カミュ ペスト あらすじ。 ペスト (小説)

カミュ「ペスト」を読みました(読書感想文フル)

カミュ ペスト あらすじ

今回感想文という形としてまだまとまってはいません(爆)が、とりあえずお気に入りシーンの紹介という形にしてだらだら書いてみました。 さてさて今回も先生を召喚します。 このおはなしについては、あらすじより、概略のがわかりやすい。 が書いたフランスの小説。 出版は1947年。 ペストに襲われたのオラン市を舞台に、苦境の中、団結する民衆たちを描き、無慈悲な運命と人間との関係性が問題提起される。 医者、市民、よそ者、逃亡者と、登場人物たちはさまざまだが、全員が民衆を襲うペストの脅威に、助けあいながら立ち向かう。 舞台設定はのある街に、ペストが流行って住民がバタバタ死んでしまってさあ大変・・・ はじめはそのこと(ペストの出現)に気づきすらしない群集心理がパニックに陥ったり思考停止したり、それと並行してそれなりの日常も淡々と営まれ・・・という感じで年代記風に淡々と書かれていて、結構こあかったりもします。 災害ということで、の経験が被って色々と思いだしたり、考えさせられるシーンも多い。 正直ですね、どの局面について感想文書くかからまず迷ってしまいます。 読みがいがあるとはこのことですねー、おすすめですよー。 ================= 本日の登場人物紹介。 リウーさん。 主人公(といっていいのかはわかりませんが、このひと中心に物語は進行していきます。 )このひとは大人そのものというか、単独者の生き様という奴を背中で語る系というか、とにかく君です。 多少ココロの揺れなどもあるのですが、それを決して表に出すことはせずに超冷静に自分のすべきことに医師として向き合います。 そして(後述しますが)やさしい。 かっこいいの一言です。 憧れにはなっても、私には感情移入の余地はありませんw• 住民の観察日記をつけている根っからの異邦人。 自分で何かできることはないかと考えた末、リウーさんとともに保健隊を結成しちゃうように実行力に溢れた人。 こちらはある意味でリウーさん以上にガチの単独者かと踏んでいます。 ランベール君。 フランス人の青年。 たまたま取材でこの街に来た新聞記者。 ペストで封鎖された街からどうにか逃げ出して恋人の待つパリに帰りたい。 フランスだけに!彼女に会えないのがツラすぎて、どうしたら関所を突破できるかアングラな方法まで手段を選ばず探し回って苦労している。 ペストと対峙する医者リウーさんを尊敬していて、保健隊の活動に協力していない自分を少し後ろめたく思っている節がある。 そして本日ご紹介する場面はこちら、 ランベールさんが街の脱出にどうしてもうまく行かなくて落ち込んでしまうシーンより。 しかし、どうも死ねないような気がするな、今は」 (ランベール)「そうでしょう。 そのくせ、あなたがたは一つの観念のためには死ねるんです。 それはありありと目に見えてますよ。 ところがです、僕はもう観念のために死ぬ連中にはうんざりしているんです。 僕はヒロイズムというものを信用しません。 僕はそれが容易であることを知っていますし、それが人殺しを行うものであったことを知ったのです。 僕が心をひかれるのは、自分の愛するもののために生き、かつ死ぬということです」 リウーは新聞記者(ランベール)の言葉を熱心に傾聴していた。 でもね・・・ ランベール君はそう言われてどうするかというと、激昂します。 「観念ですよ、それもちっぽけな!」と切れはじめてしまうんですね。 リウーさんはキレたことに対して何も言いません。 淡々と「あなたは間違ってません」と言う。 (リウー)「君のいうとおりですよ、ランベール君、まったくそのとおりです。 ですから、僕は、たとい何もののためにでも、君が今やろうとしていることから君を引きもどそうとは思いません。 それは僕にも正しいこと、いいことだと思えるんです。 これは誠実さの問題なんです。 こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、しかしペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」 誠実さ=職務を果たすこと と考えるというリウーさんに、ランベール君は迷いを吐露する。 (ランベール)「僕には何が自分の職務だかわからない。 「君は間違ってはいませんよ」 実はリウーさんの奥さんはペストではない病気になって遠くの療養所にいるのだ。 ここ非常に感動したシーンのひとつなんですがー、実際のところこの小説はこういう目立つシーン でない部分 にもっと大きなキモを置く憎い構成で、そっちについてはまた別の機会に語ることにしたいと思います。 リウーさんが、恋人のもとに駆け付けたい気持ちでいっぱいのランベール君のことを応援する気持ちはおそらく本物だ。 だから、力をこめて、彼はランベール君の言葉を即座に否定する。 小説のかなり冒頭にリウーさんが療養所に発つ妻を送るシーンがある。 彼は妻が病気になったことについて「自分がほったらかしにしたせいで」と謝る。 だから、彼からしたら、ヒロイズムとして「いいほう」に立っている訳では全然なく、むしろ愛するひとを病気にした立ち位置にいるのが自分なのだ。 