ネオ 麦茶 事件。 谷口誠一(ネオ麦茶)の現在!西鉄バスジャック事件の犯人の顔写真や動機・家族やその後まとめ

西鉄バスジャック事件の犯人のその後/現在は【ネオ麦茶事件】

ネオ 麦茶 事件

西鉄バスジャック事件の特徴をわかりやすく解説! 2chでネオ麦茶と名乗った犯人の少年のその後は? 18年前のGW、一瞬にして全ての乗客を 恐怖に陥れた西鉄バスジャック事件が 発生した。 犯人は2chでネオ麦茶と名乗る17歳の 少年だ。 西鉄バスジャック事件を起こす前、 ネオ麦茶のハンドルネームで2chに 犯行予告まで残している。 犯人の少年はその後どうなったの だろうか? また、被害者のその後も気になる。 西鉄バスジャック事件について順に説明 して行く。 西鉄バスジャック事件とは? 西鉄バスジャック事件が発生したのは 2000年5月3日の事だ。 佐賀県佐賀市と福岡県福岡市を結ぶ 高速バス「わかくす号」の車内で 悲劇は起きた。 定刻通り12:56に出発したバスは順調に 走っていた。 しかし、13:35頃、刃渡り約40センチの 牛刀を手にした少年が突然運転手を脅し わかくす号をジャックしたのである。 これが西鉄バスジャック事件の始まり だったのだ。 その後、バスは九州自動車道から山口県 の山陽自動車道へと向かって行く。 走行中のバスの窓から飛び降りる等して 逃げ出した乗客がいた事で、犯人の少年 は「連帯責任」と称して2人の女性に 牛刀で危害を加えた。 広島県の小谷サービスエリアにて 警察の機動隊やSATの出動により犯人の 少年は取り押さえられ事件は収束を 迎えたが、3名の犠牲者を出す結果と なったのだ。 西鉄バスジャック事件は日本で初めて 絶命する被害が出てしまった バスジャック事件である。 また、犯人の少年が2chでネオ麦茶と 言うハンドルネームを使用していた為に 2ch等では「ネオ麦茶事件」と呼ばれる 事もある。 事件の世間への影響 西鉄バスジャック事件前後に少年犯罪が 増加した為、世間の注目は少年法に 集まった。 西鉄バスジャック事件で犯人の少年は ネオ麦茶と言う名を用いて2chで犯行 予告を行っており、計画的な犯行だ。 さらには3名の犠牲者を出す悲惨な 事件である。 しかし、少年法が適応される為、 成人が犯罪を起こす場合よりも罪は 軽減されている。 その後、犯人の少年は名前を変え、 社会に復帰している様だ。 次章では、犯人の少年や被害者のその後 について説明しよう。 スポンサード・リンク 西鉄バスジャック事件の犯人の少年のその後は?? 西鉄バスジャック事件は日本史上最悪の バスジャック事件と言えるだろう。 犯人の少年は普段からネオ麦茶の名を 使って2chへの書き込みを行っていた。 そして事件に関してもネオ麦茶の名で 犯行予告と取れる書き込みを2chに 残している。 西鉄バスジャック事件と言う悲惨な事件 を起こした犯人の少年はその後どうなった のだろうか? また、被害者のその後についても 取り上げる。 逮捕された少年のその後 西鉄バスジャック事件で逮捕された少年 は裁判の結果、医療少年院に送られる 事となった。 少年が収容されてから5年後の2006年 には医療少年院を仮退院し、現在では 社会に復帰している。 名前を変えて生活していると言う情報も ある為、恐らく養子縁組等を利用して 名字を変えたのだろう。 犯人の元少年は2018年現在では 35歳になっており、 この社会のどこかで罪を償いながら 生活しているのだ。 被害者のその後 西鉄バスジャック事件では被害者である 21名の乗客から3名の犠牲者が出た。 被害者がバスから逃げ出した際に、 連帯責任と称して女性に危害を加えた 為、事件時に逃げ出した乗客は同じ 被害者でありながら責められる立場と なっていた。 だが、事件の当事者ではない我々に 逃げ出した乗客を責める権利は無い。 また、危害を加えられたが一命を取り 留めた女性は、事件後に犯人の少年と 面会している。 この女性の息子も犯人の少年と同様に 不登校の経験があった為、犯人の境遇を 理解し、同情するに至ったと言う。 そして、女性は少年が少年院を機に 生まれ変わって、罪を償って欲しいと 願ったそうだ。 スポンサード・リンク まとめ 西鉄バスジャック事件について振り 返って来た。 事件からは18年が過ぎたが、GWに なるとテレビ番組で取り上げられる 事もあり、大きな影響を残したと言える 事件だ。 この事件後にはバスジャック対策等も 再考される事となった。 二度とこの様な悲惨な事件が起きない 事を願うばかりである。 