さっちゃん のせ くし ー かれ ー 歌詞。 ♪ 童謡の歌詞の謎 ♪

指原莉乃

さっちゃん のせ くし ー かれ ー 歌詞

ここでは、よく私どもにお寄せいただくご質問をもとに、「教え」をはじめ、浄土宗を開いた法然上人のこと、そして「もっと、もっと知りたい」という方のために、さらに詳しいこともお伝えしましょう。 この言葉は、大抵の方が耳にされたことがあるはずです。 そう、お念仏ですね。 阿弥陀仏 阿弥陀如来 や西方極楽浄土という言葉も耳にしたことがあるのではないでしょうか。 浄土宗の教えは、このお念仏をとなえて阿弥陀仏の極楽浄土へ生まれゆくこと 往生 を願うという、きわめてシンプルなものです。 仏教ではさまざまな修行が説かれています。 でも、どうでしょう。 その修行は誰もができることでしょうか。 いや、なかなかそれは難しい、というのが実際のところです。 時間的、物理的な制約もあるでしょう。 しかし何より、煩悩という厚い壁が妨げとなっているからにほかなりません。 そこで「お念仏の教え」があります。 西方極楽浄土の仏さまである阿弥陀仏は 「私の国 極楽浄土 へ生まれたいと願って私の名前を呼びなさい。 そうすれば煩悩の有無などに関係なく、必ず極楽浄土に迎え導きます」と誓われています。 その誓い 本願 を素直に信じ、心からお念仏をとなえ、悩みや苦しみのない だから極楽なのです! 浄らかな仏さまの国へ救い導いていただきましょう、というのが浄土宗の教えの根幹です。 「南無」とは、仏教が生まれた国・インドの言葉「ナマス」が中国に伝わった際、その発音を漢字で表記したもの。 相手への最大の尊敬、絶対的な信頼を意味しています。 つまり「阿弥陀さま、どうぞお導きください、お救いください!」という願い、頼る気持ち、心からの叫びが「南無阿弥陀仏」なのです。 それは西方十万億土の彼方にあり、六方の諸仏が念仏の教えの正しいことを証明し、いま現に阿弥陀仏が説法されており、その行者をまもると説かれています。 また、その国をなぜ極楽というかといえば、その国の人びとにはなんの苦悩もなく、ただ楽だけを受けるからであると説かれています。 中央のご本尊が人々をお救いになるのを助ける菩薩さまで、阿弥陀さまには向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩が祀られており、これを「阿弥陀三尊」といいます。 観音菩薩は正しくは観自在菩薩、観世音菩薩といい、仏さまの「慈悲」を象徴しています。 多くの経典に登場する観音さまは、古来、広く人々の信仰を集めており、有名な『観音経』には、そのお姿を三十三に変えて衆生を救うと説かれています。 阿弥陀三尊では、多くの場合、来迎の際の蓮台を捧げ持つ姿で表されます。 勢至菩薩は、仏さまの「智慧」を象徴する菩薩で、合掌した姿で表されます。 道端に佇むお地蔵さま、各地の霊場にもよく祀られている観音さまなどはじめ、お寺や家庭のお仏壇に祀られている仏さまや菩薩さまにはたくさんの種類があります。 そのため、それぞれの区別がつかない方も少なくないかもしれません。 でも、鎌倉の大仏さまは実は阿弥陀さま。 大仏さまは、そのまま「大仏さま」として親しまれていたことが、与謝野晶子に勘違いをさせたのかもしれません。 ややこしいのですが、同じ大仏さまでも、奈良の大仏さまは毘盧遮那 びるしゃな 舎 仏 ぶつ といいます。 東西で有名な二つの大仏さま、確かにどちらも「大仏さま」ではあるのですが、違う仏さまなのです。 ほかにも、「牛に引かれて善光寺参り」の信州善光寺 長野市 、世界遺産に登録された中尊寺金色堂 岩手県平泉町 などにお祀りされているのも阿弥陀さまです。 手と指が独特な組み方をされていることに気がつくはずです。 浄土宗でよりどころとしているお経の一つ、『観無量寿経』というお経は、阿弥陀さまの極楽浄土へ往生するための実践方法が説かれているものですが、往生を願う人の性質や行いによって階位があるとしています。 まず大きく三種《上品 じょうぼん ・中品 ちゅうぼん ・下品 げぼん 》に分け、その各々がさらに上生 じょうしょう ・中生 ちゅうしょう ・下生 げしょう に分けられるというもので、これを「九品」と呼んでいます。 阿弥陀さまの場合は、実はこの九品を表しているのです。 たとえば坐像では、人差し指と親指で輪を作り、両掌を上に向けて組んだかたちが一般的で、これは「上品上生 じょうぼんじょうしょう 」を表しています。 また、胸の前で両掌の指を上に衆生の側に向けてかざし、人差し指と親指で輪を作る「中品上生 ちゅうぼんじょうしょう 」の印もあります。 立像 りゅうぞう では、右手を上に、左手を下にし、両手とも掌を衆生の側に向けてかざし、人差し指と親指で輪を作る「下品上生 げぼんじょうしょう 」のかたちをとるものが多くなっています。 それぞれ、輪を作る指が親指と人差し指の場合は「上生」、親指と中指で作ると「中生」、親指と薬指では「下生」となります 違う説もあります。 九品は、ともすると衆生が仏さまによって差をつけられているようにも受け取れますが、法然上人は、「善人も悪人も同じように極楽に往生できると説いたなら、とくに悪人は慢心を起こすであろうことを懸念して、お釈迦さまがあえてそのような説き方をされた、いわば巧みな方便である」と明かしています。 愚かな至らぬ身であるとよくわきまえ、日々お念仏をとなえることが大切なのです。 わずか数年の後には、「学生三千人」と言われた比叡山で「智慧第一」と謳われるまでになります。 現代風に言えばエリート中のエリートだったということでしょうか。 ところが、上人自身にはそうした意識はまったくなかったといいます。 それどころか「ろくに戒律 僧としての決まり も守れない、一つの修行も満足に成し遂げられない、なんと愚かな自分であることか」と、厳しく自己を見つめることに終始します。 その自己省察せいさつが、「仏の慈悲は、本当に困っている人たちにこそ注がれなくて何の意味があろうか。 煩悩に満ちた罪深い者 凡夫 こそが救われなければならない。 そのための、誰にでもできる方法 修行、教え が必ずあるはずだ」との思いに至らしめ、上人をさらなる求道へと駆り立てます。 法然上人にとって凡夫とは、ほかでもない、自分自身だったのです。 実は上人は9歳のとき、地元の荘園管理者との争いにより父親を亡くしています。 その時、父親からこんな遺言をうけました。 「あだ討ちはさらなる恨みを生むだけだ。 勇気を出してその連鎖を断ち切れ。 そして仏の道に進み、万民が救われる教えを求めよ」 これが、妥協を許さない求道精神として根底に流れ続けていたのでしょう。 しかし、なかなか「これだ!」という教えには出会えません。 一時、24歳で比叡山を下り、南都 奈良 の諸寺・高僧を訪ね歩いて教えを乞うたりもしました。 が、それでも願いは果たせず、再び比叡山に戻って膨大な経典や文献をひもとくこと、五度に及んだといいます。 そしてついに、そのときは訪れます。 気づいてみれば43歳、最初に比叡山に登ってから30年の星霜が流れていました。 浄土宗開宗 一心に専もっぱら弥陀の名号を念じ、行住坐臥ぎょうじゅうざが、時節の久近くごんを問わず、念々に捨てざる者、是を正定の業ごうと名づく、彼の仏の願に順ずるが故に 法然上人伝の多くが語るように、上人が諸行を捨て専修念仏 せんじゅねんぶつ に帰したのは、11175年 承安5 の春3月でした。 恵心僧都の『往生要集』を読み、その教えにより中国唐代の善導大師の『観経疏』の一心専念の文即ち「一心に 専 もっぱ ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥 ぎょうじゅうざが 、時節の久近 くごん を問わず、念々に捨てざる者、是を正定の業 ごう と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に」の文によったのです。 この時より以後、上人は比叡山を下りて、まず西山の広谷に専修念仏の実践者であった遊蓮房を訪ね、その念仏生活に感激し、 東山の吉水におもむき、そこに草庵をむすび往生極楽の法を説き、念仏を人々にすすめられる生活にはいられました。 これまでの 聖道門 しょうどうもん 各宗の教えは、学問のある者、財力のある者におのずから限られていましたが、法然上人の念仏の教えは、いつでもどこでも誰にでも行える念仏で東山の庵室には老若男女の別なく、多くの人々が集まり集団を形成しました。 こうして1175年 承安5 春、浄土宗は開かれました。 旅に出るのは楽しいものですが、遠く見知らぬところへ行くとなると、不安や心配もあります。 信頼のできる旅行社に手配を任せて、必要な旅支度を整えれば、あとは安心して楽しい旅の始まりを待つばかりです。 人生の旅路も必ず終わりが訪れ、いつか見ず知らずの不安に満ちた世界へ旅立たねばなりません。 今のうちにしっかりと、次に生まれ行く先を定め、その旅支度を整えておけば安心です。 住職になって間もない頃の事、こんな出来事がありました。 それは、本堂で月例の行事が終わって、それぞれ皆さん帰って行かれたのですが、一人の方が駆け戻ってきて「和尚さん、大変やあ」というのです。 「さようなら」と、いつものように挨拶をして帰って行かれた一人の方が、並んで歩いておられた方に寄り掛かる様に倒れてきたのでした。 駆け付けたご主人に抱きかかえられ、救急車を待ち、病院へと運ばれました。 この方のおうちは、ご主人と、この方の実の母親と3人暮らしでした。 お母さんは熱心なお念仏の信者で、高齢になり、我が娘であるこの方にお寺参りを引き継いでいたのでした。 どうしておられるのか、何の連絡もないままに心配が募るばかりです。 連絡がないということは、頑張っておられるからだろうと思いつつも、お母さんのことも気がかりでした。 そして、3日目の朝、ついに知らせがありました。 枕経に来てほしいとのことです。 支度を整え向かいましたが、お母さんに何と声を掛けたらいいのか、頭の中は迷いの中に答えを見つけられずにいました。 玄関を入るなり、お母さんが奥から飛び出してきて私の手をギュッと握りました。 私はもうパニックで頭の中は真っ白になりました。 その時です。 「うちの子は幸せでした」、思いもかけない言葉に、こちらが助けられました。 「あの子はお寺が大好きで、いつもお念仏を唱えていました。 その子がお寺でお念仏を申したその清らかなままにお迎えを戴いたのですから、こんな幸せな子はありません」 別れの悲しみの涙は目に溢れていましたが、親子共々に、しっかりと極楽浄土へと生まれ行く旅支度を整えておられたからこその受け取りでありましょう。 真のお念仏信仰のありがたさ、尊さ、悦びに出会った瞬間でした。 五重相伝や授戒会等の機会に恵まれましたら、ぜひともお受けになり、お念仏信仰を体得され、人生の旅支度を整えておかれます事をお勧めいたします。 う〜ん…と思いながら続きを見ると、『ありがとうの反対語など今まで考えたこともなかった。 教えてもらった答えは…「あたりまえ」。 「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」「有難 ありがた し」という意味だ。 あることがむずかしい、まれである。 めったにない事にめぐりあう。 すなわち、奇跡ということだ。 奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」。 我々は毎日起こる出来事を、当たり前だと思って過ごしている。 中略 毎朝目覚めるのが、あたりまえ。 食事ができるのが、あたりまえ。 息ができるのが、あたりまえ。 友達といつも会えるのが、あたりまえ。 太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。 うまれてきたのが、あたりまえ。 夫 妻 が毎日帰ってくるのが、あたりまえ。 そして…生きているのが、あたりまえ。 』と書かれていました。 読み終えて思い出したことがありました。 お父様とお母様の命日に必ずお参りされる方が、命日ではない日に訪ねて来たので、私が「何かありましたか?」と尋ねると、「今日は、父と母にあやまりに来ました。 」と言うので「ええっ?」と声を出すと、「来週、白内障の手術を受けることになったので…」と。 私は「手術を受けるのに何故あやまるのですか?」と伺いました。 すると、両手を広げて仁王立ちになり、「だってそうでしょ。 この身体のどれ一つも自分で作ったものは無くて、両親からいただいた身体でしょ。 そのいただいた身体に傷をつけちゃうのだから、あやまります。 」と言って本堂に上がると、「阿弥陀様、父母にごめんなさいと伝えてください。 それから、私が死んだら必ず迎えに来てください、直接、話したいので…」と言って、お十念をお称えしてお墓へと向かいました。 その後ろ姿は、「両親が生んでくれた、自分の身体に感謝しましょう!」と語っているように見えました。 お釈迦様は、「人の生を受くるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし 仏法を耳にするは難かたく 諸仏の世に出づるもありがたし」と説かれています。 生きていることはあたりまえではなく、ありがたいことなのです。 「死す」ことがあたりまえなのです。 そして「死す」前に極楽浄土に往き生まれることができるお念仏のみ教えをいただき、阿弥陀様に会うことができることは、欲や瞋りや迷いを消すことのできない私たちにとって、奇跡といえるほどありがたいことなのです。 そのみ教えを示してくださった法然上人は、「阿弥陀佛と 十声とこえとなえて まどろまん ながきねぶりに なりもこそすれ」 「ねぶり」とは「眠り」のこと と詠まれ、翌朝は目が覚めないかもしれないと、命の終わりがいつきてもいいようにお十念をお称えされていたのです。 私たちも「あたりまえ」と考えがちな「ありがたい」ことに気づき、感謝の気持ちを忘れず、「あたりまえ」である命の終わりが来た時に、阿弥陀様やたくさんの菩薩様、ご先祖様に迎えに来ていただけるようにお念仏をお称えする日暮らしをしていきましょう。 満員電車に妊婦さんが乗って来られて、おばあさんと並んで座っていた五歳ぐらいの男の子が突然妊婦さんに駆け寄り、「座りや」と席を譲ろうとしたのです。 妊婦さんは「おばちゃんは大丈夫、ぼく座っとき」と応じました。 すると男の子は、「おばちゃんが座るのと違う、お腹の赤ちゃんが座るんや」。 これを聞いた妊婦さんは涙を流して、声を詰まらせながら、「ありがとう ありがとう」と座りました。 男の子はおばあちゃんの膝の上に座り、仲良く三人で楽しそうにしていました。 一連の動きを見ながら、車内は和やかな雰囲気に包まれました。 妊婦さんはおそらく、お腹の子どももこんな子に育って欲しいなぁと願ったのだろうと思いました。 この記事を読んで慈悲心の大切さを改めて教えられました。 自分の事しか考えない人 自分の事として考える人 似てるけど 全然違うんだなぁ 相田みつを 「慈悲」の「慈」とは相手に喜びや安楽を与え心豊かにする。 「悲」とは相手の痛みに共感し、この苦しみをなんとか取り除いてあげたいと願う心であります。 『観無量寿経』の中に「仏心とは大慈悲これなり」と説かれています。 すべての人々に分け隔てなく慈しむ無縁 縁のあるなしに関係ない、すべてを対象とした のお慈悲が仏様なのです。 慈悲の漢字を四文字に変えると「玆心非心」 この心、心にあらず 自分の心を中心とするのではなく、相手の心を心として生きる。 私たちは自分中心に生きています。 慈悲心のある方でも、有縁の少悲しか起こせない。 有縁の少悲とは、関係のある者、縁のある人に向く慈悲であります。 阿弥陀様が届けて下さる慈悲は「無縁の大慈悲」であります。 大いなるお慈悲に包まれていることに気づき、一人も漏らさずに救いたいとの阿弥陀様の願いにおすがりし、阿弥陀様のみ名をお称えするしかない私たちです。 大自然の営みを感じます。 一昨年12月に故人となられたSさん、昭和49年にご主人を41歳の若さで亡くされ、女手1つで娘さん1人を育てられました。 お寺の行事にもその地区の当番に当たられた時には快くお引き受け下され、お勝手の手伝いなどご奉仕して貰いました。 持ち前の明るさ、気さくさで誰とでもお喋りをし、周りを和ませて下さいました。 ある時Sさんが私に「和尚さん、私は旦那を若くして亡くしたけど少しも寂しくないですよ。 だってこんな良い娘を残していってくれたから。 それに、こうして拝んでいるとどこかで見守って居てくれる気がするのです。 だから、少しも寂しくありませんよ。 」と仰いました。 そんなSさんだから、お家にて娘さんとお話しながら息を引き取られたそうです。 少しも苦しまずに、大往生です。 娘さんも中陰中には親戚の方々と共に、真剣になってお経を、お念仏を、お唱えなされました。 私は、「その声を必ず阿弥陀様がお聴き取り下され、お母様はお父様の待つ極楽浄土にお迎えいただかれます。 お念仏すれば多くの仏、菩薩、先にこの世を去られた方々が、あなたやご縁のある方々を護り、お浄土に導くハタラキをしていて下さいます。 ですから、お母様が生前に『亡くなった旦那が見守って居てくれる気がする』と言われましたが、〈気〉ではなく間違いない事なのです。 」と、一周忌の時に娘さんにお伝えしました。 娘さんは「2人きりの家族でしたので母が亡くなった事は寂しいけれど、母がそういう思いで居てくれた気持ちを大切にしたい。 私のことも両親が見守っていてくれるのですね。 」と、言って下さいました。 【阿弥陀仏の本願を深く信じ、念仏して往生を願う人は、現世において不当なわずらいもなく、平穏無事に過ごすことができ、又、命の終わる時には極楽世界へお迎え下さるのです】との、法然上人【仏神擁護ぶっしんおうご】のみ教えがあります。 お念仏暮らしの中に多くのお護りを頂ける喜びを大切にし、お念仏を申しましょう。 大隅良典さんが、『ノーベル生理学・医学賞』を受賞され、式典に臨まれる姿に日本国民は大きな喜びを頂きました。 今、日本の男の子達が「大人になったらなりたいもの」の第二位に『学者・博士』と答えると言うのも、これまでノーベル賞を受賞された方々をはじめ、それを支えられた多くの学者達の絶え間ない努力の賜物と言えるでしょう。 2010年には、私の住む北海道の鈴木章さんが『ノーベル化学賞』を受賞されました。 これまで多くの化学者の方々が取り組んできた「クロスカップリング」と言う研究に取り組まれ、医薬品をはじめ多くの事に利用される道を広げてこられた方でした。 「クロスカップリング」とはそれぞれに異なる物質 有機化合物 その二つの物質をお互いそのままの状態で繋ぎ合わせる事だそうです。 しかしそれが大変難しく、一方が繋がるともう一方の何かが欠けてしまう、その繰り返しだったそうです。 そしてご苦労にご苦労を重ね、ついに「パラジウム」と言うものを使って二つの物質を完璧な状態で繋ぎ合わせる事に成功されました。 又、その「パラジウム」は何度でも使い回しができると言う事も解明されました。 私はこの事をお聞きした時、すぐに法然上人のことが頭に浮かんでまいりました。 法然上人が浄土宗をお開き下さいます以前の仏教は、いわゆる「出家」の仏教が主流でした。 仏門に入り、厳しい修行と難しい学問を学び、戒律を守り「覚り」を目指すと言うものが根本とされておりました。 それはごくごく一部の者しか勤める事ができない事であり、さらに「覚り」を得るのは至難の業でありました。 法然上人は「すべての者を覚りへと導く御教えを説かれたお方がお釈迦様である。 」と深く信じ、その道を求められました。 実に三十有余年に及ぶ求道の末に、「すべての者が救われる方法」をお釈迦様の御教えの中から見つけ出されたのであります。 阿弥陀仏は「全ての者を救いたい」との願いを起こされ、長い間大変な修行を積まれ仏様になられたお方であります。 その阿弥陀仏の「全ての者を救いたい」という、願いの力を信じて、その名前をお呼びする。 「南無阿弥陀仏」とお称えする事こそ、私たちが『覚り』に到達する唯一の方法であるとの御教えを、法然上人は発見されたのであります。 阿弥陀様は『覚り』を得るための世界『西方極楽浄土』をおつくり下さって、私の名前を呼ぶものを全て救い取ると誓われて佛様になられたお方なのであります。 法然上人がこの『阿弥陀様の御誓い』にお気づき下さって「南無阿弥陀仏」のお念仏を選び取ってくださり「日々の生活に追われる私達」と「仏の世界・覚りの世界」が初めて繋がったのです。 『誓願に 南無阿弥陀仏と言う人を 救い取らずば 弥陀と名のらじ』 法然上人がお示し下さった「南無阿弥陀仏」のお念仏は私達と御仏様という、到底繋がりようのない二つを「お念仏」によって完璧に繋ぎ合わせてくださったのです。 そう考えましたなら、法然上人は私達仏教徒の『ノーベル賞』受賞者だと言っても過言ではないと思うのであります。 鶯が「ホーホケキョ」と鳴くと春の訪れを感じるので、鶯のことを「春告鳥はるつげどり」とも呼びます。 カレンダーなどなかった昔の人は、きっと鶯の囀さえずる声を聞いて春の到来を喜んでいたのでしょう。 実は、今から842年前の春にも大きな喜びがありました。 承安5年 1175 年のことです。 法然上人が長い間修行をされた比叡山に別れを告げ、吉水の地で浄土宗をお開きになられたのです。 それがなぜ、この上ない喜びかといいますと、これまで説かれていた仏教は、自らの力で智慧の眼まなこを開いて覚さとるための教えでありました。 しかし、残念ながらわたしたちのような智慧に暗い凡夫ぼんぶは、永遠に救われないと説かれてきました。 そこで法然上人は、そんな救われようのない凡夫に光を当てられ、万民が救われる阿弥陀さまの本願念仏を示すために浄土宗をお開きになられたのです。 もし、そのお示しがなければ、わたしたちは未だお念仏に出逢うこなく、永遠に彷徨さまようことになっていたかもしれません。 ところで、「白衣の天使」と讃たたえられたナイチンゲールのことは、皆さんもよくご存じだと思います。 クリミアの戦地に赴おもむき、傷痍しょうい軍人が収容されている兵舎病院で献身的な看護につとめたことで有名です。 そこで彼女は、傷ついた兵士のために毎晩ランプを提さげて、欠かさず夜回りをしていました。 すると、真っ暗な部屋に収容されていた兵士たちは皆、そのランプの灯あかりを見て、「生きて国へ帰るぞ」と勇気が湧き、精神的な安らぎを得たといいます。 毎日、薬や包帯よりも灯りを求めた兵士たちは、ナイチンゲールを「ランプの貴婦人」と呼ぶようになったそうです。 この体験から、「負傷で不安を抱いている兵士にとって、ランプの灯りが一番の治療になった」と、後にナイチンゲールは語っています。 これをわたしたち自身に置き換えてみると、どうでしょう。 わたしたちは智慧が負傷した凡夫であります。 それが原因で、道理に暗く、迷ってきたわが身ではないでしょうか。 法然上人でさえ、自ら智慧を極めていけるだろうか、とわが身を見つめられ、「愚痴の法然房」とまで仰せになられています。 わたしたちのためにお念仏の灯りを示され、浄土宗を開宗してくださった法然上人。 そのおかけで、今日こうやって「南無阿弥陀仏」の日暮らしを過ごせることは、無上の喜びであります。 そこには喜怒哀楽の感情がこめられています。 例えば子どもが「お母さん」と言葉にする時、甘えたい気持ちや喜び、時には怖れや怒りが含まれていることでしょう。 では私たちが「南無阿弥陀仏」と阿弥陀様のお名前をお呼びする時、どのような思いで称えているでしょうか。 多くの場合、先立った方々のご供養のために、という思いで称えておられることでしょう。 もちろん阿弥陀様はそうした思いにも応えて下さいます。 では浄土宗を開かれたお念仏の元祖・法然上人はどうお示しでしょうか。 「称名の時に心に思うべきようは、人の膝などをひきはたらかしてや、助け給えという定なるべし」 つねに仰せられける御詞 「南無阿弥陀仏と称える時に心に思うべきことは、人の膝にすがりついて、お助け下さいというような気持であるべきです」また別のご法語には「阿弥陀ほとけ、たすけたまえ」という思いで称えなさいとお示しになっています。 「助け給え」という気持ちで称える、ということには二つの意味があります。 一つは、「この私は救われがたいものである」という思いです。 浄土宗は「21世紀劈頭宣言」の冒頭に「愚者の自覚を」と掲げています。 冒頭に掲げる、ということはそれが一番大切な事、入り口であるからに他なりません。 様々な煩悩にまとわれ、欲望のままに生きる私たちは誰もが「凡夫 ぼんぶ 」と呼ばれる救われがたいものです。 そう自覚するからこそ「助け給え」と阿弥陀様の名をお呼びするのです。 もう一つは「この救われがたい私」を、阿弥陀様は必ずお救い下さるという思いです。 この世で何かピンチになった時、頼りすがるべきは「頼りがいのある人」でしょう。 ましてこの身、この命のゆくえの大ピンチなのに、頼りないものや、財産や名声などの失われるものにすがるわけにはいきません。 極めつけに頼りがいのある阿弥陀様におすがりする、その思いが声になる、それが「南無阿弥陀仏」のお念仏なのです。 なにより、今この世に生きている私のために仏となってくださった阿弥陀様です。 心の底から頼りきり、お任せする思いで「南無阿弥陀仏」とお称え下さい。 金は火に焼かれても焦げることなく、ますます色を増して輝き、水に浸し放っておかれても、錆びつき、腐り、朽ち果てることはありません。 同じようにお念仏は、煩悩、妄念の心で申しても、焦げつき、錆びつき、穢れ、朽ち果てたような虚しいお念仏になるわけではありません。 