ラ カンパネラ フジコ ヘミング。 フジコヘミングがどれほど下手なのかを、どなたか上手く説明...

ラ・カンパネラを弾く人へ

ラ カンパネラ フジコ ヘミング

ラ・カンパネラ フジコヘミングが弾いて日本でも一躍脚光を浴びた曲。 リスト作曲。 もとはバイオリンの曲で、パガニーニと言う人が作曲したものを リストがピアノで弾けるように編曲した。 鐘の音を模したテーマを何度も繰り返す、歴史に残り続けるであろう名曲だ。 バイオリン曲としても、ピアノ曲としても、 超絶技巧が必要と言われていて、 そもそも手の大きさでふるいにかけられてしまう、理不尽極まりない曲でもある。 中学三年の頃、9年間ピアノをを習った集大成として、この曲を弾いた。 一年がかりの、気の遠くなるような作業だった。 幸い手の大きさは十分なものを持っていたから、足切りを食らうことはなかったが、理論上弾けることと本当に弾けることは全く別物であった。 フジコの演奏を聴いたのをきっかけで興味を持って弾きたいといったものの、道半ばで泣きべそかきまくる日々だった。 甘くなかった。 今、ピアニストたちの中でもカンパネラを弾く人が増えている。 感化されて弾きたいと思う少年少女も多いだろう。 いばらの道だと知ってその道を歩み出したあなたに、伝えたいことがあります。 楽譜に打ちのめされないでほしい。 カンパネラを弾くにあたっては、一定の素地がある人じゃないと手を出さないと思う。 しかし、この楽譜は別であろう。 もしかすると、ただ僕が体験した初めての超絶技巧を要するピアノ曲がカンパネラだったから衝撃が大きかったのかもしれない。 それでも、この曲の 右手の酷使はすごい。 まず 最初のフレーズからしてどうかしている。 これが当たるようになるまでしばらくかかる。 その間左手は和音をアルペジオで弾き続ける。 オクターブを何の躊躇もなくはみ出す和音だから、こっちも楽じゃない。 恐ろしいことに、 このテーマがどんどん難化してその後何度も出てくる。 最初のテーマが弾けたからと言ってなんの自慢にもならないから勘違いしないことである。 どんなに難しいことをやっていてもテーマだけは響かせてほしい。 途中、きっと 心と指が折れそうになることがあると思う。 ただ、何があろうと、 カンパネラのテーマだけは響かせなければならない。 難しいことを小声でさりげなくやることこそ本当の難しさだ。 大声で難しいことは割とできる。 でもきっとカンパネラ弾くくらいの子だったらそれくらいわかってるんだよね。 あと テーマは間違えないで。 弾き損じがあからさまにわかってしまう。 どうせ間違えるならごちゃごちゃしている方で間違えましょう。 オクターブの連打にめげないでほしい。 曲も終盤に差し掛かってくると、オクターブの連打が多くなる。 16分で連打するからたまったもんじゃない。 けどめげないでほしい。 カンパネラの良さはか細い旋律から始まった曲が終盤にかけて猛烈な音の厚みを帯びてくるところにもある。 オクターブが多用されるのはそういった側面もあるだろう。 理不尽な指の開きも、すべてはドラマを完結させるための代償だ。 苦しくても是非押し切ってほしい。 誰の真似もしないでほしい。 先述したけれど、カンパネラは星の数ほどのピアニストに弾かれている。 僕はフジコヘミングに憧れた結果、フジコヘミング寄りの弾き方になった。 精度はゴミみたいなものだったけれど。 実は、フジコのようなドラマティックな弾き方はカンパネラの弾き方の中でも異端で、機械的に超絶技巧を畳み掛ける弾き方が主流である。 例えば、ユンディ・リ 誰に憧れて、何を聞いてカンパネラを弾こうと思うかは人それぞれだと思う。 けど、上を見たらキリがないことを知ってほしい。 理想の形としては、畳み掛けられるだけの技量を備えて解釈を広げていくのがいいのだろうが、カンパネラほどの曲をそこまで自分のものとするのは至極難しい。 だからこそ、 人の姿を追っちゃいけない。 クラシック全般に言えることとして、解釈の自由が許されている。 極端に言えば、 どの音を聴かせたいと思うかで全く演奏の形も変われば聴こえ方も変わる。 カンパネラという曲をなぞれるのは最低限として、テンポは速くなくとも自分なりの演奏を見つけることは可能だ。 超絶技巧だからこその聴かせ方を、自分の感性で見つけてほしい。 テクニックがなかった僕はどう頑張ってもフジコさんのテンポで劇場型カンパネラを演じるしかなかったわけですが。 それでも猛烈な数のミスタッチがあった。 ハノンから叩き上げないとダメだった。 終わりに 多分、どんなピアノ曲遍歴を辿ってカンパネラに流れ着いたとしても、そう簡単には弾かせてくれないはずだ。 多いに自分の日々の成長を楽しんでほしい。 だんだん弾けていく感覚は弾いている人にしか味わえない。 そして、 一度弾けたのなら、ぜひ一生ものにしてください。 僕はそう願って叶えることができませんでした。 日々大分練習しなきゃずっと弾け続けることはできないけど、それだけの価値がある曲だとは思います。 レパートリーに加えてください。 あー、もう一度弾いてみたい。 もっと上手く弾けてみたい。 ktaroootnk.

