時代劇 放送事故。 再放送情報「とんび」

スクープ 遊軍記者・布施京一|ドラマ・時代劇|TBS CS[TBSチャンネル]

時代劇 放送事故

概要 [ ] 時代劇の定義 [ ] 時代劇というジャンルは、その作品の数から、主にから明治維新までを扱った作品が「時代劇」とも解釈されている。 しかしあくまで解釈であって、厳密に定義があるわけではない。 奈良時代以前の古代も含まれるという解釈も当然存在する。 時代劇映画をさして「明治維新の頃より以前の時代を扱った劇映画の呼称で、現代劇に対するジャンルとして多様な広がりを持っている」 とするもの、また「髷(マゲ)を結んだ人物が主な登場人物であれば全て時代劇映画と定義する」 とするもの、など解釈は多様である。 そして時代劇で数多く製作されているのは、江戸時代を舞台にした作品である。 チャンバラ [ ] 時代劇は一方で とも呼ばれる。 これはクライマックスにシーンがある時代劇を指し、時代劇の中のサブジャンルでもあり、時代劇が即チャンバラではない。 語源はからの剣劇 の影響を受けたで、立ち回り 殺陣 で両者の刀がぶつかった時に、刀の発する音を擬音で「ちゃんちゃんばらばら」と表現したことからそれを略して使われた言葉である。 またこれとは別に時代劇は俗に 髷物(まげもの)、 丁髷物(ちょんまげもの)とも言われ 、英語では「 Samurai cinema」「 Samurai film」あるいは「 Samurai drama」 と表記されている。 歴史劇 [ ] 時代劇に対して「 ( 史劇)」というものも存在するが、フィクションに近いかノンフィクションに近いかで区別するととは違い、日本国内のものを「時代劇」、日本以外のものを「歴史劇」或いは「史劇」と呼び分けている。 フィクションとしての時代劇 [ ] 時代劇は、実際にあった歴史上の事件や歴史に残る人物を登場させることも多いが、登場する人物像を始め、その時代の慣習、風俗、効果音、台詞などが大胆に化され、その時代劇が制作された年代の大衆に受け入れやすいようになっている。 古い時代劇では、細かい所作や口上はの影響が強く、前近代の差別やを反映した描写も多かったのだが、時代の推移によって、現代の観客に違和感を与えないようにストーリーの展開が変更され 、も現代劇に近づいていくのは避けられなかった。 どの時代劇でも、敢えてを無視している部分が多かれ少なかれあり、登場人物の性格や考え方も近現代の価値観に合致するような解釈や改変が施されることがほとんどである。 一般論として、時代劇で描かれる歴史はあくまでフィクションであり、同じ題材を扱っていても全く解釈の異なる作品が生み出されている。 時代劇の誕生 [ ] 「時代劇」という用語はもともとから誕生した言葉であり、映画の歴史と共に歩んできたジャンルである。 そして映画が活動写真と呼ばれていた最初の頃には、厳密に時代劇と呼ばれるジャンルは無かった。 旧劇映画 [ ] 1899年 明治32年 に当時の歌舞伎の九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の「紅葉狩」の演目を撮影した「紅葉狩」が現存する日本最古の映画として一部フィルムが残っているが、これは映画興行を目的としたものではなく、あくまで記録として残されたものである。 そして映画興行の目的で撮影された最初の時代劇映画は1908年 明治41年)に牧野省三 後の が製作した『』をもって嚆矢とするものである。 ただしこの初の時代劇は、当時は旧劇と呼ばれていた。 明治から大正時代の半ば過ぎまでの時代物全般は旧劇であった。 講談・歌舞伎からの題材が多く、人物造形・衣装・化粧・演技・立ち回り・女形など、舞台の名残を強く留め、声色弁士と邦楽器による鳴り物・囃子の伴奏が多かったと言われる。 時代劇映画以前の呼称 [ ] 1920年代に入った頃に当時「映画劇」と呼ばれる日本映画の革新運動が起こり、欧米を模範にシナリオの重視、映画技法の活用と表現の工夫、弁士に依存しない字幕の利用、そして女優の採用などこの時期までの活動写真とは違う、撮影や編集までの映画全般に及ぶ内容の新しさを求めた運動が起こった。 それに刺激を受けた形で、旧劇映画についても「旧劇の映画劇化」「旧劇映画改造論」「映画劇的な旧劇」といった言葉が活動写真の論評に使われていた。 『』以降に映画の題名と共に宣伝に使われた呼称を列挙すると、旧劇、革新旧派映画、純映画劇、新映画劇、旧派純映画劇、新時代劇および新時代映画、時代劇および時代映画となる。 革新旧派映画は旧劇様式ではあるがロケ撮影を生かした自然描写、細かいカット割りがあり、しかし女形を採用していた。 映画劇は欧米風の映画様式に近づけたもので、脚本と撮影技法を重視し字幕を使い、そして女優を採用した。 純映画劇も新映画劇も同じで、マキノ省三監督の『実録忠臣蔵』は新映画劇と呼ばれたが女形の採用は残っていた。 旧劇をいくらかでも映画劇に近づけたものだが、女優を採用したのは旧派純映画劇であった。 そして旧劇の映画劇化をさらに進めたのが新時代劇および新時代映画と呼ばれたもので、新しい解釈、新しい視点を入れて、演技も新劇系を導入し、女優を採用している。 旧劇映画の芝居臭さ、荒唐無稽の非現実性、女優不在の不自然さに対して、やがてそれらに対して作られていったのが「新時代劇」という呼称の新しい時代劇であった。 最初の時代劇映画 [ ] 初めて時代劇と呼ばれた映画は、『』から14年後の1922年(大正11年)に松竹蒲田撮影所で製作された『清水の次郎長』 の宣伝文句に「新時代劇」と名称がつけられていたことから、この映画が「時代劇」と称する映画の始まりであるとされている。 監督は(監督の父)でこの映画の脚本を書いたがそれまで「旧劇」と呼称されていた髷物映画を、宣伝に「 新時代劇」と名付けて公開した。 ゆえに「時代劇という呼称は松竹蒲田撮影所で製作された映画に冠されたものである」 、とされている。 ただ岩本憲児は著書『「時代映画」の誕生』の中で、1922年(大正11年)から1923年(大正12年)にかけて松竹キネマが「新時代劇」「新時代映画」と呼び、同時期のマキノ映画は「時代劇」「時代映画」と呼んでいたとして混在していたとしている。 そして簡略化して「時代劇」が定着していったという。 歌舞伎の時代物 [ ] の分野では、江戸時代よりも過去の時代を扱った演目を「」(武士・貴族や僧侶など上層社会を題材としたもの)と呼び、江戸時代当時の現代劇を「世話物」と呼んでいた。 そしてらの「生世話」は庶民の暮らしを描いた江戸時代のものであるが、江戸時代の武士などの上層社会を題材とすることは不可能であったので、過去の時代に遡って武士・貴族・僧侶を描いて当代の現実を投影させていた。 また過去の時代の庶民の姿を題材としたものを「時代世話」とも呼んでいた。 もともと「時代物」という呼称は人形浄瑠璃から始まって歌舞伎へ移り、そこでの「時代」は江戸時代以前の奈良・平安・鎌倉・室町時代など7世紀から15世紀までが時代背景となっていた。 そして実は江戸時代の世相や世論が強く反映されて、人物造形も同時代的であり、故に今日でも時代劇は現代劇の裏返しという一面が大きい。 演劇での旧派劇 [ ] 明治維新以降の日本の演劇は、1888年(明治21年)、の壮士らがで創始、らが発展させた壮士芝居を、1890年代後半(明治30年代)の日本のジャーナリズムが、歌舞伎との差別化を図るため、便宜的に歌舞伎を「旧派劇」、壮士芝居を「」 と呼び、さらに、1906年(明治39年)に・らの文芸協会、1909年(明治42年)に・らののヨーロッパ近代劇の影響下にある演劇を、歌舞伎(旧派)、との差別化を図り、「」と名乗った。 新国劇と剣劇 [ ] そしての門下生で新劇出身であったが1917年(大正6年)に劇団「」 を結成し、歌舞伎から導入した「剣劇」 を発展させて、旧派でも新派でも新劇でもない大衆演劇を目指し人気を博した。 新国劇の主な演目である『』と『』は、好まれて映画化された。 このようにして、現在の「時代劇」と「現代劇」の二分法は、江戸時代の「時代物」と「世話物」を源流にもち、明治時代に演劇の発展とともに「旧劇」「新劇」とされ、大正時代に活動写真から「時代劇」「現代劇」と呼ばれたもので、このジャンルは、「明治維新以前の時代」を扱ったものである。 ただしこの「時代劇」という呼び方は映画が発祥であり、そもそも多くの影響を受けていた歌舞伎では使われていない。 そして新国劇や大衆演劇の世界でも芝居やチャンバラ劇という言葉が使われており、「時代劇」の歴史は主に映画とテレビの中で歩んだことになる。 活動写真の時代劇 [ ] 最初の時代劇は、前述の通り1908年 明治41年)に牧野省三 が撮った京都のでの当時「旧劇」と呼ばれた『』である。 この当時、横田商会を設立した横田永之助 が活動写真の製作に当たり、演劇関係者に協力を求めて京都西陣にあった千本座という芝居小屋を経営するマキノ省三に協力を依頼し、マキノが真如堂の境内で千本座の舞台で常打ち一座が演じていた狂言「本能寺合戦」の「森蘭丸奮戦の場」を野外で演じさせ、それをワンシーンワンカットで撮影する方法で作った活動写真が『』であった。 マキノ省三は以後『本能寺合戦』を含めて6本ほど映画を作っているが興行成績は芳しいものでなく、ほどなくして映画から撤退を考え始めていたが、その翌年1909年 明治36年 に千本座座頭になっていたを主演にした映画が人気を呼んで、それ以降マキノ省三と尾上松之助は明治末から大正末まで時代劇映画の主流を歩むことになった。 泥芝居 [ ] このように時代劇は歌舞伎の模倣から始まったものである。 この時代の活動写真はズームの技法もなく、旧派・旧劇と呼ばれた歌舞伎の演目芝居をそのまま屋外で撮ったフィルムを小屋で見せる、というのが上映形態であり、「檜舞台で芝居をする」歌舞伎役者は、活動写真の役者を「土の上で芝居をする連中」として「泥芝居」と蔑んだのであった。 ただし時代劇が歌舞伎の模倣から始まったのは事実だが、ここでいう歌舞伎とは「大歌舞伎」だけでなく、旅回り一座の劇や小さな小屋で上演される劇も明治期までは全て歌舞伎であった。 映画評論家のは「京都で時代劇を作り始めていたのは、主に二流級の歌舞伎の人々であった」と述べている。 時代劇スターの登場 [ ] 時代劇映画の最初のスターは、である。 1909年 明治42年 にと組んで『』 で映画デビューを果たし、以後1926年 大正15年 の『侠骨三日月』 まで17年間で1003本の時代劇映画に出演した。 「目玉の松ちゃん」と愛称された彼は、歌舞伎や講談、立川文庫 のヒーローを繰り返し演じて日活の看板スターとして活躍した。 特にの先駆けであるトリック撮影による「忍術映画」が十八番であり、それは歌舞伎から題材を取り、「子ども相手の荒唐無稽なもの」 ではあったが、17年間にわたって時代劇の歴史に足跡を刻み、尾上松之助は映画を広く一般の人に広めるうえでは大きく貢献した。 しかし大正時代の末になると松之助の殺陣 に飽き、よりスピーディーでリアル、激しい調子を持った殺陣を観客が求めるようになっていった。 またこれとは別にほぼ同時期に が吉野二郎監督らの忍術映画で人気を呼び、200本を超す映画に出演している。 大正時代の時代劇 [ ] 1912年 大正元年 にそれまでの、、、の4つの映画会社が合同して「日本活動写真 株 」 が誕生した。 日本で初めての本格的な映画会社であった。 日活は東京向島と京都二条城に撮影所を設け、向島は新派を京都二条では旧劇を製作することとなった。 そしてマキノ省三と尾上松之助は日活に所属した。 これとは別に1914年 大正3年 に「天然色活動写真 株 」 が設立されて吉野二郎と澤村四郎五郎らが所属した。 そして1920年(大正9年)頃までは旧派であった歌舞伎の影響下にあり、女性の役柄はが演じていて、後に時代劇の監督になったはこの時期は日活向島撮影所の女形であった。 その一方でが1919年(大正8年)にを映画に導入した現代劇である『生の輝き』、『』を発表し、その翌年1920年(大正9年)にそれまで歌舞伎の興行しか手掛けてこなかった松竹がを興し、新劇の小山内薫が、同年に招かれて活動写真を撮り始めると、松竹は初めから女形を使わず、女優を映画に起用した。 その中から、、らが松竹時代劇のスターとなった。 この頃に松竹が映画事業に乗り出したのは、自社が経営する劇場よりも松竹が当時日活に貸していた大阪道頓堀朝日座での客の入りが良く、白井竹次郎が映画に乗り出すべきとの提唱から大谷竹次郎が末弟の信太郎を渡米させ、アメリカの映画事業を調査させてから参入したのであるが、大谷竹次郎はその時に「日本映画の俳優は一流の舞台では用いられない落伍者の集まりであり、このままでは世界の映画界に肩を並べることはできない」として「世界に恥ずかしくないものを作り、映画を輸出する」ことを視野に置いていた。 そのためには女形は最初から使わないと決めていた。 また旧劇については日活の尾上松之助の歌舞伎的な殺陣に対して新国劇を専属にしてリアリズムな殺陣を打ち立てようとしていた。 1922年(大正11年)頃まではは現代劇でも新派の影響で女形を起用していたが、その年の暮れに女形を交えた新派役者10数人が 国活 に移籍したため、それまでの女形起用を止めて女優を起用し、新劇的な現代劇を製作し始める。 その時に日活における名称が、時代劇は「日活旧劇部」、現代劇が「日活新劇部」であった。 その当時は東京でも、巣鴨の(国活)等で時代劇映画は盛んに製作されていたが、新劇の発展と映画への導入が東京主導で行なわれ、やがて国活が倒産し、人材が京都に流出したことでその後の「時代劇の京都」と「現代劇の東京」との棲み分けの源流となった。 またマキノ省三は尾上松之助の映画で女形を使って、女優は使っていなかったが、日活は1924年(大正13年)に尾上松之助主演『』で初めて女優を使っている。 日活向島撮影所でも1923年(大正12年)に松竹に刺激され女優の採用を始めて「第三部」というセクションを設け、女優起用の映画を製作した。 この年の現代劇『』がその第一作で、後に日活時代劇の大スターを輩出している。 同年9月、東京をが襲い、日活向島撮影所は閉鎖。 女優やスタッフは日活京都に移り、以後、京都が時代劇映画の本場となった。 マキノ時代劇 [ ] マキノ省三が1921年 大正10年 に日活から独立し、を設立した。 これはマキノ省三が尾上松之助や旧劇と袂を分かつことでもあった。 当時忍術映画で尾上松之助が人気役者になったが一方で青少年に悪影響を与えているという批判を受けて、それを教育映画ということで批判を交わす狙いがあったとも言われる一方で、単純な勧善懲悪で「幼稚なチャンバラ映画」であった松之助映画を脱却する方向を模索していたとも言われている。 そして1922年 大正11年 に『』を製作して新国劇が生んだ新しい殺陣である写実的な立ち回りを使った当時としては斬新な動きの映画を作った。 この映画を見て がマキノの下に参じ、やがて1925年 大正14年 にこのが脚本、が監督、が主演して製作されたのが『』であった。 ラストでの主人公が大勢の捕り方に囲まれて大剣戟シーンとなる場面は迫力のあるもので、阪妻の激しい立ち回りが、それまでの歌舞伎調の優雅さとは全く違うリアルな殺陣を見せて時代劇映画に新風を吹き込んだ。 以後彼は剣戟映画の大スターとなった。 新国劇で展開された立ち回りが映画の殺陣に取り込まれて、それまで旧劇と呼ばれていたものが時代劇と呼ばれる新しいジャンルになったのである。 チャンバラスターの登場 [ ] この頃にマキノ省三は1924年 大正13年 にと合併して翌1925年 大正14年 にを設立し、そして同年6月にを設立した。 ここでマキノは、、、、、らのスターを生み出した。 彼らは時代劇に「剣戟」の見せ場を持ち込んだ「チャンバラスター」であり、以後「チャンバラ映画」は時代劇の主流を占めるようになった。 またマキノが去った後のに新劇の小山内薫の門下でもあった監督と第二新国劇から日活に来た主演のコンビが登場し、このコンビで『幕末剣史 長恨』『』『』『』と次々と傑作を生み出し、そして『』シリーズが始まりヒットした。 この監督は後に主演で『』、主演で『』を製作している。 それはおよそ「松之助映画」とは違った「反逆的ヒーロー」の映画であった。 やがて1925年(大正14年)に設立された(阪妻プロ)を筆頭に、彼ら「チャンバラスター」は次々と独立してスタープロダクションを設立し、チャンバラのスター映画を量産した。 阪東妻三郎は、竹薮だった京都郊外のの地に初めて撮影所を建設した人物であり、この撮影所はその後となり太秦映画村となった。 そして大正時代が終わろうとしていた1926年(大正15年)9月、日本映画最初の時代劇スターが世を去った。 と、とのコンビが台頭し、松之助自身が自分のこれまでの映画が時代にすでに適応できていないことを感じ取っていたという。 戦前の時代劇 [ ] 1927年(昭和2年)、松竹が林長二郎()を時代劇スターとして売り出し、出身の林の美貌は日本全国の女性を虜とする。 林長二郎の登場は彼以外のスターは圧倒的に男性ファンが多い中で、時代劇映画に女性むエポックとなったのである。 この頃には大作『』の製作を開始した。 しかし撮影中の度重なるトラブルで片岡千恵蔵や嵐寛寿郎が離反し、しかも精魂込めて製作した『』のフィルムを編集中に火災を起こして焼失する不運に見舞われて、1929年 昭和4年 に失意のうちに世を去った。 しかし息子の 後のマキノ雅広 が前年に『』を監督し、その後長く戦前・戦後の時期に時代劇を作り続けて1972年 昭和47年 までに261本の映画を製作してその大半は時代劇であった。 千恵蔵プロ [ ] 一方、片岡千恵蔵はマキノプロから独立後にを設立したが、その際に監督に相談に行き、「自分のところにいる若い2人を提供するから、今までとは違う時代劇を作ればいい」という趣旨のアドバイスを受けた。 その若い2人とは の父 とであった。 そしてやがて伊丹万作は千恵蔵プロで『』 『』『』などの新しく知的で明るい時代劇を作り、「明朗時代劇」と呼ばれた。 ユーモアがありナンセンスさもあり、それまでの陰惨な大剣戟や暗い傾向映画に嫌気をさした観客に支持された。 または千恵蔵プロで『』『一本刀土俵入り』などの秀作を製作した。 鳴滝組 [ ] 1934年(昭和9年)、京都の鳴滝に映画監督の、、、脚本の、、ら有志が集まり、さらに、らが加わって合計8人が集まり共同ペンネーム「」 の名前でシナリオを作り、そして製作された時代劇映画には現代語を採り入れて新風を巻き起こし、一大勢力となった。 このグループをと呼ばれて、片岡千恵蔵の千恵蔵プロの流れを受けて、ユーモアのある明るい時代劇を製作していった。 この鳴滝組が製作した映画の代表作が監督、主演の『』である。 これらの時代劇はその明るさとセリフの分かりやすさ、そのテンポの良さで「髷 マゲ をつけた現代劇」 と言われた。 そしてこの頃が戦前における時代劇の頂点であった。 またはその後応召して戦病死したため、わずか5年間の活動で全26本の作品であったが、『』の他に『』『』のたった3本のフィルムしか現存していない。 しかし現在でも山中作品は高い評価を受けている。 1930年代半ばからは、が導入され、時代劇にも、映画館ごとの活動弁士と生演奏ではない、俳優のセリフと音楽がもたらされ、当時唄う映画スターと呼ばれたが現れ、そこで製作された映画が大曾根辰夫監督『大江戸出世小唄』 で、これが最初の時代劇ミュージカルであり、その後監督の『』 が製作された。 各映画製作会社 [ ] この昭和初期の映画製作会社は、、 後の 、、、PCL(後の)、右太衛門プロ、千恵蔵プロ、阪妻プロ、マキノプロ、 などで、年間で各社10本前後から100本前後の製作本数を記録して、時代劇も大きなジャンルとして人気があった。 