ジョジョ ラビット 新宿。 『ジョジョラビット』苦境の戦時下でも希望がわいてくる最後の言葉

映画『ジョジョラビット』ネタバレ感想7個の疑問徹底解説

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解説 「マイティ・ソー バトルロイヤル」のタイカ・ワイティティ監督が第2次世界大戦時のドイツに生きる人びとの姿を、ユーモアを交えて描き、第44回トロント国際映画祭で最高賞の観客賞を受賞した人間ドラマ。 第2次世界大戦下のドイツに暮らす10歳のジョジョは、空想上の友だちであるアドルフの助けを借りながら、青少年集団「ヒトラーユーゲント」で、立派な兵士になるために奮闘する毎日を送っていた。 しかし、訓練でウサギを殺すことができなかったジョジョは、教官から「ジョジョ・ラビット」という不名誉なあだ名をつけられ、仲間たちからもからかいの対象となってしまう。 母親とふたりで暮らすジョジョは、ある日家の片隅に隠された小さな部屋に誰かがいることに気づいてしまう。 それは母親がこっそりと匿っていたユダヤ人の少女だった。 主人公のジョジョ役をローマン・グリフィン・デイビス、母親役をスカーレット・ヨハンソン、教官のクレツェンドルフ大尉役をサム・ロックウェルがそれぞれ演じ、俳優でもあるワイティティ監督が、ジョジョの空想の友だちであるアドルフ・ヒトラーに扮した。 第92回アカデミー賞では作品賞ほか6部門でノミネートされ、脚色賞を受賞した。 2019年製作/109分/G/アメリカ 原題:Jojo Rabbit 配給:ディズニー スタッフ・キャスト この映画が大好きですと最初に断った上で言うと、かなりスレスレな作品だとは思う。 タイカ・ワイティティがホロコーストの歴史を茶化すつもりでコメディ調に仕立てたわけではないことは、この映画を観た人にはよくわかると思うが、冒頭からビートルズ、トム・ウェイツ、デヴィッド・ボウイなど、第二次大戦下では存在すらしなかったポップソングを流しまくり、色調もポップなら、極端に戯画化されたキャラクターも多い。 まさかそのまま「コレが歴史だ」と勘違いする人はいないだろうが、題材が題材だけに、人類史上未曾有の悲劇をここまでポップにしていいのか、という疑念は湧く。 ほんの一瞬だけだけど。 一度浮かんだ疑念が消し飛んだのは、本作が決して「歴史を再現しよう」という意図では作られていないから。 もちろんナチスがホロコーストが背景にあるが、当時の世相が抱えていた社会の問題は、容易に現代に生きるわれわれ自身と重ねることができる。 全体主義がもたらす同調圧力、国家的高揚や熱狂の落とし穴、信念の大切さと個人レベルの無力さ……。 この映画が歴史に忠実なホロコースト映画だったら、過去の重みに圧倒されたかも知れないが、ここまで自分たちと結びつける親和性を獲得できただろうか。 つまりワイティティは、あくまでも現代に生きるわれわれのためのこの映画を撮ったのだと思う。 甘い口当たりと同じくらい、切実な本気が宿っている。 ネタバレ! クリックして本文を読む 「ナチス」というと冗談では済まされないタブー感が突き刺さってやまないが、本作は幕が上がるやナチュラルにその世界へと誘われる。 子供の純粋さを利用して巧妙に忍びよるプロパガンダの恐ろしさが、このメルヘンチックなドラマから痛いほど伝わってくるのだ。 そうした特殊構造を深く知るためにも、我々はこの映画を警戒するのではなく、まずは思い切って乗ってみるべきなのだろう。 思春期というものが純粋さから穢れへの移行期だとするなら、本作が描くのはその反転だ。 少年が純粋だと思い込んでいたものは実は違った。 彼は多くの大切なものを失う過程で、穢れの中から手探りで真実を見つけ出そうとする。 真実とは何かを判断できる位置までたどり着こうと必死に手を伸ばすのだ。 そういった意味での成長ドラマがここにある。 上映中『ライフ・イズ・ビューティフル』のことを思い出していた。 真逆の世界ではあるが、どこか通底している気がしてならない。 