今まで妻が半分手遅れになる位までほったらかしにしておいて、 そうまでして自分の職務とやらに専念しておいて、 いざ手遅れになったからといって慌てて手の平返しをして職務をなげうつのでは、今まで妻をほったらかしにしておいたこと自体を愚弄することになってしまう。 自分のやったことについて責任をとるというのは、 (何があろうとも)これが私の意図した成果なのだと、 そういうことで・・・ それが誠実さという単語で表されているのだと思う。 往診やら病院の運営やらに粛々と迷いなく取り組むように見えるリウーさんは、時折届く療養所からの電報を大事に何度も読み返している。 医者として誠実にペスト禍という事態に向き合っているという誇り、そして、妻もそんな自分を信じてくれているという信頼感を、一時の感情のままに台無しにしてしまわないように、彼は誠実に職務に専念し続けなければならない。 そういう彼の業としての「枷」、そういう縛りのないランベール君はせめて彼の愛を自由に貫いてほしいと心底リウーさんは願っているようにも見えるといったら言い過ぎだろうか。 自分が信じた道を信じて進むべきだと若者に説くリウーさんの言葉はおそらく若き日のリウーさん自身に向けたものでもあるのだろう。 描かれないので推測だけれど、リウーさんが若いランベール君の言葉を熱心に聞くのは、彼自身の悩んだ時代に似ているからではないかと、 だから、ランベール君のめちゃくちゃなやつあたり(引用では略したけれど、結構ランベール君はやけっぱち状態でリウーさんとタルーさん両名をヒーロー気取り呼ばわりする)に対して、彼は一切の言い訳というか誤解を解こうということはしない。 そういう発言を受けて、「疲れた様子」で黙っているだけだ。 それだけ言った瞬間に飄々と部屋を出ていく。 自分の周りに起きていることに対して、どう動くのかはそれぞれの個人にゆだねられた自由で、好きなように選択すべきものなのだ。 ランベール君同様、 文中で「職務」と表現されたそれは私の中でもまだよくわからない。 それで、保健隊への協力も出来る範囲でしていこうと考えを改めた。 自分が大事にしたいのは「観念(=誰かのために)」ではなく「現実(=自分のために)」なのだと、より確からしい道を行くことに決めたのではないかと、思った。 人間は、観念なんかではなくて、現実に生きているんですよ、と だからこそ、 ヒロイズムが欺瞞だと見抜いた自分をきちんと信じてください、と あくまでもやさしくリウーさんは若者に語りかけた。 「人間は観念じゃないですよ」 人間は観念じゃ ない、 そうだよ、ねー・・・ ==================== のひとつです。 (はペンで線を引くよりは見られても恥ずかしくないのでおすすめ!) 自分でもびっくりするのだけれど、実はというかぁやはりというかぁ、まだ半分しか読んでいないんですよー。 半分の感想ですが、「人間は観念じゃないですよ」といわれた(いわずもがなで私はランベール君にそっくり感情移入してしまってますから、半分、私がそう言われた位の気分での思考回路になってます)私的クライマックス、これがどういう意味なのか一週間くらいは余裕で考えるおかずになっていました。 いや、色々忙しかったのもあるんだけど・・・ 私は燃費よすぎだと思う(号泣)本が読み終わんないw こんなんじゃ読書会に参加できないw が、がんばれww それはそうと、感情移入というものは自分にインストールされている色々の中でもなかなかよいシステムだとしみじみ思う、 これ共感というものとも違うんではないかと、 その誰かに「なりきる」ことは、「なる」ことではなくて・・・その分、立ち位置が客観的でいられる分、冷静な判断に基づいた方針を打ち出せる。 且つ前提としてその人物に対して寄り添う立場でもある。 (=弁護士) 感情移入は、単純にその人に「なる(=共感する)」に留まらず、「自分がその人になって、どう動くか」まで含んだ能動的な言葉ではないかな(共感=感情移入としている辞書もあるけれど、違うくないか) 私は一般的に自分自身というものを完全に許すことはやっぱり難しいことだと考えている。 まー私だけなのかもしれないけれども、普通、お釈迦様でも超人でもいいけどそこまで悟れる人なんていないでしょ。 完全に自分の味方(弁護士)になれない分は、裁判官だの検察官だの自分(ないし、自分を投影した誰かまたは社会、世界)を責める構造になってしまう。 責めているだけでは「~~が悪い」で思考停止するので不毛だ。 「~~すればいいじゃん!」とか「~~しないのが悪い」でも論調が責める系ならみんな同じね。 そう「してみよう」と思えないこと自体が問題なんだから。 何らかの解決を本気で望むのであればまず、責められた場合の弁護士的なが自分の中で出来てないと話が次の段階に進めない。 で、難しい、その直接自分に対するアプローチという奴ができない場合の有効策が、純文学でも映画でもブログ読むでも人の相談に乗るでもなんでもいいんだけど、感情移入システムだと思う。 一旦自分の全部ないし一部を誰かに仮託した上で冷静に解決策を模索して、それをあとから自分にも適用するというか。 自分だったらこうするのにな、を そうか自分もこうしよう、まで、直接の自分裁判をすっ飛ばして持って行けるんだから、活用しない手はないでしょう、と。 そんな風に思います。 本読むの楽しいよー。 (疲れるけど・・・) 今日はここまでです。 おやすみなさいー denkilemon.