金が水に浸されてもなんら変わることなく、炎の中でもますます輝きを増すように、煩悩、妄念のどんな心でありましても、お念仏による阿弥陀さまの導きは全く変わることのない、それどころかますます輝きを増すように力強くお手引き下さるのです。 どんな時でも、どんな場所でも、どのような姿、心で申しても、すべて往生の行となっていくのです」とあります。 法然上人には実にさまざまなお弟子がいました。 その中に耳四郎という大盗賊がいましたが、大改心、大転換をして上人のお弟子となり、「教阿弥陀仏」と言われるほどの念仏者となったのです。 ところが、以前の悪友たちがそれを妬み、危害を加えようと、ある夜、寝入っている耳四郎の寝室へと忍び入ったのです。 そして、今こそと刀を抜き、頭からかぶっている布団を引きはがしてみると、現れたのは耳四郎ではなかったのです。 全身金色の仏さまが横たわり、出入りの息が南無阿弥陀仏…と聞こえたのです。 悪友たちは驚き、それによって耳四郎本人も驚き目覚め、互いに抱き合ってお念仏の尊さを喜びあい、耳四郎自身はますます信仰を高め、悪友たちは善心に立ち還ったという話が伝わっています。 この話は、耳四郎という我欲のために人を泣かせ苦しめ続けた、まさに煩悩まみれの人間でありましても、信じ仰いでお念仏申し続けていくならば、必ず阿弥陀さまの導きを受けて、人柄、人格、生活、生き様までも大転換させていただけることを示して下さっているのです。 お念仏なればこそ、この身、この心、このままで大丈夫なのです。 導かれていくのです。 お念仏申して生き往きましょう。 では南無阿弥陀仏のお念仏は、なぜ称えるの、いつ称えるの、その意味は、と尋ねれば、浄土宗の熱心な信徒さん以外は知らない方が多いのではないかと思います。 浄土宗では元祖法然上人のお念仏を日常生活の仲で、何時でも、どこでも、何回でもお称えすることをお勧めしています。 なぜお念仏を称えることをお勧めするかと言えば、一言で言えば誤りのない幸せな人生を送って頂き、最後には極楽浄土に往生をして頂くためです。 こう言えば、別にお念仏を称えなくともお金やモノで幸せになれる、と思われている人もおられるでしょう。 確かにモノやお金で得られる幸せもあります。 でもその幸せは、直ぐに飽きてしまいます。 そして、次のモノがまた欲しくなり次々と欲望が湧いてきます。 その結果、欲望にブレーキがきかなくなり人生の道を踏みはずしたり、人との争いをおこすことになり迷いや不平不満の人生となるのです。 何故なら全ての人間は「とん 貧 」「じん 瞋 」「ち 痴 」といわれる三つの煩悩を持っており、この煩悩は止まることがないからです。 「とん」は欲深い煩悩、「じん」はイライラ、かっかする腹立ちの心、「ち」は愚痴の心のことです。 お念仏はこの心の煩悩を抑えてくれるのです。 そして必ず浄土に往生できるのです。 だからお念仏を称えることをお勧めしているのです。 お念仏は立派な仏壇がなくても、誰でも、何処でも称えることができます。 イライラかっかした時、不安な時、就寝の布団の中で、車の中で、トイレでも結構、ぜひ一度称えてみて下さい。 きっと貴方の心が和らぎます。 お念仏を称えることが日常生活の習慣となれば、誤りのない幸せな生活を送ることができるのです。 ぜひ人生の道標となるお念仏を日常生活に取り入れて頂きたいと願っています。 お盆とは正式には「盂蘭盆会 うらぼんえ 」といい『盂蘭盆経』というお経に由来があります。 ある時、お釈迦様の十大弟子の一人「目連尊者もくれんそんじゃ」が餓鬼道で苦しんでいる母親を見つけます。 何とか救う手立てはないかとお釈迦様に教えを乞うたところ、「夏の修行期間の明ける旧暦7月15日に多くの僧侶たちに沢山のご馳走を振る舞い心から供養するように」と諭さとされます。 この教えに従い供養したところ、母親は救われ極楽浄土へ往くことが出来たという話が説かれています。 そしてこの話が日本に伝わり、古くからご先祖さまに感謝をささげ供養する重要な行事となったのです。 冒頭の文は、息子が小学校1年生の時 現在中学3年生 に書いたものですが、当時流行していた「千の風」の歌を思い浮かべて、「この世」とははるか離れた高い所「あの世 極楽浄土 」を「空そら」と表現したのでしょう。 『千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹き渡っています』の如く、いつも極楽から私達を見守ってくださるのがご先祖様です。 お盆はそんなご先祖様が一年に一度「空そら」から我が家に帰ってこられ「元気にしていたか?」と私たちに優しく語ってくれるのです。 そのように受け取らせて頂くと、自然と精霊棚に手を合わしお念仏を申さずにはいられません。 「今日あるは 先祖のおかげ 魂まつり」 お盆が終わり、ご先祖様を本国 極楽浄土 へとお送りし少し寂しくなりましたが、また一年後の再会を願って毎日欠かさずお念仏をお称えさせて頂きましょう。 」 私たちは、家族や友達、また色々な人と会った時、挨拶をします。 そして、時には約束も交わします。 」「今度くる時はまた楽しい話をしましょう。 」簡単な約束、重要な約束、色んな約束がありますが、約束とは私たちの未来へのつながりを願った誓いといえます。 私には、Sくんという幼なじみがいました。 幼稚園、小学校、中学校と同じで、地元の祭りにも一緒に参加する仲のいい友達でした。 高校3年の時、Sくんは首から肩にかけて痛みを訴え、入院することになりました。 実はその時、悪性の腫瘍が彼の身体をむしばんでいたのです。 若いということもあり病気の進行が早く、Sくんはだんだんと衰弱していきました。 「絶対に治る!」そう信じて疑わない彼と私たちでしたが、ある日、Sくんは私にこう言いました。 「亡くなったらどうなるのかな。 」彼は猛烈な不安と戦っていたのです。 私は彼に対して、「極楽浄土で阿弥陀さまや先に亡くなったおじいちゃん達が待っているから、心配ないよ。 」と答えました。 極楽浄土へ行くためには「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えること。 これが極楽浄土をおつくりになった阿弥陀仏の願いであり、浄土宗をお開きになった法然上人のみ教えです。 Sくんは両手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と称えました。 「もし亡くなっても、極楽で待ってるからまた会おうな。 」Sくんと私は約束をしました。 Sくんはそれから後、この世での命を終えていきました。 しかし彼は、極楽浄土に生まれ、私たちが来るのを待ってくれています。 「生まれては まず思い出ん ふるさとに 契りし友の 深き誠を」 法然上人は、自らが浄土に生まれた後は、この世でお念仏の行に励んだ仲間と極楽浄土で会う約束を、まず第一に思い出すであろうと、お詠みになられました。 すなわち法然上人の約束であります。 お念仏を共に励ました友との極楽浄土での再会の約束です。 阿弥陀仏は「我が名を呼べば、必ず極楽浄土へ導くぞ」とお誓い下さいました。 これはすなわち阿弥陀仏の約束です。 阿弥陀仏の約束は、お念仏を申す私たちを救うことであり、決して破られる事のない約束であります。 この世での命が終わっても、「極楽浄土でまた会おうな。 」と約束したSくんとの再会を楽しみに、また、阿弥陀仏、法然上人との約束を果たすために、これからも一層お念仏に励んでいきたいものです。 」そんな忘れてしまったような言葉が自分から出てくるとは思いもよらなかった。 八年ほど前、寺に田が戻ったのがきっかけとなり米作りをはじめる事となった。 田んぼで米を作ったことなどまるでなく、何とかせねばということで素人の怖さ、「無農薬」しかも「手植え・手刈り・はさ掛け」と昔ながらの方法で黒米を作ると言う大それた事となった。 田植えの当日、地元新聞の記者が取材に来るという。 田植えなど珍しくもないが「黒米」しかも手植えと言うことで寺の世話人の一人が声を掛けてくれた結果である。 わずか四畝の田で詠唱講の早乙女たちが、横一線に張った綱を基準に苗を植えながら後ろ向きに進んでいく。 ほぼ終わりかけの頃、記者も到着、早速取材を受ける。 なぜ農業の機械化が進んだ中で、手作業で稲作に取り組んだのかの話である。 田を手がけたことがないド素人が解った風なことを言うのだから恥ずかしい限りである。 そんな話の中で米作りは手間暇がかかることから、八十八回の手間の話が出た。 驚きはそこから。 若い記者は八十八回の話を知らなかった。 しかしよく考えてみると、私も米を作る現場に入るのは初めてでリアルに八十八回の体験をしたわけではない。 むしろ「米は八十八回手間がかかるから一粒も粗末にしてはいけないんだよ」と言葉で知っていただけである。 後々八十八回の意味をいやというほど知るところとなるが・・・。 ほとんど機械化され、肥料や農薬の助けを借りて、省力化が図られている農業の時代にあらがうが如き、昔ながらの作り方をしてみた。 農家の人から観れば「そんな甘いもんじゃない」そんな声が響いてきそうだ。 簡単、安易と形容される時代ではあるが、その中で流されている私がいる。 八十八の手間暇を掛けて人生を送っているだろうか。 安易、怠惰そのものの人生を送る我が身が愚かしい凡夫であるが気づくことはなかなか難しい。 わかったふりをすることでこの世を渡っていく事がどれほどあったことか。 愚かしい我が身に気づき、人生を救うて下さる阿弥陀様に身をまかせ、生かされている自分に気づき、わが身に添うた修行、それがまさにお念仏をお称えすること。 「気づけよ、気づけよ」と諭していただけども気づけない私だからこそ、身に添うはお念仏なのだ。 十月半ばに刈り入れ、稲束をはさ掛け。 その頃は稲穂の馥郁とした香りにつつまれ、雑草と格闘した 特に稗 日々を忘れさせる。 はさ掛け乾燥後、脱穀そして精米、収穫を迎える。 練習の毎日、朝1限目から練習に明け暮れています。 真隣りなので「やかましい」と思うけれども、まぁ運動会までの辛抱・・・。 「ダンス」や「集団行動」などはどうなる事やらと他人事でも心配であるがどうにか仕上がった様子。 前日は練習もなく入退場門・テント・ライン引き等々準備、さぁ明日は楽しい運動会です。 早朝3時起きてみると「怪しげな人影」が。 片手に懐中電灯、片手にシート、そう「場所取り」をしているのです。 朝6時役員集合後、校長先生の号令「本日は晴天なり。 場所取りは朝7時と決まり事ですので、今、場所取りのシートは撤去して下さい」渋々従ってシートは取り除かれました。 現に校門前に100名程待機。 7時校門開き一斉に見やすい席を求めて走って場所取りが始まりました。 トラックの周囲がシートで埋め尽くされ場所取りも一段落。 さぁ開会式 個人・団体競技から1・2年生の遊技発表。 午前の最後は3・4年生の「恋ダンス」、お昼は各家庭自慢の弁当、生徒達が観覧席の家族の元へ、午後の部が始まりPTA・地域の役員さん等恒例の玉入れ・綱引き、本日の大取はやはり5・6年生の「集団行動」。 毎日先生の指導と猛練習、さぁ本番どうなることやら。 イチ、ニと声を出し、足を揃えて行進1列から2列4列と別れてから縦に横に斜めに見事に交差。 あの愚蛇愚蛇ぐだぐだはどこへやら、完璧な「集団行動」で観覧者一同拍手の嵐。 毎日の生徒達の練習のおかげで成功裏に運動会の幕が閉じました。 思えば夏休み明けから生徒達は運動会に向かって目標を目指して頑張って来たのです。 運動会で走り、跳ね回って運動する姿に親たちは釘付けになり感動するのです。 けれども其の姿は我が子、我が身内にしか目を向けていない事でもある。 我欲の世界そのものです。 其の姿を見たいが為に我先に席を取り、其の姿を記録するためにスマホやカメラを必死に向けていく、他人様よりも我が子しか見えていない、執着の世界そのものであります。 けれども私はどうかと云えば、その中の一人であった事実に愕然とするところであります。 わが身の愚かさを垣間見るような瞬間です。 法然上人のお言葉に「一人一日のうちに八億四千の念あり念々の中の所作皆これ三途の業なりと」と説かれますが、我らの浅ましい姿を考えますと、「われが われが」の世界に陥っている情けない自分の姿が見えてまいります。 そんな姿に気づく瞬間はあるのでしょうか。 元気で精一杯できたらいいじゃないか。 頂いた命だもの。 だからありのままでいいのだと思えば其のありがたさに頭を垂れずにはおられません。 生かされているわたくし気づき、阿弥陀仏様の名を称える事がこんな情けない私に只一つ身に添うと心得てお念仏するのことが大切です。 南無阿弥陀仏ととなうれば阿弥陀様に救われて往く極楽浄土があるのですから。 南無阿弥陀仏。 雪が降り積もると移動に難儀致します。 しかし、人が頻繁に歩くところは降り積もる雪を足で溶かして轍になります。 沢山の歩く人あればこそ。 そして、朝早くに雪を除けて歩く道を作って下さった方のお陰です。 思えば私たちの当たり前に歩む道も、沢山の人との繋がりと人知れずご苦労して下さった方のお陰なのかも知れません。 少し前に十年前の水子さんの供養の依頼を受けて、阿弥陀様の前で共にお念仏を称えさせていただいた時の事。 最後にお母さんからお話をいただきました。 「私は10年間ずっと涙の生活でした。 取り戻すことの出来ない過去をずっと思い続け、赤ちゃんの場所も判らなく、食べさせたい御菓子を供える場所もなく、頼るものも判らなかった。 判らないだらけで下を向いて涙を流すだけの10年でした。 でも今日ここに来て、手を合わせ頼る仏様が判って赤ちゃんの行く先も判りました。 現実は何も変わらないし涙はいつまでも止まらないけれど、下を向かずに涙を流せそうです。 悲しみのどん底の中でちょっとだけ喜びを貰いました。 有難う御座います。 赤ちゃんにお菓子をお供えてお念仏を称えにまた来ます。 」涙を流しニッコリと微笑んで帰ってゆかれました。 このお母さんに出会って、阿弥陀様が当たり前にいるものと思っていたけれど本当は有り難い事だと気づかされました。 私達が生まれ変わり死に変わりを繰り返したくさんの別れ、たくさんの悲しみの姿を見て何とか助けたいと願い、とてつもない時間を掛けて仏となって下さった阿弥陀様のご苦労と慈悲の心がなければ、一体、この私はどうなっていたでしょう。 法然上人が苦しみの世界から離れる為に救いの道を捜し求め、お念仏を多くの人に広めてくださらなかったら、私も家族を失い、自分の命が終わる時にただただ涙を流すだけだったでしょう。 出会う事の難しいお念仏の教えが用意されている事の有り難さ。 「 往生は 念仏に頼る 祖師の道 」 年の暮れに合わせて、どうかお寺参り、お墓参りをお勤めください。 たくさんのご先祖様が称えてくださったお念仏によって、私達はお念仏と出会わせていただきました。 同じ道を歩み、同じ仏にすがり、同じ浄土へ参りましょう。 一つは五重相伝。 もう一つは、授戒会と言います。 花の散りざまも色々。 古来先人はその表現を言い変えておられます「梅こぼれ、桜は散りて、椿落ち、牡丹くずれて、人はゆくなり」お互い何時かはこの世を離れる時が来るわけですが、この世を離れて、いったい何処に往くのか!死んで終わりではなく意気揚々と参る極楽世界があるのだと確かな念仏信仰を頂くのが五重相伝であるのに対し、では、その時を迎えるまで、人はどう生きるべきか!どう人の道を歩むべきか、その道標を頂戴するのが授戒というものなのです。 道が無くとも、猫は屋根を横切ります。 犬は縁の下を斜めにでもくぐり抜けます。 しかし、人間には人間の進むべき道が有ります。 それを無視していたら、非道、無法になりかねません。 人が人として、歩むべき道を知らしめして下さるのが授戒です。 知って悪い事をするのと、知らずに悪い事をするのは、さてどちらが悪い?と言われたら、普通は「知って悪い事をする方が悪いに決まってる。 」と思いますよね。 しかし、どちらが恐いか?となると話が変わります。 例えば、ストーブの天板は熱いと知っている大人は滅多とさわりません。 しかし、ようやく歩き出した幼子が、うかうか、近づき紅葉の様な手のひらをもしストーブの天板に触れたら、大火傷につながります。 信号の赤は止まれ、青は進めと知っているからこそ、止むを得ず黄色で交差点に進入したとしても、左右を確認して通過できます。 もし知らない人が赤で交差点に進入したら当然大事故をひきおこします。 戒めを守れるか、守れないかは別問題で、知ってるか、知らないかが、先決なのです。 それを知らしめて下さるのが授戒なのです。 人間は何処までもお粗末です。 煩悩を抱えている事も知らずに、好き勝手に生きています。 最近、境内裏庭の土手の草刈りの為に草刈り機を購入しました。 まんべんなく雑草が生えていると、そう気にもなりませんが、刈り出すと、生えてる処が気になってしかたありません。 当然刈っても刈っても次から次へと雑草は生えて来ます。 しかし、刈って見るからこそ其れが見えてくるのです。 バス停でのある老夫婦の会話です。 「いくら待っても、バスが来ない!何のための時刻表じゃ!」「おじいさん、バスが遅れていると言うことが分かるのは時刻表があるからやないですか!」 授戒会の法要儀式を通して、自分の奥深い心の引き出しにその戒がしまいこまれ、自分で意識してない様でも知らず知らずのうちに、人としての道を誤らないよう、大火傷しない様導いていただけるのが戒と言うものなのです。 時刻表と言う戒法を持ってこそ、其れをまともに守れないお粗末な自分がまた見えてまいります。 だからこそ、そんな者でも救われる道であるお念仏が大事になってくるのです。 テレビのニュースでも、台風の予想進路が報道されると、仕事の手を止めてその報道を注視した事でした。 亡くなられた方々の冥福を祈ると共に、被災された方々が一刻も早く、もとの生活を取り戻せるよう願っております。 さて、現代はこうした事前の予知報道が早め早めに各メディアによって知ることができ、以前に比べて被害も比較的少なく、また混乱を最小限に食い止めることができるようになった事は、誠にありがたいことです。 昼には必ず夜がある。 どうして夜の備えをしない人があろうか。 暑には必ず寒がある。 どうして寒の備えをしない人があろうか。 生には必ず死がある。 どうして死の備えをしない人があろうか。 何を夜の備えとするのか。 灯火・寝具である。 何を寒の備えとするのか。 衣料・燃料である。 何を死の備えとするのか。 浄土往生である。 王日休さんは、昼のうちに夜の準備をしなさいと促しています。 暑い最中さなかにあって、必ず次にくる寒さへの対策準備を完璧にと奨めています。 元気に生活してる今、いつ来るかわからない死への準備を怠ることなかれと警鐘を乱打しているのであります。 王日休さんは、命終に臨んで励声念佛を唱えて阿弥陀佛の御来迎をうけて浄土往生を遂げたのでした。 私たちにとってだれにでも死縁は近づいてまいります。 死縁に対する最善最勝の備えとは、南無阿弥陀佛の平生のお念佛です。 常に平生のお念佛を相続しておれば、そのまま臨命終時のお念佛となり、阿弥陀佛の御来迎をいただき死苦の問題解決を果たし、お浄土に往生させていただけるのであります。 「備えあれば憂い無し」であります。 紅葉の名所などを訪れ、行楽の秋を楽しむ方も多いことと思います。 また、スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋などともいわれ、一つのことに集中して取り組める季節ではないでしょうか。 浄土宗では毎年10月、11月に「十夜法要」が各お寺で行われます。 お寺にお参りに来られた皆さんとご一緒に、お念仏をおとなえする法要です。 そしてすべての恵みに対し、感謝する法要でもあります。 中国の儒学者孟子は子どもの頃、墓場の近くに住んでいましたが、孟子が友達とお葬式ごっこばかりして遊んでいるので、親が心配して市場の近くへ引っ越しをしたそうです。 市場の近くに住むと、今度は商人の真似ばかりして遊ぶので、学校の近くに引っ越したそうです。 すると礼儀作法の真似ばかりするようになり、孟子の母は「この地こそ子供にふさわしい」と、その地に落ち着いたそうです。 この「孟母三遷」の話は、人間にとって周りの人や住む環境が大切という教えです。 お寺の本堂は、仏様に見守られ、周りの方とともにお念仏をおとなえする素晴らしい環境です。 故人となられましたが、お寺の法要に熱心にお参りされた田中和子さんという方がいました。 この方は、お元気なころ「十夜法要」の日程表を作り、寺町寺院群内の浄土宗寺院12か寺をほとんど休むことなくお参りされていました。 「うちのお寺だけだと1日昼夜の法要ですが、これで十日十夜のお参りができました。 やっぱりお寺の阿弥陀さまの前で皆さんとお念仏をおとなえすると有り難いですね」。 と話されていたのを思い出します。 お念仏の秋、さわやかな秋晴れのもと、それぞれの菩提寺、お近くのお寺の「十夜法要」にお参りされ、お念仏をおとなえする時間をつくられてはいかがでしょうか。 毎日の忙しさにせかされて、つい忘れがちな心のゆとりも、きっと見つかるはずです。 皆さんのおとなえする「南無阿弥陀仏」の声が、ご先祖さまへのご供養となり、わたしたち自身が阿弥陀さまの西方極楽浄土への往生をかなえる大きな大きな功徳となるのです。 35歳でお覚りになってから45年にわたり教えを説いてくださいました。 お釈迦さまは当初、お覚りになったものを他の人に説いて伝え教えることをためらわれていました。 そもそも言葉で言いあらわすのが難しいのに、説いても伝わらないだろうと思われたからです。 しかし梵天さまの三度にわたる願いを聞き入れて説きはじめてくださいました。 お釈迦さまが語ってくださったお言葉は、聴き手に合わせてお選びになったものだったので、たくさんの教えとなって今に伝わっています。 たくさんの教えの中から法然さまが最も自分に相応しいとされたものが、南無阿弥陀佛のお念佛を申して生きていくことです。 「阿弥陀という仏さまがいらっしゃること。 その仏さまが西方の極楽浄土にいらっしゃること。 南無阿弥陀佛とお名前を呼べば応えてくださること。 臨終にはお迎えに来てくださること。 そして極楽往生を遂げさせていただけること。 すべては南無阿弥陀佛と申して生きていくことでかなう」と法然さまはおっしゃいました。 南無阿弥陀佛のお念佛を申す生き方は、人を選びません。 老若男女も問いません。 誰でも実践できます。 だからこそ、法然さま自身が自分に相応しいとされたのです。 今この瞬間を生きることで一杯いっぱいなのに臨終とか死とか先のことなど考えられないし考えたくもない、かも知れません。 まだ縁もゆかりもないと思われるかも知れません。 でも、いま生きている私たちにも、とても関係のあることなのです。 法然さまは「お念佛を申して生きていく人は常に阿弥陀さまが護ってくださる」とおっしゃいました。 いつ訪れるのかわからない命を終える瞬間まで、常にずっとそばに寄り添って護ってくださるのですよ、と。 常に寄り添っていてくださるからこそ、臨終の間際という一大事にも寄り添っていてくださるのです。 だから独りでいても一人じゃないのです。 お念佛を申している人は常に阿弥陀さまと一緒なのです。 法然さま一押しの、南無阿弥陀佛のお念佛を申して生きるということを続けていくうちに、阿弥陀さまを感じる瞬間があるかも知れません。 どうかなぁ?と思う前に、まず試してみてください。 「暑さ寒さも彼岸まで」順序を違えず季節は巡ってきます。 自然はウソはつきません。 ウソをついて混乱させるのは人間ばかりでありましょうか。 悩み多い迷いの現実世界こちらの岸から、悟りの世界であるあちらの岸、極楽浄土に到るというのが彼岸の意味であります。 今どんなに若く健康であっても、いずれ例外なくこちらを離れなければならない私たちです。 ただし、頂戴した命でありますからこの命使い切っての旅立ちです。 そして大切な方々が待っていらっしゃる極楽のお浄土へ参ります。 日々のお念仏を携えて参ります。 『無量寿経』というお経さまの中に、阿弥陀さまの四十八のご誓願がございます。 その第十八番目が「あらゆる世界の善人も悪人もいかなる者でも、嘘偽りなく心の奥底から私の浄土に生まれたいと望んで南無阿弥陀仏の名号を称えれば、たとえそれがわずか十遍であったとしても必ず往生を叶えよう。 」という「念仏往生の願」であります。 それが、今日までお念仏がお称え続けられてきた理由であります。 法然さまは、お念仏をお称えする時の心の持ちようをお弟子さんから尋ねられ、そのご返事の中で次のお示しをなさっておられます。 「大方おおかたその国に生まれんと欲おもわん者は、その仏の誓いに随したがうべきなり。 されば弥陀の浄土に生まれんと欲おもわん者は、弥陀の誓願に随したがうべきなり。 」 『勅伝』25巻 【訳】 だいたいその仏さまの浄土に生まれたいと願う者は、その仏さまのお約束に従うべきです。 ですから、阿弥陀さまの極楽浄土に生まれたいと願う者は、阿弥陀さまのお約束に従うべきなのです。 ただただ心をひとつにして、専ら阿弥陀さまのみ名をお称えする。 私たちにとってお念仏が、あちらの岸に渡る唯一の方法なのであります。 阿弥陀さまのお約束だからであります。 いずれ訪れるであろう旅立ちの時に慌てることがないように、日々お念仏の備え怠りなく勤めましょう。 その一つに、首都圏において、呼び寄せ高齢者が増えているという現象があります。 就職で上京され、そのまま住み続けた結果、地方に残してきた親御さんを近くに呼び寄せるということであります。 殊に、お一人きりになられた親御さんの場合は切実で、察して余りあるものがございます。 そのような中で一番の心配事は、新しい土地、生活に慣れるかということと、離れてしまう故郷に残してきたご先祖様や愛しい亡き方のお遺骨のことでしょう。 