第二次大戦下のドイツで、幻のヒトラーと対話しながら暮らす小心者の少年、ジョジョの物語は、描き尽くされてきたホロコーストにユーモアを持ち込んで異色の世界の構築している。 アートワークはウェス・アンダーソンのそれを彷彿とさせるジオラマ的でシンメトリーな作りで、ファッションも小粋。 音楽のエッジィさは言うまでもない。 ユーモアや凝ったプロダクション・デザインの隙間からこぼれ落ちてくる戦争の悲惨が返って観客の心を打ちのめすことも確かだが、監督のタイカ・ワイティティは、ジョジョの家に隠れ住むユダヤ人少女、エルサに希望を託すことで、見る側の心も気持ちよく解放してくれる。 エルサはナチスによってその命を奪われたアンネ・フランクの化身であり、アンネに代わってその後の人生を開拓していったであろう希望の証なのだ。 冒頭、ヒトラーに熱狂する群衆の記録映像に、ビートルズの「抱きしめたい」のドイツ語版をかぶせる風刺のセンス!現在の視点から当時のドイツ人を批判するのは容易だが、彼らにとってヒトラーはまさにロックスターのような崇拝の対象、偶像=アイドルだったのだ。 本来シリアスなナチスやユダヤ人迫害を題材にした映画でも、近年は作り手・観客ともに相対的、客観的に扱える世代が増えたせいか、ユーモアを活かしたコミカルな作品が増えてきた。 そうした作品群の中でも、本作のユニークさ、チャーミングさは格別。 ドイツ人少年ジョジョとユダヤの娘エルサを演じた2人の魅力に負うところが大きいし、とりわけジョジョの変化や成長を精妙に描写したタイカ・ワイティティ監督の手腕にも感嘆した。 デヴィッド・ボウイがベルリンの壁のそばで会う恋人たちに着想を得たという「ヒーローズ」のドイツ語版が流れるラストも最高。 洋楽好きにもおすすめしたい。 「デスカムトゥルー」 C IZANAGIGAMES, Inc. All rights reserved. 「ソニック・ザ・ムービー」 C 2020 PARAMOUNT PICTURES AND SEGA OF AMERICA, INC. ALL RIGHTS RESERVED. 「エジソンズ・ゲーム」 C 2018 Lantern Entertainment LLC. All Rights Reserved. 」 C 2019 Sony Pictures Television Inc. and CBS Studios Inc. All Rights Reserved. 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved.

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ジョジョ・ラビット : 作品情報

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あらすじ [ ] 中、孤独なドイツ人少年のジョジョは周囲からいじめられており、ののみが救いだった。 ある日、母親が屋根裏にユダヤ人の少女を匿っているのを発見したことから、政治的な考えが変わり、ヒトラーのに向き合うことになる。 ヨハネス・"ジョジョ"・ベッツラー: () - 10歳の少年。 エルサ・コール: () - ユダヤ人の少女。 ロージー・ベッツラー: () - ジョジョの母親。 : () - ジョジョの空想上の友達。 クレンツェンドルフ大尉: ()• フロイライン・ラーム: ()• フィンケル: ()• ディエルツ: ()() -。 ヨーキー: () - ジョジョの親友。 製作 [ ] 2018年3月、タイカ・ワイティティが監督を務めるだけでなく、「主人公のの」として映画に出演することも明らかになった。 ワイティティは役について「孤独な少年のヒーローの最高のバージョンであり、彼の父親のような存在。 」と語った。 同年同月、が「密かに反ナチスである主人公の母親としてキャストに加わった。 同年4月、が「ヒトラーユースキャンプを運営するナチスのキャプテン」としてキャストに加わった。 同年5月、が「ヒトラーユースキャンプに若い男を呼び込むために雇われた粗野なインストラクター」として、新人のが主人公として、が「ヨハンソン演じる母親が自宅に隠しているユダヤ人の少女」としてそれぞれキャストに加わった。 