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『ペスト』アルベール・カミュ 僕らは不条理の世界を生きている

カミュ ペスト あらすじ

例)マリイとの再開 ママンが他界して主人公は、葬儀に行く。 医務室に横たわる亡きママンと再開する。 そこで主人公は、看守にタバコを一本進める。 それから艦首はミルクコーヒーを飲まないかと、主人公に聞く。 主人公はミルクコーヒーが大好きなのでミルクコーヒーを喜んで飲んだ。 次の日葬儀の行列に主人公は参加する。 ママンの恋人(老人)も特別に参列を許可される。 老人ホームでは、お年寄りが一人亡くなる毎に周りに心配が広がります。 ですので、ママンの恋人が参列に参加出来たのは、例外である。 祈りの時間、鼻をかむ音がした。 ママンの恋人が泣いていたのだ。 それに対して主人公は無感動で涙一つ流さなかった。 葬儀が開けて主人公はようやく気づいた。 金、土、日、三連休休みをとっていたのだ。 上司の浮かない顔をしていたわけが分かった。 だけどこれは俺のせいではない。 ママンのせいだと主人公は考える。 休みの残りに海水浴に出かける。 そこでマリイと再開した。 友情 主人公はマリイと再開して海水浴を共に楽しんだ。 マリイの胸が主人公に触れた。 彼らは海の上に横になり人生を楽しんだ。 マリイが教えた。 海の水を口いっぱいに入れて、それを勢いよく吹き出すときれいな虹が出来ると。 二人は楽しんだ。 そして帰りに映画に行った。 喜劇映画のフェルナンデルを二人でみた。 お互い足を寄せ付けあった。 帰り主人公のう家にマリイは泊まった。 次の日友人のレエモンにあった。 レエモンはアラブ人の愛人が自分のお金お無駄に使ってると言っていた。 何か良い懲らしめ方はないかと主人公に相談した。 そこで主人公は巧みな懲らしめ方をレエモンに伝えた。 レエモンはそれを見てお前は仲間だと言い、その夜はソーセージにワインを飲んだ。 額の脈がズキズキした。 明くる日、レエモンの部屋で女性の叫び声が聞こえた。 すぐに警察が来て、レエモンに事情を聞いた。 警察はレエモンの顔を平手で叩いた。 そしてレエモンを女衒だと言った。 しかしレエモンは倉庫係だと言った。 向かう途中アラブ人がこちらを睨んだいるのをみた。 レエモンの恋人の兄弟もそこにいた。 マリイは大変心配していたが、レエモンは大丈夫だといい、三人は海に向かった。 海にはレエモンの友達の別荘があり三人はそこの主人と奥さんと食事を楽しんだ。 それから皆で海で楽しんでいたら匕首を持ったアラブ人が近づいてきた。 レエモンは戦闘にたち、匕首を持ったアラブ人に挑んだ。 何かあった時はこの拳銃でアラブ人を始末してくれとレーモンは主人公に拳銃をわたす。 レエモンはアラブ人と喧嘩して腕と口を匕首で切られた。 レエモンはかなり興奮していた。 しかし大した怪我ではなかった。 主人公は太陽の光におびき寄せられるかの如く、海岸をふらふら歩く。 するとさっきレエモンと喧嘩した匕首のアラブ人に出くわす。 二人の距離はだんだん縮まる。 主人公の頭は太陽でぼんやりしていた。 主人公は色々取り調べをされた。 色々ときかれた。 最終的にはあなたは神を信じていないと検察官は激怒して、軽い罪ですむはずのものが死刑へと発展した。 ママンとあって感動しなかったこと、ミルクコーヒーを飲んだ事、海水浴に行った事、帰りに喜劇映画を見たこと、レエモンの悪巧みに下端したこと、すべてが死刑の原因となった。 死刑の前日牧師さんが来て、貴方のように素直な方はきっと天国に行かれると言ったものの、逆上し追い返してしまう 主人公はただ可能性が欲しかった。 少しでも長く生きること、死刑の前日の恐怖、眠らないで少しでも人生を生きよう。 もしかなりの確率で死んで、少しの人が生きられて、生きられれば、生きることができる薬、ギロチンが壊れないだろうか、そしてマリイのこと、最初はなんとも思ってなかったが、死ぬ前になると恋しくなる。 最後に会いたい。 生きたい。 世の中は不条理だそして人生は残酷だ。 異邦人 を読んだ読書感想 カミュの不条理の哲学の作品です。 代表的な作品です。 無感動な主人公、そして情動のある社会。 主人公はそんな中に生きている。 何かがおかしい。 どうして普通の人が生きるように生きることが出来ないのか。 世の中のアウトサイダーを描いた作品です。 当たり前の事が当たり前ではない。 そんなことって良くありますよね。 異邦人の主人公はそれをあまりにも、強く意識していたようです。 カミュはこの主人公を愛を込めて制作したそうです。 カミュ哲学の集大成といえるでしょう。 カミュは不幸にして交通事故でなくなりましたが、もし生きていれば、もっと良い作品をたくさん残したと思われます。