しかし、どんなに離れていても、いつでも、どこにいても、無量の功徳である南無阿弥陀仏とお称えすることで、極楽浄土にいらっしゃる亡き方の菩提を弔うことができるということを心に、日々の生活を送っていただければ、この上ないご供養となるはずであります。 新しい生活で色々なことがあろうと思いますが、それを受け止め、お念仏を通した生活をお送りいただくことで、慈しみが芽生え、やがては極楽浄土に往生することができるのです。 充分な話し合いもされないまま政局の混乱の中、あまりにも急に成立した感が残ります。 それによって臓器移植に対する規制は従来よりずっと緩いものになりました。 いわゆる脳死状態を人間の死とすること、年齢規制が無くなったこと、また家族の承諾があれば臓器を提供できると言うことなどです。 世論も賛否がちょうど半々に分かれましたし、私の身近な僧侶仲間でも、この問題はたびたび話し合われています。 まず、脳死を人の死と法律で決めてしまっていいのかどうか?つまり人の寿命を人が決定することへの疑問が残ります。 脳死移植検証会議委員を務める作家の柳田邦男氏は「ドナーを増やしたい、移植の手続きを簡単に、というのは死への冒涜である。 医療現場は決して死を押しつけてはいけない」と話していますが、私もその意見に同調する一人です。 しかし「もし、あなたの子が臓器移植しなければ助からなかったらどうする?」と、尋ねられると返す言葉に自信が持てません。 数年前、私の長男が脳内出血を起こして緊急入院をし、数日間、瀕死の子を見守った経験があるので、臓器移植を求めるご両親の気持ちはよく解ります。 また、脳死状態の子を持つご両親の複雑な気持ちも、同様にわかります。 この法案によって今後、彼らが「他の子を助けるため、わが子は死んだ方がいいのか・・」という思いに苛まれることが充分考えられるからです。 誤解のないよう記しますと、ここで私は、臓器移植を求める親たちのことを諫めるつもりは毛頭ありません。 私だって同じ立場になればそうするかもしれないのですから。 ただ、親として願う当然の感情と、法案の是非を問おうとする思考は別でなければならない、と思うのです。 とかく私たちは、自分中心にものごとを考えてしまうのですから。 とりわけ精神的に追い詰められている時は、全体的な判断をすることなど、とてもできません。 冷静に考えればエゴイズムだとわかっても、せっぱ詰まっている自分をどうすることもできなくなってしまうのです。 お盆の由来の一つである『仏説盂蘭盆経』を考えてみます。 この盂蘭盆という言葉はウランバナ 倒懸 といって,逆さ吊りの苦しみという意味です。 逆さ吊りの苦しみを受けているのは、お釈迦さまの弟子、目連さまのお母さんです。 目連さまにとっては優しい母親でしたが、彼女は貧しい階級の子供が飢え苦しんでいても、彼らに施しをすることはありませんでした。 死後、餓鬼道で逆さ吊りにされているのはそれが原因とされ、自分の子に偏愛するあまり、全体的な見方ができなくなることを誡めたお経の一つといえましょう。 しかし、よくよく考えてみれば、他人の子よりも我が子が一番可愛いと思うのは、目連さまの母親に限らず誰だってそうですし、それが逆さ吊りの罪にも値するというのなら、私だって同罪です。 そう考えれば、この世の誰もが皆、自己中心で、そのようにしか生きていけない罪悪生死 生まれ変わり、死に変わり の存在でしかないのです。 目連さまの母親の姿は、とりもなおさず私たちの姿そのものであり、死後は私たちも逆さ吊りの罰が待っていると受け取らなければならないでしょう。 でも、こんな私たちであっても、この身このままで阿弥陀さまはお念仏ですくい取ろうと願われたのであり、だからこそお念仏の行は有り難いのだな、とあらためて理解します。 そもそもお念仏の信仰は、この私自身のありのままの姿を深く知り、見つめなおして、その身勝手さを懺悔し続けることなのだと思います。 親はどうしたって自分の子が一番可愛いのですから・・・。 それにしても、昨今の医療の進歩はあまりにも速く、その恩恵にあずかることは有り難いと思う反面、この技術は倫理的にどうなのだろう、この先どうなっていくのだろうと、僧侶の立場で常に考え続けていかねばならないと懸念します。 そして向かって右側に観音菩薩、左に勢至菩薩をお祀りいたします。 このように仏様は一仏、二菩薩という形でお祀りすることが多くあります。 たとえば中心がお釈迦様、釈迦如来であった場合は、右側が普賢菩薩、左側が文殊菩薩となります。 また、中心が薬師如来であれば、右側が日光菩薩、左側が月光菩薩となります。 それぞれ菩薩様のお名前も違いますが、菩薩様の役目、お働きは同じです。 向かって右側の菩薩様は慈悲をつかさどる菩薩。 左側は智慧をつかさどる菩薩です。 慈悲では観音様が一番人気ですね。 慈悲の観音は代名詞になるほどです。 しかし残念ながら智慧で勢至様は今一つ知られていません。 こちらは文殊の知恵に完全に負けてしまっているようです。 さて知名度はともかく、観音様と勢至様のいわれと言われるお話をします。 昔々のお話です。 ある海に面した街に早離と速離という二人の兄弟が住んでいました。 二人は早くして母親に死に別れ、継母に育てられていました。 そんなことで二人は小さいときからさまざまなつらいこと、悲しい経験をしてきました。 その年その地域は干ばつがおき、父親は家を出たまま帰ってきませんでした。 継母はどんどん無くなる食料を見ていて、この二人がいなければと考えるようになりました。 ある日継母は二人を呼び、向こうの島に父親がいるというから探しに行こうと誘い、ボートに二人を乗せ、島に着くと二人を島の奥に追いやって自分は帰ってしまいました。 草一本生えていない石ころだらけの島でした。 二人はここで自分たちの命が終わることを悟ります。 兄の早離の胸に抱かれながら弟の速離は、鬼のような顔になって訴えます。 「自分たちは今までつらい目、苦しい目、悲しい目に何度も会ってきた。 そして最後に一番信用していた母親にまで裏切られてしまた。 この恨みはどうしても晴らさなければならない。 今度生まれ変わったら、自分たちをつらい目、苦しい目、悲しい目に会わせた人間、そして裏切った人間みんなに仕返しをしてやるんだ」と、興奮しながらまくし立てました。 兄の早離は弟が落ち着くのを待って話しました。 「でもどうだろう、私たちが経験してきたつらい目、苦しい目、悲しい目は私たちにとって大きな勲章じゃないか、この勲章を財産にして今度生まれ変わった時は、私たちと同じようにつらい目、苦しい目、悲しい目に会っている人々のところに行って、その人たちのためにできることをしてあげよう。 僕たちはその人たちの気持ちが一番わかるのだから」と、弟はすぐにその意味がわかり、うなづいて仏の顔に変わって息を引き取り、兄も安心して息を引き取りました。 兄の早離は観音菩薩に、弟の即離は勢至菩薩になりました。 こういうお話です。 観音経には私たちが助けてくれとお願いすると、観音様が飛んできてくれると書かれています。 それはどんな姿でかというと、大人の男女、子供の男女でと書かれています。 つまり普通の人の姿ということです。 もしかすると隣の人が観音様かもしれません。 そして隣の隣は自分だからご自身が観音様かもしれません。 法然さんのお弟子の親鸞さんは奥さんのことをずっと観音様だと言っていたようですし、奥さんも娘にあてた日記に、あなたの父親は観音さまだったと書いています。 さて、観音様と鬼の違いはどこでしょう。 さっきのお話です。 誰でもつらい目、悲しい目にあっています。 その経験を怒りに変えれば鬼、財産とすれば観音様になるのです。 観音様はどこにいましたか、阿弥陀様のお隣ですね。 お念仏は観音様を呼ぶ声でもあります。 また観音様になる力でもあるのです。 秋のお彼岸が終わって、お参りが少ない時期。 ちょうど今頃だったと思います。 工事の期間中墓地への立ち入りは禁止となっておりました。 そんな日の夕方、もう日も暮れてとっぷりと暗くなった頃、お寺のインターホンがなりました。 日が落ちてからのお寺への参詣者は珍しく、一体どなただろうと玄関へ向かいますと、そこには若いご夫婦がお花とお線香を持って立っておられたのです。 「商売をしているので、早い時間にお参りが出来ず、こんな時間になってしまった。 お墓参りに来たのに墓地への立ち入りが禁止になっていて途方にくれた」と言うことでした。 墓地の工事期間中お墓参りの方には本堂でお参りいただいている旨お伝えすると 「実は、親父が亡くなった後お袋が体調を崩し入退院を繰り返している。 やっと良くなったかと思ったら今度は脳内出血で倒れて今入院している。 友達にこのことを話したら、それは亡くなった親父さんがお母さんをあの世に呼んでるんだから、親父さんの墓参りに行って、お袋を連れて行くなって言って来い。 と言われた」と言う事でした。 お話を伺いながら、ご夫婦がお墓参りに来てそれが果たせず、めったに上がることの無かった本堂にお参りすることになったのはお父様に導かれたのだと感じた私は、『お父様は、お母様をあの世に呼んでなんかいらっしゃいません。 むしろ逆です。 体の弱いお母様の病状を少しでも軽くすむように見守っていて下さっています。 お父様は現在阿弥陀様のみ国におられてご修行の身です。 何の為のご修行か、すべて家族を守りたいが為のご修行なのです。 助けて下さることはあっても、たたったり呪ったりなさるようなことは決してありません。 せっかくお墓参りに来てくださったのだから、お父様に「お袋を困らせるな」と文句を言うのではなく、いつも見守ってくれてありがとうと感謝の気持ちで南無阿弥陀仏と手を合わせて頂けませんか。 』とお願い致しました。 するとご夫婦はパッと明るい顔になって「そうなんですか!親父はお袋を呼びに来たんじゃなくて、守っていてくれたんですか。 だから脳内出血も手当てが早くて、命に係わることはなかったんですね。 そうですか!親父は守っていてくれたんだ。 」いらしたときの暗い表情から、喜びに満ちた明るい笑顔になって帰られました。 年が変わり春のお彼岸になって、参拝者の中にあの晩尋ねてこられたご夫婦と、その間に毛糸の帽子を深くかぶったご婦人が座っておられました。 「その節はありがとうございました。 帰ってすぐに、お袋!親父がいつもそばで守ってくれているんだって。 心配すんな!って言ってやったんです。 そしたら、うれしいって喜んで、リハビリも一生懸命頑張ったんです。 今日はもう歩けるようになったんで、一緒に親父の墓参りをしたくて連れてきました。 」と満面の笑みを見せて下さいました。 月影の至らぬ里はなけれども、ながむる人のこころにぞすむ 浄土宗をお開き下さった法然上人のお歌です。 月の光は、遍くすべてのところを照らして場所を選んだり、人を選んだりしません。 しかしながら、その月の光をどう頂くかは、受け手の私たちの心しだいという意味のお歌でございます。 水瓶の蓋をとれば月影が映るように、茂った葦を払えば水面に月の光が射すように・・・。 亡き人の思いも、時も場所も選ばず常に私たちを見守っていてくださいます。 其の事に気がつき、感謝の気持ちを持って生活できるかどうかは、私たちの心の問題なのです。 この花が咲いて実がなるように、この私達人間も自分だけの力で、俺が稼いで俺が生きてるんじゃなくて、本当に一本の花が天地の中に咲かしめられるように、私たち一人ひとりが、実はご先祖や親のおかげ、空気、水、天地のおかげ、大自然の無限の法則とエネルギーの働きの結実です。 阿弥陀というのは数え切れない、無量と言う意味で、阿弥陀様の無量の生命と光明のお蔭で、今日こうして存在しているのも、私が一人で生きているんじゃなくて、生き活かされているんだという、そういうお蔭に気づくことが、信仰の第一歩だと思います。 お蔭に氣づかないうちは、宗教の世界はわからない。 お蔭に気がついて、その恵に感謝し、そのご恩にどう報いていくかということに、宗教と言うもののすべてがあるんだと思います。 二宮金次郎 尊徳 先生が、あるお家を訪ねたら、奥さんが朝食の後片付けで、お茶碗やお碗やお箸を洗っておられた。 間もなく奥さんが手を拭いて来ると、「奥さん、あなたはさっき朝の後片付けをしておられましたね。 ところであなた、お茶碗やお箸を洗いながら、いつも何を考えていますか?」とっさに聞かれて、 「さあ、別に・・・・」 「そうですか。 でも毎日三度三度お洗いになるんでしょう。 何も考えないんですか」 「さあ、次にまた使うものですからー」 「そうでしょう。 また次にも使うんだから奥さんね。 お茶碗洗うときには、お茶碗さん有難う、お碗さんご苦労さん、お箸さんまたお昼にお願いねって、そう言って洗ってあげなさい。 そうしたら、洗われるお茶碗やお碗もきっと嬉しいでしょう。 あなたの心も洗われてきっときれいですよ」と云われた。 ところで、佛さまの恩徳お蔭というと、何かこう大きすぎたり、遠いことのように思いがちですが、そうでなく、身近なお碗の中にも、お箸の中にも、天地のお蔭、佛さまのお徳が私の為に働いてくだっさっている。 そういう感謝と喜びが人生に大切です。 ぜひ皆さんも、一日の生活の中に、身近なところに、沢山のお蔭・ご恩・お恵みがあるという心眼を開いて下さい、そしてそれは、やっぱり、手を合わす合掌お念仏の中に氣付かせて頂くと思います。 「ああ天地のお蔭だなあ、佛様のおかげだなあ」という感謝の思いは、「それを無駄にしてはいけない、粗末にしてはもうしわけない」という報恩の心につながります。 この身体、我が命を天地のお蔭に報いるよう、佛様のみ心に少しでもかなうよいこと、お役に立つことに使いましょう。 私の命も「もう俺は働いて退職金も貰ったんだから、あとはノンビリ遊んで暮らそう」などと考えずに、佛さま、天地から戴いたものだから、残された命を、世のため人々の幸せのお役に立つよう使わせて頂きましょう。 「余韻」は音を聴いて、よい印象の響きが残るときだけ余韻とよび、好ましくない響きのときには余韻とはよびません。 時間や歳月には、余韻はないのでしょうか。 今年も残りわずかになってきました。 心静かに振り返ると、よき出会いや出来事のあった人、悲しい別れや辛いできごとに遭遇した人、さまざまな立場の方がおられると思います。 喜びにつけ悲しみにつけ、印象深い出来事のあった人にとって、年の瀬を迎えて、今年という年が過ぎていくことは、何とも気持ちの改まることだと感じているのではないでしょうか。 私たちは、行く年を惜しみつつも、来るべき新しい年に「新年こそ」と、新たな希望を感じるものです。 いつもの一日が加わっただけで、カレンダーが新しいページに捲られただけなのに、新年の希望は湧いてくるものです。 これは昔の人々が、惰性で生きてしまうことの多い当たり前の人間のために、暦を変えていくことで心を新たに切り替えることができるように仕組んだ、生きるための仕掛けのようなものだったのかもしれません。 しかしさらに自分を凝視すると、今年の自分は、決して来年も同じ自分がいるわけではなく、今年の自分を取り戻すことはできません。 新しい年を迎えることは、まさに一瞬一瞬、死に近づいている「生死一如」と言えるのです。 「新年の希望は、今年の反省の上に成り立つ」と言われます。 年末の慌しい時候であっても、今年を振り返り、自らの所業を省みる時間を作りたいものです。 私たち日本人は、昔から大晦日に打ち鳴らされる除夜の鐘を聴いては、その年の出来事や自身のいのちを照らし合わせ、煩悩の除去を祈ってきたものです。 除夜の鐘の余韻と過ぎ去ってゆく年を惜しみ、二度と戻らない時間やいのちを、心静かに思いやり、大切に見送るという作業を、一年の最後の夜に行ってきたのです。 翻って最近の若い人々を中心とした新年の迎え方は、米国のニューヨークのタイムズスクゥエアに見られるような、カウントダウンをして花火を上げ、新年を迎えるお祭りのような行事が、各所に見られます。 そこには、新しい年の訪れに対する歓迎に重点が置かれ、行く年を惜しむといった、日本人の大切にしてきたものが抜け落ちているかのように感じるのは、私だけでしょうか。 過ぎていく歳月を惜しむことは、私たちの周辺に流れていった時間を惜しむということだけではありません。 まさに諸行無常の中に自然と燃焼させている、この「いのち」を惜しむことに他ならないと思うのです。 除夜の鐘の響きは、今年の我々のいのちの余韻を、耳に聴こえるように響かせてくれていると受けとめることができるでしょう。 この一年に悲しい別れをした方は、離れているとさみしく感じるお父さん、お母さん、大切なあの方のお顔を思い浮かべて「ナムアミダブツ」とお声に出して唱えてみてください。 きっと大事な方々が、私たちの方を、思いやり深い眼で見つめてくれますよ。 嬉しくも悲しくも報告したいなと思う出来事のあった方は、それを報告する気持ちで「ナムアミダブツ」と唱えてください。 微笑ましい安堵のお顔で、私たちをご覧いただいていますよ。 行く年を送るときも、新しい年を迎えるときも、どうぞお耳の底に「ナムアミダブツ」の余韻が残るように、お念仏を生きる杖にして、大切ないのちを育み、生きていきたいものです。 Nさんは下町で十一代続く、老舗の海産物問屋の御上 おかみ さんです。 春秋のお彼岸やご主人のご命日はもちろんのこと、毎年正月二日のお寺参りは、この六十年欠かしたことがありません。 午前10時、まずご本堂の阿弥陀様の前で掌を合わせ、大きな声で「南無阿弥陀仏」を十遍、それから、冷たい水もなんのその、小一時間かけて親戚中の墓石をきれいに磨き上げ、ようやくお線香とお花を上げてお墓参りが終わると11時。 腰を下ろし、湯飲みを額のところに戴いて、お茶を一服。 「デイサービスで『うちの嫁がね……』って、話し始めると、あんまり私のこと知らない人たちはさ、『さぁ、どんな愚痴をこぼすんだろう』って身を乗り出してくるでしょ。 そこで『昨日の晩に作った料理が』とくると、もう待ちきれなくて、『口に合わなかったでしょう?』とか『味が濃かったの?』とか、口々に……」「はぁ」「その時『それがねー、美味しかったのよー』って言った途端、『なーんだ』って、ガッカリするのよ。 ところが、昔からの仲間は『よかったわねー』って、一緒に喜んでくれるわけ」「いいですねー」 「私が先代の御上さんから教わったのは、『よそで家内の悪口を言わぬこと。 褒めれば育つが、おだてりゃ驕ると心得よ。 それが暖簾 のれん を護る道』ってね。 言葉にすると簡単なようだけど、これが何とも難しい。 どうにかできるようになったのは、不思議と息子が結婚して、二世帯同居になってからだわ。 褒めるためには相手のことよく見とかなきゃならないしね。 それも結果だけ褒めてもダメなの。 どうしてうまくいったのかって、そこを見てなきゃ。 途中を見てないと、ついついおだてることになっちゃうのよ」 実際に長年店を切り盛りしてこられた方の、はきはきとした語り口を伺っていると、「えいっ!」と喝を入れられた気がしてくる。 そう言えば、お嫁さんについての愚痴を聞いたことはなかったなと思いながら、帰り際に「元気の秘訣は?」と尋ねたら、「今日一日を一所懸命に過ごすことかしら。 だって一週間も、一月も、一年も、もっと言えば一生も、毎日毎日の積み重ねでしょ」と実に明解な答え。 さて、宗祖法然上人は『念仏往生要義抄』の中で、「臨終のお念仏と、日常のお念仏と、どちらがすぐれているのですか」という問に対して、「ただ同じことです。 どうしてかと言えば、日常のお念仏、臨終のお念仏といって何の境目があるというのでしょう。 日常のお念仏をお唱えしているときに亡くなれば、それは臨終のお念仏となるでしょう。 逆に、これが臨終のお念仏だとお唱えしても、命永らえれば、それは日常のお念仏となるでしょう」とお答えになってなっておられます。 なるほど、新年を迎え歳を重ねるということは、昨日から今日、今日から明日への、途切れることのない連続です。 さぁ、今年はどんな一日一日を重ねることになるのでしょうか。 まずは皆さまの今年一年のご多幸をお祈り申し上げます。 南無阿弥陀仏。 梅の花も満開に近くなり、確実に春が近づいてくるのを感じます。 暦の上では二月四日 年によって日にちがずれる事もあります が立春で季節を分ける二月三日の夜に節分の行事をするわけです。 ですから本来節分は年に四回あるのですが、年の始まりである春の節分を大切にするのです。 元々宮中では大晦日 旧暦十二月三十日 に「追儺 ついな 」という儀式が行われていました。 邪気を祓い、厄災を除いて新しい年を迎えるのです。 明治になり暦が旧暦 太陰暦・月の満ち欠けにより定める から新暦 太陽暦・太陽の運行から決める に変わった後、一般庶民も行うようになったのですが、なぜかお正月前の大晦日ではなく、立春の前の日に行われるようになりました。 さて、皆様のお宅では節分に何か行事をなさっていますか。 鬼は外、福は内と大きな声で唱えながら豆をまき、ヒイラギの枝にいわしの頭をつけたものを玄関にさして、直ぐに戸を閉める。 大体こんなところでしょう。 この後自分の年 数え年 より一粒多く豆を食べる。 こんなところではないでしょうか。 突然ですが次のような言葉を御存知ですか。 遠仁者疎道 …仁 思いやり の心から遠い人は、人の道からも疎遠となる。 不苦者有智 …正しい智慧ある人になれば、苦しみのない人生を歩める。 さてむずかしい漢文のようですが、元の文章はそのまま読むと 「おにはそと ふくはうち」と読めませんか。 鬼は外にいるのではなく自分の心の中にいるのです。 愚鈍の身の私です。 それを正しく自覚する事ができれば苦しみのない人生に近づいていけるのです。 お念仏を称えれば、おかげさまの心がいただけます。 なぜなら阿弥陀如来様はおかげさまの塊のような仏さまだからです。 そのお名前を呼ぶことが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。 今年の節分からは「南無阿弥陀仏」と称えながら豆まきをなさってはいかがですか。 季候は、「お彼岸」を迎えれば、自然に暖かく安定してきますが、私たちの心はどうでしょうか。 いつも煩悩や迷いに満ちた此岸に繋ぎとめられて、煩悩を脱した悟りの世界 彼岸 へは、なかなか行けるものではありません。 ですから、春分の日と秋分の日をはさんで前後三日間を、彼岸へ渡る 到彼岸 の仏教の修行週間として来たのです。 この春分の日と秋分の日は、一年の中で昼と夜の長さが同じになり、太陽が真東から昇り真西に沈みます。 これは、仏教の「中道」の教え 相対立するもののどちらにも偏らない教え になぞられます。 お釈迦さまは、6年間の長い厳しい苦行の末、苦行を捨てられたのです。 これを、「中道の悟り」といいます。 そして、その中道に沿ったご修行で、悟りを得たもの 仏陀 となられたのです。 厳しい苦行を捨てたからと云って、その反対の快楽主義に走る事無く、目的に適正な修行方法を実践する事が中道なのです。 しかし、悲しいことに、「囚われなく、偏らない心で修行する」と言っても、私たち無明煩悩の闇の住人は、自分が囚われている事すら解らず、偏っている事さえ、更にもっと言えば、迷っている事さえ解らないのです。 そんな私たちの為に、阿弥陀さまは「ご本願」を立てられたのです。 「私の名前を呼びなさい。 決して離したりはしないから。 必ず一人も洩らさず救い摂る。 それが叶わないならば、私は決して悟りを開かないし、仏にはならない。 」、そう仰って、西方極楽浄土を建てられたのです。 富める者も貧しき者も、罪の深き者も浅き者も、善人も悪人も、分け隔てる事無く、「南無阿弥陀仏」と称える者は全て、往生 阿弥陀さまのお浄土に往って生きる させて頂けるのです。 これは、実に頼もしく有り難い事です。 迷い悩む者達が、そのまま、自ら称えるお念仏だけで、救い摂られる浄土は、阿弥陀さまの西方極楽浄土しかありません。 だからと言って、お念仏をすれば、後は何をやっても良いと云う事ではありません。 仏教の根本は、因果の道理です。 この因果の道理を踏み外したら、それは仏教ではありません。 つまり、阿弥陀さまのご本願を免罪符にしてすすんで悪を犯してはならないのです。 それは、毒消しの薬があるからといって、すすんで毒を飲んではいけないのと同じです。 悪を恐れ善を行う心がけ 諸悪莫作・衆善奉行 を教えているのが仏教です。 しかしこの、子供でも知っている様な事でさえ、大の大人が実行出来ないものなのです。 この善とは、阿弥陀さまの御心に沿うものの事です。 だから、法然上人が「一紙小消息」の中で、「罪は十悪五逆の者も生ると信じて、少罪をも犯さじと思うべし たとえ十悪五逆と云う様な重い罪を犯してしまった者でも、自分の罪を深く反省し、お念仏を称えれば、極楽へ救い摂られると信じる一方、だからこそ、小さな罪も犯すまいと心がけるべきですよ 」と諭して下さっているのです。 また逆に、因果の道理を自分勝手に解釈し、阿弥陀さまのご本願を疑うような事は決してあってはならないのです。 どんなに罪深い者でも、お念仏の中に、救い摂られるご縁を頂けるのです。 「悪因苦果・善因楽果」と言われますように、私たちが造り重ねた悪因は苦果をもたらします。 しかし、阿弥陀さまの御本願により、お念仏と云う善行が善因になり、極楽往生させていただけると云う楽果が待っているのです。 この事をしっかりと受け止め、西に沈む太陽の彼方にある、極楽浄土に想いを馳せ、また、先に往った親族や友人と云った大切な人たちとの再会を楽しみに、お念仏に励みたいと思います。 全国に桜の名勝は多く、今夜会う人皆美しく想われ、美酒を飲み交わす光景に桜花の魔力を感じます。 浄土宗関東大本山増上寺の境内は、今春も満開の中に法然上人御忌大会が営まれ、念仏の声響きわたり、老若男女の団参にて賑わいました。 新入生、新入社員、スタートのシーズン、いつも桜がつきものです。 私の記憶の中のアルバムを紐解いてみても、人生の第一歩は、いつも桜と共に始まったものでした。 しかし、そんな桜も昨今の温暖化による気候の不順の影響で危機を迎えています。 