないとみられている。 様々な想いを馳せたライトバン一杯に詰まったセル画、せりふ台本、絵コンテ、カット表、シナリオ原本、色見本、色指定キャラクター集、現金出納帳が目の前で燃えていったことを、真佐美は「わが子をに付す気持ちでした」と、当時置かれた心境を回想している。 放送終了後も藤子・F・不二雄は後述する作品内容への評価とは別に、個々のスタッフの姿勢に対しては好意的であり、真佐美が放送終了後に藤子本人に会いに行った際には「是非またやろうよ」と言って握手してもらったと述べている。 解散後、元スタッフらはのアパートに日本テレビ動画の労働組合を作り、を受け取りながらとの交渉の拠点としていた。 その後、元スタッフらは就職先が決まったり、仕事を廃業して田舎に帰ったりしていたので、日本テレビ動画の労働組合はに活動を終結した。 本作のフィルムは放送終了後も日本テレビで7年間管理され、その間は地方局へ貸し出されることもあった。 は系での放送が開始されるまでの5年余りの間に、日本テレビ平日朝の再放送枠『』()をはじめ、地方局などで比較的多く行われていた。 フィルムは日本テレビでの管理期間終了後、散逸して行方不明になっていたと思われていたが、の調査により、本作の現像を担当した東洋現像所(現:)がに横浜工場を閉鎖する際の在庫整理でを含む後半16話分のネガフィルムを発見し、同社が委託している東京湾岸の倉庫に保管されていることが判明した。 ただし、日本テレビ動画の著作権の引継ぎ手が不明なため、宙に浮いた状態となっている (現存状況については)。 編成上、日曜夜7時枠は日本テレビ制作枠から読売テレビ制作枠に切り替えられ、元々月曜夜7時半に放送されていた「」が移動、空いた月曜夜7時半枠は一旦日本テレビ制作枠に変更し、木曜夜7時半に放送していた『』が移動した。 木曜夜7時半枠は夜8時に放送していた「」を枠拡大するように変更された。 なお日曜夜7時枠でアニメが放送されたのは、からまで放送された『』以来だが、『ディズニーランド』は「海外作品」「1時間番組」「実写と併用」であったため、「国産」「30分作品」「オールアニメ」は『ドラえもん』が開局以来初めてであった。 その後、同枠ではに『』、に『』がそれぞれ放送されるが、いずれも制作作品であるため、日本テレビ制作作品は『ドラえもん』が唯一となった。 本作の放送終了後、日本テレビ制作の『』が1989年に放送されるまでの間、で新作のが放送されることはなかった。 旧から新へ [ ] 本作の声優を担当した声優の一部は、シンエイ版にも主要人物を演じており、はのび太から、はからのび太、はからを演じている。 また(のび太のクラス担任)、スネ夫の父を担当したは同じく先生は一時期、スネ夫の父は2005年に声優陣が一新されるまで担当していた(途中、代役あり)。 劇場版では、は『』においてポセイドンを演じているほか、は『』でログを、『』でクルリンパを、『』で少年を演じた。 また1983年の(シンエイ版)実写アニメ合成の特別番組『』では、しゃべるひみつ道具キャラクター「なんでもナレーター」の声として登場している。 他にも野村道子、神谷明、田中亮一など、シンエイ版でもドラえもんのキャラクターを演じた人物が出演している。 「封印」の状況とメディアでの扱い [ ] の段階で、再放送およびDVD化はなく、テレビ番組などでまれに紹介される機会があっても、本作に関する説明がなされたこともほとんどない(雑誌やなどのドラえもんやの年表にも本作のことが掲載されていないケースが多い)。 その理由と経緯については、の著書『封印作品の憂鬱』(、)において、関係者などの証言が詳しく述べられている。 原作者のは本作の内容に否定的であったとされる。 このアニメ化は、前記のようにのプロデューサーからの小学館への申し入れによって決まったとされ、当初藤子・F・不二雄は日本テレビから寄せられた依頼に応じて舞台となる街や野比家の設定に使う絵を制作会社に送ったりしたが、それに対する反応がまったくなかったと前記の井川浩は述べている。 その一方で、制作主任であったによると、藤子・F・不二雄との打ち合わせに関しては、当初は真佐美が喫茶店で当たっていたと証言しており、「原作者からの注文や要望は最後までなかった」と述べている。 その後、藤子・F・不二雄は次第に仕事の都合から出向いてまで打ち合わせを行える暇がなくなり、その際には当時藤子・F・不二雄と共に「」として活動していた名義上は本作の原作者の一人である安孫子素雄() と校正などの打ち合わせをしたという。 藤子・F・不二雄とのパイプ役には文芸担当の徳丸正夫が「演出的センスを持っていて人当たりがよく辛抱強い」という理由から「原作者との校閲係」に選ばれ、藤子・F・不二雄との「脚本」「絵コンテ」「キャラクター設定」「色指定の校閲」のパイプ役として打ち合わせにあたっていたという。 徳丸正夫は打ち合わせをするため、(かつてはのビル内にあった)に24時間待機して、空いた時間を使って藤子・F・不二雄と常に校閲を行っていたという。 これらの点は、井川浩ら「原作者や小学館とは没交渉のままアニメ制作が進められた」という小学館関係者の証言とは大きく食い違っている。 ちなみにフィルムの編集作業は、奇しくも当時の藤子スタジオと同じビルのスタジオ・ゼロで行われていた。 放映中に制作会社が突然解散したことで残されたスタッフは債権処理などに追われた。 そのためか「番組が打ち切られた報せが小学館に来なかった」と、井川浩は述べている。 当時の漫画界では「アニメが終わったら原作も終わる」というのが常識であり、そのため『ドラえもん』も一時は連載を終わらせ、新キャラクターと入れ替えようという話が小学館から出ていたという。 しかし自作『ドラえもん』に愛着のあった藤子・F・不二雄は、それを押し切る形で新連載である『』との2本立ての形で連載を続行したが、1974年より刊行が始まった『ドラえもん』の単行本が予想外の大ヒットとなったため、『みきおとミキオ』の連載は1年で打ち切られた。 富山県での再放送打ち切り [ ] 、の放送が開始された頃、7月から8月にかけて藤子・F・不二雄の故郷でもあるの(系列)で本作が再放送された が、9回目(第5話Aパート)の放送で打ち切られた。 これを最後に再放送は行われていない。 この出来事は「 富山事件」とも呼ばれている。 元小学館専務の赤座登はこの件について、富山県での再放送の情報が小学館やに入った時、藤子・F・不二雄は憤慨し、「私が作った原作のイメージと違うし、放送してほしくない。 できたら何とかしてほしい」と述べ 、これを受けて小学館と藤子スタジオは日本テレビ版の契約書がない(作成していなかった)ことを確認し、「口頭契約は最初の放映の許諾にとどまる」という弁護士の見解を得てから、原作者の意向に沿って、小学館と藤子スタジオの連名で、放送中止を求める警告状をで富山テレビに送ったと証言している。 一方、元編成担当のは自著『視聴率15%を保証します! 』(、)の中で「せっかく放送開始したのに日本テレビの旧作が再放送されると、子どもたちが混乱してしまう恐れがあるので、小学館に旧作を封印してもらいました」と証言しており 、本作の封印はテレビ朝日関係者が主導したことを明かしている。 これは赤座の「原作者からの苦情で再放送の中止を依頼した」という証言とは全く異なるなど、当事者同士の間で話が完全に食い違っており、依然として情報が錯綜している。 関係者は安藤の取材に「 仮に『日テレ版』の露出があったところで(中略)現行の『ドラえもん』のイメージを損ねるマイナス露出でしかないんですよ。 原作者や権利者サイドに特にメリットがないため、露出に向けて積極的に動くことはないでしょうね。 基本的には触れてはいけないものという感じです」と述べ、安藤は「今のテレビ朝日版のイメージが唯一のもので、それ以外のものを出す必要はない」という「ビジネスの論理」の存在を指摘している。 また、それ以外の「封印」理由に「制作会社の解散から著作権の扱いが曖昧」のうえ「当時の資料が乏しいため公式でも内容を取り扱いにくい」という問題がある。 現状の扱い [ ] および小学館が監修発刊したムック『ドラえ本3』(小学館、)には写真入りで本作がわずかに解説されており、「原作のイメージと違っていて半年で終了した幻の番組」と紹介されている。 こうした公式サイドによる否定的見解の慣例化や、雑な偽物の が出回るうえ、事実無根のデマや誤った情報の流布、資料の焼却、フィルムの散逸などから情報、露出の非常に乏しい作品となっていた。 少なくとも初頭までは、誤った情報が公式に伝わっており、頃に元スタッフのが自身の上で正確な情報を公開するまでは、がでなくとされていた。 なおスタッフの情報が間違って伝わっていた理由として日本テレビ動画が解散して当時のスタッフや状況の調査が困難になった末、に杉山卓(元・)が執筆した『テレビアニメ全集2』(秋元文庫)において日本テレビ動画の前作品『』のスタッフ情報を引用し、以降の資料は全てこの本を元に作成されたため、このような誤解が生まれたのであろうとは述べている。 末、日本テレビで放送されていた『』においての所蔵している映像を放送する企画があったが、明確な理由が示されずにオンエアには至らなかった。 には、会報誌43号(2006年12月発行、8月改訂版発行)にて本作の特集が行われ、チーフディレクターの、制作主任の、作曲家の、初代声優ののインタビュー、真佐美が提供したオープニング絵コンテ、第1回スケジュール表、サブタイトルリスト、スタッフ・キャストデータ、作画設定資料、フィルムストーリー、、放送の第1話「出た! ドラえもんの巻」の原作「」の再録など多数の資料が掲載された。 なお本特集では「今まで歴史の隅に隠されてきたアニメ『ドラえもん』の原点にスポットを当てる必要があるし、またそうすることによって、これまで思い込みで『失敗作』と決めつけられたのスタッフ達の業績に対して、正しい評価が下されることであろう」「日テレ版『ドラ』は、これまで残された情報があまりにも少なく『失敗作』というレッテルを貼られてきたが、そのレッテルを一旦剥がして、もう一度新たなる評価を下す必要があるのではないだろうか」と結ばれている。 、CS「」が旧作を再放送するために権利者とフィルムの行方を捜索したが、またしてもオンエアには至らなかった。 は自身の所持するフィルムを元に無償での上映会を行っていたが、にから上映会を中止するよう要求された。 真佐美側は「非営利」「無償」「無報酬」の上映会であれば、著作権者の許可を得ずに開催可能()であること、現在の作品自体の権利状況において上映に問題が無いことを訴えたが、結果的に両者の交渉は決裂してしまった。 そんな自分たちが携わってきた愛すべき作品に興味を持って頂けるなら、多くの方に知っていただきたい、と思うのが人として当たり前だと理解していただきたい。 しかし、という剣を振りかざして、それらの作品を封じ込めようとする営利目的企業などが存在することも事実である。 (中略)私は営利を目的とせず、ただ、こういう作品を作ったという証を多くの方に知っていただきたく思うので、年金暮らしの苦しい中でも相変わらず、夢を追いかけることを喜びにした。 これからの短い人生を楽しみたいのである。 、日本テレビ『』のインタビューでが「ぼくドラえもん。 」とドラえもんの声を演じている。 また、野沢は『』(2015年7月9日放送)でも、「モノクロだったんです 」「出すの早すぎたんでしょうね、そんなに長く続かなかった」などと僅かではあるがこの作品について証言している。 そして番組の最後には「今日もごきげんよう」とドラえもんの声を演じている。 設定 [ ]• 制作主任のは、製作にあたっての色を決めるのに『』編集長の井川浩や『』の坂本副編集長、『』の上野編集者らと会い、原作者に修正など無いか見てもらうためのを渡され、原作の3色刷のカラーページを参考にして色指定を行ったという。 この時、参考にしたカラーページのドラえもんは青色で印刷されていたため、青いドラえもんを何色か作り、藤子Fの校閲を受け青色に決定した。 しかし、実際に青色にすると空の色と一緒になってしまうため、作画スタッフは背景に雲を入れるなどして対処したという。 第1話「」(1973年4月1日放送)には、相手の頭も体も弱くさせるという秘密兵器が登場している。 後に真佐美は、今ではだが、当時はまったく問題なかったと述べている。 なお、この話は『小学一年生』1970年11月号掲載の「」(未収録)に改定を加えたものであり、原作の「クルパーでんぱ」と同様の効果を及ぼす。 またアニメ版ではガチャ子でなくドラえもんが使用した。 のによれば放送局から内容への注文は特になく、プロデューサーのから打ち合わせ前に「この番組のへそ(キーポイント)はなんですか」と聞かれた程度のものだったという。 ただしとの兼ね合いで第16回Aパート「おれ署長のだいりの巻」では「」を「」に言い換えるなど、制作当時のに合わせた微細な調整は行われていた。 一方では、を提出した頃、日本テレビからの要請で「年上の召使い」然としたを「のび太の友達」というイメージに近づけるため、声優をからに変更したと証言している。 この際、制作側から「今のままの声で良い」と言う意見が出なかったため「そういうことなら仕方ない」と声優交代に応じたが、演出部は富田の降板に反対していたという。 なお、真佐美は声優交代に対する視聴者の反響について「葉書が回ってくる頃にはもなくなってしまったから、どのような反響があったかはわからない」 と回答しているが、放送当時の(1973年7月15日付)には「ドラえもんはユニークな声の魅力に負うところが大だった。 どういう事情で変わったのか知らないが、声変わりしたドラえもんは魅力がなくなった」という批判的な投書が掲載されていた。 のちに真佐美は「声優さんに途中で変わってもらうと言うことは、大変失礼なことで、声優さんにはなんの落ち度もなく、一方的に交代して貰ったわけで、大変心苦しく思ったことを覚えています。 ただ何のトラブルもなく、気持ちよく交代して頂けたと報告を受け安堵いたしました」「新しく『』が始まって声優もでイメージがぴったりで、これがドラえもんの声だと思いました。 作品的にも良く出来上がっていて、文句の付けようもなく、安心してドラえもんをお任せできると、そのとき思ったことを思い出しました」と回想している。 原作及び第2作との相違点 [ ] 初期原作の設定やアニメオリジナル設定を用いているので、第2作以降とは異なる設定が複数存在する。 これは連載当初のドラえもん像に顕著である。 序盤は中年男性だったがドラえもん声優を担当したこともあって、非常におっとりとした哀愁漂う親父臭い性格に設定されていた。 しかし担当声優がに代わって以降、原作の連載初期のような短気で自己主張が強く活発で好戦的な性格に変更され、近所の相撲大会や小学校のラジオ体操などの行事に参加したり、のび太と一緒にのび太の父親に海水浴に連れていくことを強請る描写があり、原作以上に子供らしい性格に描かれている。 このように声優の性別が入れ替わるドラえもんの声変わりは、当時の視聴者に大きな衝撃を与えた。 シリーズ前半はのを舞台にしたハートフルな人情路線であったのに対し、シリーズ後半では「の声優交代」や「のレギュラー化」など大胆なテコ入れを図ってドタバタ喜劇を中心とした「」へと路線変更した。 なお放送開始まもない1973年5月末頃までに提出された(提出先・配布先ともに不詳)には「のび太を側面から補助する役割としてドラえもんを登場させた」という当初の構成方針について「主人公ドラえもんの性格描写を忘れ、主人公でありながら、ドラえもんを影の薄い存在にしてしまった。 しかも、演出テクニックとして、原作の特色であるスラップ・スティックな表現を禁じたために、迫力に欠ける単調なコメディの次元に留まってしまった」と、その性向を「単調なコメディ」と自虐的に捉えた記述も確認できる。 これについて編集部のポール舘は「愛読者・視聴者は、のび太にこそ自分の姿を重ねて作品を共感を以て迎え入れることを的確に捉えているのにも関わらず、製作者にとって、マンガ『』の主人公は作品タイトルの『ドラ』本人であってほしい、という不文律を背負ってしまっている『ねじれ』が見受けられる」と指摘している。 作風の変化に関してのは「前半は比較的テンポがゆったりして、の良き仲間としてドラえもんを描けたのに対して、後半はテンポアップして時代にはあっていたようですが、せわしかったように思えました。 私としては、前半の方が好きでした」「終盤は会社を畳むというので、ドタバタしていましたので、あまりよく憶えていませんが、シリーズ後半がな内容になっていたので、でハートウォーミングな話にできて、うまくまとまったと思いました」と語っている。 一方で制作主任のは「ドタバタナンセンスってのはスタッフの性にあってたのかもね。 僕が呼んで来るスタッフはで一緒にやってた仲間が多いから、だんだん地の虫プロのカラーが濃くなってきた」と語っており、後半になると原作の『』のようなテンションの高い作品になっていったという。 は自著『』()で本作を否定する発言を繰り返し行っており 、本人へのインタビューで「日テレ版は全然人気が出なくて半年で打ち切りになった。 原作にない話やキャラクターが出てきたり、途中でドラえもんの声が変わったり、いじりすぎたんです。 アニメ化した人が原作をちゃんと理解してなかったんですね。 作り方があまりにメチャクチャで、こんなのもうドラえもんじゃないって作品になっちゃって。 見てる側が訳がわからずついていけなくなった」と語っている。 一方で主催の藤子アニメで本編を初視聴した作家のは「作品のノリが同時期の系のの系譜で、非常にテンポが良く、全体的に楽しめました。 背景も色彩が濃いなんかよりも全然素晴らしく、下町情緒に溢れていて、まるで氏が描かれたみたいでした。 観賞後、仲間内で、原作の世界観をいじり過ぎだという意見も聞かれましたが、スネ夫のママが空手の有段者だったり、ジャイアンの父ちゃんが背が低かったり、やたらを強調したりのアレンジは、大らかな(東京ムービー全盛)時代のギャグアニメならではの微笑ましさがあり、僕的には全然OKだったりもしました。 ギャグ的にも異常なパワーを感じさせるのも素晴らしかったですね」と肯定的な評価を下している。 またブログ「」を運営している研究家のも「実際に観てみれば、現在の『』のイメージとは違うものの、原作初期のなノリとキャラクターの性格を活かしつつ、独自のアレンジと解釈を施すことで、おもしろい娯楽作品に仕上がっていると感じた。 少なくとも、失敗作などというイメージからは程遠いものだった」 「ドタバタナンセンスのなかに下町的な人情や活気やユーモアが漂い、しかもで引き起こされる不思議な世界がそこにブレンドされて、屈託なく楽しめる」 と高く評価している。 なお、えびはらの証言には「人気が出なくて打ち切りになった」「」「(の絵を指して)原作にはないキャラが出た」など事実誤認が散見され 、一部のネットユーザーからは「非常に一面的で、客観性に欠ける」「当時はテレビアニメ化といえば翻案が行われるのがごく当たり前で、原作に忠実でなかったことを今の価値観で断罪するのは公平ではない」「今になって原作者サイドの一方的かつ感情的な意見を無批判に広めることで、より封印の理由付けに寄与してしまうことも誠実ではない」という批判の声もある。 こうした本作に対する誤解と偏見のみが伝承流布される状況のなか、元スタッフのは「私の後期の仕事は一匹狼のところがあってスタッフも少数しか使っておりませんでした。 自分から連絡を絶ってしまったので自分を責めるしかないのですが、私が関わった物が闇の中にあるような気がします。 正しく伝わっていないのです。 『ドラえもん』も短い期間で当時の事を知っているスタッフも居らず仕方がない事だと思います。 