まつり や。 「松山・野球拳オンラインまつり」開催へ 松山まつり中止受け市内有志らが企画

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まつり や

概要 [ ]• マスコット - ミポラ• 会場及び規模 - 三重県伊勢市朝熊山麓 約40• 会期 - 1994年(平成6年)〜 108日間• 入場者 - 約351万人• 主催 - 世界祝祭博覧会協会• 後援 - 政府省庁 経済団体など• 総合プロデューサー - 平野繁臣 入場料 [ ]• 年長者は満65歳以上 大人 高校生 小中学生 幼児 年長者 第2期前売り券 2500円 1700円 1200円 400円 - 当日普通入場券 2800円 2000円 1500円 500円 - 特別割引入場券 1400円 900円 700円 - 1400円 一般団体割引入場券 2600円 1800円 1300円 450円 - 学校行事団体割引入場券 - 900円 700円 200円 - 夜間割引入場券 800円 400円 400円 - - 全期間通用入場券 8000円 5600円 4200円 - - パビリオン [ ] テーマ広場 [ ]• テーマ館• 出展者:(財)世界祝祭博覧会協会• エントランスに「テーマステージ」まつり博のテーマや意義などを映像等で紹介。 「プロローグゾーン」では形状記憶合金でできた「椿の庭」の展示。 「人と自然ゾーン」では恐竜時代の展示。 中国からの恐竜の化石の展示も。 「人と技術ゾーン」では、人類の歴史と技術の変遷についての映像。 スクリーンの前のステージでは、盲導犬ロボット「MELDOG」の実演ショーを展開。 「人と人のゾーン」では多様な人間の暮らしの営みを紹介。 「エピローグゾーン」では「共生の時代」の動くモニュメントと、三重県の将来計画を紹介する。 テーマ映像館• 出展者:(財)世界祝祭博覧会協会• 巨大ドーム型パビリオン。 ドームスクリーンに、「朝」「昼」「夜」の一日の暮らしを縦糸に、日本や世界各地の生活や文化、伝統行事や祭りなど、人間が織りなす様々なドラマの映像を上映。 まつり・からくり・オートマタ館• テーマ:「ひとと機械、夢とかたち・・・」• 出展者:株式会社 財団法人世界祝祭博覧会協会• 「イントロダクション」では19世紀のヨーロッパの(自動人形)を展示。 「キャバレー・メカニカル・シアター」では、ロンドンの現代のたちが製作したユーモアあふれるオートマタ31点を展示。 「まつり・からくり・まつり」では、愛知県の犬山祭車山など日本伝統のからくり人形の展示と実演。 「現代芸術とオートマタ」では、海外の5人の現代芸術家の、コンピューターやロボット技術を使ったオートマタを展示。 伝統産業館〜技の架け橋〜• テーマ:「技の架け橋」• 出展者:産業館出展実行委員会• 外観は、アーチ型の架け橋をモチーフにしている。 「の技ゾーン」「中南勢の技ゾーン」「の技ゾーン」「の技ゾーン」「の技ゾーン」で、各地域の文化や産業特性等を紹介。 「三重県の産業総合ゾーン」では、通産大臣指定の伝統工芸品5品の実演と、県の歴史や商工業の成り立ちを紹介したミニシアターの上映。 夢のバイオパーク• 出展者:岡三グループ (財)岡三加藤文化振興財団 (財)世界祝祭博覧会協会• 監修・協力: 農業研究指導所 三重県農業技術センター• 外観は、ガラスで出来たピラミッド型のパビリオン• 「フローティングファーム」ではバナナの樹が中空に吊られたまま生育。 「空中菜園」では水耕栽培技術による空中での野菜や果物の栽培。 「フラワーウォールでは、花やハーブの壁がゆっくり動く。 中央の「バイオプラザ」では、「バイオと畜産」「バイオと植物」「バイオと水産」の3つのコーナーで、バイオの最先端技術を紹介。 食とみどりの館• テーマ:「太陽と大地と黒潮の恵み」• 出展者: 三重県農林水産関係団体• 三重県産材を使った。 庭には杉、クスノキ、ケヤキ、ミカン、イチジク、ブドウ、柿などの樹が植えてある。 パビリオン中央には三重県をかたどったジオラマがあり、映像と連動して三重の四季の移り変わりを紹介。 三重県の特産品を扱う物販と調理販売ゾーンや屋外イベントステージ、木かげ茶屋を設置。 農林水産にちなんだ様々なイベントを実施した。 近畿・中部広域出展館 で・あ・い・らんど• テーマ:「近畿圏と中部圏の発展」• 出展者:近畿・中部広域出展実行委員会(、、、、、、、、、、、、、、の15府県)• 「であい」「連帯」「創造」をテーマに、のサブアリーナを会場としている。 