ハーバード 大学 全裸 マラソン。 【愕然】ハーバード大学 クラスター

ハーバードでは試験中に全裸で校内を走るのが伝統

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今回はちょっとだけ下ネタ系です。 わが母校であるハーバード大学では、毎年二回、学部生の男の子・女の子たちの有志が全裸で学校を2周する。 ・・・ハ? うん、本当に。 靴は履くけど。 10代の女の子ですら素っ裸! にもちゃんと書いてあるし。 期末試験の最終日前夜、では、学部生たちによる「産声(Primal Scream)」が行われる。 学生は男女を問わず服を脱ぎ、を2周する。 2学期制のでは、この行事が年2回開催されるわけだが、その1回は極寒を誇るの冬に行われることになる。 参加者の中にはやを身につけるものもいるが、は丸出しのままである。 ストリーキングが行われる周辺は見物者で埋め尽くされ、開始前にはの演奏が群集を盛り上げる。 何度でも言おう。 そう、。 これねえ、言っておくけど めちゃくちゃ寒いからね、冬の期末試験の時期!下手するとマイナス20度とか行くから。 しかし彼らはそれでも走るッ!!! ハーバードの伝統を守るためにッ! どれだけバカだと思うかもしれない。 だがちょっと待ってほしい。 彼らは期末試験の最後の夜に走っているわけで、実際、精神的なプレッシャーと、時間的制約の中で校庭を走っているのだ。 忙しい彼らはこうして2周走った後、特に騒ぐこともなくそそくさと寮の部屋に戻って勉強を続けるのだ。 ・・・いや、でもやっぱりバカだわ、お前ら。 ちなみに、後輩に一緒に走ろうと誘われたが断りました。 勝手に走れ馬鹿野郎。

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ハーバード大学出身の日本人。世界的有名人がこんなに!偏差値は?

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カルチャーショック ハーバードVS東大 より ベンジャミン トバクマン [著] はじめに あなたは日本の大学教育に対して、疑問を感じたことがありますか。 あるいは、「東大はナンバーワンとみんな言うけれど、国際社会ではどうだろうか」と自問したことがありますか。 そんなあなたのために、本書を日本語で執筆しました。 アメリカのナンバーワン大学・ハーバードと東大の教育の在り方を体験的に比較してみました。 それは私にとって、入学制度を始め、大きなカルチャーショックでした。 そこで私は、日米の最高学府はどう違うのか、どちらの方がこれからの国際社会で優れているのか、それはなぜなのか、こういった問題を解いてみることにしました。 少子化が進み、日本の大学における競争が激化している中、どんな大学が、日本の将来のリーダーを育て、生き残れるのでしょうか? 本文にも紹介していますが、私は一六歳の時から日本語を学習しています。 ホームステイや研究で何度も日本を訪れたことがあり、多くの日本の方々にお世話になりました。 このたび、奨学生として来日し、一年半の学生生活で感じたことを皆さんと分かち合いしたいと思いました。 粗雑な日本語で大変恐縮ですが、私の気持ちが伝われば幸いです。 二〇〇八年五月一四日 平等主義の大学・ハーバード 深夜のヌード・マラソン ハーバードの活気は、表現の自由に基づいている。 その事実は、期末試験に入る前夜に、浮き彫りになる。 ストレスを発散したい学生が服を脱いで、芝生のハーバード・ヤードを全裸で一回り走る。 終わると、慌てて服を着て、勉強に戻る。 少ない場合は約二〇〇人、多い場合は四〇〇人位の人が参加する。 ほとんどの観客は彼らの同級生で、参加者の人数より三、四倍ぐらい多く、「トラック」(ハーバード・ヤードをトラックとして使用)の傍にぎっしりと並んでいる。 拍手したり、声を張って応援する者もいれば、カメラのレンズに収めようとする者もいる。 ランナーは写真に撮られたくないので、なるべく速く走る。 それでも、撮影されてすべてを見られるリスクはある。 このイベントはプライマル・スクリーム(原始的叫び)と言い、天気を問わず行われる。 