同年6月、が「ロックウェル演じるキャプテン・クレンツェンドルフの副官フィンケル」として、 ()が「のエージェントのキャプテン・ディアッツ」としてそれぞれキャストに加わった。 撮影 [ ] 主要な撮影は、2018年5月28日に開始した。 2019年2月に再撮影が行われた。 公開 [ ] 本作は、2019年9月ので世界初上映され 、同年同月19日の ()でも上映された。 評価 [ ] 本作は批評家から好意的な評価を受けている。 51点となった。 サイトの批評家の見解は「『ジョジョ・ラビット』の不謹慎なユーモアと真面目なアイデアの融合は、間違いなくどんな人からも好かれるようなものではない。 だが、この反ヘイト劇は、度が過ぎていると言ってよいほど大胆である」となっている。 のMetascoreは22個の批評家レビューに基づき、加重平均値は100点中53点となった。 サイトは本作の評価を「賛否両論または平均的」と示している。 アメリカの主な映画賞では、脚本家組合の脚色賞、衣装デザイナー組合賞(時代劇映画部門)を受賞している。 ゴールデングローブ賞では作品賞と主演男優賞にノミネートされた。 では作品賞を含む6部門(作品、助演女優、脚色、編集、美術、衣装デザイン)にノミネートされ、うちを受賞した。 シネマトゥデイ 2019年9月30日. 2019年11月2日閲覧。 2019年7月23日閲覧。 2020年1月25日閲覧。 2020年3月19日閲覧。 映画『ジョジョ・ラビット』公式サイト. 2020年1月28日閲覧。 thewrap. com 2018年3月14日. 2018年5月7日閲覧。 Kroll, Justin 2018年3月29日. variety. com. 2018年3月29日閲覧。 hollywoodreporter. com. 2019年8月16日閲覧。 2019年8月16日閲覧。 2019年8月16日閲覧。 Deadline 2018年6月15日. 2018年6月15日閲覧。 2019年8月16日閲覧。 2019年8月16日閲覧。 Lang, Brent 2019年7月23日. 2019年7月23日閲覧。 Couch, Aaron 2019年7月30日. 2019年7月30日閲覧。 2019年9月29日閲覧。 2019年9月29日閲覧。 外部リンク [ ]• (英語)• (日本語)• - (英語)• - (英語)• - (英語)•

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『ジョジョ・ラビット』外見は不謹慎、中身は眩い愛。「戦争」を問い直すラブストーリー |CINEMORE(シネモア)

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この作品が、生まれて初めて観る映画だとしたら、なんて素敵なんだろう。 そんなことを思った。 映像全篇にただよう、未来への肯定感。 それはまるで、映像で奏でるビターでスイートな交響曲のよう。 まさに、映画体験という言葉がふさわしい作品だ。 私たちの心を一瞬で、別の世界の断面へと連れていってくれる。 『ジョジョ・ラビット』は、そんなみずみずしい映像世界を生み出し、歴史の裏舞台を生きた民衆に光を当てた。 物語の舞台は、第2次世界大戦下のドイツ。 マオリ系のユダヤ人という出自をもつ監督のタイカ・ワイティティは、少年の目を通した世界のあり様で、ドイツがナチスに支配されていた時代を描く。 子供は、大人の姿を手本とする。 まわりの大人が戦争を肯定する者ばかりならば、子供たちも自然とそうなっていく。 今考えると、狂乱の時代だ。 けれど当時、表面上はそれを無条件に引き受けるしかなかった。 本作のメインとなる舞台は、戦場ではない。 ワイティティは、10歳のジョジョ(ローマン・グリフィン・デイビス)の生活を巧みに構成し、戦下での日常にあったであろう、平穏と緊張を見事に織り交ぜた。 ユダヤ人である自身のアイデンティティーを内省した上で、ドイツ人が過去に犯したあやまちに対して、寛容さをもって描く。 