某気象官のお話では、極寒を経ないと桜は満開とはならず、花開くほどで散ってしまいかねないということです。 なんとも恐ろしいことではありませんか。 開いても満開にならない花は、おそらく散る時も潔くとはいかず、いつまでも枝にしがみついていることでしょう。 これでは、「散る桜、残る桜も散る桜」の戒めも意味を成さなくなってしまいます。 こんな状景が近い内にみられるのかもしれません。 見たくない、冗談でしょうと言いたいが確実に、しかも足早に四季の異状がありそうです。 おそらく皆さんもどこかで最近の異状気象を実感していることでしょう。 私たちは、「いきいきと平和に暮らしている」かといえば決してそうではありません。 「どこか、おかしい」とは思いませんか。 気候のせいばかりにするのはばかげているかもしれませんが、人まかせには出来ない世の中、あなた自身は大丈夫ですか。 しっかりと大地にはった根をもっていますか。 今はこのことが問われているのではないでしょうか。 二〇〇八年に亡くなられたジャーナリストの筑紫哲也氏は、『若き友人たちへ』の著書に次のように述べられています。 「日本人の好きな悲劇の英雄にとって変わって、今や判官贔屓どころか、バンドワゴン効果に乗り換える傾向が強い」と。 「バンドワゴン」とは、音楽を流しながら走る馬車のことで、賑やかで面白そうなところへみんながついて行く現象のことをこう呼んでいます。 寄らば大樹の陰、勝ち組・負け組のランク付けが強まり、ひいてはそれが児童の世界まで普遍している時代。 いじめの衝撃の傑作『ヘヴン』の川上未映子氏は今や時の人でもあります。 しかしまた一方では、流れは変えようとする明治の活力を現代にとの発想なのか、『龍馬伝』が大河ドラマにもなる。 「レキジョ」という言葉の流行が示すように、日本の歴史への探求が見直されてもいる。 こうして見てくると、今日は、乗るべき「バンドワゴン」すらも何か分からないといったような不安定な時代と言えるのではないでしょうか。 そんな変わりやすい時代の中でも、今も昔も変わることなく、四月八日はお釈迦さまのお誕生日を祝う「花まつり」が各寺院で営まれます。 誕生仏に小さな杓で注ぐ甘茶は芳ばしく、花御堂の前は、参詣人で賑わっています。 お釈迦さまのご生誕と言えば、すぐ引き合いに出されるのが、「天上天下唯我独尊」の銘句です。 皆さんも聞いたことはあるでしょう。 このお言葉は、「生きとし生ける全ての生命は、一つ一つすばらしいものであり、互いに尊敬し、共に生きつづけることを誓いましょう」という意で、いわば「人間誕生の誓約」であると言えましょう。 私のお寺では、すでに春彼岸の時分に玄関先に花御堂を設置し、花まつりを始めさせていただきました。 墓参の方々が誕生仏に甘茶をかけ手を合わす姿は、誠にありがたいことと拝見いたしました。 ある時私が玄関先に出ていますと、一人の初老男性がご夫人に「天上天下の文」を説明している声が聞こえてきました。 驚きました。 「君、この名文は、人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と慶應義塾創立者である某博士の金言を引き当てて話していたのです。 私が咄嗟に訂正に入って事なきを得ましたが、住職としての教え不足に恥入り、改めて「花まつりとは」と考えさせられた一件でありました。 お釈迦さまのお誕生日であります花まつりは、日本人の思想の根幹をなすお釈迦さまのみ教え、すなわち仏教を見つめ直す非常にいい機会です。 因みに、花まつりの一日前、四月七日は宗祖法然上人のお誕生日です。 法然上人は、八万四千とも言われる仏教の教えを、念仏の切り口から説かれました。 「愚者の自覚」、まずはこのことから始めましょう。 私たちは、念仏に勝る正行はないとの上人のみ教えを頂戴して、日々南無阿弥陀仏とお称えし、念仏の中に日暮して平成二十三年の八百年御忌をむかえて参りましょう。 私はいわゆる在家出身でありまして、中野区貞源寺の檀家でした。 現在もそうです。 今から20年ほど前、当時住職であられた芳清上人に弟子入りをお願いに上がったのです。 上人は、「笠原君。 僧侶になるよりも、学校の教師になって若い人たちに宗教教育を施すことを考えたらどうだろうか。 人間、年を取ってから学ぶのは難しいからね。 宗教も同じだと思う。 若い世代への宗教教育が重要なんだ。 」と言われました。 今振り返りますと、当時上人は40歳過ぎ。 熱意にあふれていましたが、それだけに寺院における教化活動の難しさを実感しておられたのではないかと思います。 成人ではもう遅い。 若い人たち、まだ頭の柔らかい人たちに宗教を説きなさい…。 しかし私は学校に勤めるのではなく、僧侶として生きてゆきたいと思っておりましたので、「そこを何とか」と無理をお願いし、入門を許して頂きました。 僧侶も檀信徒も一つとなってお念仏の声の中に浸る…そこには優劣なく、余分なはからいもいりません。 老いも若きもありのままの姿で、煩悩具足のまま、裸のままで阿弥陀さまの世界と直に触れることができます。 「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」 という法然上人の一枚起請文。 何と驚くべき教えでしょうか。 亡くなられる二日前にして、この力強いお言葉です。 獅子吼というのは正にこのことか、と唸らずにはいられません。 他にも多くのことを師僧の元で学ばせて頂きました。 あるとき師僧がこう言われます。 「寺の住職は、檀信徒が育ててくれるものだ。 」 そのときは何のことかよく分かりませんでした。 檀家が御布施を納めた上に住職を育てる? それが最近「ははあ、このことを言われていたのかな」と思うようになりました。 私の寺は、宗門の開教施策のもとに開かれた新しい寺院です。 5年前までは賃貸の施設で活動しておりました。 そのときのこと、「いずれは小さくても独立した建物、お寺が建つといいのだが」という話を信徒さん方としていたところ、ある人が「そうですねえ、それは夢だわ。 でも私が生きている間はとても無理でしょうね…」と言われたのです。 それからほどなく、寺院にふさわしい良い場所が見つかりました。 とても不可能と思われた資金のめども立って、状況が一気に動き始めたのです。 先の信徒さんのひと言が、私を後押ししてくれたのです。 寺の行事についてもそうです。 「写経会をやりましょう」「ぜひ花まつりを」という信徒の皆さんの声が後押しとなって実現し…否、そうした声の後ろから私が「ちょっと待って下さい」と言い、ふうふう肩で息をしながらついて行っている、というのが実態です。 これが「檀信徒に育てて頂く」ということなのでしょうか。 「いや、少し分かったつもりになっているようだが、笠原君もまだまだダメだな。 」 師僧のそんな声が聞こえてくるようです。 言うまでもなく、その原語は本来的には縦糸を意味するサンスクリット語sutraであるわけでありますが、古今に亘り不変的な基準というものを示すものでもあります。 さて、私たち日常の生活、格別意識もしない普通の会話のなかに、この『経典』から出た言語或いは慣用句がいかに多いかあらためて考えてみたいと思います。 例えば、どなたでも大人であれば必ず一度は使った経験があるであろう『娑婆はきついなあー』という言葉。 『ほんとにきついよ』なんて思わず相鎚を打ちたくなってしまうのは私だけではないと思うのですが。 ともあれ、この『娑婆』という言葉、もちろんこのややこしい『漢字』には意味はありません。 前者の場合は『娑婆』は『苦痛』の意味で『この世は苦しみである』の意となり、覚者釈尊は我々の何事にも浮かれ騒ぎ狂喜している世界を、その冷静沈着な眼で当初からその本質を『苦』と観じられたのであります。 後者の場合は『娑婆』は『集まり』の意味で『この世は多くの人々の集合体である』の意となり、この世はわが一人の世ではなく一切のものが共に共存している世の中であることを示したものであることが分かります。 両者の解釈、共にそこに覚者釈尊の偉大なる叡智を感得できるのであります。 このように我々に身近な言葉『娑婆』という言葉一つ取ってみても、それが由来する経典に遡って探求して参りますと、正に『教典』の示す永久不変の真理に出会うことができるのであります。 是非共々に同じ仏教徒としてこの『教典』という我々の精神の拠り所に親しんで参りましょう。 お盆は、遠いご先祖さまから多くの思い出を共有して逝った家族まで、一年に一度ご自宅にお迎えする大切な時間です。 また、離れて暮らしている子供たちが生家の親元に集まり、ご先祖さまや亡くなった家族に元気な姿を見せ、感謝の気持ちと共に過ごす期間でもあります。 お盆は旧暦の7月に行われていましたが、明治5年より現在の新暦となってからは、 全国的に八月の月遅れのお盆が行われる地域が多くなりました。 偶然ですが、ちょうどこの時期は、昭和二十年八月六日広島、九日長崎の原爆記念日、十五日の終戦記念日と時期が重なっており、毎年8月が慰霊の季節となっていることも、お盆が私たちの季節感に根を張ってる理由の一つかと思います。 私は東京で住職をしておりますので七月のお盆をお勤めしていますが、当寺の檀信徒のなかには、地方に勤めている家族が帰京できるのは八月のお盆休みだけだということで、八月のお参りをご希望される方もいらっしゃいます。 私自身は長崎で親類を亡くしているので八月九日を迎えると、今年もこの日がやってきたのだなぁと、旧盆のお迎えに気持ちが向かいます。 日本のお盆は、推古天皇十四 西暦六〇六 年より行われており、たいへん長い歴史があります。 長い年月のなかで、多くの人が同じ思いを胸にこの暑い季節を過ごしてきたのでしょう。 近年は、お正月の門松を飾らないお家は増えてきましたが、梅雨時になると、近隣のスーパーでは必ず「お盆の精霊棚セット」が数種類並びます。 中には麻菰やおがらが入っており、胡瓜の馬や茄子の牛までついているものさえあります。 初めて見たときは驚きましたが、時代は変わっても、お盆を迎える人々の気持ちは変わらないのだと思います。 お盆を詠んだ句に、このようなものがあります。 青菰の上に並ぶや盆仏 幼い頃から家族を亡くした悲しみとともに生きた小林一茶 一七六三〜一八二八 の句です。 一茶は信濃国 長野県 の農家の生まれで、三歳で生母を亡くし、貧しい生活のなかで育ちますが、継母との対立から十五歳で江戸へ奉公に出て俳諧の道を志しました。 五十代になってようやく、二十代の妻・きくと世帯を持ちます。 次々と三男一女の子宝に恵まれるものの、四人ともみな幼くしてこの世を去ってしまいます。 一茶が子供の頃から夢見たであろう、新たに始めた幸せな家庭は、すべての子供を失った後、あろうことか妻にまでも三十七歳の若さで先立たれて終焉を迎えました。 家族全員を失い、一人取り残された一茶の悲しみはいかばかりであったでしょう。 やっと手に入れたかに思えた家庭のぬくもりは、一茶にとって儚い夢でしかありませんでした。 その後も再婚した妻とは半年で離縁し、晩年に再々婚した妻との間に子が生まれたのは、なんと自らがこの世を去った翌年のことでした。 私は小学生の頃、毎年、お盆の前に母の実家である長野市のお寺から、祖父の生家のあった新潟まで墓参りに出かけましたが、決まってその帰りに北国街道近くの一茶の旧宅に寄りました。 旧宅は国史跡に指定されていますが、立派なお屋敷ではありません。 一茶は幕末の文政十年閏六月、柏原宿の大火事に遭い、焼け残った土蔵に移り住んでいたのです。 その年のお盆には、一茶はこの土蔵のなかで子を失い弔う逆縁の悲しみ、連れ合いを亡くした悲しみ、家族全員に先立たれた哀しみを心に抱いて精霊棚を設え、亡くした家族を迎えたのです。 盂蘭盆にしつらえた精霊棚 盆棚 に並んだ多くの位牌を眺めこの句を残しました。 自分の寿命の尽きる時を見据えて詠んだのでしょう。 十一月になると、六十五歳で亡くなりました。 当山では、昨年も、赤ちゃんから90歳を超えるおばあちゃんまでの新盆の御回向を、それぞれの思いで迎えられたご家族と共にお勤めいたしました。 お釈迦さまの説かれた四苦八苦の一つ、「愛別離苦」という愛する者と別れねばならない苦しみは、誰しも避けることができません。 そして、家族を失った後も日々の生活は続き、残された者は自身の寿命を全うするまで、その苦しみを背負って生きていかねばならないのです。 今年の夏も一茶の句のように、精霊棚に位牌を並べ、亡くなったご家族を思ってお盆を過ごされる方が多くいらっしゃることと思います。 お盆は、懐かしい家族やご先祖さまをご家庭に迎え、授かった命・生かされている命に感謝し、いつかは迎えれらる側になる自分という存在を見つめ直す時間でもあります。 貪りに囚われることなく、きちんと生活している姿をご先祖さまに見ていただける、まことに有り難い期間であるとお思いになって、お念仏をお称えください。 24歳の青年僧法然さまは、師僧の許可をいただき比叡の山を下り、嵯峨・清凉寺から奈良の各お寺をお歩きになりました。 その目的は、すべての人が救われる教えを求めての旅でした。 しかし、求める教えは得られず、重い足取りで再び山にお帰りになりました。 師僧に帰山の挨拶をし、すぐにそのまま報恩蔵 経蔵 へ入り、お経の勉強にとりかかりました。 以来、十八年。 この間、上人の伝記は、真っ白です。 なにも書かれていません。 ただひたすらの学文、すなわちお経を拝読し、今まで行じてきた念仏を始め諸々の行を積む、そのような十八年間であられたのでしょう。 智慧第一と尊称された法然さまの必死の勉学と修行が続きます。 ・・・この書物にヒントがありそうだ。 本棚から机の上に取り置き、読まれたのが唐の時代の善導大師の著作『観経の疏』です。 「とりわき見ること三遍、前後合わせて八遍なり」 法然上人は『観経の疏』を読むこと八回。 その八回目で、ついに見出されたのです。 すべての人が救われる教えを。 ただひたすら心から阿弥陀さまの名号を称え続けることを正定の業となづけます。 なぜなら、それは阿弥陀さまの第十八念仏往生の願にかなった行であるからです。 法然さまは、このご文に目と心がとどまり、善導大師の教えの真意を知ることができました。 「そうだ、私のような無智の者はこのご文に従い、この教えを頼み、わが名を称えるものは一人も捨てないぞ、との阿弥陀仏の本願の力を頼み、称名念仏を称えて往生を願おう。 それがいいのだ」 こう悟られた法然さまは、 「だれも聞く人はいないのに声に出して念仏を称え、その法悦は骨の髄まで染みわたり、流れる涙は止まりませんでした。 時は、承安五年 1175 の春、43歳になっていた私は、たちどころに他の行を投げ捨て、ただひたすら、念仏を称える教えに帰依しました。 以来、一日に六万遍の念仏行を行ずるようになりました」と、晩年述懐されています。 この念仏による浄土往生のみ教えが、850年後の今日まで脈々と続いてきているのです。 来年は、法然上人ご遷化800回の遠忌を迎えます。 私たち僧侶は、次の100年を目指して、上人の教えの布教を続けなければいけません。 檀信徒の皆さまは、子々孫々まで、財産とともに念仏も相続できますようにお勤め願います。 そのためには、念仏を続ける後姿が必要ではないでしょうか。 名づけて極楽という。 その土に仏まします阿弥陀と号したてまつる」 阿弥陀経という御経の中で、お釈迦様が一番始めにお示し下さったお言葉です。 「今、私達がいるこの場所より、遥か西の彼方、十万億という多くの仏様の世界を過ぎた所に、また一つの世界がある。 その世界を極楽と称し、その極楽世界に仏様がましまして、自らを阿弥陀と名乗っておられる。 」 お釈迦様は阿弥陀経の中で、極楽浄土の場所を明確にお示し下さっておられます。 私達は遠い昔より、迷い苦しみ多き六道輪廻の世界 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上 を生死を繰り返しながらグルグル巡り続け、今の世で人として生を受けております。 この六道輪廻は因果応報の世界。 良い行いをすれば良い結果が生じ、悪い行いをすれば悪い結果が生じる。 自分自身の行いで次に生れる世界が決まって行くのです。 煩悩のままに日暮を送り、方向が定まらず六道世界で生死を繰り返している私達。 この生死を繰り返す迷いの世界を「此岸 しがん 」と申します。 この迷い苦しみの「此岸」から、私達を救う為に仏様と成って下さったお方が阿弥陀仏です。 極楽浄土というこの上ない清らかな国土、迷い苦しみ無き世界を六道世界の外に構えて下さり、「南無阿弥陀仏」と我が名前を称える者必ず極楽浄土へ救い取るとお約束下さっておられます。 六道輪廻の世界であります「此岸」を厭い、極楽浄土へ往生したいと願って「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えれば、私達がこの世で命終えるその時に、阿弥陀仏御自らお迎えに来て下さり、西方極楽浄土へと往生させて頂けるのです。 この極楽浄土を、迷い苦しみの世界であります「此岸」に対して、清らかな悟りの世界「彼岸」と呼ぶのです。 お彼岸のお中日は、昼夜の長さがほぼ等しくなる日。 太陽が真東から昇り真西に沈みゆく、その夕日の沈む遥か彼方に実在する極楽浄土。 先立たれた方々が阿弥陀仏のお導きを頂き仏様と成ってゆかれる世界であります。 阿弥陀仏は今この瞬間にも、極楽浄土から私達に、「我が名を称えよ、必ず救う」と呼びかけ続けて下さっておられます。 阿弥陀仏は私達に、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称える事を願っておられるのです。 それはそのまま、極楽浄土にいらっしゃる先立たれた方々の願いでもあります。 私達が極楽浄土へ往生させて頂いたのならば、同じ蓮台で先立たれた方々とお出会いさせて頂ける世界でございます。 この世限りでは無く、後の世までもご縁を結ばせて頂けるのでございます。 お彼岸は亡き方に想いを馳せると同時に、夕日の沈む西の彼方に在る極楽浄土を慕い、極楽浄土へ往生したいとの気持ちを新たにする期間でございます。 皆様方のお念仏のお声、お姿、阿弥陀仏はもちろんの事、亡き方もお喜びになりながら聞いて下さり見て下さる事でしょう。 お彼岸を迎え、決意を新たにして、「南無阿弥陀仏」とお念仏を申し申しの毎日を、共々に過ごさせて頂きたいと思います。 すっかりお茶の間のお馴染みとなった水木しげるさんは、幼い頃に近所のお寺で見た地獄極楽図によって、強く「あの世」に興味を持たれたそうです。 目に見えない妖怪達、そして生とは、死とは何かを追いかける背景には、「あの世」の確信があったわけです。 皆さんはいかがお考えでしょうか。 「あの世なんて無いんだ」、「死んだら何となく良いところに生まれるんでしょ」、それとも「死んだら皆ホトケ」でしょうか。 はっきりと自身の行く末を見据えておられる方は、思いのほか少ないものです。 仏様のお示しでは、間違いなく生と死は隣り合わせです。 「生死」と書いて「しょうじ」と読みますが、つまり、この世に生まれたということは、前の世で命を終えたということ。 この世で命を終えるということは、どこか次の世に生まれるということです。 そしてこの「生死」の繰り返しから抜け出せないから恐ろしいのです。 中国唐時代の善導大師という方はおっしゃいました。 「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫 こうごう より已来 このかた 、常に没し常に流転して、出離の縁有ること無し」 この私という人間は、悪業を重ねて罪深く、無数の生死を繰り返してきた愚か者である。 一度としてこの迷い苦しみの世界を抜け出る縁に出会うことは無かったと。 当時、「阿弥陀如来の化身」とまで尊ばれた善導大師が、ご自身をこのようにおっしゃったのです。 いかにいわんや我らをや。 私たちは、自分だけは生き残りたいという欲望に振り回され、罪を造らざるを得ない存在です。 認めたくはないでしょうが、被害者を放置し自己保身に走った押尾被告の事件は、誰もが持つ人間の欲望をまざまざと見せつけました。 この姿を、我が身に置き換えて考えなければなりません。 きれいごと抜きにはっきり申し上げれば、我たちは死ねば地獄に堕ちてゆく身だということです。 この「我が身の程」を深く受け止めねば、お念仏を有り難く頂戴し、しっかりお称えすることはできないのです。 善導大師のお言葉を受けて、宗祖法然上人は次のようにおっしゃってます。 「始めに我が身の程を信じ、後には仏の願を信ずるなり。 ただ後の信心を決定せしめんがために始めの信心をば挙ぐるなり」 阿弥陀様は私たち人間が地獄に堕ちていくのをどうしても見捨てては置けなかった。 だからこそ極楽浄土を構えてくださり、「我が名を称えよ。 念仏申せ。 必ず救い摂るぞ」と手を差し伸べてくださるのです。 まず「我が身の程」をしっかりと受け止め、「助けたまえ、阿弥陀仏よ。 南無阿弥陀仏・・・」と日々お念仏申す。 そして命終わった時には間違いなく極楽浄土へ迎えとっていただく。 このような方を、阿弥陀様、お釈迦様、善導大師、法然上人は心から喜んでくださり、真の仏弟子と讃えてくださるのです。 どうか共にお念仏をお称えしてまいりましょう。 70日間も地下に閉じ込められた33人の作業員がフェニックス 不死鳥 と名付けられた救助カプセルにて一人ずつ救い上げられ、家族と感動の再会を果たしたシーンは、世界中の感動を呼びました。 皆さんもまだ記憶に新しいと思います。 全員が救出されてからは、インタビュー責めや映画化などと騒がれておりますが、徐々に漏れ聞く話によりますと、救出されるまでの地下生活で、生存者が確認されるまでの17日間は、助かるかどうかも分からない中で、唯々死を覚悟するしか出来ない壮絶な精神状態に追い込まれ、僅かに残った缶詰や賞味期限の切れた牛乳の分配方法について揉め事が起こり、時には殴り合いになることもあったそうです。 今回の救出シーンをみて、私はふと芥川龍之介によって書かれた短編小説である『蜘蛛の糸』 くものいと を思い出しました。 不適切な表現かもしれませんが、救出されていく作業員の方々が、ワイヤー1本で救い上げられていく有様は、まるで主人公のカンダタ 犍陀多 という生前に様々な悪事を働いた泥棒でありながらも、一度だけ善行を成した事から地獄から救ってやろうと蜘蛛を使い、1本の糸を地獄に垂らして下さったお釈迦様の心を見ているように感じられたのです。 中国・唐時代の善導大師は『観経疏』に、このようにおっしゃります。 「我らが如き、未だ煩悩をも断ぜず、罪をつくれる凡夫なりとも、深く弥陀の本願を信じて念仏すれば、一声にいたるまで決定して往生す」 我々 私 人間は煩悩にまみれて罪を犯し、その煩悩を断ち切る事ができず、生死の迷いの世界をさ迷い続ける凡夫ではあるけれど、深く深く阿弥陀さまの本願を信じて念仏を申させて頂ければ、一遍のお念仏までも必ず往生が願うのですと。 中国浄土教の大成者である善導大師をしても、自身を迷いの世界から離れようにも、その縁すらない身 凡夫 であると仰せになり、そんな自分が救われるには阿弥陀さまのお誓いにすがり、御名を称えさせて頂くしかない。 しかし、それにはまず我が身の程を省みることが大切なのです。 又いざ自分がその立場に置かれたらどうでしょうか? 誰しも自分だけはと考え、人を蹴落としてでも・・・と簡単に罪を造ってしまう・・・そんな罪多き我が身なのではないでしょうか?決して他人事ではなく、地獄行きが決定されている我が身なのです。 そんな我が身をしっかりと知り、こんな自分でも救われる方法を用意して下さったのが阿弥陀さまなのです。 宗祖法然上人も消息の中に 「煩悩の薄く濃きをも省みず、罪障の軽き重きをも沙汰せず、只、口にて南無阿弥陀仏と称えば、声につきて決定往生のおもいをなすべし」と仰せになり、煩悩や罪の程度にかかわらず、とにもかくにも「南無阿弥陀仏」と申し申させて頂くそのひと声、ひと声に必ず極楽往生が叶うのだと。 「我が名を称えよ、必ず救う」とお誓い下さり、いつでも私達の声に耳を傾けておられる阿弥陀さまに、臨終の時には間違いなく極楽浄土にお救い頂ける様に日々のお念仏をお称えしてまいりましょう。 その点を、そのご生涯から見ていきましょう。 旧仏教からの度重なる強訴により、建永二年 1207 、上人七十五歳の時、院宣によって、念仏停止・土佐への配流が決まりました。 この時、弟子の一人に念仏についてお述べになったのに対して、別の弟子が、このような時期に世間の機嫌をそこねるようなことは避けた方がよいのでは、と申し上げたのです。 それに対し法然さまは、 我、首を切らるとも、この事言わずはあるべからず。 とおっしゃいました。 本当にお考えの様子がお顔にあらわれて大変迫るものがあったので、お弟子たちはみなこらえきれず涙を流したとのことです。 この言葉は、筆者の自坊・妙定院所蔵の『法然上人伝絵詞』 琳阿本 浄土宗宝・東京都港区指定文化財 にある言葉です。 すごい言葉ですね。 念仏弾圧の嵐が吹き荒れているとき、普通ならばその風が少しおさまるまでは、少し静かにしようと考えるものですが、そうではないのです。 法然さまの強さ、そして念仏の教えに対する深いおもいが見てとれます。 この言葉だけではありません。 お弟子 信空 が、「ご老体にははるか遠く海を渡る旅はお命の点でも心配です。 私たちは教えが聞けなくなります。 一向専修の念仏を広め行うことを中止する旨お上に申し上げて、こっそりと目立たないように導かれたらいかがでしょう」と言ったところ、法然さまは、「八十歳近くになってたとえ京都にいてもお別れは遠くない。 都には長らくいたから、都から離れ、辺鄙なところで人々に念仏を伝えることは長い間望んでいたことです。 人の力で止めようとしても、仏法は決して止まるものではありません」とおっしゃったとのことです。 『法然上人行状絵図』巻三十三 年をとられても、ものすごい迫力だと思います。 信念の強さによるものなのでしょう。 一方、次のような面もあります。 学問ははじめて見たつるは、きわめて大事なり。 師の説を伝え習うはやすきなり。 『法然上人行状絵図』巻五 「先生の説を伝えられて学ぶことはたやすいことだ」とおっしゃっているように、学問については厳しい面を見せています。 そして上人は、このようなことを、修学中にも当時の師匠に向かって言った、と伝えられています。 ただ、やさしくて何でもよいとする軟弱な人ではなかったということが分かります。 さらにもう一つだけ加えましょう。 自他宗の学者、宗宗所立の義を各別に心得ずして、自宗の義に違するをは、皆ひが事と心得たるは、いわれなきことなり。 『法然上人行状絵図』巻五 それぞれの考えを理解しないで、自分の考えにそむくからと言ってまちがいだと考えるのは、理由のないことだ、というのです。 それぞれの違いを認めた上で、自らの説を主張し、かつ他の考えを尊重せよ、と言われているのがよく分かります。 こうして見ていきますと、法然さまは、強さと幅の広さを兼ね備えていた方と言うことができます。 それが、肖像画に描かれているあのお顔となってあらわれているのでしょう。 私たちもこの双方を少しでも相持ちたいものです。 私の寺のお檀家のことで、恐縮ですが、そのことを書かせていただきます。 今年の夏の猛暑の最中、七月に亡くなられた奥さんの百ヶ日のときのことです。 おばあさんが墓参にこられ、「仏壇を買ってよかった。 家の中が明るくなった」というのです。 五七日忌の時、新しく仏壇を買ったので、開眼供養をお願いしたいとの依頼を受けました。 読経開眼のあと、私は亡くなられたお母さんの御供養を御主人だけにお任せしてはいけません。 みんなで御供養するようにと、お話しいたしました。 その家は、残された御主人とおばあさん、それから社会に出た娘さんと高校生の息子さんの四人暮らしです。 私はおばあさんの話が意外だったものですから、そのいきさつを尋ねました。 和尚さんがいわれたように朝きまった時間に全員でおまいりをするようにいたしました。 娘が仏壇にあげるお膳をつくり、息子が水を取り替え、お茶をあげる。 お父さんはローソクに火をつけ、お線香をあげる。 おばあさんはお念仏を唱えおまいりをする。 それぞれ違う仕事ではありますが、すべて亡くなったお母さんの御供養になるという思いから、みんな真剣、おばあさんは、みんなを激励しながらの毎日でした。 みんなが、仏さまへのお給仕を自分の仕事にすることによって、お互いに励まし、励まされるようになったのです。 ですから、誰かが寝坊して、その所が滞ると、まだお膳があがってないよ、お茶があがってないよ、といわれます。 馴れてくると、だんだん皆んなが自分の仕事を、他人にいわれなくとも、自分の責任と思ってこなすようになってまいりました。 別の言葉でいえば、供養をみんなでするんだという役割分担がはっきりしてきたのです。 そうしますと、みんなが同じ時間に起きるようになったし、おまいりは勿論、食事までが、一緒にするようになりました。 そこに家族としての会話が生まれてきたのです。 お父さんは会社の話、息子さんも学校の話、そこから秋の学園祭の話がでて、今度はお父さんが見にいくよと約束したり、おばあさんのお習字の展示会の話も出て皆んなでいってみようかということにもなったのです。 いままでは、ただ食べるだけという食事で、食事の時間もバラバラでした、それこそ自分たちの都合のいい時間に、好きなものを好きなだけ食べるという、いまいわれている孤食の摂り方でした。 ですから、顔を会わし、話す時間もありませんでした。 そこに仏壇を買い、お母さんの供養をすることによって大きな変化が起こったのです。

