ごぼう 漢字。 「きんぴらごぼう」の名前の由来

「きんぴらごぼう」の名前の由来

ごぼう 漢字

牛蒡の始まりが縄文時代なのか平安時代なのかはっきりしてないのね。 平安時代頃に日本最古の「牛蒡」の記録 ルーツがはっきりしないので、文献上の歴史を見ていきましょう。 日本の歴史上、 初めて「牛蒡」に関する記述が登場するのは898~901年頃に成立した漢和辞典『新撰字鏡』(しんせんじきょう)です。 『新撰字鏡』には「悪實(あくみ) 支太支須(きたきす)乃弥」とあり、この 「支太支須(きたきす)」が牛蒡の古い名称とされています。 「牛蒡」自体の字が初めて登場したのは、931~938年頃に成立した辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』とされます。 この『倭名類聚抄』の「蔬菜(そさい/栽培作物)部」の「野菜類」に「牛蒡」の名前が登場します。 つまり、 931~938年(平安時代)頃には、すでに「野菜」として知られていたわけです。 牛蒡が栽培された始めたのは鎌倉時代 牛蒡が実際に栽培されていたのは、鎌倉時代(1185~1333年)頃とされます。 京都・東寺伝来の古文書『東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)』の1266年(文永3年)の記載に 「牛房五十把」「山牛房卅本」と牛蒡の収穫量の明細が記されています。 「これくらい採れてたよ」っていう明細があるということは、 栽培されていたということ。 江戸時代に急増「牛蒡の種類」 江戸時代に入ると、様々な品種が生まれたとされます。 大浦ごぼう 千葉匝瑳(そうさ)市大浦地区原産。 太くて短い牛蒡、とても柔らかく煮物に適しており、現代では高級料理の食材とされます。 沢野ごぼう 石川県七尾市原産。 形は太長く、沢野婆谷神社の神主が取り寄せた京都の牛蒡の種を栽培したのが始まりであり、主に将軍家に献上されていました。 美東ごぼう 山口県美東町原産。 赤い粘土質の土壌で栽培され、根が長いうえに、根の先端まで肉付きが良く、柔らかい食感と香りが特徴的で市場では高値が付きます。 滝野川ごぼう 特有の香りがあり、肉質には弾力があります。 1688~1704年(元禄年間)に栽培が始まったとされ、 水はけが良い滝野川村(現在の北区滝野川)に住む鈴木源吾なる人物によって品種改良が行われました。 「良種」とされ、全国に広まった品種でもあり、 現在日本で栽培されている品種の9割はこの滝野川ごぼうの系統であり、派生種とされています。 牛蒡の栄養 牛蒡の大部分は 「イヌリン」「ヘミセルロース」と呼ばれる食物繊維で構成されています。 牛蒡の独特の風味やゴリっとした歯ごたえは、 これら食物繊維によるものです。 続いては、これらの効果・効能。 「牛蒡抜き」:牛蒡を勢い良く引き抜くように、一気に抜いてしまうこと• 「ごんぼ(牛蒡)掘り」:牛蒡を引き抜く(掘る)のは力が必要で厄介なことが転じて、面倒な人、くだを巻く人、無理難題を言う人、文句ばかりの人を指す• 「人の牛蒡で法事する」:他人が持参した牛蒡で法事の料理を作ることから、他人の物で自分のやるべきことを済ませること、転じて 他人に便乗して済ませてしまうこと• 「牛蒡の種まきは柿の葉三枚」:柿(木)の芽に葉が三枚付いた頃に、牛蒡の種をまくと良いという教え• 「酢はなます 牛蒡は田麩(でんぶ)」:なますは酢が、麩(ふ)は牛蒡があるとおいしくなることから、 料理の際に欠かせないアイテムのこと• 「牛蒡を同じ土地に二年作らぬ者は馬鹿」:牛蒡は同じ土地で作ると収穫量が増えると信じられたため/ 牛蒡は地中深くまで根を伸ばすため、畑の土をよく混ぜて、次の栽培のためにも良い土を作るとされる 後に『私は貝になりたい』としてこの話を参考にしたフィクションとしてテレビドラマ化されました。 生薬「牛蒡子」の由来 「牛蒡子(ごぼうし)」とは、 漢方薬に用いられる生薬(しょうやく)の一種で、 牛蒡の種子を乾燥させたものです。 由来は定かではありませんが、「牛房子(ごぼうし)」は 牛蒡の種子を指すため、牛蒡子と呼ばれると推察されます。 煎じて飲用すると腫れの治癒に効くとされ、漢方薬としては扁桃腺炎、神経症、湿疹、じんましんなどに含まれています。 中国では「悪実」とも呼ばれたワケ 1596年に中国で出版された薬学書『本草綱目(ほんぞうこうもく)』には、牛蒡について 「悪実」と記載されています。 そのまま訳せば「悪い実」とされ、 トゲが多くて(薬にするには都合が)悪い植物だったためといわれています。 しかし、「悪」には「強い」という意味もあり、 滋養強壮の効果があったためにそう名付けたと解釈する方もいます。

