福留 ズームイン。 【コイン】ズームイン!!朝!の思い出何かありますか?【500枚!!!】

佐藤啓の「ご歓談ください」:中京テレビ アナウンスルーム » さよなら、ズームイン!!その13

福留 ズームイン

』がつく)、は『 スペシャル 今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』。 放送期間は第1回第1週から第17回第2週まで。 審査委員長や大会委員長などのスタッフについてはを参照。 『 アメリカ横断ウルトラクイズ』(アメリカおうだんウルトラクイズ)は、で全17回開催・放送されたの。 略称は「 ウルトラクイズ」あるいは「 ウルトラ」。 表記は" TRANS AMERICA ULTRA QUIZ"である。 なお、には" TRANS AM ULTRA QUIZ"と表記された。 (52年)、『』枠で日本テレビ開局25年記念番組として放送された。 翌年からレギュラー化し、年に1回制作、毎年10月下旬から12月上旬頃に放送された。 番組名は『 史上最大! (4年)の第16回を最後に終了となったが、(平成10年)日本テレビ開局45年記念番組『 スペシャル 今世紀最後!! 史上最大! 番組名の「アメリカ」とはという意味であり、(米国)のみを指したものではない。 概要 [ ] 各地から集まった挑戦者たちが「 知力、体力、時の運」を合言葉に広大なアメリカ大陸を横断しながら1,000問以上に及ぶに挑戦し、を目指すという番組。 企画段階での名称は「世界をバスで横断・ジャンボクイズ大会」であり 、最初はを横断して敗者はその場で置いて行くというアイデアだけだったが、「でっかくいこう」ということでアメリカ横断という企画に変わった。 また、本番組の総合プロデューサー、審査委員長を務めたは、他のクイズ番組にもありがちな、頭の良い者が普通に勝っていくだけの番組になるのを嫌い、体力系クイズも取り入れたり予選でジャンケンでアメリカ行きを決めたりするなどの新しい試みを採用したり、また敗者によりスポットが当たる番組にしようと考えた。 旅の途中「チェックポイント」と呼ばれる各地で風土や名所などに合ったクイズを行い、勝ち抜ければ次のチェックポイントに進み、敗れると現地で厳しいを受けた後、日本へ強制送還される。 は4年生から可。 他にも細かい規定があった)。 (昭和62年)に第24回特別賞 と第4回賞優秀賞を 、翌年には第25回ギャラクシー賞25周年記念特別賞ユーモア賞を受賞。 (ギネスブック)には「世界で最も制作費のかかったクイズ番組」として記載された。 2014年6月にCSので初めて第12回が再放送され(ただしCMと提供クレジットの部分は全部カットされ、第4週の第9チェックポイント・サンパウロのクイズ本編にも、一部カットされた箇所がある)、また進行役だったが関係者をゲストに迎え、放送当時を振り返るオリジナル番組「今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集」(全3回)も制作された(この「史上最大! なお、日本テレビでは、オンエアテープ以外の映像資料については、同社がから汐留社屋に移転した際、新社屋に保管場所がないとの理由で全て破棄したため現存していないという。 番組タイトルが出る場面のファンファーレは「Zach's Fanfare 2(ザックのファンファーレ 2)」の終盤の部分、番組のテーマ曲は「Theme From Star Trek (のテーマ)」に「The Cheshire Cat Walk(チシャ猫のウォーク)」の終わりの部分を組み合わせたもの。 番組の移り変わり [ ] 番組初期((昭和52年)-(昭和60年))は、日本国外へ脱出できた挑戦者の大半が初体験であったが、番組開始年の1977年には年間315万人強だった日本人の海外旅行者数が、番組末期のには番組開始時の3倍を超える年間1000万人超となり 、時代の変化とともに海外旅行が庶民にも比較的容易に手に入る娯楽となったことで、相対的に挑戦者たちの驚きの価値は下がっていった。 とはいえ番組中期以降((昭和61年)-(平成4年))は、通常の海外旅行では行くことが困難な場所をルートとして選択するようになり、スケールを維持した。 初回から番組名には「史上最大! 」とうたっており、第1回は応募総数4,188名に対し実際の参加者は404名という、当時のクイズ番組の予選としてはかなり大規模であった。 当初の第一次予選会場のでも1塁側スタンドの一角で行っていたが、回を重ねるごとに参加者は増え続け、(昭和58年)の第7回では初めて1万名を、(昭和63年)の第12回では2万名を突破した。 しかし莫大な制作費に加え、第10回をピークにが徐々に下落していったことなどの問題により、(平成4年)の第16回の放送を最後にレギュラー開催の終了が決定した。 その後(平成10年)に、日本テレビ開局45年記念番組として単発で復活。 この大会では年齢制限を撤廃し、過去最多の50,453名が参加。 応募総数は7万名を超え、実に2万名を超える人々が第一次予選会場のに入ることができなかった。 これ以降も番組の復活が何度か検討されたことがあるが、の事件以降国際情勢が大きく変化したこともあり、実現には至っていない。 番組の特徴 [ ] 本番組の影響を受けた番組も多数生まれた(を参照)。 しかし、大人数を日本国外に集めてクイズを行う形式を踏襲した例はごく少ない。 他局は真似しようにも、どうしても出国手続だけで1日費やしてしまい、できなかったのである。 そのノウハウとは、のウルトラクイズ担当者によると、「成田(第1回のみ羽田)空港行きが決まった人全員分の決勝地までのチケット取得と出国手続きをジャンケン前に完全に済ませておき、ジャンケンに負けた人の分をその場でキャンセルする」という手法であったという。 これは成田だけではなく、チケットは全員分決勝地まで用意しており、敗者が出るたびにキャンセルし 、その差額分は引換券にして払い戻していた。 なお、誰が敗者になるか大体予想がついた場合は次の目的地のホテルで結果が出る前にその人の名前を外してみたところ、その通りの結果になったことがあったという。 日本テレビ側のきちんとした主旨の説明、旅行代理店側の腕、航空会社や空港スタッフ側による番組の主旨への寛大な理解と協力が必要であった(最初の頃は先方の通常の業務を超えていたこともあって嫌な顔をされたこともあったが、ウルトラクイズのことが知れ渡ると「あの番組のことだから」と徐々に理解を示されるようになっていったという )。 番組の画的にも、時の運に翻弄される一喜一憂の表情が濃く現れることになった。 独自の演出 [ ] タイトルは「クイズ」であっても、単にクイズの優勝者「クイズ王」を決めるためだけの番組ではなく、普通の人々が突然アメリカなどの広大な自然や冒険・難局に直面したときの表情、挑戦者同士の触れ合いなど、人間ドラマを色濃く描かれた演出が特徴的であった。 番組の主眼は挑戦者の人間模様、クイズに敗れた敗者にあり、「クイズ形式の人間」というコンセプトがあった。 番組で共に旅したのを機に、挑戦者同士がその後も何らかの形で交流を続けるようになったケースも多く、挑戦者同士がしたケースもある。 各クイズ後、勝者と敗者はすぐ引き離される ため、クイズを行う時は挑戦者は必ず自分の荷物を傍らに運び込んでおく必要があった。 これは、あくまで旅の途上との演出も兼ね備えていた。 勝者が敗者の行う敗者復活や罰ゲームなどと鉢合わせしないよう、観光という形で隔離することもあった。 各チェックポイントにおいて失格または以外の挑戦者本人の意思による自主的なは認められていない(ウルトラクイズ参加規定に明記されている。 第7回では急病(尿管結石)によるドクターストップのため、挑戦者1名がカナダでリタイアとなった)。 基本的に挑戦者はいつクイズを行うかは直前まで知らされず、たとえクイズの合間の観光に見えても、自分の荷物を持たされている限りいつクイズが始まるかわからない状態であった。 風光明媚な土地などでは、挑戦者を驚かせるため、クイズ会場までをしたまま移動させることもあった。 このようなシビアな条件が極限状況を生み出し、挑戦者同士の連帯感を生む要素ともなった。 機材の撤収や敗者への罰ゲームの収録を行う関係もあり、クイズの収録は午前中に行われることが多かったという。 また、1日で複数のチェックポイントでのクイズの収録を行うこともあった。 は番組当初から、挑戦者の人間模様にも焦点を当てるために、恋人や婚約者の名前、家族構成や勤務先 などといったプライベートなことを聞き出し、番組の中で効果的に披露していた。 優勝賞品はインパクト重視で、優勝賞品発表時の言葉から発せられるイメージと実物を見た瞬間のギャップが一つの見せ場となっていた。 価値は100万円相当のものから無料同然のものまで年によってまちまちであり、実体も風変わりなものばかりであった。 これは番組放送期間を含む1971年から1996年まで、が100万円に制限されていたことに加え、番組では東京からニューヨークまでの旅費も景品相当と解釈されていたためである。 しかしながら比較的まともな賞品が進呈されたこともあり、「世界一周旅行」など日常では経験できないような賞品が用意されたり、優勝したニューヨークに家族を呼び寄せ高級ホテルに宿泊する権利が賞品となったこともある。 なお、本クイズの優勝者に与えられるのは賞品のみで賞金は一切出なかった。 回やチェックポイントによっては、勝者と敗者復活者などで食事などのランクに格差がつけられた場合もあった。 このほか、特別版として(昭和57年)に『ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦』が日本国内で開催された。 開催地 [ ] 各回のルート図 各回毎に、グァムからニューヨークまでのルートは異なっているのが特徴である。 予選以外では、アメリカ横断ウルトラクイズのタイトル通りにアメリカ大陸を横断するのが基本的なスタイルであることから、主な舞台であるアメリカ合衆国のほか、第4回では自治連邦区、第5回以降は、、、、(本国および)、、、、、、、と、第10回の第1チェックポイントのみ日本(成田空港での搭乗時に出題されたクイズ)の合計15か国と1地域でクイズが実施された。 クイズ開催国の中で第10回のボリビアと第15回のドミニカ共和国には福留は訪れていない。 これは第10回の南北コース分岐で福留は北米コース担当でボリビアとブラジルを訪問した南米コースは日高が担当 、第15回のドミニカは福留引退後の大会で上陸したためである。 日本国外で最も多くクイズが開催された場所は「クイズの都」ことであり、全大会においてクイズが行われた。 その次に多く開催された場所はアメリカ最初のチェックポイントであると(ともに13大会)。 アメリカ本土では、上陸後最初のチェックポイントとなることが多かった(9大会)および(7大会)となっている。 アメリカ合衆国の州別で見てみると、の次に多く訪れたのは、上記の通り本土上陸後最初のチェックポイントになることの多かった西海岸のである(全17回中、第14回を除く16大会)。 テレビ放送 [ ] テレビ放送は、第1回から第16回まで、当時木曜日に放送されていた『』で毎年10月下旬から12月上旬の間に、複数の週をまたいで放送されていた。 第1回は2週(当初は1週のみの放送予定が2週に拡大)、第2回から第4回までは3週、第5回から第11回まで、ならびに第15回と第16回は4週、第12回から第14回までは5週に分けて放送された(第9回から第11回までは『木曜スペシャル』の放送時間が19時からの2時間枠、そのほかの回は19時30分からの1時間30分枠だった )。 関東地区では、第3回以後本放送直後に『』で再放送された。 地方では年末に再放送が行われることもあった。 また1980年(第4回開催)より大会開催の直前 にも、『ビッグサタデー』で前回大会のダイジェスト版を放映した。 ただし第1回は、第2回放送直前の(昭和53年)との2週にわたって『ビッグサタデー』で再放送、本大会放送前に通常形式で再放送する珍しいやり方だった。 「史上最大の敗者復活戦」は(昭和57年)(金・大晦日)に、3時間半で放送された。 視聴率は、第7回(4週目)で歴代最高の38. 関連番組 [ ] 史上最大の傑作選 [ ] 第10回開催前に『アメリカ横断ウルトラクイズ 史上最大の傑作選 必勝! 虎の巻』が(昭和61年)に放送された。 これはもともと、木曜日の後楽園球場ナイター中継が雨天中止になった時のための()だった。 出演者は、・石川牧子・・・・日高直人の6名(小林と日高は後から参加)。 また観客の中には過去の挑戦者が何名か入っていた。 内容は次の通り。 プロローグ 機内ペーパークイズ敗者にグァムの神父が慰める(第8回)、グァムの奇襲クイズで「ウルトラクイズは信じちゃいけない」とぼやく挑戦者(第8回)、徳光和夫の成田空港での時事ネタシュプレヒコール()を放送。 第1次国内予選の歴史 徳光和夫の日本人ウオッチング 第1次・第2次国内予選における挑戦者の人間模様を放送。 このコーナーのみナレーションは徳光。 罰ゲーム傑作選 出演者別に、特に印象深かった罰ゲームを紹介。 徳光は「屈辱的なシールを貼られて日焼け」(第7回ハワイ)、小林は「猛特訓して紙の船で帰る」(第7回レイクパウエル)、福留は「ランニングマシンを背負って空港へ」(第7回セントルイス)、石川は「マジック・マウンテンの絶叫アトラクション『フリーフォール』に乗らされる」(第6回ロサンゼルス)、高島は「のボクシングのスパークリング」(第8回フィラデルフィア)と「闘牛」(第5回メキシコシティ)。 第5回ノックスビル・通せんぼクイズ 挑戦者の不運と運 第2回成田のじゃんけんでストレート負けし徳光とのじゃんけんにも負け、その4年後の第6回成田でもストレート負けした挙句徳光にも負けた挑戦者、第1回のハワイでクイズ王・松尾清三に負け、2年後の第3回のハワイでもクイズ王・宗田利八郎に負けた挑戦者、そして第4回成田でじゃんけん相手からをもらい、どんどん勝ち進んでクイズ王になった第4代クイズ王・上田由美を放送。 番外編 第4回で機内ペーパークイズ最下位挑戦者が敗者復活者と入れ替わり、サイパンに置き去りにされる、勝ち抜け者があまりに寒くてバンザイ出来ない(第2回デンバー)、第9回の優勝賞品「潜水艦」など。 アメリカ横断ウルトラクイズ ㊙密着ドキュメント』が14:00 - 15:25枠(『日曜特番』枠)で放送された。 この他、第12回第2夜が放送される1988年(昭和63年)11月10日には、直前の19:00で放送されている帯情報番組『』で、番宣を兼ねて第12回の舞台裏を見せた「ウルトラクイズうらのうら」が放送された。 には『』の日曜早朝枠 4:00 - 6:43 内で、「福留功男の人生を変えた人」という企画で当番組のプロデューサーだったのことや番組の模様が流れ、その後の出演者の提案で番組の裏側などをクイズにした『アメリカ横断ウルトラクイズのクイズ』と題した企画が放送された。 また、同じスタジオにいた徳光和夫も当時の敗者の味方「徳光ピコピコハンマー」役をやらされ、この年の番組パーソナリティで回答者役のに叩かれた。 系列局での放送 [ ] 大会初期の頃は日本テレビのフルネット局が現在より少なかったため、や他系列の局で数週遅れで放送していた地域もあった。 また都合により、放送が第16回以前で打ち切られる局もあった。 