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んの使い方、ほかの品詞の結びつき|日本語コロケーション辞典

さっちゃん のせ くし ー かれ ー 歌詞

さんファンの私は、インディーズ時代の「新宿」「背中のジッパー」あたりで衝撃を受け、その後の大森さんの活躍を見守り続けており、大森さんの表現がすんなりと馴染む体質という事もあって、良く聞かせてもらっています。 インディーズ時代にも名曲がわんさかありますが、この2曲は中でも個人的に大好きです。 他にも、オススメなのは、• 絶対彼女• ミッドナイト清純異性交遊• 君と映画 こちらはメジャーデビュー作でもあり、さんの尊敬する のさんがアレンジを手掛けたとあって、世界観も可愛い。 私は全部、完全に歌えます! 要らない情報でした そんなさんが、また私の期待を裏切らない、なかなか怖可愛イイ曲をさらりと作ってくれて嬉しい嬉しい!嬉しいよ〜。 色んな意味で良かった、「さっちゃんのセクシーカレー」 同じ女の目線でみても、さんって めちゃんこエロい。 欧米人みたいなグラマラスセクシーの事ではないのは説明要らないかと思いますが、なんかですね、 ずっとエロそう。 なんですよ。 この表現がしっくりくるんですが、わかってくれる人いると思います 強引 色々良かった事を順に上げていくと、 銀色のナイフで 春を切り刻んで 今日はどんな味の 退屈を食べたの こんな田舎で ぼくより強い人に はじめて会って 嬉しかったよ という冒頭部分から始まる歌詞、さっちゃん>僕の関係性にきゅん。 そして、こう続きます。 おんなじおもちゃ 別々に遊んだ 経験値稼ぎ レベル上げの毎日 ぼくにしか出来ない 必殺技もできた でも まだ 闘えないよ 、アプリ、ソシャゲ、一度は経験した事ある人ならこの歌詞に動揺を隠せないはずです!大森さんも課金派かな…無課金派かな、はたまた重課金?いや、パーっと廃課金だよね!なんて想像は膨らむばかり。 ちなみに、 私は無課金でやってます。 要らない情報多過ぎないかい? ちなみに、無課金とは「無理のない課金」の事をいいます。 ゲームの世界のお友達に教えてもらいました。 勉強になります。 毎日、経験値を稼ぐ事に躍起になり、初期はレベル上げが必要不可欠。 日本人は特に、コツコツ積み重ねて行く過程が大好きだそうで、ソシャゲにハマりやすいと言われているそうです。 そ、そ、そんなこと、な、ないもん!! 見透かされてますね。 踊らされてる〜。 とりあえず、私はというと、その苦行とも思われるレベル上げに関してはもう安定の域に入ってしまったので!!? 課金に関しても爆死を経験し大人になり!!? 私の傷なんてみんなに比べたらかすり傷だ! 色々大丈夫です(ニッコリ) 話がそれましたが、 そんなソシャゲユーザーの心理描写までキャッチーな歌詞に乗せてくれたことに、きゅん。 そして、歌詞に登場する"ぼく"は、さっちゃんへの想いが一途なのでした。 成長しないで さっちゃん 茶髪にしないで さっちゃん 彼氏つくらないで さっちゃん 僕の特別 僕の特別 友達以上恋人未満の関係性なのかな。 もしくは一方的。 でもでもでも!私は関係性をすっとばしても、 「しないで」 って思っちゃったり、ヤダヤダ系の事をしちゃう 男なんだけどね な可愛さが好き。 ほんとに言わなくていいけど、思ってるだけでも、歌詞になって破壊力増大。 「僕の特別」 って実は私も大切にしてる言葉だったのです。 ずっと大切にしてる。 今でもずっとだよ。 …、 あ、ちょっと脳内トリップしてました そんな私の宝物を大森さんが偶然歌詞にのせてくれたような気分! そして、その後のサビではさらに、 「最強でいてよ 僕の特別」 …、 また脳内トリップしましたよ 泣 ことごとく、私の思い出にいてくれた言葉が、偶然たくさんこの曲に登場して感動したのです。 ぐすん。 自慢と受け取ってください。 ぉぃ クライマックス、何か行動に出たかのような僕。 じゃがいも消えたよ さっちゃん 豚バラバラバラ さっちゃん たまねぎ泣かないで さっちゃん 最強でいてよ 僕の特別 巷では、不協和音がすごいと言われていますが、まさにこれは2行目いっちゃいましたね…。 3行目さっちゃん 何かに怯えて 泣いてる…。 やはりといっていい程の系男子な僕だけど、キャッチーなメロディーに乗って豚肉バラバラバラしちゃって、想いを貫いた姿に案の定切ない気持ちになりました。 カレーライスかぁ。 白米があんまり好きじゃないし、じゃがいもも好きじゃないから、カレーは苦手だけど、僕がさっちゃんのために作ったであろうセクシーカレーは、どんな味がするのかな。 きっと普通のカレーと変わらないのかも。 sanni7032320.

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さっちゃん のせ くし ー かれ ー 歌詞

おはなしかいレポート 2008-2013 2018年〜2013年の間に「もものこぶんこ」が実施した、おはなし会の記録です。 1月26日 おはなしかい in 一会 1.はじまるよ のうた もものこぶんこのおはなしかいは、このうたで始まるのが定番です。 「もものこぶんことして初めてのおはなし会です」と、ハマサキがあいさつをして、おはなしかいがはじまりました。 2.絵本・『ポカポカホテル』 オオタニによる、絵本のよみきかせ。 『めっきらめっきらどおんどん』の冬バージョン?男の子が不思議な世界に迷い込むお話です。 いもとようこさんのイラストに気持ちもほっこり。 松岡 節・作 いもと ようこ・絵 ひかりのくに 2000年 3.絵本・『くいしんぼうず』 ナガヤによる、絵本のよみきかせ。 お寺のかわいい坊主が、おばけが出すシルエットのなぞなぞに挑戦!子どもたちも声を出してあてっこしてましたよ。 つきおかゆみこ・作絵 くもん出版 2007年 4.絵本・『ふゆのかぞえうた』 ナガヤ自作の絵本!みかんは一個、ネコは一匹、じゃあ、雪は・・・?大人も「ほう〜」と、うなった一作。 5.語り・『ねずみのすもう』 ネギシによる、素話です。 かわいらしくねずみがすもうを取る様子が、目に浮かぶようでした。 6.指遊び・『お花がわらった』 ミサキによる、指人形遊びです。 軍手の指先にお花をくっつけて、『お花がわらった』のうたに合わせて開いたり、閉じたり。 そっぽ向いていた女の子が、お花を見てにっこり笑ったのが嬉しいったら。 7.エプロンシアター・『やさいのパーティー』 エナミによる、エプロンシアター。 トマト姫の誕生パーティのお話です。 最後の仕掛けがあっとおどろくかわいさと、自画自賛。 中谷真弓・原作 おみやげ 節分が近かったので、オリガミで作った鬼さんとお福さんの指人形をおみやげに。 こぐまちゃんや、五味太郎さんのポストカードも添えました。 2月16日 おはなしかい in アテナ平和 5階 アテナ平和5階、交流スペースのオープニングイベントとして実施しました。 ゲストにコーラスサークルのドルチェ・マンマさんを迎えて、にぎやかで楽しい会になりました。 1.はじまるよ のうた もものこぶんこでは定番の、はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『おにをくったじっちゃ』 オオタニによる、絵本のよみきかせ。 節分のお話です。 今回のお客様は、乳幼児の方が多かったのですが、じっくり聞いてくださいました。 渡辺節子・作 矢野徳・絵 フレーベル館 3.絵本・『さむがりやのねこ』 オオニシによる、絵本のよみきかせ。 さむがりやのネコが、南の国へ行こうと歩いていくうちに、とんでもない展開が・・・!そのトンデモナイ部分になると、子どもたちがキャ、と喜んでいて、「ここがおもしろいのか・・・」と、関心。 実は、以前に読んだときは、イマイチおもしろさがわからなかったのです。 大人になると感覚が磨耗していくのですね。 >エナミ談 わたなべゆういち・作絵 フレーベル館 4.絵本・『ふゆのかぞえうた』 前回も読んだ、ナガヤ自作の絵本。 みかんは一個、ネコは一匹、じゃあ、雪は・・・?大人も「ほう〜」と、うなる一作なのです。 5.コーラス ドルチェ・ママンさんによる、コーラスです。 季節の移り変わりを表現するメドレーに始まり、おなじみの「さっちゃん」や、手話講座つきの「さんぽ」まで、美しい歌声を聞かせていただき、私たちも一緒に歌いました。 6.語り・『ねずみのすもう』 こちらも前回も好評だった、ネギシによる、素話です。 聞いているうちに、いつのまにかねずみを応援しています。 7.指遊び・『おはなしゆびさん』 ミサキによる、指人形遊びです。 「このゆびパパ」、でおなじみの一曲。 単純だけどちょっとずつ違う歌詞が覚えにくかったのですが、お客さまはしっかり覚えていていて歌ってくださり、ひっぱってもらいました。 8.エプロンシアター・『どろんこねこちゃん』 エナミによる、エプロンシアター。 どろんこのねこちゃんが、お風呂に入ると、あら不思議、ピカピカになって出てきます。 中谷真弓・原作 おみやげ オリガミで折ったおだいりさまとおひなさまをプレゼントしました。 3月22日 おはなしかい in 一会 今回は2007年度に頂いた助成金で購入した絵本、約80冊を展示しました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.うたと絵本・『チューリップ』 ナガヤオリジナルのしかけ絵本による、チューリップのうた。 おなじみのチューリップのうた、実は3番まであるんですよ〜。 3.絵本・『うえきばちです』 オオニシによる、絵本のよみきかせ。 うえきばちにのっぺらぼうを植えて、水をあげると・・・!あっと驚く展開です。 (川端誠・作絵 BL出版 2007年 4.絵本・『てんまのとらやん』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 最初横向きだった絵本が途中で縦向きになるところが、なんともおもしろい。 怠け者のとらやん、次々いろんなところに飛ばされて行きます。 (中川 健蔵, 関屋 敏隆・作 遊タイム出版 2000年) 5.エプロンシアター・まきばのがっしょうだん エナミによる、エプロンシアター。 まきばにいろんな動物たちが集まって、合唱を始めます。 歌と手遊びです。 (中谷真弓・原作) 6.大型絵本・『おおはくちょうのそら』 オオタニによる、絵本のよみきかせ。 美しい版画のイラストが、大迫力の大型絵本に。 哀しく美しい物語が、優しいオオタニの語り口で心に迫ります。 (手島圭三郎・作絵 リブリオ出版;復刻版 2001年) おみやげ オリガミで折った、だましぶねとパクパクと口ばしのように動くおもちゃをプレゼントしました。 だましぶね初体験の少年、目をぱちくりしてびっくりしていて、私も昔びっくりしたなあと思い出しました。 4月26日 おはなしかい in 一会 今回は春の絵本を展示しました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『そらいろのたね』 オオニシによる、絵本のよみきかせ。 お友達と仲良くしなくちゃね、と思わせるお話です。 ちょっと高めのオオニシの声が、かわいいキャラクターにすごくマッチしてました。 (中川李枝子・作 大村百合子・絵 福音館書店) 3.絵本・『ふってきました』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 「ふりそうな」ある日、空から降ってきたのはなんと・・!ファンタジックな物語が豪快な絵で描かれます。 (もとしたいづみ・文 石井聖岳・絵 講談社 4.てあそび・『おはながわらった』『おはなしゆびさん』 ミサキによる、手遊び。 軍手で作った、指人形ですが、握った指をほどくと、ぴょこんと出てくるさまがかわいらしいです。 ただ、軍手をはめる時間が手持ち無沙汰。 今度は何か一発芸をしたいと思います。 5.紙芝居・『しんかんせんははやい』 ナガヤによる、紙芝居。 その場にいる人みんなが楽しめる紙芝居でした。 作が、中川ひろたかさんと和歌山静子さんのコンビというところも豪華です!(作・中川ひろたか 絵・和歌山静子 童心社) 6.エプロンシアター・『どろんこねこちゃん』 エナミによる、エプロンシアター。 以前好評だったどろんこねこちゃんです。 裏話・このエプロンシアター、ちょっとしたマジックのようなしかけがあるのですが、先日某所で演じたときに、しかけがばれてすごーくあせりました! (中谷真弓・原作) おみやげ オリガミで折った、こいのぼりをプレゼントしました。 5月18日 番外編inヘレンケラー財団「ふれあいまつり」野外ステージ いつもお世話になっている、ヘレンケラー財団さんの主催する「ふれあいまつり」に出演させていただきました。 一会での活動に対して「感謝状」を頂く場面もありました。 1.大型絵本・『ゆうたはともだち』『ゆうたとさんぽする』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 シベリアンハスキー犬のじんぺいと、ゆうたの、友情が、じんぺい目線から描かれます。 きたやまようこ・作 あかね書房 2.紙芝居・『しんかんせんははやい』 ナガヤによる、紙芝居。 その場にいる人みんなが楽しめる紙芝居です。 会場も盛り上がりました。 (作・中川ひろたか 絵・和歌山静子 童心社) 6月28日 おはなしかい in 一会 今回は雨をイメージする絵本を展示しました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『てるてるぼうず』 ナガヤによる、絵本のよみきかせ。 てるてるぼうずのちょっと切ない表情がかわいい。 シンプルな絵本です。 (おぐまこうじ・作 くもん出版) 3.絵本・『ルラルさんのにわ』 オオニシによる、絵本のよみきかせ。 ルラルさんの大切な庭に、ある日、大きな丸太が・・・でも丸太と思ってよくみるとそれは、ワニで!大切なものを、他の人とわけあうと、幸せになれるんだなあ。 (いとうひろし・著 ポプラ社 4.人形劇・『あまがえるあまたろうと、でんでんむしのでんのすけ』 エナミによる、人形劇。 カサを舞台に軍手の人形劇のはじまり〜。 あまがえるのあまたろうと、でんでんむしのでんのすけが、自分の住んでいるお家が一番素敵だって言い張ります。 さてどちらのおうちが世界一かな? 5.てあそび・『かえるのうた』 ミサキによる、てあそび。 かえるのうたの輪唱をしました。 6.絵本・『桃太郎』 オオタニによる、絵本のよみきかせ。 正統派のももたろうです。 昔ながらの語り口と、赤羽末吉さんの絵が、物語をもりあげます。 松井ただし・作 赤羽末吉・絵 福音館書店 おみやげ オリガミで作った、かざぐるまをプレゼントしました。 7月19日 おはなしかい in アテナ平和 今回は夏の絵本を展示しました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『いわしくん』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 「食べる」ってどういつこと?と、短いことばで語りかけます。 (菅原たくや 文化出版局) 3.紙芝居・『くねくねゆらゆら』 ナガヤによる、紙芝居。 かわいらしいタコの家族がくねくねゆらゆら。 水色の背景が涼しげで、ほんわかしたおはなしです (ひろかわさえこ・作 童心社 4.素話・『世界で一番きれいな声』 ネギシによる、素話。 世界で一番きれいな声をもっているのは一体誰なんでしょうか? 5.手遊び・『おはなしゆびさん』『お花が笑った』 ミサキによる、手遊び。 軍手で作った、指人形です。 おはなしゆびさんの歌詞が、なかなか覚えられません。 お母さんは優しいのかきれいなのか?お兄さんはのっぽなのか大きいのか?いつもお客様に助けていただいてます。 6.エプロン芝居・『やさいのパーティー』 エナミによる、エプロンシアター。 トマト姫の誕生パーティのお話です。 中谷真弓・原作 7.大型絵本・『めっきらもっきらどおんどん』 オオタニによる、絵本よみきかせです。 大型絵本ならではの迫力です おみやげ 牛乳パックで作るブンブンゴマをプレゼントしました。 8月23日 おはなしかい in 一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.巻物紙芝居・『花火』 ナガヤによる、手作り巻物紙芝居。 キラキラのオリガミで作った美しい花火が画面いっぱいにあがります。 美しい花火につられてどこからかオバケもやってきて・・・。 今年は花火大会に行けませんでしたが、十分に花火大会の気分を味わうことができました。 3.えかき歌・うみのいきもの エナミによる、えかき歌です。 海に住んでいるいきものは?さかなに、いるかに、たこに、いか・・・どんどん描いていきます。 100円均一で購入したホワイトボードが大活躍。 (出典『うたってあそぼう えかきうた むし・さかな 』たけいしろう・作 かいちとおる・絵 あかね書房 4.絵本・『あしたプールだがんばるぞ』 コサカによる、絵本よみきかせ。 いぬいわんすけは、泳げないのでプールが嫌です。 でも、いろんな海のいきものに、泳ぎ方を教えてもらいます。 寺村輝夫・さく いもとようこ・え あかね書房 5.手遊び・『かわいいかくれんぼ』 ミサキによる、手遊び。 軍手で作った、指人形です。 うさぎがお庭でかくれんぼをする歌です。 6.素話・『雌牛のブーコラ』 ネギシによる、素話。 牝牛のブーコラがいなくなったので、役立たずの息子が探しにでかけます。 ブーコラはトロルにつかまってしまっていました。 息子はブーコラをつれて帰ろうとしますが、トロルが追いかけてきて・・・。 ブーコラ、なんて名前がみょうちくりんで、それをネギシが高い声で話すものだから、名前が出てくるたびに笑ってしまいました。 アイスランドの昔話「おはなしのろうそく 24」所収) 7.大型絵本・『おばけパーティ』 オオタニによる、絵本よみきかせです。 おばけのアンリが、友達のおばけをおもてなしします。 食べた物の色におばけが染まったり、おばけがおばけを怖がるシーンが可笑しいです。 ジャック・デュケノワ・作 おおさわあきら・訳 ほるぷ出版 おみやげ 牛乳パックとストローで作るタケコプター、じゃなかった竹とんぼ。 とてもよく飛びます。 9月6日 番外編inあべの愛博覧会 あべの区役所で行われた、あべの愛博覧会で、ハマサキとエナミが、紙芝居のお手伝いをさせていただきました。 1.紙芝居・『クーちゃんものがたり』 メタボ犬クーちゃんが、散歩にでかけて、わんわんパトロールをしている犬と出会います。 ワンワンパトロールは、散歩のついでに、街を見渡し、何かかわったことはないか、手助けできることはないか気を配ります。 ちょっとしたことから、安全な街づくりに参加することができるよというお話です。 本場街頭紙芝居さながら、はっぴを着てタビはいて、カンカンと拍子木をならして演じました。 楽しい経験ができました。 ありがとうございました。 「クーちゃんものがたり」 さく・谷和香苗さん え・中村仁美さん 9月27日 おはなしかい in 一会 今回は秋の絵本を展示しました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『よーいどん』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 秋といえば運動会。 ユーモアが効いた運動会のおはなし。 中川ひろたか・作 村上康成・絵 童心社) 3.素話・『おつきさまのはなし』 ネギシによる、素話。 けちんぼのおばあさんと、心優しいおばあさんがいました。 心優しいおばあさんの家に、お月様がやってくると、おばあさんは、お月様をごちそうでもてなします。 それをうらやんだ、けちんぼのおばあさんは、どうしたでしょうか・・・。 (ポーランド民話 4.絵本・『ムニャムニャゆきのバス』 オオニシによる、絵本のよみきかせ。 バスはムニャムニャにむかって走っていきます。 長さんの、ナンセンスユーモア全開のおはなしです。 長新太・作 偕成社 5.絵本・『うちのかぞく』 ミナエによる、歌を歌ってのよみきかせ。 家族のメンバーが、いろんなものに変身します。 谷口国博・作 村上康成・絵 世界文化社 6.絵本・『どうにかしてよ イイイヨオオ』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 ロバのディッキードンキーは、毎朝起こしてくれるのですが、まわりの皆はその声をうるさいって言います。 ロバの鳴き声が特徴的で、きいている子どもも一緒に「イイイヨオオ」って。 リディア・モンクス・作 まつかわまゆみ・訳 評論社 2006年 7.絵本・『へんしーん』 ナガヤによる、しかけ絵本よみきかせです。 へんてこなイラストとセリフで、とても笑える絵本です。 谷川晃一・作 偕成社 2000年 8.紙芝居・『ドラゴン仮面』『2ちゃん』 ヤマモトアクビによる、紙芝居。 戦後すぐに描かれた、肉筆の街頭紙芝居です。 おみやげ 牛乳パックで作った、飛び出すうさぎのおもちゃをプレゼントしました。 10月25日 おはなしかい in 一会 秋の絵本を展示しました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.紙芝居・『あるひあひるがあるいていると』 エナミによる、紙芝居風のよみきかせ。 全部「あ」から始まることばでできたおはなしです。 ことばって楽しいなあ、と思います。 原作『あるひあひるがあるいていると』二宮由紀子・作 高畠純・絵 理論社) 3.絵本・『かわいくなんかないっ!』