アメリカ 南北 戦争。 アメリカ南北戦争

アメリカ南北戦争の原因や歴史をわかりやすく解説|リンカーンの奴隷解放宣言は有名

アメリカ 南北 戦争

南北戦争とは? 南北戦争とはその名の通り、アメリカの南部と北部に分裂し戦争した「アメリカ史上唯一の内戦」です。 英語では 「The Civil War」と言います。 死者数は過去最大と知られていて、およそ60万人以上の犠牲者を出したとも言われています。 第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などなど、 過去のアメリカが関連したすべての戦争でのアメリカ人の犠牲者数を足しても、たった数年間の南北戦争での死者数の方が上回ります。 つまり、アメリカ国内での内戦だっただけあってアメリカにとって悲惨な戦争でした。 南北戦争が勃発したのは1861年4月のことでした。 アメリカがイギリスとの戦いで劇的な勝利を掴み、独立してからまだ100年も経っていない頃です。 このことから当時のアメリカでは 「戦争は栄光である」という考えが当たり前でした。 そのような戦争に対しての意識の低さから、当時は 「キャンプシートを持っていって戦争見学をする」人なんかも本気でいたほどです。 しかし、いざ戦争になってみると悲惨極まりなく、実際に多くの人が犠牲になった結果アメリカでもこの時から「戦争は悲惨なもの」という認識が根強く残ることとなります。 もう一つこれほどまで悲惨な戦争になってしまった原因は兵器の進歩です。 南北戦争は史上初めて近代兵器が実践的に使われた戦争とも知らています。 そんな近代的な戦争にも関わらず、この頃のアメリカの社会制度はまだ発達しておらず、死体は戦場に放置したままで埋葬することすら困難な状態にまでになってしまいました。 結果的に伝染病が各地で広まり病気によって命を落とす人も多く出ました。 南北戦争の原因 奴隷制廃止論VS奴隷擁護論 保護貿易VS自由貿易 州の権限 南北戦争の原因は主にこの3つが挙げられます。 北部の主張 「奴隷を開放すべきだ」 それまでアメリカは黒人を奴隷の身分として扱ってたアメリカでしたが、北部の州を中心に奴隷開放論が広まりました。 これは単に「博愛的な観点からの主張」ではなく経済的な理由があったのが事実です。 18世紀から19世紀初頭にかけてイギリスでは工業革命が起こっていて、イギリスは当時「世界の工場」と呼ばれてアメリカ含む世界の国々に工業製品を輸出していました。 しかし1812年にイギリスとアメリカの戦争が勃発します。 これ以来イギリスから工業製品が輸入できなくなったアメリカは、それまで農業中心だったアメリカ経済は自国で工業を発展させることを決めます。 これ以来、北部の地域で工業が急速に発展し始めます。 奴隷=農作業 というのが基本だったため、工業発展により人工が都市部に集中し、安い労働力で大量生産できるようになった今北部では奴隷をこれ以上必要としていませんでした。 それどころか、生産だけして消費者がいないと本末転倒なので、それまで奴隷身分だった黒人の方々を労働者にすることによって、自由に商品を消費してくれる、結果として国内市場が拡大すると考えました。 さらに自国のみで工業製品を生産し、保護貿易による「国内産業」を優先するべきだと主張しました。 そこで、奴隷開放論者は 「奴隷の理不尽さ」を感情的に訴え始めます。 実際に奴隷というのは非人道的な制度でしたが、プロパガンダを含む様々な政治的宣伝がこの頃から始まりました。 南部の主張 アメリカ南部の気候は非常に温暖で農業に最適でした。 現在でもアメリカ南部に行くと広大な農場を見ることができます。 そんな南部の地域では黒人奴隷が必要不可欠でした。 大きな土地と農場を持った家主は奴隷をお金で購入し、自分の家に住まわせる代わりに 主に 農作業を手伝わせます。 生産すればするだけ土地も生産率も増えていくので、大量生産した農産物を海外 主にイギリス に輸出する必要がありました。 そこで北部の保護貿易論に対し、南部は自由貿易を訴えます。 さらに北部と南部の対立の原因となったのが「連邦政府のあり方」でした。 そもそもアメリカは「合衆国」と呼ばれるだけあって、建国当初から州が集まってできた合衆国です。 「あくまでそれぞれの州政府が力を持つべきであって、連邦政府の権力が強いのはよくない」 南部はこのように主張しました。 そこで南部の州は、 「アメリカ連合国」という新しい国を建国し独立を宣言します。 ここで南北戦争が勃発します。 南北戦争の概要 アメリカ合衆国 北部 VS アメリカ連合国 南部 出典: 北部の州 青色 メイン・ニューハンプシャー・ヴァーモント・マサチューセッツ・ロードアイランド・コネティカット・ニューヨーク・ニュージャージー・ペンシルヴェニア・オハイオ・ミシガン・インディアナ・イリノイ・ウィスコンシン・アイオワ・ミネソタ・カンサス・オレゴン・カリフォルニア 南部の州 赤色 サウスカロライナ・ミシシッピー・フロリダ・アラバマ・ジョージア・ルイジアナ・テキサス・ヴァージニア・ノースカロライナ・テネシー・アーカンソー 中立 水色 デラウェア・メリーランド・ケンタッキー・ミズーリ・ウェストヴァージニア 南北戦争の結果 結果は北部が勝利し、南部 アメリカ連合国 は独立せずアメリカ合衆国のままにとどまります。 奴隷の所有は憲法で禁止され、南部に住む奴隷は開放されました。 この戦争以降連邦政府の権力がさらに高まり中央集権化が進みました。 当時のアメリカ合衆国 北部 の大統領はリンカーン大統領でした。 アメリカ合衆国ではナンバーワンの偉人と名高い人物です。 しかしこの「奴隷制廃止」の政策によって、リンカーン大統領はワシントンDCにて南部 アメリカ連合国 支持者により暗殺されてしまいます。 ホワイトハウスの前で、「黒人の参政権を認めたい」と演説した直後の出来事でした。 これ以降も主に南部の地域では黒人差別はなくならず、黒人に対する虐殺事件、人種隔離などが続きました。 公民権運動により、憲法で正式にすべての人が 「平等の権利」を手にするのはキング牧師が出てくる1960年代まで待つことになります。 そのキング牧師も最終的に暗殺されてしまいます。 現在でも南北戦争の話になると、北部と南部の人では意見が合いません。 南北戦争がアメリカに与えた影響は計り知れないものがありますが、アメリカにはびこっている人種間の争いは 南北戦争から始まると言っても過言ではありません。