サカモトマユ 編集後記 一部の人たちは犯人であるこの少年の 現在の住所や指名、職場などを 知りたがる様だが、道徳上、 好ましい行動とは言えない。 特に少年犯罪の場合には例外なく、 ネット上で詮索されているが、 それらを知ったところで、 何をどうすると言うのだろうか。 筆者の知人は、酒鬼薔薇聖斗が、 名前を変えて自分と同じ街に 引っ越してきたというネット情報を知り ひどく心配していた。 特に家族を持つ者にとっては、 そういった重大な前科を持つ人が 近所にいるだけで不安に成るのだろう。 だが、恐らくそのネット情報には、 何の確証も無いだろうし、万が一、 自分の近所に住んでいるとしても 再犯を心配するのは過剰反応と言える。 名前を帰る必用がある様な重大な前科を 持つ人たちは、身から出た錆とは言え、 生きづらい人生を余儀なくされている。 昨今の狂った時代には、前科者の再犯 よりも、初犯で重大事件を起こす人の 方が圧倒的に多いという事を、 知っておくべきだろう。 hike Wikipedia excite. ニュース 2ch.

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【西鉄バスジャック事件】犯人谷口のその後、現在は?山口由美子の想いは届いてるか

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神戸連続児童殺傷事件(1997年)を起こした「少年A」や、西鉄バスジャック事件(2000年)の「ネオむぎ茶」、そして、土浦連続殺傷事件(08年)の金川真大、秋葉原事件(08年)の加藤智大。 日本の犯罪史上に深く刻み込まれたこれらの事件の犯人たちは、1982~83年にかけて生まれた同世代だ。 思春期には「キレる14歳」「キレる17歳」と言われ、社会から「不気味な若者」というまなざしを向けられてきたこの世代。 そんな世代の特徴を、時代的な背景から浮き彫りにしたのが、83年生まれの佐藤喬氏による著作『1982 名前のない世代』(宝島社)だ。 思春期の頃には、当時の大人たちから多くの言葉が投げかけられ、さまざまな分析を施されてきたにもかかわらず、彼らには「ロスジェネ」や「ゆとり」といった世代を代表する名前が存在しない。 いったい、82~86年にかけて生まれたこの「名前のない世代」とは、どのような存在なのだろうか? 「大人になれない」「オタク」「共感」といったキーワードから、この世代の特徴が浮かび上がってきた。 まず、この本を書いたきっかけから教えてください。 佐藤 僕の世代の上にはロスジェネ、下にはゆとり世代がいる。 彼らについての本はたくさん書かれているのに、この世代についての本がないのはなぜだろうと不思議に思っていたことが発端でした。 特に昨年、元少年Aの名義で『絶歌』(太田出版)が出版されてからは誰かが書くのではないかと思っていたのですが、やはり書かれない。 本書を執筆していてわかったのは、書かないのではなく、書きたくないということ。 この世代は、世代論を避けてきたのかもしれません。 同じ世代を生きてきた人間として、「書きたくない」という気持ちはとてもよく理解できます。 佐藤 僕も正直言って、世代論は嫌いですし、子どもの頃も、大人たちに対しては「勝手なことを言いやがって」という気持ちがありました。 もちろん、僕らの世代を批判するような論調のものには反抗したくなる一方、好意的な論調も気持ち悪かったんです。 神戸連続殺傷事件のとき、少年Aの犯行声明文について「文学的」などという意見を述べていた大人たちもいたのですが、僕は「いや、単なる中二病だろう」と思っていた。 もちろん、当時は中二病という言葉も生まれていませんが。 本書でも言及されている少年Aや、秋葉原事件の加藤智大、西鉄バスジャック事件のネオ麦茶などの犯罪者は、あくまでも特殊例です。 けれども、同世代としては、彼らに対してある種の共感も覚えます。 佐藤 今までの世代論は、無理やり共通項を見つけて語るか、特殊な個人に代表させて語ってきました。 でも、この「気分」を形にするためには、どちらも不適切だったんです。 だから、無理やり形に当てはめるのではなく、ぼんやりとしたものを浮かび上がらせながら共通項を探していきました。 同じ30数年間を過ごしてきたのだから、時代を示していくことで、世代の輪郭が浮かび上がってくるのではないかと考えたんです。 翌年には、13歳の少年がバタフライナイフで教師を刺殺した栃木女性教師刺殺事件が起こります。 