でも間違って伝えられるのは汗と涙を流した仲間たちに申し訳ありません。 出来るだけ思い出して、なるべく正確に伝え残す義務と責任があると考えております」 「私としては昔、『日テレ版のドラえもん』があったよと言いたいんです。 昔は『とんでもない作品』とか、カラー作品なのに『白黒だ』とか、別のものが『これが日テレ版のセル画だ』とか、間違った情報が出回っていたんです。 それが嫌で『一生懸命作ったアニメですよ』と言いたくてサイトを作りました。 自分で作った作品だから愛着ありますよね。 『こういう作品ですよ』と、見せたいというのが僕の活動の根底にあります」 とコメントしている。 脚本を担当したは、本作の方向性に「何につけてもドラえもん頼みである原作のび太の性格に、もう少し自主性を持たせる少年にする方向で始めた番組」と明かしており、文芸担当の徳丸正夫や脚本陣が話し合い「自主性のあるのび太少年」の方向性を決定づけたという。 このことに関して鈴木は「 藤本先生としては原作の思い通りになっていないと感じていたんでしょうね。 ただ、あの先生はそういうことをはっきり拒否しなかったから、僕らがそのまま勢いづいてやってしまった」 「 あれはやっぱり失敗でした。 のび太が何でもドラえもん、ドラえもんって言うでしょう。 それで、僕らはもう少し自立心のあるのび太にしようじゃないか、みたいな話をしたんだけど、子どもたちは別にそれを望んでなかったんですよ」 と原作とアニメに違いが生まれたことを認めている。 なお、最終話のラストシーンでは、ドラえもんに頼らず転げ落ちながらも自転車の練習をする「自立したのび太」が見事に描かれている。 しかし、私にはひとりの情熱にあふれる少年の姿として、非常に美しい光景に思えた。 原作に5話だけ登場し、唐突に姿を消しただが、アニメ化にあたり当時の原作数の少なさを補うために、レギュラーとして登場させたという。 なおガチャ子は、野比家でなく源家に居候している。 最終話では未来に帰らず、引き続き20世紀の源家に居残る。 静香の家には、によく似た風貌のボタ子という訛りが特徴的ながいる(原作ではてんとう虫コミックス第4巻で一度だけ登場)。 富田耕生演じるドラえもんは秘密兵器を出す際、「あ〜らよっ」とでかけ声をかけていた。 のび太とジャイアンの普段着が赤色。 セワシがのび太と同じく眼鏡をかけている。 の総称が「秘密兵器」。 「」の名称が「ヘリトンボ」(原作でも初期作品で使われていた)。 「」は登場せず「ミラクル扉」という秘密兵器が登場する(1973年5月13日放送の第7回Aパート「決闘! のび太とジャイアンの巻」より)。 なお原作では『』1973年4月号掲載の「ハイキングに出かけよう」(てんとう虫コミックス第0巻収録)で「どこでもドア」に相当するひみつ道具が初登場しているが、放映当時はまだ名前が命名されていない。 ドラえもんの鈴は「」というネコを呼び寄せるための鈴だが、原作では故障しており使用描写はない。 しかし「ネコあつめすず」の記述以前に、日本テレビ版ではネコを呼び集める「ネコジャラリン」という鈴が登場しており、作品内では故障せず機能していた(1973年8月5日放送の第18回Bパート「くるったハラ時計の巻」より)。 小学校の名称は下町小学校。 のび太の担任の姓が我成(がなり)。 本作ではドラえもんは21世紀から来た設定になっている(原作初期設定より)。 ジャイアンの母は故人であり、ジャイアンは父子家庭で育つ。 ジャイアンの父は体格が小柄で、人柄が良く息子思いの面が強調されていて、息子のためを思って無理をすることがある。 腕力はとても弱い設定。 名前は「小助」。 雑貨屋「正直屋」を営む。 によると普段は乱暴者の剛田武の優しい一面をどうしたら表現できるかということで、このような剛田家の設定になったという。 原作第1話から登場している「」は不在の設定。 また「」も登場しない。 放映開始前後に発売された『小学五年生』1973年4月号掲載の「ハイキングに出かけよう」で「」が原作に初登場しているが、本作には最後まで登場しなかった。 明確にドラえもんが未来に帰る最終回が存在する唯一のテレビアニメシリーズである。 声の出演 [ ] 所属事務所別ではとが協力している。 - 不明• - 不明• - 不明• - 不明• - ゲスト声優 [ ]• - お世辞鏡• (「水 島鉄夫」と誤表記)• 他 スタッフ [ ]• 原作 - (小学館学習雑誌連載)• 企画 - (日本テレビ)• プロデューサー - 川口晴年、米沢孝雄(日本テレビ)、佐々木一雄• チーフディレクター -• 音楽 -• 効果 - ()• 録音 - 番町スタジオ• 現像 -• 音響演出 - 近森啓祐• 音響制作 -• 美術監督 - 鈴木森繁、• 撮影監督 - 菅谷信行(スタジオ珊瑚礁)• 撮影 - 菅谷正昭(スタジオ珊瑚礁)• 選曲 -• 調整 -• 編集 - 西出栄子()• 文芸 - 徳丸正夫• 担当演出 - 岡迫和之、• 制作進行 - 木沢富士夫、小野忠、増田厚美、山下一郎• 制作事務 - 増田一恵• 制作主任 -• 制作 - 各話スタッフ [ ]• 脚本 - 、、井上知士、吉原幸栄、馬嶋満、園屁蔵士• 絵コンテ - 、、、岡迫和之、棚橋一徳、奥田誠二、矢沢則夫、、• 作画監督 - 鈴木満、生頼昭憲、白川忠志、村田四郎、宇田川一彦• 原画 - 永樹たつひろ、竹市正勝、熊野基雄、上條修、田中保、佐藤徹、山下征二、スタジオジョーク、スタジオテイク• 動画 - 秋山博雅、岡山陽子、荒井政良志、加藤輿治、楠田悟、滝波いつ子、八武崎好郎• 背景 - 、高野正道、亀川尚子、平川やすし、細谷秋男、、阿部行夫、西巻晶子• 仕上 - 江口マキ子、大橋啓子、黒田英里子、小林一幸、島崎あつ子、長村葉子、石田康美• 曲名は「ドラえもん(旧)」という表記が用いられている。 なお、本放送時では音色とテンポがフルコーラス版と異なる。 「ドラえもんのルンバ」と表記されることもある。 主題歌2曲に関しては日本コロムビア『』をはじめ、オムニバス盤CDなどにも収録されている。 パイロットフィルム [ ] 詳細は「」を参照 内容は 「ドラえもんが未来からやってくる」という原作第1話を意識した作品で、第1話「」およびにおいて「ドラえもんが未来からやってくる」といった内容が描かれなかったのに対し、本作はドラえもんとのび太の出会いを描いた物語となっている。 パイロット版の制作および演出は、のと佐々木一雄が担当し、設定やシナリオは文芸担当の徳丸正夫が用意した。 なお、のは、会報誌43号のインタビューでパイロット版の制作には不参加だったと述べている。 」と読み上げる。 なおサブタイトルが「 の巻」で構成されているのは、本作が唯一。 回数 放送日 サブタイトル 1 サブタイトル 2 第1回 1973年 4月1日 出た! ドラえもんの巻 ペコペコバッタ大騒動の巻 第2回 4月8日 屋根の上のすてきな子の巻 のび太のご先祖さんの巻 第3回 4月15日 キューピットで好き好き作戦の巻 弱味をにぎれの巻 第4回 4月22日 ねずみに弱いねこもあるの巻 ガキ大将をやっつけろの巻 第5回 4月29日 おせじ鏡の巻 パパとママの結婚記念日の巻 第6回 5月6日 のろいのカメラの巻 宝くじ大当たり作戦の巻 第7回 5月13日 決闘! のび太とジャイアンの巻 私は誰でしょうの巻 第8回 5月20日 アベコンベ騒動の巻 お化け屋敷の謎の巻 第9回 5月27日 クイック・スロー大作戦の巻 のび太は雨男の巻 第10回 6月3日 ウルトラミキサーの巻 ねがい星流れ星の巻 第11回 6月10日 ふしぎなふろしきの巻 のび太のおばあちゃんの巻 第12回 6月17日 大リーグの赤バットの巻 男は力で勝負するの巻 第13回 6月24日 ガチャ子登場の巻 おしゃべりくちべにの巻 第14回 7月1日 すきすきカメラの巻 天の川でデイトしようの巻 第15回 7月8日 へんなロボットカーの巻 ニコニコせっけんの巻 第16回 7月15日 おれ署長のだいりの巻 さあ夏だ! スキーをやろうの巻 第17回 7月29日 成績表はいやだなあの巻 自分の影をつかまえろの巻 第18回 8月5日 潜水艦で海に行うの巻 くるったハラ時計の巻 第19回 8月12日 キャンプ騒動の巻 忘れな草って何だっけの巻 第20回 8月19日 クーラーパラソルの巻 いつでも日記の巻 第21回 8月26日 宿題お化けが出たの巻 お天気ボックスの巻 第22回 9月2日 ぼくに清き一票をの巻 まんが家修行の巻 第23回 9月9日 すてきなガールフレンドの巻 花いっぱい騒動の巻 第24回 9月16日 そっくりクレヨンの巻 静香の誕生日の巻 第25回 9月23日 宇宙飛行士になりたいの巻 まいごマゴマゴ大騒動の巻 第26回 9月30日 ネンドロン大騒動の巻 さようならドラえもんの巻 関東地区の平均視聴率は6. 第16回と第17回の間のは、「」(。 読売テレビ制作。 枠は19:00 - 21:25)のため休止。 最終話「さようならドラえもんの巻」について [ ] ストーリー が家に帰るととが何か話している。 セワシは何かを話そうとするが、ドラえもんに「僕が話すから」と止められ、「きっとだよ」と言い残し未来に帰って行った。 ドラえもんは浮かない顔で何かを話そうとするが、そこへデパートから最新型の自転車が届く。 のび太は達とサイクリングに行く約束をしたものの、自転車に乗れないので安直にドラえもんを頼ろうとしていたのだ。 しかし、ドラえもんはいつもの調子で甘えるのび太を冷たく突き放す。 いつもと様子が違うドラえもんだったが、のび太は「いざとなったらいつものようにきっと何とかしてくれる」と気にも留めなかった。 思い切って何かを打ち明けようと決心したドラえもん。 しかし、のび太に差し出されたおやつのに心を奪われ、更に「この世に君がいなかったら僕は一人で生きていけない」という彼の言葉に動揺し、そのまま家を飛び出してしまった。 ドラえもんは、頼りっきりなのび太の自立心を養うために未来へ帰ろうと考えていたが、優しくしてくれるのび太にそれを言い出せず悩んでいたのだった。 落ち込んでいた所へ偶然会ったに相談する事にしたドラえもん。 そして、ガチャ子のアイディアで未来に帰る嘘の口実を作る事になった。 「ドラえもんの体の様子がおかしい」とガチャ子から聞かされたのび太。 慌てて駆け付けると、そこには狂ったように苦しみ始めたドラえもんがいた。 「未来に連れて帰って治さないといけない」と言われ、嘘を信じ込んでいたのび太は泣き出してしまう。 それでも、「ドラえもんがいなくなったら困るけど、ドラえもんが治る為なら我慢する。 だから自分に構わず帰って欲しい」とドラえもんに訴えた。 優しい言葉に感涙したドラえもんは嘘をついた事を打ち明け、自分に頼り過ぎてダメな人間になりそうなのび太が心配で、強い人間になって欲しいが為に未来の国に帰る事にしたと本心を告げる。 のび太は「僕の事は心配しなくていいよ」と彼の気持ちを受け入れた様子で愛想笑いを浮かべた。 その後、仲間らは広場に集い送別会を開く。 や、しずかも涙ながらにドラえもんとの別れを惜しみ、のび太と共にどら焼きをプレゼントする。 喜ぶドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていく。 テーマソング『ドラえもん』に合わせて仲間らに家まで送って貰ったドラえもんは、やとも別れの挨拶を交わした。 そしてドラえもんとのび太は、いつかの再会を誓い、最後の別れを告げる。 「未来の国でいつも君を応援しているからね」そう言い残したドラえもんは机の引き出しに入り、未来へ帰って行った。 ドラえもんがいなくなった現実に、のび太は「本当は、ずっと居てもらいたかったのに…」と号泣してしまう。 するとドラえもんが、再度引き出しから現れた。 のび太は唖然とするが、プレゼントのどら焼きを持ち帰るのを忘れていたという。 改めて別れの挨拶を交わした二人。 去り際にのび太にエールを送ったドラえもんは、今度こそ帰って来る事はなかった。 そんなのび太の姿を、ドラえもんはセワシと一緒にで未来から温かく見守っていた。 「ドラえもーん! 見てくれよー! 」夕焼け空に向かってそう叫ぶのび太の声と共に、物語は幕を閉じる。 解説 本エピソードの原作は、第6巻収録の「さようなら、ドラえもん」ではなく、雑誌『』3月号に掲載された「ドラえもんがいなくなっちゃう!? 」(第1巻収録)である。 これはが提案したもので、真佐美が幼いころ、塗装会社に勤めていた父親をまで迎えに行くために、自転車を練習した思い出と重なったからだという。 ストーリーは原作とおおむね同じだが、原作には未登場だったジャイアン・スネ夫・しずか・パパ・ママ・ガチャ子が登場し、ドラえもんとの別れを惜しんでいたほか、ドラえもんの嘘に協力するのはセワシではなくガチャ子になっている。 この回が最後の放送だったにもかかわらず、ラストのは「次回をお楽しみに」と表記された。 これは手抜きやミスではなくの再建と続編への希望を込めたものである。 またにはドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていく作中のシーンが採用された。 これにも続編製作の希望として「再会」の意味が込められているという。 ヒントに真佐美が昔見た映画で「無事に帰って来て」という願いが黄色いリボンで描写されていたことに由来する。 放送終了から5年半後、の第1話を見た真佐美は「大変素晴らしい出来で、とても安心しました。 さんの声も、あれなら大成功だなと思いました」という感想を述べている。 日本テレビ動画のスタッフ達の願いであった「自分達の手で再び作ること」は遂に叶わなかったが『ドラえもん』に対する思いは、このような形でへと引き継がれたのである。 放送局 [ ] 本放送 [ ] 系列については放送当時のもの。 放送地域 放送局 放送期間 放送日時 放送系列 備考 - 日曜 19:00 - 19:30 制作局 日本テレビ系列 ・ 日本テレビ系列 フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 - 金曜 17:25 - 17:55 - 火曜 18:00 - 18:30 1974年 - 平日 17:00 - 17:30 - 不明 木曜 18:00 - 18:30 フジテレビ系列 再放送 [ ] 一部地域では、本放送時代とは別の局でされていたが、その局も記載する。 この節のが望まれています。 日本テレビ 3月27日 - 5月2日、4月1日 - 5月6日• 1974年4月29日は「」を放送。 1975年度 月曜-金曜 8時00分-8時30分• 以上平日朝の再放送枠『』で放送。 1974年4月1日 - 1974年5月6日• 月曜-金曜 18時00分-18時30分• 1974年12月5日 - 1975年1月17日• 月曜-金曜 16時55分-17時25分(5回休止)• テレビ岩手 1975年1月5日 - 2月17日(5回休止)• 月曜-金曜 17時00分-17時30分• 福岡放送 1975年4月17日 - 5月22日• 読売テレビ 1975年5月12日 - 6月12日• 月曜-金曜 18時00分 - 18時30分、全25話。 最終回は未放送。 (NETテレビ系列)1975年5月22日 - 6月26日、17:30 - 18:00• 宮城テレビ 1975年7月9日 - 8月18日• 月曜-金曜 8時00分 - 8時30分、全25話。 最終回は未放送、休止は4回。 「パパとママの結婚記念日の巻」と「おせじ鏡の巻」が別の日に書いてあるなど、順番が混乱している。 (TBS系列)もしくは頃• (フジテレビ系列) -• 月曜-金曜 18時45分-19時00分(本来、1回・2話構成だったうち、半分の1話ずつ放送された)• 前述のように、からの申し入れで藤子F名義によるを求める警告状がから富山テレビに送られ、8月3日の9回目(第5話Aパート)の放送をもって強制的に打ち切られる()。 これを最後に再放送は二度と行われなかった。 年表 [ ] 「」および「」も参照• - が解散し、体制はそのままで新たにが設立される。 以前 - 社長のを中心に『』の企画が立ち上がる。 - の『』1972年8月号の「にんきものチャンネル」コーナーにおいてのイラストと共に「テレビにでるのをまっててね」という告知文が掲載される。 - 完成。 演出はのと佐々木一雄が担当、設定やシナリオは文芸担当の徳丸正夫が用意した。 - 放送開始。 第1話は『』1970年11月号掲載の「」を原作にした「」。 初夏 - 提出。 放送「ガチャ子登場の巻」より登場。 放送「すきすきカメラの巻」よりの声優をからに交代。 頃 - 放送のが決定。 - 放送終了。 で制作資料が焼却処分される(詳細はのサイト内「」の項に詳しい)。 最終話は『』1972年3月号に掲載された「ドラえもんがいなくなっちゃう!? 」を原作にした「」。 - 杉山卓『テレビアニメ全集2』(秋元文庫)に紹介記事が掲載。 しかし、この記事は前作『』のデータが流用されたため間違いが多く、また以降の資料はこの本を元に作成されたケースが多いため、が正確な情報を公開するまで誤った情報が広く流布する原因となった。 - の再放送が9回目の「おせじ鏡の巻」(第5回Aパート)で打ち切られる()。 これ以降の再放送は途絶える。 - での管理期間が終了。 - の横浜工場から後半16話分のネガフィルムが発見される。 - 元スタッフのが「」名義で会員制「」を開設、自らが保管する全資料を公開する。 - 『』内での所有するフィルムを放送する企画があったが頓挫。 - の所有するラッシュフィルムがネオ・ユートピア主催の第8回藤子アニメ上映会で初公開される。 上映されたのは第12回Bパート「男は力で勝負するの巻」と第18回Aパート「潜水艦で海へ行うの巻」の2本。 - ネオ・ユートピア主催の第9回藤子アニメ上映会で第10回Bパート「ねがい星流れ星の巻」と第21回Bパート「お天気ボックスの巻」が上映される。 またアンコール上映として第18回Aパート「潜水艦で海へ行うの巻」が再上映される。 - ネオ・ユートピア主催の第10回藤子アニメ上映会で第5回Aパート「おせじ鏡の巻」と第18回Bパート「くるったハラ時計の巻」が上映される。 初秋 - がに本作の自主上映を中止するよう警告する(ただし、真佐美はの規定を遵守しており、藤子プロ側の訴えはを欠いた越権行為であったという見方もある)。 - の講演上映会(開催場所:東久留米市立生涯学習センターまろにえホール)で2年ぶりに本作が再上映される。 - 元編成担当のが『視聴率15%を保証します! 』()を上梓。 高橋の証言からテレビ朝日がを放映するにあたり「旧作が再放送されると子どもたちが混乱してしまう恐れがある」としてに旧作の封印措置を求めたことが明らかになった。 - のコミニティーサイト「」の講座「昭和を生きた手塚治虫 -東久留米の思い出-」(開催場所:東久留米市役所)に研究会「」代表のがゲスト講演し 、本作の映像が4年ぶりに再上映される(これが現時点で最後の上映会である)。 現存映像 [ ] 放送終了後、フィルムは制作局の日本テレビで7年間管理され、その間は地方局へ貸し出されたりしていたが、日本テレビでの管理期間終了後に散逸したとされている。 さらに、事実上の封印措置と制作会社の消滅という事象も重なり、現在はネガはもとより保管先も不明(あるいは散逸)といえる状況である。 テレビアニメ作品の著作権は通常、制作プロダクションが保持することになっているが、制作会社である日本テレビ動画の消滅により本作の著作権は、不明瞭のままになっている。 本作の印象からまでの作品全ての版権が不明瞭になっていると誤解されることがあるが、日本テレビ動画作品にはビデオ化や再放送の行われた作品が多数存在するため、現在でも同社から作品の版権を引き継いで管理している者が存在するとみられる。 