では、第1回は(TBS系)と(フジテレビ系)の2局しか存在しなかったため、静岡放送で当時土曜日の午後から放送されていた「ウィークエンドスペシャル」の番組枠内で放送された。 第2回はその年の7月に開局した静岡けんみんテレビ(後の。 1年間限定で系列とのクロスネット局)で放送。 第3回以降はでの放送となった。 では開局前は、当時フジテレビ系列とテレビ朝日系列とのトリプルネット局だった新潟総合テレビ(現・)で年末に集中放送を行っていた。 では開局前の(平成元年)(第13回)まで、(フジテレビ系)で土曜・日曜の午後などに時差放送を行っていた。 その年の年末に放送される場合が多かったが、晩年には翌年の放送になった年もあった。 のでは、当時テレビ朝日系列主体のクロスネット局であったため、(昭和62年)秋の改編で『』を同時ネットすることになり、第11回の放送直前に『木曜スペシャル』を『土曜スペシャル』と改題した上土曜午後に遅れネットで放送した。 これは開局による、テレビ朝日系脱退・日本テレビ系への一本化(事実上のネットチェンジ)まで続いた。 では、NNNクロスネット局のにより、日曜16時の『サンデープレゼント』枠で1時間半放送されていたため、番組最後のキャッチフレーズ「早く来い来い木曜日」の意味が不明な視聴者がいたという。 なお、第12回大会の放送において、5週連続放送分の第4週目「南米編」の放送が丸々カットされ、次の放送時には突如チェックポイントがに移り、10人だった参加者が6人に減るという事態になったという。 翌年の第13回大会に至っては放送すらされていない。 では、レギュラー開催時はが未開局のため、当初系列外の(TBS系)で放送され、その後フジテレビ系列とのクロスネット局だったで放送された(の開局で、テレビ朝日系の番組が同局に移動したため。 その後鹿児島テレビの番組編成は、フジテレビよりも日本テレビの番組を主体とする状態が続いた)。 日本テレビ系列局が存在しないでは、(フジテレビ系)で、主に年末の土曜の午後に放送されたが、第8回と第9回は(TBS系)が『木曜スペシャル』を同時ネットしていたため、同局で放送された。 CSでの放送 [ ] 近年、CSのにて再放送が行われている。 初めて再放送が行われたのは2014年6月、第12回大会の模様が3週に渡って放送された。 また、全3回で小倉淳が聞き手となり、番組スタッフや第12回大会の優勝者を含む出場者4人が出演し、ウルトラクイズの裏話などを明かす「今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集」が併せて放送された。 放送時間は各回10分であるが、ファミリー劇場の番組ホームページでは各回20分以上のスペシャルロングバージョンがアップされている。 ただし、第12回ではゲスト出演者側に関する事情のため一部がカットされている。 2015年1月〜2月には、第13回大会の模様が5週に渡って再放送された。 また各週の再放送後には、全5回で小倉淳が聞き手となり国内レポーターの徳光和夫と渡辺正行や番組スタッフ、第13回大会の出場者の4人が出演し、ウルトラクイズの裏話を明かす「今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集 PARTII」が併せて放送された。 こちらの放送時間は各回30分となっている。 2015年7月には、第11回大会が再放送された。 この第11回の再放送では「丸秘証言集」の放送は無い(2016年5月にも再放送された)。 2016年7月には第7回大会が再放送された。 2017年5月には第8回大会、6月には第16回大会が再放送された(7回・8回・16回は視聴率の向上を図るため形式を採用)。 視聴率は関東地区、調べ。 決勝地を含み、国内予選は含まない。 片ルートのみで計算した場合は15チェックポイントとなる。 しかし、回を重ねるにつれて挑戦者とともにニューヨークを目指し、「アメリカ横断ウルトラクイズ」という旅の実質的な進行を行う「出題・(海外)リポーター」が番組の主軸をなす意味合いが強まっていった。 また、第13回、第14回、第16回はスタジオパートが無く「総合司会」が設置されなかったり、福留が本番組の海外ロケの為に「総合司会」をしていた日本テレビの看板番組『』を長期間離れたりしている点から見ても、 余計に世間一般にも本番組で言われる「総合司会」が軽じられているのは否めない。 予選開催時の基本フレーズは「みんな! ニューヨークへ行きたいかーっ!! 」「どんなことをしても、ニューヨークへ行きたいか!! 」「罰ゲームは怖くないかーっ!! 」であった。 他にも、罰ゲームを行う敗者に対して「何か言い残す事は!? 」、どろんこクイズで間違えた解答者に対する「そんなわけねぇだろ!! 」、念を押す時の「ただ、し! 」などの名台詞があった。 番組開始当時は35歳の中堅アナウンサーで、『』や単発番組のナレーションを担当していた。 局側から「アナウンサーならば1か月ロケ分のがかからないし、経費節減になる」との理由で選任されたが、当時クイズ番組の常識とみられていた「主観的な進行と客観的な出題は別人の役割」という概念を覆し、進行と出題を一人でこなす技術を編み出したことで、一躍本番組の看板人物かつ日本テレビの主力アナウンサーとなった。 司会ぶりが評価され、1986年に第23回・選奨を受賞。 (平成3年)の第15回(福留が日本テレビを退社した年)で、前年に胆石の手術をした影響もあり、「体力の限界」を理由に第1問正解発表をもって勇退し(を参照)、後述の福澤に後を託した。 ウルトラクイズ」の異名が付けられた。 勇退後の同年、自身がメインキャスター(2代目)を務める『』に出演、冒頭「例年ですと今頃、成田でジャンケンをやっている頃です」、「もう、半分敗者が出た頃です」、「15年振りに9月に日本にいるのは最高です」と上機嫌であいさつしており、同じ頃の「」でも、福澤と挑戦者たちが第二次予選「ジャンケン」を一旦中断して様子を見ていた。 初期は明朗活発に振舞っていたが、カメラの回っていない時や中期以降は冷静さも垣間見せ、挑戦者に対しても「お前、いいチャンスだから力を発揮しろよ」とのごとく冷静なアドバイスをしていた。 出題する際、必ず「問題」と言ってから問題文を読む(これは福澤にも継承されている)。 第2回では準決勝(ボストン)を放送する前にスタジオに現れ、準決勝のクイズ「熱気球ダウンアップクイズ」の様子がボストンの新聞に掲載された事を、総合司会の高島と石川に教えた。 国外リポーターが「クイズ王の凱旋入場」以外でスタジオに来たのは、これが唯一である。 第15回の第2問以降と第16回の全編を担当。 決まり文句は「ニューヨークへジャストミート!! 「ジャストミート」の文句は当時かなりインパクトがあり、1991年12月13日に で放送された『1億2000万人の流行語大賞II』(『』)でも、第15回の第一次予選で福澤が登場する場面と共に放送された。 就任前の第1夜OPでは「出題・海外リポーター」は福留がクレジットされ、福澤はノンクレジット(新総合司会の小倉淳アナと永井美奈子アナはクレジット)、ナレーションもOPを含め福留勇退までは福留が担当し、福澤就任後は福澤に変更された。 就任当時は入社4年目の28歳で、『』の実況などで徐々に知名度と評判を上げていた。 同年『』も福留から引き継いだ。 後年、日本テレビ退社時の会見やインタビューなどで本番組の進行を福留から引き継いだことに大きなプレッシャーと辛さを感じていたことを明かした。 それとともに「メモリアルな仕事」だとも述べ、番組への深い思い入れを語った。 司会の際に着用するブレザーは彼のみ赤色だった。 総合司会(スタジオ司会) [ ] スタジオでの番組全体の進行を担当した。 詳しくはを参照。 第1回-第12回• (第1回1週目ではアシスタント。 第4回では後楽園球場スタンドのリポーター 、第7、8回ではツアー同行アナウンサーも務めていた)• (第1回2週目のみ) 第15回• 国内リポーター(敗者の味方) [ ] 国内予選会場(後楽園球場、東京ドーム、成田(羽田)空港)で、敗者へのインタビューを行いつつ、ヘルメットをかぶり、敗者たちに玩具ので叩かれる役 を毎回こなした。 シュプレヒコールは、「お前たちは日本の恥部だ!」「俺達の青春を返せ!」「日本テレビはもう見ないぞ!」「でやれ!」などのほか、「今日から三週間は、天中殺だぞ!」(第3回。 ブーム)、「対日感情は良くないぞ!」(第4回。 ) 、「お前たちが泊まるホテルにはが付いてない!」「おまえらの泊まるホテルの社長は蝶ネクタイだぞ!」(第6回。 )、「舳先は今に向かったぞ!」(第7回。。 グァム出発日のわずか3日前に発生)、「涅槃で待ってろ!」(第7回。 の遺書)、「お前たちの機内食はだ!」(第8回。 辛子蓮根食中毒事件)、「ジャンケンで勝ったお前達は、疑惑の勝利者だ! 」「お前達の帰り道は、フルハムロードだぞ!」(第8回。 疑惑の銃弾・)、「アメリカはの国だ!」(第9回。 エイズウイルス発見)といった時事絡みのが多かった。 第5回では、「」の替え歌「動悸の錯乱」を全員で歌ったこともある。 敗者の味方としての徳光の出演と敗者にピコピコハンマーで徳光を叩かせる演出は、第1回開催直前に急遽決まった。 徳光によれば「日本テレビの代表として、一番露出度が高いお前さんが殴られるしかない」と言われて引き受けたとのことである。 先述の成田空港でのほか、第5回で第一次国内予選を突破した第3回クイズ王・宗田利八郎に対して「あんな顔のどこに知性があるんだ?」と叫んだかと思えば、第6回で交通渋滞ゆえに第一次予選に間に合わなかった挑戦者に「そのへんにすればよかったのに」、第8回の第一次予選で「バストの大きな人は胸のレントゲン写真の写りが悪い」の問題に落ちた女性挑戦者に「に気を付けて」と言ったこともある。 第7回から第10回までは体調不良()のため、ピコピコハンマー叩きは少なく、その分全身落書きがあった。 第10回のみグァムの空港まで同行していた(ただし敗者機側)。 国内リポーターが国外に行った唯一の例である。 第11回では助手の日高直人を連れ、男性挑戦者に叩かれる際には日高が代わりに叩かれた。 第11回は敗者復活 名古屋縦断ミニトラクイズを断行。 成田からまで飛び、の前までバスと列車(第2チェックポイントと列車乗車部分は本放送ではカットされた)を乗り継ぎ、当時小牧駅前にあったパチンコ店「ニューヨーク」で2000発以上獲得でグアム行きとなるという、これまでにはなかった敗者復活を担当。 店前では出題、店内ではクイズ実況と終了後のアナウンスも担当している。 第12回と第13回ではから参加の一挑戦者として東京ドームの第一次予選に参加。 第13回では第一問を突破しグラウンドに降りたが、予選通過は果たせなかった。 第12回で敗れ去った際には、後任である渡辺に自らが番組で使い続けてきたヘルメットを譲り渡し(それまで渡辺はヘルメットなしで叩かれていた)ピコハン叩きも行った。 第14回は『』出演のため参加できなかった。 ただし当時57歳という高齢を理由に、ほとんどの叩かれ役を若手アナの菅谷大介に任せた。 なお久々の成田シュプレヒコールは、時期ネタは「監督も責任を取って丸坊主になりました。 罰ゲームは丸坊主だ! 」「がんばれよー! 」との台詞で締めた。 (第12回 - 第16回)• 福留がの先輩にあたるため、言いくるめられることが多かった(言いくるめられて裏切ったこともある)。 成田では時に新ルールを提案したりしていた徳光とは対照的に、常に全員通過で押し通していた。 敗者復活がなくなった第15回ではジャンケンの敗者に対し、余興としての菓子「ジャック」(販売終了)のCMの替え歌を披露した。 また第16回で成田では、福澤に「今年も来たな、豆親父!」と言われ、「マメー」と返していた。 これも当時の「ジャック」のCMネタである。 成田の勝者に対するシュプレヒコールでは、徳光と異なり、ほとんど自虐的なシュプレヒコールを展開した。 着用するブレザーは常に青色だった。 第15回・第16回で共演した福澤とは、レギュラー開催が終了したあとの1994年、当時日本テレビの看板クイズ番組であった『』で、福澤が前年逝去した初代司会者・の後任司会者に就任したことで再び共演を果たした。 国内リポーター(その他) [ ] 国内予選で登場したが、その役目は主に徳光や渡辺とともに敗者にピコポンハンマーで叩かれる役回りである。 海外リポーターとの兼任はここでは除外する。 日高直人(第11回)• (第15回)• 第13回・第14回では敗者予想も行った。 石川牧子(第7回・第8回) - OA分出番無し。 第7回グァムでは、泥んこプールに飛び込んでいる。 この場面は『史上最大の傑作選』で初放送された。 日高直人(第9回・第10回) - 主にクイズのルールやペナルティの実演・罰ゲームの実験台を担当し、福留からよくからかわれる存在であった。 第10回では南米ルートの出題も担当。 (第11回) - ハワイで罰ゲームのマラソンクイズの出題役、ロサンゼルスでルーレット係、マイアミでエバーグレース大湿原での実況を担当。 名古屋敗者復活者の機内ペーパークイズ試験官も行った。 小倉淳(第12回-第14回) - 主に福留が参加できない状況下での進行役や「二重音声クイズ」の出題を担当、第12回と第14回では賞品地のリポートも行った。 鈴木健(第14回) - 予興クイズの出題を担当していた。 福留未到着の場合に備え、現地に先乗りしてスタンバイしていた。 コンピュータ予想 [ ] 日本テレビのコンピュータルームにおいて、次のチェックポイントで失格となる挑戦者や、決勝戦で優勝する挑戦者の予想をを用いて行った。 後期の大会ではCGを使ったミニゲームも取りいれられた。 を参照。 徳光和夫(第1回・第2回・第4回・第8回-第11回)• (第3回・第6回)• (第5回・第7回)• 小倉淳(第13回・第14回)• 鈴木健(第14回・第16回)• 協力:米国商務省観光局、、、、、神本プランニング(第15回まで)ほか• 審査委員長:(第1回-第5回)、(第6回-第10回)、高橋靖二(第11回-第16回)• 大会委員長:北川信(第11回)、(第12回)、高橋久仁(第13回・第14回)、太田杜夫(第15回・第16回)• 企画:山崎将暉(第1回-第7回)• 構成:、望月敏、わたなべ研一、田淵寛、松井尚、、原田俊弥、堀越詔彦、折戸泰二郎、本田泰、三木睦郎、岩沢景子、、、稲原誠、西田秀城、松村幸子、弓場伸治ほか• 音楽:、吉田邦夫(共に第16回のみ)• 問題作成:テレピットほか• イラスト:くどう昭• 技術:後藤勝彦• 撮影:川田正幸、金子二三夫、黒澤清図、深山健一郎、木村祐一郎ほか• 編集:坂内三容、照井教全、弓削とよ、米山内順子、鈴木教全、馬場勝• 音効:岩味潔、高橋柳太郎、塚田益章、岡田貴志、塩屋吉絵、渡辺直子• 演出:日比野研、土橋正道、、加藤義人、、、篠崎安雄、雨宮秀彦、仲川陽介、稲垣昭彦、山根真吾、竹内満、保坂秀司、碓田千加志、喜園伸一、狩野英一、及川直浩、浜崎裕二、箕野ちえみ、、松崎聡男、川野真、小路丸哲也、勝田晃生、長嶺正俊、下山元、渡辺明、清博、大塚歩、細野雅人ほか• プロデューサー:佐藤孝吉、重延浩、佐藤利明、高村裕、秋原道也、白井博、鶴野徹太郎、井上雅子、倉内均、武藤幸恵、小野毅、高橋靖二、篠崎安雄、神成尚亮、、廣田潤、下苧坪洋彦、チャールス・リー、稲塚秀孝、青海鉄山、安藤正臣ほか• なお、ここでは最もなパターンのみを記し、例外は極力省く。 クイズの詳細については を参照。 