ハーバードの春学期は五月から始まるので暖かいけれど、秋学期が一月に終わるので、摂氏マイナス一八度ぐらいの気温の中で走っているわけだ。 走り出したらわずか三、四分で、身体がすぐに温まるとランナーは言っている。 イベントの前後に、応援団が参加者にホット・ココアを注いであげて、彼らの凍死を防ごうとする。 初めてプライマル・スクリームを見に行った時に、色々な意味で驚かされた。 まず、前述したように、数百人の学生が同時に全裸になって、キャンパスの真ん中を走っていた。 第二に、人数の多さといい、走っているスピードといい、目の前を通っているランナーが男性なのか、女性なのかすら分からなかった。 最後に、真夜中にもかかわらず、街灯の下では、撮影するのに十分に明るかった。 こうした状況を気にせず、裸で走る学生は本当に勇ましいか、アホかどちらかだったに違いない。 ある年、冬のプライマル・スクリームで怪我人が一人出た。 私と同じ寮に住んでいる一回生で、片足に霜焼けができてしまっていた。 重傷ではなかったものの、二、三週間後に回復するまでは、松葉杖を使って歩いていた。 数百人の中で、彼だけが霜焼けになったということは、プライマル・スクリームではなくて、本人のやり方に問題があったということだ。 身体が冷えたのは、走り終わって服をすぐに見つけられなかったからだろう。 翌年度のプライマル・スクリームで、より大きな問題が起きた。 いつも通り、気温が氷点よりはるかに下がっており、イベントが始まる数時間前に、悪戯っ子が水をコースの一部に撒き散らしてしまっていた。 そこはランナーが走るカーブだった。 水が凍り、裸足でしかも全力で走っている学生がそこを通ったらどうなるのか想像して頂きたい。 当然ながら、邪魔のないコースを気持ちよく、勢いよく走っている学生は、突然氷を踏むと、スピードを落とす暇もなく、あちらこちらへ滑ってしまった。 その後続の人も二の舞を演じ、夜中のマラソンはあっという間にドミノ倒しと化した。 不幸中の幸いだったのは、最後のランナーだけが前の人の様子や叫び声に気が付いて、無事だったということだけだ。 このような事件があるのなら、プライマル・スクリームを禁止すべきだ」という意見があるだろう。 ところが、学生に表現の自由を与えすぎる方がろくに与えないよりはるかに良いと思われる。 次の例も考えてみることにしよう。 性的な虐待を受けたハーバード大生が年に一度集い、ダーティー・ランドリー・プロジェクト(汚い洗濯物のプロジェクト)に参加している。 これらの学生はハーバードに入ってからレイプされたとは限らないが、性的な虐待による痛みを何らかの形で表現したい、公にしたいという気持ちが共通している。 そこで、辛い思い出を古い服の上に書き、キャンパスの中心に高さ二メートルの竿をたくさん立て、竿と竿の間に紐をぶら下げ、自分の「ダーティー・ランドリー」を干してみせるのだ。 服の数は五〇~一〇〇までなので、参加者の人数もそのぐらいだろう。 「これはおかしい話だ。 こうしたって意味はないでしょう」という意見がある。 しかし、対策として、これほど役立つものはないかもしれない。 レイプされた人は、もし警察に通報した場合は、レイプの詳細までいろいろと聞かれることになり、最も思い出したくないことを赤の他人に話さなければならなくなってしまう。 被害者がそれは避けようと思うのは、当然のことと言えよう。 恥ずかしいから家族や友達にも言いたくないという場合は、結局、レイプに伴う肉体的かつ精神的な痛みを自分の力でしか処理できない。 その重荷をたった一人で抱えることは非常に辛いだろう。 しかも告発しなかったとすると、加害者は何の罰も受けないで済み、別の人に同じ酷いことをしかねない。 こうした状況の下で、被害者は絶望を抱くに違いない。 そこで、ダーティー・ランドリー・プロジェクトがある。 被害者はレイプの危険性について警告することで、コントロールを取り戻し、回復することができる。 サイエンス・ビルにも展示がある。 内容はダーティー・ランドリーに載っている言葉より大きく書いてあり、いずれにしても、読んだ人をぞっとさせる程物々しい。 