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 フクロウのフクちゃんは、もりのへいわを守るために、パトロールにでかけますが、みんなフクちゃんのこと「かわいい!」って言うんです。 フクちゃんは、怒っちゃって・・・。 (ジョナサン・アレン・著 せなあいこ・訳 評論社 4.絵本・『こんたのおつかい』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 こぎつねのこんたは、おつかいをたのまれますが、いつもは通らない『もりのみち』を通ってしまって・・・。 オニやオバケの絵が、迫力満点。 田中友佳子・作 徳間書店 2004年 5.ゆびにんぎょう・『おはなしゆびさん』 ミサキによる、指人形です。 おなじみの歌に合わせて、皆で歌いました。 6.絵本・『きりのもりのもりのおく』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 薄い紙の絵本で、次のページが少し透けて見えます。 さて、もりのおくには、一体誰がいるんでしょうか・・・? ニック・シャラット・作 木坂涼・訳 フレーベル館 2008年 7.紙芝居・『まんまるまんまたんたかたん』 ナガヤによる、紙芝居です。 おつかいにでかけた、ちびっこにんじゃは、夜道が怖くて、忍術を使います。 皆で呪文をとなえながら楽しみました。 荒木文子・脚本 久住卓也・絵 童心社 2007年 おみやげ わりばしと、ストローと、チラシで作った、かざぐるま。 くるくるよくまわります。 赤ちゃんも目が釘付け! 11月29日 おはなしかい in 一会 冬の絵本、クリスマス絵本を展示しました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『きらきら』 エナミによる、絵本のよみきかせ。 美しい雪の結晶の写真がたくさんです。 谷川俊太郎・文 吉田六郎・写真 アリス館) 3.絵本・『よるくまクリスマスのまえのよる』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 わるい子は、クリスマスプレゼントもらえない・・・?よるくまちゃんと夜の街を飛行機で冒険です。 (酒井駒子 白泉社 4.絵本・『ふしぎなでまえ』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 おなかが空いたじゃがさんとさつまさんは、出前を頼みますが、やってきたのは、からっぽのお皿! かがくいひろし・作 講談社 2008年 5.ゆびにんぎょう・『もりのくまさん』 ミサキによる、指人形です。 歌に合わせて、皆で歌いました。 6.絵本・『コロちゃんのクリスス』 オオニシによる、絵本のよみきかせ。 ちょっといたずらっこの子犬コロちゃんが、クリスマスの準備をします。 かくれた部分をぺらりとめくる、楽しいしかけ絵本です。 エリック・ヒル・作 まつかわまゆみ・訳 評論社 7.紙芝居・『いろいろな木』 ナガヤによる、手作り紙芝居です。 イチョウに、もみじ、いろんな木があって・・・。 あれあれ?なすびとぶどうの木?そんなのある?最後には大きな大きな・・・?とっても楽しい紙芝居でした。 おみやげ ストローと、ヤクルトの入れ物で作った、鉄棒人形。 くるくるまわります。 みんなでオリジナルの顔を書き入れて、完成。 12月20日 おはなしかい in 一会 冬の絵本、クリスマス絵本を展示しました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.エプロン芝居・『プレゼントはなあに?』 エナミによる、エプロン芝居。 5つならんだプレゼントの箱。 さあ一体誰のプレゼントでしょう・・・? 3.絵本・『ゆきおとこのバカンス』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 雪男が、暖かいところへ、バカンスにでかけますが・・・。 白鳥洋一 BL出版 2001年 4.素話・『ロビンの赤いベスト』 ネギシによる、素話。 元は絵本ですが、少しアレンジして、語りになりました。 コマドリのロビンは、自分のベストを皆にあげてしまします。 でも心優しいロビンには、ちゃあんとご褒美があったのでした。 ジャン・フィアンリー・作 まつかわまゆみ・訳 評論社1998年 5.エプロン芝居・『冬の日のもみのき』 エナミとミサキによる、エプロン芝居。 冬のある日、ねずみさんが森を散歩していると、もみの木が話しかけてきます。 6.絵本・『おもちのきもち』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 おもちの気持ちなんて、考えたことある?かがみもちは人生が嫌になって脱走しますが・・・。 かがくいひろし・作 講談社 2005年 7.紙芝居・『いろいろな木』 ナガヤによる、手作り紙芝居です。 先月好評だったので、アンコール上演しました。 8.うた・『ジングルベル』『赤鼻のトナカイ』 クリスマスのうたを、みんなで歌いました。 おみやげ 新聞紙や包装紙を使って作った王冠。 ストローと、ヤクルトの入れ物で作った、笛。 王冠は、みなさん喜んで被ってくれました。 1月24日 おはなしかい in 一会 冬の絵本を展示しました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.手遊び・冬の遊びの紹介 ハマサキが、『だるまちゃんとうさぎちゃん』を参考に、冬の遊びの紹介をしました。 手袋で作ったウサギをつかって、こやまのおうさぎのわらべうたを歌いました。 『だるまちゃんとうさぎちゃん』かこさとし・作 福音館 1972年 『おなしのろうそく7』東京こども図書館編 3.絵本・『ぐりとぐらのいちねんかん』 ナカタニによる、絵本のよみきかせ。 ぐりとぐらが、12ヶ月それぞれの楽しみ方を教えてくれる絵本です。 日本には四季があるので、それぞれ楽しみがありますね。 なかがわりえこ・作 やまわきゆりこ・絵 福音館書店 1997年 4.絵本・『ぴょーん』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 ピョーン、と,一緒に皆飛び上がってくれました。 まつおかたつひで・作 ポプラ社 2000年 5.絵本・『ふくはうち おにもうち』 エナミによる、絵本よみきかせ。 もうすぐ節分なので、季節絵本をチョイスしました。 赤ちゃんのお客様が多かったので、声を大きくちょっとオーバーに読みました。 でたらめなうたを歌っているときは、なぜか注目してもらえました。 内田燐太郎・作 山本孝・絵 岩崎書店 6.絵本・『ダンスのすきなワニ』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 ワニが、トイレに流れて、いろんなトイレに出没します。 とてもユーモアのある絵本です。 リチャード・ウエア・リングス・作 ホリー・スウェイン・絵 まえざわあきえ・訳 朔北社 2004年 7.手遊び・『おはなしゆびさん』 ミサキによる、手遊びです。 皆で歌をうたいました。 おみやげ オリガミで折った、オニとお多福の指人形をプレゼントしました。 2月28日 おはなしかい in 一会 春の絵本の展示をしました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.あそびの紹介・『おかえりたまご』より、あやとりのマジック ハマサキが、『おかえりたまご』の絵本の紹介と、あやとりのマジックを紹介しました。 なわ抜けマジックです。 絵本を読みながら遊びも楽しめる本です。 『おかえりたまご』ひろまつゆきこ・作 しまだしほ・絵 アリス館 2008年 3.絵本・『わたしのおひなさま』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 本日の本でも紹介しました、おひなさまをテーマにしたファンタジーです。 内田麟太郎・作 山田孝・絵 岩崎書店 2008年 4.かたり・『ねことねずみ』 ネギシによる、おはなしの語りです。 ねこにしっぽをかじられたねずみが、しっぽを取り返すためにネコと交渉し、あっちやこっちに走り回ります。 イギリスのむかしばなし おはなしのろうそくより 5.絵本・『かいわれざむらいだいこんひめ』 ナガヤによる、絵本よみきかせ。 だいこんひめが行方不明になり、集められたのは15人のかいわれざむらい。 ひめを探しにいざ出陣! 「われわれはかいわれわれ」というセリフで大人の私たちは爆笑!かいわれがさむらいって!すでにふらふらやん!といちいち笑えます。 このシュールさは大人の方がウケるかも。 「15人のさむらいはそれぞれ表情が違うんだよ」ってナガヤさんがあとで教えてくれました。 川北亮司・作 国松エリカ・絵 童心社 2008年 6.絵本・『きちょうめんななまけもの』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 いつも動物園でなまけた姿を披露する「なまけもの」ですが、夜になると実は・・・!女の子大爆笑! なまけものは本当になまけものなのか!?人 ? を見かけで判断してはいけませんね。 ねじめ正一・作 村上康成・絵 教育画劇 2008年 7.エプロン芝居・『ゆかいなまきば』 エナミとミサキのエプロン芝居。 おなじみの、「イチローさんの牧場で・・・」で始まる歌に合わせて、草むらからいろんな動物達がでてきて合唱します。 おみやげ ストローで作ったかざぐるまをプレゼントしました。 ぷーっと吹くと、くるくるまわります。 3月28日 おはなしかい in 一会 春の絵本の展示をしました。 寒かったからか、今日からETC千円が解禁したからか、お客様は少なかったですが、楽しくやりました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.創作絵本・『春はルルル』 ナガヤによる、手作り絵本。 春はルルルとやってきます。 歌いながらスキップしながら。 春はいろんなものを連れてきますよ・・・。 全編歌いながら進行する絵本です。 気分もうきうきしてきて、春にぴったりの絵本でした。 3.絵本・『はらぺこあおむし』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 おなじみエリック・カールのはらぺこあおむしですが、途中で歌も入れて楽しく読みました。 見に来てくれた男の子が緑の服を着ていたので、思わず「はらぺこあおむしだね」。 たくさん食べてステキな蝶に成長してほしいですね。 エリック・カール・作 偕成社 4.かたり・『鳥呑爺』 ネギシによる、おはなしの語りです。 美しい歌声をもつ鳥。 おじいさんは歌声に聞き入っていますが、ある日パクリ!鳥を飲み込んでしまいます。 鳥の鳴き声「ビビラビン」というのが不思議な響き。 『日本昔話百選』 稲田浩、稲田和子編著 三省堂 5.絵本・『ぼちぼちいこか』 ミサキによる、絵本よみきかせ。 おなじみの本ですが、読み聞かせ用に、ページの半分を紙で隠して、動きをだしました。 作・マイク・セイラー 絵・ロバート・グロスマン 訳・今江 祥智 偕成社 6.エプロン芝居・『ジャックと豆の木』 エナミによる、エプロン芝居。 ジャックと豆の木です。 おおじかけが多かったのですが、最後ににわとりが金の卵を産むというちょっとしたしかけが一番ウケました。 おみやげ ハマサキ作の、らせん状に巻いたはりがねを、牛乳パックで作ったちょうちょがクルクル落ちていくおもちゃ。 簡単にできるそうですが、とてもよくできています。 4月18日 おはなしかい in アテナ平和5階 久々のアテナさんでのおはなし会春の絵本の展示をしました。 歌が多かったので、ちゃんとした物語絵本も一冊は入れたほうがよかったかな、と。 内容にちょっと偏りがあったのが反省点です。 2.絵本・『なめれおん』 コサカによる、絵本よみきかせ。 舐めたものの色に変身してしまうカメレオンのおはなしです。 あきやまただし・作 佼成出版 3.絵本・『うしはどこでもモォー!』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 例えばにわとり、日本では「コケコッコー」ですが、外国のどこかでは「クックドゥルドゥー」って鳴きます。 同じ動物でも、外国では違う鳴き方?をするんですね。 人の耳がそんな風に聞こえるだけで、本当は一緒なのかな?でも、牛はどこでも「モォー!」なんですって。 いろんな鳴き声を楽しめる本。 最初は手袋人形、最後はピョーンとはねる蛙が出てきました。 エレン・スラスキー・ワインスティーン・作 ケネス・アンダーソン・絵 桂か い枝・訳 4.かたり・『ひな鳥とねこ:ミャンマーの民話』 ネギシによる、おはなしの語りです。 ケーキが食べたくなったひな鳥が、ネコと出会って・・・。 前回に引き続き、賢いとりが出てくるおはなしでした。 (『こども世界の民話 下』 実業之日本社刊より) 5.パネルシアター・『ドレミのうた』 今回のゲスト、おはなしとんとんさんによる、パネルシアターです。 ドレミのうたに合わせて、いろんな動物がでてきました。 6.エプロン芝居・『ゆかいな牧場』 エナミとミサキによる、エプロン芝居。 イチローさんのまきばのうたに合わせて、ポケットからいろんな動物が出てきます。 音のなる絵本で、動物の鳴き声をならしました。 7.創作絵本・『春はルルル』 ナガヤによる、創作絵本。 前回好評だった創作絵本を再演です。 8.コーラス「はるのうたメドレー」 もう一組のゲスト、ドルチェ・マンマさんによる春の歌のコーラス。 さっちゃんや、さんぽなど、おなじみの歌も、皆で歌いました。 おみやげ 新聞紙で作ったかぶとをおみやげにしました。 6月9日 ミニミニおはなしかい in つどいの広場 つどいの広場にお越しくださっているお母さん方からご要望を頂き、つどいの広場でも不定期で、ミニミニおはなし会を実施することになりました。 普段のおはなし会よりも、年齢層が低め、赤ちゃんから楽しめる、おはなし会です。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『へんしんクイズ』 エナミによる、絵本よみきかせ。 大人気へんしんシリーズの最新刊。 呪文のようにことばをとなえると、いつのまにか違うことばに変身してしまうんです。 クイズになっているので、ノリやすいです。 あきやまただし・作 金の星 3.絵本・『ちゃいますちゃいます』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 父の日にちなんで、愉快なお父さんが出てくる本です。 ユーモアあふれるお父さん、素敵です。 大阪弁なのもいいです。 作・内田麟太郎 絵・大橋重信 教育画劇 4.紙芝居・『ほねほねマン』 ナガヤによる、紙芝居です。 ほねほねマン、シュールです。 ときわひろみ・作 やべみつのり・絵 童心社) 5.指人形・『かえるのうた』 ミサキによる、かえるのうたの指人形。 げろげろげろげろげろぐわっぐわっぐわっと、皆で輪唱しました。 6.語り・『やぎとライオン』 ネギシによる、お話の語りです。 雨ふる日、ライオンに食べられそうになっていたやぎは、頭を使ってなんとか逃れようとします。 歌もでてきて楽しいお話でした。 「やぎとライオン:トリニダード・トバゴの民話」 内田莉莎子 [再話] 『子ども世界の民話 上』 内田莉莎子 [ほか] 著 業之日本社) 7.人形劇・『でんでんむしのでんたろうとあまがえるのあまのすけ』 エナミによる、小さな人形劇。 でんでんむしのでんたろうと、あまがえるのあまのすけが、アジサイ山の上で小さなケンカをします。 去年も同じ時期にやったのですが、なかなかやりこなすことが難しい・・・。 おみやげ オリガミで作ったかえる。 お尻を押すと、ピョーンと飛びます。 簡単だけど楽しいおもちゃです。 夏の絵本の展示もしました。 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『なにをたべたかわかる?』 ハマサキによる、絵本よみきかせ。 さかなをつかまえたネコ、食べようと運びますが・・・。 おどろきの展開なのです。 サイズが小さい本なので、よみきかせにはむかないのかな?と思っていたのですが、ハマサキ曰く、小学校でのよみきかせ 1クラス30人くらい? でも大丈夫だそうです。 食い入るようにみてくれるし、反応も、すごい!とのこと。 長新太・作 絵本館 3.絵本・『かあちゃんのせんたくキック』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 昔、家電製品が壊れた時、よく叩いてなおしていましたよね。 そんな昭和な雰囲気漂う絵本です。 壊れた家電を、かあちゃんがどんどん叩いたりキックしたりして、なおしていくのです。 平田昌広・作 井上洋介・作 文化出版局 4.かたり・『なら梨とり:日本の昔話』 ネギシによる、おはなしの語りです。 なら梨をとりにでかけた三兄弟ですが・・・無事に帰ってこれるかな? (『おはなしのろうそく 6』 東京子ども図書館より) 5.うた・『もりのくまさん』 ミサキによる、指人形とうたです。 6.大型絵本・『わにわにのおふろ』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 大型絵本で迫力満点。 ワニワニかわいいです。 小風さち・作 山口マオ・絵 福音館書店 7.エプロン芝居・『どろんこねこちゃん』 エナミによる、エプロン芝居。 わにわにのおふろに続いて、おふろのお話です。 汗たっぷりかく夏は、お風呂がきもちいいですよね。 中谷真弓・原作 8.紙芝居・『花火』 ナガヤによる、オリジナル巻物紙芝居。 黒い巻物をくるくるほどくと、色とりどりの花火が現れます。 花火にまじって、あれれ、おばけも飛んでます。 おみやげ ストローにリボンをつけて作った、新体操のリボン風おもちゃ。 くるくるくるくる中に円をかいたり波をかいたり、結構遊べます。 「いちじく にんじん」は題名をきいたとたん、「知ってる〜!」と声があがって、最初から大盛り上がり。 「どんどこももんちゃん」は、「あっ くまさんたおれた!」とか「ももんちゃんおちた〜」とか小さい声で反応してくれる男の子もいました。 さいごにももんちゃんが、お母さんの腕の中に見事着地(?)したときも満足そうな顔をしていました。 さいごの「おおきなともだち」は、仕掛けをとうまく利用した演出。 ぞうや、きりんや、くじらが、わっと一場面に登場したとき、お母さんたちの中からもどよめきが起こりました。 字の多い本は赤ちゃんには向かないと思い込んでいましたが、こんな活用の仕方もあるんだなとつくづく感心しました。 みみずのオッサンという響きだけですでに笑いがこみあげてきます。 ミミズのオッサンが地球を救う、ちょっとエコなお話です。 (長新太・作 童心社 2.絵本・『わたしのワンピース』 イシイによる、絵本のよみきかせ。 うさぎさんがワンピースを作ります。 最初は真っ白のワンピースが、いろんな柄にかわっていきます。 にしまきかやこ・作 こぐま社 3.絵本・『おでかけのまえに』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 あやこは、ピクニックの準備のお手伝いをしようとしますが・・・。 小さい子とおでかけをするときは、でかけるまでが一仕事、でもお母さんお父さんは子どもを優しく見守ってくれるんだなあと、安心するおはなしです。 (筒井頼子・作 林明子・絵 福音館書店) 4.うた・『もりのくまさん』 ミサキによる、指人形とうたです。 5.エプロン芝居・ぴょこたんのなぞなぞエプロン芝居 ハロウィンバージョン エナミによる、エプロン芝居。 ハロウィンにちなんで、オバケがたくさんでてくるなぞなぞです。 なぞなぞは『ぴょこたんのなぞなぞ1616』『ぴょこたんのなぞなぞめいろ500』より このみひかる あかね書房 6.絵本・『ポルトガルのむかしばなし はしれ!カボチャ』 ナガヤによる、絵本よみきかせ。 おばあさんが、娘の結婚式に行く途中に、オオカミやクマやライオンに襲われそうになります。 ちょっと赤頭巾ちゃんに似てる、けど、知恵を働かして、おばあさんは逃げることができるのです・・・。 エバ・メフト・作 アンドレ・レトリア・絵 宇野和美・訳 小学館 7.絵本・『ぽんぽん山の月』 ナカタニによる、絵本よみきかせ。 うさぎのこどもたちは、お母さんをまっています。 でもお母さんは・・・。 いつも、誰かが見守ってくれている、そんな気持ちにさせてくれる、優しい絵本。 ミサキも涙していました。 (あまんきみこ・作 渡辺洋二・絵 文研出版) おみやげ 牛乳パックで作る、ぱくぱく人形を、ハマサキがつくってきてくれました。 パクパク、単純なのにかわいいのです。 ママたちにうけたので嬉しかったです。 1歳になったばかりの男の子が、『おうまさんしてー!』に興味をしめしてくれました。 もうひとりの8ヶ月さんは、ときどき声を上げてもりあげてくれました。 最初のころにくらべると、おはなしを聞くことに慣れてきてくれているみたいです。 「継続は力なり」ですね。 「サンドイッチサンドイッチ」の絵本では、リアルな絵に「おなかすくわ〜」とつぶやくママもいました。 「はくしゅぱちぱち」の本では、はくしゅぱちぱちという言葉に合わせて、参加者のみなさんも、拍手してもりあげてくれました。 「ぽぽんぴぽんぽん」では、おへそをみんな、くちゅくちゅしてました。 「大阪うまいもんのうた」では、手遊びと読み聞かせとを両方しました。 みなさんにこにこ笑いながら、楽しそうに手遊びしてくださいました。 終了後に、広場スタッフさんの子どもさんも幼稚園で「大阪うまいもんのうた」の手遊びをしていたと伺い、うちの娘の保育所時代と同じだなあと感じ、嬉しかったです。 11月23日 14:00〜 おはなし会in一会 1.絵本・『だーれだ だれだ!』 イシイによる、絵本のよみきかせ。 どうぶつたちのかくれんぼするようすがしかけ絵本になっています。 一体誰がでてくるのか?わくわくする絵本です。 動きがあるので、乳幼児の子も釘付けになっていました。 (きむら ゆういち・作 せべ まさゆき・絵 小学館 2.絵本・『くらいくらい』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 まっくらな中に、シルエットが一つ。 一体だれでしょう?電気をつけてみると・・・。 こちらもかくれんぼをしているような絵本です。 はせがわ せつこ・作 やぎゅう げんいちろう・絵 福音館 3.絵本・『いちにちおもちゃ ナガヤによる、絵本のよみきかせ。 おかたづけが嫌いな男の子が、おもちゃになってみることによって、おもちゃの大切さを知るおはなしです。 絵がおもしろいです。 (ふくべ あきひろ・作 かわしま ななえ・絵 PHP研究所 ) 4.指人形・マトリョーシカちゃん ミサキによる、指人形とうたです。 マトリョーシカの姉妹がどんどんでてきます。 5.紙芝居・あれあれなーに? エナミによる、紙芝居。 童心社の紙芝居「あれあれなーに?」をアレンジして、ながーい紙芝居にしました。 6.絵本・『宇宙人のしゃしん』 コサカによる、絵本よみきかせ。 宇宙人の家族が人間を見に地球にやってきますが、来たところは動物園で・・・。 人間の写真を撮ることができるかな? ニール・レイトン 作・絵 まつかわ まゆみ・訳 評論社) 7.語り・『風の神と子ども』 ネギシによる、語り。 風の神の背に乗って、こどもたちは遊びにでかけますが、きまぐれな風は、こどもたちが遊んでいるうちにどこかにいってしまって・・・。 神話のような物語。 (おはなしのろうそく9 より) 8.絵本と手遊び・『大阪うまいもんのうた』 ハマサキによる、絵本と手遊び。 大阪の美味しいもんがいろいろ出てくる手遊びです。 (長谷川義史・作 佼成出版社) おみやげ オリガミで作った、カラフルなコマ。 2.うた・もうすぐクリスマス ナガヤによる、うたと指遊び。 かわいいネコの人形も一緒に。 3.絵本・『くっついた』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 新しい赤ちゃん絵本の中でも人気の絵本。 誰かとぴたっとくっつくと幸せになれる、普遍的な喜びを描いた絵本です。 (三浦太郎・作 こぐま社 ) 4.絵本・『まんまるおつきさま』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 まんまるなおつきさまが、美味しい何かに見えてきて・・・。 お腹がすいちゃう絵本。 (ねじめ正一・作 さいとうしのぶ・絵 偕成社) 5.絵本・『うちのかぞく』 イシイによる、絵本のよみきかせ。 歌にのって、家族のメンバーがいろんな姿に変身します。 (谷口 國博・作 村上 康成・絵 世界文化社) 6.エプロン芝居・プレゼントはなあに? エナミによる、エプロン芝居。 クリスマスの日、いろんなプレゼントがあるよ。 一体だれのプレゼントだろう?動物達が、プレゼントの箱から出てきます。 7.うた・あわてんぼうのサンタクロース ミサキによる、ペープサートとうた。 皆で一緒に歌いました。 あわてんぼうのサンタクロースって5番まで歌詞があるんですね!初めて最後までうたったかも。 8.絵本・『ねえねえ』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 たあくんは、家族みんなから「たあくんが一番すき」って思ってもらいたいみたい。 じゃあ、たあくんは一体誰が一番好きなんでしょう?ああ、なるほど!