「アメリカ横断ウルトラクイズ」はアメリカに旅立つ前にまず、日本国内における予選から始まる。 8月中旬ごろ、日本各地から大会に応募した挑戦者たちはにある予選会場(第11回まで、第12回以降)に集合。 8月末から9月初旬ごろ、第一次予選を通過した挑戦者たちは、海外旅行用の荷物を持って日本テレビ本社に集合し、ここから決勝地に向けての旅が始まる。 翌朝、内の、(第1回は成田開港前だったため内の。 ここでの予選を通過して、挑戦者はようやく国外へ向かう飛行機に乗ることができる。 ここで予選が終わり、本選に突入する。 本選ではまずまたはへ向かう飛行機内で第1チェックポイント(機内ペーパークイズ)が行われ、以降、決勝地にたどり着くまで、10-15前後のチェックポイントでクイズが行われる。 クイズで一定条件を満たせば勝ち抜け次のチェックポイントへ進むことができる。 敗れると失格となり、罰ゲームを受けて日本へ送還される。 第2・第3チェックポイントはほとんどの場合グアム、サイパン、といったアメリカ西部の離島で行われ、全体の半数近くが一度に敗者とされることも多い。 敗退者が多すぎた場合、 第3回と第15回では敗者復活戦はなし 、勝者が多すぎた場合勝者決定戦が行われる。 やがて人数が10-20名に絞られたところで本土に上陸。 準決勝までの各チェックポイントではバラエティに富んだクイズが行われる。 敗者は1回のチェックポイントにつき、おおむね1名から2名 となる。 敗者への罰ゲームも本格的に行われる。 挑戦者の人数が2名(第11回のみ特例で3名)にまで絞られると、最後のクイズ会場で決勝戦が行われ、ここでの勝利者が優勝、「 」となる。 クイズ王となった者はが授与され 、賞品地へおもむき、優勝賞品を受け取ったあと日本へ帰国する。 以上が1回ごとの大会の大まかな流れである。 日本テレビを出発してから優勝者がするまでの行程は3週間から1か月ほどであった。 使用機材 [ ] ほぼ全編が海外ロケの本番組では、以下に挙げるような機材が使われた。 早押しテーブル [ ] 解答席「早押しテーブル」は、金属製・もしくは木製の折りたたみ式のものが使用された。 テーブル上には解答者が問題に答えるときのと早押し(後述)が設置された。 マイクについているウインドスクリーンは後述の早押しハットと同色のものが使われた。 早押しクイズだけでなく、三択クイズやリレークイズなど大多数の個人戦クイズで使用された。 早押しテーブルは挑戦者の人数分横一列に並べられたが、残り人数10名以上の段階では2段に分けて配置されることもあった。 挑戦者は第1回を除き原則として、カメラから向かって左側の席から(2段の場合は下段が先。 ただし初期は上段が先の回もあった)挑戦者番号の若い順に着席した。 リレークイズなどではあらかじめ抽選などで席順を決めた場合もあった。 準決勝での通せんぼクイズ 通過クイズ の通過席は、"今世紀最後"を除いて起立式のテーブルが使用された "今世紀最後"では挑戦者が目隠しをしていたためその場に起立していた。 デザインは基本的に濃紺に近い青色を基調としていた。 デザインの移り変わりは次のとおり。 第1回は青一色のテーブルに、番組シンボルマークである「? 」マーク、「アメリカ横断」、「ウルトラクイズ」のが別々にそれぞれ白地に赤い文字でステッカーで貼られており、マイクはテーブルの外から一般的なマイクスタンドを使って取り付けていた。 ハワイと決勝以外では卓上右には紙製の得点盤が置かれ、解答ごとにスタッフの手で操作していた。 第2回では水色と白のテーブルが交互に並べられ、テーブル上部に「? 」マーク、下部にロゴが直接ペイントされ得点板は撤去された。 得点表示の長四角の枠、数字や符号の文字の大きさも、回によって微妙に異なっていた。 第3回以降は青地のテーブルの下部に太く白いラインが入り、ライン上に赤字で番組ロゴが、青い部分に「? 」マークが描かれたものが使用され、以降このデザインが定着した。 細かなデザインや色は各回で微妙に異なる。 第8回からは「? 」マーク周辺に星が彩られるようになった。 なお『史上最大の敗者復活戦』で使われたテーブルもこれと同じだが、下のロゴが「ウルトラクイズ」、「史上最大の敗者復活戦」に変更されていた。 第9回の決勝ではフランス国旗になぞらえて、本番組のロゴの下の部分が赤い色になっていた。 第11回の準決勝で第1回クイズ王の松尾清三が使用したテーブルのデザインは通常の早押しテーブルと同様でベースが赤だった。 早押しハット(ウルトラハット) [ ] この項目ではを扱っています。 閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 挑戦者は早押しクイズを行うとき、 早押しハットと呼ばれる帽子を頭に被って行った。 別名として「 ウルトラハット」、または単純に「 帽子」と呼ばれることもあった。 本番組のロケは屋外が大部分のため、太陽光の方が強く、ランプ式にするとボタンを押した時にどのランプが光っているか判別しにくいことも考えられたため、この道具が作られた。 を模した早押し判定機で、本体はまたは製、白い大きな星模様で、ハットの内側にはもしくはが張られ、ハットを頭に固定する白いとがあったが、第14回以降はとで固定する方式となった。 重量は頭に被るものとしてはかなりあるようで、第15回クイズ王・能勢一幸は、初めてハットを被った時に「思っていたよりも重い」と発言している。 基本は 赤・ 青・ 黄・ 黄緑・ 水色・ 薄紫の6色であるが、初期の頃は 茶・ 橙・ 桃・ 深緑等の色もあった。 また、国内一次予選冒頭でのデモンストレーションや、第11回の準決勝で松尾清三が使うゲスト用、"今世紀最後"のハワイではそれぞれ星条旗柄の早押しハットが登場し、「史上最大の敗者復活戦」の準々決勝で「クイズ王連合軍」が使用した物や翌年の第7回では 金色の早押しハットが登場した。 挑戦者が多数いる序盤で使われる時は、早押しハット正面の星の部分に番号や名前が書かれている場合があった。 基本的に有線式であるが、第13回のゴールドコーストでの敗者復活戦と第14回のタヒチでは、早押し機を背負うワイヤレスタイプがあった。 また"今世紀最後"の準決勝(通せんぼクイズ)では、通常はテーブルに搭載されているマイクが着けられているが、これは、通常の通せんぼクイズは3問正解すると「通過席」に移動するのに対し、この回では目隠しを掛けている(勝ち抜き者だけ外せる)ために通過席がなく、その場で起立して答えるためである。 第1回の早押しハットの色は解答者によって固定されており、勝ち残った解答者は決められた色の早押しハットを被っていた。 決勝で使う早押しハットが赤と青に固定されたのは第3回から(基本的には向かって左の挑戦者が被るのが赤、右の挑戦者が青。 逆の回もあった )で、第1回は桃(優勝者の松尾清三)と緑、第2回は赤と緑(優勝者の)の早押しハットが使われ、第11回で3名が決勝に進出した時は際は赤・青に加えて黄色が決勝で使われた。 解答権を得るとハット上部の「? 」マークが立ち上がる。 開発当初は垂直に「? 」マークが出てくる形を想定していたが、技術的に不可能だったため、「立ち上がる」スタイルになった。 第11回の準決勝で対戦者の松尾清三の早押しハットの札がアメリカの交通標識の「 STOP」札となっていた。 第1回のみで「? 」マークがくっついており、解答権を得ると「? 」マークが磁石から外れてバネの力で立ち上がり、回答後に解答者が自分で「? 」マークを倒して電磁石に付けていたが、第2回以降は「? 」マークが自動で立ち上がったり倒れたりする方式になった。 当初は「? 」マークがゆっくりと立ち上がり、「? 」マーク自体もビニール紙でできていたが、第5回以降は「? 」マークも金属製になり、立ち上がりもシャープになった。 当時のクイズ番組で一般的だったランプや形式にしなかったのは、ウルトラクイズの場合、クイズの大半が昼間の屋外で行われるため、太陽光でランプやパトライトの光が見えにくくなり、回答者の判別が困難になる可能性を考慮したためである。 」マークが立ち上がる駆動部のみをテーブルに直接付けたり、パトライトを使用することもあった が、基本的には頭に被らない場合でもハットのままの状態で使用していた。 ハットは毎回新しい物が作られていて、1個あたりの製作費用は開催当時の値段で約95,000円前後と後に紹介された。 ハワイ入りの際、でハットがに引っ掛かったことがあったが、その場で電源を繋いで実演をし、税関職員を納得させて通過し事無きを得たということがあった。 第14回大会の第7チェックポイントのソルトレークで、黄のハットの「? 」マークが立たなくなる不具合が起きてしまう。 早押しボタン [ ] 早押しクイズで使用されるボタンは、ハットと同色(第4回までは白のみ)のボックスに小さなクリックボタンが付いたものであった。 ボタン自体の色は第11回までは特定の色に決まっておらず、ボックスの色とは無関係に様々な色が使われていたが、第12回からは赤に統一された。 このボタンは早押しテーブル上の挑戦者の右手の位置に固定されていたため、の挑戦者に対しては考慮されておらず、不自然な体勢で左手でボタンを押す挑戦者もいた(第15回の準優勝者等。 左手の肘をテーブルに乗せてボタンを押す挑戦者が多かった)。 第7回から手のひら全体で押すタイプの新型ボタンが登場した(第7回では全編でこのボタンが使われ、ボタンは右側でなく、テーブルの中央に配置されていた。 さらにボタンを押すまでは両端に付いているバーを両手で握っていなくてはならなかった)。 この新型ボタンは第7回以降も、ダイビングクイズやマラソンクイズなどの、ボタンを押す体勢が定まりにくいクイズや、遠方から走ってきてボタンを押すような、体力系の早押しクイズ等のような『強い力でボタンを叩く事の多いクイズ』で使われた。 ウルトラクイズ終了後にこの新型ボタンは、押す部分全体がゴムで覆われている防水性タイプに発展し、現在の『』などでも使用されている。 クイズを行う場所や形式の関係上、早押しテーブルを設置することが困難な場合は、早押しボタンのボックスを挑戦者の手に持たせる、多人数が参加する国内予選の敗者復活戦や、第15回ハワイの対決早押しクイズで、早押しボタンを頭の上部にくくり付ける、第12回のアラスカ鉄道の列車内での早押しクイズで、早押しの大型ボタンをベルトで太ももにくくり付けるなど、体の一部に早押しボタンをくくりつける方式があり、主に団体戦などの特殊なクイズ形式では、ボタンの代わりに足で踏むことによって解答権が得られるマット式のものが使われることもあった。 その他 [ ] ネームプレート 第1回ではアメリカ本土上陸以降(羽田では番号のみのプレート)、第2回以降は第二次予選から各挑戦者の胸に、挑戦者番号と(第1回は手書きで名字のみ。 第2回〜第4回は番号と名前が横一列、第5回以降は上に番号、下に名前が書かれている形式。 同じ苗字の挑戦者が複数いる場合は括弧で名前の最初の一文字が書かれた。 兄弟の時は 兄または姉 弟または妹 、夫婦だと 夫 妻 と書かれた)が書かれた、白い長四角のネームプレートが付けられた。 過酷な体力系クイズなどで破損した場合はクイズ終了後にその都度新しいものに変えていた。 第2回からは紐が付けられ首から下げる物が使われ、その後衣服に安全ピン等で取り付ける形に変わった。 どろんこクイズなど安全ピンの針が事故になる可能性のあるクイズでは、最初はで衣服に留めていたが、後に全体がシールになった紙製のものを衣服に貼り付ける形のものが使われるようになった。 第11回ではのおみくじで大吉を引いた挑戦者には赤色で「吉」のシールが、大凶組には黒色で「凶」のシールが右上に貼られた。 優勝者が賞品地を訪れる際には外された(第15回は除く)。 勝ち抜けメダル 本選のチェックポイントを勝ち抜けた挑戦者には、本番組のシンボル「? 」マークのメダルが首にかけられた。 グァムやハワイではメダルの代わりにレイがかけられた。 また、バラマキクイズや前期の三択クイズでは、ポイントを獲得するごとにメダルがかけられた。 この場合メダルではなくワッペンが使用されたこともある。 ロゴシール 挑戦者の携帯している荷物に貼られるだけでなく、三択クイズにおいて上記以外での得点代わりとして衣類に貼られたりもした。 第6回の推理クイズでは1周目で不正解になった挑戦者にのみ貼られた。 "今世紀最後"では国内第一次予選で久々に使用されたが、この時使用されたのは薄い紙製で、不正防止のために各問題の回答時に掲げる側の穴を開ける部分が存在した。 敗者復活タスキ 第9回から使用された(敗者復活戦が一切無かった第15回は除く)。 挑戦者の中には一度敗退した後に敗者復活戦を勝ち抜いて本戦に進出・復帰する者もおり、そのような挑戦者の中にはクイズ中、『敗者復活者』と書かれたタスキをかけていた者がいた。 このタスキは挑戦者である限り収録時は外すことを許されず 、罰ゲームにおいても常に着用を義務付けられていた。 復活者は基本的には他の挑戦者と同じ扱いだが、復活者が活躍すると福留に茶化されたり、劣勢となると一度這い上がったことを理由に発破をかけられるなど、挑戦者一人ひとりの個性が掴みきれていない序盤から中盤のCPでは重要な個性となっていた。 敗者復活した挑戦者の活躍率は高く、敗者復活からクイズ王になった挑戦者もいる 他、敗者復活者同士で決勝戦が行われた回もある。 時間切れは元より、取ったボールとサークルが違ったり、ボールを二つ以上取った挑戦者は失格となる。 このボールが必要になったのは、前の第2回の「走りクイズ」で、第1問と第2問の2度にわたって「不正解側が一人、正解側が残り」というハプニングが起き、その理由が人数の多い方のエリアへ移動する「」であった事から、群集心理を避けるために使用となったもの。 なお「内外野お別れクイズ」などの一部のクイズでは使用されないが、それにより「群集心理」(特に歴代クイズ王に対する)が起きることもまれにあり、例えば、第4回第1問で第3回の宗田が不正解側に移動すると、宗田の故郷である側の挑戦者も宗田と同じ場所に移動したため、宗田を含む福島県挑戦者が第1問で全滅、また第9回では、第3問で第3回の宗田・第8回の石橋を頼って多数の挑戦者が不正解側に移動し、多数の失格者が出るという事が起きた。 ジャンケンインジケーター 国内予選の一つ「ジャンケン」で勝利数を表す装置。 第1回から使用されているが、その第1回はステージの両脇に備えており、大きさもかなり大きく、勝利数を表す部分(色は白で中央に数が振られている)も全体の半分以上もあった。 次の第2回からはステージ中央に備え、全体の大きさも大人の腰の部分までに縮小された。 また勝利表示部は第1回と同じく白であったが、第7回から黒となり、片方に電球、もう片方に数字が表示される様になり、以後"今世紀最後"までこの形式となる。 ただし例外として、第3回は金属製ポールに丸ランプが3つだけと簡略化された。 またいずれの時もジャンケンに勝つたびに下からランプが点灯する仕組みだが、福澤時代(第15・16回)で行われた「炎の一本勝負」(1回勝つだけで勝ち抜け)の時は、自分のランプがフラッシュするというパターンが加わった。 なお『史上最大の敗者復活戦』決勝戦で行われた、家族参加の7勝先取ジャンケンの時は、通常の蛍光部のところに6個(上下に3個ずつ)、そして蛍光部の上にはもう一つのランプが付けられていたインジケーターを使用した。 大声インジケーター 「大声クイズ」で使用される、挑戦者の声の大きさを示す装置。 