またトーキー以後もによる剣戟にこだわる俳優やスタッフ、観客は存在し、1935年(昭和10年)にの跡地に設立された、翌1936年(昭和11年)にの跡地に設立されたは、それぞれが解散するまでサイレントの剣戟映画を量産しつづけた。 1930年代、時代劇の製作本数が現代劇を上回る年もあり、時代劇は質量ともに戦前の黄金期を支えていた。 歴史映画と国策映画 [ ] 松之助の忍者映画から始まって、やがて『』のようなニヒルな反逆的ヒーローが出たり、その後は『』『』のような反体制的な傾向映画が出て、世の中が暗くなっていくと千恵蔵プロや鳴滝組などから明朗時代劇と呼ばれる『』『』『』のような明るい時代劇が生まれ、「髷をつけた現代劇」と揶揄され、この鳴滝組的な映画に対抗する形で今度は真面目に歴史ものを描くべきとの声があがり、昭和10年代に入ると『阿部一族』『海援隊』『』『江戸最後の日』など歴史映画と呼ばれる作品が製作された。 やがて国策映画として『海賊旗吹っ飛ぶ』『狼火は上海に揚る』『かくて神風が吹く』などが作られ、映画人が自由に映画が作れない時代となった。 そして国策として映画会社の統合が進められて日活の製作部門と新興キネマ・大都映画が合併して大日本映画 大映 が設立され、その第1回作品として阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎が揃っての初共演で『』が製作された。 検閲 [ ] 敗戦までの日本映画では流血や博打、接吻などの場面は当局によって禁止された。 時代劇も例外ではなく、チャンバラでいくら人が斬られても、また切腹の場面でも流血があると検閲でカットされた。 は相手を斬る際に、刃を当てた後もう一回引く「二段引き」という殺陣を使ったが、これも「骨まで斬った感じが出るから」とカットされたことがある。 全般に「リアルな殺陣」はすべて検閲でカットされたのである。 また、剣戟で人を斬る際の効果音を初めて使ったのは1935年(昭和10年)の『』で、監督のアイディアで、カチンコの音を逆回転した効果音が使われた。 しかしこの効果音も「検閲保留」扱いにされている。 終戦後 [ ] GHQの検閲と時代劇製作の制限 [ ] 昭和20年 の後、日本が GHQ の占領統治下に置かれると、GHQは教育文化政策を担当する CIE を設置し、さらに CCD を置いて、日本映画は二重の検閲を受けることとなった。 その政策により、CIEから日本映画に対して13の規制項目が出されて これが俗にチャンバラ禁止令と呼ばれている 、を振り回す剣劇(チャンバラ時代劇)は的であり、など復讐の賛美がアメリカ合衆国に対する敵対心を喚起する要素がある映画は一時製作が制限された。 チャンバラ場面が禁止されたため、阪東妻三郎や片岡千恵蔵などの時代劇スターは現代劇に主演 し、戦前『』をヒットさせたの場合は剣戟の無い推理物の時代劇『右門捕物帳』でしか、舞台も映画もできなかったと語っている。 しかしそんな時代でも時代劇は製作していた。 戦後最初に作られた時代劇は丸根賛太郎監督の『狐の呉れた赤ん坊』で終戦の年の10月に公開されている。 この数々の制約を受けた特定の時期に撮影が出来た時代劇は傾向として次の4つが挙げられる。 1番目は俗に「戦争反省映画」と言われているもので時代劇では主演で稲垣弘監督『最後の攘夷党』などで、幕末の攘夷運動に加わった浪士が西洋人に助けられて排外主義の愚かさに気づくストーリーであった。 2番目は「既成のヒーロー像の破壊」であり、あるいはそれまでの任侠のイメージを変えるものとして松田定次監督『』や吉村公三郎監督『森の石松』があり、特に『』は正義感の強い民主主義的な人物として描かれていた。 3番目は「剣戟や立ち回りシーンの無いもの」で市川右太衛門主演『お夏清十郎』などの恋愛ものがその例であり、4番目はその「剣戟や立ち回りシーンを回避した映画」で前述の『』や伊藤大輔監督、阪東妻三郎主演『』などであった。 しかし戦前からの時代劇を見慣れた観客にとっては「肝心なところが欠けている」と見なされていた。 講和条約以後 [ ] そして1951年 昭和26年 9月の講和条約成立で自由に時代劇が作れる時代に入ると、それまで蓄積されていたエネルギーが爆発したようにどっと時代劇映画が溢れ、時代劇映画の歴史で最も輝く時代の始まりであった。 それは占領時代に作られた黒澤明監督『』の受賞からスタートした。 そしてこの『』はベネチア映画祭でグランプリを獲得した。 1952年 昭和27年 に占領体制が終わると、どっと時代劇映画の量産が始まった。 溝口健二の『』『』『』『』、黒澤明の『』、衣笠貞之助の『』が製作されて時代劇映画の黄金時代の幕開けであった。 嵐寛寿郎は再び『』に出演していった。 各社時代劇の興亡 [ ] 戦後の時代劇映画の製作会社は、、、、、、、 東宝の傍系会社 などである。 終戦直後に東宝が内紛と労働争議で分裂して1947年3月に新東宝ができ、しばらくは製作は新東宝、配給は東宝の形態がとられたが、やがて新東宝は東宝に配給を断られたことから自主配給に踏み切った。 その一方で戦前の1938年に設立され興行会社としてスタートしたが、戦後1947年から映画製作に進出して当時大映が所有していた京都太秦の大映第二撮影所(後の東映京都撮影所)を借りて製作活動に入った。 は自前の配給網を持たないので当初大映に配給する関係であったが、しかし大映の傘下では経営が成り立たないとして、大映に配給を頼る下請け会社から脱却するため、東急グループの支援を受けて自前の配給会社を1949年10月に作った。 しかし赤字が増大し、そこで東急グループは同じ赤字の とと を合併させて1951年 昭和26年 4月にと改称して、配給を東宝に委ねた。 この当時東宝は分裂騒動の余波で自前での製作能力が無かったので、宝塚映画や東京映画の作品を配給し、そこへ東映作品も配給して、1951年頃は東映製作で東宝配給という提携関係であった。 しかしわずか1年で東映と東宝の提携は終了した。 東宝が東映を傘下に収めようとしたことで東映が反発したとされている。 そして1950年の朝鮮戦争の勃発とともにGHQの方針が大きく転換して時代劇の製作が可能となり、やがて東映は自前の配給網を確保し拡大するために、二本立て興行を打ち立て、そこに東映娯楽版として中村錦之助や東千代之介をデビューさせて大人気となったことで一気に業界トップに躍り出ることになった。 それは時代劇を中心としたプログラムピクチャーによって、映画の中心が時代劇になった時代でもあった。 東映 [ ] はとの提携を解消する頃に、当時大映に所属していて社長と衝突していたとを引き抜き、やがて千恵蔵と右太衛門はとなった後に取締役に就任した。 全くスターがいなかったにとってはそれこそ観客を呼べる看板スターを持ったことになり、その後のにおいてスター中心のシステムを作るきっかけとなった。 戦後のそれまで千恵蔵は『多羅尾伴内』や『金田一耕助』などの現代劇シリーズに出演し、右太衛門は時代劇だが『お夏清十郎』『お艶殺し』などのいわゆる艶ものに出演していた。 1950年に千恵蔵はいち早く従来の時代劇を復活させて渡辺邦男監督で初めて『いれずみ判官』の『桜花乱舞の巻』『落花対決の巻』を出し、翌1951年にはマキノ雅弘監督で『』を出した。 右太衛門は松田定次・萩原遼監督で『』の『旗本退屈男捕物控七人の花嫁』『旗本退屈男捕物控毒殺魔殿』を出し、それぞれが後の東映のドル箱シリーズとなった。 1954年に二本立て興行に移り、毎週新作二本の製作体制になり、長編と東映娯楽版と言われる中編の連続物を組み合わせて、それに日舞出身の、歌舞伎出身のをデビューさせて『笛吹童子』が大ヒットし、翌年には同じからがした。 そして1956年 昭和31年 に松田定次監督『』が大ヒットして、この年から業界トップに躍り出た東映は、マキノ雅弘監督が『』 『仇討崇禅寺馬場』、監督が中村錦之助主演『』および『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』、監督が片岡千恵蔵主演『』および『』三部作、そして中村錦之助主演『』五部作、監督はオールスターで『』などが製作されて、時代劇スター中心のプログラムを組んで多数の時代劇映画を量産した。 東映は、の両者を重役にして、ベテランの、、そして若手の(のち萬屋錦之介)、、大川橋蔵らが育ち、きらびやかで豪快な東映時代劇を築いていく。 とは御大 と呼ばれ、千恵蔵が『』 遠山の金さん を、右太衛門が『』といったそれぞれシリーズを持ち、月形龍之介は『』、大友柳太朗は『快傑黒頭巾』『』『』、中村錦之助は『』『殿様弥次喜多』『』、東千代之介は『』『』、大川橋蔵は『』『』の各シリーズを持ち、加えて正月には『』や『』『』『』、お盆には『』 1958年 『』 1960年 など歌舞伎の顔見世のようにオールスターキャストの時代劇を製作して、1950年代後半 昭和30年代前半 は東映時代劇の黄金期であった。 そしてこの量産時代の東映にあって作品を作り続けた監督には、、 、以外には 、 、 、 、 、 、などがいた。 大映 [ ] 戦争中の1942年 昭和17年 に当時のの製作部門ととが合併して設立されたは、戦後も溝口健二監督『』『』を製作して、その後同じ溝口健二監督『』 、衣笠貞之助監督『』で主演した戦前からの大スター長谷川一夫の『』シリーズを中心にして時代劇を量産し、やがて若い市川雷蔵、勝新太郎が育って、雷蔵は『』から『』三部作、そして『』シリーズを自身の代表作とし、勝新は『』シリーズでその後長く日本映画界を牽引することとなった。 東映時代劇の華やかさと優雅さに全く無縁で全く異質な『眠狂四郎』『座頭市』というダーティーなヒーローを二人が演じて独自の大映時代劇を築いていく。 監督には最初の時期には黒澤明 、伊藤大輔 、 もいたが、、、 、 、、、らがいた。 新東宝 [ ] 戦後の東宝争議の後に設立した新東宝は、1950年3月から自主配給で大手会社となり、初期には佐伯清監督で嵐寛寿郎主演『中山安兵衛』 、溝口健二監督『』、伊藤大輔監督『』 、山田達雄監督で嵐寛寿郎主演『危し 伊達六十二万石』 、渡辺邦男監督で美空ひばり主演『ひばり三役 競艶雪之丞変化』などの秀作があるが、後期に入って大蔵貢 が社長に就任すると怪談ものを作り始めて、渡辺邦男監督 『怨霊佐倉大騒動』、中川信夫監督『』『』などを製作し、1961年に経営不振から映画製作を中止した。 しかし新東宝から丹波哲郎、天知茂などがデビューして、新東宝倒産後に五社協定に拘束されずにテレビに移っていった。 日活 [ ] 日活は1942年に製作部門が大映に吸収されて、戦後はずっと映画興行会社であったが1954年に製作部門を再開し、それと同時に時代劇で、鳴滝組であった滝沢英輔監督で新国劇の辰巳柳太郎主演『国定忠治』『地獄の剣豪 平手造酒』を製作し、また同じ滝沢英輔監督で島田正吾主演『六人の暗殺者』、三國連太郎主演『江戸一寸の虫』 を出したが、その後石原裕次郎の人気沸騰で現代劇の活劇路線を中心としたプログラムピクチャーを組み、やがて時代劇は製作しなくなった。 しかし1957年 昭和32年 に当時の自社のスターを総出演させた川島雄三監督『』 という異色時代劇を製作している。 松竹 [ ] 文藝路線の松竹は時代劇が少なく、大船での現代劇が主で京都の撮影所では思うようには時代劇の製作は出来なかった。 1951年に創立30周年記念映画でオールスターキャストの『』 伊藤大輔監督 を、また1953年に八代目松本幸四郎 後の松本白鸚 の井伊大老役で大作『』 大曾根辰夫監督 を、1954年も同じ八代目松本幸四郎が大石内蔵助を演じた『忠臣蔵花の巻・雪の巻』(大曾根辰夫監督 を、そして3年後の1957年に再び大曾根辰夫監督で『』 を製作したりしたが、シリーズものとしては唄う映画スターと呼ばれた主演の『』シリーズぐらいで、松竹が抱える歌舞伎俳優を中核に新劇やフリーの俳優で脇を固め、これに近衛十四郎と高田幸吉を絡めてそこへ新人のを次代の時代劇スターに育てる予定であった。 しかし1960年から61年にかけて森美樹が事故死し、高田幸吉と近衛 十四郎は東映に移籍し、また歌舞伎界の八代目松本幸四郎ら多数が東宝へ移籍する事態となり、この時期から急速に松竹時代劇は衰退していった。 1962年には忠臣蔵を製作しようにもキャストが組めず旧作の『』を再編集した『仮名手本忠臣蔵』とその後日談の『義士始末記』を新国劇の島田正吾を起用して製作する始末であった。 この他に歌舞伎座製作で松竹が配給した山本薩夫監督『』 、木下恵介監督『』 、『』、今井正監督で三國連太郎主演『夜の鼓』、小林正樹監督で仲代逹矢主演『』など異色作を出しているが、やがて京都では時代劇を撮らないことを決めて、1964年に篠田正浩監督で丹波哲郎主演『』を最後に1965年に京都太秦撮影所は閉鎖された。 東宝 [ ] 戦後に新東宝や東映との提携関係が消滅して以後、宝塚映画や東京映画製作の作品を配給していた東宝は自前の製作体制を整えることに力を注ぎ、やがて1954年に特撮で『ゴジラ』がヒットした同じ年に黒澤明監督『』、稲垣浩監督『』もヒットしたことで成果があがった。 その後特撮と喜劇路線の東宝にとって時代劇に黒澤明監督がいて『』『』を作り、やがて『』 『』を製作した。 この2つの映画で、東映時代劇のように様式美にこだわり、あくまでスター俳優を中心にカッコ良く決めるスタイルで、その美しさを前面に出す殺陣とは違って、黒澤明はリアルで迫力のある、そして残酷な描写を厭わない斬り合いを表現して話題となった。 しかし黒澤明は1965年の『』を最後に東宝を去った。 鳴滝組であった稲垣弘は1950年に東宝に加わり、『佐々木小次郎』三部作、そして三船敏郎主演『』 三部作を作り、後に『』『』そして1962年に東宝創立30周年記念映画として『』を撮っている。 なお戦後の初期には後に東映に移ったマキノ雅弘監督が『』全九部作 を製作している。 東映時代劇の衰退 [ ] 1962年の正月映画で東宝『』が東映『東海道のつむじ風』 を圧倒して、東映の華麗な様式美の世界から時代劇は生々しい迫力の世界へと変わっていった。 そのリアルな殺陣が、東映時代劇の華やかさと所作の優雅さとが次第に観客に飽きられていき、またこの直前に「第二東映」の出現で多数の時代劇を粗製乱造したことも加えて、東映時代劇の衰退を招くこととなった。 これ以降東映は時代劇の不振に悩まされて、その後に集団抗争時代劇として『十七人の忍者』『』『』を製作したが時代劇の退潮を食い止められず、やがて任侠路線に転換してヤクザ映画が主流を占め、東映の本来の時代劇は消えて、そしてセクシー路線の時代劇が跋扈する時代に入っていった。 時代劇映画の消滅 [ ] 1955年(昭和30年)には当時の大手映画会社6社で年間174本の時代劇が製作され、1960年(昭和35年)で合計168本の製作本数を数えたが、わずか2年後の1962年(昭和37年)には77本に半減し、中村錦之助が東映を退社した1966年(昭和41年)の翌年には15本となり、1973年以降は年間5本程度を製作する状況となった。 時代劇の軸は映画界からテレビに移行、この時期からテレビ時代劇が急増する。 映画の世界では、時代劇王国と言われた東映が1964年頃から任侠路線に切り替えて1966年(昭和41年)で時代劇を打ち切り、時代劇の中心は大映に移った。 しかし勝新太郎との二枚看板で『』シリーズをヒットさせた市川雷蔵が1969年(昭和44年)に若くして死去して、急速に精彩を失った大映も1971年(昭和46年)に倒産してしまった。 その後は1970年代に入って勝プロが製作した若山富三郎主演の『』シリーズがヒットして、松竹が高橋英樹主演で『』さらにオールスターキャストで『』『』『』を出し、東映が1978年(昭和53年)に12年ぶりに時代劇を復活させて『』が大ヒットして以後『』『』『』『』を出し、1980年代に入ると『』『』を角川春樹と提携して深作欣二監督で製作している。 しかし、その後は特に話題となるような時代劇はなく、もはや映画のジャンルとしては過去のものになりつつある。 時代劇映画は50年近く長期低迷であり 、そして時代劇の主な舞台はすでにテレビに変わり、これ以降、テレビが時代劇を産業として支えていった。 テレビ時代劇 [ ] 1953年(昭和28年)2月、NHKテレビが開局してTV放送スタートと同時にテレビ時代劇の歴史も始まった。 ただし当時はテレビカメラによる30分のスタジオドラマで生放送であり、同年7月に放送された笈川武夫主演『半七捕物帳』がテレビ初の時代劇であり、翌年1954年6月に日本テレビが放送した『エノケンの水戸黄門漫遊記』が民放初の時代劇とされている。 また初期には子ども向け時代劇として夕方に『赤胴鈴之助』 『猿飛佐助』『孫悟空』などの番組が放送された。 テレビ創成期の最初の時代劇スターはで最初の『江戸の影法師』 1955年 で認められて当時のラジオ東京テレビ(現在のTBS)と専属契約を結び、『半七捕物帳』 1956年 、『右門捕物帳』 1957年 、『又四郎行状記』 1958年 、そして『旗本退屈男』 1959年 から『新選組始末記』 などに出演した。 この他に大人にも楽しめる時代劇として『』 『快傑黒頭巾』 『丹下左膳』 『銭形平次捕物控』 『眠狂四郎』 『鳴門秘帖』 『新吾十番勝負』 などが放送された。 また民放テレビ局の開局と同時にそのテレビ局に資本参加している映画会社が独自に製作した時代劇を放映している。 代表作が『風小僧』『白馬童子』 『源義経』 『若さま侍捕物帳』 である。 そして国産テレビ映画が増加した秋から4年前に『月光仮面』をヒットさせた宣弘社が、同じ船床定男監督で主演も同じ大瀬康一で『』が放映を開始してヒットした。 この番組で初めて忍者の世界を描き、その忍者の殺陣は以後の時代劇作品の忍者の描写の元になっている。 そして4月から、が現在まで続く長寿時代劇シリーズとなるの放送を開始した。 その第1作『』は井伊大老役に歌舞伎界から、長野主膳役に映画界から(の父)を起用し、2作目の『』には映画界から、民芸から、、歌舞伎界からなど当時豪華な顔ぶれが揃い、テレビ時代劇の1つのエポックとなった。 3作目は『』で新国劇からが主演、文学座から、俳優座からなど若い人材が出演して、4作目が『源義経』で歌舞伎界から尾上菊之助 現 が主演。 毎年1作ずつ膨大な時代劇が制作されている。 その後も映画の世界では時代劇が衰退していく中で、テレビ界では各局とも時代劇を制作して、『』 『』 『』 『』 『』 『』 『』 『』 『』『』『』『』『』『』などのシリーズを生んだ。 時代劇制作を映画からテレビに移した先鞭をつけたのは、やはり東映である。 もともとテレビ局の開局時から子ども向けテレビ映画を製作して他社に比べてテレビに対して積極的であった東映は、映画での時代劇衰退で早くに見切り、1964年(昭和39年)にを設立すると時代劇のスタッフを移してそこから数々のヒット作を生み出すこととなった。 そしてかつての銀幕スターがテレビ時代劇に主演し、大川橋蔵『』、片岡千恵蔵『』、市川右太衛門『』、萬屋錦之介『』など番組が並び1970年代半ばのゴールデンタイムの人気ジャンルであった。 また、三船敏郎『』、勝新太郎『』のように銀幕スターが独立プロダクションを設立して制作に携わったり、『』のようにテレビ時代劇制作のノウハウに乏しかった日活が制作に携わったりした。 そして東映時代劇で育ったは1965年にNHK時代劇『』でテレビに出演し、は1968年に大河ドラマ『』で主役に抜擢され、は1971年に『』で助さん役を演じてから時代劇スターの座を確保した。 また日活の現代劇で育ったは大河ドラマ『竜馬がゆく』からテレビ時代劇で頭角を現わし、1967年のNHK時代劇『』で時代劇にデビューした、1978年にテレビ朝日『』から人気俳優となったなどテレビから時代劇スターが生まれていった。 