彼は、本作をハイブリッドなコメディ映画として仕立て上げた。 コメディというのは、そもそもが能天気なジャンルではない。 チャップリンの映画を思い浮かべてもらえればいい。 優れたコメディ映画とは、常にその批評眼によって、社会の情勢を投影しようとする風刺映画なのだ。 ジョジョは、青少年集団ヒトラーユーゲントに入隊し、いつかナチスに忠誠を誓う立派な兵士となることを夢見る。 ヒトラーユーゲントとは、10~18歳の青少年が国の法律で加入を義務づけられた兵士養成施設。 そこでジョジョは、クレンツェンドルフ大尉(サム・ロックウェル)の指導のもと、スポーツと野外キャンプが推奨され、軍国主義を鼓舞される任務とヒトラー崇拝のための教育を受ける。 ジョジョにとって、ナチスこそが正義。 ヒトラーこそがヒーローなのだ。 けれどジョジョは、タフになろうとしているが、実のところ内面の心優しい少年だ。 ただ、かっこいい軍服に身を包み、一人前として扱われたいだけ。 しかしナチスは当時、そういう少年の純粋な気質を利用していたのだろう。 スポンジのようになんでも吸収する若い彼らは、邪悪なイデオロギーを宿す、かっこうの餌食となった。 ある日、教官を務める先輩の少年に、訓練のためウサギを殺すように命令される。 しかし、ジョジョは遂行できず、憶病なウサギ野郎(ジョジョ・ラビット)と罵られる。 そんな彼をナチス総統アドルフ・ヒトラーがじきじきに慰めにくる。 このヒトラーは、ジョジョが悩んだときに姿を現わす、空想上の友人。 いわゆる、イマジナリーフレンドだ。 演じるは、監督のタイカ・ワイティティ。 彼はもちろん、格別な想いをこめて、新しいヒトラー像を造形している。 その後、不慮の事故で全身に傷を負ったジョジョは、本人にとっては不名誉な、軍の奉仕活動の役割を与えられる。 いわば後方支援、自宅待機だった。 そしてジョジョは、母ロージー(スカーレット・ヨハンソン)と2人で暮らす家に隠し部屋があり、ユダヤ人の少女エルサ(トーマシン・マッケンジー)が匿われていたことを知る。 ナチス愛の強いジョジョにとって、それはもちろん青天の霹靂だった。 その後、物語はジョジョとエルサの2人を中心に進行していく。 ほぼ無名に等しいともいえる、彼らにこの映画の主題を託した、監督の判断と勇気には深い感銘を受ける。 ジョジョの愛くるしさ、そしてユダヤ女性との出会いによる葛藤を表現した、ローマン・グリフィン・デイビスのみずみずしい演技が本作の大いなる魅力である。 だが、それに勝るとも劣らないのが、ジョジョに影響を与える大人たちの敬愛すべきパーソナリティだ。 エルサは、ナチスによる被害者で、壁の住人として慎ましい暮らしを余儀なくされながらも、それにくじけない気高い魂をもっている。 『アンネの日記』のアンネ・フランクをモデルとしていることは、誰の目にも明らかだろう。 けれど、そのタフでユーモラスな一面は、現代の女性像として地続きなキャラクターに造形されている。 母ロージーを演じるヨハンソンは、ハイセンスさとロマンティシズムを見事に共存した、気丈な大人の女性像を体現してみせた。 それは、男性主導型のナチスに拮抗するものとして、素晴らしい対比となっている。 映画の様々なシーンで、軍国主義に染まったジョジョに平和を説く姿は、母として何を為すべきかを私たちにストレートに伝える。 ヨハンソンは、「アベンジャーズ」シリーズでも不動の人気を獲得しているが、その役柄は『ゴースト・イン・ザ・シェル』(2017)から『マリッジ・ストーリー』(2019)まで幅広い。 本作は改めて、彼女が感情を細やかに表現する女優であることを示した。 サム・ロックウェル演じるクレンツェンドルフ大尉は、戦場で右目を失ったことで、ヒトラーユーゲントでの後進指導という任を命ぜられている。 彼にとって、これが不名誉な役回りであることは想像にたやすい。 そのため、常に酩酊状態で、未来を見失いかけている。 出世の道を絶たれたことで、ナチス・ドイツ、そして自分の人生に対し、生じた距離感。 世を憂う人として、ロックウェルが得意とする、アウトローながらユーモラスな魅力が爆発している。 