くすりと笑えるおはなしです。 (内田麟太郎・作 長谷川義史・作 鈴木出版) おみやげ いろえんぴつ、シール、ポストカードのお楽しみセット。 クリスマスなので、ちょっととくべつ。 2.絵本・『おどります』 イシイによる、絵本のよみきかせ。 動物達が、メケメケフラフラ踊りだします。 ほのぼのした気分になる絵本です。 高畠純・作絵 絵本館 3.絵本・『ひげじいさん』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 網かな? 橋かな?滑り台かな?もしゃもしゃ・・・ひげだー!びっくりの展開。 絵も不思議な色合いです。 (まいえかずお・作 植垣歩子・絵 福音館 ) 4.手遊び・ひげじいさん ハマサキによる、手遊びです。 絵本にちなんで、「とんとんとんとんひげじいさん」の手遊びをしました。 ひげやこぶや鼻がポトンと落ちるバージョンもやりました。 5.絵本・『ばけばけばけばけ ばけたくん』 ナガヤによる、絵本のよみきかせ。 ばけたくんは、かわいい腹ペコおばけ。 食べたものに、体がどんどん反応します。 きのこを食べたら、頭からきのこがにょきっ。 メロンソーダを飲んだら、真っ青になってシュワシュワー。 黒い背景に、鮮やかな色のばけたくんがとっても映えます。 (岩田明子・作絵 大日本図書) 6.絵本・『やぁ ゆきだるま!』 ハマサキによる、絵本よみきかせ。 いろんな材料を使って、雪だるまを作ろう!絵も字も大きくて、迫力のある絵本です。 ロイス・エイラト・作絵 ふじさき なおこ・訳 偕成社) 7.絵本・『くりくり』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 ビッくり、しゃっくり、ゆっくりなど、「くり」のつくことばが、心地いいリズムにのって繰り返されます。 「くり」がつくことば、たくさんあるんですね。 楽しいことばあそびの絵本。 (ひろかわさえこ・作絵 アリス館) 8.エプロン芝居・ゆかいなまきば ミサキとエナミによる、エプロン芝居。 おみやげ オリガミで作った、おにの指人形。 節分にちなんで。 来てくれた子どもさん、「ガオー」と言って、たくさん遊んでくれました。 「あかちゃんとちゅ」 キム・ドンス さく・え ・・・「ちゅ」のところでママがこどもちゃんに「ちゅ」って言ってるのが素敵でした。 1歳前後の子どもさんが多かったです。 フレンドリーにみんな読んでいる本を触りにきてくれました。 絵本も喜んでくれましたが、手遊びもとてもみんな上手でした! みなさんゆったりと聞いてくださったので、話し手もゆったり読むことができま した。 てあそび「おざしきはいて」では、子守唄にあわせて、おどる子もいましたし、「ここはとうちゃんにんどころ」では、くすぐられる赤ちゃんも、くすぐるお母さんも、本当に楽しそうで、スキンシップの大切さを痛感しました。 絵本では、やはりわらべうたの「あぶくたった」が一番人気(?)でした。 「とうふさんがね・・」は、最後の場面、「おっちゃんはとなりでひゃやっこ」でお母さんは笑ってくれましたが、子どもたちはきょとんとしていました。 無理もないですね。 2月20日 14:00〜 おはなし会in一会 1.絵本・『コンコンたまご』 ナカタニによる、絵本のよみきかせ。 たまごを使ったお料理がいろいろでてきます。 優しい色合いの絵本です。 (真木 文絵・作 石倉 ヒロユキ・絵 岩崎書店 2.絵本・『かお-FACES』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 ラクガキ風の絵柄で、いろんな表情が表現されています。 (おぐまこうじ・作 くもん出版 3.絵本・『おばけやしきにおひっこし』 ナガヤによる、絵本のよみきかせ。 女の子が引っ越してきた家は、なんとおばけやしき。 でも大丈夫。 その女の子は魔女だから、おばけの捕まえ方をちゃーんと知っているのです。 最初におばけが出てくるページの白いエンボス加工で描かれたおばけが、迫力があります。 (石津ちひろ・作 カズノコハラ・絵 光村教育図書 ) 4.指人形・おはなしゆびさん ミサキによる、指人形とうたです。 5.絵本・なっちゃうかもよ エナミによる、絵本のよみきかせ。 「はなくそをほじってたら・・・鼻の穴がでっかくなっちゃうぞ!」粘土ならではの表現がおもしろい本です。 (斉藤多加子・作 PHP研究所) 6.絵本・『ブルくんとかなちゃん』 イシイによる、絵本よみきかせ。 かなちゃんと仲良くなりたい犬のブル君。 でも、ブルくんのちょっと怖い顔のおかげで、かなちゃんはなかなか近寄ってきてくれません・・・。 ふくざわゆみこ・作 福音館書店) 7.絵本・『ぽんぽん』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 タヌキが、夢を見ています。 ぷっくりぷっくり鼻ちょうちんが膨らんで・・・。 擬音だけですすむお話です。 版画の絵が印象的。 タヌキの表情にぷっと笑えます。 (内田麟太郎・作 畑中純・絵 鈴木出版) 8.大型絵本・『ぞうくんのさんぽ』 ハマサキによる、大型絵本のよみきかせ。 おなじみの『ぞうくんのさんぽ』、大型絵本になると魅力が倍増です。 赤ちゃんも迫力にびっくりで、じっと魅入ってくれました。 (なかのひろたか・作 福音館書店) おみやげ 先日絵本を購入した時に、おまけで書店さんにいただいた、シールをプレゼント。 3月5日 11:00〜 ミニミニおはなしかい in つどいの広場 ミニミニおはなし会の第19回目はハマサキの担当でした。 一番人気は、やはり大型絵本「ぞうくんのさんぽ」で、ページを繰るたびに、代わる代わるやってきて、画面を指差してなにやら声をあげていました。 「わにわに」ファンの子もいて、「わにわにが・・・」と読むとにじりよっていました。 3月20日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 段々なれてきた1歳の子も、一緒に手を叩いてくれるようになってきました。 2.絵本・『こりゃまてまて』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 同じ目線にある、道行く虫や動物の行方は気になる、小さな子どもの気持ちを表した絵本です。 (中脇初枝 ぶん 酒井駒子 え 福音館書店 3.絵本・『おばけがぞろぞろ』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 へーんな名前のへーんなおばけたちが次々、あそぼーって言って出てきます。 にょろーっと出てくる感じがおもしろい。 気に入ってもらえたのか、後で何度もお母さんに読んでもらっている子がいました。 (ささきまき・作 福音館書店 4.絵本・『おっぱい』 イシイによる、絵本のよみきかせ。 いろんな動物のおっぱいが出てきます。 (宮西達也・作 鈴木出版 ) 5.パネルシアター・犬のおまわりさん ミサキとエナミによる、パネルシアターです。 みんな楽しく歌ってくれました。 6.絵本・『ぼくのおべんとう』『わたしのおべんとう』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 この二冊は別々の本ですが、中がちょっとリンクしていて、一緒に読むとより楽しい!お昼を食べたところなのに、おなかが空いてくる絵本でした。 (スギヤマカナヨ・作 アリス館) 7.絵本・『ねこのおいしゃさん』 コサカによる、絵本よみきかせ。 ねこのお医者さんは、なんと病気を気合いで治しますいろんな動物がいろんな病気をかかえてやってきますが、ねこ先生にかかればエイヤー!と治ってしまいます。 楽しい絵本です。 ますだゆうこ・作 あべ弘士・絵 そうえん社) 8.紙芝居・『まんまるまんまたんたかたん』 ハマサキによる、紙芝居。 忍者のまん丸は、ある日となりの村のじいちゃんに手紙をとどけにでかけます。 一人で歩く夜道はさみしいから・・分身の術でなかまを増やします。 みんなで「まんまるまんまたんたかたん!」と呪文を唱えるのが楽しい作品。 (荒木文子・作 久住卓也・絵 童心社) おみやげ くまさんとうさぎさんがぴょこんと出てくるかわいいカード。 ハマサキ・作 4月13日 11:00〜 ミニミニおはなしかい in つどいの広場 ミニミニおはなし会の第21回目はハマサキの担当でした。 6か月くらいの女の子が、ものすごく!絵本を集中して見ていてくれたのでびっく りしました。 はじまるよの手遊びも、手をたたいたり、それらしい動きをするので、感心して、こちらのほうも、思わずじっと見つめ返してしまいました。 4月17日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『どっちのてにはいってるか?』 エナミによる、絵本のよみきかせ。 先日「本日の本」で紹介した絵本です。 ちょっと参加型の要素がある絵本です。 初めてこちらにきてくださったお子さんが数名いらっしゃったのもあって、ちょっとキョロキョロ、絵本よりも面展台などいろんなものに興味が・・・。 いえいえ、それで全然いいんです。 (新井洋行・作 偕成社 3.絵本・『わんわん わんわん』 イシイによる、絵本のよみきかせ。 いろんな動物達の鳴き声だけですすむ絵本。 どんどん動物が出てきます。 お子さんも大注目!人間の言葉ではない擬音は、赤ちゃんの心をひきつけるみたいです。 (高畠 純・作 理論社 4.絵本・『でっこりぼっこり』 ナガヤによる、絵本のよみきかせ。 大きな足が表紙に描いてあります。 これは巨大人の足なんですって。 不思議な絵本! (高畠 那生・作 絵本館 ) 5.パネルシアター・おおきなおにぎり エナミによる、パネルシアターです。 大きな犬と、小さな猫が、おにぎりを拾います。 どっちが大きい方のおにぎりを食べるかでけんかになって・・・。 最後はアンハッピーエンド。 練習を聞いていた妹からは非難ごうごうでした。 普段ハッピーエンドで終わる話ばかり選んでしまっているので、すごく違和感があったのですが、めでたしめでたしで終わらないお話も、大切なのだと思います。 6.指人形・『チューリップ』 ミサキによる、チューリップのうたの指人形です。 みんな一緒に歌ってくれました。 最後にちょうちょをひらひら登場させると、「あー」ってお子さんが言ってくださりました。 7.絵本・『ちょうちょ はやくこないかな』 エナミによる、絵本よみきかせ。 きれいにお花を咲かせたオオイヌフグリが主人公。 ちょうちょがやってくるのを、心待ちにしているのに、ちょうちょは大きいお花の方に行ってしまう・・・ちょっと切ない気持ちになるおはなしです。 甲斐信枝・作 福音館書店) 8.紙芝居・『おおきくおおきくおおきくなあれ』『おまめくん ぱちぱちー』 ナカタニによる、紙芝居。 『おおきくおおきくおおきくなあれ』は、紙芝居の良さがいかんなく発揮された名作。 みんなでおおきくなあれ!とじゅもんをかけます。 『おまめくん ぱちぱちー』お次は、「まだ言葉をしゃべれないお子さんでも楽しめる紙芝居ですよ。 」とナカタニさん。 みんな、おまめくんと一緒に、ぱちぱちと拍手をしてくれました。 (『おおきくおおきくおおきくなあれ』まついのりこ・作 『おまめくん ぱちぱちー』とよたかずひこ・作 童心社) おみやげ こどもの日も近いので、大きなかぶとをプレゼント。 『やだもん〜』と『いない〜』は、キャラクターがご存知の方が多かったようで、注目して頂けました。 ばけたくんがイチゴを食べるシーンでは、だだっと、3人のこどもたちが絵をさわ りに来ました。 いちご好きなんですね。 納豆のシーンは、みな離れていってしまいました。 なっとうは苦手なのね… 解りやすいリアクションに、読み手が楽しませてもらいました。 最後に「はらぺこあおむし」の大型絵本を、人形を登場させながら読みました。 あおむし人形が、絵本の中を動き、色々な物を食べてゆくのを、皆集まって、さわったりしながら、楽しんでくれました。 大型絵本は、発色が美しいですね。 お話し会が終わってからも、「はらぺこあおむし」の絵本を1ページ1ページめく って楽しんでいる女の子がいました。 気に行っていただけて、本当に嬉しかったです。 5月15日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『バルボンさんのおしごと』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 バルボンさんのお仕事は、動物園に行くこと。 動物園では、いろんな動物がお仕事していますよ・・・。 (とよたかずひこ・作 アリス館 3.絵本・『ぴよぴよひよこ』 ネギシとミサキ(鳴き声担当)による、絵本のよみきかせ。 ひよこが、いろんな動物達に出会って、鳴き声をまねします。 最後には、いろんな鳴き声をお母さんに披露するのですが、お母さん「このこほんとにひよこなの?」だって。 版画の絵がはっきりしていてきれいです。 (ジョン ローレンス・作 いけ ひろあき・訳 評論社 4.絵本・『まんまるがかり』 ナガヤによる、絵本のよみきかせ。 猫のはなまるは、まんまるです。 まんまるまんまるする係りなのです。 ダンゴムシたちが「親分ですか?」と聞いてくるところで、大爆笑。 最後には、まんまる体操もやりました。 (おくはらゆめ・作 理論社 ) 5.指人形・かえるのうた ミサキによる、かえるのうたの指人形。 みんなでかえるのうたを唄いました。 6 大型絵本・『はらぺこあおむし』 ハマサキによる、大型絵本の読み聞かせ。 おなじみのはらぺこあおむしですが、ぬいぐるみもでてきて、歌もうたって、楽しかったです。 やはり大型絵本の迫力はすごいなあ。 (エリック・カール・作 偕成社) 7.絵本・『まくらのせんにん そこのあなたの巻』 イシイによる、絵本のよみきかせ。 ぞうやきりんやたこが、穴にはまって抜けれない。 見ているうちになぜかまくらのせんにんまで穴にはまってしまった。 どうする、せんにん!驚くべき展開がまっているお話。 かがくいひろし・作 校成出版社) 8.エプロン芝居・ぴょこたんのエプロン芝居「なぞなぞモール」の巻 エナミによる、エプロン芝居。 ぴょこたんは、お買い物にでかけます。 いろんなお店で、なぞなぞに答えて、商品をゲットしよう!というお話です。 (なぞなぞは、「ぴょこたんのなぞなぞシリーズ」より このみひかる・作 あかね書房 構成・江波ノッコ) おみやげ ストローで作ったストローロケット。 もらったら、さっそくプープー吹いてくれていました。 (ハマサキ・作) 5月23日 11:30〜 おはなしかい in 平和寮 ヘレンケラー財団平和寮で行われた、ふれあい祭りで、おはなし会をしました。 カレーライスのパネルシアターも、みんな盛り上がって、一緒に手遊びをしてくださいました。 1.2. 170号) おおがたえほん 『ねずみくんのチョッキ』 なかえよしを 作 上野紀子 絵 ポプラ社(ポプラ社のよみきかせ大型絵本) かみしばい 『おとうふさんとそらまめさん』 松谷みよ子 脚本 長野ヒデ子 絵 童心社 3ヶ月児ちゃんも多かったのですが、「おふねがぎっちらこ」のゆったりしたリズムにのせて、ママのお膝でゆらゆら前後にゆれるのが、とても気持ちよさそうで、ご機嫌でした。 紙芝居にも興味深々、舞台に手をつっこんだり、画面にさわったり・・・ 「バナナン ナン」も最初に動物たちのシルエットが出たら、早速かけよってきて、「キリン」と指差してくれました。 参加型絵本がおおかったので、言葉にあわせて、子どもたちが可愛い動きを見せ てくれて、読み手がほっこりさせてもらいました。 最後の「ぴょーん」では 5人の子どもたちが絵本の前に陣取り、ぴょーんの声にあわせて飛んだりゆれた りしておりました。 みんな大興奮でした。 大型絵本「ぴょーん」のパワーはすごいなあと、改めて実感しました。 6月19日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『わっしょい わっしょい』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 アリさんが、お菓子やくだものをわっしょいわっしょいと運びます。 一緒にわっしょいわっしょいとくちずさむと、なんだかお祭りみたいで気分も盛り上がりました。 (福知伸夫・作 福音館書店 3.絵本・『おとん』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 父の日にちなんで、お父さんの本です。 お父さんのこと、いつもと違う風に呼んでみよう!「パパ!」とか「ちちうえ!」とか・・。 いろんな呼び方がたのしい絵本。 (平田昌広・作 平田景・絵 大日本図書 4.絵本・『まくらのせんにん さんぽみちの巻』 イシイによる、絵本のよみきかせ。 仙人様はなんと枕で、従者はしきぶとんのしきさんと、かけぶとんのかけさん!設定からしてへんてこりんなお話です。 でもお布団に包まれると、気持ち良いですもんね。 へんてこりんだけど、楽しいお話。 (かがくいひろし・作 佼成出版社 ) 5.創作絵本・『雨ふり』 ナガヤによる、手作り絵本のよみきかせ。 雨ふり、ぽつり、どさり・・・とちょっとずつ韻を踏みながら素敵な歌にのせてすすんでいく絵本。 思わず身体がノッてきちゃうリズムで、子ども達も大注目。 6 絵本・『ぼくんちカレーライス』 ハマサキによる、絵本の読み聞かせ。 ぼくんち今日の晩御飯、カレーライスなんだよって言ったら、それを聞いた皆が、カレーライスを食べたくなっちゃって、町中の晩御飯がカレーライスになっちゃう・・・という愉快なおはなしです。 (つちだのぶこ・作 佼成出版社) 7.パネルシアター・『カレーライス』 エナミとミサキによる、パネルシアター。 みんなで一緒にカレーを作ろう!手遊びも交えながら、美味しいカレーのできあがり! おみやげ おりがみで作った楽しいおもちゃ。 1.2. 1.2. 182号) えほん 『があちゃん』 かつやかおり さく 福音館書店 (こどものとも 0. 1.2. 183号) おおがたえほん 『もこ もこもこ』 たにかわしゅんたろう さく もとながさだまさ え 文研出版 、「ぼうし ぴょん」では、絵本の下から画面の帽子の中をのぞこうと一生懸命の子、「だるまさんと」にも「わっしょいわっしょい」にもたくさん出てくる食べ物に敏感に反応する子、「があちゃん」がぶくぶく泡だらけになると、くすぐったそうにする子など、それぞれに楽しんでくれました。 紙芝居にも興味深々、舞台に手をつっこんだり、画面にさわったり・・・ 「バナナン ナン」も最初に動物たちのシルエットが出たら、早速かけよってきて、「キリン」と指差してくれました。 「たまごやきくん」には、ちいさいひとたちも、身を乗り出して集中していました。 絵付手遊び「ちいさいたね」や、絵本「ママどこどこ?」は、めくりたい子が入れ替わり立ち替わり、手を出しに来て、にぎやかなこと! 「ころんちゃん」はママたちから、「絵がかわいい!」と嘆声があがっていました。 7月17日 14:00〜 おはなし会in一会 1. はじまるよ はじまるよのうたです。 2.絵本・『しきしきむらのなつ』 イシイによる、絵本のよみきかせ。 夏の風景が、歌うようなリズムで語られる絵本でした。 (木坂涼・作 山村浩二・絵 岩波書店) 3.絵本・『なつなつなつ』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 「ナツナツナツ・・・」とつぶやくと「ツナ(綱)」になる!夏の言葉がどんどん違う言葉に返信します。 絵も版画のような絵で、大人な『へんしんトンネル』(あきやまただし・作 金の星社)という感じ。 (のさかゆう・作絵 福音館書店 こどものとも年少版 ) 4.絵本・『あついあつい』 エナミによる、絵本のよみきかせ。 あつーい夏のお話。 最後はちょっと涼しくなれたかな。 (たるいしまこ・作絵 福音館書店 こどものとも年少版) 5.手遊び・さかながね・・ ハマサキによる、手遊び。 魚になった気分で、楽しみました。 6.絵本・『ぷしゅー』 ハマサキによる、絵本よみきかせ。 ぷしゅーという音がなんとも印象的で、最後はナンセンス。 風木一人・作 石井聖岳・絵 岩崎書店) 7.絵本・『あらまっ!』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 夜、眠りたくない男の子はいろいろ言い訳。 それに応えるおばあちゃん。 二人のかけあい、一体どちらが勝つのでしょう? (ケイト・ラム・作 エイドリアン・ジョンソン・絵 石津ちひろ・訳 小学館) 8.紙芝居・はなび ナガヤによる、手作り紙芝居。 大きな黒い巻物をくるくるとほどくと、そこはキラキラの花火の世界。 おばけもどこからともなくやってきて・・・。 毎年夏恒例の紙芝居です。 9.パネルシアター・しりとりしましょ エナミとミサキによる、パネルシアター。 おいしい食べ物のしりとりをしました。 (参考・『しりとしりましょ』みねよう・原案 さいとうしのぶ・絵 リーブル社) おみやげ 牛乳パックで作った、いないいないばあ!のおもちゃです。 『おしいれ』の絵にさわりにきたり、『おでかけばいばい』では、「ねこたこねこたこ」や「ぶたこんぶたこん(?)」などの音を面白がって、お母さんの顔を見上げてにっこり、など愉しい反応を見せてくれていました。 おねえちゃん(2歳後半か3歳?)も手遊び「おべんとうばこ」は「知ってる!」と得意そうでした。 今日のお客さまはのりがよくて、最初の「はじまるよ」が終わると、「もう1回!」と声がかかるし、絵本がかわるごとに、かわるがわる駆け寄って、画面にさわったり、声をあげたり。 最後に追加の大型絵本『きんぎょがにげた』が登場すると、かじりついて、金魚を指し示す子がいて、大いに盛り上がりました。 手遊び、「コアラのきのぼり」はお母さんにも大うけでした。 「お話し会を始めま〜す」と言うと、常連さんにまざって、初めてお話し会に来られた親子さんも、前の方に集まってきてくださいました。 今回は「どんどこももんちゃん」という絵本を読んだのですが、本を取りだしたとたんに、はっとした顔で突進してきた女の子がいてきっとももんちゃんのファンなんだなあと思いました。 同じ作者(とよたかずひこさん)の紙芝居も、やはり駆け寄ってきて… お話し会がおわったあとも、本をかわるがわる子どもたちが見ていました。 とよたさんは、すごい人気でした。 今回も和やかに終えることができてよかったです。 9月18日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『だるまさんと』 イシイによる、絵本のよみきかせ。 だるまさんシリーズです。 ころころかわいいだるまさんと「誰か」が一緒に・・・? (かがくいひろし・作 ブロンズ新社 3.絵本・『あーな あーな』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 穴が大好きな犬ジェリーが、いろんな穴に入ります。 えっ、そんな穴にまで?とあっと驚く展開。 かわいい絵のくせにシュールです。 (矢野アケミ・作 大日本図書 4.絵本・『こんがらかった』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 ぞうたちがけんかして・・長い鼻がこんがらかってしまいました!ぷぷっと笑えるおはなしです。 (ばばひさし・作 福音館書店 ) 5.ゆびにんぎょう・『かえるのうた』 ミサキによる、指人形です。 かえるのうたにあわせて、かえるがぴょこぴょことびだします。 6 絵本・『ゴリララくんのコックさん』 ナガヤによる、絵本の読み聞かせ。 ちくわの大好きなゴリララくんは、ちくわをアレンジした料理をお店で出します。 穴好きのジェリーに通じるところのある、ちくわ好きのゴリララくんでした。 (きむらよしお・作 絵本館) 7.絵本・『はらぺことのさま』 エナミによる、絵本の読み聞かせ。 食べるのが大好きなとのさまは、高いお城を作って、月を食べようとします・・月はどんな味がするんでしょうか。 (つきおかゆみこ・作 あかね書房) 8.パネルシアター・『ぽけっとの中には』 ハマサキによる、パネルシアター。 おなじみの歌にあわせて、ぽけっとをたたくと、いろんなものが出てきます。 ビスケットと、それからあれれ?おばけも? 和歌山静子・絵 9.パネルシアター・『カレーライス』 エナミとミサキによる、パネルシアター。 みんなで一緒にカレーを作ろう!手遊びも交えながら、美味しいカレーのできあがり! おみやげ ハマサキによる、ストローで作ったおもちゃ。 ぷっと吹くと、ストローが飛びます。 先日、よんだりーなの方に教えていただいたおもちゃです。 低年齢のお子さんが多かったので「ねこガム」はみんなキョトンとしてしまっていて、少し難しかったかな?と思いました。 おべんとうの絵本では「おいしそ〜」という声があちこちで漏れていました。 イチゴのページでは突進してきた子が居て、みんなから「いちごすきなんやね」と声をかけられていました。 パネル「ふしぎなポケット」を始めると、わらわらと5人くらい、小さなお手々がいっぱい伸びてきてビスケットが奪われそうになりながら…、なんとか終えることができました。 ノリの良い子どもたちといっしょに楽しんだお話し会でした。 ありがとうございました。 10月16日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『おふとんかけたら』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 色んな動物やモノが、お布団ですーやすや。 