1980年 - 2000年のテレビ時代劇 [ ] 一方、1980年代に入ると、若者向け文化を重視する風潮が時代劇にもあり、若手俳優を起用した時代劇を製作したが軒並み視聴率が不振で、やがて時代劇の不人気が浮き彫りとなり、テレビ局は時代劇番組を減らしていった。 そして長期シリーズとなった『影の軍団』や『必殺』シリーズの放送終了が、テレビの世界でも時代劇の退潮が言われるようになった。 ところが、1980年代後半になると、日本テレビが大晦日に紅白歌合戦に対抗して制作した1985年(昭和60年)の『』、翌1986年(昭和61年)の『』が高視聴率を上げ、1987年(昭和62年)にNHK大河ドラマ『』が高視聴率を記録し、1989年(平成元年)にはフジテレビの『』『』が始まり、そしてテレビ東京の新春ワイド時代劇が1981年以来続いていて、1991年の1月2日のゴールデンタイムには4番組が並んで、時代劇復活の雰囲気となり、1986年の日光を皮切りに4ヶ所に開設ののように時代劇制作ノウハウが取り入れられたも建設された。 しかし、1990年代後半になると、再び状況は一変して1996年(平成8年)以降に少しずつレギュラー枠が減らされていった。 のの出現以降、テレビの主たるターゲットである若者層のが時代劇では取りにくいこと、時代考証や資料引用に関する許諾および・等の制作や調達並びに化粧・鬘・衣装等に製作費用や手間がかかること、都市化が進み国内では自然のままのロケ地の確保が難しくなってきたこと 、製作関係者の後継者不足や人材育成の不足、の作風が多くマンネリ化し、視聴者に受け入れられなくなったなどの理由により、テレビ向けに製作・放映されることが大幅に減少した。 2001年以降の状況 [ ] 新作テレビ時代劇の制作は減少傾向が続き(現状については(の各項目などを参照)、2011年12月19日、長らく月曜夜8時の時代劇として親しまれてきた『』(TBS系)が最終回スペシャルを迎え、42年の歴史に幕を閉じるという出来事があった。 時代劇存亡の危機が囁かれる中、デジタル放送の普及が本格化した2010年代からは、地上波よりもシニア層の視聴者が多いとされるBSデジタル・CS放送などで時代劇の放送が増加。 既存作品の再放送が多いものの、後述するように新作の放送数も増えている。 地上波民放では、翌年(2012年)3月にテレビ東京で深夜帯に1クール放送された『』の放送終了後、2012年10月からTBS系で放送の『・』まで半年間、新作テレビ時代劇のレギュラー放送が途絶えた。 2014年には、フジテレビが開局55周年プロジェクトの一つとして、で初の時代劇作品『』を放送し、2016年には映画化された。 地上波民放でレギュラー放送された新作テレビ時代劇は2018年現在、2016年10-12月にテレビ東京が金曜日20時枠に『』を放送したのが最後である。 また、2010年代以降はやに代表される動画ストリーミングサービスが多数登場しているが、これらのサイトで時代劇が配信されることは少ない。 一方、1997年に、東映の岡田茂とのを中心に「」が立ち上がり、での放送などで、時代劇の維持と再発展を目指してきたCS放送では、で日本映画衛星放送(現・)と共同で、2011年の正月にCS初の完全新作時代劇・『』が放送されて好評を博したことにより、2012年2月には企画第2弾となる『』を放映した。 以降も年に1~2作ペースで新作を制作・放送している。 BSデジタル放送では当初NHKでの新作放送が中心だったが、2015年中盤以降、を除くBS民放でも単発やレギュラー放送の新作時代劇が制作・放送されており、前述の水戸黄門も2017年にでキャスティングを改めたが放送された。 他方、2000年代中期から2010年代以降、往年とは及ぶべくもないが時代劇映画の製作・公開が微増傾向にあり、新作時代劇はテレビから映画へと再びシフトしつつある。 なお、本稿ではもっぱら実写時代劇を扱っているが,日本では古くからも多数制作されている。 映像表現やロケ地等の制約がなく、若年層への訴求力が期待できるとあって、近年はアニメによる時代劇の制作がむしろ盛んである。 また『鬼平犯科帳』『』の漫画版を看板とした時代劇漫画専門誌(『』・『』)がの軸となるなど2000年代に入ってからは安定した人気を保っている。 その他 [ ] 時代考証 [ ] については、多くの時代劇作品で専門のスタッフが配置されるものの、年を経る毎に様々な事情から省略されたり、本来のものと異なる部分が増えており、それは文学的要素の色濃い作品であっても例外ではない。 1960年代までは相当する役柄にやを行う場合が多かったが、すでに明治時代に廃れた遠い過去の習慣であり、また、お歯黒、引眉が不気味と思われる、等、現代人に受け入れられにくいことから、現在ではお歯黒、引眉に該当する役柄でもお歯黒、引眉をすることは一部の役を除きないといって良い。 また、本来ならであるべき男性の下着がになったり、元禄年間の物語なのに服装や髪型が幕末仕様だったりするなど、雑な部分も多い。 その一方で、女性ののは以前は全鬘が一般的だったが収録の一般化に伴い生え際が自然に見える部分鬘を使うようになった。 また・・・などの端役の服飾や、屋台・建築物などの部分については、撮影現場で使い回しがなされたりセット・道具類にまつわる事情から厳密な考証が省略されているものが多い。 のでは斬撃、抜刀、納刀など元来ほとんど音がしないため、当初のそれは無音であったものが、60年代に『』と『』の登場により徐々に様々なが入れられるようになった。 最も異なるものの1つが乗馬のシーンで、実際には江戸期以前の日本では皆無に等しかったはずのやなど西洋で品種改良がなされた体高160cm以上の現代日本で主流の乗用馬で代用されている。 時代考証を厳密に行うならば体高(肩までの高さ)130-135cm程度のを使用するべきところであるが、大型化した現代の日本人俳優の体格に日本在来馬では釣り合いが取れず映像的な見栄えに劣ること、そして、乗用馬に比べ頭数が少なくまとまった数を確保することが困難を極めることなどが要因となっている。 時代考証の厳格さで定評のある監督でさえ、馬に関しては西洋馬を用いている。 また、陶器・漆器類を始めとする日用品や調度品も、当時の実物やかつての技法のまま現代の職人が創りだした工芸品的な物を使うことや、その撮影のために当時の技法で現在に必要量だけ製造することは予算面などから難しいことが多く、江戸時代のそれに近い表現技法を再現した現代の製品などを限られた時間と予算の中で探してきて代用した結果として、技巧・表現・流行などの面において時代設定と合わないことが多々起きている。 テレビ時代劇におけるフィルム撮影 [ ] テレビ用時代劇は他のテレビ番組が急速にビデオ撮影による収録に切り替わっていく中、1990年代後半までは映画用による撮影を主流とし、「ドラマ」というよりは「映画」的なコンテンツとして特異な地位を確立していた。 これは時代劇とと特撮ヒーロー番組に言える特徴であった。 当時時代劇ドラマにおいては、ビデオ映像にあえて映画フィルム風の映像補正をかけることが良く行われていた。 また、下級武士や農民の生活などその時代の雰囲気を出すために最近でもハイビジョン映像で撮影したものをあえて画像を落として放送する場合がある。 フィルム撮影はVTR撮影よりも多額の費用が発生することから1990年代以降減ってきたが、フジテレビは以降のフィルム作品において「スーパー16」規格で撮影している。 スタンダードサイズの画角ではなくビスタサイズの画角で撮影し、劇場公開や放送などの「ワンソフト・マルチユース」に対応することで長期的な費用回収を可能にし、フィルム撮影の存続の可能性を確保している。 時代劇の分類 [ ] メディアによる分類 [ ]• - 、剣劇、女剣劇• 時代劇映画 -• テレビ時代劇 - 内容・定型による分類 [ ]• 剣劇 ( チャンバラ時代劇)• および• 「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「」「」「秘剣」「斬る」「」など• 「」「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「天保水滸伝」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「一本刀土俵入り」「」「」「股旅」「股旅三人やくざ」 など• 捕物帖、、、、• 「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「」 など• 「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」など• 「豪傑児雷也」 「」「」「忍者狩り」「」「無宿侍」「」「十七人の忍者」など• アウトロー• 「不知火検校」 「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」など• 仇討ち・決闘• 「」「」「」「」「」「」など• 歴史もの• 歴史上の人物• 源義経「」、弁慶「」、織田信長「」、豊臣秀吉「」、徳川家康「」、伊達政宗「」、武田信玄「」、上杉謙信「」、千利休「」、中山安兵衛「」、井伊直弼「」、近藤勇「」など• 蒙古襲来• 「かくて神風は吹く」「」「」• 戦国乱世• 「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 伊達騒動• 「伊達騒動」「危うし伊達六十二万石」「」「」など• 赤穂事件• 「」「」「」「」「」「」「」「」「赤穂城 東映 」 「赤穂義士(大映・東映)」 「(松竹)」 「」「」「」「」 「」「仮名手本忠臣蔵 松竹 」 「義士始末記 松竹 」 「(東宝)」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 桜田門外の変• 「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「」「幕末残酷物語」「祇園の暗殺者」「」「」「」「」「」など• 「」「江戸最後の日」「最後の攘夷党」「六人の暗殺者」「江戸一寸の虫」「」「」「」「」「」など• もの:などの作品を脚色したもの。 江戸時代の文学• 「」「」 「」「」「夜の鼓」 「浪速の恋の物語」 「」• 江戸庶民もの• 「」「」「」「」「」「」など• 明治以降の文学• 芥川龍之介「」 、森鴎外「」、吉川英治「」「」「」、海音寺潮五郎「」、中里介山「」、舟橋聖一「」、大仏次郎「」、司馬遼太郎「」「」、山本周五郎「」「」、木下順二「」など• 戦国および江戸時代以外を舞台とするもの• 「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 女性を主役としたもの• 女性の生き方• 「徳川の夫人たち」「」「」「」「」「」など• 市井もの• 「」「」「」「」など• 姫もの• 「千姫御殿」「」「」「」など• 「」「」「」など• その他• コメディ• 「」「エンタツ・アチャコの忍術道中記」「珍説忠臣蔵」 「」 「」「」 「」「」「」など• 時代劇• 「大江戸出世小唄」「」「」「」「ひばり捕物帖かんざし小判」「ひばりチエミの弥次喜多道中」など。 ・・伝奇ロマン• 「渋川伴五郎」 「恋や恋なすな恋」 「風の武士」 「」「」」「」「」「」など• ホラー• 「」「番町皿屋敷」「」「」「」「」など。 セクシー時代劇• 「」「」「」「」など• 子供向けのヒーロー• 「」「」「矢車剣之助」 「」「」「」「白馬の剣士」など• 変身もの• 「」「」など• ハイパー時代劇• 「」「」「」など。 アメリカ製作の時代劇• 「」「」「」 監督や時代による分類 [ ]• マキノ時代劇:初期には尾上松之助を主人公に調の殺陣を中心にケレン味を加えた松之助独特の立ち回りが特色の時代劇であったが荒唐無稽な子ども向けの内容とされた。 やがて尾上松之助と袂を分かち、新国劇の澤田正二郎の影響を受けて「実録忠臣蔵」のように写実的な立ち回りを描いた。 明朗時代劇:の作品からそれまでの陰惨で暗いイメージを払拭するために、ユーモラスな明るいストーリーとして、後の鳴滝組にも影響を与えた。 荒唐無稽さを売り物にしたナンセンス時代劇もこの範疇に入る。 東映時代劇:昭和戦後を一世風靡した東映の時代劇群。 明るさと煌びやかさを持ち、徹底したスター主演の映画作りであった。 大映時代劇:初期は剣劇だけでなく文芸作品や江戸時代以外を舞台とするものも多い。 、、等、時代考証を重視した。 しかし後期には「眠狂四郎」「座頭市」などのアウトロー主体の時代劇が中心となった。 黒澤時代劇:監督の作品群。 リアルな殺陣とヒューマニズム溢れる物語が特徴。 スタッフ [ ] 映画監督 [ ]• 高橋寿康• 丸根賛太郎• 大曾根辰夫• 後藤岱山• 安達伸生• テレビ・プロデューサー 製作 [ ]• 合川明 - 「花の生涯」「赤穂浪士」「源義経」 NHK• 遠藤利男 - 「国盗り物語」 NHK• 近藤晋 - 「黄金の日々」「獅子の時代」 NHK• 村上慧-「武田信玄」「武蔵坊弁慶」「女殺油地獄」「御宿かわせみ」 NHK• 古賀龍二 - 「新・平家物語」「元禄太平記」 NHK• 澁谷康生 - 「徳川家康」「春日局」 NHK• 松本常保 - 「矢車剣之助」「天馬天平」「琴姫七変化」 日本テレビ• - 「隠密剣士」「水戸黄門」「大岡越前」 TBS• 逸見稔- 「水戸黄門」「大岡越前」「江戸を斬る」 TBS• 岡本愛彦-「剣」「お庭番」 日本テレビ 「浮世絵女ねずみ小僧」 フジテレビ• 上月信二 - 「素浪人月影兵庫」「新選組血風録」 NET• 市川久夫 -「鬼平犯科帳」「剣客商売」「江戸の旋風」 フジテレビ• -「助左衛門四代記」「必殺」シリーズ 朝日放送• 元村武 - 「大江戸捜査網」 東京12チャンネル• 加藤教夫 - 「子連れ狼」「桃太郎侍」 日本テレビ• 野崎元晴 - 「伝七捕物帳」 日本テレビ• 角谷優 - 「座頭市物語」 フジテレビ• 中本逸郎 -「江戸の旋風」 フジテレビ• 加藤哲夫 -「大奥」 関西テレビ テレビ・ディレクター 演出 [ ]• 井上博 - 「花の生涯」「赤穂浪士」 NHK• - 「太閤記」「源義経」 NHK• - 「竜馬がゆく」「文吾捕物絵図」 NHK• 岡崎栄 - 「天と地と」「天下御免」「天下堂々」 NHK• - 「樅の木は残った」「風と雲と虹と」「徳川家康」「八代将軍吉宗」「真田太平記」 NHK• 村上佑二 - 「国盗り物語」「花神」「清左衛門残日録」 NHK• 斉藤暁 - 「国盗り物語」「元禄太平記」「花神」「文吾捕物絵図」 NHK• - 「太平記」「蝉しぐれ」「御宿かわせみ」 NHK• - 「新選組」「風林火山」 NHK• - 「風林火山」「軍師官兵衛」 NHK• 大友圭史 - 「龍馬伝」 NHK• - 「三匹の侍」 フジテレビ• 吉田央 - 「荒野の素浪人」「次郎長三国志」 フジテレビ• 奈良井仁一 - 「徳川の夫人たち」 NET 「華岡青洲の妻」 日本テレビ• - 「はぐれ狼」「鬼平犯科帳」 フジテレビ• - 「剣客商売」「神谷玄次郎捕物控」 フジテレビ• - 「大江戸捜査網」 東京12チャンネル 「子連れ狼」 日本テレビ 「御家人斬九郎」 フジテレビ• - 「てなもんや三度笠」 朝日放送• 荒井岱志 - 「矢車剣之助」 日本テレビ 「旅がらすくれないお仙」「暴れん坊将軍」 NET• 鈴木尚也• 松浦健郎• 井手雅人• 下井坂菊馬• 殺陣 [ ]• 足立伶二郎• 湯浅謙太郎• 大内竜生• 谷明憲• 菊池竜志• 菅原俊夫• 二階堂武• 久世浩• 宇仁貫三• 上西弘次• 宮内昌平• 上野隆三• 美山晋八• 尾田義男• 近江雄二郎• 土井淳之祐• 尾型伸之介• 高倉英二• 山口博義• 竹田寿郎• 中瀬博文• 大内貴仁• 清家三彦• 高槻祐士 時代劇俳優・女優 [ ] 大正時代のスター [ ]• 1875-1926• 1877-1932 時代劇六大スタア [ ]• 1898-1962• 1901-1953• 1903-1983• 1903-1980• 1907-1999• 1908-1984 明治以降の主演俳優 [ ] 明治生まれ [ ]• 1902-1970• 1905-1982• 1905-2004• 1905-1989• 1906-1978• 1910-1982• 1911-1998• 1912-1985 大正生まれ [ ]• 1913-1989• 1914-1977• 1920-1997• 1924-1987• 1926-2000 昭和生まれ [ ]• 1929-1984• 1929-1992• 1930-2016• 1931-1969• 1931-1997• (1932-1997)• 1932-• 1933-2016• 1933-2010• 1935- )• 1936- )• 1937-2008• 1938-2018• 1939-• 1942-• 1942-2017)• 1943-)• 1943-• 1944-• 1944-• 1944-• 1944-• 1947-• 1950-• 1953-• 1956-• 1956-• 1959-• 1960-• 1961-• 1965-• 1966- 長年活躍した俳優 [ ] 明治生まれ [ ]• 1881-1967• 1888-1976• 1893-1962• 1895-1984• 1896-1987• 1897-1947• 1898-1972• 1899-1977• 1901-1976• 1901-1982• 1902-1981• 1902-1987• 1904-1972• 1904-1970• 1905-1958• 1905-1985• 1905-1974• 1905-2002• 1906-2000• 1906-1973• 1907-1994• 1908-1983• 1909-1988• 1910-1995• 1910-1965• 1911-1981• 1911-1975• 1912-1999 大正生まれ [ ]• 1913-2002• 1913-1968• 1913-1985• 1913-1985• 1913-2009• 1915-1996• 1917-1999• 1918-1990• 1919-1980• 1920-1998• 1921-1979• 1922-2006• 1923-2003• 1923-1981• 1923-2010• 1923-1997• 1923-2013• 1925-• 1925-2015• 1926-2012 昭和生まれ [ ]• 1927-2017• 1928-2006• 1928-2010• 1928-2012• 1929-2017• 1930-• 1930-1998• 1931-2002• 1931-1985• 1933-• 1934-1994• 1935-• 1936-• 1937-• 1937-• 1937-• 1938- )• 1938-2009• 1938-2011• 1939-2013• 1939-2003• 1940-• 1940-2018• 1940-2011• 1941- )• 1941-• 1942-• 1942-• 1943-• 1944-• 1944-• 1944-• 1945-• 1946-• 1948-• 1949-• 1953-• 1954-• 1954-• 1955-• 1955-• 1955-• 1956-• 1956-• 1957-• 1959-• 1960-• 1964-• 1965-• 1965-• 1966-• 1967-• 1968-• 1973-• 1976- 長年活躍した女優 [ ] 