「プロローグ」をぬけると、シースルースクリーンの映像とからくり人形のが案内する「であいのシアター」、伝統工芸から現代工業製品を紹介する「技のシアター」、自然の森と巨大地球儀による「自然のシアター」• さらに、48面マルチスクリーンで地域の暮らしや祭り等を紹介する「こころのシアター」、足元の模型で紹介する「未来のシアター」と、5つのシアターで「であい」「連帯」「創造」を表現する。 来夢ランド(集合館)• 21世紀万博館・ワールドカーニバル• テーマ「交流の杜から21世紀へ」• 出展者:21世紀万国博覧会誘致推進協議会• 世界の祭りを近代技術で表現する「祭りー交流の旅」コーナーと、21世紀万国博覧会()の紹介。 郵政未来館スペースシップシミュレーター「POST SHUTTLE」• テーマ「新しい出会い、新しいコミュニケーション」• 出展者:東海郵政局• 映像に合わせて動くシステム「ポスト・シャトル」。 他に郵便局コーナーも設置• 世界祝祭博覧会特別局• テーマ「世界の人々とのであいとふれあいを電波にのせて」• 出展者:(社)日本アマチュア無線連盟• エネルギーラビリンス〜迷宮から妖精ナージーを救え〜• 出展者: 資源エネルギー省• 風力や水力、光エネルギーなどを4つのドームと迷路で構成されたゾーンで紹介する、ゲーム参加型パビリオン。 日本未輸入、オモシロ輸入品大集合! テーマ「〜触れて、乗って、遊んで、「輸入品との新たなであい〜」• 出展者:(ジェトロ)• 「おもちゃ」「ヘルスケア」「ギフト」「スポーツ」「アイデア」「スペイン」などのゾーンを期間ごとに展開し、輸入品を紹介。 であい造幣館• テーマ「〜お金からのメッセージ〜」• 出展者:• 日本や世界の貨幣や勲章、金属工芸品の展示や、歴史の紹介。 ワールドバザール• 出展者:• 世界各地の伝統的な民芸品、工芸品の販売。 イベントなども連日開催。 ふるさとイベントプラザ• テーマ:「ふるさと・まつりとであい」• 出展者:・市町村• 県内69市町村によるふるさと自慢、味自慢を披露する「市町村デー」や、「県民自主参加」イベントなどを開催。 サンアリーナ• 人と技術の広場 [ ]• 古河グループ館〜めぐみのパビリオン〜• テーマ:「自然のめぐみから夢を育てる」• 出展者:(株) (株) (株) (株) (株) (株) (株) (株) (相) (株) 他37社• 「水のゾーン」では、湧水の棲息する魚「」をキャラクターにした、三重県の自然の映像を上映。 「光のゾーン」では、大阪の「」でも出展されたフルカラー3D映像「」を上映。 未来建設ランド21• テーマ:「豊かで幸せな未来をめざして」• 出展者:世界祝祭博覧会出展実行委員会• 外観はダムの形をモチーフにした展示棟。 建物の間に滝が流れている。 展示棟の前に、エントランスドームでインフォメーション。 さらに青い歩道には斜長橋や建設機械、人工芝のある広場へと続く。 ダム展示棟では、「水の大切さ、交流を広げる道、夢と未来を与えるまち」をテーマに、模型や映像で建設事業などを展示紹介。 NTTグループ館・インタラクティブシアター• テーマ:「コミュニケーションがもたらす『であい』『ふれあい』〜フューチャーコミュニケーション〜」• 出展者:32社• 「インタラクティブシアター」では、ロボット・アレックスとしょう太少年の冒険を描いた観客参加型映像「ALEX WORLD」を上映• 「未来の通信サービスコーナー」ではマルチメディアを紹介。 三井・東芝館• テーマ:「チャレンジ! 『ジャパンカップF1』」• 出展者:世界祝祭博覧会 ・出展者会• エアドームのパビリオン。 200インチ大型スクリーンと左右の100インチスクリーンに映し出されるF1マシンを、観客が手元のブック型PCで捜査して、F1レースを展開する。 ホンダ館• テーマ:「夢とチャレンジ」• 出展者:株式会社• 第一ゾーンでは、レースシーンの映像とF1マシンや二輪レースマシンの展示。 第二ゾーンでは、エコを意識した未来志向の四輪、二輪のコンセプトモデルとソーラーカーの展示。 Panasonic R・E・A・L WORLD• 出展者:株式会社• ハイビジョンシアターでは、CGアニメーション「ADVENTURES IN AUDIANA」を上映。 「3DOリアルワールド」では、インタラクティブ・マルチプレーヤー「3DO」を紹介する。 