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フジコヘミングの結婚歴と夫や子供は?兄弟や自宅とすごい年収&ピアノの評価とは?

ラ カンパネラ フジコ ヘミング

フジコ・ヘミングがピアニストとして世に注目されるキッカケになったのが、NHK制作のドキュメンタリー番組だったから。 二十代でコンペ出場のために渡欧したものの、投宿先のホテルで発熱、高熱のために耳疾で片方が聞えなくなりエントリーを断念、以後誰に聞かせるでもなく、ひたすら自宅でラ・カンパネラを弾き続けた。 この時ナレーションだったと思うが、リストの難曲だという説明も付加され、全国放送の番組を見た一般人の同情を一気に集め、リサイタルやコンサート開催のキッカケにすらなったのが、この番組だった。 魔女を思わせる異様な衣装も、既製服に気ままにアクセサリーを縫い付けたお手製だという紹介も、同情を寄せるには十分な効果を発揮したと思われ、そのままステージ衣装として用いられていた。 この番組にはかなりの反響が寄せられたらしく、早い時期に再放送もされ、民放でも取り上げられれ、時代の寵児となってしまったために、クラシックファンの反発も招いてしまった。 アーヴィン・ニレジハージというかつての大ピアニストが、ニューヨークでホームレス状態で発見され、十分に手当てされた後に数枚のアルバムをレコーディングしたことがあったが、その後日本に招待され、演奏を披露したこともあったようだが、この先例を見るとヘミングの下地は整っていたようにも思える。 音楽の完成度は二の次で、不遇な音楽家にホスピタリティを示したいという奇特な人にとっては、生き様自体に価値のある演奏なのだろう。 天下のNHKだべ? 奏楽堂の。 最初、どんなズゴイ演奏をするのかと期待したが、アレ?アレレ?、全く逆、芯から腐ってた。 過去の物語ほどアテにならぬものはないと今更ながらに痛感。 でも、アテにする人もいるのだろう。 料理と同じで自分の舌や耳で判断できぬ人達。 結果、悪貨が良貨を駆逐する。 宣伝にノセられ、腐った回転寿司を本物の寿司と勘違いし美味いと言う。 そりゃ初セリのマグロは頑張るさ。 味じゃないから 笑。 実に哀れではあるが、腐った魚を喜んで口に出来る、そゆ人達のお陰で、本物の美味い魚を喰える一部の人がいる事は確か。 どの世界でも、それがヒエラルキー。 ただ、ゴミしか漁ってないのに、寿司を語られるのは迷惑千万ですね 笑。 いちいち正すのが面倒臭い。 ここにもたまにいるが、悲しい。 昔、フジコを聞かせたら、弦をやるJKですら「これヘン!」って笑ってました。 あれ以上、ヘンなプレ、いや事ばかり教えたら、フラレるところどした 笑。 いつもながら無責任なNHKの罪は重い。 サムラゴーチは? あ、受信料!笑 フジコの遅いテンポ感や、大きなフレージングの息づかいが一般人にとって適切なのだと思います。 テンポが速い演奏は、一般人は細部まで聞き取ることができなくて、「すごいけれどわけがわからない」という状態になってしまいがちです。 フジコくらいテンポを落として懐の深い呼吸で演奏をすると、素人にも聞きやすい演奏になります。 