現存する映像としては、元スタッフのが個人的に保管している8話分のラッシュフィルム(ポジフィルム)のほか、本作の現像を担当した東洋現像所(現:)に後半16話分(第18回、第20回 - 第26回)のネガフィルムが保存されており、現在もIMAGICAが委託している東京湾岸の倉庫にフィルムが保管されているが、のため宙に浮いた存在になっている。 なお、真佐美の保管しているラッシュフィルムは、現像して上がってきたフィルムのうち、、、に誤りがあり、リテイクした未放送の16ミリフィルムを真佐美が個人負担で買い取ったもので、実際の放送に使用されたものではない。 なお、IMAGICAでは日本テレビ動画の前身にあたる東京テレビ動画が1971年9月24日に公開した原作の『』のも発見された。 こちらは谷岡作品の版権を管理している株式会社が本作の原版フィルムを入手し、2016年に(現・)に寄贈されている。 また本作は過去にもや東京国立近代美術館フィルムセンターの上映企画「発掘された映画たち2018」などで限定的に再上映されたことがあり 、2019年10月2日にはから初公開以来48年目にして初ソフト化され一部で話題となった。 1973年公開の監督の『ドキュメントポルノ 続・痴漢』(プリマ企画)では、開始後34分付近の男性医師がアパートの女性の住む部屋を覗くシーンで、背景のモノクロテレビの画面に本作の映像が写り込んでおり、動く映像を30秒ほど見ることができる。 その後、裏番組の『』にチャンネルが変えられている(音声は『』『』のものを使用)。 現存が確認されているもの• - 真佐美保管• 第3話「屋根の上のすてきな子の巻」 - 真佐美保管• 第4話「のび太のご先祖さんの巻」 - 真佐美保管• 第9話「おせじ鏡の巻」 - 真佐美保管• 第20話「ねがい星流れ星の巻」 - 真佐美保管• 第24話「男は力で勝負するの巻」 - 真佐美保管• 第35話「潜水艦で海へ行うの巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第36話「くるったハラ時計の巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第39話「クーラーパラソルの巻」 - IMAGICA保管• 第40話「いつでも日記の巻」 - IMAGICA保管• 第41話「宿題おばけが出たの巻」 - IMAGICA保管• 第42話「お天気ボックスの巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第43話「ぼくに清き一票をの巻」 - IMAGICA保管• 第44話「まんが家修業の巻」 - IMAGICA保管• 第45話「すてきなガールフレンドの巻」 - IMAGICA保管• 第46話「花いっぱい騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第47話「そっくりクレヨンの巻」 - IMAGICA保管• 第48話「静香の誕生日の巻」 - IMAGICA保管• 第49話「宇宙飛行士になりたいの巻」 - IMAGICA保管• 第50話「まいごマゴマゴ大騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第51話「ネンドロン大騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第52話「」 - IMAGICA保管 本作前後の他の『ドラえもん』映像(企画を含む) [ ] が『ドラえもん』を企画しなかったら、それまで多くの藤子アニメを製作したが『』の後番組として製作する可能性があったという。 日本テレビ動画が本作を企画したには、のによるをキー局とした、もう一つの『ドラえもん』の企画があったとされる。 この企画書は200字詰め原稿用紙(表紙含む)6枚と添付資料「ドラえもんの大ひみつ」(学年誌掲載分)のコピー1枚の合計7枚から成る。 これは系10月新番組の放送枠獲得を狙ったもので『』1972年8月号には「テレビにでるのをまっててね」という告知文も掲載されていた。 当初はアニメと実写の双方で企画され、後に実写へと企画が転向された。 作者の両人もピープロに訪れ「実写でやろう」と同意。 この際にドラえもんの声優として挙がっていたのが、奇しくもだった。 大山の起用は、先にピープロ制作のアニメ『』での演技を見込まれてのことだった。 既にドラえもんの着ぐるみまで試作されていたものの、この企画がどの程度具体化し、どの時点で頓挫したかについては不明。 ちなみに企画書ではのキャラクター設定は原作から改変されて「宇宙からやって来た宇宙ロボット」になる予定だった。 本作終了後、からの「」の内箱にドラえもんやのイラストが掲載されていたが、この時テレビCMに登場したドラえもんは、本作後期の野沢雅子が担当していた。 手塚治虫の関与 [ ] 日本テレビ版『ドラえもん』制作の影には、の師匠筋であるの存在が深く関わっていたとされる。 かつてで手塚の秘書を務めていた(真佐美ジュン)は『ドラえもん』のアニメ化を知った手塚から「いい作品だからやりなさい」と度々励まされ、でアニメ用のやが入手しにくくなった際には、手塚がに直接電話して熱心に口説いてくれたと証言している。 また『ドラえもん』の制作中に「下崎にアニメは作れない」という中傷文が日本テレビに届き、下崎を降板させる動きが局内で出た際には、噂をいち早く聞きつけた手塚が「下崎氏は・で豊富な経験を持つ最も信用のおける男です」「いわば僕の右腕だったんですよ! 」と局関係者に電話口で説得し、その甲斐あって真佐美は名誉を回復することが出来たという。 なおスタッフには出身者が多数在籍していたため、のび太の通う小学校は虫プロ近くの小学校がモデルで、作中に登場する駅舎は虫プロの最寄り駅だったのがモデルとなった。 またスネ夫の家は「明らかに先生の自宅がイメージ」と真佐美は述べている。 手塚と下崎の関わりについては原作・漫画の『TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち〜』(、)で前後編にわたってされている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 「」の範囲を超えて作業していたので「担当演出」という名称が使用された。 またはの演出も担当している。 2005年4月より放送中のシリーズのDVDは『NEW TV版 ドラえもん』というタイトルで発売されている。 ファンからはを「 」「 」、を「 」などと呼ぶことがある。 は企画の経緯について「(日本テレビ動画の前身)はずっとばかりやっていたので、次回は少年もので『』をやりたいと、社長のがそういう企画を考えて、実際に動いていたのですよ。 ところが、その動きの中で『』の存在を知ったのです。 これは面白いぞということになりまして、早速『ドラえもん』の企画を立てたら、その企画が先に売れちゃったんです。 『』のヒットがあったことも大きな要因でしょうが、あの頃『ドラえもん』に目を付けたということは、彼には先見の明があったと言えますね」と証言している。 ただし、真佐美はのとの仕事上のトラブルから放映当初に『』の制作主任を自主降板している。 当時、は東京都中野区と元来の本拠だった新潟市にスタジオを構えていた。 「東京に本社を移した」とされるが、の調査では登記上は最後まで本社は新潟であった。 第1話の原作は『』1970年11月号掲載の「」に改定を加えたもの。 放映当時、キー局の関東地区など民放4局マストバイ地域では裏番組として『』()や『』(制作・)などが放映されていた。 一方、広島県や福岡県を除く九州各県など日本テレビ系とフジテレビ系をクロスネットとしていた地域では、『マジンガーZ』を(または競合他局への放映譲渡)とした上で、本作を同時ネットしていた。 なお本作でドラえもんを演じた富田耕生は、『マジンガーZ』でもレギュラーキャラクターであるドクターヘルとヌケ(ボスの子分)の二役を演じていた。 かつてが降板したのはを起こしたからだという噂があったが、これは事実ではない。 この噂はの前作『』製作の打ち合わせのため、制作主任のが日本テレビ動画の新潟スタジオに行く途中に交通事故を起こしたことに起因する。 後に下崎は『モンシェリCoCo』放送時にスタッフとのトラブルで番組を自主降板し、そこから「『モンシェリCoCo』のプロデューサーが交通事故を起こしたため辞めた」と言う噂がたち、その噂が一人歩きして、いつのまにか「交通事故で富田耕生が降りた」という噂になっていたという。 その後、新倉はフィリピンに移住し、1986年5月に拳銃密輸で逮捕、送検されている。 送検・起訴後の報道はなく、以後の消息などは不明。 の調査では、登記上のの代表取締役は稲庭で 、は安藤の取材に対して稲庭を「会長だけどお金を出すだけ」と述べている。 真佐美も安藤の取材に対して「稲庭会長」と呼んでいる。 「」の仕事だけでなく作品を幅広く担当したので「担当制作」という名称が使用された。 真佐美が昔見た映画で「無事に帰って来て」という願いが黄色いで描写されていたことに由来する。 監修の『Fライフ』()4号に記載された年表では、1973年の藤子アニメは『』のみとなっているほか、のの年表にも本作に関する記述は不掲載となっている。 一方で、ドラえもん50周年特設サイト内の年表には、1973年に本作が放送開始された旨の記述がある。 生前、公の場で明確に本作を否定した発言はない。 ただし、後述の富山テレビでの再放映を知った際の反応のほか、第三者による証言として• 新旧両方の『ドラえもん』に関与したは「以前やったことは非常に悔いが残る」といったことは言われた。 安藤健二の照会に対して代表取締役(当時)は「『本来のドラえもんの持ち味を出していない作品であり、作品のイメージとはかけ離れたものであった。 海外の輸出用として制作されたアニメーションのようで、作者として気に入った作品ではなかった』と申しておりました」と文書で回答した。 元社長のは、再アニメ化の許諾を得た頃に「『ドラえもん』だけは(引用者注:『』や『』と違って)出戻りなんです。 さんざんな仕打ちを受けて戻って来た、かわいそうな娘です」と言われた。 も本作の再アニメ化に対し「嫁に出し傷ついて帰って来た娘を再び世に出すのは嫌だ」と、難色を示す発言を藤子・F・不二雄から聞いたと夫のが記している。 は、放送終了後に藤子Fが「この件についてはいっさい語りたくない」と漏らしていたと証言している。 といったものがある。 作品初期は、まだ藤子Fと藤子Aの作品ごとの分業が完全に確立しておらず、藤子Aとその関連スタッフも本作品に若干関わっていたとされる。 なお、藤子Aは放送終了後、に「あの時期に『ドラえもん』は早すぎた」と話している。 ラッシュ編集はで、ネガ編集はので行われた。 そのため、最終回後に発行された『小学四年生』1973年11月号掲載の『ドラえもん』の扉絵には「テレビ大人気放送ちゅう」とのあおり文句がある(安藤、1982年、p. 63に該当ページの写真が掲載されている)。 富山県では当時、が放送されていなかった。 1980年4月5日からようやく北日本放送でネット開始された。 のび太がドラえもんに洗面器を渡している構図のセル画で、真佐美ジュンはで使用されたセル画ではないと否定した。 のメディア芸術データベースやの『TVアニメ25年史』(1988年)には本作のスタッフ情報に、、などの表記も確認出来るが、後に関わっていなかったことが判明している。 なお放映前に作成されたとみられるスタッフ表にはの名前が記載されていたことが判明しているが、実際の製作に関わっていたかどうかは不明である。 番組内ではモノクロだと述べているが、実際はカラー作品である。 ただし、当時は白黒テレビで視聴していた人も若干存在した。 、にて第12回Bパート「男は力で勝負するの巻」の一部音声がアップロードされたことにより、富田版ドラえもんの声が久々にお目見えすることになった。 ただし、から発売された主題歌のレコード(SCS-515)のジャケットにはドラミも描かれている。 全体のスケジュール作成管理、スタッフの手配、外注先の選択、単価交渉などを統括した現場責任者。 では「」の名前を使用した。 の制作時は現場の制作と演出を一人で行っていたが、演出責任者としてをに迎え、演出助手に岡迫和之とを迎えたことで、演出の「真佐美ジュン」は要らなくなり、制作として専念した。 『』(小学館)1973年4月号掲載の本作品の漫画「くものねんどのまき」では欄外のネット局一覧には、(現:名古屋テレビ放送=メ〜テレ)が掲載されていたが、放送開始直前の中京圏ネットワーク整理により、中京テレビでの放送となった。 なお、名古屋放送では4月1日時点では『』(毎日放送制作)を1日遅れネットで放送していたが、その後『アップダウンクイズ』(毎日放送制作)の同時ネットに移行した。 当時は岡山県との相互乗り入れの実施前であった。 当時、日本テレビ系列でもあった(日本テレビ動画の代表取締役だった稲庭は同社役員)は本来の時間帯に日曜19:30枠の『』などを30分先行ネットしていた。 また、新潟に日本テレビ動画の制作スタジオがあった。 『』1972年8月号の告知記事は、の実写企画()とのアニメ企画のどちらを意図したものかは判断材料が乏しく明確になっていない。 の初登場回では「ドラえもん、声変わったね? 」「ちょっと風邪ひいちゃって」という的な会話があったと漫画家の滝季山影一が証言している。 結果的には、・制作のテレビドラマ『』が『』の後番組となった。 ちなみに『』(1979年)以前のは『ドラえもん』(1973年)を除いてが全作品を制作している(実制作はが担当)。 出典 [ ]• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌43号. 2006-12. 51 - 54• 三才ブックス : 190-192. 2005-02. 昭和40年男 クレタパブリッシング. 2012-10. 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌46号 藤子不二雄FCネオ・ユートピア. 2008-08. 安藤、2008年、p. MSN産経ニュース. 産経新聞社 2009年1月12日. 2009年2月10日時点のよりアーカイブ。 2019年11月7日閲覧。 18 - 19• 安藤、2008年、p. 安藤、2008年、pp. 78-79• 安藤、2008年、p. 安藤、2008年、p. 64 - 65。 真佐美ジュンの証言内容はプロデューサーだった佐々木一雄からの伝聞という。 MSN産経ニュース. 産経新聞社 2009年1月12日. 2009年2月10日時点のよりアーカイブ。 2019年11月7日閲覧。 113 - 114• 61 - 63• 安藤、2008年、p. このページのリストでは後述の富山テレビの再放送以前に全国の8局で9回(日本テレビのみ2回)の再放映がおこなわれたことが示されている。 29 - 32• - ドラえもん50周年特設サイト• 41 - 43• 安藤、2008年、pp. 39 - 40• 『「ドラえもん」への感謝状』、2014年、25頁。 『カミさんはドラえもん』、2001年。 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社 2019年2月3日. 2019年11月6日閲覧。 『別冊映画秘宝 とり・みきの映画吹替王』、2004年。 安藤、2008年、p. この内容は当時藤子・F・不二雄のアシスタントだったの証言による。 44 - 45• 』小学館、2015年、120-127頁。 安藤、2008年、pp. 37 - 38• 安藤、2008年、pp. 27 - 28• 2009年8月18日• w, p, i. 20 2018年11月29日 ,• えびはら武司 w, p, i. 藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道 p. 12 2015年6月30日 , 竹書房• えびはら武司 w, p, i. 20-21 2018年11月29日 , 竹書房• 2019年2月5日. 2019年11月11日閲覧。 Togetter 2019年12月29日. 2019年12月30日閲覧。 2017年12月30日. ハフポスト日本版. 2019年11月6日閲覧。 48 - 49• まんだらけZENBU 93 : 369. 2019-06. Togetter 2019年10月17日. 2019年11月11日閲覧。 作者の出身地• 『』1973年5月25日付および1973年11月30日付各朝刊テレビ欄より。 北國新聞縮刷版 1974年9月および10月分より。 、1975年5月23日(金曜日)20ページ、テレビ・ラジオ欄。 2014年10月24日• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌51号 藤子不二雄FCネオ・ユートピア. 2011-10. - 真佐美ジュンgooブログ• 2018年1月13日• - 真佐美ジュンgooブログ• 71 - 72• Togetter 2019年10月2日. 2019年11月11日閲覧。 、『電人ザボーガー』第1巻、、2002年。 88-90, 文 但馬オサム「ピー・プロワークス お蔵入り作品」• くだん書房. 2006年9月3日時点のよりアーカイブ。 2014年2月16日閲覧。 藤子系ブログ。 、 w, p, i. TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち〜 vol. 49, pp. 117-120 2019年5月8日 ,• MSN産経ニュース. 産経新聞社 2009年1月11日. 2009年2月12日時点のよりアーカイブ。 2019年11月7日閲覧。 宮崎克 、野上武志 w, p, i. TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち〜 pp. 87-126 2019年5月8日 , 秋田書店 参考文献 [ ]• 『封印作品の憂鬱』、2008年• 』、2014年• 芸能人トリビア制作委員会『』、2003年• 『』2005年2月号「」• 『昭和40年男』2012年10月号「昭和48年 あの日を再検証 早すぎた挑戦!? 『ドラえもん』初アニメ化」• 会報誌43号「特集・日本テレビ版ドラえもん」(2006年12月初版発行、2009年8月改訂版発行)• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌46号(2008年夏発行)• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア別冊「特集ドラえもん 129. 3」(1999年2月初版発行、2009年5月改訂版発行、2010年5月3訂版発行)• - MSN産経ニュース(2009年1月10日)• - MSN産経ニュース(2009年1月11日)• - MSN産経ニュース(2009年1月12日) 真佐美ジュン公式サイト [ ]• 真佐美ジュンへのインタビューを含むもの(真佐美ジュン公式以外) [ ]• 外部リンク [ ]• (当時の新聞記事などの資料を掲載)• (設定について詳述あり)• (個人サイト、「旧ドラ」鑑賞記)• (日本テレビ動画の軌跡について詳述あり)• - Togetter• - Togetter• 系 日曜19:00枠 【当番組まで日本テレビ制作枠】 前番組 番組名 次番組.