JR東海館「時間旅行」• テーマ:「親子を乗せて旅と夢『絆』• 出展者:株式会社(JR東海)• 「昔の旅」「今の旅」「未来の旅」の3つのゾーンで、SLや新幹線、リニアなどの鉄道模型やジオラマ、パネルや映像などを展示、紹介。 人と自然の広場 [ ]• 鳥羽水族館パビリオン• テーマ:「海より深い海がある」• 出展者:• 「氷の海・北極圏ゾーン」ではの映像とレプリカ、「人魚のいる海・赤道直下ゾーン」ではの生態映像、「不思議な海・ゾーン」ではや、の生態映像を紹介。 「地の果ての楽園・アシカの海ゾーン」ではやの生活ぶりの展示、「シーラカンスのいる海・ゾーン」ではの生態映像を紹介。 三菱マリオネットシアター• テーマ:「自然と共生するひとの心」• 出展者:世界祝祭博覧会実行委員会• ドーム型パビリオン。 伝統的なあやつり人形を、コンピューター操作で操る人形劇「貫太と竜神様」を上演。 バーチャルシアター電力館• テーマ:「エネルギー・人・自然の調和を求めて」• 出展者:株式会社• 三角形の鏡で囲まれた「万華鏡」の映し出される映像と、バーチャル・オーディオ・システムによる超リアルサウンドで、バーチャルシアター「人と自然のシンフォニー」を上映。 ウェイティングコーナーでは、「」のを展示。 屋外コーナーではソーラーカーや電気自動車の展示。 ミキモトパールドーム• テーマ:「-人類の時を超えた-生命の刻む時」• 出展者:グループ• 直径20mのパール色のエアドーム。 敷地前面の大きな池に映り込ませることで、「真珠」を表現。 ドーム映像で、や沖縄のサンゴ礁と魚など、海中の自然のドキュメントを上映。 百五銀行グループ・世界のバードハウス館• テーマ:「ひとと自然との共生」• 出展者:グループ• 巨大なバードハウス(鳥の巣箱)をイメージした2階建てのパビリオン。 キャラクター「ドードー」が説明するプロローグゾーン。 2階のシアターでは「フシギの森」を上映。 1階の「バードハウスギャラリー」では、世界中のバードハウスを展示。 館「未来研究所」• 出展者:株式会社 株式会社 株式会社• 「テクノルーム」であは、「トヨタAA型」などの未来カーの展示や最新技術の体験など。 テーマ:「音楽と色彩が奏でるファンタジーの世界」• 出展者:• ネオビマルチアニメ「ハーモニックシアター」は、4分音符「ピピ」と8分音符「ぺぺ」などの音符たちが世界中の音楽の旅に出かけるストーリー。 NEC館• テーマ:「ハイテクえんにち」• 出展者:• 「射的」「金魚すくい」「おみくじ」「富くじ」などをパソコンゲームとして体験。 人と人の広場 [ ]• 近鉄グループ館• テーマ:「〜OSK festival theater〜」• 出展者: その他近鉄グループ各社• 外観は白いエキゾチックなスペイン風な建物• による特別公演グランドレビュー「日本のまつり 世界のまつり」(全12景)を上演。 屋外ではや、ボカディージョなどのスペイン風軽食とドリンクのコーナー。 「ハビエル城からくり時計」も。 ダイワハウス・こども館• テーマ:「ドラゴン・アドベンチャー」• 出展者:株式会社• の形をしたチューブの中は、地球上の生命の誕生から進化までを紹介する「ドラゴンパネル」、大気のマットで跳ねたり転んだりできる「ふわふわ雲」、氷やジャングルや宇宙まで地球上の様々な環境をテーマにした遊び空間「ドラゴンチューブ」や「ドラゴンネット」など、子供が遊び体験できるしくみになっている。 「忌むべき生命の断絶として考えられている「死」について考え、「生きる事の素晴らしさ」を体感できるパビリオン、とある。 「第1展示ゾーン」は様々な写真のフォトコラージュ手法で、「現在の生命ポジション」を認識させ、「第2展示ゾーン」では、現代の医療やマスメディアで活躍されている方々のメッセージや、などの現場の事例を紹介し、日本人の「死生観」を表現する。 「テーマゾーン」は瞑想の空間で、の国宝「」の「不滅の法灯」の分灯が中央に設置されている。 現体験的な映像と合わせて、「新しい自分」「心の中の貴方」と出会い、「死」を考え生きる事を体感していく空間となっている。 まつりのゾーン• 出展者:• 広場の中央に大きな池とイベントステージにもなる島があり、その周りを世界の5大陸をテーマにしたエリアを配置している。 