その一方で、インターネットが普及し始め、世界が変わるかもしれないという希望が生まれた。 有権者となる00年代には小泉純一郎が総理大臣になり、新自由主義的雰囲気の熱を経てから、しかし格差社会の時代に突入していく。 加藤智大が事件を起こしたのは、社会人として仕事に慣れてきた08年です。 そして、われわれが20代後半を迎えると、東日本大震災(11年)が発生しました。 切れ目切れ目で、重要な事件が発生しているんです。 そしてこの後、2020年には東京五輪が控えている。 その背景には、多くの人間が「14歳」の当事者として『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)を見てきたことも関係しそうですね。 佐藤 この世代にとって、秋葉原はひとつのキーワードかもしれません。 加藤智大も金川真大も、事件前後には「メイド喫茶」に行っています。 00年代になると、オタクたちが、表舞台に登場していくんです。 97年に僕が初めて秋葉原に行った時には、マクドナルドと牛丼サンボくらいしか食べるところがなかったのに、どんどんと店も増えていった。 同時期に東浩紀の『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、01年)や、大塚英志の著作などが話題となり、オタクや「オタク的なもの」が社会で存在感を持った。 佐藤 ただ、『エヴァ』をはじめ、『ドラゴンボール』や『ファイナルファンタジー』など、この世代の代表的なコンテンツが「終わりそこねている」んです。 卒業できず、次に進めていない。 大人になりきれていないから、終わりそこねて「こじらせている」面はあるでしょう。 佐藤 そういったコンテンツを作ったのは、僕らの上の世代です。 ネットも2ちゃんも。 僕らの世代は与えられた世界の中で右往左往するばかりで、当事者になり損ねたんです。 いろいろな意味で、彼らの登場は衝撃的でした。 僕が20代前半のころは、やはり同世代の『電車男』にあるようにオシャレに四苦八苦していたのに、彼らは自然体な上に、センスがいい。 その衝撃は、僕らの世代でないとわからないかもしれません。 古谷経衡さんが書いていますが、SEALDsは政治の問題ではなく、文化運動として驚異的なんです。 佐藤 また、そんな彼らの活動に対して、上の世代が積極的に語りかけようとします。 知識人と学生とが政治やカルチャーを通じてつながる中、僕らの世代はその間で「名前のない世代」として孤立している気がするんです。 佐藤 同世代の人が書いた本書のレビューに散見されるのが、著者である僕のエピソードが書かれていないということ。 この本のような批評やノンフィクションには著者が出てこないのは当たり前なのに、本には自分語りがあるものだという前提があるんです。 この世代には、自分語りでこそコミュニケーションが成立すると思い込んでいる人が多いかもしれません。 どことなく、「共感」を媒介にしないと他者とつながれないという気分も抱えています。 佐藤 いわば「共感依存症」ですが、狭いクラスタの中で行われる共感は気分でしかないので、あっという間に敵対性へと反転して「炎上」を誘発します。 そうすると、クラスタの中にいることができず、追い出されてしまう。 だから、いつかクラスタを追い出されてしまうかもしれないという恐怖がある。 その典型が加藤智大ですね。 佐藤 加藤が、共感を求めていたから犯罪に走ったと言っているわけではありません。 ただ、彼は常に追放されるのを恐れながらも共感を求めて掲示板に出入りし、結局追い出された。 もしも、彼が共感に価値を認めていなければ、違う行動を取ったかもしれません。 佐藤 だから、この本を読んだ読者には共感をしてほしくない。 共感ではなく、違和感や驚きを受け取って、納得してほしいと思います。 この本は俗流世代論には否定的ですが、世代論を否定しているわけではありません。 時代がある以上、世代があるのは事実です。 ただ、表現しにくいというだけ。 でも、棚卸しをしないと、結局、出発できない。 だから、同世代に対しては「いったん整理して、卒業しませんか?」という思いも込めています。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]) あわせて読みたい•

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西鉄バスジャック事件の全貌! ネオ麦茶と名前が付けられた犯人のその後に迫る!