明治生まれ [ ]• 1895-1970• 1898-1958• 1901-1989• 1902-1963• 1903-1944• 1903-1963• 1904-1985• 1908-1982• 1908-2002• 1909-1977• 1909-2004• 1910-1968• 1911-1956 大正生まれ [ ]• 1913-2004• 1914-1991• 1917-1980• 1917-1967• 1917-2012• 1918-1990• 1918-1961• 1919-• 1920-2015• 1920-2012• 1921-• 1921-2011• 1921-1990• 1922-1996• 1924-2012• 1924-• 1924-2010• 1926-2012 昭和生まれ [ ]• 1930-1997• 1931-• 1931-2009• 1931-• 1932-2012• 1932-• 1932-2016• 1933-• 1933-• 1933-• 1935-• 1935-• 1936-• 1937-• 1937-• 1937-• 1937-1989• 1938-• 1939-• 1939-• 1939-• 1939-• 1940-• 1941-• 1943-• 1944-• 1945-• 1945-• 1946-2009• 1947-• 1948-• 1949-• 1950-• 1951-• 1951-• 1952-• 1952-• 1955-• 1956-• 1957-• 1958-• 1959-• 1964-• 1965-• 1967- 主なテレビ時代劇 [ ] テレビドラマ 参考資料:『実録テレビ時代劇史』 能村庸一著 巻末の時代劇放送記録• 赤頭巾快刀乱麻 野村宏伸 NHK 1991年• 北大路欣也 (関西テレビ 1982年)• 尾上緑也・吉永小百合 (ラジオ東京テレビ 1957年• 吉田豊明 大阪テレビ 1957年• 田崎潤 日本テレビ 1958年• 赤ひげ 小林桂樹・あおい輝彦 NHK 1972年• 悪一代 勝新太郎 朝日放送 1969年• 前田敦子 NHK 2013年• 阿部寛 (NHK、1996年)• 西郷輝彦 (テレビ東京 1995年)• 風間杜夫 (関西テレビ 1984年)• あばれ頭巾 河原崎権三郎 NHK 1954年• 西郷輝彦 (テレビ東京 1990年)• シリーズ 松平健 テレビ朝日1978年-2003年• 高橋英樹 (フジテレビ 1974年• 村上弘明 (テレビ東京 1997年)• (中原美紗緒 ラジオ東京テレビ 1958年• 池田大助捕物帳 尾上松緑・尾上辰之助 NHK 1966年• 中村勘九郎 (フジテレビ 1974年)• 維新風雲録 水島道太郎・服部哲治 (ラジオ東京テレビ 1958年)• 佐久間良子 (NET 1973年)• 菊川怜 (NHK 2006年)• 永山絢斗 NHK 2015年• 一心太助 鈴木やすし 日本テレビ 1968年• 山田太郎 TBS 1969年-1970年• 杉良太郎 フジテレビ 1971年-1972年• 進藤英太郎 (関西テレビ 1973年• 緒形直人 NHK 1999年• 一心茶助 茶川一郎 関西テレビ 1960年• 村上弘明 NHK 1992年• 中村光輝 朝日放送 1968年• 右門捕物帖 中村竹弥 ラジオ東京テレビ 1957年-1958年• 右門捕物帖 黒川弥太郎 関西テレビ 1962年• 日本テレビ 1969年-1970年• NET 1974年-1975年• 日本テレビ 1982年-1983年• 運命峠 田村正和 関西テレビ 1974年• 江戸シリーズ(フジテレビ1975年-1981年)• 加山雄三 (1975年-1980年)• 古谷一行・小林桂樹 (1978年)• 小林桂樹・露口茂 (1979年)• 沖雅也・小林桂樹 (1980年-1981年)• 古谷一行・夏八木勲 (1981年• 中村敦夫 (毎日放送 1976年)• 古谷一行 (テレビ東京 1990年)• 江戸の影法師 中村竹弥 ラジオ東京テレビ 1955年• 江戸の影法師 月田昌也 フジテレビ 1960年• 天知茂 (テレビ朝日 1979年)• 三船敏郎 (テレビ朝日 1978年)• 松方弘樹 (関西テレビ 1970年)• 高橋英樹 (日本テレビ 1994年)• (TBS 1973年-1981年 1987年 1994年)• 竹脇無我 TBS 1973年-1974年• TBS 1975年-1981年• TBS 1987年• TBS 1994年• 市川染五郎 (NHK 1978年)• (テレビ東京 1970年-1984年 1990年-1992年)• 大江戸捜査網 杉良太郎 1970年-1974年• 大江戸捜査網 里見浩太朗 1974年-1979年• 大江戸捜査網 松方弘樹 1979年-1984年• 新・大江戸捜査網 並木史朗 1984年• 新・大江戸捜査網 橋爪淳 1990年-1992年• 大江戸弁護人・走る! 高島政宏 (テレビ朝日 1996年)• 原田龍二 TBS 2000年• 加藤剛 (TBS 1970年-1999年)• 北大路欣也 テレビ朝日 2005年• 東山紀之 NHK 2013年• 徳川の夫人たち 佐久間良子 NET 1967年• (関西テレビ 1968年)• (三益愛子・三田佳子 関西テレビ 1970年• 藤純子 (関西テレビ 1970年)• 大奥の女たち 御影京子・喜多川千鶴 関西テレビ 1971年• 有馬稲子・片岡孝夫 (東京12チャンネル 1971年)• 大奥 中山仁・三益愛子 関西テレビ 1972年• 徳川の夫人たち 生田悦子 フジテレビ 1974年• フジテレビ 1980年• 栗原小巻 (関西テレビ 1983年)• 大原麗子 NHK 1989年• 菅野美穂 (フジテレビ、2003年)• 松下由樹 フジテレビ 2004年• 内山理名 フジテレビ 2005年• 宮崎あおい NHK 2008年• 多部未華子 TBS 2012年• 村野武範 (毎日放送 1973年)• 山崎努 (フジテレビ 1972年)• 田中邦衛 (フジテレビ 1991年)• 若山冨三郎 (日本テレビ 1973年)• 中村敦夫 (朝日放送 1974年)• 小林稔侍 (テレビ東京 1993年)• 林真一郎 朝日放送 1962年• 市川猿之助 フジテレビ 1964年• 平幹二朗・高橋英樹 NHK 1973年• 緒形直人 NHK 1992年• 玉森裕太 (テレビ朝日 2013年)• 小栗旬 (フジテレビ 2014年)• 男は度胸 浜畑賢吉 NHK 1970年• NET 1969年-1972年)• (NET 1975年)• (テレビ朝日1980年-1982年)• フジテレビ1989年-2001年)• あおい輝彦 (フジテレビ、1972年)• 伊吹吾郎 (関西テレビ 1976年• 父子鷹 中村竹弥 (TBS 1964年)• 島田正吾・若林豪 (関西テレビ 1972年• 松本幸四郎・市川染五郎 (日本テレビ 1994年• 高橋英樹 (フジテレビ 1971年)• おらんだ左近秘剣帳(テレビ東京 1991年)• 俺はども安 砂塚秀夫・青島幸男 フジテレビ 1965年• 小川真由美 (日本テレビ 1974年)• 久保菜穂子 NET 1969年• 女ねずみ小僧• 小川真由美 フジテレビ1971年-1974年)• 小川真由美 フジテレビ1977年)• 女ねずみ小僧 中原理恵 フジテレビ 1984年• 大地真央 (フジテレビ 1989年)• 水野真紀 テレビ朝日 1997年• 水野真紀 テレビ朝日 1998年• かたせ梨乃 (テレビ東京 1991年)• 佐藤浩市 (テレビ東京 1988年)• 大瀬康一 (TBS 1962年• 新・隠密剣士 林真一郎 TBS 1965年• 隠密剣士 萩島真一 TBS 1973年• 北大路欣也 (フジテレビ 1998年)• 稲垣吾郎 (NHK 2001年)• 三上博史 (フジテレビ 2002年)• 真野響子 (NHK 1980年• 沢口靖子 (テレビ朝日 1997年)• 高島礼子 (NHK 2003年• 快傑黒頭巾 若柳敏三郎 (日本テレビ 1958年• (フジテレビ1966年• 快傑黒頭巾 坂東八十助 (NHK 1976年• 潮哲也 (フジテレビ 1972年)• 三田村邦彦 (テレビ朝日 1996年)• 大沢たかお NHK 2013年• 江守徹 (毎日放送 1976年)• 山口崇 (毎日放送 1975年)• 千葉真一 (関西テレビ 1980年-1985年)• 山本耕史 NHK 2007年• 中村梅之助 (NHK 1977年)• 風 栗塚旭 TBS 1967年• 山城新伍 NET 1959年• 加藤剛 NHK 1976年• 風の三度笠 夏目俊二 関西テレビ 1961年• 佐藤浩市 NHK 2007年• 勝野洋 NHK 1979年• 風の武士 夏目俊二 関西テレビ 1960年• 勝海舟 坂東好太郎 日本テレビ 1958年• 勝海舟 江原真二郎 NET 1965年• 渡哲也・松方弘樹 NHK 1974年• 風雲児時宗 松本錦四郎 フジテレビ 1961年• 北条政子 佐久間良子 NET 1970年• 石坂浩二・岩下志麻 NHK 1979年• 和泉元弥 NHK 2001年• 上方武士道 早川恭二 関西テレビ 1961年• 上方武士道 鶴田浩二 日本テレビ 1969年• 尾上菊五郎 東京12チャンネル 1980年• 古谷一行 (フジテレビ 1990年)• 高橋光臣 (NHK 2014年)• 中村橋之助 (フジテレビ 1999年)• 坂口祐三郎 (関西テレビ 1967年)• 田村正和 (フジテレビ 1984年)• 風林火山 原保美 NET 1959年• 倉丘伸太郎 読売テレビ 1966年• 石坂浩二 NHK 1969年• 風林火山 東野英治郎 NET 1969年• 中井貴一 NHK 1988年• 内野聖陽 NHK 2007年• 山口崇 (フジテレビ1973年)• 市川染五郎 (関西テレビ 1979年)• 中村吉右衛門 (東京12チャンネル 1980年)• 近藤正臣 (朝日放送 1974年)• 天知茂 (フジテレビ 1979年)• 山崎努 (フジテレビ 1995年-1996年)• 中井貴一 (NHK 2013年・2015年)• 鞍馬天狗 市川高麗蔵 ラジオ東京テレビ 1956年• 鞍馬天狗 市川団子 ラジオ東京テレビ 1960年• 鞍馬天狗 中村竹弥 TBS 1963年• 鞍馬天狗 大瀬康一 毎日放送 1967年• NHK 1969年• 日本テレビ 1974年• テレビ東京 1990年)• NHK 2008年• 大瀬康一 朝日放送 1968年• 岡田准一 (NHK 2014年)• 片岡千恵蔵 NET 1971年• 高橋英樹 NHK 2004年• 剣・天下一の剣豪 丹波哲郎 (日本テレビ 1967年)• 杉良太郎 (テレビ東京 1992年)• 松方弘樹 関西テレビ 1975年• 加藤剛 (フジテレビ1973年)• 中村又五郎 (フジテレビ1983年)• 藤田まこと (フジテレビ1998年)• 北大路欣也 (フジテレビ2012年-)• 西郷輝彦 テレビ朝日1982年)• 源氏物語 伊丹十三 毎日放送 1965年• 北大路欣也 (テレビ東京 2008年• 三船敏郎 (日本テレビ 1975年)• 幻之介世直し帖 小林旭 日本テレビ 1981年• 剣は知っていた 早川恭二 関西テレビ 1965年• 上野樹里 (NNK 2011年)• 団令子・三橋達也 NET 1966年• 功名が辻 檀ふみ・宅麻伸 テレビ朝日1997年• 仲間由紀恵・上川隆也 NNK 2006年• 三船敏郎 NET 1972年• 夏木陽介 NET 1973年• 五街道まっしぐら 村野武範 NET 1976年• 1972年-1973年 1977年-1978年• 中村敦夫 (フジテレビ 1972年)• 新・木枯し紋次郎 中村敦夫 (東京12チャンネル 1977年• 渡辺謙 (フジテレビ1995年)• ご存じからす堂 三橋達也 フジテレビ 1967年• 萬屋錦之介 (日本テレビ 1973年)• 北大路欣也 (テレビ朝日 2002年• 松山容子 大阪YTV 1960年• 三船敏郎・宝田明 日本テレビ 1968年• 藤純子 フジテレビ 1969年• 国仲涼子 NHK 2001年• 幕末物語 坂本龍馬篇 和崎俊哉 毎日放送 1959年• 青年 維新編 渦潮 坂本龍馬伝 戸浦六宏 NHK 1961年• 中野誠也 毎日放送 1965年• 北大路欣也 NHK 1968年• 浜田雅功 日本テレビ 1996年• 福山雅治 NHK 2010年• 左近右近 立花伸介 ラジオ東京テレビ 1959年• 入川保則 読売テレビ 1962年• 東千代之介 毎日放送 1965年• 薩摩飛脚 坂東吉弥 日本テレビ 1958年• 勝新太郎 フジテレビ1974年)• 勝新太郎 フジテレビ1976年)• 倉丘伸太郎 (フジテレビ 1964-1965年)• および 猿飛佐助を含む• 猿飛佐助旅日記 千葉栄 ラジオ東京テレビ 1955年• 忍術真田城 小林重四郎 日本テレビ 1957年• 無敵真田十勇士 谷本さとし 日本テレビ 1961年• 天下の暴れん坊・猿飛佐助 沢村精四郎 NET 1961年• 真田三銃士 高峰圭二 関西テレビ 1962年• 品川隆二 NET 1964年• 高田浩吉 朝日放送 1964年• 真田幸村 中村錦之助 TBS 1966年• 熱血・猿飛佐助 桜木健一 TBS 1972年• 太川陽介 日本テレビ 1980年• 三浦浩一 NHK 1980年• 渡瀬恒彦 NHK 1985年• 北大路欣也 テレビ東京 1989年• 伊藤淳史 NHK 2012年• 堺稚人 NHK 2016年• さむらい飛脚 大友柳太朗 NET 1971年• さすらいの狼 萬屋錦之介 NET 1972年• 岡田茉莉子・藤村志保・栗原小巻 (NHK 1967年)• 目黒祐樹 (テレビ東京 1990年)• テレビ朝日 1987年-1995年 2002年• 高橋英樹 (テレビ朝日 1987年)• 高嶋政伸 (テレビ朝日 2002年)• フジテレビ 1963年-1969年 1970年• 丹波哲郎・平幹二朗・長門勇• 安藤昇・高森玄・長門勇• 北大路欣也 NET 1972年• 次郎長売り出す 早川恭二 関西テレビ 1961年• 俺ら次郎長 橋幸夫 TBS 1961年• 次郎長三国志 安井昌二・天知茂 フジテレビ 1964年• 中野誠也 NET 1968年• 竹脇無我 フジテレビ 1971年• 鶴田浩二 NET 1974年• 中村雅俊 NHK 2006年• しゃっくり寛太 藤山寛美 朝日放送 1960年• 十手人 高嶋政伸 (テレビ朝日 2001年)• 高橋英樹 (日本テレビ 1975年)• なべおさみ・藤岡琢也 TBS 1971年• 若山富三郎 NET 1975年• 三田村邦彦 (テレビ朝日 1990年)• 三田村邦彦 (テレビ朝日 1996年)• 三ツ木清隆 (日本テレビ 1973年)• 大瀬康一 朝日放送 1969年• 大沢たかお (TBS、2009年 2011年)• 細川俊夫 日本テレビ 1958年• 新吾二十番勝負 夏目俊二 関西テレビ 1961年• 田村正和 TBS 1966年• 松方弘樹 関西テレビ 1970年• 杉良太郎 (日本テレビ 1977年-1982年)• 新釈諸国ばなし 伊藤雄之助 日本テレビ 1958年• 幕末物語 近藤勇と桂小五郎篇 小柴幹治 毎日放送 1959年• 風雲新選組 嵐寛寿郎 フジテレビ 1961年• 中村竹弥 TBS 1961年• 栗塚旭 NET 1965年)• 内田良平 東京12チャンネル 1966年• 栗塚旭 NET 1970年• 鶴田浩二 フジテレビ1973年• 平幹二朗 TBS 1977年• 高橋幸治 NHK 1983年• 渡哲也 テレビ朝日 1998年• 香取慎吾 (NHK、2004年)• 永井大 NHK 2011年• 助左衛門四代記 宇野重吉 朝日放送 1968年• 素浪人シリーズ NET 1965年-1974年• 近衛十四郎・品川隆二 (NET 1965年)• 近衛十四郎・品川隆二 (NET 1969年)• 近衛十四郎 NET 1973年• 近衛十四郎 NET 1973年• 仲代達矢 NHK 1993年• 銭形平次捕物控 若山富三郎 ラジオ東京テレビ 1958年• 銭形平次捕物控 安井昌二 TBS 1962年• フジテレビ1966年-1984年 )• 日本テレビ 1987年• フジテレビ1998年• 銭形平次 村上弘明 テレビ朝日 2004年• 若尾文子・岩下志麻・星由里子 TBS 1969年• 戦国無宿 夏八木勲 大阪YTV 1967年• 梶芽衣子 (フジテレビ 1973年)• 千姫 藤村志保 NET 1966年• 中村梅之助 (東京12チャンネル 1979年)• 大助捕物帖 市川染五郎 日本テレビ 1958年• 大盗賊 丹波哲郎 フジテレビ 1974年• 平幹二朗 ラジオ東京テレビ 1961年• 宗方勝巳 朝日放送 1963年• 竜巻小天狗 高峰圭二 関西テレビ 1960年• 旅がらすシリーズ NET 1968年-1971年• 松山容子 NET 1968年• 花園ひろみ NET 1969年• 宮園純子 NET 1970年• 小林旭 (関西テレビ 1980年)• 杉良太郎 (東京12チャンネル 1973年)• 中村梅之助 (テレビ朝日 1977年)• 丹下左膳 丹波哲郎 日本テレビ 1958年• 丹下左膳 辰巳柳太郎 フジテレビ 1960年• (TBS 1965年• (TBS 1967年• (NET 1970年• 丹下左膳 高橋幸治 日本テレビ 1974年• 忠臣蔵の人々 市川段四郎 ラジオ東京テレビ 1956年• 赤穂浪士 柳永二郎 NET 1959年• 長谷川一夫 (NHK 1964年)• 山村總 関西テレビ 1969年• 三船敏郎 NET 1971年• 石坂浩二 (NHK 1975年)• テレビ朝日1979年• 緒形拳 (NHK 1982年)• 北大路欣也 フジテレビ 1996年• 中村勘九郎 (NHK 1999年)• 松平健 テレビ朝日2004年• 北大路欣也 NHK 2004年• 武井咲 NHK 2016年• 里見浩太朗 (テレビ朝日 1979年)• 里見浩太朗 (日本テレビ 1983年)• 痛快 河内山宗俊 勝新太郎 フジテレビ 1975年• 堺雅人 (NHK 2011年)• 山本陽子 (テレビ東京 1990年)• 月影剣法 江見俊太郎 日本テレビ 1958年• 村上弘明 (テレビ東京 1989年)• 藤田まこと (朝日放送 1962年-1968年)• 沢口靖子 (フジテレビ 1990年)• 山口崇 (NHK 1971年)• 篠田三郎 (NHK 1973年)• 高田浩吉 朝日放送 1968年• 中村梅之助 日本テレビ 1973年• 中村梅之助 テレビ朝日 1979年)• 妻夫木聡 (NHK 2009年)• 朝日放送 1971年• 片平なぎさ (テレビ朝日 2003年)• 栗塚旭 NET 1969年• 杉良太郎 (フジテレビ 1981年)•

次の

浅見光彦シリーズ「後鳥羽伝説殺人事件」|ドラマ・時代劇|TBS CS[TBSチャンネル]

時代劇 放送事故