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南北戦争

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南部は結局負けてしまった訳ですが、 もし勝っていたら、この大統領がアメリカ全土を治めていたかもしれません。 南部11州(奴隷州) 1860年12月に脱退 1861年1月に脱退 1861年5月までに脱退 サウスカロライナ ミシシッピ バージニア フロリダ アーカンソー アラバマ テネシー ジョージア ノースカロライナ ルイジアナ テキサス 首都はモンゴメリーから バージニア州のリッチモンドに移されました。 この11州が 南部11州(奴隷州)です。 レベル・フラッグ、南部の旗と認識されてます 州が独立しちゃうなんて、今だと考えられないですねー?ビックリ!! ただし、奴隷制をしていた州全てが、連合国に参加したわけではありませんでした。 5州は中立として、北部の味方に残りました。 奴隷制だけど中立の5州 デラウェア ケンタッキー メリーランド ミズーリ ウェストバージニア これで合衆国は 北部18州と中立5州を合わせた 23州となりました。 北部18州 メイン ニューハンプシャー ヴァーモント マサチューセッツ ロードアイランド コネティカット ニューヨーク ニュージャージー ペンシルヴェニア オハイオ ミシガン インディアナ イリノイ ウィスコンシン アイオワ ミネソタ カンザス オレゴン カリフォルニア 優勢となった北軍は、• 1862年2月 ドネルソン砦の戦い(死者約800人)• 1862年4月 シャイローの戦い(死者約3500人)• 1862年4月 ニューオーリンズの戦い(死者約0人)• 1862年9月 アンティータムの戦い(死者約3600人)• 1862年10月 ペリービルの戦い(死者約1400人)• 1862年12月 ストーンズリバーの戦い(死者約3000人)• 1863年5月 ビックスバーグの包囲戦(死者約4000人) そして• 1863年7月 ゲティスバーグの戦い(死者約7800人) で大勝し、 ゲスティバーグ跡地 ユリシーズ・グラント将軍が、 1865年3月にアメリカ連合国の 首都リッチモンドを陥落して 戦争は終結しました。 ユリシーズ・グラント将軍、後の第18代合衆国大統領 南北戦争は4年で終わったわけですが、 まとめ 南北戦争について、いかがでしたでしょうか?• 南北戦争は、1861年から1865年に行われた合衆国と連合国の戦争• 奴隷を使って農業中心、自由貿易を希望した南部が連合軍を結成して独立• 北部は奴隷制に反対、工業製品を作り、保護貿易を希望していたので対立した• 戦争のきっかけはリンカーンが大統領に選ばれたこと• 最初は南部が優勢だったが、奴隷解放宣言を転機に北部が勝利• 南北戦争の死者数は約70万で過去最悪 でした。 今まで南北戦争って漠然としか知らなかったのですが、 こんなにも長い間、こんなにも たくさんの人が亡くなり、傷ついていたのですね。 本当に 死者数には驚きました! あと戦いの数の多さ…アメリカの子供達は歴史でこれを覚えるのでしょうか? テストで出るとしたら、大変ですね。 日本と違って暗記式じゃないのかな??•