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2000年5月3日午後0時56分、佐賀駅バスセンターから福岡・天神行きの西日本鉄道高速バス「わかくす号」が出発した。 乗客をは15~16人ほど。 ゴールデンウィークということもあり、祖父母に会いに初めての1人旅をする少女、買い物に行こうとする若者、法事を終えて福岡に帰る人などがいた。 「天神には行くな。 このバスを乗っ取ります」 午後1時30分、九州自動車道大宰府インター付近に差しかかった頃、運転手の真後ろの席に座っていた少年が突然立ち上がり、落ちついた声でそう言った。 手には刃渡り30cmほどの牛刀を持っており、平野忠運転手(当時56歳)に突き付け、東に向かって走りつづけるように指示した。 「言うことを聞かないと、殺します」 少年は続いて、21人の乗客(途中で5人が乗りこんできた)の荷物を前に集めるように言い、全員を後ろの席に下がらせた。 この時、真ん中の方の座席で、少年に気づかず眠り続けている女性がいた。 東京在住の高取千佳さん(当時34歳)である 少年は高取さんの方に近づいていって、「あなたはふて腐れていますねえ」と言うと、その首筋に牛刀を突き立てた。 「あなたたちが行くのは、天神ではなく地獄です」 少年の指示は続き、荷物から携帯電話などをかき集め、カーテンの窓も閉めさせたうえ、女性客を前に、男性客を後ろにまわした。 さらに座席の間の補助席を倒すようにも指示し、腕力のある男性客が少年を取り押さえようとしても、すぐには前方に来られないようにした。 平野運転手は「1人で乗ってきた少女がいるので、この子だけでも降ろしてやって欲しい」と提案してみたが、少年はあっさり却下した。 バスは走りつづけ、本州・山口に渡る関門橋が目前に迫った頃、少年は乗客に向かってトイレに行くことを許可した。 バスを路肩に停めさせ、「逃げたりしたら、残っている乗客を全員殺します」と脅したうえで1人ずつ降ろした。 1人目は小型犬を抱いた女性(当時40歳)だった。 少年はバスの昇降口から身を乗り出し、様子を伺っていたが、女性は戻っては来なかった。 「あいつ、帰ってこない。 裏切りやがった。 許さない。 絶対に殺してやる」 少年は初めて興奮した様子を見せ、平野運転手にバスを発車するように命じた。 一方、女性は高速道路沿いにある非常電話から、バスが乗っ取られたことを道路公団に通報している(午後2時47分)。 道路公団は「わかくす号」がまだ福岡に着いていないことを確認、すぐさま福岡県警に通報した。 連絡を受けた山口県警が緊急配備を敷いたのは3時9分のことだった。 「僕は約束は守ります。 見せしめです。 1人殺します」 少年は山口由美子さん(50歳)の席に近づき、首めがけて牛刀で何度も刺した。 山口さんはおびただしい血を流しながら通路に倒れこんだ。 少年が足でつついて、「生きてるか?」と確認したところ、山口さんは「はい・・・」と答えた。 「連帯責任なんだから、逃げようと思うなよ。 逃げるたびに刺すぞ」 少年はそう言った。 午後3時35分、中国自動車道を走る「わかくす号」を確認した警察は追尾を開始。 同じ頃、乗客の女性(当時30歳)が、走行中のバスの窓を開け、飛び降りた。 この女性は右足骨折の重傷を負ったが、バス内ですでに2人が犯人に刺されたという情報を伝えている。 少年は女性が窓から逃げたことにはしばらく気がついていなかった。 だが、窓が開いているのを見つけると、近くに座っていた塚本達子さん(68歳)に「逃げようとしているんですが」と、首を牛刀で刺した。 牛刀はネックレスに触れたことから、刃こぼれしていた。 少年はそのことを気にして、全員にネックレスをはずさせた。 3時45分、少年はなぜか携帯電話から自分で110番している。 ヤマダと名乗り、「こっちには人質がいる」と忠告した。 