お布団をかぶるのが気持ちの良い季節になってきたなあ、と思います。 (かがくいひろし・作 ブロンズ新社 3.絵本・『へんなかお』 エナミとミサキによる、絵本のよみきかせ。 動物達がおもいっきり変な顔をします。 子どもさんも一緒に変な顔をしてくれました。 MOEの付録についていた本ですが、なかなか使えます。 (大森裕子・作 MOE2010年6月号収録 白泉社 4.ゆびにんぎょう・『森のくまさん』 ミサキによる、指人形。 おなじみの森のくまさんです。 5.絵本・『しってるねん』 イシイによる、絵本のよみきかせ。 道ででくわした女の人、あいさつをしたものの、知ってるはずなのに誰なのかどうしても思い出せない!そんなこと・・・ありますよね。 くすりと笑えるポイントがたくさんの絵本でした。 (いちかわけいこ・作 長谷川義史・絵 アリス館 6 絵本・『ねこがいっぴきおりました・・・』 コサカによる、絵本の読み聞かせ。 家の前の木に、ねこが大発生。 困っていろんなところに電話するも、だーれも助けてくれない。 ユーモアとちょっぴり皮肉のきいたお話でした。 (ジョン&アン・ハセット・作 今江 祥智・遠藤 育枝・訳 BL出版) 7 絵本・『あかりをけすと』 ナガヤによる、絵本の読み聞かせ。 夜になり、さあ眠ろう、と猫の家族が部屋の明かりを消すと・・・家具たちがこっそり活動を始めます・・・。 最後のオチに皆あっと驚く楽しさがありました。 じっくり眺めるのも楽しい絵本です。 (こばやしゆかこ・作 学研) 8.絵本・『よかったねネッドくん』 ナカタニによる、絵本の読み聞かせ。 ネッド君の元に、パーティの招待状が届きますが・・・いろんな不運と、いろんな幸運がネッド君にふりかかります。 人生もきっとそんな感じなんだろうなあと思います (レミー・シャーリップ・作 やぎた よしこ・訳 偕成社) 9.絵本・『くつやのねこ』 エナミによる、絵本の読み聞かせ。 『ながぐつをはいたねこ』をアレンジしたおはなしです。 (今井綾乃・作 BL出版) 10.エプロンシアター・『どろんこねこちゃん』 エナミによるエプロンシアター。 泥遊びが大好きなねこちゃんが、お風呂に入ってぴかぴかになります。 おみやげ ハマサキによる、誰でもミニ手品ができるおもちゃ。 手遊びでは、2才ぐらいの男の子が前に来たり、ママさん達も一緒にしてくださったり、『どんぐりコロコロ』の歌を大合唱したりで、とても楽しかったです。 『くだもの』では、「さあ、どうぞ!」を一番前のママさんがチビちゃんに声か けてらして、微笑ましくもあり、ご協力いただけて助かりました。 今回も楽しく終了しました。 「ぽんちんぱん」は、お母さんがうけてました。 「おいしいおと」は、表紙の絵を見ただけで、2人の子が駆け寄ってきました。 食べ物の絵本はすごいですね、ページを早くめくろうと、小さなお手々が次々伸びてきました。 プチトマトのページが一番人気でした。 大型絵本「ぞうくんのさんぽ」は、「ぞうさん」「ぞうさん」と子どもたちが指 さしてました。 後ろ側にまわって、ずっと表紙を見ている子も居て…、そういう楽しみ方もあるんですね。 11月17日 おはなしかい in あべの親子フェスタ 阿倍野区役所で行われた、親子フェスタに参加しました。 2歳くらいの女の子が、ページをめくるたびに「あっ」とか「わっ」と反応しているのが可愛かったです。 「おふとんかけたら」のありさんのページでは、1歳くらいの女の子が本のほうへにじり寄っていってました。 こどもたちの反応は、本当に可愛いです。 11月27日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『あったまろう』 ネギシによる、絵本のよみきかせ。 うさぎさんが温かい温泉を求めてあっちへこっちへ。 温泉に入りたくなります。 (もろはらじろう・作 すずき出版 3.絵本・『サンタのおまじない』 ハマサキによる、絵本のよみきかせ。 サンタさんからもらったプレゼントは、苦手な野菜ばっかり。 でも、「いち、にの、サンタ!」とおまじないをかけると・・・。 切り絵が楽しい絵本です。 (菊池清・作 冨山房 4.絵本・『エイモスさんがかぜをひくと』 コサカによる、絵本のよみきかせ。 エイモスさんは、毎日動物園に行って、動物達の世話を焼いてやります。 そんなエイモスさんが風邪をひいて寝込んでしまったので、動物達は、エイモスさんの元へ。 ユーモアと優しさ。 動物達の表情が優しく、色彩も柔らかです。 フィリップ・C・ステッド・作 エリン・E・ステッド・絵 青山 南・訳 光村教育図書 5.絵本・『くらいくらい』 オオニシによる、絵本のよみきかせ。 くらい部屋に、明かりをともすと、ぱっとでてくる犬さんやネコさん。 本当に明かりが点いたみたいな印象を与えるから不思議です。 ( はせがわ せつこ・作 やぎゅう げんいちろう・絵 福音館書店 6. ゆびにんぎょう・『かえるのうた』 ミサキによる、ゆびにんぎょう。 かえるのうたを、みんなで輪唱しました。 パネルシアター・『たこやき』 エナミとミサキによる、パネルシアター。 みんなでたこやき機を使って、たこやきを作ろう!材料は、たこに、ねぎ、たまごに、小麦粉。 手遊びも交えて、おいしいたこ焼きのできあがり。 原作『みんなわいわいパネルシアター』 藤田佳子・作 吉野真由美・絵 大東出版社) おみやげ ハマサキによる、かざぐるま。 2 123号) いちばん反応があったのは、「バナナン ナン」でした。 みんなバナナが好きなのか、身を乗り出し声をあげる子、にじり寄ってくる子もいて、張り合いがありました。 「ぼうし」はお母さんたちのほうがよろこんでくれました。 「もちづきくん」では、絵に向かって突進して来る子もいて、たじたじながらも、楽しく終わりました。 12月18日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『にぁーう』 ネギシによる、えほんの読みきかせ。 雨がしぽしぽふるばんに、おばあちゃんが 拾ってきた子猫。 お正月に娘になった猫がおとし玉になにもらう? わらべうたの絵本なのでリズミカルな言葉が耳に心地よく、心がほっこりしまし た。 (松谷みよ子・作 長野ヒデ子・絵 偕成社) 3.絵本・『このゆきだるまだーれ?』 オオニシによる、えほんの読みきかせ。 そりに乗って雪の坂道を滑り落ちる楽し さにわくわくします。 言葉の軽快なリズムがたのしくて、動物たちが転がるとこ ろでいっしょに転がっちゃいたい気持ちになります! (岸田衿子・作 山脇百合子・絵 福音館書店) 4.絵本・『おこのみやき』 コサカによる、えほんの読みきかせ。 おこのみやきが食べたくなった一家が、お 父さんお薦めの店へみんなで出かけます。 どっぷりディープな大阪の「かす入り のお好み焼き」ってもうめっちゃ美味しそうなので、読んだらあなたもおこのみ やき食べたくなりますよ。 (ひぐちともこ・作 中川洋典・絵 解放出版社) 5.手遊び・もうすぐクリスマス ハマサキによる、手遊び歌。 ツリーにいろいろかざっていく歌です 6. 大型絵本・『もちづきくん』 イシイによる、大型えほんの読みきかせ。 もちづきくんが相棒の猫ちゃんと共に 、町から町へとおもちをつきに行きます。 ついたおもちが、びよよ〜んとのびるのが圧巻 (中川ひろたか・作 長野ヒデ子 ・絵 ひさかたチャイルド) 7. エプロンシアター・さんびきのやぎのがらがらどん ナカタニによる、エプロンシアターです。 美味しそうな草が生えているむこうの 山まで行くために、怖いトロルの住んでいる谷を越える三匹のヤギのお話。 こわ 〜いトロルが出てきても、今日の小さなお客さんはにこにこ顔で見てました。 勇 気があるね〜 8. 大型紙芝居・『ぐりとぐらのおきゃくさま』 ハマサキによる大型紙芝居の読みきかせ。 おなじみのぐりとぐらのシリーズ、ク リスマスの定番です。 大きな足跡をたどっていくとそこには…。 (原作・なかがわりえこ・作 やまわきゆりこ・絵 福音館書店) 9. みんなで歌おうクリスマスソング クリスマスソングを色々みんなで歌いました。 きれいなハーモニーにぐっと気分 が盛り上がりましたよ。 おみやげ 絵本のポストカードと、小さな缶バッジと、色鉛筆のセットです。 クリスマスな ので、ちょっと特別です。 はじまるよのお歌は、皆さんで合唱してくれて嬉しかったです。 「きゅっきゅっきゅっ」の絵本を出すと「あ〜、きゅっきゅっきゅっ だ!」という声があがりました。 林明子さんはすごいですね 、絵本と一緒に、きゅっきゅっきゅって声もあちらこちらから聞こえました。 1月15日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『すりすりももんちゃん』 ハマサキによる、えほんの読みきかせ。 ももの子?ももんちゃんはかわいいから、みんなほっぺたにすりすりってしたくて、近づいてきます。 でも、サボテンさんがすーりすりすると・・・。 赤ちゃんを見てるとついつい触りたくなりますよね。 (とよたかずひこ・作 童心社) 3.絵本・『くだもの』 エナミによる、えほんの読みきかせ。 いろんなくだものを切って、はいどうぞ。 この本、初めて読みきかせをしましたが、案外難しいです。 同じことばの繰り返しなので、どう読んでいいのか・・・。 お子さんをお膝にのせて、ことばをやりとりしながら読むのが合っている絵本かもしれません。 (平山和子・作 福音館書店) 4.絵本・『あっぷっぷー』 エナミによる、えほんの読みきかせ。 動物達とにらめっこする絵本。 またもや苦戦。 「あっぷっぷー!」の意味がまだ赤ちゃんには伝わらなかったようで・・・。 赤ちゃん絵本手ごわしです。 (中川ひろたか・作 村上康成・絵 ひかりのくに) 5.絵本・『じゃぐちをあけると』 ナガヤによる、えほんの読みきかせ。 じゃぐちから流れる水、当たり前のように思うけれど、よく考えると不思議ですよね。 じゃぐちをひねってみたくなる絵本です。 (じんぐうすすむ・作 福音館書店) 6. ゆびにんぎょう・うさぎのかくれんぼ ミサキによる、ゆびにんぎょう。 うさぎ年にちなんで。 絵本・『じゃがいもポテトくん』 イシイによる、えほんの読みきかせ。 八百屋に並んだじゃがいも家族。 別々の人に買われて一家離散の危機。 でも・・・。 じゃがいもっていろんな料理に使えるし、ごつごつしていてなんだか愛嬌があるんだな。 ぷっと笑ってしまうお話です。 (長谷川義史・作 小学館) 8. 絵本・『はりねずみかあさん』 ネギシによる絵本の読みきかせ。 はりねずみのかあさんは子供たちのために、りんごを探しに行きます。 優しい色合いの絵本。 (まつや さやか ・作 M・ミトゥーリチ・絵 福音館書店 0. えほん ) 9. パネルシアター・『おはよう クレヨン』 エナミとミサキによる、パネルシアター。 朝、目を覚ましたクレヨンがお絵かきをはじめます。 歌にあわせてクレヨンたちが大変身。 おみやげ 折り紙で作ったかざくるま。 かざぐるまの部分をとっちゃって、わりばしを振って遊ぶ子も。 思っていた遊び方とは違うけど、喜んでくれるのがなによりです。 「じゃぐちをひねると」は、お母さんたちが「じゃー」とか、「ぱちゃっ」とかいっしょに声をあげてくださって楽しそうでしたし、手遊びは、宝塚さながらの熱演、ちょっとぐずってお母さんに廊下に連れ出されていた子もカウンター越しに動きを懸命にまねていて面白かったです。 一番人気は、やはり紙芝居、ハンバーグや蒸しパンに視線は釘付け、そばによってさわる子もいてもりあがりました。 2 U.G.サトー 作 福音館書店 今日のミニミニお話し会は9組の親子さんが参加してくださいました。 「お話し会はじめま〜す」と言うと、広場に来られていた9組皆さんが、もれなく集まって下さいました。 嬉しかったです はじまるよの手遊びも皆さん上手でした 2歳前後の女の子ちゃんが多くて、ノリノリでした。 子どもたちは、絵本の絵を見ながら「にゃんにゃん」とか「わんわん」とかおし ゃべりしていました 小さな手が絵本にタッチしに来たり、「めんめんばあ」ではいっしょに「ばあ!」したり、思い思いに気持ちを表現していました。 「いっぽんばしこちょこちょ」の手遊びも皆さん良く知っているようで一緒に こちょこちょ〜わはは〜と、楽しんでくれました。 のりの良い皆さんに感謝感謝のお話会でした 広場のスタッフの方には、記録写真にご協力頂きました 2月19日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『ぜろくんおとおり』 ネギシによる、えほんの読みきかせ。 赤ちゃんのぜろくんが、はいはいでどんどんずんずん前進します。 力強さを感じる絵本でした。 (片山健・作 福音館書店 0. えほん) 3.絵本・『プアー』 ナガヤによる、えほんの読みきかせ。 犬が、プアーっと、のびたりちぢんだり。 ユーモア絵本です。 (長新太・作 和田誠・しあげ 福音館書店) 4.絵本・『あかあおふたりで』 オオニシによる、えほんの読みきかせ。 赤と青の線が、一筆書きの要領で、いろんなものになります。 二本の線が美しい世界を生み出します。 (U.Gサトー・作 福音館書店) 5.ゆびにんぎょう・「おはなしゆびさん」 ミサキによる、ゆびにんぎょう。 おはなしゆびさんの歌をうたいました。 絵本・『なわとびしましょ』 エナミによる、えほんの読みきかせ。 皆でおおなわとびをするお話。 ぺったんぺったんのリズムが中道苦になります。 長谷川義史・作 小学館) 7. ふれあいあそび・おうまさん ハマサキによる、うたとあそび。 おうまさんの歌に合わせて、赤ちゃんをゆーらゆら。 大型絵本・『ぐりとぐら』 ハマサキによる大型絵本の読みきかせ。 おなじみの、カステラを焼くお話ですが、大型で見るとまた迫力があります。 (中川李枝子・作 山脇百合子 ・絵 福音館書店) 9. パネルシアター・『カレーライス』 エナミとミサキによる、パネルシアター。 皆で手遊びをしながら、カレーライスを作ります。 今回は歌も三番まで歌ってみました。 カレーを食べたら力がもりもりわいてきたー!ヤア!で終わります。 おみやげ 折り紙で作った紙風船。 羽根つきの風船も。 2 MAYAMAXX 作 福音館書店 えほん 『ぜろくんおとおり』 こどものとも 0. 先日の一会にきてくださったママがお友達を連れてきてくださったのが嬉しかったです。 絵本に見入っていたぼうやが、「おいしいおと」では、よだれがつーっと・・・ というかわいい姿に見入ってしまいました。 おなじく「おいしいおと」で、手にしていたおもちゃのトマトを差し出して、絵の中のトマトと同一物であると指摘(?)していた子も、しっかりみてくれていると感心しました。 手遊び「ひげじいさん」は、ママたちも乗ってきてくださいました。 おまけの大型絵本「ぴょーん」も、ママたちが「ほら、うさぎさん」とか「おさかなやねぇ」などと声かけをしてくださり、子どもたちもとても楽しそうでした。 「お話し会はじめま〜す」と言うと、みなさん集まってきてくださいました。 お座りのベビーちゃんから、たったか歩く1歳さんが多かったです。 はじまるよの手遊びも皆さん上手でした。 子どもちゃん達は興味深々で、かぶりつき状態。 特に紙芝居は大人気、画面が見えなくなるほど集まって、小さなお手々で絵にタッチしていました。 のりの良い皆さんに感謝感謝のお話会でした。 広場のスタッフの方にもお世話になりました。 本当にありがとうございました。 3月19日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 今日は赤ちゃんとお母さんが来てくださったので、赤ちゃん絵本祭り!? 2.絵本・『くつしたくん』 ハマサキによる、えほんの読みきかせ。 仲良しのくつしたのお話です。 (中川ひろたか・作 100%ORANGE・絵 ブロンズ新社) 3.絵本・『いちにのさんぽ』 ネギシによる、えほんの読みきかせ。 さんぽの途中でいろんな動物と出会って、一緒に、いちにのさんぽ、します。 暖かくなったら外で存分にお散歩したいなあ。 (ひろかわさえこ・作 アリス館) 4.絵本・『にこにこおかお』 イシイによる、えほんの読みきかせ。 この本のシリーズタイトルが、「めんこいあかちゃん」だということを知ってびっくり。 めんこいという字面もかわいいですね。 みんなでにこにこ笑顔になる絵本です。 (とよたかずひこ・作 アリス館) 5.絵本・『だんまり』 コサカによる、えほんの読みきかせ。 だんまり、というのはネコの名前。 ある日ぼくがだんまりのあとをついていってみると・・・そこはネコの街!わーお。 人間界ではだんまりでも、ネコ界ではなんて呼ばれてるんでしょうね??(戸田和代・作 ささめやゆき・絵 福音館書店) 6. てあそび・ころころたまご ハマサキによる、てあそび。 優しい歌にあわせて、たまごの手遊びうたです。 絵本・『ねこがいっぱい』 ミサキによる、えほんの読みきかせ。 ネコがいっぱいでてくる絵本です。 みてるだけで楽しい。 (グレース・カール・作 やぶきみちこ・絵 福音館書店) 8. 絵本・『まるまるころころ』 オオニシによる絵本の読みきかせ。 ころころ転がるまるが、あつまって、おだんごになったり、ぶどうになったり。 形と色を楽しむ絵本です。 (得田 之久・作 織茂恭子・絵 童心社) 9. 絵本・『いろいろサンドイッチ』 ナカタニによる絵本の読みきかせ。 いろーんなサンドイッチ。 なんておいしそうなんでしょう。 パンにあれやこれやをはさむだけで、立派なごちそうです。 おうちで作ってみたくなる絵本です。 (山岡ひかる・作 くもん出版) 10. 絵本・『ありんこぐんだん わはははは』 ナガヤによる絵本の読みきかせ。 甘いものを食べていたら、どこからともなくやってくる、小さな小さな生き物、それはアリ!不気味なようでにくめないアリのキャラがおもしろい絵本です。 (武田美穂・作 理論社) 11. パネルシアター・『ふしぎなトンネル』 エナミによる、パネルシアター。 大きな山がありました。 不思議なトンネルができました。 トンネルをぬけると・・・・アーラ不思議!(参考・『増田裕子のミュージックパネル 2』増田裕子・作 クレヨンハウス) おみやげ ストローでできたかざぐるま?ロケット?ぷーっとふいて遊びます。 2 得田 之久 作 織茂 恭子 イラスト 童心社 18組の親子さんが参加してくださいました。 9ヶ月〜1歳7,8ヶ月児さんを中心に4ヶ月児さんから3歳さんまで、幅広い聞き手がそろいました。 4月16日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『おかあさんどーこ?』 ネギシによる、えほんの読みきかせ。 どうぶつたちが、お母さんを探します。 (和歌山静子・作絵 童心社) 3.絵本・『いろいろサンドイッチ』 ハマサキによる、えほんの読みきかせ。 おいしそうなサンドイッチがたくさん。 先日助成金で購入した新しい絵本です。 (山岡ひかる・作 くもん出版) 4.絵本・『おばけなんてないさ』 オオニシによる、えほんの読みきかせ。 (せなけいこ・作 ポプラ社) 5.絵本・『どんどんめんめん』 ナガヤによる、えほんの読みきかせ。 不思議な本です。 丼や麺がリズムよく登場します。 小さい声〜大きい声のデクレッシェンド、クレッシェンドをきかせながらの読み聞かせで、臨場感が感じられました。 (平田 昌広・作 平田 景・絵 えほんの杜 ) 6. ゆびにんぎょう・「チューリップ」「ちょうちょ」 ミサキによる、ゆびにんぎょう。 春の歌を二曲歌いました。 絵本・『きいろいのはちょうちょ』 エナミによる、えほんの読みきかせ。 ちょうちょを絵本の中に探しにでかけます。 (五味太郎・作 偕成社) 8. 絵本・『ぴっけやまのおならくらべ』 イシイによる絵本の読みきかせ。 いろんなおならが、天真爛漫な絵柄で描かれています。 おならはくさいのに、なんだか笑ってしまうお話です。 (かさいまり・作 村上康成・絵 ひさかたチャイルド) 9. エプロンシアター・『ゆかいなまきば』 エナミとミサキによるエプロンシアター。 春の陽気に誘われて、いろんな動物がまきばにやってきて、大合唱。 おみやげ 絵本の柄のポストカードがおみやげでした。 今日のお客様ものりがよく、手遊び「ねこのこ」ではお母さんたちが大喜びでしたし、大型絵本「もこ もこもこ」は赤ちゃんたちに大うけ、紙芝居「むきむきおいしい」では、一人が画面にタッチしっぱなしで、他の子はよく見えないという事態になりましたが、それにもめげず、後ろから伸び上がって「バナナ!」と叫ぶ子もいて、楽しかったです。 「はじまるよ」のお歌の時は、のりのりでいっしょに手遊びしてくれました。 1冊2冊と読んでいくと、だんだん遊びのほうへと移動してちょっと寂しくなりましたが、2人じ〜っと見てくれるこどもちゃんが居て、とてもうれしかったです。 5月21日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『くっついた』 エナミによる、えほんの読みきかせ。 どうぶつたちが、くっついた、します。 くっつくのって、相手の肌のあたたかさが伝わって、気持ちがいいですよね。 (三浦太郎・作絵 こぐま社) 3.絵本・『こんこんこんなかお』 ハマサキによる、えほんの読みきかせ。 うたにあわせて、色んなおかおのオンパレード。 ゆかいな絵本でした。 (ますだ ゆうこ・作 村上 康成・絵 そうえん社) 4.絵本・『ほっぺに、ちゅー』 ナガヤによる、えほんの読みきかせ。 くっついた、の次は、ちゅーです。 ( k. なかがわみどり ムラマツエリコ・作 JTBパブリッシング) 5.絵本・『ころころおむすび』 オオニシによる、えほんの読みきかせ。 おいしそうなおにぎりがいっぱい。 ころころ、というリズムが、赤ちゃんにも心地いいみたい。 ( 真木 文絵・作 石倉 ヒロユキ・絵 岩崎書店 ) 6. 絵本・『もりのおふろ』 オオニシによる、えほんの読み聞かせ。 今日は暑いので、お風呂に入ったらきっと気持ちいいだろうなあ〜と思いました。 (西村敏雄・作 福音館書店) 7. てあそび・1と1で、1と5で・・・ ハマサキによる、てあそび。 大型絵本・『ぴょーん』 ハマサキによる大型絵本の読みきかせ。 大型絵本はやっぱり迫力があります。 お母さんも赤ちゃんも慣れたもの、ぴょーん、と一緒に飛んでくれました。 (まつおかたつひで・作 ポプラ社) 9. パネルシアター・『しりとりしましょ』 エナミによるパネルシアター。 おいしい食べ物がしりとりでどんどんでてきてつながっていきますよ〜。 5月31日 15:00〜 ミニミニおはなしかい in つどいの広場 この日のミニミニおはなし会は中止しましたが、ご希望があったので、ナカタニ、つどいの広場スタッフの野口さんの二人で、番外編を少しさせていただきました。 えほん『でんぐりでんぐり』くろいけん・作 あかね書房 えほん『いちにさんぽ』ひろかわさえこ・作 アリス館 手遊び「げんこつやまのたぬきさん」 手遊び「ぐーちょきぱー」 6月9日 11:00〜 ミニミニおはなしかい in つどいの広場 ミニミニおはなし会の第48回目はハマサキ、ナガヤの担当でした。 活発な男の子が多かったです。 「サンドイッチサンドイッチ」では、思わず「おいしそー !」の声が。 手遊びは、いっしょにやってくれました。 紙芝居は、「ひとさしゆびでプッシュオン!」とボタンを押す場面で、絵のボタンを押しに来てくれる子もいました。 和やかに終わり、ほっとしました。 6月18日 14:00〜 おはなし会in一会 1.はじまるよ のうた はじまるよ、のうたです。 2.絵本・『へんなかお』 オオニシによる、えほんの読みきかせ。 どうぶつたちが、ほっぺたひっぱたり、あっかんべえしたりして、へんなかおをします。 (大森 裕子・作絵 白泉社) 3.絵本・『ムーちゃんのぼうし』 ミサキによる、えほんの読みきかせ。 ムーちゃんが、帽子をかぶっておでかけするおはなし。 (いとうひろし・作 主婦の友社) 4.絵本・『くしかつやよしこさん』 イシイによる、えほんの読みきかせ。 くしかつを揚げて、悩みを解決?無理やりダジャレ風がまたおもしろい絵本。 よしこさんの「あげさせていただきます」というキリっとしたセリフがイシイさんにぴったりでした。 ( 長谷川義史・作 アリス館) 5.絵本・『すてきなあまやどり』 ハマサキによる、えほんの読みきかせ。 あまやどりしてきたのに、どうしてぶたさんは濡れているのかな?そのわけは・・・?読んでいるときに、赤ちゃんが赤ちゃんをぎゅっと抱っこするというハプニングがあり、可愛すぎてスタッフともどもそちらに完全に目を奪われてしまいました・・・。 ( バレリー・ゴルバチョフ・作絵 徳間書店 ) 6. てあそび・おおきくそだって ナガヤによる、てあそび。 手遊びというよりダンス風です。 わにが、どんどん大きく育っていって、恐竜になって最後は地球になる、というすごいグローバルスケールな展開に驚いたのですが、そういわれてみればそうだ(恐竜の亡骸が今は石油などになっているという説)と納得。 深いです。 絵本・『ようせいアリス』 コサカによる、えほんの読みきかせ。 アリスは普通の女の子に見えるけれど、実は妖精で魔法が使えるのです。 おちゃめでかわいいお話でした。 (デイビッド・シャノン・作 小川仁央・訳 評論社) 8. 手作り絵本・『雨ふり』 ナガヤによる手作り絵本の読みきかせ。 雨が降る様子を歌つきで表現。 キラキラの折り紙が貼られた貼り絵がすてきです。

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