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アメリカ南北戦争における兵器装備状況(工廠資料より)

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1812年に勃発した米英戦争を通じて、さらに国内産業を発展させ、奴隷問題に起因する1861年の南北戦争 アメリカ合衆国とアメリカ連合国の戦争 を経て、国内の統一を果たした。 そして、ヨーロッパからの移民による人口増加・大陸横断鉄道の開通により、アメリカは世界一の工業国へと発展した。 また、対外的には、ヨーロッパとの相互不干渉を基本方針としていたが、ナポレオン戦争に乗じてイギリスが通商妨害を行うと、これに対抗して12年に アメリカ・イギリス戦争が開始される。 米英戦争 この戦争でアメリカは常に劣勢であった。 しかし、イギリスはナポレオン戦争で軍事的・経済的に疲弊しており、ウィーン会議の下で、新秩序を早く確立したい意向もあって停戦を望んだ ガン条約。 また、戦争中にイギリス商品のアメリカへの輸入がストップしたため、アメリカの経済的な自立が促され、経済的にも独立する結果となった。 結果としてアメリカの国内工業は保護され、特に北部諸州では綿工業などが発展する事となった。 奴隷制をめぐる南北戦争 一方、南部諸州は 奴隷制プランテーションによる農業中心の産業構造を確立しており、保護関税政策を求める北部とは対照的に、自由貿易政策を主張していた。 西部開拓が進み、新たな州が誕生するようになると、新しくできた州に奴隷制の拡大を認めるか否かで南北の対立は深まるようになった。 そして1860年に奴隷制に反対する共和党の リンカーンが大統領に当選すると、南部諸州は合衆国からの脱退を宣言し、翌61年に アメリカ連合国を結成、 南北戦争が始まった。 リンカーンは62年の自営農地法 ホームステッド法 によって西部農民の支持を得、63年の 奴隷解放宣言で内外の世論を味方に付けた事で、北部に勝利をもたらした。 世界最大の工業国となったアメリカ 南北戦争の結果、工業国として歩む事となったアメリカは、ヨーロッパからの移民による人口急増などもあり、目覚ましい発展を遂げた。 さらに、1869年に最初の 大陸横断鉄道が開通した事で、国内市場の結び付きが強まり、1890年代には世界最大の工業国となった。 アメリカ独立発展年表 西暦 出来事 1783年 東部13州がイギリスから独立 1787年 合衆国憲法制定 1812年 米英戦争 1853年 アメリカ合衆国、大陸領土の確定 1861年 南部独立を宣言 合衆国から離脱した南部11州は、ジェファソン・デーヴィスを大統領とするアメリカ連合国を結成する。 南北戦争勃発 北部 アメリカ合衆国 vs南部 アメリカ連合国 の内戦 1863年 奴隷解放宣言 1865年 北部、南北戦争に勝利 1869年 大陸横断鉄道開通 1890年代 アメリカ、世界一の工業国となる。 アメリカへの移民が過去最大となる。

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