4時9分には、山口県警に「拳銃を用意してください」という要求をしている。 この頃、少年は1人で乗っていた少女・Y子ちゃん(当時6歳)を近くに座らせ、盾にし始めるようになっていた。 4時18分、NHKが初めてこの事件の第一報を報道、各メディアも続いた。 この時は犯人について「高校生風の若い男」と報じられていた。 上空には報道機関のヘリ10数機が、バスを探して追い始めた。 バスは山口県の下松SAに近づいていたが、先ではコーンと、県警のパトカー7台が道路をふさぐかたちで停められていた。 バスは一旦停まり、パトカーとにらみ合う形となったが、警察はすぐに封鎖を解除、目の前を通過された。 4時21分、バスが走り始めた直後、後ろに座っていた男性(当時52歳)が窓から飛び降り、軽傷を負った。 すでに3人に逃げられた少年は、すでに弱っていた塚本さんの首に再び牛刀を振り落とした。 塚本さんはしばらく息が荒い状態が続いた後、それも聞こえなくなり、出血も止まった。 誰もがこの女性の死を悟った。 少年はさらに2人連れの女性客(ともに当時18歳)に向かって「次はあなただ。 その次はあなた」と殺人予告までしている。 5時24分、広島県の武田山トンネル内で、少年は平野運転手にバスを停めさせた。 男性客4人を全員降ろしたのである。 男性が降りる間は少年はずっとY子ちゃんの首に牛刀を突きつけていた。 男性客の中には妻と一緒だった人もいて、妻を残して降りるのは辛いことだったが、すでに3人が殺されている(ように見えた)、下手に逆らうことはできなかった。 この頃には、すでに容疑者を「佐賀県在住の、通院歴のある17歳」と報道するメディアもあった。 警察も少年の自宅に電話し、確認している。 5時50分頃、広島県警は「わかくす号」を山陽自動車道・奥屋PAに誘導し、バスは警察車両に取り囲まれるかたちで停車した。 警察の交渉が始まると、少年は拳銃と防弾チョッキとスタンガンを差し入れることを要求した。 交換条件で、少年は負傷していた山口さんと高取さん、そして塚本さんを解放し、防刃チョッキを受け取った。 搬送された3人のうち、塚本さんの死亡が確認され、高取さんは首に、山口さんは顔や頭部など数ヶ所に傷があり、ともに重傷だった。 少年と警察の間では3時間半ほど膠着状態が続いていたが、午後9時37分、バスはパトカーに先導されて再び走り始めた。 少年によると、「東京・霞ヶ関に行きたい」らしく、燃料の補充を要求した。 このためバスは給油のために、小谷SAに入った。 10時34分、最高齢の女性客を解放。 この女性客は「おねがいだから、子ども(Y子ちゃん)も一緒に出してあげて」と頼んだが、少年は聞こうとはしなかった。 バスの外には駆けつけてきた少年の両親と担当医がいた。 だが、母親の方は「説得する自信がない・・・」と泣き崩れる。 代わって医師が説得するも、少年は興奮するばかりだった。 日付が変わってまもなく、まくらと食料が差し入れられた。 少年は女性客におにぎりやウーロン茶を配らせたが、それを口にしようとする人は少なかった。 午前5時頃、特殊急襲部隊「SAT」は少年がY子ちゃんと離れた瞬間を狙い、左右の窓をわり、「フラッシュバン(閃光手投げ弾)」を投げ入れ、取り押さえた。 救出の際に1人が負傷したものの、当時乗っていた人は全員無事だった。 昭和58年3月 佐賀 生まれ 共働きの両親と活発で社交的な妹との4人家族。 父親はサラリーマンで、学校のPTA活動にも積極的に参加するタイプ。 母親は、保健婦としてフルタイムで働いていた。 妹は、少年と正反対の自己肯定感あふれるタイプ。 少年は、小中学校と成績が優秀であった。 しかしそれは、本人の努力と言えば努力だが 劣等感から逃れるための努力ともいえた。 小さいときから運動が苦手であった。 体格も小さく、幼稚園・小学校では、大きい子に囲まれるような環境であった。 