【放送予定】 2020年7月25日 土 午後9時から午後11時26分 前編73分 後編73分 2本つづけて放送 BSP 【原作】 重松清 【脚本】 羽原大介 【音楽】 大友良英 【出演】 堤真一 小泉今日子 池松壮亮 今井悠貴 古田新太 西田尚美 塚地武雅 徳井優 平田満 神山繁 ほか 【内容】 昭和37年。 瀬戸内海に面した広島県備後市。 運送会社で働くヤスは、待望の長男アキラが誕生し、人生最高の喜びに浸っていた。 しかし、その幸せは、妻、美佐子の事故死という突然の悲劇によって打ち砕かれてしまう。 ヤスは、残された自慢の息子アキラを、ゲンコツと涙で、不器用ながらもまっすぐに育てていく。 それは、幼くして父親に捨てられた哀(かな)しみと美佐子を亡くした後悔を乗り越えていく闘いでもあった。 日本人の原点をもう一度確かめる作品。 直木賞作家・重松清氏の、感動のシングルファーザー物語。 【初回放送】 2012年1月7日・14日 総合 土曜ドラマスペシャル にて 新着記事• Javascriptを有効にしてください。 カテゴリーから選ぶ 開く• 月別から選ぶ 2020年 開く• 2019年 開く• 2018年 開く• 2017年 開く• 2016年 開く• 2015年 開く• 2014年 開く• 2013年 開く• 2012年 開く• 2011年 開く• 2010年 開く• 2009年 開く• 2008年 開く• 2007年 開く• 2006年 開く• 2005年 開く• 2004年 開く• 2003年 開く•

次の

韓国時代劇ドラマおすすめ人気ランキングBEST20(最新版)

時代劇 放送事故

概要 [ ] 時代劇の定義 [ ] 時代劇というジャンルは、その作品の数から、主にから明治維新までを扱った作品が「時代劇」とも解釈されている。 しかしあくまで解釈であって、厳密に定義があるわけではない。 奈良時代以前の古代も含まれるという解釈も当然存在する。 時代劇映画をさして「明治維新の頃より以前の時代を扱った劇映画の呼称で、現代劇に対するジャンルとして多様な広がりを持っている」 とするもの、また「髷(マゲ)を結んだ人物が主な登場人物であれば全て時代劇映画と定義する」 とするもの、など解釈は多様である。 そして時代劇で数多く製作されているのは、江戸時代を舞台にした作品である。 チャンバラ [ ] 時代劇は一方で とも呼ばれる。 これはクライマックスにシーンがある時代劇を指し、時代劇の中のサブジャンルでもあり、時代劇が即チャンバラではない。 語源はからの剣劇 の影響を受けたで、立ち回り 殺陣 で両者の刀がぶつかった時に、刀の発する音を擬音で「ちゃんちゃんばらばら」と表現したことからそれを略して使われた言葉である。 またこれとは別に時代劇は俗に 髷物(まげもの)、 丁髷物(ちょんまげもの)とも言われ 、英語では「 Samurai cinema」「 Samurai film」あるいは「 Samurai drama」 と表記されている。 歴史劇 [ ] 時代劇に対して「 ( 史劇)」というものも存在するが、フィクションに近いかノンフィクションに近いかで区別するととは違い、日本国内のものを「時代劇」、日本以外のものを「歴史劇」或いは「史劇」と呼び分けている。 フィクションとしての時代劇 [ ] 時代劇は、実際にあった歴史上の事件や歴史に残る人物を登場させることも多いが、登場する人物像を始め、その時代の慣習、風俗、効果音、台詞などが大胆に化され、その時代劇が制作された年代の大衆に受け入れやすいようになっている。 古い時代劇では、細かい所作や口上はの影響が強く、前近代の差別やを反映した描写も多かったのだが、時代の推移によって、現代の観客に違和感を与えないようにストーリーの展開が変更され 、も現代劇に近づいていくのは避けられなかった。 どの時代劇でも、敢えてを無視している部分が多かれ少なかれあり、登場人物の性格や考え方も近現代の価値観に合致するような解釈や改変が施されることがほとんどである。 一般論として、時代劇で描かれる歴史はあくまでフィクションであり、同じ題材を扱っていても全く解釈の異なる作品が生み出されている。 時代劇の誕生 [ ] 「時代劇」という用語はもともとから誕生した言葉であり、映画の歴史と共に歩んできたジャンルである。 そして映画が活動写真と呼ばれていた最初の頃には、厳密に時代劇と呼ばれるジャンルは無かった。 旧劇映画 [ ] 1899年 明治32年 に当時の歌舞伎の九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の「紅葉狩」の演目を撮影した「紅葉狩」が現存する日本最古の映画として一部フィルムが残っているが、これは映画興行を目的としたものではなく、あくまで記録として残されたものである。 そして映画興行の目的で撮影された最初の時代劇映画は1908年 明治41年)に牧野省三 後の が製作した『』をもって嚆矢とするものである。 ただしこの初の時代劇は、当時は旧劇と呼ばれていた。 明治から大正時代の半ば過ぎまでの時代物全般は旧劇であった。 講談・歌舞伎からの題材が多く、人物造形・衣装・化粧・演技・立ち回り・女形など、舞台の名残を強く留め、声色弁士と邦楽器による鳴り物・囃子の伴奏が多かったと言われる。 時代劇映画以前の呼称 [ ] 1920年代に入った頃に当時「映画劇」と呼ばれる日本映画の革新運動が起こり、欧米を模範にシナリオの重視、映画技法の活用と表現の工夫、弁士に依存しない字幕の利用、そして女優の採用などこの時期までの活動写真とは違う、撮影や編集までの映画全般に及ぶ内容の新しさを求めた運動が起こった。 それに刺激を受けた形で、旧劇映画についても「旧劇の映画劇化」「旧劇映画改造論」「映画劇的な旧劇」といった言葉が活動写真の論評に使われていた。 『』以降に映画の題名と共に宣伝に使われた呼称を列挙すると、旧劇、革新旧派映画、純映画劇、新映画劇、旧派純映画劇、新時代劇および新時代映画、時代劇および時代映画となる。 革新旧派映画は旧劇様式ではあるがロケ撮影を生かした自然描写、細かいカット割りがあり、しかし女形を採用していた。 映画劇は欧米風の映画様式に近づけたもので、脚本と撮影技法を重視し字幕を使い、そして女優を採用した。 純映画劇も新映画劇も同じで、マキノ省三監督の『実録忠臣蔵』は新映画劇と呼ばれたが女形の採用は残っていた。 旧劇をいくらかでも映画劇に近づけたものだが、女優を採用したのは旧派純映画劇であった。 そして旧劇の映画劇化をさらに進めたのが新時代劇および新時代映画と呼ばれたもので、新しい解釈、新しい視点を入れて、演技も新劇系を導入し、女優を採用している。 旧劇映画の芝居臭さ、荒唐無稽の非現実性、女優不在の不自然さに対して、やがてそれらに対して作られていったのが「新時代劇」という呼称の新しい時代劇であった。 最初の時代劇映画 [ ] 初めて時代劇と呼ばれた映画は、『』から14年後の1922年(大正11年)に松竹蒲田撮影所で製作された『清水の次郎長』 の宣伝文句に「新時代劇」と名称がつけられていたことから、この映画が「時代劇」と称する映画の始まりであるとされている。 監督は(監督の父)でこの映画の脚本を書いたがそれまで「旧劇」と呼称されていた髷物映画を、宣伝に「 新時代劇」と名付けて公開した。 ゆえに「時代劇という呼称は松竹蒲田撮影所で製作された映画に冠されたものである」 、とされている。 ただ岩本憲児は著書『「時代映画」の誕生』の中で、1922年(大正11年)から1923年(大正12年)にかけて松竹キネマが「新時代劇」「新時代映画」と呼び、同時期のマキノ映画は「時代劇」「時代映画」と呼んでいたとして混在していたとしている。 そして簡略化して「時代劇」が定着していったという。 歌舞伎の時代物 [ ] の分野では、江戸時代よりも過去の時代を扱った演目を「」(武士・貴族や僧侶など上層社会を題材としたもの)と呼び、江戸時代当時の現代劇を「世話物」と呼んでいた。 そしてらの「生世話」は庶民の暮らしを描いた江戸時代のものであるが、江戸時代の武士などの上層社会を題材とすることは不可能であったので、過去の時代に遡って武士・貴族・僧侶を描いて当代の現実を投影させていた。 また過去の時代の庶民の姿を題材としたものを「時代世話」とも呼んでいた。 もともと「時代物」という呼称は人形浄瑠璃から始まって歌舞伎へ移り、そこでの「時代」は江戸時代以前の奈良・平安・鎌倉・室町時代など7世紀から15世紀までが時代背景となっていた。 そして実は江戸時代の世相や世論が強く反映されて、人物造形も同時代的であり、故に今日でも時代劇は現代劇の裏返しという一面が大きい。 演劇での旧派劇 [ ] 明治維新以降の日本の演劇は、1888年(明治21年)、の壮士らがで創始、らが発展させた壮士芝居を、1890年代後半(明治30年代)の日本のジャーナリズムが、歌舞伎との差別化を図るため、便宜的に歌舞伎を「旧派劇」、壮士芝居を「」 と呼び、さらに、1906年(明治39年)に・らの文芸協会、1909年(明治42年)に・らののヨーロッパ近代劇の影響下にある演劇を、歌舞伎(旧派)、との差別化を図り、「」と名乗った。 新国劇と剣劇 [ ] そしての門下生で新劇出身であったが1917年(大正6年)に劇団「」 を結成し、歌舞伎から導入した「剣劇」 を発展させて、旧派でも新派でも新劇でもない大衆演劇を目指し人気を博した。 新国劇の主な演目である『』と『』は、好まれて映画化された。 このようにして、現在の「時代劇」と「現代劇」の二分法は、江戸時代の「時代物」と「世話物」を源流にもち、明治時代に演劇の発展とともに「旧劇」「新劇」とされ、大正時代に活動写真から「時代劇」「現代劇」と呼ばれたもので、このジャンルは、「明治維新以前の時代」を扱ったものである。 ただしこの「時代劇」という呼び方は映画が発祥であり、そもそも多くの影響を受けていた歌舞伎では使われていない。 そして新国劇や大衆演劇の世界でも芝居やチャンバラ劇という言葉が使われており、「時代劇」の歴史は主に映画とテレビの中で歩んだことになる。 活動写真の時代劇 [ ] 最初の時代劇は、前述の通り1908年 明治41年)に牧野省三 が撮った京都のでの当時「旧劇」と呼ばれた『』である。 この当時、横田商会を設立した横田永之助 が活動写真の製作に当たり、演劇関係者に協力を求めて京都西陣にあった千本座という芝居小屋を経営するマキノ省三に協力を依頼し、マキノが真如堂の境内で千本座の舞台で常打ち一座が演じていた狂言「本能寺合戦」の「森蘭丸奮戦の場」を野外で演じさせ、それをワンシーンワンカットで撮影する方法で作った活動写真が『』であった。 マキノ省三は以後『本能寺合戦』を含めて6本ほど映画を作っているが興行成績は芳しいものでなく、ほどなくして映画から撤退を考え始めていたが、その翌年1909年 明治36年 に千本座座頭になっていたを主演にした映画が人気を呼んで、それ以降マキノ省三と尾上松之助は明治末から大正末まで時代劇映画の主流を歩むことになった。 泥芝居 [ ] このように時代劇は歌舞伎の模倣から始まったものである。 この時代の活動写真はズームの技法もなく、旧派・旧劇と呼ばれた歌舞伎の演目芝居をそのまま屋外で撮ったフィルムを小屋で見せる、というのが上映形態であり、「檜舞台で芝居をする」歌舞伎役者は、活動写真の役者を「土の上で芝居をする連中」として「泥芝居」と蔑んだのであった。 ただし時代劇が歌舞伎の模倣から始まったのは事実だが、ここでいう歌舞伎とは「大歌舞伎」だけでなく、旅回り一座の劇や小さな小屋で上演される劇も明治期までは全て歌舞伎であった。 映画評論家のは「京都で時代劇を作り始めていたのは、主に二流級の歌舞伎の人々であった」と述べている。 時代劇スターの登場 [ ] 時代劇映画の最初のスターは、である。 1909年 明治42年 にと組んで『』 で映画デビューを果たし、以後1926年 大正15年 の『侠骨三日月』 まで17年間で1003本の時代劇映画に出演した。 「目玉の松ちゃん」と愛称された彼は、歌舞伎や講談、立川文庫 のヒーローを繰り返し演じて日活の看板スターとして活躍した。 特にの先駆けであるトリック撮影による「忍術映画」が十八番であり、それは歌舞伎から題材を取り、「子ども相手の荒唐無稽なもの」 ではあったが、17年間にわたって時代劇の歴史に足跡を刻み、尾上松之助は映画を広く一般の人に広めるうえでは大きく貢献した。 しかし大正時代の末になると松之助の殺陣 に飽き、よりスピーディーでリアル、激しい調子を持った殺陣を観客が求めるようになっていった。 またこれとは別にほぼ同時期に が吉野二郎監督らの忍術映画で人気を呼び、200本を超す映画に出演している。 大正時代の時代劇 [ ] 1912年 大正元年 にそれまでの、、、の4つの映画会社が合同して「日本活動写真 株 」 が誕生した。 日本で初めての本格的な映画会社であった。 日活は東京向島と京都二条城に撮影所を設け、向島は新派を京都二条では旧劇を製作することとなった。 そしてマキノ省三と尾上松之助は日活に所属した。 これとは別に1914年 大正3年 に「天然色活動写真 株 」 が設立されて吉野二郎と澤村四郎五郎らが所属した。 そして1920年(大正9年)頃までは旧派であった歌舞伎の影響下にあり、女性の役柄はが演じていて、後に時代劇の監督になったはこの時期は日活向島撮影所の女形であった。 その一方でが1919年(大正8年)にを映画に導入した現代劇である『生の輝き』、『』を発表し、その翌年1920年(大正9年)にそれまで歌舞伎の興行しか手掛けてこなかった松竹がを興し、新劇の小山内薫が、同年に招かれて活動写真を撮り始めると、松竹は初めから女形を使わず、女優を映画に起用した。 その中から、、らが松竹時代劇のスターとなった。 この頃に松竹が映画事業に乗り出したのは、自社が経営する劇場よりも松竹が当時日活に貸していた大阪道頓堀朝日座での客の入りが良く、白井竹次郎が映画に乗り出すべきとの提唱から大谷竹次郎が末弟の信太郎を渡米させ、アメリカの映画事業を調査させてから参入したのであるが、大谷竹次郎はその時に「日本映画の俳優は一流の舞台では用いられない落伍者の集まりであり、このままでは世界の映画界に肩を並べることはできない」として「世界に恥ずかしくないものを作り、映画を輸出する」ことを視野に置いていた。 そのためには女形は最初から使わないと決めていた。 また旧劇については日活の尾上松之助の歌舞伎的な殺陣に対して新国劇を専属にしてリアリズムな殺陣を打ち立てようとしていた。 1922年(大正11年)頃まではは現代劇でも新派の影響で女形を起用していたが、その年の暮れに女形を交えた新派役者10数人が 国活 に移籍したため、それまでの女形起用を止めて女優を起用し、新劇的な現代劇を製作し始める。 その時に日活における名称が、時代劇は「日活旧劇部」、現代劇が「日活新劇部」であった。 その当時は東京でも、巣鴨の(国活)等で時代劇映画は盛んに製作されていたが、新劇の発展と映画への導入が東京主導で行なわれ、やがて国活が倒産し、人材が京都に流出したことでその後の「時代劇の京都」と「現代劇の東京」との棲み分けの源流となった。 またマキノ省三は尾上松之助の映画で女形を使って、女優は使っていなかったが、日活は1924年(大正13年)に尾上松之助主演『』で初めて女優を使っている。 日活向島撮影所でも1923年(大正12年)に松竹に刺激され女優の採用を始めて「第三部」というセクションを設け、女優起用の映画を製作した。 この年の現代劇『』がその第一作で、後に日活時代劇の大スターを輩出している。 同年9月、東京をが襲い、日活向島撮影所は閉鎖。 女優やスタッフは日活京都に移り、以後、京都が時代劇映画の本場となった。 マキノ時代劇 [ ] マキノ省三が1921年 大正10年 に日活から独立し、を設立した。 これはマキノ省三が尾上松之助や旧劇と袂を分かつことでもあった。 当時忍術映画で尾上松之助が人気役者になったが一方で青少年に悪影響を与えているという批判を受けて、それを教育映画ということで批判を交わす狙いがあったとも言われる一方で、単純な勧善懲悪で「幼稚なチャンバラ映画」であった松之助映画を脱却する方向を模索していたとも言われている。 そして1922年 大正11年 に『』を製作して新国劇が生んだ新しい殺陣である写実的な立ち回りを使った当時としては斬新な動きの映画を作った。 この映画を見て がマキノの下に参じ、やがて1925年 大正14年 にこのが脚本、が監督、が主演して製作されたのが『』であった。 ラストでの主人公が大勢の捕り方に囲まれて大剣戟シーンとなる場面は迫力のあるもので、阪妻の激しい立ち回りが、それまでの歌舞伎調の優雅さとは全く違うリアルな殺陣を見せて時代劇映画に新風を吹き込んだ。 以後彼は剣戟映画の大スターとなった。 新国劇で展開された立ち回りが映画の殺陣に取り込まれて、それまで旧劇と呼ばれていたものが時代劇と呼ばれる新しいジャンルになったのである。 チャンバラスターの登場 [ ] この頃にマキノ省三は1924年 大正13年 にと合併して翌1925年 大正14年 にを設立し、そして同年6月にを設立した。 ここでマキノは、、、、、らのスターを生み出した。 彼らは時代劇に「剣戟」の見せ場を持ち込んだ「チャンバラスター」であり、以後「チャンバラ映画」は時代劇の主流を占めるようになった。 またマキノが去った後のに新劇の小山内薫の門下でもあった監督と第二新国劇から日活に来た主演のコンビが登場し、このコンビで『幕末剣史 長恨』『』『』『』と次々と傑作を生み出し、そして『』シリーズが始まりヒットした。 この監督は後に主演で『』、主演で『』を製作している。 それはおよそ「松之助映画」とは違った「反逆的ヒーロー」の映画であった。 やがて1925年(大正14年)に設立された(阪妻プロ)を筆頭に、彼ら「チャンバラスター」は次々と独立してスタープロダクションを設立し、チャンバラのスター映画を量産した。 阪東妻三郎は、竹薮だった京都郊外のの地に初めて撮影所を建設した人物であり、この撮影所はその後となり太秦映画村となった。 そして大正時代が終わろうとしていた1926年(大正15年)9月、日本映画最初の時代劇スターが世を去った。 と、とのコンビが台頭し、松之助自身が自分のこれまでの映画が時代にすでに適応できていないことを感じ取っていたという。 戦前の時代劇 [ ] 1927年(昭和2年)、松竹が林長二郎()を時代劇スターとして売り出し、出身の林の美貌は日本全国の女性を虜とする。 林長二郎の登場は彼以外のスターは圧倒的に男性ファンが多い中で、時代劇映画に女性むエポックとなったのである。 この頃には大作『』の製作を開始した。 しかし撮影中の度重なるトラブルで片岡千恵蔵や嵐寛寿郎が離反し、しかも精魂込めて製作した『』のフィルムを編集中に火災を起こして焼失する不運に見舞われて、1929年 昭和4年 に失意のうちに世を去った。 しかし息子の 後のマキノ雅広 が前年に『』を監督し、その後長く戦前・戦後の時期に時代劇を作り続けて1972年 昭和47年 までに261本の映画を製作してその大半は時代劇であった。 千恵蔵プロ [ ] 一方、片岡千恵蔵はマキノプロから独立後にを設立したが、その際に監督に相談に行き、「自分のところにいる若い2人を提供するから、今までとは違う時代劇を作ればいい」という趣旨のアドバイスを受けた。 その若い2人とは の父 とであった。 そしてやがて伊丹万作は千恵蔵プロで『』 『』『』などの新しく知的で明るい時代劇を作り、「明朗時代劇」と呼ばれた。 ユーモアがありナンセンスさもあり、それまでの陰惨な大剣戟や暗い傾向映画に嫌気をさした観客に支持された。 または千恵蔵プロで『』『一本刀土俵入り』などの秀作を製作した。 鳴滝組 [ ] 1934年(昭和9年)、京都の鳴滝に映画監督の、、、脚本の、、ら有志が集まり、さらに、らが加わって合計8人が集まり共同ペンネーム「」 の名前でシナリオを作り、そして製作された時代劇映画には現代語を採り入れて新風を巻き起こし、一大勢力となった。 このグループをと呼ばれて、片岡千恵蔵の千恵蔵プロの流れを受けて、ユーモアのある明るい時代劇を製作していった。 この鳴滝組が製作した映画の代表作が監督、主演の『』である。 これらの時代劇はその明るさとセリフの分かりやすさ、そのテンポの良さで「髷 マゲ をつけた現代劇」 と言われた。 