次の

ドラえもん (2005年のテレビアニメ)

ドラえもん テレビ

『ドラえもん』のテレビアニメには以下の3作品が存在する。 (平成17年)からテレビ朝日系列で放送中のシリーズ これらを区別する呼称は公式には発表されていないが 、アニメ誌では(平成17年)4月より放送中のシリーズを『ドラえもん(新・第2期)』としている。 本項ではそれに倣い、(昭和48年)にで放送されたシリーズを 第1作、(昭和54年)よりで放送されているシリーズをまとめて 第2作とする。 また第2作において、(昭和54年)から(平成17年)まで放送されたシリーズを 第1期、(平成17年)4月から放送中のシリーズを 第2期とする。 本記事では 第2作第2期について記述する。 概要 [ ] 本シリーズは、テレビと映画が25周年を迎えたことを機に、前シリーズから大幅にする形で制作されたものである。 それに伴い、への移行、キャスト(声優陣)の総入れ替え、キャラクターデザインや設定の変更などを行った上で、サブタイトル場面、次回予告、本編BGMなどの音楽や効果音が大幅にリニューアルされた。 それと同時に、エピソードの再使用も開始されたため、本シリーズはリメイク作品としての色合いも強い。 前シリーズでは主に番組のAパートに新作、Bパートに過去に放送した作品を再放送する形式だったが、本シリーズでは一部の回を除き両パートとも新作のみの放送となっている。 当初は第1期でもアニメ化された原作をアニメ化した作品が多かったが、次第に本放送時原作収録本が絶版になっていた作品や本シリーズで初めてアニメ化された作品 も放送されるようになった。 稀に原作の連続していない作品2話を1話に統合して放送する作品 や、逆に1つの話を前編後編に分けて放送する作品 もある。 また、への対応のため、制作(アナログ放送では2010年まで、より)へ移行した。 舞台設定 [ ] 本シリーズにおけるキャラクターや舞台の設定は基本的に原作に忠実である一方、原作においてギャグで済まされていた箇所については、現代科学や物語背景に基づいた解釈が施されている。 また、作中の何気ない描写が、物語の重要な鍵を握るとして用いられることもある。 メインキャラクターであるらは、現代の小学生の等身大キャラクターとして描いており、主人公であるは子守りロボットとしては成長途中で、のび太の目線に近いキャラクターとして設定している。 また、アニメオリジナルエピソードなどにおいてドラえもんがメインとなる話 が増えていたり、原作ではのび太単独で進行する話もドラえもんがのび太と共に行動したり、ドラえもんがメインとして描かれる話が増えている。 のび太たちは月見台小学校 5年3組 の設定。 また、今作は(以下「 しずか」と表記)が登場せず(以下「 ジャイアンと表記)とが登場する話 が時々あるが、その逆はほとんどない。 他にジャイアンのみ登場する話 、スネ夫のみ登場する話 がある(残り3人が全員登場しない話 は野比家が舞台になったり、長編になる事が多い)。 ドラえもんやのび太らは月見台という下町に住んでいるという設定であり、原作および前シリーズでは町の中に「ドブ川」と呼ばれるほど汚れた川が流れていたのに対し、本作では緑あふれる散歩道の中に自然のままの小川も流れている。 また、町のシンボルでもある「うら山」は、前シリーズでは町のど真ん中に位置し、周りを交通量の多い車道に囲まれていたが、本作では周囲をのどかな田園地帯が囲んでいる。 時代設定 [ ] 基本的に、前シリーズと同様に現代と変わらない世界として描かれている。 放送分ではが作中の現代を指して「は…」と発言しており、現代と変わらない世界であることを示唆する事物がその後もたびたび作中に登場している。 また、のび太の部屋に貼られているカレンダーも現代のものと全く同じである。 放送分より使用されるに登場する、のび太たちの服装が今の時代に合わせて変化する。 それにともなって新しい服装がアニメ本編でも取り入れられていき、スネ夫が前シリーズ以来再び携帯電話を使うなど、現代の生活に反映した作品作りが今後も展開されるという。 また、原作で過去の芸能人が登場する場面には、代わりに以降に生まれた芸能人(・など)を起用している。 2007年放送の「ママのダイヤを盗み出せ」では、のび太の母親である玉子の少女時代にのサイン会が開かれており 、玉子は昭和50年代に少女時代を送ったことになっている。 一方、雑誌『もっと! ドラえもん』第1号に掲載されているのインタビューでは「はっきりとはさせていないが、ひと昔前(後半からごろ)くらい」と書かれている。 また、2005年8月5日放送では、のび助が幼いころ戦時するエピソードである「白ゆりのような女の子」がほぼ原作そのままにアニメ化されている。 デザイン [ ] 本作のキャラクターデザインは原作第30巻前後に近いデザインになった(具体的には、ドラえもんの頭がやや大きくなった。 しずかの髪の色がこれまでの淡いから黒髪に(ただし、『』では、濃い栗色になっている)変更されている。 しずかの目を閉じる絵が睫毛と一緒に下がるものに変更され、通常時のジャイアンの白目の表現がなくなった。 しずかの母の顔のデザインは原作とは違い従来のアニメのまま。 キャラクターの服装のデザインは各話ごとに変わっているが、のび太、ジャイアン、スネ夫は第1期の普段着と同じデザインであることが多い(のび太の服の色は朱色、水色の場合もある)。 野比家の外観、間取りなども原作に準拠した設定に変更(のび太の机がステンレスから木製に変更、のび太の部屋の扉がからドアに変更など)された。 ただし、のび太の部屋は畳の上にカーペットが敷かれている (劇場版では畳の場合がある)。 タイトルロゴの「ド」の字の濁点部分にあたる「目」も、本作から「笑った目」に変更されている。 2017年7月28日放送の「あの名作が帰ってくる!ドラえもん夏の1時間スペシャル」より本シリーズでキャラクターデザインが再度リニューアルが行われることが発表され 、背景も水彩調からポスターカラー調に移行することも報じられた。 キャラクターデザイン面では、ジャイアンの目が第1期のように通常時でも白目が描かれるようになったほか、しずかの普段着が本格的に襟付き服となり、ピンクの襟付き服着用時のスカートの色が、青と緑から赤に変更された。 このリニューアル後からは総作画監督は不在となり、各回のキャラ設定がエンディングでクレジットされるようになる。 映画との関連 [ ] 映画では作品によって美術設定に追加・変更などが行われている。 特に顕著なのが野比家であり、外観ではが十字の物から二枚ガラスの物に変更されたり、を収納するのデザインが変えられたりしている。 内装ではの柄や居間のレイアウトが変更されており、たとえば『』における野比家の居間の床にはが敷かれ、や足つきのが置かれている。 一番多く描かれることが多いのび太の部屋においては、側の壁上部にはが、左に襖張りの引き戸式収納スペースが追加されたり、ドア側の壁にはカラーボックスが置かれるようになった。 また、『』では、が発条仕掛けで卵を割って歩く玩具 とに酷似したゲーム機が置かれているほか、以降の作品でも、ライオン仮面や伊藤翼、星野スミレとミーア のポスターが壁に張られるなど、ドラえもんゆかりの小道具が登場することがある。 また、映画シリーズで使用されたBGMが後にテレビシリーズでも使用されることがある。 映画公開前後には1時間特番があり、映画の見所や長編ストーリーを公開する。 なお、前夜祭も従来と同様に放送される(まったく放送されない年もある)。 放送形態 [ ]• 放送開始当初から前シリーズに引き続きを実施。 ドラえもんの台詞は黄色、のび太の台詞は水色、それ以外の人物の台詞は白で表示される。 また、放送時間も放送開始から2019年9月までは前シリーズと同じ金曜 19:00 - 19:30 ので放送され、他のアニメと比べ特番を組むことも多かった。 本シリーズ開始直後には「ドラえもんミニシアター」というミニコーナーが存在した。 これは幼児向けの雑誌に掲載されていた、単行本未収録の全2、3ページ程度の作品をアニメ化しているミニコーナーだった。 その後、夏は「踊れ・どれ・ドラ・ドラえもん音頭」を放送。 放送分から放送分までは、体験学習の面白さを伝えるミニコーナー「ドラミのちょっとやってみよう」を放送した。 からまで「ドラえもんひみつ道具クイズ」を放送した。 また夏に再び「踊れ・どれ・ドラ・ドラえもん音頭」を放送した。 シリーズの2回目となるのは例年どおり放送し、(「ひみつ道具コンテスト」の電話投票を実施)を実施したが、放送時間が従来の3時間(18 - 20時台)から、2時間(18 - 19時台)へと例年より1時間短くなった。 も放送時間は2時間のまま放送した。 2008年は約2時間半(18 - 20時台前半)へと再び拡大した。 放送開始当初のオープニングテーマは引き続き「」(ただし、による演奏のみ)が使われていたが、2005年放送分からはが歌う「」に変更した。 オープニングに「ドラえもんのうた」ではない歌が使用されたのは、テレビアニメ第2作第1期を含めると放送開始26年半にして2度目のこと(1度目は「」)。 その後、2007年5月11日放送分からは、「」に変更された。 エンディングテーマは映画の宣伝や情報を流すため休止し、2005年から放送分まで「踊れ・どれ・ドラ ドラえもん音頭」をエンディングに使用した(ドラえもんのとしては、の「ドラえもん音頭」以来26年ぶり2曲目。 通常放送ではエンディングアニメーションを使用しないため、スタッフおよびキャストのテロップはオープニングアニメーションにすべてクレジット(挿入)している。 また、2007年以降「踊れ・どれ・ドラ・ドラえもん音頭」をエンディングアニメーションで流す際、オープニングアニメーションをカットすることがあるが、そのときはエンディングでスタッフおよびキャストのテロップを流している。 前シリーズでは次回予告のナレーションにドラえもんだけが登場していたが、本シリーズではドラえもんとともに、2005年放送分まではのび太、しずか、ジャイアン、スネ夫が毎週持ち回りで担当していた。 放送分からはドラえもんとのび太のみ(たまにしずか、ジャイアン、スネ夫やゲストとして他の登場人物が入ることもある)が登場している。 なお、サブタイトルのクレジットも初めのころ [ ]はしていた(大きなどら焼きがあり、その右下にドラえもんが右手を挙げている絵)が、2006年以降は挿入していない(次回のどちらか1話のあらすじのみ)。 また、次回予告の長さは、15 - 30秒と統一されていない。 アニメの時間(尺)は2005年4月以降は22分。 2007年5月から21分30秒に変更した。 当初、各エピソードは、アニメオリジナルのストーリーのみになっていたのを、原作中心に戻した。 ただし、2007年3月からは再びアニメオリジナルのストーリーを制作するようになった(レギュラー放送初オリジナル作品は「あの人は居間」)。 大晦日特集はで、金曜日以外でも必ず放送する。 大晦日の放送は18時(日本時間)からスタートするが、以前は21時までの3時間あったのが、編成上の関係で近年は20時、ないしは20時30分までに短縮される傾向にあった。 しかしに入ってからは年末特番の超ロング化のため、大晦日に放送したのは及びからであり、2015年は2012年以来3年ぶりに大晦日での放送となるものの、ゴールデンタイムではなく、16時30分からの1時間枠となった。 ただし、大晦日に放送しない場合、前日のに年末特集として放送することとなる。 また、2012年以降は全て新作エピソードの放送となり過去エピソードの再放送は行われていない。 なおは放送の通常版で最後となり、年末スペシャルと正月スペシャルは放送されないが、年末スペシャル無しは以来。 しかしこの時は翌に正月スペシャルを放送したため、正月スペシャルも無いのは放送開始当時の以来実に40年振りとなる。 2011年は、が発生し、ANN報道特別番組に急遽変更され休止した。 リニューアル後このような形で番組が休止されるのは初めて。 例年3月中旬(春の映画スペシャルの次の週)から4月下旬(第4金曜日の傾向が多い)までと、9月上旬(誕生日スペシャルの次の週)から10月中旬(第3金曜日の傾向が多い)までは特番が入り、次の時間の『』(以下『クレしん』)とともに放送休止になる。 ただし、当初は2011年3月11日に放送を予定していた、「のび太のハチャメチャ入学式」が同年に振替放送されたことや同年・・にドラえもんのみ放送されたり、2012年・・の放送は休止されなかったなど、例外のときもいくつかあげられる。 2012年からまで毎年には、劇場版の宣伝を兼ね、先述の3時間SPのほか、日曜6:00 - 6:30(通常は『』など)に過去放送された作品を再放送する『ドラえもんセレクション』(2016年では『朝からドラえもん』)が、ほか一部地域で放送されていた(からは『クレしん』も追加)。 放送は、初回となる2012年は3月全ての日曜6:00に放送されたが、以後は2013年とは2回、それ以外は1回放送となっている。 なおは『』拡大版のため3月には放送出来ず、初めて放送となり、放送時間も6:20 - 6:30に『』が新たに編成されたため、『クレしん』を含め10分繰り上がって5:50 - 6:20になった。 そしては、前年(2017年)10月に報道番組『』(テレビ朝日・・共同制作)が5:50 - 8:30に設置されたため、7年振りに再放送無しになった。 2014年からはテレビアニメ35周年を記念して、データ放送「どこでもドアかくれんぼ」が開始された。 内容は、4つあるどこでもドアの中から、ドラえもんがどこにいるか当てるというもの。 舞台は基本的に空き地だが、は『』仕様になった。 2015年放送の『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り 第2弾』から、データ放送が「びっくりラッキーマンボ」に変更。 内容はドラえもん、のび太、しずか、ジャイアン、スネ夫がリズムに乗って踊り、目の前の箱を叩く事で、どこに「金の」がいるかを当てるというもの。 最後は、4人のうちマンボウのいる箱を開けた1人による運勢(ラッキーアイテム等)に関する一言とそれに対するのび太達のコメントで締め括られる。 2017年放送の『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り 第2弾』から、データ放送が「ドラガオじゃんけん」に変更。 表情でをする物で、「ふくれっ面」が「グー」、「驚き顔」が「チョキ」、「笑顔」が「パー」となっている。 担当キャラは原則としてドラえもんだが、ドラミが担当をする事もある。 2018年度まではのび太、しずか、スネ夫、ジャイアンが担当をする事もあった。 じゃんけんの結果については番組の最後に発表されている。 2015年放送分から放送まで期間限定で3本立ての放送となっている。 通称「ドラララ3(スリー)」。 2015年からは通常の2本立ての放送に戻った。 放送分から19時台アニメでは唯一の19:00開始となった。 放送分から19時台アニメとしては唯一の30分放送のアニメとなった。 、改編によりゴールデンタイムのアニメ枠が廃止、それまで21時枠に放送していた『』の枠となった。 これに伴い、1981年(昭和56年)10月2日から続いた金曜19時台の放送は消滅し、土曜日17:00 - 17:30へ枠移動。 事実上、土曜夕方の30分枠として再スタートを切ることとなった。 第1期に遡れば、1981年9月までの月曜から土曜の夕方に10分枠 で放送されていた時以来、38年ぶりとなる土曜日のレギュラー放送になる。 なお枠移動後も直前番組(2019年10月より『クレしん』)からと直後番組(『』)へのは継続される。 、にて半年ぶりに金曜19時台が復活放送(直後番組『クレしん』を含む)され、字幕放送も実施。 なお、データ放送のゲーム等は参加出来ない。 地上波の枠移動に伴い視聴率が半減し、作品認知度の維持が課題になっていたことや、衛星テレビでの放送枠が確保しやすいとの理由から放送を開始した為だという。 『ドラえもん』『クレしん』のBSでの放送はいずれも初とのこと。 放送時間 [ ] テレビ朝日系列 放送期間 時間 脚注 2005年4月15日 - 2019年9月6日 金曜 19:00 - 19:30(30分) 2019年10月5日 - 土曜 17:00 - 17:30(30分) BS朝日/BS朝日4K(BSデジタル放送) 放送期間 時間 脚注 2020年4月3日 - 金曜 19:00 - 19:30(30分) 主な歴史 [ ] この記事には、百科事典には本来必要のないの記述が含まれています。 特定の人物およびグループに対しての、記述やは歓迎されません。 ファンサイト的記述の修正・除去の議論や提案がありましたらこのページのでしてください。 ( 2020年3月) 2005年 [ ]• :初回放送。 :『ドラえもん DON DON サマースペシャル!! 』放送(19:00 - 19:54)。 :『ドラえもん1時間! 2006年MOVIE㊙映像見せますSP!! 』を放送(19:00 - 19:54)。 番組内では新作映画『』情報を放送した。 またこの日から以来変わらず使用され続けてきたオープニングテーマ曲「 ドラえもんのうた」が、「 ハグしちゃお」に変更される。 :テレビアニメ第2作2期における初の大晦日3時間特番『新生ドラえもん 初の大晦日3時間SP』を18:00 - 20:54で放送。 2006年 [ ]• :テレビアニメ第2作第2期における映画第1作『』公開。 テレビアニメ第2作1期における映画『』のリメイク作品。 :新生ドラえもん1周年スペシャル。 :同年6月16日の放送分にかけて「キャラクター大分析シリーズ」が開始され、ドラえもんに代わって対象となるキャラクターとなった。 奥から流れてくるひみつ道具はまれに追加されている。 :本年以降、ドラえもんの誕生日である前後に、1時間枠で「ドラえもん誕生日スペシャル」を放送(19:00 - 19:54)。 本年のエピソードは原作のエピソードを構成した物であったが、翌年以降のエピソードはすべてアニメオリジナルストーリーとなっている。 2007年 [ ]• ・:2週連続で「地底の国探検」を放送。 ・:『』公開を記念し、2週連続で関連SPを放送。 前者は1時間SP、後者は通常放送。 :『』を、『』(土曜19:00 - 20:54)枠で地上波初放送。 珍しく金曜日以外で映画を放送した。 :『映画なぞ解きスペシャル』からはアニメオリジナルストーリーを放送開始。 :『』との合体2時間SP『ドラえもんとクレヨンしんちゃんのアニメ2時間SP』を放送。 第1部は『ドラえもん』の通常放送、第2部は『』を放送。 :オープニングテーマが「 」に変更される。 :「ひみつ道具コンテスト」最優秀作品「あの人は居間」を放送。 :『ドラえもん1時間海賊SP』を放送。 :『ドラえもん誕生日1時間SP』を放送• :『ドラミ誕生日SP』を1時間枠で放送。 ・:前者は『クレヨンしんちゃん』との合体特番『冬だ! 休みだ!! 朝からどドーンと150分SP』を、()6:30 - 9:00で放送。 後者は大晦日SP『大みそかドラえもん もうすぐネズミ年だよ ギャー!! SP』を18:00 - 19:54で放送。 珍しく年末SPが2日連続放送となった。 2008年 [ ]• :『』公開前のスペシャルとして、『ドラえもん映画公開直前SP』を1時間枠で放送。 放送作品はに系で公開された『』をリメイクした『ぼく、桃太郎のなんなのさ2008』。 :『ドラえもん感動の映画3時間SP』を放送。 第1部は「特撮ウラドラマン」、第2部は『』の地上波初放送。 :『ドラえもん春休みSP』を1時間枠で放送。 Bパートに『緑の巨人伝』の関連作「もう一つの緑の巨人伝」を放送• :サブタイトルの画面が看板を掲げるドラえもんの映像に変更される。 また、ミニコーナー「ひみつ道具クイズ」開始(開始時は次回予告の前に放送されていたが、のちにオープニング前へ移動)。 「こんなときに使えるひみつ道具は何? 」といった問題で、3つまたは2つの選択肢がある。 2008年終了。 :『ドラえもん1時間SP』を放送。 :『誕生日SP』を放送。 :情報・ワイドショー番組『』の夕方コーナーにドラえもんがゲスト出演。 この日の放送に当時フィギュアスケート選手のが出演することを告知した。 そしてこの日は『ドラえもん秋の1時間SP』で、Bパート「のび太のアイスショー」に浅田が出演した。 :大晦日SP『大みそかドラえもん さらばネズミ年 来年はモ〜30周年だよSP』を18:00 - 20:24で放送。 なおこの後は『』年末SPが放送されたが、同時期にはドラえもん達が『Qさま』の「」に出場する形式で、双方の番宣CMが放送された。 2009年 [ ]• :テレビ朝日開局50周年記念番組『』の一環として、『』を地上波初放送(19:00 - 20:54)。 珍しく3月以外の月に映画を放送した。 :『』公開SPとして、『ドラえもん 映画公開直前SP』を1時間枠で放送。 :『ドラえもん30周年SP』を2時間枠で放送。 前半は「さようならドラえもん」のリメイク。 :オープニング映像が変更される。 :『ドラえもんおふろSP』を1時間枠で放送。 :『ドラえもん誕生日SP』を1時間枠で放送。 :映画30周年を記念して、オープニング映像が映画30周年記念バージョンに変更される。 :『ドラえもんクリスマスSP』を1時間枠で放送。 :『大みそかドラえもん 映画30周年 全部見せますSP』を18:00 - 20:30で放送。 2010年 [ ]• :『ドラえもん ありがとう! 30周年 今夜かぎりの春のドラえもん祭』(19:00 - 21:48)を放送。 第1部は「町内突破大作戦」、第2部は『』の地上波初放送、そして第3部は記念すべき第1話「ゆめの町ノビタランド」の再放送(当時のOPも放送)。 :オープニング映像が変更される。 テレビアニメリニューアル5周年を迎える。 :『ドラえもん 世にもフシギなぞなぞスペシャル』(19:00 - 19:54)を放送。 そして終了直後に、ドラえもんが初めて直後番組『』のを担当した。 :この回から、地上アナログ放送ではレターボックスとなる。 - :「夏休みアニメ祭り」として、クレヨンしんちゃんとのコラボレーションキャンペーンを実施。 その際次のような視聴者プレゼント企画を実施した。 番組中の「夏休みアイテム」を探し出す(キーワードと同等)。 それを見つけて番組終了後の電話応募で両番組の関連グッズを抽選でプレゼントする。 またこの夏休みアイテムを全10個見つけるとその応募者の通っている学校・幼稚園・保育園にドラえもんかしんのすけが訪れるという企画があった。 9月3日:リニューアル後初めて9月3日(ドラえもんの誕生日)が金曜日になったため、1時間枠で「ドラえもん誕生日スペシャル」を放送(19:00 - 19:54)。 なお今回は、『』(通常放送)へのは、ドラえもんは行わなかった。 :テレビ朝日は会見で、から毎年大晦日の夜に放送されていたドラえもんの特別番組を、『』の特別番組を放送する関係で、の(6:00 - 8:55)(タイトルは、『新春! ドラえもん祭 祝ウサギ年映画もあるピョンスペシャル』)に放送すると発表。 理由はに対抗する強力なコンテンツを考えた結果だという。 2011年 [ ]• :に放送の『ドラえもん三大祭! ドドーンと! 映画3時間スペシャル』に福山雅秋役を演じるが声優に初挑戦、さらに公開の映画『』に出演、2月中旬から放送する映画の特別CMでナレーションも担当する事になった。 このスペシャルで放送された『ドラえもんだらけ』より、第1期と同様、過去に放送された作品のリメイク作品が不定期に放送されるようになった。 :に伴う・被害、等発令()の情報を伝える『』(『』)のため、急遽放送延期となった。 第2期において、臨時特番による延期はこれが初。 その日の放送予定分は2週間後のに延期された。 なお、地震から1週間後のに1時間枠で放送予定だった『ドラえもん三大祭! 第三夜 ウルッと! 感謝・感激・感動スペシャル』は通常通り放送された。 春のアニメ メガ盛りスペシャル』(3時間スペシャル)を放送。 第1部は『ドラえもん』、第2部は『しんちゃん』のそれぞれ通常放送。 第3部は『』を地上波初放送。 『ドラえもん』と『クレしん』の合体3時間SPはこれが初。 :オープニング『夢をかなえてドラえもん』が8秒ほど短縮される。 :の放送に、甘栗旬役としてが出演。 - :(はのため休止)「夏休みアニメ祭り」として、クレヨンしんちゃんとのコラボレーションキャンペーンを実施。 内容は上記と同じ。 9月9日:「ドラえもん誕生日スペシャル」を1時間枠で放送。 この回に限りオープニングが復活。 放送された「走れドラえもん! 銀河グランプリ」では、同じ藤子・F・不二雄作品『』のレギュラーキャラ・ゴンスケがゲスト出演した(声はテレビ版で担当した)。 なおこの日の『Mステ』(通常放送)のクロスプログラムは、ドラえもんは行わなかった。 11月21日:翌年の公開の映画『』の主題歌を福山雅治が担当すると発表。 12月30日:前年と同じ、大晦日の夜に『学べるニュース』の特別番組を放送する関係で、1時間スペシャルに短縮して『年忘れだよ! ドラえもん検定クイズスペシャル』(17:30 - 18:30)として放送。 2012年 [ ]• :ジャイ子の声優がからに一時交代。 :ドラえもん誕生100年前と『クレヨンしんちゃん』映画20周年にちなんで、『ダブルアニバーサリー 春のアニメ祭』(3時間スペシャル)が放送された。 19:00 - 19:32は『クレしん』拡大版、19:32 - 21:48は『新・のび太と鉄人兵団』を地上波初放送。 - :「夏休みアニメ祭り」として、クレヨンしんちゃんとのコラボレーションキャンペーンを実施。 内容は上記と同じ。 8月17日:サブタイトルで流れる音楽が変更。 また、サブタイトル時の時間が若干短縮された。 9月7日:「ドラえもん誕生日スペシャル」を1時間枠で放送。 放送された「アリガトデスからの大脱走」では、前年同様、ゴンスケがゲスト出演した。 なおこの日も『Mステ』(通常放送)のクロスプログラムは、ドラえもんは行わなかった。 11月2日:直後に『フィギュアスケートグランプリシリーズ 世界一決定戦2012 中国大会』(19:30 - 21:54)の中継が放送されるにあたり、終了直後にドラえもんが同番組へのクロスプログラムを行った。 ドラえもんが直後番組を告知するのは、2010年6月25日の『なぞなぞSP』以来で、通常体制では史上初。 なお映像は、浅田真央が出演した2008年10月24日放送分の一部を流用した。 12月31日:3年ぶりに「大みそかだよドラえもん」を放送。 番組ではこの年公開の『のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜』を地上波初放送。 1年も立たずに劇場版をテレビ放送するのは異例で、この年は先の『新・のび太と鉄人兵団』放送を含め、2度も劇場版が放送された。 なお直後番組『』年越しスペシャル(21:00 - 1月1日0:30)への接続はレスだが、その接続内容は、大晦日の夜空を飛んでいたドラえもんが『お願い! ランキング』の秘密基地を見つけると、基地内に入って告知をするといった内容だった。 2013年 [ ]• 3月15日:『』(3時間スペシャル)を放送(このタイトルでの放送は初)。 19:00 - 19:33は『クレヨンしんちゃん』拡大版、19:33 - 21:48は前年の『大みそかだよ』で『のび太と奇跡の島』を放送したため、公開の『』を放送したが、OP・EDはカットされて放送。 なお『春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り』で1年以上前の映画が放送されたのは、今のところこれが唯一。 4月6日:CS放送「テレ朝チャンネル1」 にて放送を開始した、字幕放送も部分実施。 4月12日:直後に『世界フィギュアスケート国別対抗戦2013』(19:30 - 21:54)の中継が放送されるため、ドラえもんが同番組へのクロスプログラムを行った。 映像は前年11月2日同様、浅田真央出演回の一部を流用。 7月26日:「ドラえもん 夏の大冒険 1時間スペシャル」を放送。 - :「夏休みアニメ祭り」として、クレヨンしんちゃんとのコラボレーションキャンペーンを実施。 内容は上記と同じ。 8月30日の放送で、本人役を演じるよゐこが登場。 9月13日:「ドラえもん誕生日スペシャル」を1時間枠で放送。 劇中では『』のパーマン1号(声はオリジナル版と同じ)がゲスト出演、パーマンとの共演はリニューアル後では初。 またパーマンファンの宇宙警察官ニーナ役の声優にがゲスト出演。 ニーナが見ている地球のテレビ番組の中に、『パーマン』(シンエイ動画版)のワンシーンがインサートされ、BGMには同作主題歌「きてよパーマン」が使われた。 そしてラストの「ドラドラニュース」では、2013年9月8日にの開催地がに決まった事を伝えた。 なお今回もドラえもんが『Mステ』(通常放送)へのクロスプログラムを行わず。 11月1日:『クレヨンしんちゃん』との接続が、通常体制では初の「クロスプログラム抜き・ステブレレス」になった。 また同年同月15日の放送分も、『クレしん』との接続はステブレレスとなった。 12月6日:テレビ朝日開局55周年記念『』の一環、および藤子・F・不二雄生誕80年を記念して、「ドラえもん冬の1時間スペシャル」を18:53 - 19:54で放送。 それまでテレビ朝日平日19時台番組は、2012年より通常番組拡大版などの特別番組の時に限り、不定期にしていたが、金曜アニメの『ドラえもん』や『クレしん』は拡大版でもフライングスタートは行わなかったため、『ドラえもん』のフライング体制は『』編成による18:50開始時期(1987年10月 - 1989年3月)を除けば史上初。 なお直後の『』中継へのクロスプログラムは、まず浅田真央出演回の映像を流用してドラえもんが5秒告知を行うと、画面がスケート会場であるに替わり、現地レポートのが10秒告知を行うという、初の2段告知だった。 12月30日:2年ぶりに1時間スペシャルに短縮して「年忘れだよ! ドラえもん1時間スペシャル」(17:30 - 18:30)として放送。 なお直後番組『』5時間SPへの接続はステブレ入りだが、クロスプログラムはドラえもんは関わらなかった。 2014年 [ ]• 2月7日:2014年では初めて、『クレヨンしんちゃん』との接続がステブレレスになった。 この日を含め、2月21日放送の中継を挟む3回の放送は全てステブレレス。 2月14日:この日の放送で、名曲「月の光」とルナ役のが特別ゲストに出演。 3月7日:『クレしん』との合体SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り』を放送。 前35分は『クレしん』の10分拡大版だが、その後は2013年公開作品『』を地上波初放送。 3月14日:この日も『クレヨンしんちゃん』との接続はステブレレス。 またこの日放送の『Mステ』にはとドラえもんが出演し、映画主題歌「」を歌った。 4月11日:テレビアニメ35周年を記念し、データ放送「どこでもドアかくれんぼ」が始まる。 5月16日:エンディング曲が「夢をかなえてドラえもん合唱バージョン」に変更される。 6月6日:OP曲が「夢をかなえてドラえもん」に戻り、「」の予告映像が公開される。 8月1日:『STAND BY ME ドラえもん』公開記念として、2014年初の単独3時間SP「ドラえもん夏祭り3時間SP」を放送。 19:54まではアニメ1時間SPで、パーマンが前年9月13日の「誕生日SP」以来のゲスト出演(ただし台詞はない)、そして19:54からはクイズ『』を放送、同コーナーの司会はと、そしてドラえもん自身が担当。 これに先立ち、7月26日の2:45〜4:00に大予選会が放送された。 また、同日にテレビアニメ版OPが「STAND BY ME」の公開に合わせ「」に変更される。 8月8日:この日『STAND BY ME ドラえもん』が公開、これを記念して、同作監督のとがゲスト出演した『』にもドラえもんが3DCGで登場、『徹子の部屋』の出演は2000年2月11日以来で、リニューアル後では初。 8月29日:『クレヨンしんちゃん』との接続が、5ヶ月半ぶりのステブレレス。 また9月12日放送分と9月19日放送分、10月17日放送分、11月21日放送分、11月28日放送分もステブレレス接続となる。 9月5日:単独では2014年初の1時間スペシャル「ドラえもん誕生日スペシャル」を放送。 作中で、ラピス役のがゲスト出演。 この回もドラえもんは『Mステ』へのクロスプログラムを行わず。 映像は過去に公開された映画本編(第1期も含む)が流れた(全て映像が異なる)。 ただし、提供バック部分のBGMは従来の版が使用されている。 11月7日:直後の『フィギュアスケートグランプリシリーズ 世界一決定戦2014 中国大会』へのクロスプログラムは、レポーター松岡修造の中国会場からの告知のみで、ドラえもん自身による告知と、浅田真央出演回の映像流用は初めて行わなかった。 12月5日 - 2015年2月27日:本編の冒頭部分で画面右上に内容に関するテロップが表示されていた。 12月30日:前年と同日に1時間スペシャル「今年最後のドラ笑い!! 年忘れだよ! ドラえもん1時間スペシャル」(17:30 - 18:30)を放送。 番組ラストのコーナーにて、2015年3月7日公開予定の『』の主題歌をが担当すると発表、同コーナーでオリジナルキャラクター「ワーミー」の声当てをmiwaが声優に初挑戦として行った。 なお直後の『アメトーーク! 』5時間SPへの接続は、前年同様ステブレ入りで、ドラえもんがクロスプログラムに関わらなかった。 2015年 [ ]• この回の『クレヨンしんちゃん』との接続はステブレレスで、年頭初放送でステブレレス接続は初。 枠は18:10 - 21:20)を急遽放送することになったため、『クレヨンしんちゃん』と共に1週間延期となった。 なお当日は21:00の『』(制作)は本作・『クレヨンしんちゃん』・20:54の各局別(関東は『』)と共に休止、そして20:00の『Mステ』は80分繰り下げ、21:54の『』は22:14開始に変更された。 3月6日:合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り』を放送。 19:00からは『クレヨンしんちゃん』の10分拡大だが、19:35からは、前年公開された『』を地上波初放送。 4月10日:合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り』の第2弾を放送。 今回は前回とは逆に、19:00からは『ドラえもん』の14分拡大放送、19:44からは『クレヨンしんちゃん』の劇場版『』を地上波初放送、この年から『3時間アニメ祭り』は3月と4月の2回放送、3月は今まで通り劇場版『ドラえもん』、4月は劇場版『クレしん』を放送する事になる。 また、この日から、データ放送「びっくりラッキーマンボ! 」がスタートした。 5月15日:この日から7月10日放送分まで、期間限定のエピソード3本立て「ドラララ3」( - スリー)となる。 テレビアニメリニューアル10周年を迎える。 6月19日:前日の18日に、2005年3月までジャイアンを演じたが死去。 この日の放送分では、冒頭に追悼テロップを添えて放送した()。 7月24日:2015年初の1時間スペシャル「夏祭りだよ! ドラえもん 1時間スペシャル」を放送。 ・がゲスト出演し、高橋自身が考案したひみつ道具を題材にしたエピソードが放送された。 そのエピソード内で声の出演も果たしたほか、「びっくりラッキーマンボ!」では普段はドラえもんらが正答を発表しているものの、この回のみ高橋が発表した。 8月21日:この回のエンディングは、8月30日に同局の『』で放送される『STAND BY ME ドラえもん』の宣伝を兼ねて、同作のハイライトシーンをバックに同作主題歌「」を流した。 また『クレヨンしんちゃん』へのクロスプログラムの放送後、再び『STAND BY ME』の宣伝を行った。 続く8月28日のエンディングも『STAND BY ME』のハイライトシーンと「ひまわりの約束」で構成した。 9月4日:「ドラえもん誕生日スペシャル」を1時間枠で放送。 作中で、DX列車セットから出てくる車掌兼運転士指導員のヒツジ役で・がゲスト出演。 この回も直後の『Mステ』へのクロスプログラムは、ドラえもんは関わらず。 10月9日:番組ラストで、翌公開の新作『』のタイアップ企画「夢のペットコンテスト」を告知。 この日の『クレヨンしんちゃん』への接続は、1月9日放送以来9ヶ月振りのステブレレス。 また翌10月16日放送分も「コンテスト」告知を行い、『クレしん』との接続はステブレレス。 10月30日:『新・のび太の日本誕生』の応援ソング「」をエンディングでテレビ初披露。 11月27日:出木杉役の()が育児休暇を終えて復帰。 同月25日には、2005年3月まで出木杉を演じたが死去。 この日の放送分では、冒頭に追悼テロップを添えて放送した()。 12月31日:「今年最後のドラ笑い!! 大みそかだよ! ドラえもん1時間スペシャル」(16:30 - 17:30)を放送。 ゴールデンタイムではないものの、3年ぶりに大晦日での放送となる。 地上波での午後4時台の放送は、番組開始以降初。 また大晦日特番がオールノンプライム枠も史上初。 2016年 [ ]• 1月15日:この回から「びっくりラッキーマンボ! 2月1日:CS放送「ディズニー・チャンネル」にて英語ローカライズ版(後述)の放送を開始した、2ヶ国語と字幕も実施。 2月19日:この日放送の『ミュージックステーション』に、『新・のび太の日本誕生』主題歌『』を歌うが出演、同番組にはドラえもんとのび太も出演した。 2月26日:エンディング曲が「空へ」に変更される。 3月4日:『新・のび太の日本誕生』公開の記念するかたちで、合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り』を放送。 19:00 - 19:44に『クレヨンしんちゃん』の拡大版を放送し、19:44 - 21:48に前年公開の『』を地上波初放送。 3月11日:合体SPでは久々の映画抜き・1時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春のアニメ祭り』を、19:00 - 19:54で放送。 4月1日:『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り』の第2弾を放送。 今回は前回とは逆に、19:00からは『ドラえもん』の拡大版、19:35からは『』を地上波初放送。 4月15日:「びっくりラッキーマンボ! なお、同時期にの『』の放送枠が18:55 - 19:25に変更(5分繰り上げ)されたため、本作は「19時台アニメでは唯一の19:00開始」となった。 5月6日:エンディングが「ウンタカダンス」に戻るも、映像の途中で、全国の視聴者から寄せられたダンス動画が挿入された。 6月3日:「びっくりラッキーマンボ! 6月10日:副音声でのを実施。 『ドラえもん』の解説放送は先述の2015年8月30日に『日曜洋画劇場』で放送された『STAND BY ME ドラえもん』以来だが、レギュラーのテレビアニメでは初。 ただし毎週実施されるわけではなく、不定期で実施する。 7月22日:「夏祭り特別企画」と銘打ち、前半は「3センチのび太の大冒険」、後半は来年春に公開される新作映画特集と、「」内で行われるドラえもん関連イベントを紹介。 このため冒頭の「はじまるよ」 [ ]部分は「内容紹介」に変更された。 7月29日:通常通りの2本の他、今回も「サマステ」イベントを紹介。 8月12日・8月19日も同じく「はじまるよ」抜き・「サマステ」情報。 8月5日:2016年2回目の1時間合体SP『夏祭りだよ! ドラえもん クレヨンしんちゃん アニメ1時間SP』を放送。 9月2日:『ドラえもん誕生日スペシャル』を1時間枠で放送。 2012年の『誕生日SP』以来、ゴンスケが登場。 この回も直後の『Mステ』へのクロスプログラムは、ドラえもんは関わらず。 10月14日:サブタイトル画面が変更。 