その一方、父のいないジョジョに未来を授ける、頼もしい男性像としての手本を示す。 ロックウェルは、アカデミー助演男優賞を獲得した『スリー・ビルボード』(2017)以後、存在感をめきめきと増している。 『バイス』(2019)で印象的だったブッシュ大統領役、そしてイーストウッド監督の新作『リチャード・ジュエル』への出演など、その快進撃が止まらない。 そしてタイカ・ワイティティは、演者として無理にヒトラーになりきることなく、あくまでもワイティティそのものとして、映像に溶けこもうとしてみせた。 すこしお間抜けで、あくまで10歳が造形した人格であるという演出を強調する。 それにより、ある種の北野武の映画のように、映画全体を脱力したムードによって支配している。 パブリックイメージのヒトラー像をサンプリングしつつも、それを大胆に<ないがしろ>にしたのだ。 本作に唯一欠点があるとすれば、真の悪人が出てこないことかもしれない。 重箱の隅をつつくような批評家が、まっさきにそんな指摘をするだろう。 そんなとき私は、作家・保坂和志の以下のような文章を思い起こす。 (映画やドラマや小説で)善は私以外の人のことを考える。 悪は私のことしか考えない。 善は世界に向かって開かれているが、悪は自分中心に閉じている。 それを恐れず、大胆にチャレンジしたワイティティが、このような善と悪の構造に対して無自覚なわけがない。 本作は、ジョジョという子供を主役に配することで、善悪の構造を相対化させている。 彼がヒトラーに憧れたのは、自分を助けてくれる存在だと思い込んでいるからだ。 力とは、正義のためにこそ使われる(本来は)。 子供の目には、どうしてもそう映るだろう。 かつて、戦闘機に憧れる少年だった宮崎駿も、矛盾した自己からは完全に脱却できないまま、戦争と平和についての映画を創造した。 また、ナチスが大いに躍進した第2次世界大戦とは、可視化できる戦争でもあった。 ヒトラーは白黒映画を用いて、そのイメージを巧みに操作した。 そして、プロパガンダと呼ばれる特定の主義への洗脳を行なった。 そんなヒトラーの巧妙さは、まるでチャーミングな悪魔の仕業にも思えてくる。 風刺映画として、ナチスという題材は、もはやあらゆる手法がやり尽くされてもいるだろう。 特に世紀が変わってからは、ユーモラスに描くという手法も次第にオープンになってきた。 クエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』(2009)には、ウェットに富んだ<からかい>も多く含まれるが、その中にも節度を保つ。 そして作家性からやむをえないことだが、暴力の描き方に対して、拭うことのできない耽美な美意識がある。 対して、ワイティティは、お決まりの悪のフォーマットを描くことに反抗し、徹底的にあらがっている。 その結果、映画はフィクションとして閉じず、私たちの現実の世界へと開かれていく。 ウォルト・ディズニーの映画のように大衆的でありながら、ジャン=リュック・ゴダールの映画のように政治的、彼はそんな離れ業をやってのけたのだ。 彼は本作で、善は悪すらも寛容できるという強度を見い出した。 本作にはほとんど欠点がないと語ったが、思うに、2つのウィークポイントがある。 だがそれは、短所と長所が容易に入れ替わるように、個性の良し悪しと同質のものである。 まず、敬意をもって描かれた女性の強さは、別の視点では、女性を理想化しすぎているとも誤解されやすい。 だが、その女性像があぶり出しているものは、世界中の名だたる国々が当時陥った、ファシズム的な男性原理の失敗である。 また本作は、たんに女性にのみ理想を押しつけているのではない。 戦場において、同性愛者支持を掲げる軍服を身につけたクレンツェンドルフ大尉や部下も、そのナンセンスさをより強調する。 ジョジョも、皆のそういう気高い精神に心動かされていくのだ。 母親のロージーは、おしゃれで、ダンスを楽しみ、男を叱咤激励、さらに裏ではユダヤ人を救おうとするレジスタンス活動(反ナチ運動)に奔走する。 