サイエンス・ビルはハーバード・キャンパスで人の出入りが最も多い建物なので、その中で文章を公開することは、レイプの危険性を啓発させるのに大いに役立っているのだ。 こうした活動は、参加者にとっては治療の一種であり、読んだ人にとっては警告である。 プライマル・スクリームはダーティー・ランドリーと違って、啓発の役割はないけれど、その程度のことを許さないと、キャンパスはより危険になるかもしれない。 ハーバード大生がダーティー・ランドリー・プロジェクトをしないとしたら、レイプの危険性は伝わらないかもしれない。 もしプライマル・スクリームで走れないとしたら、ストレスの発散で危ない方法を用いてしまうかもしれない。 ハーバードは学生の表現の自由を尊重することで、キャンパスの安全性を高めている。 それと同時に、学生が情熱を込めて活躍するように促している。 学生は授業の中でも表現力を生かしている。 ハーバードを含めて、アメリカのほとんどの大学では、学生がディスカッションに積極的に参加しないと、成績は下がる。 また、奨学金を獲得することや、極端な場合は就職することさえ、困難になってしまう。 このため、基本的に授業で話したがらない人も、頑張って発言している。 非常に狭い意味では、学生が授業中にしたコメントは、発言者の口から出てきて聞き手の耳に入っていくと、痕跡なしに消失する。 しかし、それによる利益は軽視すべきではない。 一つの簡明なコメントだけで、たくさんの間違った意見を変えられるかもしれない。 すぐ変わらないとしても、そこで変わり始めるかもしれない。 より広い意味で考えると、学生が議論するかどうかは、後々、社会の繁栄に影響を与える。 つまり、議論の内容は何にせよ、学生はアイディアの交換に慣れているほど、将来、協力して社会の問題を解決してくれる。 学生時代から議論してきた人は、初対面の人とでも同じテーブルに座って、上手に交渉できるからだ。 もちろん、議論で出たすべてのコメントが勉強になるとは限らない。 しかし、根拠のない、論理に乏しいアイディアが筋の通ったアイディアに食いつぶされることでしか、人間文明は進化しない。 議論する習慣を培うのに、大学は最適な場所である。 なぜならば、違う育ちの学生が同じ教室に集まるからだ。 もう一つの理由は、知識を分かち合う習慣が若いうちにできると、一生、分かち合い続けるからだ。 逆に、学生が知的な議論に慣れないまま卒業してしまうと、就職先で同じチャンスが待っているとは限らない。 ハーバードの学生は一回生の時から、先輩と同じ授業を受けることがある。 私は入学した時には、議論が苦手だったので、先輩にはもちろん勝ち目はなかった。 自分の発言を論理的に証明しなければ、他の学生から激しく反論され、頬っぺたを赤らめることでしか返答できなかった。 これは恥ずかしかったし、悪い成績につながりそうだった。 しかし、議論の練習を重ね、自分が四回生になった時は、後輩の発言をより強い論理でひっくり返せるようになっていた。 私が反論した一人の後輩は、返す言葉を見つけず、真っ赤になった。 そこで、私は三年前の自分を思い出し、自分の知的な成長に気づかされた。 参加と成績がつながっていないとしたら、このように成熟していなかったかもしれない。 「ハーバードは志願者の表現力をどのように測っているのだろうか?なぜそんなに重視しているのか」と思われるかもしれない。 文字通り、表現力を入学の尺度として使っているわけではない。 ただし、志願者はパーソナル・エッセー(自分の人生や目的をテーマとしたエッセー)を要求されるし、面接を通らなければならない。 このため、表現力の乏しい生徒は絶対に受からない。 ハーバードは表現力そのものを重視しているのではなく、むしろ表現力に反映される自立心や議論する力を重視しているのだ。 人は自立心がなければ、リーダーになることはできない。 そして、議論できなければ、新発想を生むことで、社会を活性化させることもできない。 目次 「学長室を占拠せよ」 刑務所で行われる授業 入試で万点を取っても、落とされる ハーバードにしか受からないホームレス 入試ほど重要なのは、ベリーダンス? 政治犯を歓迎するハーバード 休講を歓迎する東大 女性が二割、Shall We 東大? 等々.