クイズは第8回から採用されたが、当初はインジケーターは無く、次の第9回から採用された。 ゾーンは5つ(第16回のみ8つ)あり、最上ゾーンまでランプが付くと早押しハットが作動する仕組み。 なお第11回ではインジケーターは使用せずにパトライトを使用、第10回では第8回以来のランプ無しとなった。 組み分けゼッケン 第10回から団体戦の組み分けに使用される。 黄・ 青・ 赤・ 緑の4種があり、それぞれ中央に 白の円が描かれ、その円にはチーム名称の頭文字が黒で書かれていた(ただし青だけは円が黒、文字が白と逆になっている)。 また第14回では第一次国内予選で、第1問を発表したテレビ放送を拝見した48〜50歳の飛び入り挑戦者には、黒丸に白で 特と書かれた赤ゼッケンが着用された。 ワーストハチマキ 第13回から採用(「"今世紀最後"」は除く)。 正面に「 ワースト1位」・「 ワースト2位」・「 ワースト3位」とそれぞれ書かれた3本ので、第1チェックポイント「機内400問ペーパークイズ」の合格者からワースト3の挑戦者に配られ、頭に着用される(早押しハットを被って行うクイズではハットの周囲に装着)。 鉢巻の色は 白で、「ワースト」は 青、「順位」は 赤で書かれている(例えばワースト1位だと「 ワースト 1位」)。 この鉢巻きも「敗者復活タスキ」同様、挑戦者である限り収録時は外されず、また罰ゲームの時でも常に着用される。 なお「敗者復活タスキ」着用者と異なり、鉢巻き着用したままクイズ王になったり、決勝地のニューヨークまで行った挑戦者は一人もおらず、第15回でワースト1位になった女性挑戦者がエルパソへ行ったのが最高である。 サウンド 早押しボタンが押されたときの音・正解時や勝ち抜け時のチャイム音・不正解時や勝ち抜け失敗時のブザー音(子供向け自転車の電子ブザーとほぼ同じ)は、第5回まではチープなアナログ音だった。 第6回以降は、現在『高校生クイズ』でも使われている特徴的な電子音になった。 この電子音は、初登場の第6回ではやや間延びした緩い音だったが、回が進むにつれてシャープで硬質な音に変化していった。 これらの音は現在でも日本テレビ系列のテレビ番組でのクイズ企画などでよく使われる。 中には、収録時は別の音を使っていながらアフレコでこの音に変えている例も見られる。 2009年からは、これらの音が日本テレビの携帯サイトからダウンロードできる(ただしサイト上では、『高校生クイズ』の効果音として扱われる)。 そのほか、シンキングタイムでは早刻みの「チキチキ」の音が流れていた。 「チキチキ」の感覚は0. 1秒(10回鳴ると1秒になる)。 クイズ形式 [ ] 詳細は「」を参照 本番組では、、、三択クイズなど様々な形式のクイズが行われた。 このほか、訪れた土地にちなんだクイズ形式やロケ地にちなんだご当地問題など、多種多様なクイズが出題された。 クイズ形式によっては体力 や運 も試され、知力だけでは勝ち進むことができず、まさに「知力・体力・時の運」であった。 問題の正誤判定基準は時に甘めであったり厳格であったりすることがあり、この基準が勝敗を分ける決定打になったこともある。 罰ゲーム [ ] 主にグァム以降のチェックポイント(決勝戦は除く)で敗れた敗者に対し、様々なが行われた。 一般的には演出上の理由だが、挑戦者の個人的な都合で早く日本に帰りたいがために安易に負け抜ける者が出ないようにという理由もあった。 罰ゲームの放映時間は一般的に、1つのチェックポイントにつき1分から10分ほどだが、収録にはおよそ2時間以上の時間が費やされていた。 多数の場合は失格者の人数。 砂漠や迷路、荒野、海洋を使った罰ゲームで、終わる(帰国する)のが何時か分からない場合には、「帰国? 」と付きで出される場合もある。 大半の罰ゲームでは失格者は行方不明もしくは消息不明、生死不明という演出をしているが無論、番組は責任を持ってちゃんと日本へ帰国させている。 まれに「帰国予定」 「やっと帰国」 や帰国中の敗者が画面に映った時には「帰国中」の表記も使われた。 視聴者からは、過酷な罰ゲームを批判する新聞投書をされたこともあった。 それに対し、日本テレビは「主役たる敗者の真の姿を浮き彫りにするためにも罰ゲームを科している」「罰ゲームはいかなる場合もテレビ画面に見えないところで安全策をとっている」「本人の意志を尊重することは言うまでもない」と回答した。 今世紀最後では高齢者の参加があったことに配慮し、スカイダイビングの罰ゲームでは強制ではなく、直前に行うか否か確認をしていた。 罰ゲームには以下のようなものがあった。 苦痛な状況を我慢する。 例えば、氷河の氷を掘り出しその氷で作ったかき氷を食べる 、真冬の服装を分厚く着込み、砂浜に設けられたに入って過ごし鍋焼きうどんを食べさせられる など。 後述の帰国手段系の罰ゲームと複合したケースもある。 公の場などで恥ずかしいと思われることをやらされる。 例えば、前の庭で囚人服を着てゴミ拾いをさせられる 、の像の前で「ウルトラ音頭」(『』の)を踊る 、体に屈辱的な語句のシールを貼って日焼けさせる 、移動式バスタブのCMを繰り返す、上半身裸で をさせられるなど。 スポーツや、絶叫マシン、パフォーマンスなどの体験。 体験 や一日体験入校 、との やとのプロレス勝負 、 などもあった。 失格者の嗜好と罰ゲームの内容によっては罰ゲームの意義が薄れる(むしろ労り、労いの性格が強くなる) こともあった。 非常に体力を消耗する作業や運動。 階段で超高層ビルの屋上まで上がらせられたうえ屋上でマラソンをさせられる 、強力な磁石を引きずりながら走って空き缶などを拾う、スタッフに代わってクイズ機材の回収・撤収作業をやらされる など。 非常に難度の高い作業。 空き缶と棒、タコ糸でベースを作って演奏する など。 クイズ会場からの帰国手段そのものが罰ゲームとなっているもの。 川や海の水上・水中を徒歩や貧弱な乗り物で渡って(流されて)帰国、砂漠を歩いて帰国 、北北西に進路を取り帰国を目指す 、熊やワニなどの危険な動物を連れて帰国する、犬・豚に道案内してもらい帰国する、敗者の帰る道がそれぞれ逆になっていてじゃんけんでどっちへ行くか決めなければならない など。 現地に置き去り。 荒野 、僻地 、ホテル に置き去りにされる。 現地の老婦人と結婚させられ、そのまま町に永住 など。 系の罰ゲーム。 して運転手(実際は米国俳優による演技)に銃を突き付けられ恐喝される など。 この罰ゲームは何度も行われ、似た形の罰ゲーム も多く行われた。 第5回テオティワカンや第8回グァムなど食事を振る舞われたと思ったらゲテモノ料理 だったというパターンのドッキリ などもある。 第13回第9CPでは、クイズの時に後ろでをやっているところを見せ、クイズが始まる前から「罰ゲームは当然おわかりですね? 」と挑戦者を震え上がらせていた。 実際は敗者がジャンプする直前で「そこまで! 」と言ってやめさせたため、これもドッキリの一種といえた(理由は後述)。 第12回では、川を下っているところを不法出国で捕まるという罰ゲームがあった。 当初の予定では「を出国するところで同国の警官が連行する」という筋書きのはずだったが、実際には対岸のに流れ、さらには本物のパラグアイに威嚇射撃を受けてしまう。 慌てたスタッフがブラジル側の警官と共にテレビ番組の収録だと説明したが、それでも警官に信じてもらえず、結果的にウルトラクイズの入りTシャツとキャップを警官に渡して事無きを得た。 ごくまれに罰ゲームに先だって、または罰ゲーム終了後に賞品が贈呈 されることもある。 ただし、所詮罰ゲームであるためオチがついている ことが多い。 新聞テレビ欄で罰ゲーム内容の要約が掲載されネタバレされることもあった。 実際に行われた罰ゲームは「スタッフが事前に罰ゲームを体験する」というルールがあり、企画は面白くてもスタッフが誰一人として行えなかったものを罰ゲームとして採用する事はなかった。 例として前述の第13回第9CPのバンジージャンプもスタッフが実際に飛べなかったために飛ぶ直前のドッキリ体験までとなった。 決勝戦では敗者(準優勝者)に対する罰ゲームは"今世紀最後"を除き 無かった代わりに、準決勝までの敗者のようにインタビューや労いの言葉などといったものがかけられることは一切無く、敗れ去って呆然とした姿や、クイズ王として称えられる勝者を虚ろな表情で見つめる姿などが、優勝者へのインタビューや表彰の合間に映し出される。 視聴者には、決勝戦の敗者の姿はクイズ王として称えられる勝者とは全く対照的に映ることになった。 スタジオパート [ ] 第13回・第14回・第16回を除く各回ではスタジオパートがあった。 第12回までの総合司会の服装は基本的に本番組特製のを着用し(第1回・第2回は黄色、第3回-第6回は白、第7回-第10回は水色 、第11回は藍色、第12回は青)、高島忠夫は常に蝶ネクタイであり、また高島忠夫は一貫してズボンだったが、石川牧子は第3回まではズボンで、第4回以降はスカートだった。 しかし第15回では小倉淳が常にだったのに対し、永井美奈子はドレスだったり洋服だったりした。 観客席は第12回までは総合司会とは向かい合った場所(カメラ側)に設置されていたが、第15回と"今世紀最後"ではスタジオ両脇に設置された。 高島・石川時代は(クイズ王凱旋入場を除き)一貫してデスクの後ろに起立して進行していた。 そのデスクは第1回は白、第2回は青と白(高島は青側、石川は白側)、第3回から第7回までは灰色で、第8回以降水色 だったが、正面には一貫してウルトラクイズのシンボルマークが付けられていた。 スタジオパート開始時は、第3回より第1夜はジングルをバックに総合司会がタイトルコールして開始、第2夜以降はジングルとタイトルコールを省いて開始した(例外もあり)。 一方第15回では、第1夜はタイトルやルートなどの一部の電飾が点灯した暗いスタジオの中で、小倉と永井によるタイトルコールの後、照明の点灯と同時にが鳴って開始した(第2夜以降は今までと同じ)。 スタジオでのルート紹介は、第1回から第12回までと第15回では電飾が配置された地図のセットが使用された。 回が進むとルートが壮大になり、第12回ではブラジル、アルゼンチン、チリの南アメリカルートが床の部分に伸びていた。 また、第10回の南北ルートや第11回の一足飛びルートは、それぞれ雲や竜巻の形をしたセットでルートを隠し、視聴者や観客に興味を持たせた。 地図のセットには、第3回から各チェックポイント のイメージがイラストで紹介、イラストはで知られるくどう昭が担当、そのイラストは「骸骨が水を飲む」(第7回デスバレー)、「挑戦者がレーシングカーに追われる」(第8回インディアナポリス)、「挑戦者が耕運機に追われる」(第11回リンカーン)、「大砲の弾丸が挑戦者を吹っ飛ばす」(第12回ゲティスバーグ)などといったブラックユーモア的なのが多いが、中には「」(第8回ラピッドシティ)、「と」(第9回パリ)、「南軍兵士と北軍兵士」(第10回アトランタ)などといったシンプルなのもある。 チェックポイントの合間や番組ラストには総合司会の2人による、ジョークを交えたトークが行われ(例えばハワイ行きが決まった時には、高島が「これがハワイ〈早い〉者勝ちですね」とダジャレを言った)、時にはそのチェックポイントでのクイズ形式の実演を行うこともあった。 挑戦者に対してツッコミが入ることもあった。 また初期ではチェックポイントのOA後に敗者がスタジオに呼ばれることもあった。 現地で罰ゲームがなく、スタジオでによる罰ゲームがあったこともあった。 また第12回までは、別室においてコンピュータを使用しての敗者(または勝者)予想が行われた。 コンピュータ予想は主に挑戦者の正解率のデータを用いて行われたが、正答率順で上位の挑戦者に落選マークをつけて実際にその通りになったことや、それまでの挑戦者たちの傾向やジンクスから予想したり、何のデータも示さずで特定の挑戦者のを流すこともあった。 第8回では挑戦者と予想対決もした。 なお第15回では第4週(最終週)だけ、それもスタジオで小倉と永井が勝ち残った6名を競走馬 に見立てて予想したこともある。 決勝戦終了後は、クイズ王が出題者とともに優勝旗を持ってスタジオに登場し、総合司会からインタビューを受けた。 クイズ王の入場ゲートは毎回様々なパターンがあり、第8回と第10回はバックにニューヨークの摩天楼、第9回は決勝地のパリに因み、第12回はゲートのカーテンが星条旗、そして第6回は優勝賞品「世界一周」に因み地球儀からの入場だった。 また第7回では優勝賞品授与のVTRを放送した後、いきなりクイズ王と出題者がスタジオに登場し、頭上に吊り下げたが割れて祝福するという演出だった(この後インタビューとVTRの続きを放送)。 クイズ王のほか、準優勝者や準決勝敗者、スタジオに呼ばれた挑戦者の親族 などが登場することもあった。 第1回では、アメリカ本土上陸者が決まった時点でスタジオの観客が優勝者を予想し、当たった人で賞金を山分けした。 なお、第13回・第14回はスタジオパートがなかったが、CG画像を使用しての全体ルート紹介や、現地でのスタッフや挑戦者、敗者による敗者予想が行われた。 第16回では、2週目以降の各放送の冒頭で前週までのルートをCG画像で紹介したのみで、全体のルート紹介は行われなかった。 次回予告 [ ]• 15年間「ウルトラクイズ」を一貫して放送した「木曜スペシャル」では本編の終了後に次回放送する特番の予告に入るパターンだったが、「ウルトラクイズ」では一部の回をのぞいてエンディング近くで行うパターンだった。 ただし初期ではスタジオで次回の予告を説明した後、CM明けで改めて次回の予告を行うパターンであった。 予告で流れたBGMは第13回までは一貫しておらず、14回から固定された。 スタジオ進行(高島・石川時代)のエンディングでは次のように締めていた。 中には「ほとんど罰ゲームみたいな優勝賞品」と評されたものもある。 第16回ののように、税金などの経費負担が重く結局手放さなければならない場合もあった(課税される商品の固定資産税などの税金は初年度のみ日本テレビが負担していた)。 しかし、中には第11回の島のように、その後長期に渡って保有している(を納付している)例もある。 第15回の手掘りは特に珍しいものではなく、地元の人々も自由に作って入っている。 優勝賞品の発表は、残り人数が6-7名と少人数になった頃のチェックポイントで行われることが多かった。 例外として第1回では参加申込規約に発表されており、第8回と第13回では第一次予選会場で発表された(第13回では3つのヒントのみが発表されただけで賞品の概要は優勝者のみに明かされた)。 本番組の優勝賞品はあくまでも「おまけ」であり、優勝を果たすまでの長い旅路の過程、アメリカなど各国の広大な景観・自然、一緒に長い旅をすることで得た世代を超えた友人達や普通では体験することができない人生経験、「ウルトラクイズのクイズ王」という名誉自体が「本当の優勝賞品」という認識をされている。 これは優勝者だけでなく、準優勝者以下の敗者たちにとっても同様である。 実際に、大多数のクイズ番組では当たり前のように出る「賞金」が本番組にはない。 第2回のリノで行われたルーレットクイズで、勝ちぬけに必要なドル数(6ドル)以上を勝ち抜け時に獲得した場合、その超過分が現金として挑戦者に渡されたことがある(もっとも、ほとんどの勝者は3-4ドル位の獲得で、当時のレートで6〜800円前後、最多の賞金を手にしたのは、1ドル獲得の次に40ドルが当たった挑戦者で、35ドル、約7千円弱程度だった。 