「アジアエリア」 - ・エメラルド寺院(展示館)、中国庭園・東屋、・、・の家• 「ヨーロッパエリア」 - ・の家(トイレ)、ヨーロッパ広場、・オリーブ畑の家、・木組の家(展示館)• 「アフリカエリア」 - ・日干しレンガの家(展示館)、の民家(展示館)、の家、ンデベレ族の家(飲食売店)• 「アメリカエリア」 - チムシャン族の家(休憩所)、西部カントリーハウス(記念品売店)、・の家(展示館)、平原インディアンテント、・の家• 「オセアニアエリア」 - の集会所(展示館)、の神殿、の家、の家(インフォメーション・飲食売店) 伊勢の伝統ゾーン• テーマ:「むかしとであう夢道中」• 出展者:・世界祝祭博覧会伊勢市推進協議会• 江戸時代のお伊勢さまへの参宮街道を表現し、峠の茶屋や水車小屋、伊勢独特のたたずまいの家屋が建ち並ぶ。 (伊勢一刀彫、、神殿、伊勢玩具、根付、など)や名産品の実演販売する店舗のゾーン、伊勢の文化を紹介する展示館、伊勢の土産をそろえた長屋、芝居小屋などがあり、伊勢の伝統的な芸能や大道芸などの催し物があった。 味わい広場• ミポランド [ ]• (昭和59年) - 三重県知事と近鉄社長らが三重県の観光振興について会談。 この中で国際的イベントの開催について語られたことが、博覧会構想のきっかけとされている。 (昭和60年) - 三重県知事が博覧会の基本構想を発表。 愛称は「93世界まつり博・三重」、テーマは「海・森・太陽-人間・その心とからだ」、主会場を伊勢・志摩とし、会場は2ヶ所から3ヶ所、国際博覧会も視野にいれたものであった。 (昭和61年) - 三重県知事が博覧会の基本計画を発表。 伊勢志摩地区を舞台に海・森・太陽を象徴する3会場を設定、開催期間は春から秋までの6ヶ月間で会場総面積は約100ヘクタール入場者は約1千万人を見込むものであった。 同時に伊勢・鳥羽間に一般有料道路を建設する計画も発表される。 会場選定 [ ] 会場候補地としては、海の会場として鳥羽市小浜半島が、太陽と森の会場として伊勢市朝熊山麓、度会郡二見町の溝口・山田原地区が立候補していたが、鳥羽市に関しては1994年までに開発が間に合わないと判断し開催を断念。 朝熊山麓を主会場、二見町候補地を駐車場とすることを決定する。 (昭和61年)• - 鳥羽市長が同市議会で博覧会会場として鳥羽市小浜地区を立候補していることを表明。 - 伊勢市長が同市議会で博覧会会場として伊勢市朝熊地区を立候補していることを表明。 (昭和62年) - 二見町長が伊勢市長とともに三重県庁を訪れ、二見町溝口・山田原地区を伊勢市側候補地とあわせた形での主会場誘致を要望。 会場候補地は、同町溝口から山田原にかけての山林を含む農地で、大半が三重県内の大手不動産会社が宅地造成用に買収した土地であった。 (昭和63年) - 三重県知事が博覧会会場を伊勢市朝熊地区に決定したことを発表。 二見町溝口・山田原地区は駐車場として利用。 鳥羽市小浜地区は保留。 (平成元年) - 三重県が鳥羽市での博覧会開催を断念したことを発表。 計画縮小とジャパンエキスポ認定 [ ]• (平成2年)• 頃 - 総合プロデューサーに現代芸術研究所所長の平野繁臣が就任。 - 総合プロデューサーが三重県知事に実施計画案を提示。 - 従来の計画を大幅に縮小した実施計画案が三重県から三重県議会に提示。 (平成3年) - 通産省のジャパンエキスポに認定。 会場周辺の開発・整備 [ ]• (平成5年)• - JR東海(博覧会会場の最寄り駅)の新駅舎が完成。 - 伊勢戦国時代村開業。 - の - 間の複線化工事が完了。 - JR東海快速みえ運行区間が - 間から名古屋 - 間まで延長。 - (博覧会会場の近鉄線での最寄り駅)の駅前広場整備完了。 (平成6年)• - 近鉄特急伊勢志摩ライナー運行開始。 - 伊勢二見鳥羽ラインが全線開通。 - 志摩スペイン村開業。 - 博覧会の主会場となる三重県営サンアリーナが完成。 - 国道23号南勢バイパスが全線4車線化完了。 博覧会の開催 [ ] 前期(7月22日から9月13日まで)の1日平均入場者数は26,804人で、目標の30,000人を下回る結果となった。 『公式記録』では、三重県では観測史上最高の猛暑が影響したものと分析している。 また、新聞記事などでは、同時期に和歌山県で開催された世界リゾート博(7月16日から9月25日まで)との競合による影響もあったのではないかと分析している。 後期(9月14日から11月6日まで)に関しては、9月26日に台風26号の影響で1日閉場となったものの、総体的に晴天に恵まれ、1日平均入場者数は38,922人となり、全期間中の総入場者数は目標の300万人を超えることとなった。 (平成6年)• - 博覧会開幕。 - 津地方気象台の観測所で観測史上最高気温39. 5度を記録(2010年現在においても史上最高気温)。 伊勢市消防本部では観測を開始した1959年以降での最高気温40. 3度を記録。 - 累積入場者数100万人達成。 - 1日の最低入場者数7,678人を記録。 - この日より閉場時刻を午後6時から午後5時に繰り上げる。 ただし、土日祝日に関しては予定を変更し、午後6時に据え置く。 - の影響により閉場。 - 累積入場者数200万人達成。 - 1日の最高入場者数96,283人を記録。 - 駐車場を平日無料とする。 - 累積入場者数300万人達成。 - 博覧会閉幕。 総入場者数3,510,275人。 地域への影響 [ ]• を訪れるは以降1300万人〜1400万人台で推移していたが、世界祝祭博覧会の開催と開業を受けてには過去最高の1950万人を記録した。 世界祝祭博覧会の開催に合わせて、(伊勢二見鳥羽ライン)が開通した。 この道路は会場への主要なアクセス道路となった。 会場の跡地利用 [ ] 会場跡地は「サン・サポート・スクエア伊勢」として2億700万円かけてやを整え、(平成20年)に造成が完了した。 誘致は(平成7年)から進められたが、なかなか買い手が付かない状況であった。 (平成23年)になり、伊勢市村松町のヤマナカフーズが初めて進出に名乗りを挙げた。 同社は同年に発生したを受けて海抜28mあるこの場所へ新工場を建設することを決め、(平成24年)8月からの操業を目指している。 脚注 [ ] []• 細野(1992):53ページ• 伊勢新聞: p. 1984年8月11日• 伊勢新聞: p. 1985年11月30日• 伊勢新聞: p. 1986年9月3日• 中日新聞 朝刊 三重版: p. 1986年9月3日• 伊勢新聞: p. 1986年12月10日• 伊勢新聞: p. 1986年12月12日• 中日新聞 朝刊 三重版: p. 1986年12月12日• 中日新聞 朝刊 三重版: p. 1987年10月15日• 伊勢新聞: p. 1988年3月12日• 中日新聞 朝刊 三重版: p. 1988年3月12日• 伊勢新聞: p. 1989年1月31日• 中日新聞 朝刊 三重版: p. 1989年1月31日• 中日新聞 朝刊: p. 1990年3月27日• 中日新聞 朝刊 三重版: p. 1990年4月7日• 中日新聞 朝刊 三重版: p. 1990年10月30日• 中日新聞 朝刊: p. 1990年11月23日• 中日新聞 朝刊 三重版: p. 1991年7月24日• 藤田・田林(2007):362ページ(該当箇所は大喜多甫文の執筆)• ・ 編『中部圏』日本の地誌7.. 2007年4月25日. 672pp. 4:43-54. 『世界祝祭博覧会 公式記録』財団法人世界祝祭博覧会、1995年3月。 関連項目 [ ]• - 会場の隣接地に、開催より以前から建つ。 - ミポランドにあった大観覧車が移築された。 この項目は、に関連した です。 などしてくださる()。 この項目は、(行事)、に関連した です。 などしてくださる。

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まつり縫いの仕方(手縫い)

まつり や

ななめまつり スカートやパンツの裾によく使う縫い方です。 お気に入りの洋服の裾がほつれてしまった…などの時、ささっと直せるとかっこいい! 是非、覚えておきましょう。 A、三つ折りの折り山の際から針を出す B、布の裏側を小さくすくう すくった部分は、表に出るので小さめに! C、少し進んだ折り山に針を出す D、これを繰り返すと、糸がななめに折り山にかかる ななめまつりの完成! 表から見るととても小さな縫い目がぷつぷつと見えます。 今回は、目立つように赤い糸を使用していますが、目立たない糸で縫えばほとんど見えません。 コの字まつり 布のオモテにもウラにも縫い目が出ない縫い方で、返し口をとじるときなどに使いますよ。 折り山部分を「コの字」に糸を渡していくので、「コの字まつり」と呼ばれています。 同じ幅でとじていくと、きれいに仕上がりますよ。 A、玉結びをして、布の内側から針を刺し折り山のてっぺんに針を出す B、手前側の折り山を直角に3~4mmすくう C、同じように奥側の折り山を3~4mmすくう D、これを繰り返す。 縫い目を広げてみると、梯子のように糸が渡っています。 