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日本で古くから食べられる『ごぼう』!漢字で書いた名前の由来や花言葉とは?

ごぼう 漢字

牛蒡の始まりが縄文時代なのか平安時代なのかはっきりしてないのね。 平安時代頃に日本最古の「牛蒡」の記録 ルーツがはっきりしないので、文献上の歴史を見ていきましょう。 日本の歴史上、 初めて「牛蒡」に関する記述が登場するのは898~901年頃に成立した漢和辞典『新撰字鏡』(しんせんじきょう)です。 『新撰字鏡』には「悪實(あくみ) 支太支須(きたきす)乃弥」とあり、この 「支太支須(きたきす)」が牛蒡の古い名称とされています。 「牛蒡」自体の字が初めて登場したのは、931~938年頃に成立した辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』とされます。 この『倭名類聚抄』の「蔬菜(そさい/栽培作物)部」の「野菜類」に「牛蒡」の名前が登場します。 つまり、 931~938年(平安時代)頃には、すでに「野菜」として知られていたわけです。 牛蒡が栽培された始めたのは鎌倉時代 牛蒡が実際に栽培されていたのは、鎌倉時代(1185~1333年)頃とされます。 京都・東寺伝来の古文書『東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)』の1266年(文永3年)の記載に 「牛房五十把」「山牛房卅本」と牛蒡の収穫量の明細が記されています。 「これくらい採れてたよ」っていう明細があるということは、 栽培されていたということ。 江戸時代に急増「牛蒡の種類」 江戸時代に入ると、様々な品種が生まれたとされます。 大浦ごぼう 千葉匝瑳(そうさ)市大浦地区原産。 太くて短い牛蒡、とても柔らかく煮物に適しており、現代では高級料理の食材とされます。 沢野ごぼう 石川県七尾市原産。 形は太長く、沢野婆谷神社の神主が取り寄せた京都の牛蒡の種を栽培したのが始まりであり、主に将軍家に献上されていました。 美東ごぼう 山口県美東町原産。 赤い粘土質の土壌で栽培され、根が長いうえに、根の先端まで肉付きが良く、柔らかい食感と香りが特徴的で市場では高値が付きます。 滝野川ごぼう 特有の香りがあり、肉質には弾力があります。 1688~1704年(元禄年間)に栽培が始まったとされ、 水はけが良い滝野川村(現在の北区滝野川)に住む鈴木源吾なる人物によって品種改良が行われました。 「良種」とされ、全国に広まった品種でもあり、 現在日本で栽培されている品種の9割はこの滝野川ごぼうの系統であり、派生種とされています。 牛蒡の栄養 牛蒡の大部分は 「イヌリン」「ヘミセルロース」と呼ばれる食物繊維で構成されています。 牛蒡の独特の風味やゴリっとした歯ごたえは、 これら食物繊維によるものです。 続いては、これらの効果・効能。 「牛蒡抜き」:牛蒡を勢い良く引き抜くように、一気に抜いてしまうこと• 「ごんぼ(牛蒡)掘り」:牛蒡を引き抜く(掘る)のは力が必要で厄介なことが転じて、面倒な人、くだを巻く人、無理難題を言う人、文句ばかりの人を指す• 「人の牛蒡で法事する」:他人が持参した牛蒡で法事の料理を作ることから、他人の物で自分のやるべきことを済ませること、転じて 他人に便乗して済ませてしまうこと• 「牛蒡の種まきは柿の葉三枚」:柿(木)の芽に葉が三枚付いた頃に、牛蒡の種をまくと良いという教え• 「酢はなます 牛蒡は田麩(でんぶ)」:なますは酢が、麩(ふ)は牛蒡があるとおいしくなることから、 料理の際に欠かせないアイテムのこと• 「牛蒡を同じ土地に二年作らぬ者は馬鹿」:牛蒡は同じ土地で作ると収穫量が増えると信じられたため/ 牛蒡は地中深くまで根を伸ばすため、畑の土をよく混ぜて、次の栽培のためにも良い土を作るとされる 後に『私は貝になりたい』としてこの話を参考にしたフィクションとしてテレビドラマ化されました。 生薬「牛蒡子」の由来 「牛蒡子(ごぼうし)」とは、 漢方薬に用いられる生薬(しょうやく)の一種で、 牛蒡の種子を乾燥させたものです。 由来は定かではありませんが、「牛房子(ごぼうし)」は 牛蒡の種子を指すため、牛蒡子と呼ばれると推察されます。 煎じて飲用すると腫れの治癒に効くとされ、漢方薬としては扁桃腺炎、神経症、湿疹、じんましんなどに含まれています。 中国では「悪実」とも呼ばれたワケ 1596年に中国で出版された薬学書『本草綱目(ほんぞうこうもく)』には、牛蒡について 「悪実」と記載されています。 そのまま訳せば「悪い実」とされ、 トゲが多くて(薬にするには都合が)悪い植物だったためといわれています。 しかし、「悪」には「強い」という意味もあり、 滋養強壮の効果があったためにそう名付けたと解釈する方もいます。