10月28日:10月20日、日本テレビ版でジャイアンを演じ、1979年4月から2005年3月まで骨川スネ夫を演じたが死去。 この日の放送分では、冒頭に追悼テロップを添えて放送した()。 『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』の応援ソング「パオパオダンス」をエンディングでテレビ初披露。 11月4日:この回の「びっくりラッキーマンボ! 」は、『』のが、着ぐるみのドラえもんと担当した。 12月9日:この日から始まる『』中継告知 のため、この回の「びっくりラッキーマンボ! 」はフィギュアスケーターのが、着ぐるみのドラえもん・のび太と担当した。 12月31日:「大みそかだよ! ドラえもん1時間スペシャル!! 」(16:30 - 17:30)を放送。 前年と同じく大晦日かつ午後4時台の放送での放送となった。 」を地上波初放送。 2017年 [ ]• 1月13日:「びっくりラッキーマンボ! 2月17日:サブタイトル表示部が変更される。 2月24日:この日の放送で、『』の主題歌『』を歌うが本人役で特別ゲストに出演。 また、この日放送の『ミュージックステーション』では、同番組で同主題歌を披露する平井に加え、パオパオを演じるゲスト声優の織田・、ドラえもんも出演した。 3月3日:『のび太の南極カチコチ大冒険』の公開を記念するかたちで、合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り』を放送。 19:00 - 19:38は『クレしん』の拡大版、19:38 - 21:48は『』を地上波初放送。 3月17日:『のび太の南極カチコチ大冒険』の関連作品として「迷子のパオパオ」を放送。 この回をもって「びっくりラッキーマンボ! 」は最終回となる。 4月7日:『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り』の第2弾を放送。 19:00 - 19:42は『ドラえもん』通常放送、19:42 - 21:48は『クレしん』劇場版『』を地上波初放送。 この回からデータ放送「ドラガオじゃんけん」がスタート。 5月19日 - 6月23日:この回からOPは「キミがもう一度みたい話」と銘打ち、過去放送した作品の中から取り上げ、名場面を放送。 6月9日:6月15日の「ジャイアンの誕生日」に先駆け、ジャイアンの新キャラクターソング「ありがとう、オーレ! 」をEDで発表。 6月30日:この回からテレビ朝日の局イベント「SUMMER STATION」で行われるドラえもん関連イベントを紹介(直後の『クレヨンしんちゃん』も)。 7月28日: 『あの名作が帰ってくる! ドラえもん夏の1時間スペシャル』を1時間枠で放送。 この回よりキャラクターデザイン・美術・色彩設計が変更された。 スタッフ面では監督が2005年のリニューアルから務めていたからに交代し、新たにチーフディレクターとしてが登板した。 この回よりミニドラの声優がからに交代。 また、オープニング映像も新しくなったほか、サブタイトルアニメーションの音楽も新しいものに変更された。 この他『スーパーJチャンネル』からのクロスプログラムが、この日から通常版となる。 8月4日:2017年初の1時間合体SP『夏祭りだよ! ドラえもん・クレヨンしんちゃん アニメ1時間SP』を放送。 この回からエンディングテーマが「踊れ・どれ・ドラ・ドラえもん音頭2017」に変更。 「SUMMER STATION」内でドラえもん・のび太の着ぐるみ人形が客と一緒に踊るVTR映像が流れた。 8月18日:この回からはサブタイトル画面右下に脚本、演出、絵コンテのクレジットのテロップが表示されるようになる。 9月1日:『ドラえもん誕生日スペシャル』を1時間枠で放送。 9月8日:この回からエンディングテーマが「ドラえもんえかきうた」(2017年バージョン)に変更。 10月20日:この回から『』宣伝を兼ねた「宝島クイズ」がスタート。 クイズ作家のがクイズ監修を担当。 12月1日:『のび太の宝島』予告編を放送。 12月31日:「大みそかだよ! ドラえもん1時間スペシャル」(16:30 - 17:30)を放送。 前年と同じく大晦日かつ午後4時台の放送での放送となった。 2018年 [ ]• 1月7日:「ドラえもん クレヨンしんちゃん 2018年冬のアニメ祭り」を放送。 本作を10:00 - 10:58に、『クレヨンしんちゃん』を10:58 - 11:50に、それぞれ放送。 本作としては初めて日曜日午前に放送された(『』枠外)。 1月12日:この回から「ドラガオじゃんけん」データ画面が『のび太の宝島』バージョンとなり、そして担当したドラえもんは海賊の扮装で登場した。 また冒頭の「はじまるよ」は、『のび太の宝島』の一場面のどこかにミニドラが隠れているバージョン「ミニドラどーこだ」となる。 2月2日:エンディングは『のび太の宝島』仕様、テーマはによる同作主題歌『』に変更。 2月25日:『のび太の宝島』の公開を記念する形で、2013年公開作品の『のび太のひみつ道具博物館』を「最新映画公開記念! 映画ドラえもん のび太のひみつ道具博物館」として10:00 - 11:50(『日曜ワイド』枠外)に放送。 同作は2回目の地上波放送となり、日曜日午前の放送は2回目となる。 データ放送では「ドラガオじゃんけん」は行われず、替わりにリモコン操作で「キャプテンドラえもん号」内のドラえもんを動かし、宝(どら焼き)を一定以上入手する、『のび太の宝島』タイアップ企画「キャプテンドラえもん号 たんけんゲーム」に変更した。 また、この日の『』にドラえもんが3DCGで登場(この日は本作の特集として放送)し、同番組のVTRに星野が出演した。 3月2日:『のび太の宝島』の公開を記念するかたちで、合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り』を放送。 19:00 - 19:41は『クレしん』の拡大版、19:41 - 21:48は『のび太の南極カチコチ大冒険』を地上波初放送。 『ドラえもん』のデータ画面は通常の「ドラガオじゃんけん」の他、映画に出てくるひみつ道具と連動して画面にひみつ道具が登場するバージョンを放送。 3月9日 : 『のび太の宝島』の関連作品として「ほどほど宝島」を放送。 映画公開後の最初のアニメが映画関連作品であるのは2年連続。 「ドラガオじゃんけん」は、『のび太の宝島』でトマトを演じた()が担当、2018年では初のドラえもん以外が担当、同時に「ドラガオじゃんけん」初の実写映像となった。 また、この回をもって八鍬新之介が監督を降板したとみられ、公式サイトのスタッフページからも名前が削除された。 次回放送の4月6日分では八鍬の名前がクレジットされなくなり、監督が不在となった。 3月20日 : 本シリーズ放送開始から2012年まで総監督を務めたが死去。 4月6日:『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り』の第2弾を放送。 第1部は『ドラえもん』拡大版、第2部は『』を地上波初放送。 「ドラガオじゃんけん」はのび太が担当した。 またこの月から火・水・木の19時台番組は、直前の『』との接続をステブレレスに変更(月曜は2015年6月から既にステブレレス)したが、本作は引き続きクロスプログラム・ステブレ入り接続を継続する。 4月13日:『のび太の宝島』関連企画として、冒頭にミニ料理コーナー「宝島クッキング」を放送し、レシピの詳細は番組公式サイトで掲載された。 また、この回からオープニングが流れなくなった。 5月11日:この回から、2枚の画像を見せての間違い探し「ドラドラまちがいさがし」を放送。 6月15日:ジャイアンの誕生日を記念して、ジャイアンが中心となるエピソード「ジャイアンの子守歌」と「おれさまをグレードアップ」を放送、エンディングテーマは「ありがとう、オーレ! この他、データ放送ゲームでは「ドラガオじゃんけん」に加え、ドラえもんがを使ってひみつ道具を入手する「ドラあみだ」を行った(ただし冒頭の3分のみとなる)。 6月29日:「はじまるよ」が通常版で、翌7月6日放送分は再び「ドラドラまちがいさがし」に戻る。 7月20日:この回から「SUMMER STATION」で行われるドラえもん関連イベントの模様を放送。 この回からエンディングテーマは『踊れ・どれ・ドラ・ドラえもん音頭2017』に変更。 8月3日:この回のエンディングテーマは『のび太くん0点』。 8月31日:「ドラドラまちがいさがし」はこの回を最後に一旦終了。 9月7日:『ドラえもん誕生日スペシャル』を1時間枠で放送。 「ドラドラまちがいさがし」は休止。 9月14日:「はじまるよ」が通常版に戻る。 エンディングテーマは2015年10月以来3年ぶりに『夢をかなえてドラえもん』に変更。 10月12日:この回からエンディングテーマは無し。 「ドラガオじゃんけん」はが担当。 またこの日からゴールデンタイムのアニメで唯一の30分アニメとなった。 10月19日:「はじまるよ」が通常版に戻る。 10月26日:この回から「ドラドラおなじものさがし」 がスタート。 また、『』宣伝を兼ねた「クイズは月をめぐる」もスタート。 脚本は福島直浩が、絵コンテ・演出は三宅綱太郞が担当。 考証を甲谷保和(はまぎん こども宇宙科学館)が担当する。 11月2日:この回から「クイズは月をめぐる」はBパート開始前に出題され、Bパート終了後に答えが発表される形式に変更。 11月9日:同じテレビ朝日系列のテレビドラマ『』とのコラボレーションとして、同作で杉下右京役を務めると冠城亘役を務めるがゲスト出演。 この回では、ドラえもんとのび太が見ているテレビで放送されるドラマ『あい棒』に登場する。 また冒頭の「ドラドラおなじものさがし」にも『あい棒』の場面が使用された。 11月30日:エンディングテーマが復活。 「クイズは月をめぐる」はBパート開始前に出題され、そのあとすぐに答えが発表される形式に変更。 12月7日:Bパートにクリスマスエピソード「未来のクリスマスカード」を放送。 本編終了後そのまま接続する形でエンディングテーマが流れた。 「ドラドラおなじものさがし」、「クイズは月をめぐる」はこの日が最後となった。 12月14日:「はじまるよ」が通常版に戻る。 12月18日:CS放送「テレ朝チャンネル1」にて初めて2017年のリニューアル後の放送を開始した。 12月31日:CS放送「テレ朝チャンネル1」にて「大みそかだよ! ドラえもん歴代大みそかドカンと36時間スペシャル一挙放送SP!! 」で2005年以降の作品を放送、終了後地上波で「大みそかだよ! ドラえもん1時間スペシャル」(17:00 - 18:00)を放送。 前年と同じく大晦日で、同日は午後5時台での放送となる。 この回から『ドラえもん のび太の宇宙探Q! 』がスタート。 2019年 [ ]• 1月18日:この回から「ドラドラまちがいさがし」が復活。 1月25日:この回の「ドラガオじゃんけん」は、『のび太の月面探査記』でキャンサーを演じる()が担当、2019年では初のドラえもん以外が担当、かつ年内初の「ドラガオじゃんけん」実写映像となった。 2月8日:この回から『ドラえもん のび太の宇宙探Q! 』はBパート開始前に出題され、Bパート終了後に答えが発表される形式に変更。 「ドラガオじゃんけん」は、先週に引き続き()が担当、初の2回連続「ドラガオじゃんけん」実写映像となった。 2月22日:この回の『ドラえもん のび太の宇宙探Q! 』はスペシャル。 エンディングテーマは『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の主題歌である『THE GIFT』に変更。 3月1日:『のび太の月面探査記』の公開を記念するかたちで、合体3時間SP『ドラえもん・クレヨンしんちゃん 春だ! 映画だ! 3時間アニメ祭り』を放送。 19:00 - 19:36は『クレしん』の拡大版、19:36 - 21:48は『のび太の宝島』を地上波初放送。 後述する枠移動の影響で合体特番はこの年で最後となった。 3月8日:『ドラえもん のび太の宇宙探Q! 』はこの回で終了。 4月5日:テレビアニメ放送40周年記念を記念し、期間限定主題歌として約14年振りに「ドラえもんのうた」が「ドラえもんのうた 40th」として復活。 5月10日:テレビアニメ放送40周年記念を記念し、期間限定エンディングとして約38年振りに「ぼくドラえもん」が「ぼくドラえもん 40th」として復活。 7月19日:「40周年だよ! ドラえもん1時間スペシャル! 」を放送。 本編の合間にはひみつ道具コンテストの最優秀作品をショートアニメ化したものが放送され、2本目と3本目の間には1979年に放送された第8話「恐竜ハンター」がHDリマスターで再放送された(「ゆめの町ノビタランド」とは違い本編のみ放送、サブタイトル部分では当時の出演声優が併記されている)。 第3話では2016年の『誕生日SP』以来、ゴンスケが登場した。 8月23日:この日の放送の中、「ガワラオニ」の映像を流用する形で10月5日より放送時間が土曜日17:00 - 17:30(同時ネットのANNマストバイ局のみ。 遅れネット局は従前通りの時間で継続)に移動することが発表された。 9月6日:『お引越し記念! ドラえもん誕生日スペシャル』を誕生日スペシャルとしては初の2時間枠で放送。 12年間オープニングテーマとして使用された『夢をかなえてドラえもん』は今回で最後となったため、オープニングでは1期・2期の歴代主題歌をメドレー で放送した後、前半は「未来の迷宮(ラビリンス) おかし城(キャッスル)」を、後半は2017年放送の「謎のピラミッド!? エジプト大冒険」を放送。 終盤には「ドラえもんのお引越し!? 」と題した短編エピソードの形式で枠移動後の新主題歌・新企画などを発表した。 金曜日19時の放送はこの回をもって終了。 なお、ABCテレビはミニ番組『』を放送した関係で19:04に飛び乗りしたためメドレーは放送していない。 これに配慮しメドレー・CM後の前半開始前にもう一度タイトルを表示した。 9月29日:『ドラえもん&クレヨンしんちゃん お引越し直前アニメ祭り』を枠で放送。 本作を10:00 - 10:58に、『クレヨンしんちゃん』を10:58 - 11:45に、それぞれ放送。 両作とも新作エピソードが放送されず、中編エピソード と「ドラえもんのお引越し!? 」の再放送で構成された。 日曜日午前の放送は3回目となる。 9月30日:この日から、テレビ朝日朝の情報番組『』の時報画面に、『クレヨンしんちゃん』のと共に登場。 また夕方の報道番組『』のワンコーナー「633天気」にも、ドラえもんとのび太・野原しんのすけとシロが1ヶ月交代で登場 、『ドラえもん』の時は原っぱ、『しんちゃん』の時は野原家に、それぞれ天気画面が映される様になった。 10月5日:この日から土曜日17:00 - 17:30へ枠移動し、オープニングテーマが 「」に変更。 同時にスネ夫がのとその回に放送された話と次回の話について語るエンディングコーナー「スネ夫としげお」も開始。 また、スタッフ面では、チーフディレクターがからに交代した。 尚、監督のクレジットは引き続きされていない。 10月12日:(台風19号)が関東地区に直撃することによるANN報道特別番組(実質的には『ANNスーパーJチャンネル』の拡大部分)により急遽休止。 その日の放送予定分は翌週に延期された。 11月9日:この回よりBパートで不定期に過去作の再放送を行うようになる。 12月28日:この日放送の通常版で年内放送は終了。 大晦日の前日に前倒しで放送する年を含むと、2010年以来年末特番は無しになった。 この日はでも、原作生誕50周年を記念した特別番組『ドラえもん50周年 みんなみんなかなえてくれる〜ひみつ道具と科学〜』を放送(19:30 - 20:45。 2020年1月2日と同年2月16日に再放送)、2局でドラえもん関連の番組が放送された。 2020年 [ ]• 1月11日:この回は「スネ夫としげお」は休止。 エンディングテーマが復活し『』の主題歌である『Birthday』に変更。 「ドラガオじゃんけん」のデータ画面も『のび太の新恐竜』バージョンに変更。 1月25日:「スネ夫としげお」が『のび太の新恐竜』にちなみ「スネ夫としげおの君も今日から恐竜博士」 にリニューアルして放送。 2月29日:この日は通常放送に加え、2019年に公開された『』が18:56 - 20:54に地上波初放送された。 『ドラえもん』の映画が金曜日以外に地上波初放送されるのは、『』以来約7年ぶりである。 3月21日:冒頭部分で『のび太の新恐竜』の正式な公開日が「8月7日」になる事を発表。 これに伴い、EDで表示されていた公開日のクレジットも「近日公開」から「8月7日公開」になった。 3月28日:この日からBパートの前後で、ドラえもんがするアニメーションが流れる。 4月3日:にて地上波から6日遅れでネットを開始。 4月4日:この回から、2枚の画像の内、その回に出た道具を当てる「ひみつ道具記憶力クイズ」を放送。 また、チーフディレクターがからに交代し、監督としてクレジットされるようになった。 4月25日:オープニング映像を『のび太の新恐竜』公開に合わせて一部変更。 キャスティング [ ] 本シリーズの制作が発表された際、キャストがから一新されることが明らかになった。 キャスト一新のきっかけは、の声を担当していたが2001年頃から自身の病気を理由に降板を申し出ていたことであるほか 、役のは『』からも同時に降板しており、夫のが当時経営していたのマネージメント業に専念するための降板とされる。 また、他のキャストも大半が60代半ばを超えていたことから、製作スタッフはキャストの総入れ替えを決め 、原作の雰囲気に最も合う声をコンセプトに掲げたオーディションを実施。 応募人数は合計で590人にのぼった。 2015年6月19日放送分の冒頭では、での声を担当したが前日に死去したことを受け、追悼コメントがテロップとして表示された。 その後、役のと役のが死去した際もそれぞれ後日に番組内でたてかべと同様の追悼テロップが表示された。 声の出演 [ ] とは全ての話に登場。 放送開始当初は、、のクレジット順が以前と異なっていたが 、2010年頃から第1期同様に戻った。 - (2012年2月10日 - 6月1日放送分のみ : )• - ()• ムク -• チルチル -• 大人ののび太 - (一部作品 : 大原めぐみ) 「」も参照 スタッフ [ ] 2005年の第2期放送開始から15年以上経過しており、多くのスタッフが入れ替わっている。 放送開始年2005年から2019年現在まで現存するスタッフは、チーフディレクターの(2017年のリニューアル前まで監督を務め、監督降板後も絵コンテ・演出を手掛け、2019年の枠移動と同時にチーフディレクターに就任)、メインキャラ設定の(過去は総作画監督を務め、一時期キャラ設定も兼任)、美術監督の(一時降板していたが、2017年リニューアルより復帰)、撮影監督の、音響監督の、音楽の、ライターの櫻井真奈美(一時降板あり)、脚本の与口奈津江、絵コンテ・演出の(1973年のの演出も担当)、、三宅綱太郎、作画監督の嶋津郁雄(第1話Aパートも担当、現在はキャラ設定も担当)、田中薫(現在はキャラ設定も担当)、久保園誠(現在は原画)である。 原作 -• メインキャラ設定 -• 撮影監督 -• 音響監督 - 、• デジタルペイント - 、、スタジオ・ロード、、すたじおかぐら、• 背景 - 、、チーム・ティルドーン、ベガエンタテイメント• コンポジット撮影 - 、、ベガデジタル• 連載 - ・・• 車両協力 - 小松通商株式会社、高橋強(TAKE)• 音楽 -• 音響制作 -• 音響効果 - 糸川幸良(グループ・アンド・アイ)• データ放送 - テレビ朝日メディアプレックス• アシスタントプロデューサー• 脚本・制作協力 -• シリーズ構成 -• チーフプロデューサー• プロデューサー• 制作 - 、 、 各話スタッフ [ ] 脚本・絵コンテ・演出は2019年10月のリニューアル以降も担当している人物は 太字で表す。 