糸をきゅっとひけば、コの字まつりの完成! 表から縫い目が見えないので、返し口をとじるときにきれいです。 たてまつり 布端をくるんだバイアステープを裏側でぬい止めるときや、アップリケなどを表からぬい止めるときなどに使います。 表からたてまつりをすると、端にたてのぬい目ができ、それもアクセントになりますよ。 A、折り山から針を出し、直角に布の裏側に刺します。 B、小さくすくいます。 C、折り山に針を入れ、折り山から出します。 D、そのまま糸をひき、またAから繰り返しぬっていきます。 糸をぎゅっと引くと、たてにちょんちょんと、短いぬい目が出ている形になります。 これで、たてまつりの完成です! 裏側は、横に短いぬい目ができています。 いかがでしたか。 どれもよく使われる縫い方です。 当サイトnunocoto fabricで販売している 生地はすべて商用利用可能です。 催事・バザー・オークション・ハンドメイドサイト・個人のオンラインショップなど、販売用アイテムの製作にそのままご利用いただけます。 また、サイト内で紹介している 無料型紙(製図・パターン)および、ソーイングレシピコンテンツを参考にして作った製作物の販売も自由です。 ただし、製品化した際に起こる全てのトラブル、クレームにつきましては当店及びnunocoto fabricは一切の責任を負いませんので、ご了承ください。 こちらの無料型紙(製図・作り方レシピ・パターン)は個人利用を目的としたものとしているため、 無料型紙(製図・作り方レシピ・パターン)自体の複写・転載・販売は禁止とします。 nunocoto fabricオリジナルパターンの著作権は、当店nunocoto fabricが所有しております。 申し訳ございません。

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もくじ• 会津人はどれくらい薩長がキライなのか 会津人が薩摩・長州がキライと言われている理由は、言うまでもありません。 戊辰戦争で敵だったから。 新政府軍でリーダー格だった、薩摩藩、そして長州藩が憎たらしくてたまらない! とりわけ、長州(山口)は絶対許さない、山口の人間とは結婚を許さない!と言った話まで聞きます。 私の山口出身の友人が、私の結婚式で会津若松まで来てくれたとき。 タクシーの運転手さんにどこから来たのか尋ねられた彼は、 「ボコボコにされるかっち思った」と恐怖体験を語っていました。 (実際を危害を加えられたということはありません) 会津から遠く離れた山口でも、自分たちが 会津から恨まれているというのは常識になっているようでした。 今からちょうど10年前のことです。 ただ、当時も今も、ここは会津人の間でもかなり 二極化しています。 私が住んでいて感じる実感としては、アンチ山口を唱える人は、中年以上の方に少し。 若い人で気にしている人はほとんどいません。 ただ、当時の長州を許せるか、と言われれば、手放しでは許せない、という人が大半かと思います。 どうして長州が嫌いなのか? 戊辰戦争を主導したのは、薩長ですが、戦いに加わったのは、最終的には30を超える藩だったわけですが、なぜか薩長だけが憎い。 それもとりわけ、長州だけは許せない。 これはどこからくるのでしょうか? 根拠はないのですが、私の推論をひとつ。 長州は蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)で会津藩に負けたせいで『朝敵』とされている。 長州はきっと会津をにくんでいたから、やらなくてもいい戊辰戦争なんか起こして、会津を徹底的に叩いたに違いない、という発想ではないかなと。 まあ正確なところは分かりませんが、ここを掘り下げても仕方がないので次へ進みます。 うらみのもとは埋葬禁止令 長州への遺恨の根拠とされているのが、戊辰戦争後の 埋葬禁止令。 戊辰戦争で会津が降伏したのが旧暦9月22日。 写真引用: この時、新政府軍が会津藩士の遺体に触れることを許さなかった。 翌年2月まで、 野ざらしのまま埋葬されなかったというのです。 冬は雪深い会津ですから、遺族も冬の間雪の下に放置されるのを、ただ見ているしかなかった。 しかも、埋葬しようとするものには、処罰が下された。 酷い話です。 会津若松市内には、新政府軍の死者が眠る西軍墓地があります。 会津は敵の戦死者もきちんと弔(とむら)った。 なのに埋葬すらさせない、憎き敵!となるのは当然です。 