小学校中学年くらいから、同級生にからかわれたりするようになり 運動ではどうにもならず 勉強面で、自分の優越感を出すために 打ち込むようになっていった。 自分が上に立つことで、人を見下していた部分があったようである。 中学3年から、また下降気味になっていき それに比例して劣等感が強くなってきた。 とはいえ、学年ではトップクラスの成績。 しかし、希望よりワンランク下の学校を受験したことは プライドが高い少年にとっては、かなり屈辱的なことであった。 いじめ(と少年は受け止めている)から大怪我を負い 高校に入学しても、コルセットをつけながら 通学していたことが、面倒でもあり苦痛でもあった。 からだが思うようにならず、学校も休みがちになり 休めば休むほど、勉強がわからなくなるという 悪循環におちいるようになっていった。 そのまま不登校となり、自主退学。 そうならざるを得ない精神状態であったのだろうと推測はできる。 引きこもりがひどくなり、部屋に鍵をかけるようになる頃、 母親と妹に対しての家庭内暴力がひどくなる。 これは、いままで鬱積していたものが 「暴力」と言う形であらわれたのであろうが 母親は、それを受け止めるよりも 外部に助けを求める方に動いた。 病院や警察に相談をしていったのだが、それが少年の苛立ちを助長させた。 ここで、母親が少年を受け止める力があったのなら また違う結果になったかもしれない。 しかし、受け止めることは、そう容易でないことも現実としてある。 唯一、父親だけが少年と向きあおうと懸命になっていた。 夜にドライブにさそい、なんとか少年を外の世界にだそうと働きかけていた。 少年をドライブに誘い出すことによって、 せめてその時間だけは母親と妹が安心して家にいられる時間を持つことができるからと のちに父親は言っていた。 このことは少年にとっては、ささやかな「光」となる。 なんどか誘われるうちに、今度は自分から ドライブをしたい と、父親を誘うようになる。 ある時は京都、もっと遠くの名古屋まで、日帰りで行くこともあった。 少年は、小さいときに言えなかったわがままを ここぞとばかりに、まるで親をためすかのように言い続けた。 そして、父親はそれを可能な限り受け入れて行き、少年に向き合い続けた。 バスジャックで通ったルートは、父親とドライブをしたルートと 全く同じである。 少年は、父親との思い出の道を走ろうとしたのである。 そして、乗客には「自分の宝物」といって 高速道路の領収書を見せびらかす。 それは、父親とドライブした時の領収書であった。 父親とのドライブの時期があったから、その時は 多少なりとも犯行をしないでいられる状況だったともいえる。 しかし、ドライブで出かけている間に 鍵をあけて母親が部屋に入り 犯行声明文のようなものを発見してしまう。 ナイフも購入していることが分かり、少年の心はどうにもならない状態のようであった。 警察や精神科医が介入し、精神科病棟への措置入院となった。 このことで、少年のこころは再び閉ざされてしまった。 両親に裏切らたと、激高している。 それとともに 自分がされたいじめを放置していた学校にたいしても怒りを膨らませていた。 このあたりから、彼のなかで 具体的な計画が立てられ始めた。 精神科医師をだまして、外出にこぎつける。 その後、決行すると決断した。 精神鑑定の結果、 解離性同一性障害と診断され 統合失調症を発病する恐れも無視できないとの診断であった。 少年は中学校でいじめに遭遇、家庭内暴力で家族を悩ませた。 親が学校にいじめの相談をするが、当の学校や教育委員会はいじめの事実を認めなかった。 高校受験が目前に迫った1998年1月、クラスメイトたちの挑発を受けて、踊り場から飛び降りるも着地に失敗して重傷を負い入院。 病室で佐賀県立致遠館高等学校を受験して合格したが、入学後、校風が合わないという理由ですぐに中退してしまった。 