そしてこの頃が戦前における時代劇の頂点であった。 またはその後応召して戦病死したため、わずか5年間の活動で全26本の作品であったが、『』の他に『』『』のたった3本のフィルムしか現存していない。 しかし現在でも山中作品は高い評価を受けている。 1930年代半ばからは、が導入され、時代劇にも、映画館ごとの活動弁士と生演奏ではない、俳優のセリフと音楽がもたらされ、当時唄う映画スターと呼ばれたが現れ、そこで製作された映画が大曾根辰夫監督『大江戸出世小唄』 で、これが最初の時代劇ミュージカルであり、その後監督の『』 が製作された。 各映画製作会社 [ ] この昭和初期の映画製作会社は、、 後の 、、、PCL(後の)、右太衛門プロ、千恵蔵プロ、阪妻プロ、マキノプロ、 などで、年間で各社10本前後から100本前後の製作本数を記録して、時代劇も大きなジャンルとして人気があった。 またトーキー以後もによる剣戟にこだわる俳優やスタッフ、観客は存在し、1935年(昭和10年)にの跡地に設立された、翌1936年(昭和11年)にの跡地に設立されたは、それぞれが解散するまでサイレントの剣戟映画を量産しつづけた。 1930年代、時代劇の製作本数が現代劇を上回る年もあり、時代劇は質量ともに戦前の黄金期を支えていた。 歴史映画と国策映画 [ ] 松之助の忍者映画から始まって、やがて『』のようなニヒルな反逆的ヒーローが出たり、その後は『』『』のような反体制的な傾向映画が出て、世の中が暗くなっていくと千恵蔵プロや鳴滝組などから明朗時代劇と呼ばれる『』『』『』のような明るい時代劇が生まれ、「髷をつけた現代劇」と揶揄され、この鳴滝組的な映画に対抗する形で今度は真面目に歴史ものを描くべきとの声があがり、昭和10年代に入ると『阿部一族』『海援隊』『』『江戸最後の日』など歴史映画と呼ばれる作品が製作された。 やがて国策映画として『海賊旗吹っ飛ぶ』『狼火は上海に揚る』『かくて神風が吹く』などが作られ、映画人が自由に映画が作れない時代となった。 そして国策として映画会社の統合が進められて日活の製作部門と新興キネマ・大都映画が合併して大日本映画 大映 が設立され、その第1回作品として阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎が揃っての初共演で『』が製作された。 検閲 [ ] 敗戦までの日本映画では流血や博打、接吻などの場面は当局によって禁止された。 時代劇も例外ではなく、チャンバラでいくら人が斬られても、また切腹の場面でも流血があると検閲でカットされた。 は相手を斬る際に、刃を当てた後もう一回引く「二段引き」という殺陣を使ったが、これも「骨まで斬った感じが出るから」とカットされたことがある。 全般に「リアルな殺陣」はすべて検閲でカットされたのである。 また、剣戟で人を斬る際の効果音を初めて使ったのは1935年(昭和10年)の『』で、監督のアイディアで、カチンコの音を逆回転した効果音が使われた。 しかしこの効果音も「検閲保留」扱いにされている。 終戦後 [ ] GHQの検閲と時代劇製作の制限 [ ] 昭和20年 の後、日本が GHQ の占領統治下に置かれると、GHQは教育文化政策を担当する CIE を設置し、さらに CCD を置いて、日本映画は二重の検閲を受けることとなった。 その政策により、CIEから日本映画に対して13の規制項目が出されて これが俗にチャンバラ禁止令と呼ばれている 、を振り回す剣劇(チャンバラ時代劇)は的であり、など復讐の賛美がアメリカ合衆国に対する敵対心を喚起する要素がある映画は一時製作が制限された。 チャンバラ場面が禁止されたため、阪東妻三郎や片岡千恵蔵などの時代劇スターは現代劇に主演 し、戦前『』をヒットさせたの場合は剣戟の無い推理物の時代劇『右門捕物帳』でしか、舞台も映画もできなかったと語っている。 しかしそんな時代でも時代劇は製作していた。 戦後最初に作られた時代劇は丸根賛太郎監督の『狐の呉れた赤ん坊』で終戦の年の10月に公開されている。 この数々の制約を受けた特定の時期に撮影が出来た時代劇は傾向として次の4つが挙げられる。 1番目は俗に「戦争反省映画」と言われているもので時代劇では主演で稲垣弘監督『最後の攘夷党』などで、幕末の攘夷運動に加わった浪士が西洋人に助けられて排外主義の愚かさに気づくストーリーであった。 2番目は「既成のヒーロー像の破壊」であり、あるいはそれまでの任侠のイメージを変えるものとして松田定次監督『』や吉村公三郎監督『森の石松』があり、特に『』は正義感の強い民主主義的な人物として描かれていた。 3番目は「剣戟や立ち回りシーンの無いもの」で市川右太衛門主演『お夏清十郎』などの恋愛ものがその例であり、4番目はその「剣戟や立ち回りシーンを回避した映画」で前述の『』や伊藤大輔監督、阪東妻三郎主演『』などであった。 しかし戦前からの時代劇を見慣れた観客にとっては「肝心なところが欠けている」と見なされていた。 講和条約以後 [ ] そして1951年 昭和26年 9月の講和条約成立で自由に時代劇が作れる時代に入ると、それまで蓄積されていたエネルギーが爆発したようにどっと時代劇映画が溢れ、時代劇映画の歴史で最も輝く時代の始まりであった。 それは占領時代に作られた黒澤明監督『』の受賞からスタートした。 そしてこの『』はベネチア映画祭でグランプリを獲得した。 1952年 昭和27年 に占領体制が終わると、どっと時代劇映画の量産が始まった。 溝口健二の『』『』『』『』、黒澤明の『』、衣笠貞之助の『』が製作されて時代劇映画の黄金時代の幕開けであった。 嵐寛寿郎は再び『』に出演していった。 各社時代劇の興亡 [ ] 戦後の時代劇映画の製作会社は、、、、、、、 東宝の傍系会社 などである。 終戦直後に東宝が内紛と労働争議で分裂して1947年3月に新東宝ができ、しばらくは製作は新東宝、配給は東宝の形態がとられたが、やがて新東宝は東宝に配給を断られたことから自主配給に踏み切った。 その一方で戦前の1938年に設立され興行会社としてスタートしたが、戦後1947年から映画製作に進出して当時大映が所有していた京都太秦の大映第二撮影所(後の東映京都撮影所)を借りて製作活動に入った。 は自前の配給網を持たないので当初大映に配給する関係であったが、しかし大映の傘下では経営が成り立たないとして、大映に配給を頼る下請け会社から脱却するため、東急グループの支援を受けて自前の配給会社を1949年10月に作った。 しかし赤字が増大し、そこで東急グループは同じ赤字の とと を合併させて1951年 昭和26年 4月にと改称して、配給を東宝に委ねた。 この当時東宝は分裂騒動の余波で自前での製作能力が無かったので、宝塚映画や東京映画の作品を配給し、そこへ東映作品も配給して、1951年頃は東映製作で東宝配給という提携関係であった。 しかしわずか1年で東映と東宝の提携は終了した。 東宝が東映を傘下に収めようとしたことで東映が反発したとされている。 そして1950年の朝鮮戦争の勃発とともにGHQの方針が大きく転換して時代劇の製作が可能となり、やがて東映は自前の配給網を確保し拡大するために、二本立て興行を打ち立て、そこに東映娯楽版として中村錦之助や東千代之介をデビューさせて大人気となったことで一気に業界トップに躍り出ることになった。 それは時代劇を中心としたプログラムピクチャーによって、映画の中心が時代劇になった時代でもあった。 東映 [ ] はとの提携を解消する頃に、当時大映に所属していて社長と衝突していたとを引き抜き、やがて千恵蔵と右太衛門はとなった後に取締役に就任した。 全くスターがいなかったにとってはそれこそ観客を呼べる看板スターを持ったことになり、その後のにおいてスター中心のシステムを作るきっかけとなった。 戦後のそれまで千恵蔵は『多羅尾伴内』や『金田一耕助』などの現代劇シリーズに出演し、右太衛門は時代劇だが『お夏清十郎』『お艶殺し』などのいわゆる艶ものに出演していた。 1950年に千恵蔵はいち早く従来の時代劇を復活させて渡辺邦男監督で初めて『いれずみ判官』の『桜花乱舞の巻』『落花対決の巻』を出し、翌1951年にはマキノ雅弘監督で『』を出した。 右太衛門は松田定次・萩原遼監督で『』の『旗本退屈男捕物控七人の花嫁』『旗本退屈男捕物控毒殺魔殿』を出し、それぞれが後の東映のドル箱シリーズとなった。 1954年に二本立て興行に移り、毎週新作二本の製作体制になり、長編と東映娯楽版と言われる中編の連続物を組み合わせて、それに日舞出身の、歌舞伎出身のをデビューさせて『笛吹童子』が大ヒットし、翌年には同じからがした。 そして1956年 昭和31年 に松田定次監督『』が大ヒットして、この年から業界トップに躍り出た東映は、マキノ雅弘監督が『』 『仇討崇禅寺馬場』、監督が中村錦之助主演『』および『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』、監督が片岡千恵蔵主演『』および『』三部作、そして中村錦之助主演『』五部作、監督はオールスターで『』などが製作されて、時代劇スター中心のプログラムを組んで多数の時代劇映画を量産した。 東映は、の両者を重役にして、ベテランの、、そして若手の(のち萬屋錦之介)、、大川橋蔵らが育ち、きらびやかで豪快な東映時代劇を築いていく。 とは御大 と呼ばれ、千恵蔵が『』 遠山の金さん を、右太衛門が『』といったそれぞれシリーズを持ち、月形龍之介は『』、大友柳太朗は『快傑黒頭巾』『』『』、中村錦之助は『』『殿様弥次喜多』『』、東千代之介は『』『』、大川橋蔵は『』『』の各シリーズを持ち、加えて正月には『』や『』『』『』、お盆には『』 1958年 『』 1960年 など歌舞伎の顔見世のようにオールスターキャストの時代劇を製作して、1950年代後半 昭和30年代前半 は東映時代劇の黄金期であった。 そしてこの量産時代の東映にあって作品を作り続けた監督には、、 、以外には 、 、 、 、 、 、などがいた。 大映 [ ] 戦争中の1942年 昭和17年 に当時のの製作部門ととが合併して設立されたは、戦後も溝口健二監督『』『』を製作して、その後同じ溝口健二監督『』 、衣笠貞之助監督『』で主演した戦前からの大スター長谷川一夫の『』シリーズを中心にして時代劇を量産し、やがて若い市川雷蔵、勝新太郎が育って、雷蔵は『』から『』三部作、そして『』シリーズを自身の代表作とし、勝新は『』シリーズでその後長く日本映画界を牽引することとなった。 東映時代劇の華やかさと優雅さに全く無縁で全く異質な『眠狂四郎』『座頭市』というダーティーなヒーローを二人が演じて独自の大映時代劇を築いていく。 監督には最初の時期には黒澤明 、伊藤大輔 、 もいたが、、、 、 、、、らがいた。 新東宝 [ ] 戦後の東宝争議の後に設立した新東宝は、1950年3月から自主配給で大手会社となり、初期には佐伯清監督で嵐寛寿郎主演『中山安兵衛』 、溝口健二監督『』、伊藤大輔監督『』 、山田達雄監督で嵐寛寿郎主演『危し 伊達六十二万石』 、渡辺邦男監督で美空ひばり主演『ひばり三役 競艶雪之丞変化』などの秀作があるが、後期に入って大蔵貢 が社長に就任すると怪談ものを作り始めて、渡辺邦男監督 『怨霊佐倉大騒動』、中川信夫監督『』『』などを製作し、1961年に経営不振から映画製作を中止した。 しかし新東宝から丹波哲郎、天知茂などがデビューして、新東宝倒産後に五社協定に拘束されずにテレビに移っていった。 日活 [ ] 日活は1942年に製作部門が大映に吸収されて、戦後はずっと映画興行会社であったが1954年に製作部門を再開し、それと同時に時代劇で、鳴滝組であった滝沢英輔監督で新国劇の辰巳柳太郎主演『国定忠治』『地獄の剣豪 平手造酒』を製作し、また同じ滝沢英輔監督で島田正吾主演『六人の暗殺者』、三國連太郎主演『江戸一寸の虫』 を出したが、その後石原裕次郎の人気沸騰で現代劇の活劇路線を中心としたプログラムピクチャーを組み、やがて時代劇は製作しなくなった。 しかし1957年 昭和32年 に当時の自社のスターを総出演させた川島雄三監督『』 という異色時代劇を製作している。 松竹 [ ] 文藝路線の松竹は時代劇が少なく、大船での現代劇が主で京都の撮影所では思うようには時代劇の製作は出来なかった。 1951年に創立30周年記念映画でオールスターキャストの『』 伊藤大輔監督 を、また1953年に八代目松本幸四郎 後の松本白鸚 の井伊大老役で大作『』 大曾根辰夫監督 を、1954年も同じ八代目松本幸四郎が大石内蔵助を演じた『忠臣蔵花の巻・雪の巻』(大曾根辰夫監督 を、そして3年後の1957年に再び大曾根辰夫監督で『』 を製作したりしたが、シリーズものとしては唄う映画スターと呼ばれた主演の『』シリーズぐらいで、松竹が抱える歌舞伎俳優を中核に新劇やフリーの俳優で脇を固め、これに近衛十四郎と高田幸吉を絡めてそこへ新人のを次代の時代劇スターに育てる予定であった。 しかし1960年から61年にかけて森美樹が事故死し、高田幸吉と近衛 十四郎は東映に移籍し、また歌舞伎界の八代目松本幸四郎ら多数が東宝へ移籍する事態となり、この時期から急速に松竹時代劇は衰退していった。 1962年には忠臣蔵を製作しようにもキャストが組めず旧作の『』を再編集した『仮名手本忠臣蔵』とその後日談の『義士始末記』を新国劇の島田正吾を起用して製作する始末であった。 この他に歌舞伎座製作で松竹が配給した山本薩夫監督『』 、木下恵介監督『』 、『』、今井正監督で三國連太郎主演『夜の鼓』、小林正樹監督で仲代逹矢主演『』など異色作を出しているが、やがて京都では時代劇を撮らないことを決めて、1964年に篠田正浩監督で丹波哲郎主演『』を最後に1965年に京都太秦撮影所は閉鎖された。 東宝 [ ] 戦後に新東宝や東映との提携関係が消滅して以後、宝塚映画や東京映画製作の作品を配給していた東宝は自前の製作体制を整えることに力を注ぎ、やがて1954年に特撮で『ゴジラ』がヒットした同じ年に黒澤明監督『』、稲垣浩監督『』もヒットしたことで成果があがった。 その後特撮と喜劇路線の東宝にとって時代劇に黒澤明監督がいて『』『』を作り、やがて『』 『』を製作した。 この2つの映画で、東映時代劇のように様式美にこだわり、あくまでスター俳優を中心にカッコ良く決めるスタイルで、その美しさを前面に出す殺陣とは違って、黒澤明はリアルで迫力のある、そして残酷な描写を厭わない斬り合いを表現して話題となった。 しかし黒澤明は1965年の『』を最後に東宝を去った。 鳴滝組であった稲垣弘は1950年に東宝に加わり、『佐々木小次郎』三部作、そして三船敏郎主演『』 三部作を作り、後に『』『』そして1962年に東宝創立30周年記念映画として『』を撮っている。 なお戦後の初期には後に東映に移ったマキノ雅弘監督が『』全九部作 を製作している。 東映時代劇の衰退 [ ] 1962年の正月映画で東宝『』が東映『東海道のつむじ風』 を圧倒して、東映の華麗な様式美の世界から時代劇は生々しい迫力の世界へと変わっていった。 そのリアルな殺陣が、東映時代劇の華やかさと所作の優雅さとが次第に観客に飽きられていき、またこの直前に「第二東映」の出現で多数の時代劇を粗製乱造したことも加えて、東映時代劇の衰退を招くこととなった。 これ以降東映は時代劇の不振に悩まされて、その後に集団抗争時代劇として『十七人の忍者』『』『』を製作したが時代劇の退潮を食い止められず、やがて任侠路線に転換してヤクザ映画が主流を占め、東映の本来の時代劇は消えて、そしてセクシー路線の時代劇が跋扈する時代に入っていった。 時代劇映画の消滅 [ ] 1955年(昭和30年)には当時の大手映画会社6社で年間174本の時代劇が製作され、1960年(昭和35年)で合計168本の製作本数を数えたが、わずか2年後の1962年(昭和37年)には77本に半減し、中村錦之助が東映を退社した1966年(昭和41年)の翌年には15本となり、1973年以降は年間5本程度を製作する状況となった。 時代劇の軸は映画界からテレビに移行、この時期からテレビ時代劇が急増する。 映画の世界では、時代劇王国と言われた東映が1964年頃から任侠路線に切り替えて1966年(昭和41年)で時代劇を打ち切り、時代劇の中心は大映に移った。 しかし勝新太郎との二枚看板で『』シリーズをヒットさせた市川雷蔵が1969年(昭和44年)に若くして死去して、急速に精彩を失った大映も1971年(昭和46年)に倒産してしまった。 その後は1970年代に入って勝プロが製作した若山富三郎主演の『』シリーズがヒットして、松竹が高橋英樹主演で『』さらにオールスターキャストで『』『』『』を出し、東映が1978年(昭和53年)に12年ぶりに時代劇を復活させて『』が大ヒットして以後『』『』『』『』を出し、1980年代に入ると『』『』を角川春樹と提携して深作欣二監督で製作している。 しかし、その後は特に話題となるような時代劇はなく、もはや映画のジャンルとしては過去のものになりつつある。 時代劇映画は50年近く長期低迷であり 、そして時代劇の主な舞台はすでにテレビに変わり、これ以降、テレビが時代劇を産業として支えていった。 テレビ時代劇 [ ] 1953年(昭和28年)2月、NHKテレビが開局してTV放送スタートと同時にテレビ時代劇の歴史も始まった。 ただし当時はテレビカメラによる30分のスタジオドラマで生放送であり、同年7月に放送された笈川武夫主演『半七捕物帳』がテレビ初の時代劇であり、翌年1954年6月に日本テレビが放送した『エノケンの水戸黄門漫遊記』が民放初の時代劇とされている。 また初期には子ども向け時代劇として夕方に『赤胴鈴之助』 『猿飛佐助』『孫悟空』などの番組が放送された。 テレビ創成期の最初の時代劇スターはで最初の『江戸の影法師』 1955年 で認められて当時のラジオ東京テレビ(現在のTBS)と専属契約を結び、『半七捕物帳』 1956年 、『右門捕物帳』 1957年 、『又四郎行状記』 1958年 、そして『旗本退屈男』 1959年 から『新選組始末記』 などに出演した。 この他に大人にも楽しめる時代劇として『』 『快傑黒頭巾』 『丹下左膳』 『銭形平次捕物控』 『眠狂四郎』 『鳴門秘帖』 『新吾十番勝負』 などが放送された。 また民放テレビ局の開局と同時にそのテレビ局に資本参加している映画会社が独自に製作した時代劇を放映している。 代表作が『風小僧』『白馬童子』 『源義経』 『若さま侍捕物帳』 である。 そして国産テレビ映画が増加した秋から4年前に『月光仮面』をヒットさせた宣弘社が、同じ船床定男監督で主演も同じ大瀬康一で『』が放映を開始してヒットした。 この番組で初めて忍者の世界を描き、その忍者の殺陣は以後の時代劇作品の忍者の描写の元になっている。 そして4月から、が現在まで続く長寿時代劇シリーズとなるの放送を開始した。 その第1作『』は井伊大老役に歌舞伎界から、長野主膳役に映画界から(の父)を起用し、2作目の『』には映画界から、民芸から、、歌舞伎界からなど当時豪華な顔ぶれが揃い、テレビ時代劇の1つのエポックとなった。 3作目は『』で新国劇からが主演、文学座から、俳優座からなど若い人材が出演して、4作目が『源義経』で歌舞伎界から尾上菊之助 現 が主演。 毎年1作ずつ膨大な時代劇が制作されている。 その後も映画の世界では時代劇が衰退していく中で、テレビ界では各局とも時代劇を制作して、『』 『』 『』 『』 『』 『』 『』 『』 『』『』『』『』『』『』などのシリーズを生んだ。 時代劇制作を映画からテレビに移した先鞭をつけたのは、やはり東映である。 もともとテレビ局の開局時から子ども向けテレビ映画を製作して他社に比べてテレビに対して積極的であった東映は、映画での時代劇衰退で早くに見切り、1964年(昭和39年)にを設立すると時代劇のスタッフを移してそこから数々のヒット作を生み出すこととなった。 