半年も放置されたとなれば、身内の心中は「察するにあまりあり」ですよね。 会津若松市の最近までの見解としても、遺体が埋葬されたのは、戊辰戦争後の翌年2月とされてきました。 戦死者を葬ることもできず、武家屋敷の大半と町家の3分の1は焼失。 ただ、ここでうかぶ一つの疑問。 会津が負けた後、直接会津を取り締まっていたのは長州じゃなかったんです。 薩長軍はすぐに次の戦地函館へ向けて出発。 残っていたのは、米沢藩や加賀藩でした。 米沢藩と言えば、もともとは奥羽越列藩同盟で味方をしてくれたのに、最終的には新政府軍に加わった藩。 本当に埋葬禁止令が出ていて、取り締まりをされていたなら、恨みの矛先がすこしは米沢藩に向かってもよいんではないか?と。 それでも、やっぱり長州が憎かった。 長州だけが。。。 ちょっと不思議です。 埋葬禁止説をくつがえす資料が見つかった?! 2017年10月、戊辰150周年を控えた会津若松から、とんでもないニュースが飛び出します。 なんと、会津藩士の遺体が、10月のうちに埋葬されていた記録が見つかったというのです!! 『<戊辰戦争>戦死の会津藩士「半年間野ざらし」定説覆る 「降伏直後埋葬」示す新史料』 戊辰戦争(1868年)で戦死した会津藩士の遺体が会津藩降伏直後に埋葬されたことを示す史料が見つかったと、会津若松市史研究会副会長の野口信一さん(68)が2日、発表した。 (中略) 史料は「戦死屍取仕末(せんしかばねとりしまつ)金銭入用帳」で、戦死者の埋葬や金銭支払いが記入されている。 市から調査を受託する研究会が昨年12月に発見。 地元在住の会津藩士子孫が1981年に若松城天守閣博物館に寄贈した史料に含まれていた。 それによると、新政府は会津藩降伏の10日後の10月2日(旧暦)、埋葬を命令。 翌3~17日、会津藩士4人が中心になって567人を64カ所に埋葬した。 (後略) 引用: 福島の地方紙だけでなく、新聞各社がこぞってこのニュースを取り上げました。 また、このニュースの中で、発見者の野口信一さん(前会津図書館長)のコメントとして 会津若松市民の長州藩(山口県)に対する感情的なしこりの一因になった埋葬禁止説が覆るとして、野口さんは「藩士がすぐに埋葬されたことが分かり、喜ばしい」と話している。 と紹介していました。 戊辰戦争での死者3,000人に対して、567人なので、全然数は足りていないのですが、埋葬されていた、という記録が出て来たというのです。 この記録をどう解釈すべきか? 実は私は当初、ニュースの信ぴょう性自体をうたがっていました。 戊辰150周年のこのタイミングで発見されるなんて出来すぎている。 薩長と会津を仲良くさせたい心ある人が、 歴史資料をでっち上げたんじゃないの?という考えすら頭をよぎっていました。 運よくこの発表をしたご本人からお話を伺うことが出来たからです。 写真引用: この事で私が持っていた下記2つの謎がとけました。 1 死者3,000人に対し567人だけ埋葬? 2 山主さんとらわれ事件は? それぞれ詳しく解説しますね。 死者3,000人に対し567人だけ埋葬? このとき見つかったのは、567人の埋葬記録。 戊辰戦争で亡くなった方は3,000人と言われています。 これは、戦没者名簿という形で残っているんだそうです。 それに対して567人だけ埋葬されても、半年間野ざらし説がくつがえることはないように思えますよね。 実は、この数の解釈がまちがいだったのです。 戊辰戦争で亡くなった人数と言うのは、鳥羽・伏見の戦いから函館戦争までをひっくるめた人数。 つまり、会津で亡くなったのが3,000人というわけではないのです。 鳥羽・伏見の戦いでは少なくとも115人の会津兵がなくなり、京都の金戒光明寺でまつられています。 金戒光明寺 写真引用: 白河では、700人が亡くなったとされ、白河で埋葬されています。 戦いが北上してくるときに山の中の戦いで亡くなった方もいます。 会津で亡くなった方で言えば、 1ヶ月の鶴ヶ城での篭城戦が始まる前に会津藩士の家の婦女子233人が足手まといになるのを恐れて自害。 これに加えて老人も自害しています(人数不明)。 篭城中に亡くなった240人余りは城内の空井戸に放り込まれていましたが、引き上げられて埋葬されている。 ここに、今回記録が見つかった567人。 写真引用: そもそも阿弥陀寺の1,281人も、あやしいと野口さんはおっしゃっていました。 当時は、戦った相手のくび(頭部)を手がらとして持ちかえっていました。 