これが本番組で唯一明確に出された「賞金」だった。 このほか、賞品と銘打たれてはいないものの、クイズの勝者に対するボーナス として、あるいは敗者に対して記念品として 食事が振る舞われたり、クイズで使用した道具、ペナルティとして獲得した品物が譲渡されることがあった。 優勝賞品は、当初はまともな賞品にする予定であった。 第1回大会では、申込の時から「アメリカの土地2000」を賞品にすると告知していた(後に1226坪の1に変更)。 ところがの指導で、賞品は100万円相当を限度にしていたため(の規定による当時の賞金商品の最高額。 現在は廃止されたが、1997年よりのとして一人200万円相当、5人チームならば1000万円相当を限度としている)、砂漠のど真ん中の土地しか買えなかったという。 これがきっかけで、以降も風変わりな賞品を出すようになった。 これらとは別に、裏賞品として第11回開催時、歴代クイズ王にが渡された。 これは、第一次予選のエキシビションマッチでクイズ王サイドから提案されたもの。 第一次予選時に各クイズ王にトロフィーが渡され、エキシビション不参加のクイズ王には郵送で贈られた。 この年のクイズ王である稲川良夫にも優勝後渡された。 全部で12個作られたが、残りの1つの行き先は不明(翌年の第12回優勝者・瀬間の手には渡っていないとのこと、その翌年以降のクイズ王に関しては不明)。 番組で使用された音楽 [ ] 番組では、メインテーマ曲を初めとする様々なに、ハイセンスな洋楽や当時放映の洋画音楽を使用していた。 しかしながら、メインテーマ曲のように複数の楽曲を繋ぎ合わせて使用していたり、大幅に長さを編集、一部だけを切り取って使用しているケースも多く、このような背景がこれらの楽曲のの問題を複雑化させており、CS放送での特定の回の再放送やゲームなどでの再使用が困難となっている。 メインテーマ曲 [ ] 第1回• THEY'RE OFF! 現在は同名映画のサントラ盤で入手が可能。 第2回• Chump Change()• アメリカにおいては、のクイズ番組『』( - に放送)のテーマ曲として使用されていた。 のテーマ Theme From Star Trek()• アルバム『 Conquistador(邦題:征服者〜ロッキーのテーマ)』に収録。 本番組では最初のファンファーレの部分と、最後の部分に下記の曲が繋げられていた。 最初:「 Zach's Fanfare 2(ザックのファンファーレ 2)」 … のアルバム「 Philadelphia Freedom」収録。 最後:「 The Cheshire Cat Walk(チシャ猫のウォーク)」 … メイナード・ファーガソンのアルバム「Primal Scream」収録(「ベスト・オブ・メイナード・ファーガソン」にも収録)• 初使用された第3回第1週では、「ザックのファンファーレ 2」は冒頭部を付けて使用、また「スタートレックのテーマ」はイントロ後部付き(エンディングでも使用)を使用した。 第2週から縮小され、お馴染みの曲となった。 テーマ曲に起用される以前にも、番組内では第1回から使用されていた。 第16回• Ultra Quiz Main Theme Theme From Star Trek• 第3回以降のメインテーマを、独自でアレンジしたリニューアルバージョン。 後述の『』にも収録されている。 基本的には、以前のメイナード・ファーガソンによるバージョンを踏襲しているが、ソロパートの部分や曲の終わり方などが異なっている。 による音質向上や、最新技術を駆使した演奏がなされている。 なお、ソロパートは、トランペット奏者のが演奏している。 第16回では、この他「優勝旗返還」時の音楽にも楽団による生演奏で行われた。 その他のBGM [ ] 各回の第1週の最初にかかるBGM(第3回以降)• Theme from Skateboard(映画『スケボー・キッズ』サウンドトラックより)• 福留または福澤が「お待ちどおさま」と言いながら始まるナレーションと共に、後楽園球場ならびに東京ドームのバックスクリーンに「アメリカ横断ウルトラクイズ」のロゴが映し出され、参加者が会場に続々と集まってくる場面で流れるBGM。 提供スポンサー紹介時のBGM(第10回以降)• Clef Club No. 以前に番組内では、第6回成田で初めて使われていた。 またこの曲は、の中にあるのBGMにも使用されている。 ルート紹介BGM• 実際には放送されていた物よりもずっと長い曲で、曲のスピードが若干速められ、大幅に編集がされている。 現在はアルバム『 Magic Journey』と、サルソウル・オーケストラのベスト盤CD(共に輸入盤)でCDの入手が可能。 また、現在はでも入手可能である。 なお「南北ルート紹介」(第10回3週目)と「一足飛びおよび遠回りルート紹介」(第11回3週目)に使用されたBGMは、これとは別のBGMを使用(不明)。 出発(のアルバム『交響詩』より) - 第14回• ステージ8のBGM「 Cosmo Plant」のアレンジ部分を使用した。 Barefoot Hoedown(ガラパゴス・ダック) - 第15回• Drebin - Hero! ネクストチェックポイント紹介BGM。 優勝旗返還・クイズ王入場(楽団による生演奏)• - 第4回・第6回• 第5回は第4回クイズ王が不参加のため、優勝旗返還は行われなかった。 ( 不明) - 第7回• この後『史上最大の敗者復活戦』優勝者が入場する時は、別の曲(不明)を使用した。 - 第8回• - 第9回• - 第10回• - 第11回• 第11回クイズ王が優勝賞品「の島」をイメージしたセットに乗って入場するのに合わせ、途中から曲を変えている。 - 第13回• 第14回においては、福留が登場する際に映画『』のテーマにのせて、を模した自動車で登場し、その後部に繋がれたタンクから前回のクイズ王が登場した。 - 第15回• ULTRA QUIZ Theme March 『』より) - 第16回 この節のが望まれています。 第1問正解発表後の解説• - 第6回・第8回・第12回 - "今世紀最後"• 第13回のみ歌詞入りバージョンを使用。 第15回では、この後福留が東京ドームを去る場面で、のソロによるバージョンを使用した。 初使用は第1回、サンディエゴで行われた「ゲストクイズ」で、当時のであるのそっくりさんが入場する際に使用された。 なお第11回ではワシントンD. で行われたクイズ会場に、当時の大統領夫人であるのそっくりさんが入場する際にも使用された。 ラ・マルセイエーズ - 第7回・第9回• ファンタジー Fantasy(のアルバム『 Seduction』より)• には、当時系で放送されていた『』の「今日のホームラン」で使われていた「 VIBRATIONS(ヴァイブレイションズ)」と一緒にされた( 7DM0088)。 『』の出場選手紹介BGM• 『』((昭和48年)に日本テレビで放送)のシンキングタイムBGM(残り5秒になった時)• 成田空港までの勝者を載せたバスの出発BGM• Murder she says Ron Goodwin作曲 機内ペーパークイズBGM• Orgasmachine(Oseのアルバム『 ADONIA』より) - 第3回以降• "第13回"メンフィスのタイムレース、"第14回"ソルトレークの「空席待ち列車タイムショック」にも使用された。 勝ち抜け時のファンファーレ• Mardi Gras(作曲「 Mississippi Suite(ミシシッピ組曲)」より) - 第3回以降• 後年、当番組の放送枠「木曜スペシャル」のスポンサーであった全日本空輸が国際線割引航空券「エコ割」のCMのBGMに使用した。 Huckleberry Finn(同) - 第3回以降• 双方とも、準決勝地などの一部ではロングバージョンを使用。 Hamilton County Breakdown - 第3回以降• 曲がカントリーウエスタンであるため、主に西部劇風の場所で使用。 Made in USA()• 敗者復活等。 なお第3回では「機内ペーパークイズ敗者が成田に帰国後」と「勝ち抜け時のバンザイ」に使用された。 なお、ファンファーレはこれ以外にも数多くの楽曲が使用されている。 Crazy Rhythm(Meco) 罰ゲームBGM• Big City()• ジングルとしての使用。 第3回第2週グランドキャニオンで初使用、第4・5回では使用されず、第6回ではアラスカとロサンゼルス(以上第2週)で3年振りに使用され、第7回から本格的に使用されるようになる。 第5回メンフィスで敗者がのコスプレでこの歌を歌った事から、締めに使用。 第8回フィラデルフィア(準決勝地)の「ジョー・フレージャーとのボクシング勝負」、第15回ヨークタウン(準決勝地)の「ルー・テーズとのプロレス勝負」の開始時BGMに使用。 また第8回では、コンピューター予想の場面にも使用。 次回予告BGM• dulce dulce bana bana - を使用。 アイキャッチ• スタジオ電飾ボードのチェックポイントイラストをアップした所で使用。 大抵は最終週で行うが、第11回では第2週目のグアムの前で行った。 Most Wanted Theme () - 第9回• クイズ タンゴアルゼンティーノ(生演奏)• - シンキングタイム• - 勝ち抜け 「今年も数多くの敗者が去っていった」BGM• All of you() - 第13回• (のアルバム『』より) - 第14回・第15回• Can't Get Over You(『オリジナル・サウンドトラック』より) - 第16回 自由の女神• ゴッドファーザー愛のテーマ - 第8回• この回の自由の女神が修復中であるため。 Liza Minnel And Knight In Amor(『』より) - 第10回-第15回・"今世紀最後"• これより前の第3回では、「決勝戦」でのニューヨーク摩天楼場面で使用された。 決勝戦・決勝進出者の紹介の際のBGM• Suite Disco(Gary Toms Empireのアルバム『 Best Of』より)- 第1回-第2回• 第1回では冒頭、「」(メイナード・ファーガソンバージョン)を使用。 この曲は第3回以降(第16回を除く)も曲の締めとして使用、また第6回ではパンナムビル屋上のクイズ会場に挑戦者が入場する時に、楽団による生演奏で使用された。 なおオリジナルバージョンは第8回フィラデルフィア(準決勝地)のBGMに使用した(同都市が映画『』舞台であるため)。 US Final Battle(『オリジナル・サウンドトラック』より) - 第16回• ・の初代入場テーマ曲としても使用された。 決勝戦・開始直前のBGM• 第1回のファンファーレは、『』の勝ち抜けと、『』「ドキュメント女ののど自慢」の「落選ニッコリさん」コーナーで使用していた(効果音)。 - 第3回・第6回・第11回• - 第4回・第5回・第7回・第8回・第12回-第15回• ラ・マルセイエーズ - 第9回• Chees, your Victory(『オリジナル・サウンドトラック』より) - 第16回 クイズ王凱旋入場• 落選ニッコリさん(前述) - 第1回• () - 第15回(この回の優勝賞品が「温泉」だったため) エンディング• 最終週以外、通常のエンディングはメインテーマを使用。 (ジミー・デイビス、チャールズ・ミッチェル) - 第13回の3週目のみ、罰ゲーム会場となった客船のピアニストの弾き語りとレコード版がスタートレックのテーマの代わりに流された。 最終週エンディング• ( 不明) - 第3回• ソリテアー(のアルバム『Can't Give You Anything But My Love』より) - 第4・15・16回• 最終週に使用されたED曲としては最多の使用回数だった。 涙もなく(のアルバム『華麗なるラブ・サウンズ』より) - 第5・7回• 青春のアデライデ(のアルバム『フレンズ』より) - 第8回• パリのあやつり人形(・グランド・オーケストラのアルバム『CARAVELI』より) - 第8回• 第8回は青春のアデライデをスタッフロールで使用し、その後優勝賞品のオチの部分でパリのあやつり人形が使用される方式だった。 You're so Nice(ノーマン・キャンドラーのアルバム『Thanks for the Melodies』より) - 第9回• 愛のはじまり(カラベリ・グランド・オーケストラのアルバム『愛のはじまり』より) - 第10回• 限りなき愛(カラベリ・グランド・オーケストラのアルバム『限りなき愛』より) - 第11回• - 第12・13回• 第12回はピアノを主体とした曲調(演奏者は不明)、第13回は、コロムビア・ストリングス・オーケストラのアルバム『ディズニー・ストリングス・ファンタジー』より使用。 - 第14回 関連番組 [ ] ここでは、パロディ版は除外する。 ネット局独自のウルトラクイズ [ ] 日本テレビ系列の、各局では本番組の亜流ともいうべき大人数参加のクイズ大会が制作、放送されていた。 ウルトラクイズを名乗り、各系列局のアナウンサーやタレントではなく福留や福澤が司会を担当するなど(例として、『福留功男のウルトラクイズ福井版』、『福留功男のウルトラクイズ岩手版』など)、ルールやセット、BGMなどに関しても本家を踏襲したものとなっていた。 (平成6年)から(平成13年)までにで行われた「ウルトラクイズinてんえい」は本格的なイベントとして反響を呼んだ。 当初は村制施行40周年記念として開催され、その後も村おこしとして続いたが、日本テレビとの協力を仰ぎ、司会こそ地元アナだが、ウルトラクイズ名物の泥んこ飛び込みクイズならぬ不正解だと粉まみれになるシロンコ飛び込みクイズや、ウルトラハットなどのセットに本物を使ったりと本家に近い形式になり、評判となった。 (昭和58年)には、番組としても制作されたことがある。 日本テレビの系列局でもあるが開局30周年記念番組として企画、同局のみで放送された。 当初、青森放送から企画を打診され協力を要請された日本テレビは、番組タイトルも含めて難色を示したとされているが、最終的には実験として制作に全面的に協力、問題の提供や早押しハットなどの機材も貸し出し、福留やスタッフが青森に赴き、福留が司会を務めた。 青森放送でも、当時ラジオ制作部に所属していたがディレクターを務め、地元にちなんだ問題の作成や台本づくりなどの放送作家的な仕事もこなした。 併せて、当時アナウンサーだったがラジオ放送向けの実況(カゲの声)を務めている。 収録は、青森市内の3丁目にあった青森県営体育館(現在は取り壊され、跡地には青森県男女共同参画センターと青森県子ども家庭支援センターの2つの機能を併せ持つ複合施設「アピオあおもり」が建っている)で行われた。 第一次予選は4回に分けて行われ、のべ3,650名が参加した。 このときの優勝賞品は、アメリカ西海岸旅行であった。 がに編入されて100周年を記念して(平成5年)に行われたイベント「」の一環として、同年夏に自治体とのタイアップによる、ウルトラクイズ同様の形式のクイズ番組「80大学対抗クイズ選手権」が制作された。 この模様は日本テレビで深夜にローカル放送された。 司会は福澤が務め(この時の福澤のかけ声は「ジャストミート」ではなく「タマ王」だった)、ウルトラクイズのスタッフも多数参加した。 大学生2人1組での参加による大会であった。 収録は2日間にわたり、多摩の名所を巡った。 優勝チームには「タマ王」の称号が与えられた。 