不登校となった少年は、親にパソコンをねだり、2ちゃんねるに寝食を忘れるほど熱中、家庭内暴力がますます悪化していく。 危険を感じた親が警察や精神科病院に相談するも、事件を起こさない限り対処できないと双方から断られてしまう。 そこで最後の頼みの綱として、頻繁にテレビに出演して著書を出している精神科医の町沢静夫に連絡を取って相談。 町沢は親にも少年にも一切面会しなかったが、親からの要請を受けて2000年3月5日、佐賀県警と国立肥前療養所に電話。 肥前療養所はすぐに少年の医療保護入院を許可し、即日入院となった。 国立肥前療養所に入院が決定した時、少年は親に絶対許さないと発言していたが、実際に入院すると、医療スタッフや他の入院患者たちにも礼儀正しく、家庭内暴力で家族を悩ませていたとは思えないほどしっかりしていた。 やがて、少年と親と医者と話し合いの上で、少年の外出許可が出る。 病院に帰ってから、愛知県で少年が老夫婦を殺傷する豊川市主婦殺人事件を知り、少年は手記にこの少年犯を褒め称え、自分も早く彼のようになりたいと書く。 この手記の内容をまったく知らなかった医者は、少年の外泊許可を出す。 帰宅した少年は当初、自分がいじめを受けていた母校の中学校において無差別殺人を行う予定だったが、ゴールデンウィークで休校だったため、バスジャックを実行した。 事件後、町沢はマスコミや著書を通じて、少年や親を擁護する一方、国立肥前療養所を批判した。 これを受けて、肥前療養所の記者会見では院長が、少年に一度も面会せずにテレビや雑誌で肥前療養所に対する批判を述べていた町沢に対して「こういう態度は臨床医としてあるまじき行動であり、町沢に怒り心頭に発している」と述べた(後日、町沢の態度が精神科関連の学会や家庭内暴力関連の団体から厳しく批判された)。 2000年、『論座』7月号から10月号にかけて、事件の対応について矢幡洋と論戦を繰り広げ、町沢は矢幡に論破された。 母親は警察に通報。 まもなく署員3人が自宅を訪れ、息子の状況などを聞いた。 翌5日、母親はAを病院に連れていこうとしたが、Aはこれに抵抗した。 警察に電話をしたが協力は得られず、国立肥前療養所に連絡しても、「事件を起こす前に入院させることはできない」と断られた。 母親は以前から知っていた精神科医・町沢静夫氏に電話。 町沢氏は同療養所に連絡したところ、「満床のため、入院できない」と母親に言っていたのは嘘で、実際はベッドが空いていることがわかった。 結局入院は許されたが、Aはそこでは何の問題を起こすこともなく過ごしていた。 あいさつなども自分からして、面会に訪れた母親も変わった息子に驚いた。 しかし、日によっては面会に来た母親に「来るな!帰れ!」と怒鳴ることもあった。 療養所での治療は面談や心理テストなどが中心だったという。 4月26日、Aは初めて外出許可をもらうが、持ち物検査でカミソリを没収されている。 Aは自宅へ帰り、TVゲームなどをして過ごし、夜には病院に戻った。 5月1日、愛知県豊川市で17歳による女性殺害事件が起こる。 「先をこされた」 Aはそう思った。 犯行直言に書かれた手記には「豊川で老いぼれ女郎が切られ、殺されたとか、すばらしい!!」とある。 Aの手記は数通ある。 3月に各所に送りつけた2通目には「酒鬼薔薇聖斗」と署名し、彼のカギ十字をアレンジしたシンボルマークを添えていた。 Aは事件後に神戸児童殺傷事件の犯人について、「彼は神だ!」と語っている。 5月3日、療養所から外泊許可をもらい、自宅に帰ってきた。 「ぼく1人で、のんびり森林公園にでも行きたい」 昼頃、Aはそう言うと、買ってもらったばかりのリュックサックを背負い、家を出ていった。 家を出る直前、Aは「2ちゃんねる」に次のようなスレッドを立ち上げている。

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