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ごぼうの漢字はなぜ「牛蒡」?花言葉は?意味や由来について!

ごぼう 漢字

伝統的薬能 牛蒡子は辛苦・寒で、辛散苦泄し寒で清熱し、毒邪を外透し痰熱を内泄するので、風熱挾毒に常用する要薬です。 疏散風熱・宣肺去痰・透疹解毒消腫の効能をもち、体潤で滑腸し二便を通利するので、風熱感冒・肺熱痰嗽・斑疹不透・咽喉腫脹・廱腫瘡毒などに用い、とくに二便不利をともなうときに適します。 薬物の治療効果と密接に関係する薬性理論(四気五味・昇降浮沈・ 帰経・有毒と無毒・配合・ 禁忌)の柱となるのが次に掲げる「性・味・ 帰経」です。 例えぱ、患者の熱を抑える作用のある生薬の性は寒 涼 性であり、冷えの症状を改善する生薬の性は熱 温 性です。 寒性、 涼性の生薬は体を冷やし、消炎・鎮静作用があり、 熱性、 温性の生薬は体を温め、興奮作用があります。 生薬( 中薬)の性質と関連する 病証 性質 作用 対象となる 病証 寒/涼 熱を下げる。 火邪を取り除く。 毒素を取り除く。 陰虚証。 熱/温 体内を温める。 寒邪を追い出す。 陽を強める。 陽虚証。 平 熱を取り除き、内部を温める2つの作用をより穏やかに行う。 すべての病証。 【薬味】…辛 まず肺に入ります。 この上位5つの味は 五臓(内臓)とも関連があり、次のような性質があります。 生薬( 中薬)の味と関連する 病証 味 作用 対象となる 病証 対象 五臓 辛(辛味) 消散する/移動させる。 体を温め、発散作用。 気滞証。 血瘀証。 肺に作用。 酸(酸味)すっぱい。 縮小させる(収縮・固渋作用)。 虚に起因する発汗。 虚に起因する出血。 慢性的な下痢。 尿失禁。 肝に作用。 甘(甘味) 補う。 解毒する。 軽減する。 薬能の調整。 緊張緩和・滋養強壮作用。 脾に作用。 鹹(塩味)塩辛い。 軟化と排除。 大腸を滑らかにする。 しこりを和らげる軟化作用。 リンパ系その他のシステムが戦っているときの腫れ。 腎に作用。 苦(苦味) 上逆する気を戻す。 湿邪を乾燥させる。 気血の働きを活性化させる。 熱をとって固める作用。 咳・嘔吐・停滞が原因の便秘。 排尿障害。 水湿証。 肺気の停滞に起因する咳。 血瘀証。 心に作用。 淡(淡味) 利尿。 水湿証。 生薬は、薬草を現代医学により分析し、効果があると確認された有効成分を利用する薬です。 生薬のほとんどは「日本薬局方」に薬として載せられているので、医師が保険のきく薬として処方する場合もあります。 中薬は、本場中国における漢方薬の呼び名です。 