番組がもたらした影響 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2014年6月) 本番組から化されたものは大小合わせて数えきれないほどある。 パロディ化した番組の例• 『』(日本テレビ放送網、1989年 - 1996年、2007年)• 『新東名横断ウルトラクイズ』(、2012年6月30日) パロディ化したコーナーの例• 『』(系アニメ) 「東江戸川ウルトラクイズ」• 『』(フジテレビ系) 「アメリカちょっとだけ横切りウルトラクイズ」「お台場横断ツッコミウルトラクイズ」• 『』(フジテレビ系)「」• 『』(フジテレビ系) 「アメリカ大陸縦断早押しウルトラクイズ」• 『』(日本テレビ系) 「フランス横断生ダラウルトラクイズ」 - 第15回以降の司会を務めた福澤朗が同番組のレギュラーだったため、パリに到着して以降の進行を全て行った。 『』(テレビ東京系) 「お花見ウルトラクイズ、海の家ウルトラクイズ、ウルトラクイズ2004 オリジナル海鮮丼を作れ!」• 『』(テレビ朝日系) - 別れた彼女にクイズで勝てば貢いだ品物を取り返せるという企画が行われ、ハットや解答席などの小道具やBGM、画面に出る文字などすべてがウルトラクイズと同じだった。 『』(日本テレビ系) 「第99回お笑いウルトラぬいぐるみクイズ」• 『』(テレビ東京系) 2006年(平成18年)12月7日放送「王選手権」STAGE 1「アメ横 横断ウルトラクイズ」 - 本家ウルトラクイズに酷似した早押しハットが使用された。 『』(日本テレビ系アニメ) 「トットリ・オア・シマーネ横断ウルトラクイズ」 - 第5話に登場。 同話に登場する司会の福澤さん役を、本家の2代目司会の福澤朗が担当し、クイズのBGMも本家の物を使用している。 このほか、「ニューヨークへ行きたいか!」の掛け声、「」「勝ち抜け」「敗者復活戦」などの言葉、番組での、どろんこクイズやハットなどのアイデアやセットが後のテレビ・ラジオ番組で使用されたり、日本各地の大小イベント(などでも)で「ウルトラクイズ」と銘打った企画が行われるなど、『ウルトラクイズ』の存在がクイズ界にとどまることなく影響を与えている。 フジテレビの『』においても、合宿スペシャルなどでウルトラクイズのような企画がある。 また乗り物で移動しながらクイズを行う番組として、週レギュラーの『』や続く『』がある。 不正解者が脱落するコンセプトも同じだった。 2003年(平成15年)には、日テレの移転にちなむミニイベント「」が開催された。 出題役は『』の3代目司会者である。 飛び込み役は各社共通はと(2006年)、と(2007年)、と(2008年)、それ以外はスポンサー関係者などだった。 スポンサー関係者が正解に、芸人が誤答(泥)に飛び込む趣向だった。 また2008年版では、視聴者からの飛び込み役も公募していた。 2010年には、渋谷店および、セガ(後の)の『』との当番組公認のコラボ企画「」を開催した。 ロフト渋谷店では番組グッズの販売とともに、番組で使われた小道具・美術(早押しハットや早押しテーブルなど)が展示された。 他局でも、本番組で初めて登場した「クイズ王」の称号をタイトルに使用した、『』()や『』(TBS)などの大型視聴者参加型クイズ番組が生まれた。 本番組の反響は、世界各国でも紹介された。 また、日本テレビの了解を得て同様の番組が日本国外で制作された。 他国から企画を利用するクイズ番組が多かった当時の日本では、珍しい例である。 アメリカでは、1981年11月に "All American Ultra Quiz"(世界一周ウルトラクイズ)をが制作し、ネットワークで放映された。 司会はとダン・ローワンのコンビが務めた。 日本テレビもこの番組の放映権を持っていたが、本来の持ち味である人間ドラマ色が薄かったなどの理由で放映されなかった。 イギリスでは、1983年-1985年の3シリーズに渡って "" をTelevison Southが制作し、ネットワークで放送された。 第1シリーズと第2シリーズは海外でもクイズを展開したが、シリーズを追うごとに予算が縮小され、第3シリーズはイギリス国内にとどまった。 司会者はシリーズごとに異なっていた。 各シリーズとも全8回の放送であった。 大学クイズ研究会 [ ] 本番組は回数を重ねる毎に、大学関係者の出場や活躍が増えていった。 初期の優勝者や上位進出者にも、クイズサークル等に所属する「クイズ番組荒らし」と呼ばれるクイズマニアは多かったが、社会人が主流であり、同じクイズ修練者とはいえ年齢層に違いがあった。 また初期は本番組以外にも視聴者参加型クイズ番組が多く、その様々な「常連」が自然に本番組にも足を向けたため、挑戦者のバラエティも豊富だった。 しかし、本番組がクイズファンの人気を集める一方で、中盤から視聴者参加型クイズ番組は次第に減っていった。 その結果、本番組に影響されてクイズファンになったという若い世代が増え、大学クイズ研究会も本番組に向けて対策を特化させていった。 本番組のために旗揚げされた大学クイズ研究会も少なくなかった(「ウルトラクイズ愛好会」を名乗るサークルもあった)。 中期には序盤のチェックポイントにおいて大学クイズ研究会対抗戦の図式を作り上げて場を盛り上げる演出 が行われたこともあった。 特に私立の や国立の からは成績優秀な挑戦者が多く出場しており、立命館大学からはOBを含めて5人の優勝者を輩出している一方、名古屋大学からは優勝者こそ出ていないものの、機内ペーパークイズ1位を1人輩出したほか、らが番組後半まで勝ち残るなどの実績を残している。 これにより大学クイズ研究会のメンバーは、正解率も一般個人参加者より必然的に高くなり、結果的に彼らは第一次予選突破者の中でかなりの数を占めることとなった。 定員に近くなるとクイズの問題検討よりも定員内に残るための作戦(多数の集団についていき、安全策をとる)を実行したり、さらには都合上第二次予選以降に参加できないメンバーがわざと目立つように誤答することで他の参加者を道連れにし、ライバルを減らすことを試みるといった戦略も行われていた ことが日本テレビ側の反感を買っている(後述)。 本番組に出場した大学クイズ研究会は、早押しクイズを特に得意としており(知識以上の反応速度で解答権を得るために、問題文の癖読みを研究するなど)一部の視聴者から人気を得た。 一方、クイズ研究会の活躍が増えた時期から、後半のチェックポイントに正統派早押しクイズが多くなったこともあり、クイズ研究会関係者が後半まで勝ち残ってくると優勝が大方予測できてしまい、番組視聴の興味を削いだ点も指摘された。 これを初めて採用した第14回では大学クイズ研究会の大量予選通過を阻止することに成功し、終盤まで勝ち残ったのはクイズ未経験者ばかりとなった。 しかし、第15回以降は再び大学クイズ研究会の学生が準決勝や決勝に進出している。 司会の福留は著書『葬らん!』で、「ウルトラクイズには社会人が出てきて喜怒哀楽をみせてほしい」という内容を書いているが、大学クイズ研究会の急速な台頭によって思惑とは違う方向に進んでいく。 社会人が長旅で仕事や家庭などのしがらみを気にしながらそれでも旅する様を描くことが番組名物の一つであったが、まさにそれゆえ社会人は参加しにくく、番組が有名になるにつれ、1980年代中盤からは応募者の大半を学生が占め、チェックポイント通過者の多数も学生が占める結果になった。 福留が第15回で司会を降板した理由は体力の限界だった。 しかし前掲『葬らん!』によると、他の理由として「人間味のある人達を中心に扱いたいのに、個性のない若者や偏ったクイズマニアばかりが勝ち残ることに嫌気がさしたため」もあるという。 福留は、「視聴者に番組をされたようなもの」と述懐しており 、クイズ研究会関係者による大激戦が繰り広げられた第13回大会後には「クイズ研究会同士の闘いになったことは、僕としては納得できてない。 そうすると、他の一般の方々が尻込みするじゃないですか。 『ここが限界かな』と自分自身で感じたから、僕は引退する」と語っている。 特にピカイチ芸の導入に含め、福留の著書『ウルトラクイズ伝説』の「大学のクイズマニアを落とすのは簡単だ」については、大学クイズ研究会員などから非難を浴びた。 ただし、日本テレビが1991年(平成3年)に発行したムック本『絶対ニューヨークへ行きた〜いッ! アメリカ横断ウルトラクイズ 攻略技術と対策問題』においては「クイズ同好会訪問!」と題した企画があり、企画冒頭では「この本の柱になっているのは『クイズ同好会』」と明記し、いくつかの大学クイズ研究会の紹介をしている。 さらに同ムックの第11回 - 第13回の海外脱出者の討論会の席においては、インタビュアーが「この本の柱はクイズ『同好会』なんですが」と話題を振り、その後にクイズ研究会についての話が展開されている。 また、番組の企画創設メンバーであり全17回全てのクイズ問題を担当したスタッフが、「むしろ感謝こそすれ、大切なクイズファンを嫌ったり、警戒したりなどありえない」とブログに表記しており、メインスタッフでも福留とは正反対の見方をしていたことが明らかとなった。 エピソード [ ] 当初の企画は、1969年のの開通時に、沿線を移動しながらクイズを行うというものだった。 この企画は陽の目を見なかったが、舞台をアメリカ大陸に変えることで実現した。 日本テレビ開局25年企画候補の1つとして「世界をバスで横断・大クイズ大会」という企画があった。 スタジオで200人の挑戦者にクイズを出し、勝ち残った人は香港へ行き、バス移動の道中でもクイズ、脱落者を出しながら行ける所まで行くというものであった。 結局「ピラミッド再現計画」に決まったため開催されなかったが、これがウルトラクイズの原型となる。 内容および規模的に、日本テレビ職員だけでは出来ない企画だったが、第1回放送の前年、1976年7月4日に、日本テレビでアメリカ合衆国独立200年を記念して放送された番組『』で、日本人の老若男女男女7人がを利用しアメリカ大陸を横断するという内容を企画制作し、グループ海外移動のノウハウを持っていたに声を掛け、同社の参加が決まったという。 本番組が最初に企画された際の仮タイトルは「ジャンボクイズ」 だった。 しかし、(昭和52年)当時、『木曜スペシャル』のスポンサーの一社だった全日空は「ジャンボジェット」ことを保有しておらず、一方ライバルのは既に747を保有していた(全日空が747を導入したのは(昭和54年))。 「ライバル会社を連想させる名称は良くない」とのことで「ウルトラクイズ」に名称が変更されたという (当時は「航空憲法」ことのため全日空は国際線を運航しておらず、第1回は、第2回から第10回は、および"今世紀最後"ではを利用 、実際に番組内で全日空を使うようになったのは、同社がグアム路線を運航し始めた(昭和61年)の翌年、第11回大会以降である)。 また、「ウルトラクイズ」のタイトルは、番組「」に由来するとしている。 しかし第二次予選で使われた成田エアポートレストハウスは放送当時は日本航空グループであった。 『ジャンボクイズ』当時の「規約」では、既にその内容が紹介、チェックポイントも実際に行われた場所と全く同じであった。 しかし、次の様な相違点もあった。 「チェックポイント」は「」と名義されていた。 「国内予選」はチェックポイント扱いされないのに対し、『ジャンボクイズ』では「国内予選」も「関門」扱いされた。 従って「飛行機機内」以後の「関門」は、実際のチェックポイントとは2つのずれがある。 なおこれらの内「複数の場所で予選を行う」というのは、後年『史上最大の敗者復活戦』で日の目を見る事になる。 当初の計画では、日本テレビ側がアメリカ横断を、 側が「ヨーロッパ横断ウルトラクイズ」として横断を担当し、両方の優勝者がニューヨークで決勝を行う予定であった。 しかし、TBSがこの企画を拒否したため、アメリカ横断のみの開催となった。 ウルトラクイズが始まった頃、ホノルルの空港の税関で「早押しハット」が不審尋問にかかってしまったことがあった。 スタッフが身振り手振りで税関係官に説明するもなかなか通じず、電源を繋いで実演する事によって何とか通関した。 ハプニング・トラブル [ ] 次のようなハプニング・トラブルもあった。 福留の病気(第6回) でのクイズ終了後、福留がのついたを皮ごと食べ、体調を崩し病院に運ばれた。 この時は挑戦者のみ次のチェックポイントに先に移動し、福留は1日遅れの日程でロケに復帰。 次のチェックポイント()に赴くまでには腫れが引いたものの、腫れの引きが急激に起こり、顔の皮膚が伸び切った状態となってしまった。 このため、福留の顔は一切映しだされず、後姿(顔にはをつけていた)と声だけでクイズを進行した。 それがきっかけとなり、次の回からは万が一福留が何らかの理由で司会進行が不能になった場合に備え、予備のアナウンサーを同行させるようになった(石川牧子、小倉淳など)。 また、入社したての若手アナウンサーを研修目的で参加させることもあった(日高直人、鈴木健など)。 挑戦者のドクターストップ(第7回) でのクイズ終了後、挑戦者の一人が収録中に急病にかかり、現地の病院に搬送された。 のため再発の恐れがあるという理由でがかかり、日本へ強制帰国となった。 本番組の旅で常時挑戦者を1人多く連れて行く体制になっていたのは、このような不測の事態に備えていたためである。 準決勝が通常4名(第6回は5名、第10回の北米・南米各ルートでは同様の理由で3名)で行われるのはこのため。 準決勝が3名で行われたのは第1回、第3回、第7回だが、当初から3名で行われるのを想定していたのは第1回と第3回のみ。 上記の体制が確立したのは第4回以降からである。 祭典によるルートの変更(第8回) 当初で行われる予定だったが、当日があり、多数の観光客が押し寄せると予想されたためへ変更。 大声クイズは、リノに隣接している高地で行われた。 災害によるルートの変更(第10回) 当初の南米ルート決勝地は、北米ルートのに対しの予定だったが、洪水のためへ急遽変更された。 敗者が国境警備隊に拘束される(第12回) 罰ゲームでを小船で下ることになった敗者がブラジルからパラグアイ側に流されていってしまい、高速艇に乗ったパラグアイの国境警備隊に機関銃で威嚇射撃され、不法出国容疑で拘束された。 川岸にいたスタッフが急行しテレビの撮影だと説明したが、1kmほど離れた山の上から望遠カメラで撮影していたため「カメラなんてないじゃないか」と言われてしまい、最終的にはコーディネーターの交渉で解放された。 放送ではドッキリ風に編集されているが、威嚇射撃の水しぶきが確認出来る。 ストライキによるルートの変更(第13回) オーストラリアの航空便国内線が決行中で利用できず、チェックポイントをから移動できるオーストラリア東海岸範囲に変更せざるを得なかった。 ・・が削除され、代わりにモーリー・を追加したといわれる。 モーリーで大量の脱落者が出たのはこの影響と言われる。 第16回では同じくグァムで、台風自体は既に通過していたが、空港が救援物資を空輸することを最優先にしたため、ブーブーゲートが設置できなくなり、挑戦者全員をいったんグァムに下ろし、滞在先のホテル入口で類似のセットを使用し合否判定を行った。 また、電気などのライフラインも破壊され、どろんこクイズのプールを作ることができず、急遽早押しクイズに変更された。 しかし、「今世紀最後」の放送時間が同社が制作する『』の裏に重なることになってしまい、放送枠変更が叶わなかったため、テレビマンユニオンならびに白井をはじめとするスタッフが制作を降りた。 