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コロナがこれからどうなるか?それはカミュの「ペスト」を読むと解ります!|ネコ缶さとこの読書は楽し

カミュ ペスト あらすじ

異邦人の執筆背景・読み方の解説 カミュ(出典:Wikipedia) 次に、本作の時代背景や読み方の解説を行っていきます。 この作品を読みこなすためにはカミュの思想や価値観を理解することが必要だと感じるので、そのあたりに注意しながら読んでいただけますと幸いです。 宗教や実存主義、共産主義と全てを否定する物語 まず、この作品がタイトルにもあるような既存の「思想」を片っ端から否定していく小説であるということは頭に入れておくべきです。 実際、カミュは無神論者としても著名で、キリスト教的な世界観を重んじる西洋社会においては相当な「異邦人」と見なされたことでしょう。 ましてや、既存の「思想」、言い換えれば「権威」そのものに絶えず喧嘩を売り続けてきたわけですから、それは生きづらい生涯を送ったに違いありません。 つまり、この本で描かれている内容は 「太陽がまぶしかったから人を殺した青年の話」ではなく、 「人を殺した理由を『太陽がまぶしかったから』と説明しなければならなかった青年の話」と言い換えられるわけです。 作中でも示されているように、主人公のムルソーはその考えを一切理解されることはありません。 彼は社会的な「慣習」を守らないために、裁判でさえ何も取り合われることなく人類の敵だと言わんばかりに糾弾されていきます。 この描かれ方は、恐らくカミュが自身の目を通して見た「世間」そのものを比喩しているのでしょう。 つまり、見方によっては『異邦人』という小説が私小説的な色彩を帯びているともいえるわけです。 冒頭の一文や「太陽がまぶしかった」など、象徴的なフレーズが非常に多い 端的に言ってしまえば、この作品は「理解されないという名の不条理」を描いたものと個人的に考えており、その部分に関しては非常に好みの内容になっていると思います。 ただ、本作が傑作として称されるのは単純にそれを描いたというだけではないのです。 その点を示す根拠として、日本語訳でも分かるように 「印象的なフレーズ」が非常に多いという特徴があります。 例えば、そもそも書き出しの一文が、 「きょう、ママンが死んだ。 」 という強烈な短文によって構成されており、他にも殺人の動機として 「太陽がまぶしかったから。 」 と語るなど、普通に考えれば「おいおい…」と言いたくなるような印象的な表現が用いられています。 しかし、これらのフレーズに象徴されているようなムルソーの「常識外れぶり」は、あくまで我々がそれを見た上での感想であることに留意しなければなりません。 つまり、ムルソーという人間にとって、 ・母の死に何の感慨もなく遊びふけること ・太陽がまぶしかったから人を殺すこと ・死刑を目前にしても飄々としていること は、どれもが彼にとっては「当たり前」のことであり、それを否定する我々こそが「異邦人」に他ならないのです。 では、どうして我々の価値観が受け入れられてムルソーの価値観は受け入れられないのか。 端的に答えてしまえば、それは我々が「多数派」であるからに他なりません。 母が死ねば喪に服し、人を殺すには極めてひっ迫した理由を必要とし、死刑が近づけば泣き叫ぶ。 これが我々にとっての「常識」であり、言い換えれば「宗教」そのものなのです。 カミュはそうした既存の価値観に疑問を投げかけているのですね。

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