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アフリカの少数部族、それも裸族のありのままを撮るとなったとき、あなたは彼らと一緒に裸になれますか? いかにもクレイジーと言われてしまいそうな表現活動を続けるのは、フォトグラファーのヨシダナギさん(29歳)。 独学で写真を学び、2009年からアフリカでの撮影をスタート。 現在に至るまで様々な秘境や僻地で活動を続けています。 少数民族と「同じ格好」になって写真を撮るという、独特の撮影スタイルで注目を集めているナギさん。 自ら裸体になってアフリカの少数民族の撮影に入り込むことで、どんな世界が見えてくるのか、また彼女はどんな思いを抱いて写真を撮り続けているのか。 人気沸騰中のテレビ番組『クレイジージャーニー』(TBS系)に出演して話題をさらったジャーナリストの丸山ゴンザレス氏が聞き手となり、お話を伺いました。 大人になったらアフリカ人になれると思っていた 丸山ゴンザレスさん、ヨシダナギさん 丸山ゴンザレス(以下、丸山):そもそも、どうしてアフリカに興味を持ったんですか? ヨシダナギ(以下、ナギ):テレビ番組で見たマサイ族です。 文化交換をテーマにしたバラエティ番組だったんですけど、大きくなったらこの職業になりたいと思いました。 肌を黒くして槍を持って飛び跳ねる仕事があるんだなって。 大人になる前に肌の色を黄色・黒・白から選べると思っていて、お母さんに「いつ肌の色を選べるの?」と聞いたら「お前は日本人だよ」と言われて、「日本人って何だ?」と思って。 それでアフリカ人と日本人の違いを教えてもらって諦めたんです。 丸山:肌の黒さといえばガングロブームのときはまだ小さかったんですか? ナギ:19歳くらいの頃はヤマンバギャルでした。 礼儀正しい気弱なヤマンバ(笑)。 丸山:それはアフリカ人に近づきたくて? ナギ:黒い肌への憧れはすごくあったので、日本人だったらヤマンバになれるじゃないかと。 お父さんが帰宅したときにヤマンバで出迎えたら、荷物をポトンと落としてましたね(笑)。 それまでは容姿を一切誉めてくれたことが無かった父が、ヤマンバの私を見て「お前は素のままで十分かわいいよ」って、初めて私の容姿を誉めてくれたんです。 丸山:アフリカ人の中でも色白・色黒ってありますよね。 ナギ:彼らの中にも肌の明るさによって差別があるみたいです。 明るい方が格上で、炭みたいな黒とテカった黒ではまた階級が違うとか色々聞きます。 が、基本的に彼らは自分たちの黒い肌には誇りを持っているなと思います。 他のエリアでは起きないハプニングの刺激に病みつきに 丸山:なぜ現在の表現活動の場としてアフリカを選んでいるんですか? ナギ:小さい頃に抱いていた「アフリカ人になりたい」という夢はかなわないことに気がついちゃったんですが、やっぱりそれが初期衝動ですね。 それで実際に行ってみたらアジアとか他のエリアでは起きないようなハプニングが多くて、その刺激に病みつきになりました(笑)。 丸山:初めてアフリカに行ったのは何歳のときですか? ナギ:2009年なので23歳のときで、エジプトとエチオピアに行きました。 エチオピアには少数民族がたくさんいると聞いて、一度にたくさんの少数民族に会いたいなと思って行きました。 普通にそこら辺にいるアフリカの人たちはケラケラ陽気に笑っていてパワフルで、私が想像していたアフリカ人そのものでしたが、いざアフリカの少数民族に会ってみたら、思っていたのとは全く違うものでした。 少数民族の人たちはものすごくビジネスライクで、凄くガッカリしたというか、もどかしかったです。 