それに伴い番組スタッフは、当時の日本テレビのバラエティ番組で成果を上げていた城朋子を中心とした態勢で臨むことになった。 当初の日程では、福留が生放送でキャスターを務めていたTBS系土曜夜の報道・情報番組『』を1週()休んでロケができる日程(はで放送休止、『』に関してはこの年の8月限りで勇退していた為、1次予選は福留のズームイン司会最終回前日に実施され、2次予選以降は当初からズームイン司会交代後に実施の予定だった)が組まれていたが、成田集合から準決勝終了後一旦日本帰国成田着・1カ月後に決勝地へ出国という変則日程となり、結果的には福留は同番組の休暇日を9月26日からへ変更した。 また、全面的な企画変更を余儀なくされ、挑戦者にも多大な迷惑がかかり、出場を辞退した挑戦者も多数出て、第一次予選の補欠合格者の中で第二次予選以降に参加できる挑戦者を全員繰上げ当選させても当初の通過人数であった128名には届かなかった。 決勝会場がニューヨークでなくなったのはこの日程変更の余波といわれる。 さらに、このことにより番組予算に億単位の赤字が出た。 また、チケットは決勝地までのもの、成田(東京)行きのもの全て、誰が敗者になるかわからないので全てで取り、クイズ終了後に全て実名に変更するという方法をとっていた(の節も参照)が、の以後の世界情勢ではそれが許されなくなった(ディレクターの加藤就一・談)といったことが、以後の番組復活を妨げる要因とされる。 実際、2007年に全日空が、35周年および同社の路線就航20周年を記念、かつ翌2008年の時における同社の日本航空に対する優位性拡大を狙い、で「中国横断ウルトラクイズ」(を横断するクイズを全日空側が提案)をやるのであれば制作費として3億円を出すという提案をし、当時に出向していた元総合演出の加藤就一が詳細な企画案まで提出したものの、最終的に局上層部の判断でゴーサインが出なかったという。 番組スタッフについて [ ] 本番組におけるホテルや飛行機などの手配など、旅行部分のコーディネート業務は、番組開始から終了まで一貫してが担当していた。 番組の全盛期には「ウルトラクイズの仕事がしたい」という理由で同社を志望し実際に入社する学生が多数存在したという。 スタッフに支給される1日の食費手当は当時のアメリカの食費1食分くらいだったが、福留は「1年かかって覚える仕事を1か月で覚えるから、志願するスタッフも多い」と挑戦者に話をしていた。 スタッフはほとんど挑戦者と交流を持たないとされており、交際も禁じていた。 これは、挑戦者に情が移ったりクイズの情報等のインサイダー情報が漏れたりすることを防ぐためや、スタッフ及び挑戦者のモラル向上のためであった。 これには挑戦者個々の性格を把握しておき、それをその後の番組演出に生かす目的もあったとされている。 なお、スタッフがホテルのゴミ箱に捨てたデータから機内ペーパークイズの順位が漏れたこともあった。 決勝が終わると、ニューヨークの日本料理屋を借り切って盛大な打上げパーティが行われる。 その際、頑張ったスタッフを表彰するイベントが第1回大会から行われており、選ばれたスタッフは嬉しさの余り、声を上げて泣きながら選ばれた事を喜ぶ姿も見られたという。 参加中の挑戦者について [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2013年12月) 挑戦者は第一次予選を通過すると後楽園球場・東京ドームの近くにある建物に集められ、通称「勝者弁当」を支給されて渡航説明会を受けた。 その際大まかなクイズルート・予定などの概要を説明されるが、実際の行程は一部変更されることも珍しくなかった。 また、グァムのクイズを通過した挑戦者は誓約書を書かされた(ただし強制ではなく任意)。 挑戦者の宿泊費・交通費・食費といった旅費は日本テレビが負担した。 挑戦者の数が10名前後の時点からは代なども負担してもらえた。 失格後も成田(第1回は羽田)空港までの旅費と食費を負担してもらえたが、挑戦者のものよりランクが下がっていた。 敗者はクイズが終わると、放送上では罰ゲーム後「東京直行」 として即強制送還という演出がされていたが、実際は必ずしもそうではなかった。 日本方面の飛行機の日程の都合や現地の天候、各チェックポイントの周辺施設の警備上の問題等の理由で、実際には敗者がその地に一泊してから帰るというケースもあった。 例えば、までの機内ペーパークイズで敗者になった場合、放送ではタラップ最後の一段でグアムの地を踏めずに機内に戻され日本へUターンという演出になっているが、実際にはそのままグァムで一泊する回もあった。 また、ハワイでは敗者を乗せたバスに福留が乗り込み、「敗者の皆さんも番組を盛り上げてくれたので、特別にハワイの夜をプレゼントしましょう」と言い、勝者と共に敗者も同じホテルに一泊してから帰国したこともあった。 なお、敗者は失格地の宿泊所から空港までは残置されたスタッフが連れて行くが、それ以降乗継ぎなどがあった場合、もしくは途中で別の土地で一泊する場合にはや搭乗手続きなどを全て自分1人で、しかも自己負担で行わなければならなかった(中継地に近畿日本ツーリストのオフィスがある場合は、現地スタッフが案内するケースもあった)。 終盤や僻地で敗者になった場合、1日で日本に到着できるケースはほとんどなく(本番組放送時代は成田直行は今ほど多くはなかった)、2-3日かけて帰国 するケースもあった。 出場辞退・補欠制度 [ ] 第一次予選を突破したものの、都合により第二次予選以降の参加を辞退する挑戦者は毎回少なからず存在する。 このため第一次予選で失格した者のうち、後半の問題まで勝ち残った若干名が補欠として予め選ばれ、第二次予選日までに辞退者が出た場合は繰上げで第二次予選挑戦者に登録された。 例えば第10回大会では、最後の1席を3名で争い2名が敗者となったが、その2名は後日繰上げで勝ち抜け扱いとなり、両者ともアメリカ本土上陸を果たしている。 第12回でもクイズ王・瀬間が繰上げで第二次予選へ進んでいる。 第16回では第一次予選の途中、勝ち残り人数が絞られてきた段階で辞退者の確認が行われた。 辞退者の確認が行われる理由は、「クイズ参加者の自己都合による途中辞退や棄権は、健康上の理由など委員会が特に認める場合以外は絶対に認められません」(ウルトラクイズの進め方より)。 」 の「ウルトラクイズ審査委員会」の参加規定によるものである。 挑戦者の事情など [ ] 第一次予選を突破した挑戦者の中には、本土後半まで勝ち残り旅の途中で会社を解雇された挑戦者や、会社を退職して第二次予選に臨んだもののジャンケンで負け途方に暮れる挑戦者(第13回のジャンケン最後の敗者)もいた。 社会人にとっては、勝ち抜けたことが逆に苦難となるケースもある。 仕事の都合でそれ以上チェックポイントを勝ち進むのが困難となったり、会社から「これ以上帰ってこないなら席がなくなるぞ」と連絡を受け、無解答または故意の誤答をして失格した挑戦者もいた(大学生も不足や定期試験により故意に失格した挑戦者がいた。 では、電話を受けた挑戦者の親族が、帰国させるために故意に正解を言わず失格させた例があったという )。 このため、製作局側も勤務する会社の企業名を番組内で頻繁に出すようにし 、勝ち進むに連れて会社の宣伝になるように工夫し、仕事の都合を付けその挑戦者が休みを取りやすくなるように配慮した。 その一方で、同じ社会人でも者や会社自体の経営者、家族が経営する会社に勤めていた挑戦者は、このような縛りが比較的少ないため優位にあった。 まとまった形での休暇が取りやすいも優位で、上位に残りやすい傾向があった。 第14回クイズ王・佐藤は職員(当時の郵便局職員はに所属する公務員)、第15回クイズ王・能勢はの地方公務員であった。 民間企業の会社員で優勝したのは第11回・稲川が唯一である。 」と語っている。 小倉淳によると、特定の挑戦者に罰ゲームをやらせるのが演出上よいと考えた場合、その挑戦者を落とすため、各挑戦者の得意分野を考慮し、落としたい挑戦者が不利になるような問題順を考えていたという。 での第二次予選として行われていた3ポイント先取による勝ち抜けが第10回記念大会においてに替えられたが、翌年の第11回大会では勝ち抜けジャンケンに戻された。 また、敗者が憂さ晴らしとしてミニコーナー的に行っていたものとして、がのヘルメットとプロテクターを着用して、敗者となった参加者にで叩かせるというコーナーがあったが、徳光が参加者の強力な一撃によって軽度のを起こし、収録への参加を急遽取り止め、病院に向かうといった一幕があった。 著名人の出場・出演 [ ] 以下の著名人が参加・出演していたことが確認されている。 出場 [ ]• 高島忠夫 : 第11回の第一次予選に参加し、第1問で敗退した。 このときは当時の年齢制限の上限の45歳の挑戦者グループ「敬老団」を率いる添乗員的な役割だった。 しかし高島自身は、第1回()の時点で既に45歳を越えていた(第11回当時57歳)。 徳光和夫 : 第12回・第13回の第一次予選に参加。 第12回の参加の際には正式の手続きを踏んでの参加であることがアナウンスされた。 なお、スタンドの敗者席にて渡辺正行との「敗者の味方」交代式も行われた。 (漫画家) :『』によると、アシスタント時代は毎年のように参加していたが、一度も第一次予選から脱出できなかった。 『』ヒット後には「もし予選通過したら原稿が落ちる」と言われ断念した。 : 芸能界デビューする前、第9回の第一次予選に参加し、2問目で敗退したことがある。 大桃は大学入学時に、ウルトラクイズに出られると言われクイズ研究会へ入部した。 () : ウルトラクイズの終了後に「」で優勝したなど、クイズプレイヤーとしても知られている。 『』2003年8月号によると、ウルトラクイズには毎年参加していたが、予選突破したことはなかった。 また、同じく将棋棋士で後に名人となったを連れで参加させたが、第一次予選で森内と佐藤で答えが分かれた時に、佐藤に従ったところ、その佐藤が誤答したため、そこで敗退したという。 : 『』で、第16回の第一次予選に参加してどこまで勝ち残れるかを予想したが、結果、第1問で敗退した。 (・版画家) : 第16回の第一次予選に「ネタ」で参加し、そのことを自身の連載で書いた。 『信仰の現場』に収録されている。 タイトルの通り、本番組に参加する人を、のになぞらえ、そして自分自身はまったく興味がないはずなのに、第1問に正解するとものすごくうれしかったことを恥じるような文章になっている。 番組が継続していたら、公務員を辞めず報道関係の仕事につくつもりもなかったという。 出演 [ ]• 渡部麻里:元プロスケーター・の姉。 第4回のコロラドスプリングスで勝者にメダルをかけていた。 :徳光和夫の次男で、当時高校生(出場不可)。 第13回にて父の和夫が茅ヶ崎の実家で新聞に掲載された第1問の解答予想を聞くために呼び出し、見事に父親の第1問突破へと導いている。 :第13回にシドニーでゲスト出演し、敗者復活戦・罰ゲームも担当した。 この時、敗者復活者となったにハンドパワーTシャツをプレゼントしている。 :に入社する前、第15回の第一次予選で、「疫病神(これまですべて1問目で敗退している挑戦者。 第16回で初めて1問目を突破した)」を乗せたリリーフカーを運転していた。 (気象解説者):第16回の際、東京ドームの外で、これまでの1問目の正解とその日の気象条件から正解を予想した。 :第16回の成田予選にてVTRのみ出演。 第15回をもって敗者復活戦の廃止を宣言した福澤を宥め、敗者復活戦の廃止を撤回させた。 関連商品 [ ] 書籍 [ ]• 第6巻の2刷以降の帯には、「史上最大の敗者復活戦」の問題が掲載されているようなことが書いてあったが、実際は一問も載っていない。 福留功男の私情最大! アメリカ横断ウルトラクイズ(福留功男・編著、1984年11月、スポーツライフ社) 福留がアナウンサー時代に発刊、第7回大会での出来事も掲載。 アメリカ横断ウルトラクイズ クイズ王の本(クイズ王の会・編、1987年8月、日本テレビ放送網、) 第10回までの優勝者の文章をまとめたものだが、実際は第10回優勝者が他の優勝者に取材して、第2回優勝者がそれぞれ文体を変えて執筆した。 袋とじで第11回の予想も載っている。 絶版だが、インターネット版がウェブサイト上で公開されている(参照)。 アメリカ横断ウルトラクイズ ニューヨークへ行きたいかーッ! データ解析 傾向と対策(1990年8月、日本テレビ放送網、) 第13回大会までの問題をジャンル別に抜粋。 福留以下主要スタッフのインタビューなども掲載。 絶対ニューヨークへ行きた〜いッ! アメリカ横断ウルトラクイズ 攻略技術と対策問題(・監修、1991年8月、日本テレビ放送網、) 前掲書の事実上の続編。 立命館大学クイズソサエティ(RUQS)など大学のクイズ研究会が作成した問題や、第11回 - 第13回大会で本土上陸を果たした挑戦者の座談会などを収録。 過去問題5000問や歴代クイズ王へのインタビューなど。 過去問題は、1998年現在のデータに修正されている。 ウルトラクイズ伝説(福留功男・編著、2000年2月、日本テレビ放送網、) 番組のエピソードを各大会の写真(ただし、福留が担当した回のみ)を交え記録。 ゲームソフト [ ] 詳細は「」を参照 電子ブック [ ]• アメリカ横断ウルトラクイズ 版(ナレッジプレス、1994年1月) 書籍版第14巻(第14回大会)までの内容と、『アメリカ横断ウルトラクイズ ニューヨークへ行きたいかーッ! データ解析 傾向と対策』『絶対ニューヨークへ行きた〜いッ! アメリカ横断ウルトラクイズ 攻略技術と対策問題』からスタッフインタビュー、ジャンル解析、新作問題を収録。 さらに、歴代優勝者への質問を新規収録している(回答があった優勝者のみ)。 また、優勝者以外の挑戦者の名前は、になっている。 サウンドトラック [ ]• リニューアル版テーマ曲と第16回だけの放送で使われたオリジナル曲を収録。 (後の)より現在も入手可能。 ビデオ [ ]• 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズのすべて(1998年、、規格:) 玩具 [ ]• アメリカ横断ウルトラクイズゲーム(1984年、) 早押し機はないが、番組中のクイズ形式の再現に力を入れている。 子供向けとして発売されたが、特に早押し機は使い回しができるため、 大人にも重宝された [ ](早押し機なしバージョンもあった)。 NEW アメリカ横断ウルトラクイズ(1990年、トミー、価格:5,980円(税抜)) 早押し機やパッケージのデザインを変更し、付属の問題集が2500問に増加。 以降発売の「91年度版」「Jr. 」は、この「NEW」のフォーマットが基調となっている。 第14回の番組内で「敗者予想クイズ」に使用された。 アメリカ横断ウルトラクイズ 91年版(1991年、トミー)• アメリカ横断ウルトラクイズ Jr. (1992年、トミー)• アメリカ横断ウルトラクイズ ミニウルトラハット(2003年、) ゲームセンターの機の景品として作られた。 本物と同じようにハットの色が6色(青・赤・黄・薄緑・水色・薄紫)あり、高さ10cm弱のミニチュアサイズでウルトラハットが再現されていた。 早押し機能はついていないが、ボタンが付属されており、押すと実物と同じように「? 」マークがチャイム音と共に立ち上がる。 単三乾電池2本が必要。 稼動方式は「? 