脚本 - (2005 - 2007)、(2005 - 2009)、(2005 - 2015)、 与口奈津江(2005 - )、岡部優子(2006 - 2010)、みなみとらのすけ(2007)、富永淳一(2007 - 2015)、(2007 - 2013)、(2007 - 2016)、廣川浩二(2008 - 2009)、(2008 - 2018)、(2008)、(2010 - 2018)、 (2010 - )、(2011)、(2011)、大塩哲史(2011)、原島興子(2012)、(2012 - 2016)、(2012)、田中智章(2012 - 2017)、伊藤広志(2014)、 伊藤公志(2014 - )、(2015)、(2015 - 2017)、 鈴木洋介(2017 - )、 福島直浩(2017 - )、 (2017 - )、岡野慎吾(2017)、 (2018 - )、(2018 - 2019)、 (2019 - )、(2019)• 絵コンテ - (2005)、 (2005 - )、楠葉宏三(2005 - 2017)、 鈴木卓夫(2005 - )、(2005)、前田康成(2005 - 2008)、(2005 - 2006)、(2005 - 2011)、古屋勝悟(2005)、(2005)、(2005 - 2006)、三家本奏美(2005 - 2007)、(2005 - 2018)、荒川直樹(2005 - 2006)、木村哲(2005 - 2013)、(2005 - 2006)、(2006 - 2019)、 三宅綱太郎(2006 - )、キャロライン・キング(2006)、細谷秋夫(2006 - 2007)、渡辺温子(2006 - 2007)、秦義人(2007 - 2009)、松園公(2007 - 2008)、大森雅幸(2008)、(2008 - 2012)、(2008)、井硲清高(2008)、江島泰男(2008)、(2008 - 2010)、三原秀憲(2008)、渡辺歩(2008 - 2010)、(2008 - 2014)、(2008 - 2009)、誌村宏明(2008 - 2014)、松田てつあき(2009)、 (2010 - )、吉野芙紀(2010)、 (2010 - )、八鍬新之介(2010 - 2017)、(2011 - 2016)、(2011 - 2017)、(2011 - 2018)、しのみやすゆき(2011 - 2012)、 (2011 - )、橋本アキラ(2012)、(2012)、吉田光春(2012)、村野佑太(2012 - 2013)、大宅光子(2012 - 2013)、矢花馨(2013)、藤原良二(2013 - 2018)、高橋敦史(2013 - 2018)、(2013)、 氏家友和(2014 - )、小原唯(2014 - 2016)、 (2014 - )、山本秀世(2014 - 2016)、鈴木香織(2014)、(2015)、(2015 - 2017)、(2015 - 2016)、堀之内元(2015)、とよしまアタル(2015)、永井慎平(2015)、園田雅裕(2015)、(2015)、西村昭子(2015 - 2016)、五月女誠子(2015 - 2018)、 (2016 - )、小柴純弥(2016 - 2017)、大野和寿(2016)、川越淳(2016 - 2019)、鈴木孝聡(2017)、金子伸吾(2017 - 2019)、高橋謙仁(2017)、三上喜子(2017)、 鳥羽明子(2017 - )、岩田義彦(2017)、 木野雄(2017 - )、山口晋(2017 - 2019)、岡野慎吾(2017 - 2018)、 鈴木大司(2017 - )、 堂山卓見(2017 - )、(2018)、小笠原卓也(2019)、 佐野隆史(2019 - )、 ひのもとひろし(2019 - )、 (2019 - )、 新井宣圭(2020)、 山浦聡士(2020)• 演出 - 寺本幸代(2005 - 2014)、 善聡一郎(2005 - )、楠葉宏三(2005 - 2016)、鈴木卓夫(2005 - 2006)、釘宮洋(2005 - 2017)、やすみ哲夫(2005)、(2005 - 2006)、塚田庄英(2005 - 2010)、安藤敏彦(2005 - 2011)、古屋勝悟(2006)、玉野陽美(2005)、 三宅綱太郎(2005 - )、佐戸原武之(2005 - 2017)、三家本奏美(2005 - 2007)、 腰繁男(2005 - )、渡辺温子(2005 - 2007)、キャロライン・キング(2006)、秦義人(2007 - 2010)、細谷秋夫(2007)、矢嶋哲生(2007 - 2009)、八鍬新之介(2007 - 2017)、山岡実(2007 - 2014)、松園公(2007 - 2008)、高橋渉(2008 - 2012)、江島泰男(2008)、大杉宜弘(2008 - 2016)、佐藤真人(2008 - 2009)、鹿島典夫(2008)、松田てつあき(2009)、吉野芙紀(2009 - 2011)、鈴木孝義(2009 - 2016)、(2009)、松村樹里亜(2009 - 2011)、宮下新平(2009 - 2011)、鈴木洋介(2010)、今井一暁(2010 - 2016)、パク キョンスン(2011 - 2018)、しのみやすゆき(2011 - 2012)、西田健一(2011 - 2016)、小原唯(2012 - 2016)、矢花馨(2012 - 2013)、吉田光春(2012 - 2014)、村野佑太(2012)、大宅光子(2013)、高橋敦史(2013 - 2015)、福本潔(2013)、根岸宏樹(2013)、(2013 - 2014)、 氏家友和(2013 - )、敷島博英(2014)、佐々木純人(2014)、藤田健太郎(2015)、大塚隆寛(2015)、小倉宏文(2015 - 2016)、とよしまアタル(2015)、石井希美(2015 - 2016)、横田一平(2016)、 岩田義彦(2016 - )、高橋謙仁(2016 - 2017)、大野和寿(2016)、三上喜子(2016 - 2017)、金子祥之(2016 - 2017)、鈴木孝聡(2017)、飯村正之(2017)、 五月女有作(2017 - )、山口晋(2017 - 2018)、岡野慎吾(2017)、堂山卓見(2017 - 2018)、大賀まこと(2018)、 八木郁乃(2018 - )、(2018)、 藤倉拓也(2018 - )、形部正(2018)、鈴木大司(2018)、 木野雄(2018 - )、 大島克也(2019 - )、 今村洋輝(2019)、 酒井和男(2019)、 岩岡夢子(2020)、 山浦聡士(2020)• キャラ設定 - 吉田誠、小西富洋、三輪修、田中薫、大杉宜弘、嶋津郁雄、丸山宏一 、藤原巧和、小川一郎 、山森英司、鄧佳湄、岡野慎吾、中本和樹、志村隆行、そ~とめこういちろう、土屋祐太、秋山めぐみ 各話スタッフ時代• 作画監督 - 丸山宏一、吉田誠、三輪修、田中薫、小野慎哉、小西富洋、嶋津郁雄、志村隆行、松村美佳 ほか• 動画監督 - 藤野京子、山下宗幸、田中陽子、丹羽彩乃、鈴木良子、星英子、諸隈瑛美、田久保くま• 色指定 - 野間口麻美、関野響子、、横井未加、大枝優斗、松林彩、中村里沙、小日置知子、高橋めぐみ、倉内美幸• 特殊効果 - 伊藤敦子、うすいこうぢ、松林彩、中村里沙、小日置知子• 制作協力 - 、A-Real 以前携わっていたスタッフ [ ]• 総監督 - 楠葉宏三• 総作画監督補佐 -• 企画協力 -• 制作協力 - オープニングテーマ [ ] 本シリーズは諸事情により初回放送からオープニングテーマに全てのスタッフ・クレジットを集約していた。 2017年7月28日の放送分から(テレビアニメ第2作第1期の2005年3月11日の放送分)以来約12年ぶりにテロップが集約されなくなった。 カラオケ字幕あり。 2005年4月15日放送分から2005年10月21日放送分まで使用。 その後オープニングとしての使用がない期間が続き、2019年9月6日放送分で1年半ぶりに使用されたのが最後である。 2008年以降エンディング使用期間は休止。 2007年5月11日放送分から2009年4月3日放送分まで使用したもの• 2009年5月1日放送分から2009年9月18日放送分まで使用したもの• 2009年10月16日放送分から2010年3月26日放送分まで使用した「映画30周年記念バージョン」については後述• 2010年4月23日放送分から2017年6月30日放送分まで使用したもの(2011年7月15日から休止、2014年9月12日より復活)。 なお、2011年4月29日放送分よりイントロとサビの一部をカットしたバージョンが使用されていた。 2017年7月28日放送分から2018年4月13日放送分まで使用したもの。 2014年8月1日放送分から2014年8月29日放送分まで使用。 2020年4月25日放送分からは『』に伴いデザインが変わっている。 2007年7月からアバンパートを入れたため、オープニングアニメーションを流すタイミングを変えている。 映画公開中または映画公開間際になるとその年の映画のオープニングアニメーションが使われることがある。 上記の休止期間中は、夏限定のエンディング「踊れ・どれ・ドラ ドラえもん音頭」を流している。 2013年10月18日、25日放送分では、同年8月に実施された「夏休みアニメ祭り」の視聴者プレゼント企画に当選した応募者の通う幼稚園へドラえもんが訪問した時の様子が放送された。 エンディングを使用しているときはオープニングは流れず、エンディングにキャスト・スタッフがクレジットされる。 2017年7月28日の放送分よりオープニングとエンディングをテロップを集約せずに使用。 オープニングアニメーション 映画30周年記念バージョン [ ] 2009年10月16日放送分から2010年3月26日放送分まで使用。 それぞれの映画作品の予告編映像を用いている (「予告編」というテロップにはボカシがかけられている)。 『』(2009年10月16日放送分から2009年10月30日放送分まで使用, DVD41)• 『』 - 『』(2009年11月6日放送分にて使用, DVD42)• 『』 - 『』(2009年11月13日放送分にて使用, DVD43)• 『』 - 『』(2009年11月20日放送分にて使用, DVD44)• 『』 - 『』(2009年11月27日放送分にて使用, DVD45)• 『』 - 『』(2009年12月4日放送分にて使用, DVD46)• 『』 - 『』(2009年12月11日放送分にて使用, DVD47)• 『』(2009年12月31日放送分にて使用)• 『』 - 『』(2010年1月8日放送分にて使用, DVD48)• 『』 - 『』(2010年1月15日放送分にて使用, DVD49)• 『』 - 『』(2010年1月22日放送分にて使用, DVD50)• 『』(2010年1月29日放送分から3月26日放送分まで使用。 3月5日放送分より映像変更) エンディングテーマ [ ] 本シリーズではオープニングテーマとエンディングテーマが両方流れることは少なく、基本的にエンディングテーマの時間はミニコーナーの放送や映画の宣伝に充てられていた。 そのため、当初エンディングテーマは夏限定で「踊れ・どれ・ドラ ドラえもん音頭」を放送するのみであった。 2011年10月以降、オープニングテーマの扱いが不安定になり、オープニングテーマである「夢をかなえてドラえもん」が番組の最後に放送されることも多くなった。 エンディングテーマが放送される場合は、オープニングテーマがカットされることが多い。 2012年から、映画公開期には、オープニングテーマをカットし、エンディングテーマとして映画主題歌を放送する傾向にある。 2017年7月28日放送分以降、オープニングへのテロップ集約が行われなくなった。 そのため、オープニングとエンディングの両方が流れることが多くなっている。 2017年7月28日から2018年4月13日、2019年4月5日、4月19日、9月6日、10月5日以降はオープニングを省略せず、エンディングも流している。 2008年以降はキャストとスタッフのクレジットも流れる(オープニングなし)。 2017年はオープニングあり。 音頭の振付は「踊れ・どれ・ドラ ドラえもん音頭」と「踊れ・どれ・ドラ ドラえもん音頭2007」はが、「踊れ・どれ・ドラ ドラえもん音頭2017」はが担当している。 2010年使用時はキャストとスタッフのクレジットは流れなかったが、2017年、2018年に使用された際はクレジットも流された(「ドラえもん えかきうた」は作詞~歌表記が無いかわりに演出・作画がクレジットされている)。 テレビサイズは1番のみ。 1番 - あ『ドラえもん』、い『』、う『』、え『』、お『』 2番 - か『』、き『』、く『』、け『』と『』、こ『』、 3番 - さ『』、し『』、す『』、せ『』、そ『』• 2011年12月30日放送分から2015年10月23日放送分まで使用したもの• 2018年9月14日放送分のみ使用したもの• 2019年3月15日放送分のみ使用したもの。 「」Tv Ver. 「ありがとう、オーレ! 「Ding! Dong! 遅れネット局は山陰放送を除いて全てローカルセールス枠で、スポンサーの有無は異なる。 データ放送は全局で対応していない為ゲームには参加できない(告知部分は各局差し替えるが、エンディング後の本編はそのまま放送。 また、原則1時間スペシャルは放送されないため、1時間スペシャル放送時や、番組改編期などでテレビ朝日での放送休止の場合は再放送もしくは別番組になる。 テレビ朝日系列フルネット局でも、ごくまれに再放送をすることがある。 テレ朝チャンネル1では2013年4月よりレギュラー放送。 それまではスペシャルプログラムとして再放送が行われている。 北海道テレビでは土曜放送枠移動後、『』の中継日は『』とともに後日遅れネットとなる(2020年は1月25日放送分を『クレヨンしんちゃん』『ドラえもん』の順に1月26日〈日曜〉10:00 - 11:00枠で放送。 当初局公式ホームページの番組表には連動データ放送の表示がなかったが、当日のyahoo! テレビなどの電子番組表にはデータ放送の表示が追加され、テレビ朝日からの裏送りにより通常通り行われた)。 各コーナーのアニメーション [ ] サブタイトルアニメーション [ ]• 初代(2005年4月15日 - 2008年3月28日) 3DCGで描かれたひみつ道具が奥からたくさん流れてきて最後にどこでもドアが開き、そこにやわらかいタッチのドラえもんの一部が描かれていて、その中央にタイトルが表示されている。 ドラえもんの絵は5種類ある。 2006年春に行っていた「キャラクター大分析シリーズ」時はドラえもんに代わって対象となるキャラクターとなった。 奥から流れてくるひみつ道具はまれに追加されている。 また2006年1月13日放送分から2007年5月25日放送分まで、サブタイトルの前に更に煽り文句が付いていた。 その時期に放送された作品の再放送時やDVD版では煽り文句が除去されている。 2代目(2008年4月25日 - 2015年5月8日・7月24日 - 2016年9月16日・2017年1月13日 - 1月27日) サブタイトルの書かれた立て札を、ドラえもんが四次元ポケットから出し持ち上げて見せるというアニメーション。 背景は緑。 表情が複数あり、ランダムで使用される。 2012年8月17日放送分からはサブタイトルのBGMが初代のものに変更され、立て札を持ち上げている部分からの映像になった。 またスペシャル番組などの時、ドラえもんが番組内容に合わせた服を着ていたり(『クリスマススペシャル』ならの帽子、『ドラえもん祭り』ならなど)、背景や立て札のデザインが変更されたりする(『バレンタインスペシャル』なら仕様など)。 そのほか、ハロウィンを題材とした回ではかぼちゃのお化けが付け足されたりする。 3代目(2015年5月15日 - 7月10日・2017年2月3日 - 7月7日) 当初は3本立て「ドラララ3」(スリー)の期間中のみ使用。 サブタイトル場面は初代の静止画を踏襲したものとなっており、BGMは2代目後半のものが使用されている。 2017年に再使用された際、サブタイトルのテロップがBGMが始まるタイミングでフェードインして表示されるようになった。 4代目(2016年10月14日 - 12月31日) 番組内容に合わせたドラえもんのアニメーション(内容の一部やひみつ道具)になっており、こちらもBGMは2代目後半のものが使用されている。 5代目(2017年7月28日 - ) 原作の扉絵をカラーで再現した静止画。 アニメオリジナルストーリーや、原作で関連性のない2話を統合したエピソードの場合はこれを意識したものになっている。 BGMも変更されており、2017年8月18日放送分以降は画面右下に脚本・絵コンテ・演出がクレジットされている(2018年6月29日放送の『アセッカキン』では脚本協力もクレジット)。 ドラえもんチャンネル内で配信されており、を使って番組を無料でダウンロードできるようになっている。 『のび太の新魔界大冒険』以降も映画公開に合わせ、期間限定で映画特別編の配信が恒例となっている。 パーソナリティ:ドラえもん(水田わさび)、のび太(大原めぐみ)• ゲスト• 第1回:ジャイアン(木村昴)• 第3回・第11回:しずか(かかずゆみ)• 第4回:のび太のママ(三石琴乃)• 第6回:のび太のパパ(松本保典)• 第7回:スネ夫(関智一) 主なコーナー• ドラヂオニュース ドラえもんに関する最新情報を紹介する。 ようこそ! ドラえもんの部屋コーナー ドラえもん唯一のプライベート空間である、押入れの中にゲストを招いて、色々な質問をするコーナー。 ゲストがいない場合は「ドラヂオ質問コーナー」になる。 ドラえもんシークレットファイル ドラヂオ第8回特別企画で、のび太の質問にドラえもんが答えるという内容。 のび太曰く「"大解剖"」している。 特別企画だが、継続するという。 映像ソフト [ ] 前作と同じくより発売。 「NEW TV版 ドラえもん」シリーズで、それぞれ5話〜9話に抑制している。 日本国外での放送 [ ] アジア [ ] の や、の 、の () でそれぞれ吹き替え版が放送されている。 アメリカ版 [ ] 『 Doraemon -Gadget Cat from the Future-』のタイトルで放送された。 各シリーズ全26話で構成され、2016年12月現在第2シリーズまで制作された。 ではにて7月7日に放送を開始。 日本国内でもので放送され、2月1日より第1シリーズ、11月16日より第2シリーズが放送中。 地上波は未放送。 制作スタッフは国内版とほぼ同一ながら、舞台はアメリカの架空の町に変更され、ドラえもん以外のキャラクターの名称やひみつ道具が英語式の名前に変更された。 たとえば"Nobita"という音の響きが英語圏では女性的に聞こえてしまうため、のび太の名称は"Noby"に変更された。 タケコプターは飛び越える Hop ように場所を移動することができるため"Hopter"という名称に変更された。 通常の小道具等もローカライズの対象になり、たとえばのび太が受け取る小遣いがドル紙幣に 、食事をする場面のがに 、さらに本作の日本語吹替版ではそれらの名称変更に合わせた登場人物達のセリフの新規撮り下ろしが行われている回もある。 また、健康志向に配慮するという理由で、ドラえもんが大量のどら焼きを頬張る場面を控え目なものにしたり、のび太のおやつをフルーツにするといった変更も行われた。 その一方でジャイアンの決め台詞などそのまま残った部分もある。 オープニングの一部分およびエンディングは日本版のオープニング映像『夢をかなえてドラえもん』より抜粋。 アメリカ版キャスト [ ] 括弧内は『Doraemon』での名称。 