丸山:ビジネスライクというのは観光産業化しているということ? ナギ:ちゃっちゃと写真を撮って早く帰れ、みたいな。 私はもっと触れ合いたいなと思っていたので彼らの笑顔が見れなかったことが残念でした。 「脱ぎたいんだけど」と言ったら「本気か?」と止められた 丸山:少数民族の写真を撮る時、「脱ぐ」というナギさんのスタイルはどうして生まれたんですか? ナギ:初めて少数民族に会いに行ったときは脱いでいないんです。 このスタイルを始めたのは2012年。 3回目のアフリカ渡航のときカメルーンの山岳地帯に暮らすコマ族の村で初めて脱ぎました。 丸山:そのときまでは脱ぐことは考えていなかった? ナギ:脱ぎたいとはずっと思っていたんですけど、英語が全くしゃべれなくて意思を伝えられなかったんです。 あと性格もシャイだったので。 言葉も言い出すタイミングもわからなかったので2回目の旅までは言えませんでした。 3回目はある程度意思疎通ができるレベルの語学力を身につけたので挑んでみました。 丸山:言葉の勉強をしていったんですか? それと彼らを相手に現場で「よし、脱いでやれ!」となった経緯を教えて下さい。 ナギ:勉強は嫌いなんで1回もしてないです(笑)。 現地でその都度英語を覚えていってワードが揃ったという感じです。 日本にいるときから「もし次、どこかで裸に近い格好をしている民族に会った時は脱いでみよう」と心に決めていて、それがたまたまコマ族だったんです。 計2人通訳がいました。 「脱ぎたいんだけど」と言ったら「お前、正気か?」と1回止められて。 「本気だから彼らに伝えて」とフランス語の通訳に言ってもらったら「本気か? やめとけ」と、コマ族の言語の通訳にまた止められて。 で、「いいから頼んでくれ!」とコマ族に伝えてもらったら「脱いでいいよ」ということになって、コマ族のおばちゃん達に囲まれて服を脱ぎました。 パンツまで脱いだらコマ族の歓迎の舞が始まった 丸山:そのときのまわりの反応はどうでしたか? ナギ:通訳2人はぶったまげてました。 「お前クレイジーか? 一体、何を言ってるんだ?」って。 少数民族の人たちも、まさか私がパンツまで脱ぐと思ってなかったみたいで、私がパンツを脱ごうとするたびに「パンツは脱がなくていい!」って手をはたかれて。 中途半端だし、パンツの柄を見られるのも恥ずかしいから何度も「脱ぐ!」って言っているのに「脱ぐな!」って言われるんです。 丸山:パンツの柄を見られる方がむしろ恥ずかしいと(笑)。 ナギ:そのとき私すごくファニーなパンツを履いていたので恥ずかしくて(笑)。 でもコマ族はパンツを脱がしてくれなくて。 だから大声で「パンツ脱ぎたい!」って通訳に聞こえる声で叫んで、彼らにその意思を伝えてもらって「じゃあ脱いでみな」となってパンツを脱いだら……コマ族の歓迎の舞が始まったんです。 丸山:向こうは冷やかしで来ていると思っていたんですね。 ナギ:そうみたいです。 パンツまでは脱がないだろうと。 コマ族の女性はみんな上半身裸でパンツも履いていないんです。 女性の裸は見慣れているはずなのに、現地では白人扱いの日本人女性が脱いだということに驚いたんでしょうね。 丸山:歓迎の舞が始まったということは、向こうにとっても衝撃的だったんですね。 ナギ:衝撃だったみたいです。 「白人はどこかで肌の黒い自分たちのことを見下している」というイメージがあるみたいで。 歓迎の舞はおばちゃん達だけじゃなく全員が踊ってくれて、長老からは「5番目の奥さんにならないか」ってアプローチをされました(笑)。 「潔い女は好きだ」って。 丸山:長老は何歳くらいですか? ナギ:年齢はわからないけど60歳は超えていたかな。 