これを嫌って、負け戦(いくさ)の場合は、味方の頭部だけはなんとしても持ちかえっていたのだそう。 今だったら考えられないことですけど。。。 と言うことは、頭部だけの遺体、胴体だけの遺体が沢山あったはず。 これをどうやって数えたか? 正確な人数を割り出すのはかなりむずかしそうですよね。 2月に阿弥陀寺へ葬られたのは、あくまで 『改葬』であって、『埋葬』ではなかった。 記録に残っているのも、『改葬』と言う言葉だけ。 それが、いつの間にか2月に『埋葬』、野ざらし説へ発展した。 これが野口さんの見解でした。 山主さんとらわれ事件は? 埋葬禁止令の根拠の一つが、飯盛山の山主さんのお話です。 飯盛山の山主さんは、飯盛山で自害した白虎隊士が放置されているのがあわれで見ていられませんでした。 そこで、自主的に遺体を埋葬しようとしたところ、新政府軍に捕われたという記録が残っているのは有名な話なのです。 これについては、実は新政府軍に捕われた 理由が違っているんだそう。 一般的には、あたかも埋葬しようとしたこと自体をとがめられたかのように伝わっています。 しかし実際は、会津藩士の命令でやったんだろう、と疑われたためにつかまり、その疑いが晴れて釈放されているのだとか。 そもそも出どころはどこだったのか? 会津人がずっと信じていたこの埋葬禁止令のこの出所はと言えば、 太平洋戦争の終戦後に書かれた『会津史談会誌第33号』の『明治戊辰戦役殉難之霊奉祀ノ由来』には、新政府軍の命令によって遺体の埋葬が禁じられたという記述がある。 この情報を元にした歴史小説などには「会津藩士の遺体埋葬を禁止し、腐乱するまで放置した」という記述が多く見られる。 引用: ということで、この会津史談会誌第33号が出される 昭和32年12月になって初めて世に出た説であることになります。 によると、会津史談会誌の創刊号は昭和6年。 創刊号に載らないにしても、その後30年近くも全く語られなかった話が突然出ている。 これはちょっと違和感があります。 語られなかった歴史が語られるとき、そこには何らかの意図が隠されていることがあります。 例えば白虎隊の自決の件も、実は太平洋戦争のころになって広く伝えられました。 15,16歳の少年が、会津のために自ら命を絶った。 これを美談とすることで、『お国のために』命をささげる勇気を国民に与える意図があったというのです。 本当だとしたら、ちょっと怖い話ですね。 そのなかで、会津は、『ならぬことはならぬ』の精神の象徴として、今でも当時のことを変わらずにくんでいる『がんこな会津魂』を演出したかった。 何故ならばそれが会津の魅力になるから。 どこまでが狙ってやられたことかわかりません。 ただ、白虎隊の悲劇が観光の目玉となり、その悲劇と会津のがんこさがマッチしたことは確かなんですよね。 まとめ 会津人の長州嫌いについて、最新の情報をもとにまとめてみました! 今まで教えられてきたことが、誰かの思惑ですりこまれたものであるなんて、考えたくないですよね。 戊辰戦争が誰と誰の戦いだったのかすら知らなかった歴史音痴の私も、野ざらし事件だけは知っていたので、相当薩長を恨んでいました。 『西郷どん』見るもんか!みたいな。 殺し合いをした相手同士、複雑な想いがあるのは当然です。 ただ、誤った認識のうえにある恨みは、不毛ですよね。 今回色々とお話を聞かせて下さった野口さんが何度も口にされていた 「一つだけを見て判断するのはキケン」という言葉がとても印象的でした。 埋葬禁止令については、会津若松市で開催中の戊辰150周年記念事業でと題した講演会が行われています。 この中で、これまで唱えられてきた埋葬禁止令が誤りであったことが語られました。 会津若松市の見解としても、これまでの埋葬禁止令ありきの解釈が変わっていくと思います。 もちろん、埋葬禁止令のようなものは、あった可能性が消えたわけではありません。 ほんとうに、あったのかも知れない。 でも、その恨みを、今の時代その土地に生まれた人にぶつけるのは、ちがうかな~と。 会津には、下手に盛らなくても十分たくさんの魅力があります。 会津人のがんこさも、ハンパないです。 戊辰150周年を機に、あやまった伝承による被害者意識を脱ぎ捨てる! そして、本当の意味で日本に誇れる会津を全面に押し出していけば、もっともっと魅力的な会津が魅せられるんじゃないかな~。

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