そしてかつての銀幕スターがテレビ時代劇に主演し、大川橋蔵『』、片岡千恵蔵『』、市川右太衛門『』、萬屋錦之介『』など番組が並び1970年代半ばのゴールデンタイムの人気ジャンルであった。 また、三船敏郎『』、勝新太郎『』のように銀幕スターが独立プロダクションを設立して制作に携わったり、『』のようにテレビ時代劇制作のノウハウに乏しかった日活が制作に携わったりした。 そして東映時代劇で育ったは1965年にNHK時代劇『』でテレビに出演し、は1968年に大河ドラマ『』で主役に抜擢され、は1971年に『』で助さん役を演じてから時代劇スターの座を確保した。 また日活の現代劇で育ったは大河ドラマ『竜馬がゆく』からテレビ時代劇で頭角を現わし、1967年のNHK時代劇『』で時代劇にデビューした、1978年にテレビ朝日『』から人気俳優となったなどテレビから時代劇スターが生まれていった。 1980年 - 2000年のテレビ時代劇 [ ] 一方、1980年代に入ると、若者向け文化を重視する風潮が時代劇にもあり、若手俳優を起用した時代劇を製作したが軒並み視聴率が不振で、やがて時代劇の不人気が浮き彫りとなり、テレビ局は時代劇番組を減らしていった。 そして長期シリーズとなった『影の軍団』や『必殺』シリーズの放送終了が、テレビの世界でも時代劇の退潮が言われるようになった。 ところが、1980年代後半になると、日本テレビが大晦日に紅白歌合戦に対抗して制作した1985年(昭和60年)の『』、翌1986年(昭和61年)の『』が高視聴率を上げ、1987年(昭和62年)にNHK大河ドラマ『』が高視聴率を記録し、1989年(平成元年)にはフジテレビの『』『』が始まり、そしてテレビ東京の新春ワイド時代劇が1981年以来続いていて、1991年の1月2日のゴールデンタイムには4番組が並んで、時代劇復活の雰囲気となり、1986年の日光を皮切りに4ヶ所に開設ののように時代劇制作ノウハウが取り入れられたも建設された。 しかし、1990年代後半になると、再び状況は一変して1996年(平成8年)以降に少しずつレギュラー枠が減らされていった。 のの出現以降、テレビの主たるターゲットである若者層のが時代劇では取りにくいこと、時代考証や資料引用に関する許諾および・等の制作や調達並びに化粧・鬘・衣装等に製作費用や手間がかかること、都市化が進み国内では自然のままのロケ地の確保が難しくなってきたこと 、製作関係者の後継者不足や人材育成の不足、の作風が多くマンネリ化し、視聴者に受け入れられなくなったなどの理由により、テレビ向けに製作・放映されることが大幅に減少した。 2001年以降の状況 [ ] 新作テレビ時代劇の制作は減少傾向が続き(現状については(の各項目などを参照)、2011年12月19日、長らく月曜夜8時の時代劇として親しまれてきた『』(TBS系)が最終回スペシャルを迎え、42年の歴史に幕を閉じるという出来事があった。 時代劇存亡の危機が囁かれる中、デジタル放送の普及が本格化した2010年代からは、地上波よりもシニア層の視聴者が多いとされるBSデジタル・CS放送などで時代劇の放送が増加。 既存作品の再放送が多いものの、後述するように新作の放送数も増えている。 地上波民放では、翌年(2012年)3月にテレビ東京で深夜帯に1クール放送された『』の放送終了後、2012年10月からTBS系で放送の『・』まで半年間、新作テレビ時代劇のレギュラー放送が途絶えた。 2014年には、フジテレビが開局55周年プロジェクトの一つとして、で初の時代劇作品『』を放送し、2016年には映画化された。 地上波民放でレギュラー放送された新作テレビ時代劇は2018年現在、2016年10-12月にテレビ東京が金曜日20時枠に『』を放送したのが最後である。 また、2010年代以降はやに代表される動画ストリーミングサービスが多数登場しているが、これらのサイトで時代劇が配信されることは少ない。 一方、1997年に、東映の岡田茂とのを中心に「」が立ち上がり、での放送などで、時代劇の維持と再発展を目指してきたCS放送では、で日本映画衛星放送(現・)と共同で、2011年の正月にCS初の完全新作時代劇・『』が放送されて好評を博したことにより、2012年2月には企画第2弾となる『』を放映した。 以降も年に1~2作ペースで新作を制作・放送している。 BSデジタル放送では当初NHKでの新作放送が中心だったが、2015年中盤以降、を除くBS民放でも単発やレギュラー放送の新作時代劇が制作・放送されており、前述の水戸黄門も2017年にでキャスティングを改めたが放送された。 他方、2000年代中期から2010年代以降、往年とは及ぶべくもないが時代劇映画の製作・公開が微増傾向にあり、新作時代劇はテレビから映画へと再びシフトしつつある。 なお、本稿ではもっぱら実写時代劇を扱っているが,日本では古くからも多数制作されている。 映像表現やロケ地等の制約がなく、若年層への訴求力が期待できるとあって、近年はアニメによる時代劇の制作がむしろ盛んである。 また『鬼平犯科帳』『』の漫画版を看板とした時代劇漫画専門誌(『』・『』)がの軸となるなど2000年代に入ってからは安定した人気を保っている。 その他 [ ] 時代考証 [ ] については、多くの時代劇作品で専門のスタッフが配置されるものの、年を経る毎に様々な事情から省略されたり、本来のものと異なる部分が増えており、それは文学的要素の色濃い作品であっても例外ではない。 1960年代までは相当する役柄にやを行う場合が多かったが、すでに明治時代に廃れた遠い過去の習慣であり、また、お歯黒、引眉が不気味と思われる、等、現代人に受け入れられにくいことから、現在ではお歯黒、引眉に該当する役柄でもお歯黒、引眉をすることは一部の役を除きないといって良い。 また、本来ならであるべき男性の下着がになったり、元禄年間の物語なのに服装や髪型が幕末仕様だったりするなど、雑な部分も多い。 その一方で、女性ののは以前は全鬘が一般的だったが収録の一般化に伴い生え際が自然に見える部分鬘を使うようになった。 また・・・などの端役の服飾や、屋台・建築物などの部分については、撮影現場で使い回しがなされたりセット・道具類にまつわる事情から厳密な考証が省略されているものが多い。 のでは斬撃、抜刀、納刀など元来ほとんど音がしないため、当初のそれは無音であったものが、60年代に『』と『』の登場により徐々に様々なが入れられるようになった。 最も異なるものの1つが乗馬のシーンで、実際には江戸期以前の日本では皆無に等しかったはずのやなど西洋で品種改良がなされた体高160cm以上の現代日本で主流の乗用馬で代用されている。 時代考証を厳密に行うならば体高(肩までの高さ)130-135cm程度のを使用するべきところであるが、大型化した現代の日本人俳優の体格に日本在来馬では釣り合いが取れず映像的な見栄えに劣ること、そして、乗用馬に比べ頭数が少なくまとまった数を確保することが困難を極めることなどが要因となっている。 時代考証の厳格さで定評のある監督でさえ、馬に関しては西洋馬を用いている。 また、陶器・漆器類を始めとする日用品や調度品も、当時の実物やかつての技法のまま現代の職人が創りだした工芸品的な物を使うことや、その撮影のために当時の技法で現在に必要量だけ製造することは予算面などから難しいことが多く、江戸時代のそれに近い表現技法を再現した現代の製品などを限られた時間と予算の中で探してきて代用した結果として、技巧・表現・流行などの面において時代設定と合わないことが多々起きている。 テレビ時代劇におけるフィルム撮影 [ ] テレビ用時代劇は他のテレビ番組が急速にビデオ撮影による収録に切り替わっていく中、1990年代後半までは映画用による撮影を主流とし、「ドラマ」というよりは「映画」的なコンテンツとして特異な地位を確立していた。 これは時代劇とと特撮ヒーロー番組に言える特徴であった。 当時時代劇ドラマにおいては、ビデオ映像にあえて映画フィルム風の映像補正をかけることが良く行われていた。 また、下級武士や農民の生活などその時代の雰囲気を出すために最近でもハイビジョン映像で撮影したものをあえて画像を落として放送する場合がある。 フィルム撮影はVTR撮影よりも多額の費用が発生することから1990年代以降減ってきたが、フジテレビは以降のフィルム作品において「スーパー16」規格で撮影している。 スタンダードサイズの画角ではなくビスタサイズの画角で撮影し、劇場公開や放送などの「ワンソフト・マルチユース」に対応することで長期的な費用回収を可能にし、フィルム撮影の存続の可能性を確保している。 時代劇の分類 [ ] メディアによる分類 [ ]• - 、剣劇、女剣劇• 時代劇映画 -• テレビ時代劇 - 内容・定型による分類 [ ]• 剣劇 ( チャンバラ時代劇)• および• 「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「」「」「秘剣」「斬る」「」など• 「」「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「天保水滸伝」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「一本刀土俵入り」「」「」「股旅」「股旅三人やくざ」 など• 捕物帖、、、、• 「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「」 など• 「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」など• 「豪傑児雷也」 「」「」「忍者狩り」「」「無宿侍」「」「十七人の忍者」など• アウトロー• 「不知火検校」 「」「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」など• 仇討ち・決闘• 「」「」「」「」「」「」など• 歴史もの• 歴史上の人物• 源義経「」、弁慶「」、織田信長「」、豊臣秀吉「」、徳川家康「」、伊達政宗「」、武田信玄「」、上杉謙信「」、千利休「」、中山安兵衛「」、井伊直弼「」、近藤勇「」など• 蒙古襲来• 「かくて神風は吹く」「」「」• 戦国乱世• 「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 伊達騒動• 「伊達騒動」「危うし伊達六十二万石」「」「」など• 赤穂事件• 「」「」「」「」「」「」「」「」「赤穂城 東映 」 「赤穂義士(大映・東映)」 「(松竹)」 「」「」「」「」 「」「仮名手本忠臣蔵 松竹 」 「義士始末記 松竹 」 「(東宝)」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 桜田門外の変• 「」「」「」「」「」「」など• 「」「」「」「」「」「幕末残酷物語」「祇園の暗殺者」「」「」「」「」「」など• 「」「江戸最後の日」「最後の攘夷党」「六人の暗殺者」「江戸一寸の虫」「」「」「」「」「」など• もの:などの作品を脚色したもの。 江戸時代の文学• 「」「」 「」「」「夜の鼓」 「浪速の恋の物語」 「」• 江戸庶民もの• 「」「」「」「」「」「」など• 明治以降の文学• 芥川龍之介「」 、森鴎外「」、吉川英治「」「」「」、海音寺潮五郎「」、中里介山「」、舟橋聖一「」、大仏次郎「」、司馬遼太郎「」「」、山本周五郎「」「」、木下順二「」など• 戦国および江戸時代以外を舞台とするもの• 「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」など• 女性を主役としたもの• 女性の生き方• 「徳川の夫人たち」「」「」「」「」「」など• 市井もの• 「」「」「」「」など• 姫もの• 「千姫御殿」「」「」「」など• 「」「」「」など• その他• コメディ• 「」「エンタツ・アチャコの忍術道中記」「珍説忠臣蔵」 「」 「」「」 「」「」「」など• 時代劇• 「大江戸出世小唄」「」「」「」「ひばり捕物帖かんざし小判」「ひばりチエミの弥次喜多道中」など。 ・・伝奇ロマン• 「渋川伴五郎」 「恋や恋なすな恋」 「風の武士」 「」「」」「」「」「」など• ホラー• 「」「番町皿屋敷」「」「」「」「」など。 セクシー時代劇• 「」「」「」「」など• 子供向けのヒーロー• 「」「」「矢車剣之助」 「」「」「」「白馬の剣士」など• 変身もの• 「」「」など• ハイパー時代劇• 「」「」「」など。 アメリカ製作の時代劇• 「」「」「」 監督や時代による分類 [ ]• マキノ時代劇:初期には尾上松之助を主人公に調の殺陣を中心にケレン味を加えた松之助独特の立ち回りが特色の時代劇であったが荒唐無稽な子ども向けの内容とされた。 やがて尾上松之助と袂を分かち、新国劇の澤田正二郎の影響を受けて「実録忠臣蔵」のように写実的な立ち回りを描いた。 明朗時代劇:の作品からそれまでの陰惨で暗いイメージを払拭するために、ユーモラスな明るいストーリーとして、後の鳴滝組にも影響を与えた。 荒唐無稽さを売り物にしたナンセンス時代劇もこの範疇に入る。 東映時代劇:昭和戦後を一世風靡した東映の時代劇群。 明るさと煌びやかさを持ち、徹底したスター主演の映画作りであった。 大映時代劇:初期は剣劇だけでなく文芸作品や江戸時代以外を舞台とするものも多い。 、、等、時代考証を重視した。 しかし後期には「眠狂四郎」「座頭市」などのアウトロー主体の時代劇が中心となった。 黒澤時代劇:監督の作品群。 リアルな殺陣とヒューマニズム溢れる物語が特徴。 スタッフ [ ] 映画監督 [ ]• 高橋寿康• 丸根賛太郎• 大曾根辰夫• 後藤岱山• 安達伸生• テレビ・プロデューサー 製作 [ ]• 合川明 - 「花の生涯」「赤穂浪士」「源義経」 NHK• 遠藤利男 - 「国盗り物語」 NHK• 近藤晋 - 「黄金の日々」「獅子の時代」 NHK• 村上慧-「武田信玄」「武蔵坊弁慶」「女殺油地獄」「御宿かわせみ」 NHK• 古賀龍二 - 「新・平家物語」「元禄太平記」 NHK• 澁谷康生 - 「徳川家康」「春日局」 NHK• 松本常保 - 「矢車剣之助」「天馬天平」「琴姫七変化」 日本テレビ• - 「隠密剣士」「水戸黄門」「大岡越前」 TBS• 逸見稔- 「水戸黄門」「大岡越前」「江戸を斬る」 TBS• 岡本愛彦-「剣」「お庭番」 日本テレビ 「浮世絵女ねずみ小僧」 フジテレビ• 上月信二 - 「素浪人月影兵庫」「新選組血風録」 NET• 市川久夫 -「鬼平犯科帳」「剣客商売」「江戸の旋風」 フジテレビ• -「助左衛門四代記」「必殺」シリーズ 朝日放送• 元村武 - 「大江戸捜査網」 東京12チャンネル• 加藤教夫 - 「子連れ狼」「桃太郎侍」 日本テレビ• 野崎元晴 - 「伝七捕物帳」 日本テレビ• 角谷優 - 「座頭市物語」 フジテレビ• 中本逸郎 -「江戸の旋風」 フジテレビ• 加藤哲夫 -「大奥」 関西テレビ テレビ・ディレクター 演出 [ ]• 井上博 - 「花の生涯」「赤穂浪士」 NHK• - 「太閤記」「源義経」 NHK• - 「竜馬がゆく」「文吾捕物絵図」 NHK• 岡崎栄 - 「天と地と」「天下御免」「天下堂々」 NHK• - 「樅の木は残った」「風と雲と虹と」「徳川家康」「八代将軍吉宗」「真田太平記」 NHK• 村上佑二 - 「国盗り物語」「花神」「清左衛門残日録」 NHK• 斉藤暁 - 「国盗り物語」「元禄太平記」「花神」「文吾捕物絵図」 NHK• - 「太平記」「蝉しぐれ」「御宿かわせみ」 NHK• - 「新選組」「風林火山」 NHK• - 「風林火山」「軍師官兵衛」 NHK• 大友圭史 - 「龍馬伝」 NHK• - 「三匹の侍」 フジテレビ• 吉田央 - 「荒野の素浪人」「次郎長三国志」 フジテレビ• 奈良井仁一 - 「徳川の夫人たち」 NET 「華岡青洲の妻」 日本テレビ• - 「はぐれ狼」「鬼平犯科帳」 フジテレビ• - 「剣客商売」「神谷玄次郎捕物控」 フジテレビ• - 「大江戸捜査網」 東京12チャンネル 「子連れ狼」 日本テレビ 「御家人斬九郎」 フジテレビ• - 「てなもんや三度笠」 朝日放送• 荒井岱志 - 「矢車剣之助」 日本テレビ 「旅がらすくれないお仙」「暴れん坊将軍」 NET• 鈴木尚也• 松浦健郎• 井手雅人• 下井坂菊馬• 殺陣 [ ]• 足立伶二郎• 湯浅謙太郎• 大内竜生• 谷明憲• 菊池竜志• 菅原俊夫• 二階堂武• 久世浩• 宇仁貫三• 上西弘次• 宮内昌平• 上野隆三• 美山晋八• 尾田義男• 近江雄二郎• 土井淳之祐• 尾型伸之介• 高倉英二• 山口博義• 竹田寿郎• 中瀬博文• 大内貴仁• 清家三彦• 高槻祐士 時代劇俳優・女優 [ ] 大正時代のスター [ ]• 1875-1926• 1877-1932 時代劇六大スタア [ ]• 1898-1962• 1901-1953• 1903-1983• 1903-1980• 1907-1999• 1908-1984 明治以降の主演俳優 [ ] 明治生まれ [ ]• 1902-1970• 1905-1982• 1905-2004• 1905-1989• 1906-1978• 1910-1982• 1911-1998• 1912-1985 大正生まれ [ ]• 1913-1989• 1914-1977• 1920-1997• 1924-1987• 1926-2000 昭和生まれ [ ]• 1929-1984• 1929-1992• 1930-2016• 1931-1969• 1931-1997• (1932-1997)• 1932-• 1933-2016• 1933-2010• 1935- )• 1936- )• 1937-2008• 1938-2018• 1939-• 1942-• 1942-2017)• 1943-)• 1943-• 1944-• 1944-• 1944-• 1944-• 1947-• 1950-• 1953-• 1956-• 1956-• 1959-• 1960-• 1961-• 1965-• 1966- 長年活躍した俳優 [ ] 明治生まれ [ ]• 1881-1967• 1888-1976• 1893-1962• 1895-1984• 1896-1987• 1897-1947• 1898-1972• 1899-1977• 1901-1976• 1901-1982• 1902-1981• 1902-1987• 1904-1972• 1904-1970• 1905-1958• 1905-1985• 1905-1974• 1905-2002• 1906-2000• 1906-1973• 1907-1994• 1908-1983• 1909-1988• 1910-1995• 1910-1965• 1911-1981• 1911-1975• 1912-1999 大正生まれ [ ]• 1913-2002• 1913-1968• 1913-1985• 1913-1985• 1913-2009• 1915-1996• 1917-1999• 1918-1990• 1919-1980• 1920-1998• 1921-1979• 1922-2006• 1923-2003• 1923-1981• 1923-2010• 1923-1997• 1923-2013• 1925-• 1925-2015• 1926-2012 昭和生まれ [ ]• 1927-2017• 1928-2006• 1928-2010• 1928-2012• 1929-2017• 1930-• 1930-1998• 1931-2002• 1931-1985• 1933-• 1934-1994• 1935-• 1936-• 