薬草単体で使用するときを中薬、複数組み合わせるときは、方剤と呼び分けることもあります。 本来中薬は、患者個人の証に合わせて成分を調整して作るものですが、方剤の処方を前もって作成した錠剤や液剤が数多く発売されています。 これらは、 中成薬と呼ばれています。 従って、中国の中成薬と日本の漢方エキス剤は、ほぼ同様な医薬品といえます。 2.【本草経集注】(西暦500年頃) 斉代の500年頃に著された 陶弘景(とうこうけい)の『本草経集注(しっちゅう)』です。 掲載する生薬の数は、『神農本草経』(112年)の2倍に増えました。 松溪論畫圖 仇英(吉林省博物館藏) 陶弘景(456~536年)は、中国 南北朝時代(420~589年)の文人、思想家、医学者です。 江蘇省句容県の人です。 茅山という山中に隠棲し、 陰陽五行、山川地理、天文気象にも精通しており、国の吉凶や、祭祀、討伐などの大事が起こると、朝廷が人を遣わして陶弘景に教えを請いました。 そのために 山中宰相と呼ばれました。 庭に松を植える風習は陶弘景からはじまり、 松風の音をこよなく愛したものも陶弘景が最初です。 風が吹くと喜び勇んで庭に下り立ち、松風の音に耳をかたむける陶弘景の姿はまさに仙人として人々の目に映ったことでしょう。 3.【本草項目】(西暦1578年) 30年近い歳月を費やして明代の1578年に完成された 李時珍(りじちん)の『本草項目』です。 掲載する生薬の数は、約1900種に増えました。 『本草綱目』は、1590年代に金陵 南京 で出版され、その後も版を重ねました。 わが国でも、徳川家康が愛読したほか、薬物学の基本文献として尊重され、小野蘭山陵『本草綱目啓蒙』など多くの注釈書、研究書が著されています。 本草綱目は日本などの周辺諸国のみならず、ラテン語などのヨーロッパ語にも訳されて、世界の博物学・本草学に大きな影響を与えています。 儒者・林羅山(1583~1657年)の旧蔵書 李時珍(1518~1593年)は、中国 明時代(1368~1644年)の中国・明の医師で本草学者。 中国本草学の集大成とも呼ぶべき『本草綱目』や奇経や脉診の解説書である『瀕湖脉学』、『奇経八脉考』を著した。 湖北省圻春県圻州鎮の医家の生まれです。 科挙の郷試に失敗し、家にあって古来の漢方薬学書を研究しました。 30歳頃からあきたらくなって各地を旅行し調査したり文献を集めたりはじめます。 ついに自分の研究成果や新しい分類法を加え、30年の間に3度書き改めて、1578年『本草綱目』を著して、中国本草学を確立させました。 【薬用部分】….

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