ピアノは速く弾けばいいというものではありません。 楽器演奏はスポーツではなく、ピアニストはアスリートでもありませんから。 また、個性的なピアニストの中には急発進したり急停止するような演奏をする人がいますが、彼女はそういうことはほとんどしないで、常に一定のテンポ感を維持しますし、楽曲の見通しが良く起承転結がわかりやすいのです。 これも聞きやすい演奏という点では大事なことです。 以上は極意だと思っていて、素人のピアノレスナーはこういうフジコの良いところ、つまり無理をしないで自然な息づかいで、さらに楽曲全体を見渡した大きな視点で音楽を奏でるという姿勢を見習ったほうがいいと思います。 玄人目線だと音色の使い分けが素晴らしいと思います。 基本的にタッチが厚く深く響く音色を持っているので、軽く浅いタッチで弾いた淡い音色との対比が際立ちます。 あとは、あのゴツい腕とやたらと大きな手ですよ。 これが日本人離れした演奏の要因です。 日本国内限定の女性ピアニストはみなさん手が小さくて、音を並べるだけで精一杯という人だらけですが、彼女はテンポの遅さと相まってとても演奏に余裕があります。 これが懐の深さの源です。 一生懸命頑張らないなくても演奏できるんです。 コンクール的な価値観からすると彼女の演奏はありえないのは事実です。 ただ、さまざまなコンクールで上位入賞した人たちの演奏のつまらなさはみなさんご存知の通りで、コンクール的に評価される演奏が必ずしも音楽的かと言うとそんなことはないという典型的な例だと感じます。 そしてここまで売れた要因は、障害者ポルノの活用に尽きます。 フジコはNHKが絡んでいます。 辻井伸行の母はテレ朝の社員で、同じようなビジネスモデルをテレビ朝日で展開しています。 息子の障害を売り物にしているわけ。 あとは余談です。 クラシックの演奏家は身内と企業のコネクションを利用する例が少なくないです。 イリーナ・メジューエワというピアニストはDEDONの社員と結婚したおかげで日本で演奏活動できていますし、他にもクラシック専門レーベルの社長の妹とか、そういう方が大勢います。 このような演奏家が、コネのある企業が広告を出す音楽誌で絶賛されて、人気が作られていきます。 マッチポンプですね。 結局、世の中カネとコネです。 あのブーニンも日本人と結婚して日本を拠点に活動していますが、その彼こそNHKと左派勢力(旧ソ連絡みの組織)が組んで売り出された日本人用ピアニストの第一号なのです。 これが大成功だったので、ビジネスモデルとして定着したと思います。 ソ連系ピアニスト第二号として、わずか12歳のときに日本で売り出されたエフゲニー・キーシンという子がいました。 彼はその後立派に大成して世界中で大人気で、いまや日本には見向きもせずたまに来日する程度です。 これが本当の世界的ピアニストの姿であることは言うまでもありません。 彼はフジコのような懐の深い表現を得意とし、圧倒的なテクニックと迫力ある演奏スタイルで30年以上活躍しています。

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フジコ・ヘミングのラ・カンパネラがなぜあれだけ人気になった...