ドラえもん(Doraemon):(日本語吹替:水田わさび )• のび太(Noby):(日本語吹替:大原めぐみ )• しずか(Sue Morris):カサンドラ・モリス(日本語吹替:かかずゆみ )• ジャイアン(Big G):カイジ・タン(日本語吹替:木村昴 )• スネ夫(Sneech):ブライアン・ビーコック(日本語吹替:関智一 )• ドラミ(Dorami):(日本語吹替:千秋 )• ジャイ子(Little G):ミナエ・ノジ(日本語吹替:山崎バニラ )• 出木杉(Ace Goody):スパイク・スペンサー• ミニドラ(Mini-Doras):• 先生(Mr. S):• のび太の母(Tammy):マリ・デヴォン(日本語吹替:三石琴乃 )• のび太の父(Toby):(日本語吹替:松本保典 )• のび郎(Chester):キース・シルバースタイン アメリカ版スタッフ [ ]• プロデューサー - 、吉川大祐• キャスティング・ディレクター - 岡田真美• 音響監督 - ケイティ・リード(シーズン1)、ウェンディー・リー(シーズン2)• 脚色 - ケイティ・リード• 英語版台本 - ケイティ・リード、ジェームズ・ベッツ(シーズン1)• プロダクション・エグゼクティブ(シーズン2) - 赤津一彦• 英語版制作 -• 日本語版ミキサー - 小沼則義• 製作 - テレビ朝日(シーズン1)、ADK(シーズン1)、シンエイ動画• 配給(シーズン2) - テレビ朝日 反響 [ ] 声優交代前の反響 [ ] 本作の放送から1年前の2004年11月22日、は「2005年4月から『ドラえもん』の声優陣が一新される」というニュースを報じた。 その他の報道機関は全くの寝耳に水の話で、この記事を見てその日の朝の情報番組で紹介するという有様であった。 『ドラえもん』の放送局であるテレビ朝日も、ドラえもんに携わっているスタッフ以外誰も知らず、この朝日新聞の記事で知ったという社員が多数であった。 その後、朝日新聞以外の、、、が朝日新聞の報道のあった11月22日付けの夕刊に、(東京本社版)と主要が翌日の2004年11月23日付けに掲載された。 また、テレビ朝日内での案件にも関わらず、他の民放各局やNHKも突然の発表で時間を割いて報道するなど、国民的アニメの突然の声優交代というニュースは、世間の大きな関心を集めた。 評価 [ ] 本作の放送開始から10年を迎えた2015年、オリコンは「第1期は原作にも通じるブラックな面も見受けられ、映画作品ではドラえもんが拷問の末に壊れるなど子供が怖がるであろう場面も見受けられた。 その一方で、第2期はこのような要素が薄まりユーモアや心温まるエピソードに重きが置かれた純粋な娯楽作品になり、映画も肩の力を抜いて楽しめるものとなった」と述べ、「ニーズの変化に合わせて少しずつ変化したことで親子で楽しめるものになった」と本作の放送が10年続いた理由を分析している ところもあるが視聴者やファンなどの間では賛否が分かれている。 その他 [ ]• テレビ朝日には、2011年5月に「」というキャラクターが登場するまで、局公式のマスコットキャラクターが存在しなかった ため、ドラえもん自体が局全体のイメージキャラクターとして扱われる事があった。 例として、テレビ朝日が中継を担当する場合、イメージキャラクターにドラえもんが採用される事があったほか、ゴーちゃんの制定後も、大災害が発生した場合のにおけるにも「テレビ朝日ドラえもん募金」の名称が使われている。 2011年11月11日より実写化したトヨタのCMが放送され、主要キャラクターに俳優・女優などが採用されている。 BGMは作曲の第1期のものが使用されている。 2005年のキャッチフレーズは、「あ、ドラえもんだ! 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 2015年の就任から2017年リニューアル前まで毎回担当、2017年リニューアル後は各話担当。 過去には 2005年-2013年 、 2008年-2017年 、丸山宏一 2013年-2015年 が担当。 2012年2月10日 - 6月1日放送分はが代役を務めた。 (平成17年)4月より放送中のシリーズのDVDは『NEW TV版ドラえもん』というタイトルで発売されている。 『21世紀版ドラえもんひみつ大百科』(小学館〈ワンダーライフスペシャル〉、2005年7月発行、)では「月見台小学校」に通っていると書かれているが、この学校名はアニメ作中では一度も使用されていない。 一方、「のび太を愛した美少女」(放送)の作中では、「練馬区立第三小学校」と校門に学校名が表示されていた。 の観点から、ここでは「月見台小学校」が正しいものとして扱う。 ただし、2009年放送分から2009年放送分まで使用したオープニングアニメーションでは、のび太たちが着用している体操着に「5-1」(一般的には5年1組を指す)と書かれていた。 また「物体変換銃でカバンをカバに!? 」(2014年5月16日放送)ではスネ夫がパソコンを持参していた。 BGMに「」が流れた• 2012年6月15日放送「もどりライト」。 stand by meのドラえもんのロゴの「ド」の濁点部分の目は笑った目ではなく、ウインクしている。 にが「エッ? 」というシリーズタイトルで発売していたのキャラクター玩具がモデル。 藤子・F・不二雄が実際に所有し、仕事机に置いていた。 2011年9月2日放送「ドラえもんたった一日の恋」登場のアイドル猫。 」もテレビ放送は初である。 のアニメ枠が廃止されたため。 またこれにより、本作と『』は唯一のゴールデンタイムのアニメとなる。 テレビ朝日での放送基準• 枠移動前の最終放送は誕生日スペシャル2本立ての2時間スペシャル。 地上波から6日遅れでの放送。 『ドラえもん』での「つながろう日本」CMも同時期に製作、放送された。 内容は「夢をかなえてドラえもん」4代目OP映像の一部を使用。 また、双子の女子ダンサー(所属の、。 本作直後の『クレヨンしんちゃん』でも、同大会にあやかった「勝負! フィギュアスケート城だゾ」という話を放送。 2016年9月2日以来2年ぶり。 ドラえもんも担当していた。 曲などは「ドラドラまちがいさがし」の物を使用。 一部カットして放送された。 再放送されたエピソードは『天井うらの宇宙戦争』と『ほどほど宝島』の2本。 2020年からは2ヶ月交代に変更、また『しんちゃん』時代の2020年5月より放送開始が18:33から18:30に繰り下がり『クレヨンしんちゃん天気』に変更したため、『ドラえもん』も2020年6月から18:30に変更、同時にタイトルも『ドラえもん天気』となる。 この再放送では2017年7月28日放送分以前の作品を再放送する場合、一部の回では本放送時にはなかったキャラ設定のスタッフがEDクレジットに記されており、初期は現在のサブタイトルと同じく画面右下に脚本・絵コンテ・演出がクレジットされていた。 同様の編成は第1期でも行われていたが、こちらは毎週Aパートが新作、Bパートが再放送だった。 翌週は「スネ夫としげおの君も今日から恐竜博士」の予告編として放送。 3月7日放送分はタイトルから「スネ夫としげおの」が外れている。 ガイドする人物もスネ夫と高橋茂雄ではなく、ドラえもんになっている。 この日の通常放送及び劇場版放送の冒頭では、ドラえもんによる『ドラえもん のび太の新恐竜』の公開延期の告知が流れた。 その影響で通常放送ではサンリオ制作のショートアニメがカットされ、EDで表示されていた公開日のクレジットも「3月6日公開」から「近日公開」になった。 しずかとスネ夫が4番目または5番目、ジャイアンが3番目。 登場時はしずかが4番目、ジャイアンが5番目、スネ夫が6番目。 登場時は3番目にクレジット。 2005年4月15日放送回から2017年7月7日放送回までクレジット。 2017年7月28日放送回から2018年3月9日放送回までクレジット。 2018年4月6日放送回から2020年3月28日放送回まで不在。 2020年4月4日放送回からクレジット。 2017年7月28日放送回から2019年9月6日放送回までクレジット。 2019年10月5日放送回から2020年3月28日放送回までクレジット。 2020年4月4日放送回から• 2015年5月15日放送回からクレジット。 その後、2017年7月28日放送回から再度クレジット。 2013年6月21日放送回から2017年1月13日放送回までクレジット。 2017年1月20日放送回から7月7日放送回までクレジット。 2019年10月5日放送回からクレジット。 2005年4月15日放送回から2017年7月7日放送回までクレジット。 2017年7月28日放送回からクレジット。 初回から2015年3月20日放送回および同年8月21日から9月4日放送回までクレジット。 2007年5月11日放送回から2016年9月16日放送回及び、2019年11月2日放送回よりクレジット。 2019年10月5日放送回から2020年3月28日放送回まで助監督表記。 2020年4月4日放送回より副監督表記。 ADKエモーションズへの移行後もクレジット上は「ADK」表示で継続。 2014年6月6日放送分よりロゴを変更。 2017年7月28日放送回から、各回毎に設定を担当したアニメーターがクレジット。 公式サイトのスタッフ情報ではメインスタッフ時代から継続して務めている吉田誠のみ記されている。 丸山はメインキャラ設定を兼任している。 2017年は「をがわいちろを」表記。 2005年4月15日放送回から2017年7月7日放送回までメインスタッフとしてクレジット。 2005年5月13日放送回のみクレジット。 後続番組の『』も同時期にエンディングテーマがカットされるようになった。 そのため、OPとEDが両方放映されることはなく、特定のアーティストが存在する決められたエンディングテーマは存在しない。 ただ、両方カットすることは映画を除きなく、どちらかはほぼ必ず流されていたが、2018年10月12日から11月23日まで、12月14日から2019年2月15日、7月5日、8月2日、8月30日は完全に両方とも廃止。 2018年10月以降、EDが使用されていない回も休止することがあった。 での放送では2017年7月7日放送回までこの映像で統一している。 『』でも短縮版オープニングが使用されているが、こちらはイントロのカットはない。 2011年3月18日放送の「ドラえもん三大祭最終夜 ピポッと! 感謝・感動・感激スペシャル」では映画版のオープニングが放送された。 2018年1月までは毎週使用、2月以降は不定期で使用していたが、4月13日を最後に使用されていなかった。 での放送では(2017年7月28日放送回はテレ朝チャンネルでは放送なし)。 2017年8月4日放送回以降この映像で統一している。 『』のオープニング。 こちらはイントロとサビの一部はカットされず。 2018年3月までは、同年4月1日の認定放送持株会社移行に伴う商号変更並びに分社化前のため、朝日放送。 作者の出身地。 2007年3月までは月曜 16:25 - 16:50。 2013年3月までは日曜 6:00 - 6:30。 2013年4月から現在の時間帯に変更。 2008年3月24日までは月曜 16:24 - 16:54。 2008年3月31日から2009年9月28日までは月曜 15:30 - 15:29。 2009年10月5日から2010年3月22日までは月曜 15:29 - 15:58。 2010年3月29日から2011年3月28日まで月曜 16:24 - 16:53。 2011年4月6日から2013年9月25日まで水曜 16:00 - 16:29。 2013年から2017年までは水曜 15:55 - 16:24。 2017年4月5日から現在の時間帯に変更。 以上、福井新聞テレビ欄より。 スポンサードネット。 2017年7月25日までは火曜 16:24 - 16:53。 2017年8月から2019年9月までは火曜 16:21 - 16:50。 2019年10月から現在の時間帯に変更。 2015年3月までは金曜 14:55 - 15:25。 CMはドラガオじゃんけんの告知と前提供を含め、全て自社スポットに差し替えている。 ED後の次回予告から後提供まではそのままだが、次回予告中に「土曜夕方5時」という文言がある為「UMKでは土曜あさ5時からお送りします」というテロップを挿入し、「ドラガオじゃんけん」の右上に出るテロップも番組ロゴで隠している。 2016年3月までは月曜 16:24 - 16:53。 2016年4月から現在の時間帯に変更。 移動前は、映画公開特番や直後に放送される『 拡大版』などで休止となる場合があった。 2020年4月3日からネット開始。 より放送、字幕放送も部分実施。 より放送、字幕放送とバイリンカル放送も実施。 映画公開に合わせてテレビ朝日にて週末の朝や深夜などに再放送を実施されることがある他、 - の期間、山口朝日放送で土曜 6:00 - 6:30枠にて再放送が実施されていた。 ただし「一生に一度は百点を... 」は、原作とは違う物になっている(原作ではこの話に登場する『コンピューターペンシル』が描かれた非常にシンプルな物になっている)。 また「タタミのたんぼ」ものび太が田植えをしている絵とドラえもんが餅つきしている絵こそは原作と同じだが反転しており、ドラえもんのそばでかかしが見守る絵が追加されている。 主にドラえもん達によるミニコントが流れるが、放送日・放送される週にちなんだ内容になる場合もある。 出典 [ ]• 2006年9月8日放送「ドラえもんの歌」(1巻・1巻収録)、2010年8月13日放送「みんなで体をとりかえっこ」(11巻収録)、2011年12月16日放送「重力ペンキ」(てんとう虫コミックス5巻収録)等。 2006年9月1日放送「のび太くん、さようなら! ドラえもん、未来に帰る…」(てんとう虫コミックス24巻・30巻収録)、2015年8月21日放送「ゾクゾク! おばけ線香」(4巻・2巻収録)、2015年11月20日放送「かぜぶくろといんちき薬」(カラー作品集5巻・3巻収録)等。 2007年2月16日・23日放送「地底の国探検」(てんとう虫コミックス5巻収録)、2008年2月8日・15日放送「宇宙ガンファイターのび太」(てんとう虫コミックス24巻収録)、2010年10月22日・29日放送「子犬イチの国」(てんとう虫コミックス22巻収録)等。 「ドラドラ時空アドベンチャー のび太土偶の謎」 2016年1月29日放送 、「恋する!? 変身ビスケット」 2016年2月12日放送 、「空想動物サファリパークと約束の笛」 2016年3月11日放送 、「ドラドラポンポコ大捜査」(2017年4月7日放送)、「がんばれ!おばけハウス」(2017年8月18日放送)、「ぶんぶくドラ釜」(2018年4月20日放送)、「ドラえもんをのぞいちゃえ!」(2019年4月5日放送)、「イロガラドラえもん」(2019年7月19日放送)、「22世紀で夏休み」(2019年7月19日放送)、「ドラえもんがいっぱい」(2019年10月19日放送)等• 「ぼく、マリちゃんだよ」(2016年2月5日放送)、「なんでも材質変換機」(2016年2月19日放送)、「のび太のジャックと豆の木」(2016年4月22日放送)、「いたずらオモチャ化機」(2016年8月26日放送)、「戦国のび兵衛がんばれ」(2016年12月31日放送)、「暴走ランナーパパ」(2017年6月16日放送)等• 「熱血! のび太の運動会」(2009年放送)• 「恋するジャイアン(前編)」 2008年6月13日放送 、「そして、ボクらは旅に出た」 2008年11月14日放送 、「スネ夫の無敵砲台」 2008年11月21日放送 、「ざぶとんにもたましいがある」 2008年11月28日放送 、「ドラえもんやめます」 2009年7月10日放送 、「宇宙人を追いかえせ!」 2009年11月13日放送 、「ソノウソホント」 2011年8月26日放送 、「巨大スネ夫あらわる! 」 2011年12月9日放送 、「わすれとんかち」 2017年6月2日放送 等• 「父の日に地下鉄を」 2008年6月13日放送 、「いそうろうジャイアン」 2009年6月12日放送 等• 「スネ夫ゆうかい事件」 2009年7月10日放送 、「ママママバトルざます」 2012年1月20日放送 等• 「宇宙ガンファイターのび太(前編)」 2008年2月8日放送 、「宇宙ガンファイターのび太(後編)」 2008年2月15日放送 、「のび太が無人島で3000日」 2008年9月19日放送 、「めいわくガリバー」 2011年5月20日放送 、「いやなお客を帰しちゃえ」 2012年1月6日放送 、「チャンスメーカー」 2012年6月22日放送 、「パパママおうちで大バトル」 2013年2月22日放送 等• 「弟をつくろう」(放送)• 「大ピンチ! スネ夫の答案」(2007年放送)• 「のび太を愛した美少女」 2009年6月26日放送 、「ドラえもんの100年タイムカプセル」 2012年4月27日放送 、「竜宮城の八日間」 2014年8月1日放送 等• テレビ朝日 2007年4月24日. 2007年4月28日時点のよりアーカイブ。 2015年7月28日閲覧。 、、2007年7月31日6時31分。 、テレ朝動画 - 2019年10月9日閲覧。 まんたんウェブ. 毎日新聞 2017年6月23日. 2017年6月24日閲覧。 2015年4月10日閲覧。 2015年5月8日閲覧。 ORICON NEWS. 2019年8月22日. 2019年8月22日閲覧。 『クレしん』からの告知はドラえもん達5人に加え、ママ(野比玉子)・パパ(野比のび助)・先生も担当する様になった(後者の三人は、その日の放送回に登場しなくても担当する場合がある)。 アニメーションビジネス・ジャーナル 2020年3月23日. 2020年5月3日閲覧。 テレ朝チャンネル名称変更後の初番組放送• ナタリー 2013年9月11日. 2013年9月14日閲覧。 ドラえもん公式サイト 2015年1月21日. 2016年4月19日閲覧。 ORICONstyle 2015年9月1日. 2015年9月2日閲覧。 ORICON NEWS 2017年2月3日. 2017年2月3日閲覧。 『』 、関東版2017年5号 71頁。 マイナビニュース 2017年6月23日. 2017年6月23日閲覧。 のび太の部屋の窓枠が十字架の形をしていたが十字架が無くなった。 またのび太の部屋の天井には飛行機の模型が飾ってあるなど• 『』、関東版2017年16号、P. 『』、関東版2017年18号、P. NewsWalker. 2017年10月12日. 2017年11月29日閲覧。 www. tv-asahi. 2018年4月9日閲覧。 アニメイトタイムズ 2018年10月30日. 2018年10月30日閲覧。 いずれも映像はノンテロップバージョンを使用。 www. tv-asahi. 2020年3月4日閲覧。 「台風の進路を予測しよう!」「自分の町を知って、台風に備えよう!」より。 www. tv-asahi. 2020年3月4日閲覧。 www. tv-asahi. 2020年3月4日閲覧。 日刊スポーツ. 2020年3月23日閲覧。 大山のぶ代著:『ぼくドラえもんでした』• 朝日新聞 2004年11月22日. 2004年11月30日時点のよりアーカイブ。 2017年6月24日閲覧。 2015年6月19日. 2015年6月19日閲覧。 ねとらぼ ITmedia. 2015年6月19日. 2015年7月25日閲覧。 スポニチアネックス. 2015年11月27日. の2015年11月27日時点におけるアーカイブ。 2015年11月28日閲覧。 スポニチアネックス. 2016年10月28日. 2018年9月10日閲覧。 2019年9月6日. 2019年9月6日閲覧。 テレビ朝日 2009年10月16日 更新. 2010年4月25日閲覧。 アニメ! アニメ!. 2016年2月5日. 2016年2月6日閲覧。 による放送休止の場合は再放送や別番組に差し替えは行わない(一例として(台風19号)によるもの)。 2018年8月4日閲覧。 2018年8月4日閲覧。 2018年8月4日閲覧。 まんたんウェブ. 2014年5月12日. 2016年1月22日閲覧。 Kris Kosaka 2014年5月1日. 2016年1月22日閲覧。 シネマトゥデイ. 2016年1月22日閲覧。 また「100年タイムカプセル」の終盤のあるシーンように、英語圏の名称に関係なくとも台詞自体の追加や変更がされている場合もある。

次の