そんな彼女は、戦争という悲劇への強烈なアンチテーゼを体現している。 毎日、今日が人生の最後の日かもしれない。 そんな時代、だからこそ、彼女は美しく粧しこむのだ。 自らの信念を貫いて。 年上の勝ち気なお姉さん、そして聡明なエルサは、ナチスが民衆に植えつけようとする荒唐無稽なユダヤ像(ユダヤ人は、下等な悪魔である)へ、真っ向から対峙する存在となっている。 演出面においては、少年のもつ言語で表現しえない絶妙な塩梅を醸し出している点も素晴らしい。 彼女が緩急を織り交ぜながら語る<ユダヤ人講義>が、ジョジョとの交流となる。 そこでユダヤ人の本質を知ることで、ジョジョは次第にヒトラー思想を相対化していく。 暴力ではなく、対話。 それはジョジョがまだ暴力を行使できない子供だからこそ、よりストレートなメッセージ性をもつ。 そして観客は、そんな気高い魂の一部を徐々に受け取っていく、少年の心の成長を目撃する。 次に、本作において大量に投入されるジョークに関しては、いかがなものか。 賛否両論の恰好の的になりそうだ。 くだらないジョークから気取ったジョークまで、本作はまさにジョークのオンパレード集なのだ。 こんなの、ふざけている。 そう、お遊びがすぎる。 そんなふうに、眉間にしわを寄せる人々の姿が想像できる。 ワイティティは、いい加減なのか? ただのトリッキーな演出か? 特にジョジョが寄宿するヒトラーユーゲントは、ネジの外れた者たちの集まりとして、戯画化されすぎてもいる。 物語序盤は『ムーンライズ・キングダム』(2012)を思わせる牧歌的な世界観で進行する。 だがそれも、後半部の息ものむような展開への布石なのだ。 友達と談笑している最中に教師が水を差すように、物語はコメディからシリアスへと急変する。 笑いとは、止まった瞬間が一番、緊張感をもつ。 ジョジョの目線で描かれてきた本作では、戦争はあくまで外の世界のできごとという空気感を貫いてきた。 だが次第に、物語は大戦の終局とリンクしていく。 そして突然、戦争がジョジョの前に出現する。 市街地での銃撃戦。 そのとき、ジョジョの愛国心はズタズタに切り裂かれていく。 素晴らしいカメラワークと音楽によって演出されたその絵姿は、映画史にも焼きつくほど戦慄なものだ。 こうしたストーリーラインのコントラストに加え、ナチス秘密警察による家宅捜索など、時折挿入される緊迫感あるシーンが、絶妙なリズムを付与する。 それらもやはり、笑いの後でこそ、冷や汗となる。 現代もいつ何時、世界大戦が起こってもおかしくはない情勢だ。 そんな時において、ジョークとは、原理主義に対抗するための、共感や融和の証なのではないか。 本作を観ていると、そんなことを信じてみたくなる。 また、本作のメッセージは、エルサの口によって再三引用される、詩人リルケの1節が代弁してもいるだろう。 <すべてを経験せよ/美も恐怖も/生き続けよ/絶望が最後ではない>。 絶望から立ち上がり、希望をもつ。 言葉でも難しい。 もちろん、映画でだって難しい。 映画はやはり、たかが映画でしかないから。 だが、それを信じきれたとき、観客の胸には希望が宿る。 希望もまた、たかが希望でしかない。 しかし、小さな希望が、この胸の中にあると気づいたとき、私たちは笑う。 小さく、笑う。 総評 『ジョジョ・ラビット』は、けっしてニヒリズムに陥ることなく、愛と寛容さを説いた。 この映画こそ、愛の賛歌だ。 ユダヤ人監督タイカ・ワイティティは、ヒトラーを自ら演じてみせることで、その存在を受け入れ、記号的な悪として矮小化をしなかった。 そして映画のメッセージを、まだ無名ともいえる2人の少年少女に託す。 ローマン・グリフィン・デイビスとトーマシン・マッケンジーは、その期待に見事こたえている。 人種間の問題は、いつの時代でも起こるだろう。 そこで為すべきは、暴力ではなく対話。 そんな単純なことを、きっとこの先も私たちは忘れてしまう。 だから、ワイティティは小さな希望をこの作品に宿した。 そして、未来の大人、子供たちに。 すべてのチルドレンにおめでとう。

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