」マークをフックにひっかけて固定し、ボタンを押すと電磁石の力でフックが外れてバネの力で「? 」マークが立ち上がるもので、実物とは稼動方式が異なっている。 頭の位置に電池を入れるようになっているので、頭の入るところは空洞にはなっておらず、またハットの大きさの関係で、実際に被ることはできない。 アメリカ横断ウルトラクイズ ウルトラハットペン(2010年、日本テレビ)• アメリカ横断ウルトラクイズ ウルトラハットマスコットキーチェーン(2010年、日本テレビ) 食品 [ ]• 箱の表には福留、裏には福留と徳光(後期は渡辺)が描かれている(チョコのパッケージに現職アナのイラストが掲載されているのは初)。 テレビCMでは「第1次予選」の一部を使用した。 脚注・出典 [ ] []• 2014年1月3日. 2015年12月29日閲覧。 『ウルトラクイズ伝説』p. 126-129「アメリカ横断ウルトラクイズ 第1回大会開催 前代未聞のクイズドキュメンタリーを生んだ「頭のいい奴だけが偉いのか!? 」という反骨。 2015年12月29日閲覧。 2015年12月29日閲覧。 2015年12月29日閲覧。 2014年12月18日. 2015年12月29日閲覧。 大門弘樹『QUIZ JAPAN vol. 1』セブンデイズウォー、2013年、24頁。 一般社団法人 日本旅行業協会. 2014年5月20日閲覧。 最大の影響として、(昭和60年)のによる急激なや、(昭和63年)からのアメリカ観光渡航ビザ免除協定発効、またそれらと並行して起きたなどが挙げられる。 もともとはその後も開催される予定であったが、翌年に開催取りやめが決定したため、結果的にこの第16回が最終となった。 また、ウルトラが放送されていた『木曜スペシャル』自体も同年度末のに終了となった。 ただし、福留の著書『ウルトラクイズ伝説』では便宜上「第17回」と表現されている。 191 - 192• 北川宣浩『TVクイズ大研究』• 204)• 稀にそうでないケースも存在する。 第1回では敗者は勝者と同じ列車で罰ゲーム会場まで移動した例があり、第6回アラスカでは敗者の罰ゲームとして砂金取りをしたが、その砂金は勝者が取りに来て勝者の手に渡ったため敗者は勝者と接触しており、第7回オルバニーでは罰ゲーム中の敗者の乗った飛行機から勝者と福留が攻撃され勝者と敗者が戦闘状態になったり、第12回サンフランシスコでは勝者への弁当配達が罰ゲームの一部であったため勝者と敗者の接触が存在、第14回レイクミシガンではクイズの形式上から勝者と敗者の再接触などが存在した。 ただし一部のチェックポイントでは開始時間について事前予告をしていたこともあった。 今世紀最後(第17回)では第8チェックポイント・テキサスから準決勝地・ニューヨークに向かう機内で挑戦者4名がアイマスクをさせられ、ニューヨークに到着後もアイマスクをつけた状態で行動することになった。 準決勝・通せんぼクイズの勝者2名だけがアイマスクを外すことを許されニューヨークの摩天楼を見ることができ、敗者2名はアイマスクをつけたまま摩天楼を見られず強制帰国となった。 現地のスケジュールの都合による。 第11回ではニュージャージー(ジャージーシティ)での準決勝とニューヨークでの決勝戦が同日収録だった。 第14回では、車で数分の距離ながら時差のある2つの州の州境をまたいだ2箇所で「」が行われた。 特に、『木曜スペシャル』スポンサー(、、など)の同業社の社員が出場した時に披露するのが多かった(第5回の社員、第12回の社員、第13回の社員など。 特にニコン社員は「キヤノン」をあだ名としてサンパウロまで進出した)。 第8回第8CP、第9回第1CP、第10回第1CP(この時は事実上の罰ゲーム)、第12回第4CPなど• その後福留は第12回大会でブラジルにも訪問した。 ただし、第8回第1週・第13回第5週・第14回から第16回までの第1週は19時からの2時間枠だった。 ただし第16回はこの回を以てレギュラー大会が終了したため再放送されなかった。 関東地区での再放送は1983年に『ビッグサタデー』枠で再放送したが、枠を13:00 - 14:25及び14:30 - 16:00に拡大し(中断中は『』を放送)、本放送が3時間18分であるのに対し、再放送は2時間55分であるため、内容を再編集して放送された。 『木曜スペシャル』に限らず、他の日本テレビ系番組が時間変更や打ち切りになったり、さらには日本テレビ系番組の放映権がテレビ信州からTBS系のに移行されたりもした。 大門弘樹『QUIZ JAPAN vol. 1』セブンデイズウォー、2013年、45頁。 2014年5月9日. 2015年12月29日閲覧。 2014年12月15日. 2015年12月29日閲覧。 2015年1月2日. 2015年12月29日閲覧。 2014年1月3日. 2015年12月29日閲覧。 p38-39• さらに、実際には ・にも訪れたが、不法撮影の被疑で強制退去となったため、放映されなかった。 (昭和63年)10月7日22面。 福留や福澤みたいに本番組の為に約1ヶ月も海外ロケで拘束される訳では無い。 また、福留は「ズームイン」と当番組が重複していた期間、当番組海外ロケから帰国直後は朝に「ズームイン」の生放送をしてから、当番組のナレーション収録をしていた。 ただし第10回は途中からルートが北米ルートと南米ルート分岐し福留が北米ルートに同行したため、代わりに南米ルートは日高直人が同行出題した。 「隣りの人を蹴散らしてでも、ニューヨークへ行きたいか!! 」など、別のフレーズを使ったこともあった。 また決勝がパリとなった第9回のみ「みんな! パリへ行きたいかーっ!! 」となった。 この他にその第9回の「エッフェル塔から蹴落とされてもいいか!! 」「オーッ!! 」「病気だぜ! 」や、第12回の「どんな事をしてもに入るぞ!! 」「オーッ!! 」「誰でも入れるんだ! 2014年11月14日閲覧。 2005年7月3日. インタビュー. 2007年8月26日閲覧。 第11回では敬老会(当時の年齢上限45歳チーム)代表として第一次予選にも参加したが、第1問で敗退した• 第1問で失格した前回(第3回)のクイズ王・宗田利八郎にインタビューしていた。 第6回では本編終了後の「プレゼントコーナー」を担当したり、数回にわたって福留をサポートする同行アナを担当する(後述)など、陰ながらも初期から番組に深く関わってきた。 またビデオ「史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズのすべて」ではナレーション、CSのオリジナル番組「今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集」・「今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集PART II」(第12回・第13回の再放送時に併せて放送)では司会も担当した• 徳光時代には、稀に敗者を煽って別の敗者をピコハンで叩かせたり、全身落書きの際口紅を塗った敗者にキスマークをつけるなど逆襲することもあった。 第3回から第11回までは徳光は『』の初代総合司会だったが、第12回の時点では『ズームイン』総合司会は福留に交代して、『』の初代キャスターとなっていた。 映像では第1問発表時の様子や、『中畑クンと徳光クン』スタッフとの予想風景が映し出された。 なお、時系列では第13回から第14回の間に徳光は日本テレビを退社してフリーに転身している。 (第13回は収録段階ではまだ日テレアナだったが、番組オンエアはフリーに転身後だった)• 第6回のダラスで福留が体調を崩しツアー日程に影響が出たため、第7回から設けられた。 2名敗者が出るのは主に前半 - 中盤で、後半では準決勝を除き1名であることが多い。 優勝旗の初登場は第2回。 第1回では他のチェックポイントと同じ勝ち抜けメダル。 第12回などでは副賞で賞品の権利書なども授与された。 189 - 190• ただし「史上最大の敗者復活戦」準々決勝前に、歴代クイズ王によって行われた「早押しデモンストレーション」では使用せず、初代松尾と5代真木は 黄緑、2代北川は 赤、3代宗田は 青、4代上田は 薄紫、6代高橋は 黄をそれぞれ使用した。 第8回・第9回・第12回-第15回の計6回。 ソレノイド方式になった以後も回答後に自分でマークを倒す挑戦者は一定数いた。 大門弘樹『QUIZ JAPAN vol. 1』セブンデイズウォー、2013年、47頁。 主に視認性が悪い(第8回のバハマなど)状況や、ハット破壊の危険性がある状況(第14回ツインレークス。 ただし、前年の同じ箇所でのクイズはハット使用)で使用された。 主に成田までの敗者復活者に多かった。 変わり種として、第11回の稲川をはじめとした成田の敗者復活組 名古屋横断ミニトラクイズ通過者 は『名古屋の敗者復活者』というタスキをかけていた。 例外として挑戦者全員がドレスアップした第12回ブエノスアイレス・サバイバル特訓の第14回エリーでは着用していない。 このため何度も敗者復活している挑戦者のタスキはボロボロになることが多い。 第9回では国内第一次予選で唯一敗者復活した男性が本土上陸まで残った(アルバカーキで敗退)。 第2回の北川(サイパン)、第5回の真木(サイパン)、第7回の横田(グァム)、第9回の金子(成田・アトランティックシティ)、第10回の森田(成田・グァム)、第11回の稲川(成田)、第12回の瀬間(東京ドーム)、第13回の長戸(グァム)。 ただし厳密には第12回の瀬間は国内第一次予選の補欠繰り上げであり、敗者復活とカウントされていない。 また、第9回の金子は公式に唯一敗者復活戦を二度経験したクイズ王であるが、第10回の森田も成田の他にグァムで敗者復活戦を経験している(この部分は未放送のため、公式な敗者復活は成田の1回)• 第2回、第7回、第9回、第11回、第13回。 このうち第2回と第7回は両者が同じCP(第2回はサイパン、第7回はグァム)で敗者復活、また第11回は唯一の3人での決勝となっただけでなく、3人とも敗者復活者で、それぞれが異なる敗者復活戦を勝ち抜いたという珍しい状況であった。 第11回パームスプリングスでは強風に抗えず回答席に着くことすらできなかった挑戦者が出た。 単なるパワーやスタミナ以外の体力要素が勝敗を分けることもあった。 第7回レイクパウエルでは体型が、第12回フェゴ島では耐寒能力が勝敗を決している。 「クイズ私がママよ」などでは眼鏡を忘れるといった凡ミスが苦戦のきっかけになったりもした。 第8回フェニックスでは高水準の回答を要求されて誤答した挑戦者が失格、第13回ブルーマウンテンでは微妙な言い間違い(正解「シギとハマグリ」に対し「キジとハマグリ」と回答)をし誤答を取られた挑戦者が敗退することになった。 その一方、第8回グァム「奇襲クイズ」や第9回アトランティックシティ「ギャンブルクイズ」では通常なら即誤答の「完全に回答しきった後で言い直した回答」が、問題担当者との協議で正解とされたこともある。 『ウルトラクイズ伝説』p. 164• ラパスでの罰ゲームには立ち会うのみならず付き合わされ、食用ネズミの丸焼きを敗者と共に食べた。

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【コイン】ズームイン!!朝!の思い出何かありますか?【500枚!!!】

福留 ズームイン

1979. 5 『ズームイン!! 』放送開始 初代キャスターは徳光和夫 午前7時の時報とともに徳光和夫アナの挨拶から始まった『ズームイン!! 全国のネット局との中継による全国各地からの情報を中心とした番組は、当時としては、画期的なものだった。 「ウィッキーさんのワンポイント英会話」が大人気に! 通りがかった一般の人にいきなり英語で質問を行う「Wickyさんのワンポイント英会話」は、ウィッキーさんが声をかけると逃げ出す人が続出した。 英語は覚えなくとも「Have a nice day」は多くの人の耳に残っている。 1988. 4 福留功男が2代目キャスターに就任 徳光アナが1988年4月1日を持って「ズームイン!! 」を卒業。 2代目キャスターとして福留功男アナが就任する。 1995. 18 阪神・淡路大震災 震災直後の神戸から中継 地震発生翌日の夜に神戸に向かい、翌々日の放送は震災直後の神戸から生中継で行った。 震災の現状をありありと伝えるもので、崩壊した建物から火が上がっている状況も映像に映し出されるなど、福留アナ自身も非常に印象に残っている中継のひとつとして挙げている。 1998. 1 福澤朗が3代目キャスターに就任 福留アナに代わり、3代目キャスターとして、福澤朗アナが就任する。 2001. 1 「ズームイン!! SUPER」として、リニューアル 「ズームイン!! SUPER」にリニューアル。 「ズームイン!! SUPER」の初回放送は、視聴率17. 8%を獲得し、リニューアル後の最高視聴率を記録している。 2003. 3 羽鳥慎一が4代目キャスターに就任 4代目キャスターに羽鳥慎一アナが就任した。 羽鳥アナは当時『ズームイン!! サタデー』を担当しており、前任の福澤アナと同じように『ズムサタ』から『ズーム』を引き継ぐ形となった。 2003. 28 ズーミン初登場 番組を盛り上げるキャラクターとして、登場した。 誕生日は7月28日の獅子座。 テレビ初登場は7月28日だが、「ズーミン」という名前は、一番応募数が多かった名前として12月1日に決定。 太い眉毛が特徴で、これは羽鳥アナをイメージしている。 2005. 4 西尾由佳理アナが女性キャスターに就任 女性キャスターとして、西尾由佳理アナが就任。 『ズームイン!! SUPER』では、エンターテイメント情報を中心に担当することになった。 2006. 17 チャーミン初登場 2006年3月17日の放送で、ズーミンが「妹がほしい! 」というフリップを出したことがきっかけ。 公募の結果、「チャーミン」と命名。 西尾アナをイメージした口元が特徴。 誕生日は3月17日の魚座。 2009. 5 「ズームイン!! 」放送開始から30年 みなさまのご支援のおかげで、『ズーム』は満30歳の誕生日を迎えます!!

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福留 ズームイン

ズームイン!! は何故打ち切りになったんでしょうか? 最終回の放送見ました。 最後のコメントで西尾さんが声を震わせながら、 「こんな大変なときに、番組を終了して、申し訳ない…」 と言っているのを聞いて、こっちも目が潤んでしまいました。 あれだけの長寿番組で人気もあったのに、羽鳥が悪かったんでしょうか? 私の場合には福留時代とかはずっとみていました。 羽鳥に代わったときくらいに「プロ野球イレコミ情報」が無くなったので、 見るのを辞めました。 アンチ巨人としては、巨人が負けた日に、 あのコーナーを見るのが楽しみだったんですよね。 特に福留時代。 その後は、めざましテレビに転向しておりましたが、高島アナ降板に 伴い、見るのを辞めております。 現在は、朝ズバッを見て、みのもんたの意味不明発言に 家族で突っ込むことを朝の楽しみにしています。 …っと、私の事はさておき、何故打ち切りになったのか? 視聴率低迷だとすれば、何故見るのを辞めたのか? 教えてください。

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