ラ カンパネラ フジコ ヘミング

ラ・カンパネラ フジコヘミングが弾いて日本でも一躍脚光を浴びた曲。 リスト作曲。 もとはバイオリンの曲で、パガニーニと言う人が作曲したものを リストがピアノで弾けるように編曲した。 鐘の音を模したテーマを何度も繰り返す、歴史に残り続けるであろう名曲だ。 バイオリン曲としても、ピアノ曲としても、 超絶技巧が必要と言われていて、 そもそも手の大きさでふるいにかけられてしまう、理不尽極まりない曲でもある。 中学三年の頃、9年間ピアノをを習った集大成として、この曲を弾いた。 一年がかりの、気の遠くなるような作業だった。 幸い手の大きさは十分なものを持っていたから、足切りを食らうことはなかったが、理論上弾けることと本当に弾けることは全く別物であった。 フジコの演奏を聴いたのをきっかけで興味を持って弾きたいといったものの、道半ばで泣きべそかきまくる日々だった。 甘くなかった。 今、ピアニストたちの中でもカンパネラを弾く人が増えている。 感化されて弾きたいと思う少年少女も多いだろう。 いばらの道だと知ってその道を歩み出したあなたに、伝えたいことがあります。 楽譜に打ちのめされないでほしい。 カンパネラを弾くにあたっては、一定の素地がある人じゃないと手を出さないと思う。 しかし、この楽譜は別であろう。 もしかすると、ただ僕が体験した初めての超絶技巧を要するピアノ曲がカンパネラだったから衝撃が大きかったのかもしれない。 それでも、この曲の 右手の酷使はすごい。 まず 最初のフレーズからしてどうかしている。 これが当たるようになるまでしばらくかかる。 その間左手は和音をアルペジオで弾き続ける。 オクターブを何の躊躇もなくはみ出す和音だから、こっちも楽じゃない。 恐ろしいことに、 このテーマがどんどん難化してその後何度も出てくる。 最初のテーマが弾けたからと言ってなんの自慢にもならないから勘違いしないことである。 どんなに難しいことをやっていてもテーマだけは響かせてほしい。 途中、きっと 心と指が折れそうになることがあると思う。 ただ、何があろうと、 カンパネラのテーマだけは響かせなければならない。 難しいことを小声でさりげなくやることこそ本当の難しさだ。 大声で難しいことは割とできる。 でもきっとカンパネラ弾くくらいの子だったらそれくらいわかってるんだよね。 あと テーマは間違えないで。 弾き損じがあからさまにわかってしまう。 どうせ間違えるならごちゃごちゃしている方で間違えましょう。 オクターブの連打にめげないでほしい。 曲も終盤に差し掛かってくると、オクターブの連打が多くなる。 16分で連打するからたまったもんじゃない。 けどめげないでほしい。 カンパネラの良さはか細い旋律から始まった曲が終盤にかけて猛烈な音の厚みを帯びてくるところにもある。 オクターブが多用されるのはそういった側面もあるだろう。 理不尽な指の開きも、すべてはドラマを完結させるための代償だ。 苦しくても是非押し切ってほしい。 誰の真似もしないでほしい。 先述したけれど、カンパネラは星の数ほどのピアニストに弾かれている。 僕はフジコヘミングに憧れた結果、フジコヘミング寄りの弾き方になった。 精度はゴミみたいなものだったけれど。 実は、フジコのようなドラマティックな弾き方はカンパネラの弾き方の中でも異端で、機械的に超絶技巧を畳み掛ける弾き方が主流である。 例えば、ユンディ・リ 誰に憧れて、何を聞いてカンパネラを弾こうと思うかは人それぞれだと思う。 けど、上を見たらキリがないことを知ってほしい。 理想の形としては、畳み掛けられるだけの技量を備えて解釈を広げていくのがいいのだろうが、カンパネラほどの曲をそこまで自分のものとするのは至極難しい。 だからこそ、 人の姿を追っちゃいけない。 クラシック全般に言えることとして、解釈の自由が許されている。 極端に言えば、 どの音を聴かせたいと思うかで全く演奏の形も変われば聴こえ方も変わる。 カンパネラという曲をなぞれるのは最低限として、テンポは速くなくとも自分なりの演奏を見つけることは可能だ。 超絶技巧だからこその聴かせ方を、自分の感性で見つけてほしい。 テクニックがなかった僕はどう頑張ってもフジコさんのテンポで劇場型カンパネラを演じるしかなかったわけですが。 それでも猛烈な数のミスタッチがあった。 ハノンから叩き上げないとダメだった。 終わりに 多分、どんなピアノ曲遍歴を辿ってカンパネラに流れ着いたとしても、そう簡単には弾かせてくれないはずだ。 多いに自分の日々の成長を楽しんでほしい。 だんだん弾けていく感覚は弾いている人にしか味わえない。 そして、 一度弾けたのなら、ぜひ一生ものにしてください。 僕はそう願って叶えることができませんでした。 日々大分練習しなきゃずっと弾け続けることはできないけど、それだけの価値がある曲だとは思います。 レパートリーに加えてください。 あー、もう一度弾いてみたい。 もっと上手く弾けてみたい。 ktaroootnk.

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