かわいいおじいちゃんでした。 丸山:申し出にはどう答えたんですか? ナギ:お断りしました。 いつも「来世でお願いします」って言うんです(笑)。 「お前のほうがアフリカ人だ」って言われます 丸山:コマ族の村での経験のあと、どういう活動に入っていったのでしょうか? ナギ:距離感の近い写真を撮るということが一筋縄ではできない人の心の中に入っていくため、彼らと同じ姿になる、同じことをやるということを始めました。 この手法なら世界中の少数民族と仲良くなれるので、第一人者になってやろうと思いました。 どれだけの少数民族にこの手が通じるのかやってみようかなと。 丸山:ナギさんがアフリカにこだわり続ける理由はなんでしょうか? ナギ:やっぱりアフリカ人ってカッコいいんです。 私にとっては常にハリウッドスターに囲まれているような感じです。 そんな憧れている人に「アイツすげえよな」って言われたら嬉しいじゃないですか。 彼らの特別になりたい。 彼らの魅力を伝える第一人者になりたいんです。 特に少数民族と呼ばれる人たちは直ぐに険しい顔をするので、表情を引き出すには心を開いてもらわないと無理なんですよ。 だからこの手法は大事かなと。 丸山:特に裸族にむけて外国人女性が脱ぐということは老若男女問わずウケるんですか? ナギ:服を着ている人からは驚かれたり、引かれたりしますけど、少数民族の人たちからは年齢性別関係なくウケます。 服を着ている人はちょっとエッチな目で見てきますね。 それか「コイツ、ぶっ飛んでるな」みたいな。 丸山:そういうときはどういう反応で返すんですか? ナギ:「もともと誇り高いアフリカ人の裸族の末裔なのになんで脱がないの?」って聞きますね。 そうすると「お前のほうが俺らよりもアフリカ人だ」って、絶対に言われますけど(笑)。 自分の写真がアフリカに興味が向くきっかけになってくれればいい 丸山:具体的にアフリカのどのような魅力を伝えていきたいのでしょうか? ナギ:そこに生きる人たちのパワフルさですね。 日本にいると戦争、貧困、エイズとネガティブなことばかり伝わってきますが、彼らの大半はそういう認識が全くないんですよ。 自分たちが貧乏だとも思っていないし、今の生活で満足しているし、自分たちが幸せだと思っているんです。 私たちが想像している「かわいそうな人たち」って、特に少数民族の中にはほぼ居ないんですよ。 だから彼らは自分たちにネガティブなイメージがついていることをすごく悲しんでいて「私たちは幸せなのに何でそういう風に言われているの? 私たちの本当の姿と意見を伝えてほしい」と、毎回彼らから頼まれるんです。 丸山:伝える手段として一緒に写真を撮っているわけですが、そのスタイルにこだわる理由を教えて下さい。 またほかの方法を考えていたりはしますか? ナギ:最初は普通にアフリカ人のポートレートを撮っていたのですが、それだけだと沢山の人に見てもらえないんですよ。 「いい表情してるね」って言われるくらいで。 一緒に裸になって撮った後の写真はやはり彼らの率先した協力や私への共感のある写真なので、迫力が違うんです。 そのようないい写真を撮る過程で、彼らと一緒に脱いだ写真もきっかけとなり、写真を見てくれた人たちが「アフリカって凄いじゃん。 カッコいい人たちがイッパイいるじゃん!」と繋がっていったので、この手法はありかなと思っています。 入口が裸の写真だったとしても、自分が撮ったカッコいいリアルなアフリカの人たちを見てもらえるキッカケとなるのであれば。

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