1937-• 1937-• 1937-• 1938- )• 1938-2009• 1938-2011• 1939-2013• 1939-2003• 1940-• 1940-2018• 1940-2011• 1941- )• 1941-• 1942-• 1942-• 1943-• 1944-• 1944-• 1944-• 1945-• 1946-• 1948-• 1949-• 1953-• 1954-• 1954-• 1955-• 1955-• 1955-• 1956-• 1956-• 1957-• 1959-• 1960-• 1964-• 1965-• 1965-• 1966-• 1967-• 1968-• 1973-• 1976- 長年活躍した女優 [ ] 明治生まれ [ ]• 1895-1970• 1898-1958• 1901-1989• 1902-1963• 1903-1944• 1903-1963• 1904-1985• 1908-1982• 1908-2002• 1909-1977• 1909-2004• 1910-1968• 1911-1956 大正生まれ [ ]• 1913-2004• 1914-1991• 1917-1980• 1917-1967• 1917-2012• 1918-1990• 1918-1961• 1919-• 1920-2015• 1920-2012• 1921-• 1921-2011• 1921-1990• 1922-1996• 1924-2012• 1924-• 1924-2010• 1926-2012 昭和生まれ [ ]• 1930-1997• 1931-• 1931-2009• 1931-• 1932-2012• 1932-• 1932-2016• 1933-• 1933-• 1933-• 1935-• 1935-• 1936-• 1937-• 1937-• 1937-• 1937-1989• 1938-• 1939-• 1939-• 1939-• 1939-• 1940-• 1941-• 1943-• 1944-• 1945-• 1945-• 1946-2009• 1947-• 1948-• 1949-• 1950-• 1951-• 1951-• 1952-• 1952-• 1955-• 1956-• 1957-• 1958-• 1959-• 1964-• 1965-• 1967- 主なテレビ時代劇 [ ] テレビドラマ 参考資料:『実録テレビ時代劇史』 能村庸一著 巻末の時代劇放送記録• 赤頭巾快刀乱麻 野村宏伸 NHK 1991年• 北大路欣也 (関西テレビ 1982年)• 尾上緑也・吉永小百合 (ラジオ東京テレビ 1957年• 吉田豊明 大阪テレビ 1957年• 田崎潤 日本テレビ 1958年• 赤ひげ 小林桂樹・あおい輝彦 NHK 1972年• 悪一代 勝新太郎 朝日放送 1969年• 前田敦子 NHK 2013年• 阿部寛 (NHK、1996年)• 西郷輝彦 (テレビ東京 1995年)• 風間杜夫 (関西テレビ 1984年)• あばれ頭巾 河原崎権三郎 NHK 1954年• 西郷輝彦 (テレビ東京 1990年)• シリーズ 松平健 テレビ朝日1978年-2003年• 高橋英樹 (フジテレビ 1974年• 村上弘明 (テレビ東京 1997年)• (中原美紗緒 ラジオ東京テレビ 1958年• 池田大助捕物帳 尾上松緑・尾上辰之助 NHK 1966年• 中村勘九郎 (フジテレビ 1974年)• 維新風雲録 水島道太郎・服部哲治 (ラジオ東京テレビ 1958年)• 佐久間良子 (NET 1973年)• 菊川怜 (NHK 2006年)• 永山絢斗 NHK 2015年• 一心太助 鈴木やすし 日本テレビ 1968年• 山田太郎 TBS 1969年-1970年• 杉良太郎 フジテレビ 1971年-1972年• 進藤英太郎 (関西テレビ 1973年• 緒形直人 NHK 1999年• 一心茶助 茶川一郎 関西テレビ 1960年• 村上弘明 NHK 1992年• 中村光輝 朝日放送 1968年• 右門捕物帖 中村竹弥 ラジオ東京テレビ 1957年-1958年• 右門捕物帖 黒川弥太郎 関西テレビ 1962年• 日本テレビ 1969年-1970年• NET 1974年-1975年• 日本テレビ 1982年-1983年• 運命峠 田村正和 関西テレビ 1974年• 江戸シリーズ(フジテレビ1975年-1981年)• 加山雄三 (1975年-1980年)• 古谷一行・小林桂樹 (1978年)• 小林桂樹・露口茂 (1979年)• 沖雅也・小林桂樹 (1980年-1981年)• 古谷一行・夏八木勲 (1981年• 中村敦夫 (毎日放送 1976年)• 古谷一行 (テレビ東京 1990年)• 江戸の影法師 中村竹弥 ラジオ東京テレビ 1955年• 江戸の影法師 月田昌也 フジテレビ 1960年• 天知茂 (テレビ朝日 1979年)• 三船敏郎 (テレビ朝日 1978年)• 松方弘樹 (関西テレビ 1970年)• 高橋英樹 (日本テレビ 1994年)• (TBS 1973年-1981年 1987年 1994年)• 竹脇無我 TBS 1973年-1974年• TBS 1975年-1981年• TBS 1987年• TBS 1994年• 市川染五郎 (NHK 1978年)• (テレビ東京 1970年-1984年 1990年-1992年)• 大江戸捜査網 杉良太郎 1970年-1974年• 大江戸捜査網 里見浩太朗 1974年-1979年• 大江戸捜査網 松方弘樹 1979年-1984年• 新・大江戸捜査網 並木史朗 1984年• 新・大江戸捜査網 橋爪淳 1990年-1992年• 大江戸弁護人・走る! 高島政宏 (テレビ朝日 1996年)• 原田龍二 TBS 2000年• 加藤剛 (TBS 1970年-1999年)• 北大路欣也 テレビ朝日 2005年• 東山紀之 NHK 2013年• 徳川の夫人たち 佐久間良子 NET 1967年• (関西テレビ 1968年)• (三益愛子・三田佳子 関西テレビ 1970年• 藤純子 (関西テレビ 1970年)• 大奥の女たち 御影京子・喜多川千鶴 関西テレビ 1971年• 有馬稲子・片岡孝夫 (東京12チャンネル 1971年)• 大奥 中山仁・三益愛子 関西テレビ 1972年• 徳川の夫人たち 生田悦子 フジテレビ 1974年• フジテレビ 1980年• 栗原小巻 (関西テレビ 1983年)• 大原麗子 NHK 1989年• 菅野美穂 (フジテレビ、2003年)• 松下由樹 フジテレビ 2004年• 内山理名 フジテレビ 2005年• 宮崎あおい NHK 2008年• 多部未華子 TBS 2012年• 村野武範 (毎日放送 1973年)• 山崎努 (フジテレビ 1972年)• 田中邦衛 (フジテレビ 1991年)• 若山冨三郎 (日本テレビ 1973年)• 中村敦夫 (朝日放送 1974年)• 小林稔侍 (テレビ東京 1993年)• 林真一郎 朝日放送 1962年• 市川猿之助 フジテレビ 1964年• 平幹二朗・高橋英樹 NHK 1973年• 緒形直人 NHK 1992年• 玉森裕太 (テレビ朝日 2013年)• 小栗旬 (フジテレビ 2014年)• 男は度胸 浜畑賢吉 NHK 1970年• NET 1969年-1972年)• (NET 1975年)• (テレビ朝日1980年-1982年)• フジテレビ1989年-2001年)• あおい輝彦 (フジテレビ、1972年)• 伊吹吾郎 (関西テレビ 1976年• 父子鷹 中村竹弥 (TBS 1964年)• 島田正吾・若林豪 (関西テレビ 1972年• 松本幸四郎・市川染五郎 (日本テレビ 1994年• 高橋英樹 (フジテレビ 1971年)• おらんだ左近秘剣帳(テレビ東京 1991年)• 俺はども安 砂塚秀夫・青島幸男 フジテレビ 1965年• 小川真由美 (日本テレビ 1974年)• 久保菜穂子 NET 1969年• 女ねずみ小僧• 小川真由美 フジテレビ1971年-1974年)• 小川真由美 フジテレビ1977年)• 女ねずみ小僧 中原理恵 フジテレビ 1984年• 大地真央 (フジテレビ 1989年)• 水野真紀 テレビ朝日 1997年• 水野真紀 テレビ朝日 1998年• かたせ梨乃 (テレビ東京 1991年)• 佐藤浩市 (テレビ東京 1988年)• 大瀬康一 (TBS 1962年• 新・隠密剣士 林真一郎 TBS 1965年• 隠密剣士 萩島真一 TBS 1973年• 北大路欣也 (フジテレビ 1998年)• 稲垣吾郎 (NHK 2001年)• 三上博史 (フジテレビ 2002年)• 真野響子 (NHK 1980年• 沢口靖子 (テレビ朝日 1997年)• 高島礼子 (NHK 2003年• 快傑黒頭巾 若柳敏三郎 (日本テレビ 1958年• (フジテレビ1966年• 快傑黒頭巾 坂東八十助 (NHK 1976年• 潮哲也 (フジテレビ 1972年)• 三田村邦彦 (テレビ朝日 1996年)• 大沢たかお NHK 2013年• 江守徹 (毎日放送 1976年)• 山口崇 (毎日放送 1975年)• 千葉真一 (関西テレビ 1980年-1985年)• 山本耕史 NHK 2007年• 中村梅之助 (NHK 1977年)• 風 栗塚旭 TBS 1967年• 山城新伍 NET 1959年• 加藤剛 NHK 1976年• 風の三度笠 夏目俊二 関西テレビ 1961年• 佐藤浩市 NHK 2007年• 勝野洋 NHK 1979年• 風の武士 夏目俊二 関西テレビ 1960年• 勝海舟 坂東好太郎 日本テレビ 1958年• 勝海舟 江原真二郎 NET 1965年• 渡哲也・松方弘樹 NHK 1974年• 風雲児時宗 松本錦四郎 フジテレビ 1961年• 北条政子 佐久間良子 NET 1970年• 石坂浩二・岩下志麻 NHK 1979年• 和泉元弥 NHK 2001年• 上方武士道 早川恭二 関西テレビ 1961年• 上方武士道 鶴田浩二 日本テレビ 1969年• 尾上菊五郎 東京12チャンネル 1980年• 古谷一行 (フジテレビ 1990年)• 高橋光臣 (NHK 2014年)• 中村橋之助 (フジテレビ 1999年)• 坂口祐三郎 (関西テレビ 1967年)• 田村正和 (フジテレビ 1984年)• 風林火山 原保美 NET 1959年• 倉丘伸太郎 読売テレビ 1966年• 石坂浩二 NHK 1969年• 風林火山 東野英治郎 NET 1969年• 中井貴一 NHK 1988年• 内野聖陽 NHK 2007年• 山口崇 (フジテレビ1973年)• 市川染五郎 (関西テレビ 1979年)• 中村吉右衛門 (東京12チャンネル 1980年)• 近藤正臣 (朝日放送 1974年)• 天知茂 (フジテレビ 1979年)• 山崎努 (フジテレビ 1995年-1996年)• 中井貴一 (NHK 2013年・2015年)• 鞍馬天狗 市川高麗蔵 ラジオ東京テレビ 1956年• 鞍馬天狗 市川団子 ラジオ東京テレビ 1960年• 鞍馬天狗 中村竹弥 TBS 1963年• 鞍馬天狗 大瀬康一 毎日放送 1967年• NHK 1969年• 日本テレビ 1974年• テレビ東京 1990年)• NHK 2008年• 大瀬康一 朝日放送 1968年• 岡田准一 (NHK 2014年)• 片岡千恵蔵 NET 1971年• 高橋英樹 NHK 2004年• 剣・天下一の剣豪 丹波哲郎 (日本テレビ 1967年)• 杉良太郎 (テレビ東京 1992年)• 松方弘樹 関西テレビ 1975年• 加藤剛 (フジテレビ1973年)• 中村又五郎 (フジテレビ1983年)• 藤田まこと (フジテレビ1998年)• 北大路欣也 (フジテレビ2012年-)• 西郷輝彦 テレビ朝日1982年)• 源氏物語 伊丹十三 毎日放送 1965年• 北大路欣也 (テレビ東京 2008年• 三船敏郎 (日本テレビ 1975年)• 幻之介世直し帖 小林旭 日本テレビ 1981年• 剣は知っていた 早川恭二 関西テレビ 1965年• 上野樹里 (NNK 2011年)• 団令子・三橋達也 NET 1966年• 功名が辻 檀ふみ・宅麻伸 テレビ朝日1997年• 仲間由紀恵・上川隆也 NNK 2006年• 三船敏郎 NET 1972年• 夏木陽介 NET 1973年• 五街道まっしぐら 村野武範 NET 1976年• 1972年-1973年 1977年-1978年• 中村敦夫 (フジテレビ 1972年)• 新・木枯し紋次郎 中村敦夫 (東京12チャンネル 1977年• 渡辺謙 (フジテレビ1995年)• ご存じからす堂 三橋達也 フジテレビ 1967年• 萬屋錦之介 (日本テレビ 1973年)• 北大路欣也 (テレビ朝日 2002年• 松山容子 大阪YTV 1960年• 三船敏郎・宝田明 日本テレビ 1968年• 藤純子 フジテレビ 1969年• 国仲涼子 NHK 2001年• 幕末物語 坂本龍馬篇 和崎俊哉 毎日放送 1959年• 青年 維新編 渦潮 坂本龍馬伝 戸浦六宏 NHK 1961年• 中野誠也 毎日放送 1965年• 北大路欣也 NHK 1968年• 浜田雅功 日本テレビ 1996年• 福山雅治 NHK 2010年• 左近右近 立花伸介 ラジオ東京テレビ 1959年• 入川保則 読売テレビ 1962年• 東千代之介 毎日放送 1965年• 薩摩飛脚 坂東吉弥 日本テレビ 1958年• 勝新太郎 フジテレビ1974年)• 勝新太郎 フジテレビ1976年)• 倉丘伸太郎 (フジテレビ 1964-1965年)• および 猿飛佐助を含む• 猿飛佐助旅日記 千葉栄 ラジオ東京テレビ 1955年• 忍術真田城 小林重四郎 日本テレビ 1957年• 無敵真田十勇士 谷本さとし 日本テレビ 1961年• 天下の暴れん坊・猿飛佐助 沢村精四郎 NET 1961年• 真田三銃士 高峰圭二 関西テレビ 1962年• 品川隆二 NET 1964年• 高田浩吉 朝日放送 1964年• 真田幸村 中村錦之助 TBS 1966年• 熱血・猿飛佐助 桜木健一 TBS 1972年• 太川陽介 日本テレビ 1980年• 三浦浩一 NHK 1980年• 渡瀬恒彦 NHK 1985年• 北大路欣也 テレビ東京 1989年• 伊藤淳史 NHK 2012年• 堺稚人 NHK 2016年• さむらい飛脚 大友柳太朗 NET 1971年• さすらいの狼 萬屋錦之介 NET 1972年• 岡田茉莉子・藤村志保・栗原小巻 (NHK 1967年)• 目黒祐樹 (テレビ東京 1990年)• テレビ朝日 1987年-1995年 2002年• 高橋英樹 (テレビ朝日 1987年)• 高嶋政伸 (テレビ朝日 2002年)• フジテレビ 1963年-1969年 1970年• 丹波哲郎・平幹二朗・長門勇• 安藤昇・高森玄・長門勇• 北大路欣也 NET 1972年• 次郎長売り出す 早川恭二 関西テレビ 1961年• 俺ら次郎長 橋幸夫 TBS 1961年• 次郎長三国志 安井昌二・天知茂 フジテレビ 1964年• 中野誠也 NET 1968年• 竹脇無我 フジテレビ 1971年• 鶴田浩二 NET 1974年• 中村雅俊 NHK 2006年• しゃっくり寛太 藤山寛美 朝日放送 1960年• 十手人 高嶋政伸 (テレビ朝日 2001年)• 高橋英樹 (日本テレビ 1975年)• なべおさみ・藤岡琢也 TBS 1971年• 若山富三郎 NET 1975年• 三田村邦彦 (テレビ朝日 1990年)• 三田村邦彦 (テレビ朝日 1996年)• 三ツ木清隆 (日本テレビ 1973年)• 大瀬康一 朝日放送 1969年• 大沢たかお (TBS、2009年 2011年)• 細川俊夫 日本テレビ 1958年• 新吾二十番勝負 夏目俊二 関西テレビ 1961年• 田村正和 TBS 1966年• 松方弘樹 関西テレビ 1970年• 杉良太郎 (日本テレビ 1977年-1982年)• 新釈諸国ばなし 伊藤雄之助 日本テレビ 1958年• 幕末物語 近藤勇と桂小五郎篇 小柴幹治 毎日放送 1959年• 風雲新選組 嵐寛寿郎 フジテレビ 1961年• 中村竹弥 TBS 1961年• 栗塚旭 NET 1965年)• 内田良平 東京12チャンネル 1966年• 栗塚旭 NET 1970年• 鶴田浩二 フジテレビ1973年• 平幹二朗 TBS 1977年• 高橋幸治 NHK 1983年• 渡哲也 テレビ朝日 1998年• 香取慎吾 (NHK、2004年)• 永井大 NHK 2011年• 助左衛門四代記 宇野重吉 朝日放送 1968年• 素浪人シリーズ NET 1965年-1974年• 近衛十四郎・品川隆二 (NET 1965年)• 近衛十四郎・品川隆二 (NET 1969年)• 近衛十四郎 NET 1973年• 近衛十四郎 NET 1973年• 仲代達矢 NHK 1993年• 銭形平次捕物控 若山富三郎 ラジオ東京テレビ 1958年• 銭形平次捕物控 安井昌二 TBS 1962年• フジテレビ1966年-1984年 )• 日本テレビ 1987年• フジテレビ1998年• 銭形平次 村上弘明 テレビ朝日 2004年• 若尾文子・岩下志麻・星由里子 TBS 1969年• 戦国無宿 夏八木勲 大阪YTV 1967年• 梶芽衣子 (フジテレビ 1973年)• 千姫 藤村志保 NET 1966年• 中村梅之助 (東京12チャンネル 1979年)• 大助捕物帖 市川染五郎 日本テレビ 1958年• 大盗賊 丹波哲郎 フジテレビ 1974年• 平幹二朗 ラジオ東京テレビ 1961年• 宗方勝巳 朝日放送 1963年• 竜巻小天狗 高峰圭二 関西テレビ 1960年• 旅がらすシリーズ NET 1968年-1971年• 松山容子 NET 1968年• 花園ひろみ NET 1969年• 宮園純子 NET 1970年• 小林旭 (関西テレビ 1980年)• 杉良太郎 (東京12チャンネル 1973年)• 中村梅之助 (テレビ朝日 1977年)• 丹下左膳 丹波哲郎 日本テレビ 1958年• 丹下左膳 辰巳柳太郎 フジテレビ 1960年• (TBS 1965年• (TBS 1967年• (NET 1970年• 丹下左膳 高橋幸治 日本テレビ 1974年• 忠臣蔵の人々 市川段四郎 ラジオ東京テレビ 1956年• 赤穂浪士 柳永二郎 NET 1959年• 長谷川一夫 (NHK 1964年)• 山村總 関西テレビ 1969年• 三船敏郎 NET 1971年• 石坂浩二 (NHK 1975年)• テレビ朝日1979年• 緒形拳 (NHK 1982年)• 北大路欣也 フジテレビ 1996年• 中村勘九郎 (NHK 1999年)• 松平健 テレビ朝日2004年• 北大路欣也 NHK 2004年• 武井咲 NHK 2016年• 里見浩太朗 (テレビ朝日 1979年)• 里見浩太朗 (日本テレビ 1983年)• 痛快 河内山宗俊 勝新太郎 フジテレビ 1975年• 堺雅人 (NHK 2011年)• 山本陽子 (テレビ東京 1990年)• 月影剣法 江見俊太郎 日本テレビ 1958年• 村上弘明 (テレビ東京 1989年)• 藤田まこと (朝日放送 1962年-1968年)• 沢口靖子 (フジテレビ 1990年)• 山口崇 (NHK 1971年)• 篠田三郎 (NHK 1973年)• 高田浩吉 朝日放送 1968年• 中村梅之助 日本テレビ 1973年• 中村梅之助 テレビ朝日 1979年)• 妻夫木聡 (NHK 2009年)• 朝日放送 1971年• 片平なぎさ (テレビ朝日 2003年)• 栗塚旭 NET 1969年• 杉良太郎 (フジテレビ 1981年)•

次の